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2020年1月5日日曜日

Death Stranding 『羅生門』

クリア直後に印象を羅列したような感想文を書いて以来、Death Strandingについて語ることを避けてきた。これは興味を失ったからでも、作品に不満があったからでもない

Death Strandingには、解釈や考察を頓挫させるような困難さが存在しているからである

端的に言えば、各キャラクターの証言ならびに信条に相容れない部分があり、また同一の事柄を語っているにもかかわらず、それぞれが完全にすれ違っていたり、ひとつの物語としてうまく再構成できないからである


絶滅体とBT

ひとつ例を挙げれば、ハートマンとスピリチュアリストの絶滅体やBTに対する見解である

スピリチュアリストによれば人の手をもつBTが人類誕生以前に存在していたという。ならば人類はBTを模倣することで人型を獲得した、という推測が成り立つ

※ハートマンによれば哺乳類の臍帯はDSを模倣したもの

そう考えるのならば、空に浮かぶ五人の人影は絶滅体である、という結論までは少々の飛躍があるものの、一応の連繋がつく(BTと絶滅体とを根源的に同じ物と考えるのならば)

だが、ハートマンは体外に臍帯のある生物を絶滅体とし、人型でないそれ(時間の止まった絶滅体)が実際に発見されたと述べているのである。だとしたら宙に浮かぶ黒い影それぞれの生物を模していなければならない

※ハートマンの挙げる絶滅体は、三葉虫、アンモナイト、恐竜、マンモス、アイスマンであり、いずれも時間が止まった状態の個体が発見されたという

ところが実際に見ることのできる人影は人型であり、これまでの五回の絶滅と同数の五体である

これは一体どういうことか

いや、そもそもBTや絶滅体が人型で、それを生物が模したとして、ではなぜBTや絶滅体が人型なのか、という疑問が生まれてしまう

つまり、人類はBTを模倣したという説では、人類が人型をしている説明はつくものの、そのひな形であるBTや絶滅体が人型をしている理由は不明のままなのである

スピリチュアリストハートマンの仮説を破綻なく統合するには、人類が模倣したのは絶滅体ではなくBTであり、空に浮かぶ五体の人影は大絶滅期と同じ数であるが絶滅体ではなくBTであり、絶滅体は時間の止まった状態で地下に埋まっていた、ということになる

ただし絶滅体の体(ハー)と、魂(カー)は分離していると思われ、魂(カー)が人型をしているのだと考えることもできる。この場合絶滅体の魂(カー)が五人の人影の正体となるが、これもまた、ではなぜ魂(カー)は人型をしているのかという疑問は解けない

また、ハートマンによれば人間以外には魂がない。よって三葉虫に人型の魂が宿ることはない

まとめると、スピリチュアリストを信頼するのならば五体の人影BTもしくは絶滅体であり、BTや絶滅体は人型をしていることになる。そして人類はBTや絶滅体を模倣することで人型となった、という仮説が導ける

だがその場合、ハートマンが主張する「臍帯付きの時間の止まった生物」という存在そのものが仮説と矛盾してしまうのである。なぜならそれらは絶滅体である確たる証拠を有しているが、人類以外には魂が宿らないことから、五体の人影にはなり得ないからである

※人類が模倣したのはBTのみであって、絶滅体は各種生物として誕生し時間が止まったまま地下に埋もれていたと考えることもできる。その場合五体の人影は、人型BTが偶然的に五体、空に浮いていたことになるか、あるいは正体不明の何かとなる



信頼できない語り手

このようにBTや絶滅体をからめて人類の歴史を再構成しようとしただけでも、各キャラクターの証言が食い違い、あるいは完全にすれ違い、解釈が頓挫してしまうのである

どちらかが、あるいは誤りを語っている(信じている)と考えるのならば、その嘘を消去してしまえば、真相だけが残るはずである

しかし、ハートマンの主張には発掘された臍帯つき生物という確固たる証拠があり、一方のスピリチュアリストにも、手形の化石という確実な証拠がある

これはもはや、どちらかが正しいかを究明するよりも、どちらを信じるか、という解釈の問題となってくるのである

もちろん、どちらも虚偽であると解釈することも可能である
両者の信条には誤りがあり、意図的ではないにせよ嘘をついているのである

物語論ではそうしたキャラクターを「信頼できない語り手」(wikipedia)と言うが、Death Strandingにはこうした「信頼できない語り手」が他にも登場する





カバーストーリー

デッドマンがその一人である。彼は自らの経歴を「カバーストーリー」だとサムに打ち明ける
また、彼の収集した情報や打ち明け話の「情報源」や「確度」は故意に隠されている

例えば、BBの脳死母はキャピタル・ノットの集中治療室にいる、とさらりと情報を明かすものの、後には、「おれたちが使っているBB-28の履歴がまるでわからないのは~」と言い始める

これはBBという単語に、「BB技術」「BB-28」「一般的なBB」など複数の意味を持たせていることからくる錯誤と、悪意の無い虚偽から発生する「プレイヤーの混乱」を企図したものである

つまりデッドマンというキャラクターもまた、「信頼できない語り手」の一人なのである



作中で最も信頼できないのは「アメリ」である
当人も「アメリカは嘘から始まった」といい、自らの名を「Ame(魂)とlie(嘘)」と意味づける

その名のとおり、Death Strandingという物語はアメリの嘘によって始まり、嘘によって続けられているのである

テロリストからアメリを救い出すという目的そのものがだったのであり、サムは「信頼できない語り手」の嘘によって北米大陸を引きずり回され、やがて嘘を打ち明けられ、人間不信の極地へとたたき落とされる

