2020年1月28日火曜日

Bloodborne 手記12 宇宙は空にある

悪夢の辺境

悪夢の辺境と呼ばれる場所は、作中でもかなり異質な時空である

まず、赤い月の影響を受けない

ヤーナムの時刻経過や赤い月の接近、あるいは青ざめた血の空が現出している段階でも、悪夢の辺境の空は晴れたままである

このことは、悪夢が現実世界と異なる領域に存在することを意味している(他にも同様に影響を受けないエリアがある。それらは過去に悪夢に巻き込まれたか、悪夢に近い場所である)

では「辺境」とは何か

悪夢の辺境の著しい特徴は、他の悪夢と繋がっていることである
例えば悪夢の辺境の入り口からは、「漁村」の船のマストが見え、またメルゴーの高楼が山脈の向こうに見えている

これは悪夢の辺境のみに見られる特徴である
悪夢の辺境のみと限定すると、違うのではないかと思うかもしれない

というのも、「狩人の悪夢」の漁村から下をのぞくとヤーナムの街(狩人の悪夢)が見えるし、「悪夢の教会」付近では漁村からのものと思われる養殖人貝が空から落ちてくるからである

しかしながら、狩人の悪夢~漁村までは一つの悪夢である。これは HUNTED NIGHTMARE と表示されるのがゴースの遺子の黒い影を斬った後であることからも分かる

※メンシスの悪夢においても、乳母を倒した後、赤子が泣き止んだ時点で HUNTED NIGHTMARE と表示される

このように悪夢はいつかのエリアの複合体として存在し、それは「○○の悪夢」としてひとつの領域を形成しているが、ある「○○の悪夢」が他の「○○の悪夢」と直接接合していることはない

必ず、悪夢の辺境メンシスの悪夢悪夢の辺境に漂う教室棟から繋がっている)を経由して繋がっているのである



悪夢の定義

「○○の悪夢」を狭義の悪夢、「悪夢の辺境」を広義の悪夢と定義するとわかりやすいかもしれない

例えば教室棟はいまや悪夢に漂っているとされる

講義室の鍵
いまや悪夢に漂う二階建の教室棟は、かつてビルゲンワースが
史学と考古学の学び舎だった頃のものである

この場合の悪夢は、広義の悪夢のことであり、つまり悪夢の辺境を漂っているのである
ゆえに、教室棟から悪夢の辺境へと移動することができるのである(ヤハグル→メンシスの悪夢も同様)

また逆に資格を持った人間は、悪夢の辺境に棲まうアメンドーズによって「○○の悪夢」へと送り届けられる。悪夢へ移行する時には必ず媒介者としてアメンドーズが姿を見せているのである

メンシスの悪夢へは無数のアメンドーズのいるヤハグルを経由し、狩人の悪夢へはアメンドーズによって直接に運ばれる。また、教室棟へ行く際にも辺境の住人たるアメンドーズによって運ばれる




辺境

辺境という言葉は、「中央から遠く離れた場所」の他にもうひとつの意味を必然的に包含している

もうひとつの意味とは、「他の世界と接する領域」である

悪夢の辺境は「○○の悪夢」だけでなく「現実世界」とも隣接しているのである

そして悪夢の辺境は現実世界を少しずつ浸潤していき、やがて悪夢の辺境を伝って現実世界に悪夢が運ばれてくる

悪夢が現実に漂着するのである

悪夢の辺境は」であり、現実は「」である。そして悪夢とは海の彼方からやってくる漂着物なのである



アメンドーズ

では、悪夢の辺境に棲まうアメンドーズとは何者なのか

アメンドーズの英名 Amygdala扁桃体を意味する英単語である。しかしながら、アメンドーとはアーモンドが訛った語句でもある(あめんどう)

どちらを重視するかにもよるが、アメンドーズの原義は脳の扁桃体というよりも、むしろ樹木としての扁桃(アーモンド)を指し示していると思われる

※ブラッドボーンが日本語を喋る日本のゲーム開発者によって作られた日本のゲームであるというのも一つにある

まず、アメンドーズの胸には奇妙な亀裂が入っているが、この特徴はSEKIROにおける桜竜と同一である。桜竜が桜の樹であったのと同様に、アメンドーズもまた樹木の属性を持つのである(だが桜竜と同じく、属性はひとつだけではない)

