2019年10月31日木曜日

Sekiro 架空のDLC・続編を妄想する

以下は完全な妄想であって、根拠はない

DLC

これまでの傾向としてエンディング後を描いたDLCは存在しない。発表済みのダークソウルシリーズ、ブラッドボーンのDLCでは、本編とわずかに関連するものの時空の異なる世界が舞台であった

例えばDS1では本編でほのめかされた程度であったアルトリウスの時空が舞台であり、DS2では本編では語られない闇の飛沫と王の物語が語られ、DS3では本編の背後に隠されていた禁足の地を冒険するという趣向であった

ブラッドボーンでは、狩人の誕生とその秘密に関わる悪夢の地をさまよい、本編より古い時代の陰惨な出来事をかいま見たのであった

これらの傾向を考慮すると、もしSEKIROにDLCが出たとしたら本編のエンディング後を描くのではなく、本編と微かに関連するが本編ではほとんど触れられていない出来事、あるいはほのめかされただけの出来事にフォーカスを当てるものと思われる


神の世界

ではそれが具体的に何かというと、丈と巴の物語であろう

SEKIROでは思い出の品を備え「拝んで祈る」と記憶から世界を創造してくれる便利な仏様がいる(あと巫女も)

ゆえにもし、丈と巴の思い出の品(それはの形をしていると思うが)を手に入れることができれば、彼らの記憶をもとに世界を創造し、その世界を隻狼が冒険することも可能であろう

※鈴に関しては葦名流伝場の階下にある竜の像についた大きな鈴が怪しいと思う

ボス候補としては、巴と戦ったことが記録に残っている「葦名一心」は登場する確率が高い。また、仙郷に住んでいた丈が葦名に降りる事態に陥ったことを考えると、その異変が起きるまえの全盛期桜竜もいるかもしれない

となると、舞台は崩壊前の源の宮となろうか。ただし本編で源の宮の大部分の場所は明らかになっていることから、磐座を介して全くの別世界へワープすることも考えられる

※もし源の宮が登場するとしたら水没する前の姿かもしれない

別世界とは、全盛期桜竜の司る仙郷である。そこはおそらく、桜竜の故郷と似た世界であろう。故郷を追放された者が故郷と同じような環境を異郷に構築することはよくあることだ(桜竜の記憶をもとに作られた竜の故郷その場所ということも考えられる)

桜竜の故郷については諸説あるとは思うが、以下の「続編」の項で触れる


以上が架空のDLCにおける「神の世界」の部分である

SEKIROは神の世界人の世界という二つの世界が並存しているということは、過去の記事でも述べている

上述した全盛期源の宮、あるいは仙郷が神の世界を描くのだとしたら、人の世界を描くDLCもあると思われる



人の世界

人の世界のDLCとして考えられるのが、「薄井の森」である

の本名が「薄井右近左衛門」であり、うらわかきお蝶が修行を積んだ森である
その森は、霧とまぼろしで満ちており、幻術を修めるにはまたとない場所である(「まぼろしクナイ」)

また薄井の森には、正体つかめぬ猛禽が棲むという
なかでも霧がらすは捕らえた者はいないという(「霧がらすの羽」)

その霧がらすはぬしであり、つまり土地神である(「ぬし羽の霧がらす」)

また梟、お蝶、霧がらすと、翼があり飛翔する生物の名がついていることから、おそらくは「川蝉」もまた薄井の森に関係していると思われる

つまり薄井の森を舞台とするのならば、若き日の梟、うら若きお蝶、川蝉とその関係者と思われる「飛猿」こと仏師をも登場させられるのである(鈴を使い過去に飛んだという前提)

霧とまぼろしに満ちた森であるのならば、隔離空間として登場させるのに都合がよく、また本編にはテキスト以外では登場していないという関係上、どのような事件が起ころうとも本編とは無関係で通すことができるのである

※主人公は飛猿その人かもしれないし、仏師の記憶を元に作られた世界かもしれない

まことに都合の良い場所である

まとめると、SEKIROのDLCでは二つの世界を旅することになると予想される

一つ目は「かつての源の宮(含む仙郷)」であり、二つ目は「薄井の森(過去)」である



続編

続編、それも1の物語を引き続くならばという条件付きのSEKIRO2である

前提としては「竜の帰郷」エンディングの後ということになる

では、西へ旅立った揺り籠と竜の忍びの旅路を描くかというとそれはないだろう。というのも、旅をするとなると出発点と終着点を設定しなければならないが、その場合、一度通った場所に戻る必然性がなくなる

つまり、どれだけマップを作り込もうとも使い捨てになってしまうのである

これは徹底的にマップを作り込んで探索させるというフロムソフトウェアの思想と相反する気がするのである

また、広大なオープンワールドを移動させることで旅の雰囲気を出す方法も考えられる(RDR2のように)が、フロムソフトウェアの開発規模からいって難しいのではないかと思われる。そしてやはりマップの作り込みという方法と相性が良くない

とするとやはり、SEKIROと同じようにフィールドをある程度の広さに限定し、その中でタスクをこなしていくスタイルを取るのではないかと思われる

であるのならば、すでに旅はほとんど終えているはずである(出発地点だとしたらエンディングに至れない)

問題は舞台となる場所である

そこはおそらく竜の故郷に近い場所であろう

この竜の故郷については諸説あり、私個人としては深海の底にある神殿(竜宮)という考察もしたことがある

ただ、深海とするとそこに至るまでの移動手段がなさそうなのと、深海を舞台にして果たして楽しいかというと、楽しくはなさそうである

やはり竜の忍びらしく、鍵縄を駆使してびゅんびゅんと飛び回るような地形が良いであろうと思う

現実的に考えると舞台は地上であり、かつ鍵縄を駆使できるような高層建築高い地形のある場所が適していると思われる

このうち中国の都のような巨大な都市は舞台として選ばれないであろう(開発リソース的にも)

となると、高低差のある土地、例えば峻険な山奥。しかし無人の大自然ではなく人工物もわずかに存在し、人も住んでいる場所となる(店などを考えると)


崑崙山

候補としては第一に天竺(インド)の山奥が挙げられる。しかしながら玄奘三蔵の旅した唐の時代は過ぎ去り、SEKIROの舞台はそれから約1000年後の明朝の時代である。その頃のインドではすでに仏教は完全に衰退しており、西遊記を再現しようにも仏教の聖域はとうの昔に無くなっている

そしてそもそも桜竜は仏教系なのかという疑問もある

不老不死の神仙(竜胤)や不老不死を得た仙人(ミヤコビト)の思想は、仏教というよりも、道教のそれである(道教自体が仏教からの影響を受けているが)

道教では東の海の果てに蓬莱山があるとされ、西の果てに崑崙山があるという

東の蓬莱山を仙郷と考えるのならば、西にあるのは崑崙山であり、竜の故郷があるという方角と一致するのである

またSEKIROの世界に見られる陰陽道の思想はもとをたどれば道教のものであり、陰陽道で使用される「符」や鬼の使役、五行思想なども道教由来である

つまり道教には、源の宮や仙郷で見られる宗教的文化のほぼすべてが含まれているのである

上で桜竜は故郷の環境を再現したのではないかという説を述べた。桜竜の膝元である源の宮にそれが反映されていると考えると、源の宮に見える道教思想は桜竜の故郷のものだった、と考えられるのである

つまるところ、竜の故郷とは道教における神の山「崑崙山」となる

この崑崙山がいかなる場所かは、Wikipediaを読んでもよく分からない

しかしながら、崑崙は『山海経』にも登場する山である

山海経といえば、奇怪な神々、怪物群がこれでもかと登場する書物である

例えば燭陰(しょくいん)という神は

『北海の鍾山(しょうざん)という山のふもとに住む神で、人間状の顔と赤い蛇のような体を持ち、体長が千里におよぶとされる』(wikipedia)

他にも
鹿蜀(ろくしょく)
 その状馬の如くで白い首、その文(あや)は虎の如くで赤い尾、その声はうたうよう
九尾狐
 その状は狐の如くで九つの尾、声は嬰児のよう、よく人を食う
彘(てい)
 その状は虎の如くで牛の尾、その声は犬がほえるよう。
蠱雕(こちょう)
 その状は雕(わし)の如くで角があり、その声は嬰児のよう。
英招(えいしょう)
 神。神の状は馬身で人面、虎の文あり、鳥の翼をもち、四海をめぐる。

等々、奇妙な神や怪物の宝庫である

こういった奇妙な世界にある崑崙には西王母が住んでいるという

西王母とは

『西王母とは、西方にある崑崙山上の天界を統べる女性の尊称である。天界にある瑶池と蟠桃園の女主人でもあり、すべての女仙を支配する最上位の女神。』(Wikipedia)