少年時代からアメリを姉と慕っていたサムはともかくとして、プレイヤーはこの時点でアメリという人間の一切を信じられなくなる

その後にアメリの側の事情も明かされ、その絶望的な理由を聞いてアメリに同情するプレイヤーも少なくないであろう

だが、本作におけるアメリの嘘は大きすぎた

多くの人にとってはアメリの語る真相すらも、のように感じられてしまったのである

これはおそらく意識的な仕掛けであり、その目的はアメリを「信頼できない語り手」のままにしておくことなのである



メール・文書

本作における「信頼できない語り手」を象徴するアイテムとしてメール、文書が挙げられる

プレッパーたちの多くはサムと直接会おうとせず(仲良くなれば泊まれるが)、その信条の多くをメールや文書として、あるいはホログラムとして表明する

こうした方法で表明されるのは、シェルターに閉じこもった人々の見るそれぞれの「世界」である
彼らにとっては真実であり、それをサムに知らせてくるのは善意でしかない

だが閉ざされた世界であるがゆえに、それは独我論の影響から脱することができない

どれもこれも、彼らにとっての真実、でしかなく、ゆえに現実世界における事実とは齟齬やすれ違いが生じてしまうのである

現実世界を歩むサムにとってそれは、「信頼できない語り手」から発せられる「虚偽」の情報に過ぎず、つまるところ「フェイクニュース」の類なのである

けれども作中ではそれは「真実を表明した情報」として提示され、プレイヤーもその通りに受け取ってしまう。事実、重大な点を除けば「彼らの真実」は本作の世界観を理解するうえで大きく間違ってはいないのである

だが、それはやはり真相ではない



羅生門

こうした、「信頼できない語り手」たちによる多元焦点化を芸術の域にまで引き上げたのが、黒澤明監督による『羅生門』である

※その原作は芥川龍之介の『藪の中』(+『羅生門』)であり、その芥川もビアスの『月明かりの道』といった先行作品に強い影響を受けている

※90分ほどの作品であり、あらすじを読むよりも実際に映画を観たほうがよい

『羅生門』においては、「殺人」というひとつの事実に対し、登場人物たちの証言がそれぞれ食い違い、あるいはすれ違い、真相だけがまるで「藪の中」にあるようにつかめない

おのおのがそれぞれの思惑のもとに、まったく別のストーリーを物語り、ひとつの事実に対する複数の真相という矛盾した構造が生じるのである

※この手法は羅生門効果(Rashomon effect)として様々な作品で使われている

多襄丸はおのれの蛮勇を曲げぬために、武弘は武士の名誉を毀損せぬために、真砂は女の矜持を守るために、杣(そま)売りはある秘密を隠すために、それぞれが「信じたい真相」を語るのである

真砂は二人の男を争わせ、真砂の「言葉」に翻弄されて、二人の男殺し合う
それを見ていた杣売りは、三人の矛盾する証言を聞いて人間不信に陥ってしまう
そして、その杣売りから真相を聞いた旅法師もまた人間不信に陥ってしまう

ここにあるのは、嘘から人間不信が生まれ、その人間不信が感染し、さらなる嘘を生むという現代の「炎上」にも似た悪循環である

この人間不信という悪循環を断ち切るのは一人の赤子なのである



『羅生門』の冒頭は雨のシーンである

人間不信に陥った杣売りは豪雨を避けて羅生門で雨宿りをしている
そこにはまだ赤子はおらず、旅法師と下人がともに雨宿りをしている

そしてクライマックスもまた雨のシーンである
雨があがり太陽光が射すなかを杣売りは赤子を抱いて羅生門から歩き出すのである

これらの場面は、Death Strandingのそれと状況や人物設定などが構造的に類似している

冒頭、サムは時雨を避けるように洞窟で雨宿りをする
この時のサムはもちろん人間不信の状態にあり、まだBBはいない

クライマックス、サムは赤子を抱いて焼却所から出てくる
外は雨があがり日が射していることを示すように虹が出ている

この場面において、焼却所とは羅生門である

冒頭、羅生門の上階には引き取り手のない遺体が捨て置かれていると明かされるが、物語の初め、サムは大統領の死体を焼却所に運んでいく

羅生門と焼却炉にはまず「死」があったのである

だが物語の終わり、杣売りが赤子という希望を抱いて羅生門を出るように、サムはルーという希望を抱いて焼却所を出てくるのである

羅生門焼却所とはともに生と死の交錯する場として設定され、人間への不信というを、希望という転換する機能を担わされているのである

ここでサムは杣売りと旅法師、両者の役割を兼任している
人間不信に陥った者が、ひとりの赤子により人間への希望を取り戻したのである



人間不信

焼却場にBB-28を廃棄しに行くとき、サムはフラジャイルからの誘いを断る

サムはその理由を「ずっと繋がっていたものを失くした」と説明するのだが、ではアメリのビーチに行く直前にブリッジズのメンバーたちと芽生えた絆はどこいったのか、という疑問が浮かんだのは私だけではないだろう

しかしここでサムはアメリとの繋がりを言っているのでも、メンバーとの絆を忘れているわけでもない。それ以前の人類への希望という細い繋がりを失ったといっているのである

なぜならば、その直前に人類の総意として「赤子殺し」を命じられたからである

これは『羅生門』でいうのなら、杣売りが赤子を抱き上げた時の旅法師と同じ心境である
アメリとの絆を断たれ、またダイハードマンから父親を殺したことを打ち明けられたサムは、人類への希望を失いかけていた

そこへ「ルー」という亡き我が子の名前までつけていた「BB-28」を廃棄せよ、という命令が下ったのである

その瞬間に、サムは人類への希望の一切を棄てたのであろう(デッドマンの言葉の真意はまだ気づいていない)