※余談ながら、アーモンドもどちらも「サクラ属」である

また、アメンドーズの腕は七本ある

アメンドーズ=樹木としてのアーモンド説をとるのならば、アメンドーズは七本の枝をもつアーモンドの木、ということになるが、ユダヤ教における大燭台(メノーラー)がまさしく「七枝のアーモンドをかたどったもの」である

※Wikipediaでは異論が唱えられているが、最初の1本に後から6本つけられたとしても、最終的にそれが七本燭台として理解されているのだから、七枝はそれぞれ同等のものと考えるのが自然かと思う

そしてこの大燭台(メノーラー)、カレル文字「深海」のデザインと酷似しているのである

大燭台メノーラー
「深海」のカレル

つまりアメンドーズは大燭台を象徴し、大燭台は深海を象徴しているのである

ここにアメンドーズ=大燭台=深海という繋がりが見いだせる

上述したように、悪夢の辺境とは「」である。その海に「深海」を象徴する上位者が存在しており、それがアメンドーズなのである

アメンドーズの尻尾が甲殻類の節足動物のような形状をしているのも、深海に節足動物が多く棲むことと無関係ではない(カニやエビなど)

アメンドーズは樹木+深海生物の属性を併せ持っている(桜竜と同じく)

また、アメンドーズにはヤハグルや大聖堂の石像などに、ヒゲ状の触手を伸ばした個体が確認される

このヒゲは、クトゥルフ神話における〈グレート・オールド・ワンの大祭司〉クトゥルフのオマージュと思われるが、その一般的な想像図にある触手と酷似している



※クトゥルフは海底に沈んだ石像都市ルルイエに隔絶され、夢を見ながら目覚めの時を待ち続けているという。そして大量の水に遮断され信者とは連絡が途絶しているのだという

ヒゲの有無は何によって区別されているのかというと、おそらくヒゲのあるアメンドーズは深海(悪夢の深い場所)に棲み、ヒゲのないアメンドーズは浅い海(悪夢の浅い場所)に棲む個体なのである

これは、成長しより祖先に近い姿を獲得した者は深海に進出するという、『インスマウスの影』に登場する「深きものども」の設定とよく似ている



逆順世界

悪夢の辺境が海であるという根拠は他にもある

例えば「狩人の悪夢」は漁村が上にあり、その下にヤーナムの街がある。これは養殖人貝が落ちてくることではっきりと示されている

常識とは異なり、悪夢の中では天地が逆転しているのである(正確には天地というよりも、各階層の順序が逆になっている)

ふつう世界はもっとも高くに陸地があり、その下に海が広がっている。だが悪夢の世界では、海がもっとも上にあり、その下に漁村があり、そして陸地がもっとも下にあるのである

そして悪夢の辺境からは、下に漁村が見えていた。ということ悪夢の辺境は漁村の上にある、つまり悪夢の序列でいえば、悪夢の辺境は「海の階層」に位置づけられるのである

また、「肥大化した頭部」にはこう記されている

だが耳をすませば。湿った音が聞こえる気がする
しとり、しとり。水の底からゆっくりと、滴るように

なぜ、水の底から滴るのかというと、悪夢の世界では水の底が空にあるからである



浮彫

狭義の悪夢だけでなく、広義の悪夢にも逆順世界が適応されるという物証が、悪夢の辺境にはある

ボスエリア(アメンドーズの寝所)に建つ塔の内部には、奇妙な浮彫が彫刻されている
大きなものと小さなものがあり、小さなものの上部からはアメンドーズの上半身が伸びている

大きなもの
アメンドーズが追加されたもの


アメンドーズの掘られている小さな浮彫の土台は、大きな浮彫の一部を上下反転させたものである



この2つの浮彫上下(天地)が対照的であるが、その最も大きな相違は小さな方にはアメンドーズが浮彫されていることである

これは、上位者であるアメンドーズいる場所、つまり広義の悪夢の世界でも天地が逆転することを示しているのである

つまり、悪夢の世界では海は空にあるのである

ゴースの赤子海に還るムービーでは、黒い影は海の中に消えるのではなく、なぜか海上を漂い、さらに上昇している(カメラも上にパンしている)