である

西王母は漢代に入ると神仙思想と結びつき、やがて道教へと受け継がれた

その道教の影響を受けた仙郷が東の海の果てにあり、それを蓬莱山とするのならば、西にあるという竜の故郷とは崑崙山のことであろう

つまりもしSEKIROの続編が出るのならば、それは崑崙山を中心としたエリアであり、山海経に登場するような異形異類の神や化け物たちの跋扈する世界なのではなかろうか

※もちろんちょくせつ「崑崙山」の名や化け物たちの名は採用しないだろう

さて、この項の最初に「1の物語を引き継ぐならば」と条件をつけた
しかしながら、シリーズとなったダークソウルでは主人公が直接続いた作品はない

世界観はなんとなく共通するけれども、前作とは直接には関係のないストーリーが展開されている
けれども、「最初の火の炉」や火防女、またグウィンドリンや王たちの化身など、前作や前々作と共通する、あるいは彷彿とさせる場所や人物が登場する

こうした前例を踏襲するのならば、SEKIRO2の主人公「隻狼(狼)」ではないであろう

けれども、竜胤の御子や竜の忍び(伝説の)、揺り籠といったSEKIROと共通するような概念なり存在がそこには登場し、プレイヤーはそのゲームがSEKIRO2であることをすんなりと理解できるものになるかもしれない


出雲

さて、SEKIROは固定主人公なので、前例を踏襲せず主人公は隻狼のままかもしれない

そうした主人公継続の前提で妄想すると、いきなり海を渡って大陸へというのはプレイヤーの心情的にも物語の展開的にも考えにくい

北国(公式サイトに一心が「北国の雄」として紹介されている)から西へ向かったと考えると、日本列島全土がほぼ範囲内になるが、そのなかから個人的に可能性が高いと思うのが「出雲」である

出雲は言わずと知れた神話の地であり、大和朝廷との関係も考えると得体の知れぬ異形の神を祀っていても不思議ではない

また、葦名の白蛇の社にかけられた注連縄のかけ方が出雲と同じ珍しいかたちであることや、落ち谷に痕跡が確認できる製鉄場の日本における最も古い形が出雲にあったことなどを考えると、葦名と出雲とはなぜか共通点が多いのである

そしてなにより、出雲には葦名城に劣らぬ難攻不落の名城「月山富田城」がある

残念ながら標高の高い山はないが、代わりに海がある

異形の存在が海岸に漂着、または上陸することは、ブラッドボーンDLCや蛭子神話、またラヴクラフトの『インスマウスの影』でもお馴染みである

海は山と同じく、古代の人間にとって異郷であり、そこからは神や神に近い何者かがやってくると考えられていたのである

桜竜も「故郷を放たれ、この日本(ひのもと)に流れ着いたもの」(変若の御子)と言われることから、雲に乗って来たのでなければ、日本海側の海岸に漂着したものと考えられる

しかしながら、「故郷を放たれ、日の本に流れ着いたもの」が一体だけであるとは限らない

その神もまた故郷を放たれ出雲に流れ着き、そこに根付いたのかもしれない

葦名と出雲とは奇妙なほどによく似ている。中央から離れた辺境にあり、中央とは異質の信仰が残り、製鉄を行っていたと思われるふしがあり、難攻不落の名城がある

さらに言えば、SEKIROを開発する際にかき集めた資料を再利用できる、という利点もある。これは時間的にも人件費的にもかなりの節約になるはずである

また出雲であれば、古代出雲大社をモチーフにすることが可能である(その本殿は高さ48、または96メートルもあった)

フロムソフトウェアの巨大建築への情熱は過去作をプレイすれば理解できるかと思う。そのフロムが古代出雲大社本殿のような巨大建築を見逃すであろうか

にある山の葦名西にある海の出雲

日本とは言うまでもなく島国でり火山国でもある。山と海がそろって初めて日本を十全に描いたことになるのかもしれない


蛇足

もしDLCがあるのだとしたら、過去の傾向からいって竜の忍びルートのその後を描くのではなく、おそらく源の宮の深部や竜の故郷、それから薄井の森に焦点が当てられるだろう

また続編で竜の忍びルートが描かれるかもしれないが、前例を考えると可能性は低い。けれども竜胤や竜の忍びは引き続いて登場し、西にあるという竜の故郷が描かれるかもしれない。また主人公が継続するのならば、2の舞台は出雲であろう

程度のことを書くつもりが冗長になってしまった

2019年10月26日土曜日

Sekiro 考察54 道教

道教

まず道教についてであるが、簡単にいうと「神仙思想を源流に、種々雑多な思想民間信仰を取り込み、やがて仏教によりその体裁を整えた中国古代より続く宗教現象」となろうか

よりわかりやすい解説はWikipedia概要を読んで欲しい

ともかく、とりとめもなくその時代その時代の勢いで様々な思想信仰宗教を取り入れてきたので、定義するのもままならない、ひとつの宗教と呼べるかどうかもわからない宗教なのである

それはともかくかくとしてSEKIROと関係のありそうな要素を抽出すると以下のようになる


  1. 神仙思想
  2. 陰陽五行説
  3. 煉丹術(錬金術)
  4. 呪符
  5. 医薬
  6. 庚申信仰



神仙思想

このうち神仙思想は、煉丹術医薬と密接な関連があり、その究極の理想は「錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする」(Wikipedia)である

昇仙(仙人になること)にはいくつか方法があり、上記の霊薬を飲むというもの、善行を積み功績を立てること、一度死んで天上で再生する(尸解仙)などいろいろある

要するに神仙思想の第一の目的は、不老不死の仙人となることである

そうした仙人たちが住んでいるのが「仙郷・仙境・仙界」であり、これらは神山の上にあると考えられていた

また天界も山の上にあると考えられており、崑崙山(こんろんざん)という神山には天界に通じる天門があったという

この崑崙山上の天界ならびに全仙人を司るのが、天帝の娘であり、最高の女仙である西王母である(Wikipedia)

山海経』の西山経によると西王母は以下のような姿をしている
「西王母はその姿は人のようでありながら、豹の尾、虎の歯をもっていて、嘨(しょう、声を長く伸ばす歌い方)がうまい。天の災厲(さいれい)と五残(刑罰としての五種の斬殺)を司る」(『道教とはなにか』坂出祥伸)
また後の大荒西経には、「崑崙の丘(やま)には、人面虎身で白い文様があり、白い尾がある神人がいて、西王母という名である」と記されているという

天界へ通じる天門崑崙山にあり、この天に通じる山を守るのが、天帝の娘である西王母なのである

これをSEKIROに当てはめるのならば、崑崙山は源の宮天上は仙郷西王母は巫女であり、天門は磐座となろうか(後述するが、どちらかというと源の宮は崑崙山というより蓬莱山である)

また、そもそも仙郷とは神仙思想の用語である
さらにSEKIROには道教の仙人と似たような者たちがいる

ミヤコビトである

だが、長生不老を追い求め、権力争いに耽るミヤコビト(壺の貴人)と、賢者然とした仙人・神仙ではイメージがやや異なるように思える

しかしながら、道教における仙人はむしろミヤコビトに近いのである

上大山禽獣博局鏡という後漢時代の銅鏡には以下のような文字が読める

『泰山に上り、神人を見るに、玉英を食い、澧泉(れいせん)を飲み、官秩を宜しくし、子孫を保ち、長き楽しみは央(つ)きず、富貴は昌(さか)んに、天と極まることなく、飛ぶ龍に駕し、浮雲に遊ばん』

また同じ時代の呂氏五乳羽人龍虎鏡にも

『呂氏の作る鏡自ずから紀有り。長く二親□孫子を保ち、不祥を辟(しりぞ)け去り古市(?)を宜しくす、吏と為れば高く升(のぼ)り人の右に居り、寿は金石の如し』

とあるように、「天界にあって俗界以上の栄楽と昇進を保とうというのが、仙人なのである」(『道教とはなにか』坂出祥伸)



陰陽五行説

陰陽五行説はSEKIROでは陰陽道として姿を見せる

この陰陽道の駆使する陰陽五行説もともと道教のもの(かつて道教が取り込んだ)であり、また、陰陽道の使う呪符もまた道教のものである。さらに鬼神を使役することも道教の方術を取り入れたものである

つまり日本の陰陽道は道教の影響が強いのである

源の宮に確認できる霊符も『道蔵』に収載された道教の呪符である

また陰陽五行説をもとにした風水説では、名山や霊山の頂上に竜神が住むと考える。山頂の竜神から流れ出るのが竜脈であり、竜脈が集結する地点を竜穴という

これをSEKIRO的に解釈するのならば、桜竜から流れ出る竜脈の化身が「白蛇」となり、それが住む洞窟が竜穴となろうか。竜脈が集結する洞窟であるからこそ、岩潜りなる不可思議な敵がいるのかもしれない



医薬

道教における本草学の基となっているのは『神農本草経』(しんのうほんぞうきょう)である。中国最古の薬物書であり、365種類の漢方薬が記されている

薬は上品・中品・下品の三つに分類され、このうち上品(上薬)の最上位にある金丹と呼ばれる薬は、「久しく服用すれば寒暑に耐え、飢渇せず、不老にして神仙となる」という

道教の医薬書『黄帝内経医学』によれば、病は気の流通が滞ることから生まれ出るという。この血と根源的に同一のものであり、血の滞りも病を引き起こすという

これは停滞した血、あるいは淀んだ血により病が発生するという竜咳のメカニズムを道教側から説明したものである

道教において医を始めたのは「神農氏」とされている。彼は全国を回って多くの草をなめ、毒草と薬草とを区別し、365種の薬を考案したという

SEKIROに当てはめるのならば、神農氏とは道玄であろう。そしてその弟子であるエマが作り出したという薬水瓢箪もまた道教における金液還丹(飲むと病が治ったり神仙になれたりする液体)の流れを汲むものであろう