だが、杣売りが赤子を育てるつもりだと打ち明け、その言葉を聞いた旅法師が人間への信頼をふたたび取り戻したように、サムもまたデッドマンの言葉の真意に焼却所で気づき、そうして人間不信を克服するのである


蛇足

Death Strandingを考察するうえでの困難さはもうひとつあって、それは作品ではなく小島監督本人を考察してしまう、というものである

監督は何を考え、何を伝えたいのか、というものを作品を飛び越して小島監督という人物から考察してしまいそうになるのである。これは小島監督という強大な個性を考えれば仕方の無いことなのかもしれない。本考察も『羅生門』という映画作品を引用したのは、小島監督が映画通だから、という点は否定できない



2019年11月17日日曜日

Death Stranding 胎児の夢

※考察ではなく、レビューとクリア直後の感想のようなもの

人間の胎児は、母の胎内に居る十箇月の間に一つの夢を見ている。(『ドグラ・マグラ』夢野久作)

ゲーム

まずゲームとしてのレビューを書きたいと思う

SSS(ソーシャル・ストランド・システム)による動的な地形変化は、これまで単なる手段でしかなかったオープンワールドにおける「移動」を、ひとつのインタラクティブな「遊戯」として提示するものである

他者との双方向的な影響(建設とそれに対するいいね)によって形作られる世界は各プレイヤーにとって唯一無二のものとなり、その即興性と偶然性を兼ね備えた遊戯によりひとつの世界が創造されるのである

これはまさしくホイジンガがいうところの、「文化は遊びとして始まるのでもなく、遊びから始まるのでもない。遊びのなかに始まるのだ」ことであり、「真の文化は何らかの遊びの内容をもたずには存続してゆくことができない」という、遊戯の「創造する力」によるものであろう

デスストランディングにおけるSSSが現在のような形態であるのは、その特異な世界観によるところも多いかと思われる。例えば肉体(ハー)と魂(カー)の分離ビーチ、それらのビーチを繋ぐカイラルネットワークという設定がある

これらをメタ的に類推するのならば、プレイヤー(肉体、ハー)は、サム(魂、カー)として固有の作中世界(ビーチ)へ移行するが、そのビーチは他のビーチと繋がることでソーシャル・ストランド・システム(カイラルネットワーク)を構築し、その影響で双方向的に影響を受ける、という解釈が得られる

設定をシステムに落としこんだというよりも、システムが先在し、そのシステムに合わせた世界設定が考え出されたような印象を受けるが実際のところは分からない。また、クリアしたばかりなので私の知識があやふやな部分もあり、かなり雑な類推である

以上のように、デスストランディングを遊ぶということは、ゲームを体験すると同時にその世界に偶発的に起きる現象に立ち会うことでもある。プレイヤーは単にストーリーを追っていくのではなく、即興的なナラティブの発生に立ち会い、体験し、そして自らの物語として受容するのである

つまるところソーシャル・ストランド・システムとは、プレイヤーが創造的遊戯を行うための「場」である



ストーリー

では次にストーリーについて触れたいと思う

※ここからネタバレ全開なので注意

ゲームシステムにおける「繋がり(SSSやいいね)」が繋がりの良い面のみを強調していたのに対して、ストーリーにおける繋がりは、善でもあり悪でもある両義的なものとして描かれている

分断された人々を繋げて世界を一つにすることは「善」であるが、一方その繋がりに使用された「カイラルネットワーク」は生物を絶滅させるためにも利用される

これは現実のインターネットがまず軍事利用を目的として開発されたこと、その後の爆発的な普及により世界の人々を繋げたこと、さらにはネットを牛耳る巨大企業や、情報を統制しようとする国家の暗躍などのアナロジーのように思える

さっそく話が逸れたので筋を戻す



BB

BBは複数存在するが、画面に登場するBBは二人である

クリフのBBであるサム(BB-1)と、サムのBBであるルイーズ(BB-28)
※28は『AKIRA』のアキラと同じナンバーである(28号)

このうちサムはクリフとリサ・ブリッジズの息子である。サムはブリジットに銃撃された後にビーチでアメリによって臍帯を断たれて「帰還者」となっている

一方、ルイーズはキャピタル・ノット(K2)の集中治療室に脳死状態で眠るスティルマザーの娘とされる(デッドマン情報なのでやや怪しいが)

デッドマンの情報を信じるのならば、サムとは何の関係のない胎児である

たとえルーシーのお腹の子が女の子で、BBになれる28週目の少し前にルーシーがビーチに呼ばれていたとしても、そしてその少し後、ルイーズが28週目に入った頃にルーシーが自殺したとしても、BB-28がサムの娘であるという根拠はない(ルーシーの手記による)

ルーシーが自殺し、対消滅が起きたのは10年前の事である(デッドマンによると)。帰還者の娘であるルイーズが帰還者の性質を受け継いでいて、その事件の後から10年間ビーチに滞在した後にBB-28としてなぜか世界に戻ってきた、ということも考えられるがやはり根拠はない

実際のところ、BB-28がサムの娘であるのならばイゴールに貸与されずアメリが保護していただろう

以上のことから、私の個人的見解としてはBB-28はサムとは血縁関係にない無関係な胎児であったと考える

さて、では焼却炉での蘇生はいかに説明したものだろうか。その後にサムとルイーズは焼却炉から出てくるが、その時に降っている雨は時雨ではない。また、日が差して虹が映るが、その虹は逆さ虹ではなく、青色も確認できる

これはDS(絶滅現象としてのデスストランディング)が終わったことを示している

また、死者の蘇生に関してハートマンが次のように記している

DSによってこのプロセスが変化した。帰還者のような特殊な能力の持ち主か、よほど運が良くなければ、死者は甦らなくなってしまった」(ハートマン「古代エジプトの死生観とネクローシスのこと」)