これは、ゴースの赤子の還ったとは漁村から見える海ではなく、悪夢における海だからである

その海は空にあり、ゴースの赤子が還ったことでそれまで曇っていた空が晴れ渡るのである



砂浜ゴースが打ち棄てられていたので、すぐ目の前にある海から漂着したのだと思い込んでしまうが、実情はまったく異なる

ゴースがやって来たのは悪夢的な海、つまり悪夢の空からなのである

要するにとは、見捨てられた上位者が思い焦がれ、上位者から産まれたゴースの赤子が還っていくような領域、つまり上位者の故郷なのである



宇宙は空にある

海が空にあることと、聖歌隊のたどり着いた「宇宙は空にある」ひとつのことを指し示している

それはつまり、上位者の大いなる故郷は「悪夢の辺境の空の彼方」に存在するということである

この深海(海)宇宙との同一視は、アメンドーズと蛍花の引き起こす現象においても明示されている

アメンドーズが叩きつけ攻撃をした際に、黒球に青い火花が飛び散るエフェクトが出る


このエフェクトは、ビルゲンワースの蛍花が死んだ時に発生するエフェクトと同じであり、蛍花が火の玉を飛ばしてくる時に見えるものとも酷似している

蛍花が死んだときのエフェクト

火球が飛び出てくる暗黒領域

この蛍花Enemy IDは「Star Flower」、つまり「星の花」なのである

※アメンドーズの発生させるエフェクトは、彼方への呼びかけを使った際のエフェクトともよく似ている

つまり深海の上位者たるアメンドーズの攻撃は、宇宙由来の秘儀と同じエフェクトを発生させるのである

宇宙と深海(海)とは同じ領域を指す言葉であり、それは現実の宇宙を指すのでも、現実の深海を指すのでもなく、尋常ならざる神秘に満たされた宇宙悪夢的な領域を指し示すのである

そして聖歌隊のメモは、現実の「地下遺跡に宇宙を求めた」(エーブリエタースの先触れ)彼らがついに、「宇宙は空にある」=「宇宙は(悪夢の)空にある」、と気づいたことを記録したものである



しかし「脳液」には次のように記されている

医療教会初期、上位者は海と紐付けられていた
故に頭の患者は、自らを水で満たし、海の声を聞く

すでに教会の初期に上位者と海とは紐付けられていたではないか

この疑問に一言で答えるならば、その「海」は現実の海であり、悪夢の空の彼方にある「宇宙(海/深海)」ではないのである

このような現実の事物象徴(神秘)としての事物混同が、本作における悲劇の根底にある

例えば神秘的な「脳の瞳」を物質的な瞳として取り違えたことで、人の脳のなかに瞳を求めた漁村の悲劇につながったのであり、その無知ゆえの悲劇はヘムウィックにおけるアイコレクターに受け継がれている

同様に「海」には、現実の海と神秘の海(悪夢の海)が存在し、宇宙があるのは後者の方である

医療教会の初期に行われたのは「現実の海」に上位者を探すことであり、それは一定の成果を上げたがやがて頓挫する(失敗作たち)

しかし後に聖歌隊は宇宙(深海)は悪夢の空の彼方にあることに気づいたのである



星海

カレル文字の「苗床」にはこう記されている

人ならぬ声、湿った音の囁きの表音であり
星の介添えたるあり方を啓示する
この契約にある者は、空仰ぐ星輪の幹となり
「苗床」として内に精霊を住まわせる
精霊は導き、更なる発見をもたらすだろう

なぜ星の介添え湿った音と関連づけられるのかというと、宇宙と海とは同じ領域を指すからである

そしてこの宇宙と海との同一性が、ゴースの寄生虫不可解な性質を説明する

ゴースの寄生虫
海岸に打ち棄てられた上位者ゴースの遺体
その中に大量に巣食う、ごく小さな寄生虫
人に宿るものではない
ただ握りしめて殴る、武器とも呼べぬ一匹だが
この虫は「苗床」の精霊を刺激するという

なぜ、海に由来する寄生虫が、空仰ぐ星輪の幹に宿る精霊を刺激することになるのか
なぜ、海に由来する寄生虫が、星の介添えたるあり方を啓示するカレル文字と紐付けられているのか


宇宙と海は同じひとつのものを指しているからである
それが「(悪夢の)空にある宇宙(海)」であり、宇宙悪夢的な叡智の領域、換言するのならば「上位者の故郷」なのである