もとは九郎のために作ったとされる薬水瓢箪。なぜ不死である九郎にそれが必要だったかというと、道教において金丹や金液還丹は天界へ昇仙した仙人の食べ物(飲み物)でもあるからである

薬水瓢箪のかさを増やすものがであるのは、西王母が不老長生を求めた前漢の武帝に与えた桃と、その種の逸話をモチーフにしたものかもしれない

その桃の種を植えても3000年に1度しか実がならないという

エマのモチーフを道教に求めるのならば、王夫人(太真王夫人)であろうか

王夫人は西王母の末娘であり、絶世の美女(ここ重要)であり、東岳泰山を司る神仙である。彼女は後に神仙となる男に怪我が直る丸薬を与えたりもしている

そして東岳泰山といえば、閻魔大王の司る山でもある。エマと閻魔大王の関係については「エマの秘密」で触れた(道教では泰山府君と閻魔は同一のものではないらしいが)



煉丹術

煉丹術は中国古代の錬金術と呼べるものであり、その主な材料はや「丹砂」(硫化水銀)などの鉱物である

その目的は服薬すると不老長生をもたらす「神丹」を人工的に錬成することである

煉丹術には火法水法があり、火法では鉛や丹砂を加熱、昇華、蒸留といった科学反応により性質を変化させていく手法がとられる。そうして得られるのは、水銀や砒素という劇毒物である

一方、水法は鉱物を水の中に溶解させて水溶液とし、その水溶液を放置冷却することにより結晶(丹)を析出する方である

煉丹術の観念をSEKIROに応用するのならば、変若の澱とは水法で得られる丹の一種となろうか

変若水を濃縮した際に生成される「変若の澱」とはつまり、水法によって生成される「神丹」のことであり、それを食らった虫が「不死」となるのも当然といえる

また、煉丹術は鉛や丹砂という劇毒物を原材料とすることから、それを服用した生物、人間に重金属中毒の症状が現れるはずである(即死しなければ)

不死の効能と重金属中毒の症状、この二つの結果を重複させると「ミヤコビト」になるであろうか(水銀中毒へのある種の好奇心は、DS3に登場する魔術「致死の白霧」が元は「致死の水銀」であったことやその効果などからもうかがえる)

煉丹術には神丹(金丹)の他に金液というのもある。中身は神丹と大体同じであるが、丹が固形物であるのに対し、金液は液体状である

道術には薬草由来の金丹や金液鉱物由来の金丹、金液が存在するが、この二つの流れが薬水瓢箪の薬水と、変若水や変若水の澱という違いとなってSEKIROに現れているのではないだろうか



庚申信仰

庚申とは以下のような虫のことである

「人の身中には、三尸という虫がいる。三尸とは形がなく霊魂や鬼神のたぐいである。この虫はその人を早く死なせたいと思っている。人が死ねばこの三尸は鬼となって、思いのままに遊び歩き、死者を祀る供え物を食べることができる。そこで、庚申の日になると、いつも天に昇って司命(人の命数を司る神)に、その人の犯した過失を報告する」(『抱朴子』内篇)

この思想が日本に来ると、庚申(かのえさる)から申(さる)が連想され、庚申待を行う庚申堂には三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)が脇侍として置かれることになった

SEKIROの四猿との関連は定かではない。あるいは変若の御子さまがたを三尸とし(三尸とは形がなく霊魂や鬼神のたぐい)、をその見張り役としての脇侍とみたてたものだろうか



蓬莱山

仙人たちの住まう仙境や仙郷、天界があるのは神山の上であることが上で述べた
神山のうち、多くの仙人が住むとされたのが蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛州(えいしゅう)三神山である

このうち蓬莱山徐福伝説を介して日本と関わりが深い

徐福は秦の始皇帝の時代に生きた人である。彼は秦の始皇帝に願い出て、東の海の果て(渤海沖)にある三神山に向かったという。そこには長生不老の霊薬があるという

その後、徐福は海を渡って蓬莱山に漂着するのだが、この徐福が日本に到達していたという伝説が日本各地に伝わっているのである(Wikipedia)

つまりここでは蓬莱は日本と同一と考えられていたのである



崑崙山

道教において、東の海の向こうにあるとされたのが蓬莱山であり、西の果てにあるとされたのが「崑崙山」である

上述したように崑崙山には西王母が住み天界へ通じる門があるという。西王母を記録したもっとも古い書物は『山海経』であるが、この山海経にはおびただしい数の異形奇怪の怪物たちが記載されていることで有名である

以下はその一部

開明獣天帝の下界の都である崑崙の丘にある九つの門を守っている。その姿は大きな体で虎に似て、九つある首は全て人間の顔だという
燭陰(しょくいん)北海の鍾山(しょうざん)という山のふもとに住む神で、人間状の顔と赤い蛇のような体を持ち、体長が千里におよぶとされる
女媧(じょか)姿は蛇身人首であると描写される文献が残されており、漢の時代の画像などをはじめそのように描かれている
貫匈人(かんきょうじん)貫匈人は人間の姿をしているが、その胸に大きな穴があいていたという[2]。また『異域志』によると位の高い者はその胸の穴に竹や木の棒を通し、それを二人が担がせて(駕籠のように)移動するとされる。
夔(き)『山海経』第十四「大荒東経」によれば、夔は東海の流波山頂上にいる動物である。その姿は牛のようだが角はなく、脚は一つしかない。体色は蒼である。水に出入りすると必ず風雨をともない、光は日月のように強く、声は雷のようである。

とりあえずWikpediaにページがあるものから適当に選んだが、その姿の奇怪さが分かるかと思う

で、何が言いたいかというと、この中に入れば「桜竜」の姿もそれほど奇異ではないということである

※ちなみに『山海経』には応竜という名の竜も登場する。桜竜を「おうりゅう」と読むのならば、同じ読みである



竜の故郷

なぜ源の宮や仙境に道教思想が見られるのか?

それは例えば仙郷がそもそも神仙思想の用語であるとか、桃源郷常世の国源の宮に投影している。あるいは平安期における陰陽道の隆盛を表しているのだとかいろいろと考えられる

しかしながらそれらは、制作者の美学というか思想から選択されたものであって、ゲーム内の必然性から選ばれたものではない

SEKIROの主たる舞台は戦国期である。主人公の身分やストーリーを考えると戦国期である必然性がある。だが、源の宮が平安期である必然性はない。もっと古い縄文時代でもよいのである

けれども、源の宮はどうやら平安期あたりの時代設定であり、そこには陰陽道や陰陽五行説といった道教思想が見受けられる

このように源の宮に道教思想が見られる理由、そのゲーム内における必然性がこれまでどうしても納得できなかった。しかしながら道教思想を軸に蓬莱→崑崙→西王母ときて、『山海経』にまで至ったとき、ようやく答えを見つけた気がしたのである

つまり、源の宮道教の思想が見られるのは、桜竜がそこに故郷の環境を再現しようとしたからではないだろうか

葦名に降りてきた丈が、仙郷の名残にと常桜を持ってきたように、追放された桜竜には故郷への懐郷の念があったのであろう

ゆえに桜竜は根付いた葦名の地に故郷を再構築しようとしたのである

桜竜の故郷とは、西王母の住まう崑崙山を含む『山海経』の世界であり、それは神仙が山に遊び、奇怪な鬼神が闊歩する、道教(神仙思想)の世界なのである

そしてそうした道教の世界観は、神仙思想が広まり不老長生を望む貴族たちが生きていた平安期の日本と重なるのである



蛇足

『十二国記』の新刊は、時間軸を使った叙述トリックだと思われる
同じ時代の同じような場面を複数描写しているように思えて、実はそれぞれ起こった時代は異なっているのである

現代において大人である人物が、その場面では子供として描写されていたり、現代では大人である人物が、そこでは若者として描かれていたりするのである

読者はそれを同じ時代の場面だと認識し、重大な認識の誤認を引き起こす
歌は、それぞれの時間を繋げる縦糸として用いられていると思われる

なぜ『十二国記』の話をしているかというと、特に理由はない

麒麟と王の関係が、竜胤の御子と従者の関係の裏返しになっているとか、泰麒と驍宗の二人の面影がなんとなく九郎と隻狼に重なったように思ったりとかはしていないし、妖魔は玉を食らうけどその玉は水の中にできるのか、とか考えてもいない

ただ蓬莱とか崑崙とか考えていたら書きたくなっただけである

2019年10月24日木曜日

Bloodborne 手記3 物語の構造

ブラッドボーンはゴシックとクトゥルフという二つの側面を持つ

このことはインタビュー(Future Press)において宮崎氏により明言されている

Bloodborneにはゴシックとクトゥルフの両方のホラーの側面があると思いますが、最初から描かれているのは前者であり、ゲームの視覚的な感覚のガイドを提供します。(上記インタビューの翻訳)