つまり、DSが終わったことでビーチ(個人のビーチ)にいった魂が肉体に戻ってこられるようになっており、ルイーズは蘇生することが出来たのである



ビッグファイブ



空に浮かぶ五人の人影は五人の絶滅体なのか、それともサムが絆を繋げた五人(フラジャイル、デッドマン、ハートマン、ロックネ(ママー)、ルー)なのかという問題

後者だとメンバーの人選が難問である。ロックネとママーを一人として見るか、二人として見るならばルーは外れるが、デッドマンの説明によるとサム救出にはルーも関わっている

とすると、ロックネとママーを一人として数え、フラジャイル、デッドマン、ハートマン、ロックネ(ママー)、ルーとなるが、五人の人影のなかに胎児型の人影は確認できない(ルーの代わりにダイハードマンが入ることも考えられるが、繋がりというほど絆が強くないのと、ルーを数に入れない理由が思いつかない)

ムービー中、デッドマンがサム救出に関わった者として挙げるのは、ハートマン、ママー、ロックネ、デッドマン、フラジャイル、ルー、ダイハードマン、ブリジット(臍帯)である

また空に浮く人影とは別に、海の中でデッドマンとルーが直接姿を現している。デッドマンによると、サムのビーチに飛んだのはデッドマンとルーとのことだから、五人の人影が見るのは少々おかしい

五人の人影は実体ではなく、絆の象徴として現われているとも考えられるが、空に浮く人影はオープニング、時雨を避けて洞窟に逃げる場面ですでに登場している。当然ながら五人と繋がりを持つ前のことである

カイラルネットワークやビーチが時間から切り離されていることを考えると、未来の表象が時雨に白い影として映っているということも、一種の絶滅夢だったとも考えられる



また五人というと、焼却炉に降りてくる「輝く胎児型BT」の数も五人のように見える


ただしこの場面の遠景では五人以上いるように見えることからあまり関係がないのかもしれない




絶滅体

絶滅体といっても、これまでのそれは臍帯のある恐竜やらアンモナイトやらマンモスやらアイスマンであり、アイスマンを除いて人型からはかけ離れている

ここでまた人型である理由を考えなければならない

単純に、絶滅体はその時代の最も繁栄している生物の形を成し、それは過去にいた五体の絶滅体も当てはまる、のかもしれない。

というのも、「彼らの本当の目的は世界の消滅」(アメリ)であったのだが、消滅させることはできず、絶滅からの新たな種の誕生を許してしまっている

役割を果たせずさりとて消え去ることもできず、五体の絶滅体は絶滅体ビーチに存在し続けているのである。だが、絶滅体としての性質は失っておらず、その特性のうち「その時代の最も繁栄している生物の形を成す」だけは律儀に守っている、と考えられなくもない

ゆえに、(六回目のデスストランディングがラスト・ストランディングであることは明言されているが)、もし七回目のデスストランディングがあったとして、その時の絶滅体が猫型であったら、空に浮く六匹の猫影が見えるのかもしれない

正直、五体の人影が人型である理由は分からない

さて、ではなぜそもそもサムは五体の絶滅体を見ることができるのか。エンディングでアメリが次のように語っている

「ラスト・ストランディングを熾すには“絶滅体”の一部あなたが必要だった」(アメリ)

つまりサムも絶滅体なのである。同じ絶滅体として五体とは繋がっており、ゆえに見ることができるのである


※五人の人影については、どちらともとれるような演出であることから確固たる結論は出せない



胎児の夢

世界を消滅させようという宇宙の意志とは何か

それはリグ・ヴェーダにおける世界を夢見る「黄金の胎児」(ヒラニヤ・ガルバ)である
眠りから覚めると世界を終わらせるというマアナ=ユウド=スウシャイ(『ペガーナの神々』)である
その影響を受けたクトゥルフのアザトースである
また世界の歴史を見続けるドグラ・マグラの胎児である

胎児の誕生は夢から覚めることである。世界を夢見る胎児は、夢という世界を消滅させることではじめて、夢から覚めて生まれることができるのである

この宇宙は胎児の見る夢であり、生物の進化を辿ってきた夢は、進化が人に到達するところで終わらなければならないのである

ラスト・ストランディングとは、胎児が誕生するために見る、最後の夢なのである



胎児の夢
 人間の胎児は、母の胎内に居る十箇月の間に一つの夢を見ている。 
 その夢は、胎児自身が主役となって演出するところの「万有進化の実況」とも題すべき、数億年、乃至、数百億年に亘るであろう恐るべき長尺の連続映画のようなものである。 
すなわちその映画は、胎児自身の最古の祖先となっている、元始の単細胞式微生物の生活状態から初まっていて、引き続いてその主人公たる単細胞が、次第次第に人間の姿……すなわち胎児自身の姿にまで進化して来る間の想像も及ばぬ長い長い年月に亘る間に、悩まされて来た驚心、駭目すべき天変地妖、又は自然淘汰、生存競争から受けて来た息も吐かれぬ災難、迫害、辛苦、艱難に関する体験を、胎児自身の直接、現在の主観として、さながらに描き現わして来るところの、一つの素晴しい、想像を超越した怪奇映画である。
……その中には、既に化石となっている有史以前の怪動植物や、又は、そんな動植物を惨死、絶滅せしめた天変地異の、形容を絶する偉観、壮観が、そのままの実感を以て映写し出される事はいう迄もない。引続いては、その天変地妖の中に、生き残って進化して来た元始人類から、現在の胎児の直接の両親に到るまでの代々の先祖たちが、その深刻、痛烈な生存競争や、種々雑多の欲望に駆られつつ犯して来た、無量無辺の罪業の数々までも、一々、胎児自身の現実の所業として描き現わして来るところの、驚駭と戦慄とを極めた大悪夢でなければならぬ事が、次に述べる通りの「胎生学」と「夢」に関する二つの大きな不可思議現象を解決する事によって、直接、間接に立証されて来るのである。(『ドグラ・マグラ』夢野久作)(改行引用者)