青い雷光

ゴースの遺体からは青い雷光が発生する

だが、ゴースが死んでいる以上、この雷光を発しているのはゴース自身ではない
いまもゴースに寄生している「ゴースの寄生虫」が青い雷光を発生させているのである

※この考察に関しては頂いたコメントを参考に組み立てたものです

この青い雷光ローラン系の獣がまとうものと同色である
なぜ、海棲の寄生虫と陸棲の獣が同じ青い雷光を放つのか

両者とも根源は同一、「宇宙(海)」だからである

ゴースの寄生虫は「空仰ぐ星輪の幹に宿る精霊」を刺激するという
つまり青い雷光をゴースの寄生虫が出していると考えるのならば、青い雷光は「宇宙(海)」に由来する雷光なのである

さて、旧市街の灰血病は獣の病蔓延の引き金になったとされる

白い丸薬灰血病は、後の悲劇、獣の病蔓延の引き金になってしまった

灰血病を上位者の血による感染ととらえるのならば、ローランを滅ぼした「獣の病」の呼び水となった「ある種の治療の痕跡」の病原上位者であった可能性が高い
深きローランの聖杯
病めるローランの各所には、僅かに、ある種の医療の痕跡がある
それは獣の病に対するものか、あるいは呼び水だったのか
その上位者とはつまり、宇宙(海)を故郷とする神のような存在のことである

※この上位者を特にエーブリエタースと考えるのならば、ローランの呼び水もまたエーブリエタース的な上位者であったと考えられる
※エーブリエタース的な上位者とは、宇宙(海)に関係が深く、海棲生物のような形態をしている上位者、つまりアメンドーズのことである

ローランの獣の病もその根源をたどれば宇宙(海)に到り、ゆえにローランの獣たちは青い雷光を身にまとい、放つのである

ローランの銀獣が悪夢の辺境にいることも、ローランと宇宙(海)との関係性を示している。さらにそのエリアのボスは「アメンドーズ」であり、「ローランの聖杯」をドロップする



黄色い雷光

いっぽう、「漁村の司祭」が放つ雷は黄色である


この差異は、青い雷光は宇宙(海)に由来するものであるが、黄色い雷光はゴースという上位者に由来するものである、という根本的な違いから発生する

つまり、黄色い雷光はゴース固有の能力なのである

※漁村の司祭の ENEMY ID は DeepOnes(クトゥルフ神話の「深きものども」)である。深きものと人間の子孫は成長と共に変異しやがて「深きもの」となって深海に棲むことになる

上位者の血や叡智による獣化や眷属化と異なり、漁村民はゴースの血を引く一族であり、彼らの変異はゴースの血や叡智によるものというよりも、受け継がれた血統の発露によるものなのである

漁村民のみが「深きもの化」し、狩人たちは人の姿を保っていることから、ゴースに接触した際に発動される因子漁村民にのみあったのだろう

要するに、漁村民はゴースの一族なので何らかの原因により変異した後には、ゴースと同じ黄色い雷光を放つことができるのである

※漁村民がゴースの血を引く、というのはやや飛躍しているように思われるかもしれない。だが、元ネタである「インスマウスの影」の設定を踏襲すると、そのような結論に到るのである



月の魔物

「瞳」「海」と同様に、「月」とは現実の月のことではない
それは象徴(神秘)的な意味での月であり、その正体は「悪夢」である

悪夢の辺境という海の底から上昇してくる「悪夢」、それが「赤い月」なのである

現実は海が下、陸が上という秩序により構築されている。悪夢は海が上、陸が下という秩序により構築されている

この両者が合わさるとき、悪夢の海の底から上昇してくる月は、現実の空を下降してくる月として世界に現われるのである



コペルニクス的転回

名言の多いブラッドボーンでも、「宇宙は空にある」は特に印象的な文章のひとつである

聖歌隊がついに到達した衝撃的な気づきにある種の感動を覚えたプレーヤーも多いはずである。しかしその瞬間に自らもまた聖歌隊と同じ陥穽(落とし穴)にはまっているのかもしれない

現実的には「宇宙は空にある」のは当然であり、宇宙を探す試みの、地下から空への転回は科学的、常識的に見ても正当であるように思える

だが、ここで言われる「宇宙」とは、われわれの知る宇宙とは異なるうえに、「」もまたわれわれの常識からは大きく外れているのである

宇宙とは、宇宙悪夢的な叡智の満たされた領域であり、上位者の故郷である
またとは、悪夢の空のことであり、悪夢の空には「海」があるのである

ここでわれわれは聖歌隊と同じ気づきに到る

宇宙は空にある

しかし、初めにそれを口にしたときと今回とでは意味が完全に異なっているのである
そしてこれこそが、人間理性を誤謬に陥らせる、ブラッドボーン最大の仕掛けなのかもしれない