このうちゴシックの側面がゲーム上の基盤とされるのは、より現実に基づいているからである

それは、ゴシックホラーがより現実の世界に基づいているためです。(同上)

こうしたゴシック・ホラー的な世界がクトゥルフ的なコズミック・ホラーに侵食されていく、というのがブラッドボーンの物語構造である

※コズミック・ホラーとは宇宙的恐怖を描くジャンルのことで、ラヴクラフト作品に代表される

あなたはそのような世界を持っていますが、それはクトゥルフ風の恐怖によって徐々に侵食されています。そのようなイメージ。(同上)

要するにブラッドボーンの世界では、ゴシックとクトゥルフという二つの世界が存在し、後者が前者を侵食していくのである

「衝突」ではなく「侵食」であるのは、二つの世界の接触が世界の即時的な崩壊を招くのではなく、ある種の菌糸類や宿り木のように徐々に宿主(ゴシック)に融合・同化していくからであろう



ゴシック・ホラー

では、そもそもゴシック・ホラーとは何かというと、ゴシック小説を源流にもつホラーのことである
そしてゴシック小説は以下のようなジャンルの小説のことである

ゴシック小説(ゴシックしょうせつ)とは18世紀末から19世紀初頭にかけて流行した神秘的、幻想的な小説。ゴシック・ロマンス(Gothic Romance)とも呼ばれ、その後ゴシック・ホラーなどのジャンルも含むことがあり、今日のSF小説やホラー小説の源流とも言われる。 (Wikipedia)

ゴシック・ホラー作品として有名なものにエドガー・アラン・ポーの諸作品やブラム・ストーカーの『ドラキュラ』、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』といった怪奇小説がある

このうち宮崎氏がインタビューで言及しているのはドラキュラである

そうですね。ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」とか,まずは,そういう雰囲気を感じてもらえればと思います。辺境の古都,その街は古い医療の街なのだけれど,風土病である「獣の病」が流行っていて――という感じですね。(4gamerインタビュー)

本作におけるゴシック・ホラーのモチーフとなったのはドラキュラの雰囲気であり、「獣の病」や「血の医療」といった言葉からも、吸血鬼との強い関連性がうかがえる



人狼

このうち獣の病と吸血鬼が関連付けられるのは、人狼と吸血鬼とがしばしば同じものとされていたからである

バルカン地方では狼人と吸血鬼とはしばしば同類として混同されるが、ブルコラカスと相似た響きのセルビア語のヴコドラクもやはり「狼の皮」を意味しており、さらにアレクセイ・トルストイの吸血鬼小説『ヴルダラク家の人びと』を引き合いにだすまでもなく、スラヴ語でもこの言葉は吸血鬼を意味している(『吸血鬼幻想』種村季弘 河出文庫)

セルビア語の「Vrolok」「Vlkoslak」という単語は、人狼もしくは吸血鬼という意味がある(『吸血鬼ドラキュラ』)。また吸血鬼を意味するギリシア語の「ヴリコラカス、ブルコラカス」はもともと人狼を意味する言葉であり、「完全に死んでいない者」をそう呼んだという(『吸血鬼幻想』)

このほかに一般的な吸血鬼の特徴として、オオカミやコウモリに変身したり、狼の群れを使役するといったようにオオカミは吸血鬼の眷属あるいは変身後の姿として考えられていた。これは、吸血鬼の牙がオオカミの牙を連想させるからであろう

16世紀後半のドイツでは吸血鬼は「ナハツェール(Nachzehrer)」と呼ばれていた(「死んだ後でむさぼり喰らう者」というほどの意味である)(『吸血鬼幻想』)

ナハツェールになるのは出産の時に胎盤や羊膜を被って産まれてきた赤子ともされる。一方、そのようにして産まれた赤子は人狼や吸血鬼になったり、吸血鬼ハンターになったりするとも言われる(『吸血鬼幻想』、『ヴァンパイア 吸血鬼伝説の系譜』、『精霊の王』)

ここには、人狼/吸血鬼/吸血鬼ハンターが類縁にあるという観念が見受けられる

※吸血鬼ハンターになる者として最も有名なのが、吸血鬼と人の間に生まれた子が吸血鬼を滅ぼす力を持つという観念であろう


吸血鬼の宿敵としての人狼という構図は昨今のフィクションで頻繁に見られる構図であるが、人狼のみならず狼も吸血鬼の宿敵と見られていた

ルーマニアでは、ジプシーの村の墓場には白い狼が棲んでおり、ヴァンパイアが発生すると貪り喰らうといわれている。ユーゴスラビアでは地上をさまようヴァンパイアは最後には狼に出会い、ばらばらに引き裂かれる(『ヴァンパイア 吸血鬼伝説の系譜』 森野たくみ)

吸血鬼との関連とは別に、人が狼に変身する「獣人現象(ゾアントロピー)」は古代から知られている

北欧神話におけるウールヴヘジン(あるいはベルセルク)、ヘロドトスの『歴史』にあるネウロイ人、『ダニエル書』にあるネブカドネザル王の伝説、ギリシア神話のリュカオン等々、挙げていくときりがない(ゼウス自身もゼウス・リュカイオンという異名を持つ)

その解釈としては、法から追放された者のことをそう表現したというものや、毛皮を被るなどして象徴的に獣に変身することが儀礼の一部であったというもの、麦角菌(ばっかくきん、LSDの原材料)による幻覚作用、狂犬病による症状等々がある

このうちの狂犬病は吸血鬼現象の原因とされることもあり、ここでも人狼と吸血鬼の類縁関係をうかがうことができる

要するに獣の病という現象は、人狼を介して吸血鬼現象とリンクしているのである

※吸血鬼関係の書籍を読むと必ずと言っていいほど人狼も一緒に取り扱われるのは、歴史的に両者が混同されてきたという事情がある



吸血鬼

吸血鬼現象に関しては古今東西、おびただしい数の伝承・伝説が存在するので、詳細はWikipediaを参照して欲しい

さて、人の血を吸うイメージの強い「吸血鬼」であるが、もうひとつの重要な要素は「生ける屍体」であることだ

その原因としてエドガー・アラン・ポーの『早すぎた埋葬』や『アッシャー家の崩壊』にもあるように、強直症(カタレプシー)仮死状態の生体を死亡状態にあると誤診したことが挙げられる

医学の発達していなかった当時、人が本当に死んでいるのか、それとも仮死状態であるのかを判別するのは非常に難しかったのである

そのような誤診を受けて「早すぎた埋葬」を被った人間は、墓の下で息を吹き返しても地上に出ることが出来ず、もがきながら死んでいったのである。後に墓を暴いた者が目にしたのは、墓の下で生き続けていた死者であり、つまるところ「生ける屍体」なのである

そうした生ける屍体という観念を引きずる吸血鬼、その代表たるドラキュラ伯爵棺桶で眠るのも彼が屍体だからであり、吸血鬼退治の最も有効な手段とされるのが墓を暴いて杭を心臓に打ち込むことであるのも、吸血鬼がまず「屍体」だからである

夜ごとに死者が蘇り、生きている人間の血をすする

これがゴシック・ホラーにおける吸血鬼の骨子である

なぜ死者が生者の血を必要とするのかというと、血に生命の源が含まれているからであろう

血に生命の源が含まれているという考え方は古くから存在する

すべて肉の命は、その血と一つだからである。それで、わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべて肉の命はその血だからである。すべて血を食べる者は断たれるであろう。 (レビ記17章14節)
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。(ヨハネによる福音書6章54節)

レビ記では血を飲むことは禁忌とされ、一方、ヨハネ福音書ではキリストの血は永遠の命をもたらすとされる

血に対するこうした二律背反的(アンビバレンツ)な感情が、吸血鬼現象への人々の忌避と憧憬という矛盾した反応として現れるのである

血液への恐怖と崇拝はブラッドボーン内にも確認される。血を恐れあくまで瞳を求めたウィーレムと、血を利用することで血の医療への道を突き進んだローレンスである

「…我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う 知らぬ者よ かねて血を恐れたまえ」


オドの力

さて吸血鬼に話を戻す。吸血鬼は人の血を吸うことで生命の源を摂取するとされているが、生命の源の正体とはそもそも何であるか

科学が発達していない時代ならば、それは神の力として説明出来たであろう。しかしブラッドボーンの時代はヴィクトリア朝であり、産業革命の時代であり、科学の時代であり、啓蒙の時代である

啓蒙主義の時代にあって生命の源を神に求めることは嫌忌され、それはあくまでも科学的な力でなくてはならなかった

その答えのひとつが、ドイツの化学者カール・フォン・ライヘンバッハが提唱した「オドの力」である(wikipedia)


宇宙に存在するすべてのものは、あるエネルギーを放出しているという。そのエネルギーをライヘンバッハはオーディンにちなんで「オドの力」と名付けたのである

オドの力は厳密には科学とは言えず現在からみれば疑似科学である。しかしながら当時まだ存在していた錬金術師や魔術師たちは、その曖昧さゆえにこぞって自説に取り込んでいったのである