蛇足

いくつかの解釈の違いはあれどもストーリーに関しては作中でほとんど語られているので、考察の必要はないと思われる

2019年9月23日月曜日

Death Strandingへの備え

Death Stranding発売までの暇つぶしと予習(になるか不明だが)
入手性、視聴性の高い有名作品ばかりを挙げた
かなり個人的な好みも入っているので参考にはならないかもしれない


ドラマ

ウエストワールド[Wikipedia]

同名映画のドラマ版
人間そっくりのアンドロイドがホストを務めるテーマパークの話

意識自由意志、創造主に対する被造物の反乱を描く

これらのテーマは『創世記』の神の背くアダム、もっと直接的にはカレル・チャペックの『R.U.R.』からおなじみのものだが、叙述トリック的な手法を用いることで人間であることとアンドロイドであることの差異を消失させ、意識について深く考えさせる作品となっている

S1に使われた叙述トリックはサムとクリフに重なるところがあるかもしれない
また、キャラクターを人間らしく描くことで逆に視聴者をそれと思い込ませる手法などはブレードランナーなどにも通じるところがある



ストレンジャー・シングス[Wikipedia]

スティーブン・キング(『スタンド・バイ・ミー』、『イット』の黄色いレインコート)やスピルバーグ(『ET』、『未知との遭遇』など)、ジョン・カーペンター(『遊星からの物体X』のポスターが張ってある)の影響がとても強いドラマ

1980年代のアメリカの架空の田舎町を舞台にしたドラマであり、ほぼ全編に映画のパロディというかオマージュが散見される

得体のしれない化物が裏側の世界からやって来るのだが、裏側の世界(異界)の描写に関しては映画版の『サイレントヒル』のほうが好みである。そういえば『P.T』ってサイレントヒルの続編として(略)

簡単にいうとみんなの見たかった『スーパーエイト』

S3になるとコメディ要素や映画のオマージュが激増するので好みの分かれるところかもしれない

発端となった事件は「MKウルトラ計画



ダーク[Netflix]

ドイツ版ストレンジャー・シングス的な紹介のされ方をされるドラマ(あまり似てないが

ある出来事をきっかけに時空が歪み、ループの中に閉じ込められたドイツの小さな町の話
黒いタールのような液体が登場し、それはヒッグス場を構成する神の粒子という設定である

1953年・1986年・2019年という3つの時間軸を基本とし、各時代の出来事が次々に提示されてくるので、見ている方はまず年代とキャラクターの把握につとめる必要がある

ストレンジャー・シングスに比べると、ひたすら暗く人間関係が複雑なので相関図を見ながらでないとわかりにくいかもしれない。またストレンジャー・シングスがオカルト・ホラーだったのに対し、ダークは純SFとしての濃度が高い

物語構造や人物関係が複雑な分、頭の中で出来事や人物たちが繋がり始めると、一気にはまる

存在と時間』(ハイデガー)の国だけあって、時間をたんに因果の連なりとして見るのではなく、現存在を成り立たせる意味の場として扱っている。登場人物はいくつもの時空へ企投(Entwurf)され、彼らの可能性の総体がひとつの共世界(Mitwelt)を構築している。ヴィンデンという町が異様な存在感を持つのはこうした理由からであろう

印象的な図形として登場する「トリケトラ」はもとは古代ケルトの模様
登場人物が遊んでいるゲームは、SF版ダークソウルと言われる「The Surge」である

聖書からの引用が多く、登場人物の名前もおそらく聖書にちなむ

発端となった事件は「原発事故」



ツイン・ピークス[Wikipedia]

難解系ドラマの先駆けかな?
ツイン・ピークスという街を舞台にした女子高生の殺害事件を発端とする奇妙なストーリーの連鎖
長い上に全編見通したとしても理解できないかもしれない(私は未だによくわからない。好きだけど)

なので、映画版と最近作られたS3(18話もありますが)で済ますという手も

デヴィッド・リンチが本質的に映像作家であることを念頭に置いて見ると楽しいかもしれない

すべての発端となった事件は「トリニティ実験



映画

2001年宇宙の旅[Wikipedia]

もはや説明の必要もないと思うが要約すると、「モノリスを発見した猿人が人へ進化し、やがて月に至りモノリスを再び発見。モノリスに導かれるように宇宙を進んでいった結果、ボーマンは人類を超越したスターチャイルドへと進化する」

ここにAIの人類への反乱といったテーマが絡んでくる

映画と小説は別物であるが理解という意味では小説版のほうがわかりやすい
映画版は内容とか気にせずに映像だけ見て楽しむのがよい

発端となった事件は「モノリスの発見」



ソラリス[Wikipedia]

人類にとって完全に異質な生命体とのコンタクトは可能か、またいかなる意味を持つか、というSF

ソラリスの海とは、哲学者レヴィナスのいう「無限に超越的であり、無限に異邦的(エトランジェ)」なものとしての「絶対的他者」である。人はその現前により閉鎖的自己意識を揺り動かされ、自己の延長ではない他者の存在に気づくと同時に、他者に応答する自己をも見いだす

多様な解釈が可能であり、映像化された『惑星ソラリス』(タルコフスキー)や『ソラリス』(ソダーバーグ)のどちらも原作とは解釈が異なっている(原作者はどちらの映画も気に入らないそうだ)