2020年1月19日日曜日

Bloodborne 手記11 『未知なるカダスを夢に求めて』:追記「幼年期のはじまり」

未知なるカダスを夢に求めて


『未知なるカダスを夢に求めて』(原題:The Dream-Quest of Unknown Kadath)はH・P・ラヴクラフトの長編冒険小説である

ラヴクラフトは言わずと知れたクトゥルフ神話の創造者(大雑把に言って)であり、そのクトゥルフ神話が描く宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)がブラッドボーンに強い影響を与えていることは、宮崎英隆氏のインタビューでも明言されている

※ブラッドボーンはゴシック・ホラーからコズミック・ホラーへの跳躍的移行が描かれるが、ラヴクラフトという作家自身、ゴシック・ホラーの流れを汲みコズミック・ホラーを創造(大雑把に言って)するというブラッドボーンの物語と似た経緯を辿っている

小説の概要をざっくりとまとめると、他のラヴクラフト作品で触れられた地名や人物、神々などが多く登場する総集編のような作品である(いくつか語弊がありそうなので詳細はWikipedia



夢の国(ドリームランド。幻夢境などとも訳される)

夢の国は一種の別世界であり、「夢見る人」だけが到達することができるという

小説の主人公であるカーターもまた「夢見る人」であり、夢見る国にあるというカダスを目指して出発する。その波瀾万丈の旅路を描いたのが『未知なるカダスを夢に求めて』である

そしてこの「カーターによる夢の国の旅」こそが、ブラッドボーンの物語の骨子であり、メインストーリーを貫くプロットラインなのではないか、という仮説を元に、以降は『未知なるカダスを夢に求めて(以下『カダス』)』のストーリーに沿って、そのブラッドボーンへの影響を考察していきたい



魔法の森

夢の国に侵入するためには、浅い眠りのなかで階段を七十段くだり神官のいる「炎の洞窟」を通り抜け、さらにそこから七百段の階段を下り、「深き眠りの門」に達しなければならない。その門をくぐると、魔法の森と呼ばれる奇妙な森が広がっているという

※神官のいる「炎の洞窟」をオープニングの血の医療者と燃え上がる獣に重ねられるかもしれないが、無関係な可能性の方が高いように思う
※構造的には神官(医療者)/炎というふうに比較できるかもしれない


階段を下って神官(合言葉の門番)のいる炎の洞窟(障害/合言葉)を乗り越えて、さらに階段を下った先が、魔法の森(禁域の森)である

階段合言葉の門番

さらなる階段を下ると

禁域の森に到着

ブラッドボーンにおいて、悪夢の表象がはっきりと姿を見せはじめるのは「禁域の森」からである

それまではゴシック・ホラーの範疇であったのが、禁域の森に到達したあたりから、コズミック・ホラーの様相を陰に陽に呈し始めるのである

魔法の森夢の国の入り口であるように、禁域の森悪夢の入り口なのである


さて、魔法の森には、巨大な平石が無数に立ちならび、森の中央には巨大な環状列石が残っているという
石碑/平石

禁域の墓所(森の中央)には石碑が環状に建ち並んでいる

平石には鉄の環がついているとされるが、禁域の森のそれにも「環(肉の環)」がついている
肉の環

魔法の森にはに棲む何者かが落としたから生えのびた、他とは異なる病んだ木があるとされ
テキストに「隕石」とほのめかされている扁桃石、その形をした樹木

燐光放つ低い通路を縫うように、またグロテスクな菌類目印に道をたどって進むと記されている
この蛍光は目印となる

ある種の菌類を彷彿とさせる燐光を放つ生物

この巨大な平石は、禁域の森のものは「旧神の石碑」(アートワークスより)であり、魔法の森のものは巨人ガグが外なる神に生贄を捧げたとされる環状列石の残骸である

巨人ガグの特徴として縦に裂けた口が挙げられる(Wikipedia

外見は顔面を縦に裂くように口があり、腕は4本あり、身長は6mほどという。視覚、聴覚が優れるが、言葉は話せず、表情で意思疎通を交わす。かつては地上で人間を食べ、外なる神に生贄をささげていたが、地球の神々によって地底へと追放された。 
悪夢の辺境には、巨人ガグと共通する特徴を持つローランの銀獣が棲息している