いわゆる動物磁気やオーラ(アウラ)といった霊気がそれである

吸血鬼は血液を吸うことで犠牲者のオドを吸っているとするのが「オド・ヴァンピリスムス」である(『吸血鬼幻想』種村季弘 河出文庫)。

これによればオドという液体状の発光体が人間の肉体をすっぽりと包み込んでいるという。吸血鬼はそのオドを吸収することによって生命エネルギーを得ているのである

その際に血液をも吸わねばならないことから、オドは血液に最も多く含まれるものであり、血液のもつ生命エネルギーの本質でもあると考えられた

「人であるなしに関わらず、滲む血は上質の触媒であり それこそが、姿なきオドンの本質である 故にオドンは、その自覚なき信徒は、秘してそれを求めるのだ」(カレル文字「姿なきオドン」)

またオドンは、姿なき故に声のみの存在であるという

「人ならぬ声の表音となるカレル文字の1つ 上位者オドンは、姿なき故に声のみの存在であり」(カレル文字「姿なきオドン」)

旧約聖書『創世記』第4章において、カインは弟のアベルを殺害する(人類最初の殺人とされる)。このとき殺されたアベルの体から流れ出た血が、神に向かって兄の罪を叫んだという

 『主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。』(創世記4章10節)

殺された者の流した血が叫ぶという観念は古代より存在し、まさしく血の遺志が声となって殺人者を告発したのである



キリスト教

このようにゴシック・ホラー時代の吸血鬼にはキリスト教の影響が色濃い。土俗的な吸血鬼の弱点としてしばしば挙げられるのが、(心臓に突き立てる)や、ニンニク(臭いによる悪霊避け)、また断首するための剣や斧、あるいはなどである

ゴシック・ホラー時代の吸血鬼にはこれらに加えて、十字架十字架の描かれた銀硬貨を溶かして作った弾丸イコン(宗教的な図像)、聖水、聖餅といったキリスト教由来の弱点が増える

血は永遠の生命(キリストの血)であると同時に、飲んではならない禁忌のもの(レビ記)というキリスト教の二律背反的な観念が転写されるのである

また血は遺志を叫ぶ性質(アベルの血)があり、アベルの殺害時に発生した罪は、原罪と共にキリストの血によって贖われる

そのキリストの血を受けたのが、聖杯である

血という物質を媒介にして、吸血鬼現象は聖杯にも至るのである

※やや話がそれるが小野不由美の『屍鬼』に登場する屍鬼には吸血鬼や人狼によく似た性質が確認できるが、屍鬼の誕生にはキリストの血が関係している


ブラッドボーンにおける血や聖体、聖杯や地下に広がる神の墓地の関連性は以上のようなキリスト教の観念から生じたものである

血の救い、その源となる聖体は、大聖堂に祀られていると聞いています」(アルフーレト)

「ヤーナムの地下深くに広がる神の墓地 かつてビルゲンワースに学んだ何名かが、その墓地からある聖体を持ちかえり そして医療教会と、血の救いが生まれたのです」(アルフレート)




擬生体

吸血鬼の一風変わった解釈として、吸血鬼を擬生体とする考え方がある

後期ロマン派のカトリック主義者ヨーゼフ・フォン・ゲーレスがその著作『吸血鬼とその犠牲者』において説いたという吸血鬼=植物性動物説である

簡単にいえば、ゲーレスの考えでは、吸血鬼の屍体は精神生活や動物的生活こそ失ったが、そこで完全に死に移行することはなく、植物の段階に退行して、いわば「植物性動物」の陰々滅々たる生活を送っている擬生体だというのだ。だから吸血鬼の血は「温かい生命の血」ではなくて、「冷たい植物の液汁」である。(『吸血鬼幻想』 種村季弘 河出文庫)

擬生体である吸血鬼は、植物の根に相当する毛細管から大気中の湿気を吸うという。湿気は静脈を通じて心臓へと至り、肺を通って動脈へと流れ込み体内に環流していく

※ドラキュラ伯爵の棺を運搬するとき、棺の中に故郷トランシルヴァニアの土が必要であるのは吸血鬼が何よりも植物的であるからではないか、と種村季弘は推測を述べている

地下に咲く死の花たる吸血鬼」(種村季弘)にふさわしい敵がブラッドボーンには登場する

まず思いつくのは蛍花である
これはビルゲンワースの個体だが、地下の聖杯ダンジョンに多く見られる


眷属の多くが植物的な特徴を有することは、眷属の姿をいくつか思い浮かべてみると分かるかと思う。例えば「蛍花」「瞳の苗床」といった姿や名前からのもの。あるいは、巨大な星輪草と共にある失敗作たち、ロマの体から生える発光性の菌糸(あるいは植物)、脳喰らい根状のヒゲなどである

ただし実際には「植物」そのものというよりも、「植物性動物」であると思われる

この植物性動物とは、要するに植物のような動物であるが、その性質を生物界において最も強く体現しているのが「深海生物」や「菌類(とくに粘菌)」である

例えばウミユリや、ヒトデといった棘皮動物は動物であるが極めて植物的な生態をしており、もっとも早くに誕生したと思われるウミユリなどは、その名の通り深海に咲く花そのものである

棘皮動物は基本的に五放射相称の形を取るが、これはクトゥルフ神話に登場する「古のもの」の特徴とも一致する

また環形動物門に属するチューブワームの形状はエーブリエタースの顔から伸びる筒状の触手のそれとうり二つである

星の子らの形状はウミウシに酷似しており、「ウミウシ」の名の由来たる牛角に似た突起という特徴まで備えている(基本的にウミウシは浅い海の底にいるとされるが、深海にすむウミウシも確認されている)

そして深海にはウミグモと呼ばれる生物も生息しているが、水の中に棲むクモという生態学的な特徴は、白痴の蜘蛛、ロマと共通するものである(ただしウミグモは地上の蜘蛛の仲間ではない)

次に粘菌であるが、粘菌の仲間、とくに変形菌は動物と植物の性質を強く併せ持つことが知られている(ナウシカの原作にも登場するあれ)

変形菌(へんけいきん)とは、変形体と呼ばれる栄養体が移動しつつ微生物などを摂食する“動物的”性質を持ちながら、小型の子実体を形成し、胞子により繁殖するといった植物的(あるいは菌類的)性質を併せ持つ生物である。(Wikipeida)

さて深海生物や菌類の一部は「生物発光」することで知られているが、眷属たちの多くも発光能力をもつ

深海生物菌類に似た形状、そして発光するという能力、「蛍花」や「瞳の苗床」などの名前、植物的な生態などから鑑みるに、眷属とは「植物性動物」の特徴を持つものがそう呼ばれるのではないかと思われる

また眷属は英語版では「kin」という単語が使われているが、これは日本語の「」とかかっているのかもしれない(遺志、石、遺子、医師と同じような言葉遊び)

とすると、眷属とは植物性動物の特徴をもつ個体のうち「菌(Kin)」の特徴を有するものとなろうか



コズミック・ホラー

長くなったが以上が吸血鬼現象を中心としたゴシック・ホラーの基本的な世界観ならびに知識である

吸血鬼という広範な現象が内包する要素をまとめたものが以下の図である



こうしたコズミック・ホラーにクトゥルフ的なコズミック・ホラーが浸食してくる、というのがブラッドボーンの物語構造であることは上でも述べた

それは一体どのようにして浸食してくるのか

吸血鬼現象に不可欠な「血」によってである

吸血鬼というゴシック・ホラー的な概念が、血を媒介にすることで、一気にコズミック・ホラーの侵入を許すのである

それまで単なるゴシックの恐怖であったものが突如として変貌し、まったく異質な宇宙的恐怖として現前するのだ

人狼、つまり獣の病はその頂点としての「月の獣」となり、キリスト教は聖杯(古い血)を通じて「上位者の赤子」へと至り、オドの力は滲む血を本質とする「オドン」へと繋がるのである

また生ける屍体は死後の出産という早すぎる埋葬を経て「ゴース」やゴースの遺子となり、植物性動物は生態的に類似した深海生物や粘菌を経て「エーブリエタース」へと繋がっていく(そして眷属とは植物性動物のうち「菌類」の特徴をもつもののことである)

まさに「血はすべてを溶かし、すべてそこから生まれる」(儀式の血)のである

これらの関係を図にしたのが以下の画像であるが、これは暫定的なものですらなく、たんに私の頭のなかにある漠然としたイメージを図にしたものである
さらに外側にクトゥルフの神々が存在する


個々の関係性については、説明を詳細に書き入れることができるものもあればできないものもある星海からの使者の位置は大きな課題である。植物性動物を粘菌と深海生物に分けるべきだったのかもしれない。いっそオドンを菌類にしても良いのかもしれないが…


※また今回は取り上げなかったが、フランケンシュタイン博士の怪物は「再誕者」として現れる

これがゴシック・ホラーの要素をコズミック・ホラー的に解釈した結果であり、その唯一の媒介項は「血」なのである(Bloodborneとは日本語に訳すと「血液感染」の意)