2001年宇宙の旅と同じく、小説版の方がわかりやすい

2015年に出版された新訳版は旧訳では削除されていた部分が復活している。また巻末の解説を読むとなぜ『ソラリス』が世界的古典となったのかがよく分かる



インターステラー[Wikipedia]

重力と時間父親と娘の関係を学ぶのに最適な教材

主人公たちの乗る宇宙船は「エンデュランス号」というが、これはサムのバイクに張られた「Endurance」というステッカーにあるのと同じ単語である。もしかしたらサムのバイクは「エンデュランス」という名がついているのかもしれない


4次元超立方体(テサラクト)の空間という、過去、現在、未来のすべての時間が連結した空間が登場する
TGSの説明から推測するに、おそらくカイラルネットワークも同様の機能を持つと思われる

テサラクトが高次元空間であるとするならば、カイラルネットワークは二次元の線形なのかもしれない(過去・未来・現在のすべての時間に繋がるネットワーク)



メッセージ[Wikipedia]

地球各地に現れた謎の宇宙船を発端とし、彼らとのファーストコンタクトを言語学の領域から描く

ウィトゲンシュタインが『およそ語られうることは明晰に語られうる。そして論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない』といったように、人間の全認識は言語活動によって語られるものとして語られる

ある意味で言語が人間の意識の限界を決めている

だが、人間の認識を超えた言語が存在したとしたら。例えばその言語は既存の言語では語ることのできない『未来』について記述することができるとしたら。

人間の認識は未来にまで拡張される

言語による時間認識の拡張は、言語を発する主体が「今現在」にあるという制約があるがゆえに「未来時制」(予言)の形を取らざるを得ない

しかしながら、制約を受ける主体から言語自体を切り離してしまえば、その言語体系はこの宇宙で唯一、時間の支配から逃れることが可能となり、その言語をプロトコルとして採用したネットワークは時間から解放されるのかもしれない

それはつまり三次元+時間からなるこの宇宙から乖離したネットワークを構築することに等しい



ブレードランナー[Wikipedia]

脱走したレプリカント(人造人間)を追跡して「解任(射殺)」する捜査官の話である

レプリカント対人類の構図は物語を通じて保たれるが、レイチェルの登場を機にその構図は社会的なものから個人の内面的なものへと移行する

つまり、レプリカントとデッカードの内面に「レプリカント/人間」という対立項があらわれ、やがて両者の終局における選択に反映されていく

ロイ・バッティの利他的行為はまぎれもなく人間のものであり、一方でデッカードレプリカントの救済者なるが、これは物語のスタート時の彼らとは真逆の立場である

人間であったものがレプリカントを救う者となり、レプリカントであったものが人間として死ぬのである

人間とレプリカントとの差異は何か? その問いを残して映画は終わる

デッカードがレプリカントであるか否かについてはさまざまな意見がある(監督のリドリー・スコットはデッカードはレプリカントであると明言しているが)

だがロイが人として死んだのであれば、デッカードはレプリカント(ただしそれは人間性を備えたレプリカント)として生きるという対比がよりふさわしいように私には思える


原作である『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、人とアンドロイドとの差異を「感情移入」の有無としている

すなわち人間とレプリカントの器質的な相違は問題とされず、感情移入という内面的な能力によって両者は分け隔てられるのである

映画版におけるロイとデッカードの最後の選択はこうした感情移入からのものだと考えると、彼らはともに「人間である」ということになるのかもしれない

ちなみに原作には映画に登場しないマーサー教という宗教が登場する。この教団が用いるのが「共感(エンパシー)ボックス」なる黒い箱形の装置である。

そこから出ているハンドルを両手で握ると、同じように取っ手を握っているすべての信者と共に「教祖ウィルバー・マーサーと肉体的融合――精神的心霊的な同一視をともなったそれ――ができる」代物である

つまり「共感(エンパシー)ボックス」を介して教祖と全信者が「繋がる」のだ

そうして信者たちは教祖と同じ体験を共有することになるが、その体験というのが「山道を登っていく」体験である

これをDeath Strandingに当てはめるのならば、教祖ウィルバー・マーサーはサムであり、信者はプレーヤーとなろうか。黒い装置というのはもちろんPS4のことである

プレーヤーはPS4を介しサムと繋がりサムの体験を自分自身として体験するのである

ここから先はネタバレになるのだが、このマーサー教というのは全くのイカサマであった。体験する光景は映画スタジオで撮影されたものであり、マーサー本人は酒浸りの老役者である

つまるところ「共感(エンパシー)ボックス」を介した「感情移入」なる現象はすべて偽りだったことになる。その結果として、人間とアンドロイドを区別していた感情移入という能力は疑わしいもの、否定されるべきものへと降格させられてしまう(アンドロイドと人間の差異が消失することにつながる)

だが、原作のデッカードはマーサーとの繋がりをたたれてなお、自らがマーサーであるという感覚を持つ。そのマーサーは不死であり、一万年たっても死ぬことができないマーサーである

このマーサーとは他者への感情移入能力をもつ全存在(レプリカントであれ人間であれ、あるいは全く未知の生命体であれ)を包括した名称としての「人間性」のことである



ブレードランナー 2049[Wikipedia]

上記したようにブレードランナーの物語の本質はレプリカントと人類という二つの性質の対立構造にある。感情移入が象徴する人間性と、レプリカントが象徴する非人間性の構図であり、この構図は人間・レプリカント双方の内面に存在する

2049において「K」が最後にとった行動は、前作のロイと同じ行動原理(衝動)から発生したものである
衝動とは「他者への感情移入」、つまり人間性の引き起こす共感のことである

ロイと同様にKもまた人間となったのである



スパイダーマン: スパイダーバース[Wikipedia]

多世界解釈的スパイダーマン

多世界解釈だからといって「たくさんの世界」を登場させないところが秀逸である
舞台となる世界はあくまでひとつであり、他の世界は基本的にその世界を体現するキャラクターの描写によってなされている

一つの世界に対し無数の世界のキャラクターが干渉するという構図はDeath Strandingとも重なりそうである

映像表現、音楽、キャラクターデザイン等々、すべてが飛び抜けたセンスの塊である


地獄の黙示録[Wikipedia] 原題:Apocalypse Now

クライマックスにおけるウィラードの言動は、フレーザーの『金枝篇』に書かれた「ネミの森の祭祀王」の神話を読んでいるとわかりやすい

ネミの森では、祭祀を殺した者が次の祭祀になることができる。今の祭祀も前任者を殺すことで祭祀王の座についたのである

またギリシャ神話では父であるクロノスを殺し主神となるゼウス、父親殺しの呪いを受けるオイディプスに似たところがあるだろうか

原作であるコンラッドの『闇の奥』は映画よりもさらに内面を深く描いた作品である。闇の奥とはアフリカの奥地を意味しているだけでなく、人間の心の奥底にある闇黒の深淵を意味している

そういう意味で、映画のウィラードの旅はベトナムの川を遡っていくと同時に、人間の心の奥へと進んでいき、ついに最奥にある人間性の闇(カーツ)に至ったと考えることもできる

ダークソウルにおいて、アルトリウスが深淵の闇に取り込まれたのと同様に、ウィラードも人間性の闇を直視したがゆえに、闇と一体化するほか無かったのである

カーツは死んだのではなく、カーツの闇と共にウィラードに受け継がれていくのかもしれない



その他

ずいぶん長くなってきたのであとはタイトルのみを挙げる
『1984』
『遊星からの物体X』(原題:The Thing)
『BTTF』
『バタフライ・エフェクト』



蛇足

紹介した映画やドラマには大きく分けて二つの共通するテーマのようなものがある

ひとつは「時間」である

時間というのは昨今の創作物の流行でもあるが、H・G・ウェルズの『タイム・マシン』あるいはその映画化された作品からも分かるように、まったく新しいジャンルというわけではない

時間物の中には、ヒッグス場や重力異常を根拠に据えたものや、複数の時間(それはつまり複数の時空、多世界)を扱ったもの、叙述トリック的な時間操作、言語学的思考実験より生みだされるもの等々、多種多様な時間の扱い方があり、もはやジャンルというよりそうした時間概念をいかに作品に取り込むかというのは創作物における必須条件といえるかもしれない


ふたつめは「他者」である
ソラリスの海に代表されるような絶対的な他者や、人の造ったアンドロイドAI(HAL9000)の中に見いだされる他者、人間の心理の奥に潜む深淵の闇という異質な他者、あるいは地球外生命体エイリアン等々、人間存在を人間の外部から規定するような他者とのコンタクトをフィクションは描いてきた(恋愛物もまた異質な他者との接触の一つである)

だが、人間にとって最も根源的な他者とは「死者」である

2019年9月15日日曜日

Death Stranding TGS セーフハウスのまとめ

セーフハウス


目覚め

目覚めるときに500mlの血液を採取される
サムの血液は特殊でBT用の武器にできる



カメラ

セーフハウスではプレイヤーはサムではなくカメラを操作する
ノーマンを見るギャルゲーみたいなモード
ノーマンあるいはサムと遊ぶモード
シャワーを要求

カメラを操作するといろんなリアクションをとる


ものすごい数のモーションを取っている
ノーマンとコジマ監督でアイデア出しをして脳みそ焼けるぐらいモーションを撮った
サムはクールな役柄だがセーフハウスではキュートなノーマンを見ることができる


サムの操作はコマンドで行う

洗面台ではアナログスティックを倒すといろんなモーションが出る


シャッターを押して写真を撮ることができる
ゲッツ
セーフハウスは旅で疲れたサムとプレイヤーを癒やすところ

ステンシル

サムの体についた手形は死者の手形
ボイドアウトしてあの世に行って帰ってきた(死んだ)回数分の手形がつく
プレイヤーによってその数は異なる


血尿

ものすごい疲れていると血尿が出る(レア)

サムは特殊な体液を持っているので、老廃物や体液は全部武器になる
特に血尿は強力な武器
ここで出た武器はプレイベートボックスに入っている



フラジャイルジャンプ

いわゆるファストトラベル




装備棚

自分が持っている武器装備、カイラルプリンターで作れる武器装備が並ぶ
サムが着ているのはアクロニウムとのコラボインナー



グレネード
グレネード

米陸軍で使用されたフラググレネード。
投擲後、時間経過で爆発し、一定範囲にダメージを与える。



血液グレネード
血液グレネード

対BT用に開発された手榴弾。
サムの血液とガスを混合し、爆発時に飛散させ、BTを攻撃する。



EXグレネード
EXグレネード

サムの体液、両廃物、排泄物などを凝縮加工したカプセル。
サムの血液がBTに効果があるならば、体液等も同じなのでは?
というハートマンが提唱する仮設に基づいて、
サムのシャワーやトイレの際に採取し、加工して作成された武器。
体液や排泄物のタイプでBTへの影響は異なると考えられるが、
現状では未知数。
他人の排泄物は、普通の人間では気持ちのいいものではない。
サムも気持ちはよくないだろう。
とはいえ、まずは試してみなければ何も始まらない。
もしかしたら、血液程たいした効果はないかもしれない。


チャージ式対BTハンドガン[Lv.1]