つまるところ、ゴシック・ホラーは血によってコズミック・ホラーに感染したのである

※Bloodborneのborneには「生まれる」という意味も含まれていると思われる


蛇足

ブラッドボーン本編の考察というよりも、宮崎氏のインタビューの考察である。よって上記の図はゲーム本編との一致を目的としたものではない

あくまでもゴシック・ホラーにコズミック・ホラーが侵入する際の「浸食の仕方」を考察したものである
ゲーム本編の考察が進めばまた違った結論が出てくると思われる

2019年10月19日土曜日

Sekiro 考察の整理

※更新部分は青字になっている

考察が増えてきて過去の記事を把握するのが困難になってきたのと、これまでの考察を整理しようという意図のもと、各テーマごとに考察をまとめた

なおテーマごとに考察をまとめているので、重複する考察もあるかと思う

整理整頓するだけだと何なので、まずSEKIRO自体の構造から簡潔に説明したいと思う



モチーフ

SEKIROのモチーフとして最も大きなくくりは「日本」である

SEKIROをプレイして日本が舞台であることを否定する人はいないであろう(厳密にいえば「日の本」という日本とは別の世界と言うことも出来るが、モチーフとしては日本である)

さて、この日本というモチーフをさらに細断していくと、「戦国時代」と「平安時代」という小さなモチーフが得られる

戦国時代というのは、公式サイトの「STORY」において、「時は戦国。」と説明されることから公式情報であるといえる

次の「平安期モチーフ」に関して言えば、源の宮の建築様式や文化様式などを観察することで、初歩的な日本史の知識があればなんとなく分かるかと思う

(ダイレクトに平安期と断定できずとも、戦国時代よりも古い時代の様式であることはうなずけるかと思う)

つまりSEKIROには最も大きなモチーフとして日本があり、その中に小モチーフとして戦国時代と平安時代が並存しているのである

これを図にしたのが以下である
SEKIROの構造
SEKIRO内では日本という大きな舞台のうちに、二つの時代(平安、戦国)があり、それは垂直方向に並存している(言葉的に矛盾しているが、空間的に垂直、時間的に並存という意味である)


二つの時代

ふつう、一つの作品の中に二つの時代を登場させようとすると、それぞれ「過去」と「現在」というふうに二つの時間軸を設定することが多い(タイムスリップものや、歴史物など)

しかしながら、SEKIROではこの二つの時代が並存している(あるいは近い時期まで並存していた)。この共時的な世界観は、世界を差異の体系としてとらえる神話的思考、あるいは音韻論的な影響がうかがえるものである

つまりSEKIROの構造の背景に存在するのは、世界を無数の差異が織りなす体系として見る構造主義的な思想である

この思想が「世界設定をシステムに落とし込む」フロムソフトウェアの手法と極めて相性がいいことは、SEKIROを含めるフロム作品をプレイすればわかることであろう

※設定とはつまり「差異」である。世界が差異から成り立っているのだとしたら、設定はたんなる差異の一つとして世界に簡単に組み込まれる

※たとえば「人間性」という差異は、「人間性の有無」→人/亡者として世界に組み込まれる

さて、ではこの二つの時代がどのように機能しているのか、というのを書いたのが「雑文 世界構造」である

簡単にまとめると、神の世界としての源の宮人の世界としての葦名があり、この二つは過去作における神の世界(アノール・ロンドなど)と、人の世界(ロードランなど)という「差異」に等しいのである(差異の消失が世界の終末であることを確か宮崎社長がどこかで口にしていた)


他にも「考察31 ストーリー」では、過去作のダークソウルやブラッドボーンSEKIRO世界構造を比べている

※神と人の世界とを、山と里という構図に見立てると民俗学的に言う祖霊崇拝の構図と重なる。また、その中間的拠点として修験道なり山岳信仰なりがあると考えると、その位置には仙峯寺が置かれると思われる


源の宮

神の世界である源の宮に貫かれているのは、平安文化とその精神文化である

例えばそれは、源の宮の各所で確認される平安期の建築様式や文化神道や陰陽道の痕跡、五行思想などである

これらに触れたのが
「考察19 白木の翁」
「考察44 陰陽五行思想」
「考察45 霊符」
「考察47 神紋・寺紋・家紋」である

源の宮に見られる四季について考察したのが「補足2」である
また道教の観点から考察したのが「考察54 道教」となる


葦名

一方、人の世界である葦名に貫かれているのは、戦国文化や仏教文化である

これらを解説したのが、
「考察34 仙峯寺」
「考察37 仏師」
「考察38 愛宕権現」
「考察40 竜 vs 蟲」
「考察46 注連縄」
「考察47 神紋・寺紋・家紋」
「考察48 エマの秘密」である