チャージ式対BTハンドガン[Lv.1]
型番:MA-BIS mod 1

対BT血液射出銃。
ハンドカフから使用者の血液を転送し、
弾丸状に凝固成型して電磁誘導により打ち出す。
血液のチャージ時間により威力が変化する。




ボーラガン[Lv.1]
ボーラガン[Lv.1]
型番:BOLA Mk1

拘束用ロープをガス圧で射出し対象を縛り上げる
ローカルメイドの拘束銃。
人体を傷つけずに無力化することができる。
サムの血液が織り込まれている“ストランド”を使用しているため、
BTにも効果がある。



アサルトライフル[Lv.1]
アサルトライフル[Lv.1]
型番:WM.556

ブリッジズ制式採用銃。
元々は米陸軍の空挺部隊向けに、
フォールディングアサルトカービンとして開発されたが、
DS後に特殊用重火器として改良された
マルチバーバスアサルトライフル


武器のオレンジ、紫、ブルー、黄色というカラーリングは工具をイメージ
これはサムがブルーカラーであるため

ブーツ
このブーツはレベル1なのでどんどんごついやつに変わっていく



色変え




BB

BBをあやすことができる



悪夢
うたた寝をしてしまって悪夢を見る



BBをあやしていると親密度が高まる




バックパック

バックパックにポーチとかをつけるとその分多く運べる
回転させたり自分でレイアウトしたりできる(バイオシリーズのアタッシュケース)

グレネードポーチ

投擲武器を入れるポーチ。
中に入れることで、背中などのポーチを空け、
その分、より多くの荷物を背負ったりできるようになる。
時雨のダメージや転倒などで荷物落下を防いでくれる。
複数同時装着が可能。
なお、中身が入っているポーチを破棄した場合、
入っていた物がカスタマイズしている施設の
“プライベートボックス”に収納される。


拡張バッテリー[Lv.1]

サムが使用する装備品用の拡張バッテリー。
装着することで“アクティブスケルトン”等の装備品で
使われるバッテリーの最大容量が増加する。
複数同時装着が可能


アクセサリ
いろいろな効果がある
色んな人にあったりいろいろなことをすると手に入る

てるてる坊主

晴天の願いが込められたアクセサリー。
付けていると時雨が降りにくくなると言われている。



風車

風車が付いたアクセサリー。
BBのお気に入りで、付けているとご機嫌。
ストレスも多少溜まりにくくなるようだ。



テーブル

フラグによって乗っているものが変わる


クリプトビオシスはフラジャイルが好きで持ってきてくれる
食べると鉄分が増える

ルーデンスサングラス


端末

普段している手錠端末とほぼ同じ機能がある



オーダー

プレーヤーがオーダしているメインミッション、サブミッション、その他のミッションのどれを受注してどの段階にあるかがわかる



メール

色んな人をつないでいくとメールが来る



名前の横の星は親密度。多いほど親密度が高い。上がっていくと関係が良くなっていろんなことができるようになる




データ・アーカイブ

つないでいくと各地に断片的に残っていた記録がここに集積される






ブリッジ・リンク

自分と世界中にいるサムがつながる。いいねのやり取り。その人達との関係がわかるボード
ストランズ契約というのができる。そうするともうちょっといいことが起こる



ミュージックプレーヤー

どんどん曲が増えていく




ルームカラー

自分で作ったプライベートルームは色を変えられる
他の人が入ったときにこの色が見える





フィギュアを見る

進行していくとどんどん増える。
もうちょっとするとあるモードが出現する


ある特定のファンの方はここばかり来るようになる


ビール

普段はモンスターの缶が並んでいる
今回は世界最速のビール

酔っ払うとちょっとやばいことになる。暴れたりする
普段はモンスターの缶があって回復する


出発

必ずBBと接続する


するとBBの記憶が逆流する。クリフ、マッツが出てくる
毎回フラッシュバックでマッツが見れる
バタール・モンラッシェ グラン・クリュ

ストーリー上に重要なものがある

「乾杯。リサときみに」

フラッシュバックが何なのかはゲームを解いていくとわかる




外の世界

自分が建てた荒れ地にあるセーフハウス


建設物機能

カスタマイズができる

建物の強化

建物のレベルを上げられる


上げる場合は素材を入れるとレベルアップする
他の人が建てた場合でも素材を入れるとレベルアップする



建設物の修復

建てたものも、タイムフォール(時雨)が降るとどんどん溶けていく
溶けていくのを修復するというコマンド

世界中にいっぱいものが建つんじゃないかというのはあんまりない
これを残したいのであれば修復を続けなくてはいけない



建設物のカスタマイズ

音楽やホログラムを設定できる
ボイスも設定できる



いろんな数のキャラクターのホログラムを使うことができる


建設物の破棄

人が建てたやつも破棄できる
破棄した人の世界の中からなくなる。他の人の世界からはなくならない
悪意を持って建てられたものも消せる

カイラル通信をつなぎにいくお話なので、必ず自分がつなぎます。自分よりも先に設備があることはない
つないで初めて振り返るとそこにみなさんの装置が見える

プレイヤーのプレイスタイルとフラグによってこちらによってプログラムによって制御しているので、発売から半年後に買っても普通に遊べるようには調整はされている


排尿

これも当然武器になる
きのこが生える
雪山にも登れる

世界中の人から見える。これにおしっこをかけると大きくなる
そうしていくと結構いいことが起きる

雪山にも登れる
一番過酷で一番おもしろい場所


温泉

おしっこ禁止の看板もある

温泉ではできないようになっている

クレーター温泉




温泉ママー






蛇足

小島監督の解説を聞きながら動画を見る日本語勢と、映像のみの海外勢との温度差が気になる。TGSという日本のイベントなので仕方がないことだったのかもしれないが、英語版の解説を先行させるか同時に発表したほうがよかったように思える

細かなニュアンス、プレイの空気感などがうまく伝わってないもどかしさが否めない