次いで、ゲーム内に見られる「有死之榮 無生之辱」について解説したのが「補足3」である
また落ち谷衆の外見からその正体を考察したのが「補足4」となる


竜胤の御子

以上のような神の世界と人の世界とを繋げるのが、「竜胤の御子」である

この竜胤の御子について、神道や民俗学から解説したものが「考察42 竜の故郷」である



人物

次にSEKIROに登場するキャラクターについて簡単にまとめてみたい


隻狼

主人公である隻狼(狼)に関する考察は初期にモチーフを探ったぐらいで、確定的なものはまだ書いていない

モチーフの一つは「藤原秀郷」ではないかと考察したのが、「考察4 隻狼」である


九郎

竜胤の御子である九郎の考察は、竜胤の御子に関する考察ならびに葦名一心の考察で触れている

「考察17 竜胤の御子」
「考察42 竜の故郷」
「考察51 人返り」
「考察53 〈竜殺し〉葦名一心」


九郎の出生の謎や竜胤の御子とはそもそも何であるのか。各考察でブレがある。どれも私の中では確定的なものではない

ただし、葦名一心や丈とのからみを考慮すると、考察53のストーリーに行き着くのかなと思う

また『竹取物語』との関係を考察したのが「考察35 月」である

一方、家紋から九郎の素性を考察したのが「補足1」である

エマ

エマのゲーム内ストーリーにおける考察や、そのモチーフ、背後にある仏教的思想などについて考察したのが以下である

「考察33 エマ」
「考察38 愛宕権現」
「考察48 エマの秘密」


エマは役割は理解できるが、その本性は不明、という火防女のような立場のキャラクターである。その背後にある設定などについて考察したのが「エマの秘密」である

葦名を仏教的世界と見るのならば、エマという不可思議霊妙な女性にもまた仏教的背景があるのだろう、というのが考察の発端だった気がする


仏師

隻狼の予型(原型)的なキャラクターの仏師。それだけでなく、修羅や怨嗟として、隻狼の行く末をも暗示するキャラクターである

仏師の怨嗟の炎ならびに、炎から繋がる不死斬り等の関連性を考察したのが以下である

「考察37 仏師」

仙峯寺にある左腕のない不動明王像。その握っていたはずの剣がどこに行ったのか。何だったのか。というのが考察の発端である


葦名一心

様々なことに関わりつつ、しかし核心部は秘されてきた葦名一心の考察は確か一つしか書いてない

「考察53 〈竜殺し〉葦名一心」

このほか、黒の不死斬りとの関係を見いだそうとした「考察37 仏師」、オープニングに登場する一心が握っている刀を考察した「考察36 OPに登場する刀」などがある


葦名弦一郎

葦名を守ろうとした希代の名将。SEKIROの真の主人公であり、アートワークスの初期原稿を見れば、その凄さが分かる完全無欠の英雄

というのは半分冗談で、「母に先立たれた」ことから来るマザコン的な人格と、母を象徴する葦名への執着という、やや辛辣な考察をしたのが「考察52 葦名弦一郎」である


丈と巴

この二人に関しては、何から何までわけが分からないので、何度も考察しなおした記憶がある

「考察24 巴の手記」は、テキストの欠落を推測で補ったものであるが、そのことにより、二人の置かれていた状況が思ったよりも複雑であることがわかった

丈単体としては、そのモチーフから考察した「考察5 丈」がある

生贄としての丈の役割を論じた「考察13 不死斬り」

常桜の枝が折られたことから、丈の左腕もそうだったのかもしれない的な考察をした「考察16 左腕」

竜胤の御子としての丈を考察した「考察17 竜胤の御子」

丈の咳の謎を考察した「考察30 丈の咳」

「考察41 丈と巴」は、枝を折るというモチーフから、その神話的意味、梟の役割などをフレイザーの『金枝篇』をもとに語ったものである


謀(はかりごと)よ」の一言ですべて済ますことのできる梟。しかしながら、その行動原理や、目的はやはり謎が多い

平田屋敷襲撃における梟の目的や、その野望などについて状況から考察したのが、「考察15 梟」である

その平田屋敷の仕組みについて考察したのが「考察43 平田屋敷」である

常桜の枝を折った理由を考察した「考察41 丈と巴」

葦名一心の腹心としてなぜ常桜の枝を折らねばならなかったかについて触れたのが「考察53 〈竜殺し〉葦名一心」である


お蝶

上記の「考察15 梟」でやや違和感のあったお蝶を単独で考察したのが「考察57 まぼろしお蝶」である

穴山又兵衛

パッチ枠と思われる穴山又兵衛に関する考察が「考察49 穴山又兵衛」である

SEKIROにおいて、パッチが果たした役割、その正体とは何だったのか。


巫女

謎の最たる者である巫女

唐突に登場し何者であるかも分からない巫女について考察したのが「考察2 巫女」である

竜胤が揺り籠に入らなければ移動できないのであれば、故郷から放たれた時にも揺り籠が必要だったのではないかという疑問からの考察である

仙郷の歴史を語ると共に、そこにいた巫女の役割などを考察したのが「考察9 仙郷」である

左眼付近に見える白いアザのようなものを検証したのが「考察32 巫女の左眼」である

巫女を神道、民俗学的な意味合いと捉えたのが「考察42 竜の故郷」



正確には人物ではないがSEKIROの物語に深く関わり、しかし意味不明な存在の考察

最終的にはコミカライズにておおむねの正体は明かされた「蟲の起源」

神食みの「小さき神々」から生まれるのではないかと考察したのが「考察8 蟲憑き」「考察10 蟲」である

「考察40 竜 vs 蟲」は、桜竜と蟲との人間界における闘争を神道と仏教の代理戦争とみたものである


桜竜

様々な領域に関連してるので、それぞれの考察に吸収されてしまうのか、単体としての考察は少ない

桜竜黒幕説を説いたのが「考察18 桜竜」である

傷ついた右目を検証したのが「考察21 桜竜の右眼」
右目の傷はなにげに一心と同じなのだなぁと(一心の傷は左でした)

一心とのキャラクター上の類似から、一心と桜竜とを「中空」を埋める存在として考察したのが「考察53 〈竜殺し〉葦名一心」である

竜の故郷を探ったものに、「考察42 竜の故郷」、
道教の観点から竜の故郷を考えたものに「考察54 道教」がある


白木の翁

役割や象徴的な意味から、「能楽」との関連を考察したのが「考察19 白木の翁」である



場所

SEKIROには奇妙な土地やエリアが存在する


仙峯寺

仙峯寺について仏教的知識から考察したのが「考察34 仙峯寺」である

穴山又兵衛内府との関連を探ったのが「考察49 穴山又兵衛」である


水生村

得体の知れぬ水生村については、「考察3 水生村のナメクジ魚」「考察11 水生村(クトゥルフ篇)」や、「考察39 水生村」「考察40 竜 vs 蟲」で考察している


仙郷

源の宮については、不死斬りと竜胤の御子という存在から推測される「開門の儀」を考察した「考察17 竜胤の御子」

仙郷の歴史を古代から考察したのが「考察9 仙郷」

仙郷の範囲を考察した「考察25 仙郷の範囲」

「考察44 陰陽五行思想」
「考察45 霊符」
「考察46 注連縄」
「考察47 神紋・寺紋・家紋」

では、神道や陰陽道の痕跡を辿っている

これらを含めた道教の観点から考察したものが「考察54 道教」である


平田屋敷

「拝む」ことでワープすることができるという奇妙な時空の考察をしたのが「考察43 平田屋敷」である
ほぼ同じ内容だが動画用に平田屋敷を考察したのが「補足4」となる


エンディング

四種のエンディングについて包括的にまとめたのに「考察51 人返り」「考察23 エンディング」がある


その他

映画『君の名は』とSEKIROを大真面目に繋げたものが「考察50 君の名はSEKIRO」である

竹取物語』との構造的一致を考察したのが「考察35 月」

能楽との関わりを考察したのが「考察27 能」や「考察19 白木の翁」である

「考察6 「花と石」と「血と涙」」は、常桜の花と桜竜の涙を「花と石」ととらえ、日本神話から考察したものである。「花と石の構図」は後の「考察51 人返り」などでも触れている


「考察20 まつろわぬ葦名衆」は、葦名衆のモチーフとしての「まつろわぬ民」を考察したものである



蛇足

整理してみると主人公である隻狼の考察が少ないことに気づく。モチーフは探ったものの、SEKIRO内における隻狼の考察をするのを忘れていたようだ
何か思いついたら隻狼の生い立ち含めて書いてみようと思う

2019年10月17日木曜日

Bloodborne 手記2 旧市街

旧市街の存在をプレイヤーが初めて知るのは、ヤーナム市街の屋敷にある「手記」や「火炎瓶」、「白い丸薬」であろう

手記
獣狩りの夜、聖堂街への大橋は封鎖された
医療教会は俺たちを見捨てるつもりだ
あの月の夜、旧市街を焼き棄てたように
火炎瓶
投げつけると激しく炎上する火炎瓶
古くから工房にある狩道具の1つ 
かつての旧市街の悲劇でそうであったように 
病の浄化の偏見もあり、獣狩りに炎はつきものである
だからだろうか、ある種の獣は病的に炎を恐れるという
白い丸薬
毒を治療する小さな丸薬
かつて旧市街を蝕んだ奇怪な病、灰血病の治療薬 
もっとも、その効果はごく一時的なものにすぎず
灰血病は、後の悲劇、獣の病蔓延の引き金になってしまった

これらのテキストからは以下の情報が読み取れる

・あの月の夜に、医療教会は旧市街を焼き棄てた
・獣狩りに炎はつきものであり、ある種の獣は病的に炎を恐れる
・かつて灰血病が広まり、それはやがて獣の病蔓延の引き金となった

まず「月の夜」であるが、これは「獣狩りの夜」を意味すると考えられる

というのも、「あの」と特定の夜のことを指していること、また旧市街の手記に焼き棄てる直前に赤い月が接近していたことが記されているからである


赤い月とはもちろん、獣狩りの夜に見える月のことである



ただし最終的に街は焼き棄てられたものの、それ以前から炎による街の浄化は行われていた


獣の病のひどい蔓延と街を焼く浄化の時代とあることから、ある一定の期間、浄化作戦が行われていたことがわかる

さて、赤い月が接近しているからには「儀式」が行われている可能性が高い


儀式が行われているからこそ、「獣の病」が蔓延しているのであろう


とはいえ、旧市街の際に儀式が行われていたという情報はなさそうである

しかし、儀式は上位者の赤子と共にあり、そうした特別な赤子は上位者を呼び寄せ、それが赤い月の接近の原因となる


つまり、上位者の赤子が存在するだけで、赤い月は接近してくるのである(必ずしもメンシスの儀式が必要なわけではない)

実際、旧市街の焼き棄て事件の時に、儀式が行われていたかどうかは不明である。しかしおそらく上位者の赤子はいたのだろうと思われる

確かに言えるのは「灰血病が獣の病蔓延の引き金となった」ということだけである

引き金原因は別のものとして考えるべきだと思われる


灰血病

では灰血病とは何か

困ったことに「灰血病」の名は白い丸薬のテキストの他は登場しない

それもそのはずGigagineのインタビューでは、血の色を調整していた時の流れで「灰血病」という名前が生まれたと言われている。世界観から抽出したものではなく、製作上の偶然により生まれたものなのである

灰血病は英語版では「Ashen Blood」と訳される。Ashenとは「灰のような」や「灰色」、「青白い」といった意味があり、上記のインタビューを裏付ける命名である

しかしながら設定好きな宮崎氏が、名前だけを生んで世界観に組み込まなかったとは考えにくい

また灰血病の名前はつけられていないが、「獣の病を蔓延させることになった奇病」と類似した現象は他にも確認できる

それがローランの奇病である


病めるローランの各所には、僅かに、ある種の医療の痕跡があるという。それは獣の病に対するものか、あるいは呼び水だったのか

この呼び水という言葉は「引き金」とほぼ同じ意味である

しかもこの病気の後、ローランは獣の病蔓延により滅びている


正確には「ある種の治療が呼び水となり、その後に獣の病により滅びている」となる

しかし治療が必要だったと言うことは、それに対応する病気も存在していたということであり、この構図は、灰血病に対する白い丸薬という旧市街の構図と完全に重なるものである

つまりローランの悲劇旧市街の辿った経過とほぼ同一なのである

またローランの聖杯ダンジョンには、旧市街にいる「灰血の獣患者」が出現する
そして、ローラン系のボスはそのすべてが「獣系」である


以上のことから、灰血病の発生→その治療→獣の病蔓延という共通の流れが見えてくる


あの月の夜

では、この「灰血病の発生→その治療→獣の病蔓延」という旧市街、ローランに共通の流れは偶然だったのか?

少し話は変わるが、海外ではブラッドボーンの世界観を基にしたアメコミ風コミックスが販売されている。そのうちの一冊『Bloodborne: The Healing Thirst』では、灰血病(Ashen Blood)の発生の謎が描かれている

もちろんこのコミックスを公式なものと見なすことには慎重にならなければならない

だが、フロムソフトウェアが完全にノータッチであるとは思えないし、その内容にうなずける部分もある

さて、『Bloodborne: The Healing Thirst』において、灰血病発生の契機となったのは、医療教会である

医療教会の聖職者たちが旧市街の水道に「怪しげな粉末」を投入し、それが灰血病を引き起こしたのだという

このコミックスに描かれた灰血病発生への医療教会の関与は、荒唐無稽なものなのか?

そうともいえない。というのも、それに至る医療教会の行動原理は「教会の白装束」に確認できるからだ

「彼らにとって医療とは、治療の業ではなく、探求の手段なのだ 病に触れることでしか、開けない知見があるものだ」

ここに記されているのは、医療教会の最終的な目的が治療ではなく知見を開くことであるという価値観だ。そして知見を探求するためには、病に触れる必要があるということである

これが灰血病を引き起こした医療教会の動機である

剣の狩人証」によれば、医療教会の聖職者は狩人でもある

そして神の墓(聖杯ダンジョン)を暴き聖体を拝領することは、その血を狩人の糧とすることである(「トゥメルの聖杯」)

彼らは日常的にヤーナムの地下にある遺跡を探索していたのである
そのうちのひとつに、「ローランの聖杯」があったと考えてもおかしくはない

上述したようにローランの聖杯は、旧市街と同じような経過を辿って滅亡した文明である

狩人たちはそこで「獣の病蔓延の呼び水」となった「治療の痕跡」を見つけ、そして灰血病そのものも発見したのである

コミックスに描かれた「謎の粉末」がそれであろう


旧市街

当然ながら、医療教会はローランで発見された「痕跡」を保存するだけでは飽き足らなかった

彼らの目的は探求であり、知見を得ることである

そして、知見を得るためには「病に触れる」必要があったのだ

こうした医療教会の行動原理から導きだされるのが、医療教会による灰血病の散布、ならびに自作自演の治療とその失敗、その結果としての獣の病蔓延と、最終的な旧市街焼尽である

治療の失敗と書いたが、医療教会側にとっては治療の失敗も織り込み済みだったと思われる。というのも治療はあくまで探求のための手段にすぎず、知見を得ることが真の目的だからである

病めるローランの聖杯には次のように記されている
「病めるこの地は、あるいはヤーナムの行く末なのだろうか」

まさしく、ローランの悲劇は旧市街(英語名: Old Yharnam)において繰り返されたのである


蛇足

ローランの聖杯は、悪夢の辺境のアメンドーズがドロップする

悪夢の辺境エリアは教室棟とつながっていることから、「ローラン」を探索したのは、医療教会ではなくそれ以前のビルゲンワース時代の狩人であった可能性もある

ローランの聖杯のドキュメンタリータッチあふれるテキストから推測するに、ローランの探索はかなり進んでいたのではないかと思われる

ローランが獣の病と関係が深いこと、血の発見と同時に獣も見いだされた(カレル文字「獣」)ことなどから、ローランが探索されたのは狩人の初期の頃だったのではないだろうか


※予定では動画の撮影が終わるまで過去キャラクターを動かすつもりはなかったのだが、メモ画像を回収するためにやむを得ずロードすることに。
※動画の撮影時はほとんどマップを忘れていて探索が楽しかったのだが…



2019年10月11日金曜日

Bloodborne 手記1 血の医療者(Blood Minister)

未使用データは「BloodborneWiki」からの転載

血の医療者(Blood Minister)とはオープニングムービーに登場する車椅子の老人のことである


正式な日本名はつけられておらず「Blood Minister」という英語名だけが判明している

直訳すると血液大臣とか血液公使とかになるが、ゲールマンとの会話のなかでBlood Ministersが「血の医療者たち」と訳されていることから、こう呼ぶ。

The Healing Church, and the Blood Ministers who belong to it... 医療教会、今やそう呼ばれる血の医療者たち
Were once guardians of the hunters, in the times of the hunter... Ludwig. 古い狩人、ルドウイーク以来、狩人の庇護者でもあり
They worked, and forged weapons, in their unique workshop. 独自の工房を持ち、武器を作った
Today, most ministers don't recall the hunters. 彼らの多くは、もはや狩人を忘れているようだが
But they have much to offer you. それでも、それは狩人の役に立つものだ
And so, heed the message of your forebears. だから君にも、先人たちの遺言を伝えておこう
Ascend to Oedon Chapel. 「オドン教会を上りたまえ」
From there, you will find the church workshop. …その先に、教会の工房があるはずだ

複数形であることから分かるように、彼らはある一定の勢力を誇る組織である

オープニングで主人公に血の医療を施した個体は諸説あるが、一説には狩人の悪夢(DLC)内に確認できるという


※ヨセフカの診療所の罹患者の獣に喰われている犠牲者、あるいはヤーナムで確認できる車椅子の老人たちとは、衣装や目の状態が異なる

この血の医療者には未使用会話データが多くありその一部が次の会話である

Welcome, weary traveler. To the great city of Yharnam. …異邦人よ。遠方から、古都ヤーナムにようこそ
The troubles you must have seen. 話は、よくわかった
Your homeland, plagued by a sickness that spares few. 君の故郷は、病が蔓延り、皆ひどく苦しんでいる
You suffer. Your loved ones suffer. It's like a curse. 君も、君の大事な人も。まるで呪いのように
But there is hope for you yet.
だが、君は正しく、そして幸運だ
The blood used in ministration, the trade of Yharnam, is a special thing indeed...
まさにヤーナムの血の医療、この特別な血液だけが
The only thing that can cure your sickness... ずっと君たちを苦しめた、その病を癒すのだから
Well then, let's draw you up a contract. さあ、では早速、誓約書を作成しようじゃあないか…

会話から主人公の境遇がかなり詳細に理解できる

故郷にがはびこり、主人公も主人公の大事な人もその病に苦しんでいる
そのため主人公は病を癒やすためにヤーナムにやって来たのである

ヤーナムの血の医療、その特別な血液を求めて


また次の会話は、血の医療を受け入れた後に再会するルートがあったことをうかがわせるものである

Yes, yes, see? Woken up with something of a nightmare, have you?
やはり、私の見立て通りだったね。君は悪夢にいるのだろう?

殺害時のセリフからも主人公が悪夢にいることがわかる

My death matters not... 私を殺しても、どうにもならんよ…
It's your nightmare, after all... 君はもう、悪夢にいるのだから…


そしておそらく最後に交わす通常会話が以下のものである

Oh, but I've nothing more to tell. ああ、もう何も言えないよ
I only show the way, and the way has been shown. 私はただの案内、役目は終わったんだ
Now... it's in your hands. あとは…君に望むだけさ
Until the dank, sweet mud takes us all... 今度こそ、暗く優しい泥濘が、等しく我らにもたらされますように
Upon the awakening of Ebrietas... エーブリエタースの目覚め

暗く優しい泥濘=「エーブリエタースの目覚め」と受け取ることも出来るし、暗く優しい泥濘の後にエーブリエタースの目覚めが訪れる、ともとれる

しかしながら血の医療者がエーブリエタースの名を口にすることはかなり重要だと思われる
※ただしあくまでもこれは未使用データである。即座に鵜呑みにするのはややためらわれる


蛇足

当初は考察と題する予定だったのだが、内容が各種wikiの情報を集めたものであり、その多くが周知の情報でもあるために、個人的な「手記」とした

今現在「ブラッドボーンを学び直す」という動画を作っているが、これは謙遜や冗談のつもりはなく、本当にほとんど忘れてしまっているので1から学び直すための動画である

であるので、ブラッドボーン全体を統括した大きな考察などはまだ不可能である。いま出来るのは既知の情報を個人的に整理し直すことぐらいである

2019年10月9日水曜日

「ブラッドボーンを覚え直す」について

ブラッドボーンを覚え直す」という動画シリーズを始めたので、動画作成に至った経緯などを書いておきます

動画の説明

まずどういった動画かというと、タイトルどおり忘却しかけているブラッドボーンの知識を再取得するための動画です

目的としては

基礎知識の復習と習得】
一次資料の再確認とその収集】

の二点となります

「主観的な意見や考察は極力抑え、ゲーム内テキストに準拠した客観的な情報を抽出する」

というのが当初の予定だったのですが、あまりガチガチにすると書くことがなくなるかなと考え直し、想像の幅をそれなりに広くとることにしました

SEKIROの動画よりは、飛躍した説は減っていると思います


また、解析・未使用データや歌詞の翻訳は取り扱わないことにしました。現実問題として基礎知識すらあやふやな状態でそこまで踏み込むと収拾がつかなくなりそうだったからです

ただし、これは少しばかり再考しようかと考えています

通しでプレイしつつ、そこに新たな情報を組み込むという手法をとると「抜け」が減る気がします。曖昧にしたままの部分や、軽視しがちな部分にも注視しなければならず、結果としてより重層的なものが得られるからです

ちなみにゲームの内容等をほとんど忘れている都合上、限りなく初見風動画になっています


経緯

過去に書いた考察に初歩的な誤りや考察の浅い部分が散見されるので、いつかそのあたりを直したいなとはずっと考えてきました

SEKIROの考察が一段落し、次のDeath Strandingまで1ヶ月ほど時間が空いたことなどから、やるなら今しかないと思い、何年かぶりにブラッドボーンに手を出した次第です

補足としていくつか記事を書くかもしれませんが、まとまった考察はクリアした後になる予定です

間近にDeath Strandingという大作が控えているので、クリアがいつになるか分かりませんが、SEKIROの時よりはより丁寧な動画を作りたいと思います


動画

アップロード済みの動画など