ブラッドボーンのそれは顔を横にすることで、口が縦に裂けているように見せている



ガグの国と採石場

悪夢の辺境には禁域の森のそれと同じ石碑が建ち並んでいる

つまりこれは禁域の森悪夢の辺境同じ文化的背景が存在することを示しているのだが、この2つを繋ぐ存在こそ、『カダス』に登場するガグであり、そのオマージュたるローランの銀獣なのである

蕃神とナイアルラトホテップ崇拝の罪により魔法の森を追放されたガグは地下都市を築いたとされる

主人公のカーターは墓所からガグの地下都市に侵入することになる
石碑/墓石群

しかしながら、悪夢の辺境は地下都市ではないし都市と言うわりには建造物の数も少ない

そこはやはり辺境なのである

しかしなぜ辺境であるにも関わらず地面に穴が穿たれ、また上下を繋ぐエレベーターが存在するのか

周囲とは文明の異なる技術によって造られているように見える

それは悪夢の辺境が『カダス』に登場する採石場をモチーフのひとつにしているからである

『カダス』によれば、インクアノクという都市の北方の荒野には、縞瑪瑙の採石場があるという

足元にはおびしい数の岩の断片が散乱し、目路の限りまで縞瑪瑙の断崖が続き、鈍い灰色の空の彼方に不気味な灰色の山脈が見えるという
遙か彼方に見えるのは「縞瑪瑙の山脈」だろうか

また底があるのかもわからない深い穴蔵があり、崩れやすい黒岩や小石の斜面は登ることが危険だという

しかしそこにはかろうじてがあり、旅人はそこを通り抜けていくのである

ケルンは旅人の目印である


鉱山や採石場の底に毒が溜まるという観念はSEKIROにも見られた


つまるところ悪夢の辺境とは採石場とガグの地下都市を融合させたようなエリアなのである



コスの塔

ガグの地下都市には、コスの塔がそびえるという

コスの塔はガグの地下都市と魔法の森とをつなぐ塔であり、「悪夢の辺境」における「アメンドーズの寝所」にある塔と同じ機能を有している(「寝所」のランプにより狩人は狩人の夢に戻る)
2つの世界を繋げる機能をもつ塔


コスの塔とは、コスの印を備えた塔のことであり、コスとは幻夢境の神、夢の神、旧支配者とも呼ばれる神である

さて、ブラッドボーンに登場する上位者「ゴース」は英語版ではKosとつづり、コスと読める

狩人の悪夢にゴースが登場するのは、彼女がコスであり、夢の国の神(つまり上位者)であるからである



インスマウス

夢の国にはセレファイスという壮麗な都がある。この都に君臨しているのが、カーターの友人であり「夢見る人」でもあるクラネス王である

彼はセレファイスの東の地域に故郷を再現したという

そして近くの海岸には、勾配急な丸石敷きの道を配したささやかなコーンウォールの漁村をつくり、典型的なイングランドの容貌をもつ者たちを住まわせ、なつかしく思いだされる古のコーンウォールの漁師たちのなまりを教えこもうとなさいました(『ラヴクラフト全集』)

この漁村の名は、『セレファイス』では「インスマウス」とされている

※『インスマウスの影』に登場するマサチューセッツ州のインスマウスとは別の場所である

『インスマウスの影』においてインスマウスという名の漁村が「深きものども」に侵略(侵食)される物語はあまりに有名である

それと同名の漁村が「夢の国」にもあり、ブラッドボーンの悪夢には、「インスマウス」と同じ災厄に見舞われた漁村が登場する

悪夢に漁村が登場するのは脈絡のないことではなく、同名の漁村が『カダス』にも登場しているからなのである

つまり、『カダス』を下敷きにしているからこそのブラッドボーンにおける漁村の採用とその惨劇なのである

※ちなみに、漁村にいる半漁人化した村人たちのIDはDeepOnes(深きものども)である



カダス

さて、『カダス』の主人公カーターの最終目的地はカダスである

カダスはレン高原のさらに北方にある縞瑪瑙の城であり、そこにはナイアルラトホテップとノーデンスに保護された地球の神々が住むとされている

『カダス』には縞瑪瑙がよく登場するが、その多くは「」の縞瑪瑙である(インクアノクなどの黒で統一された街並み)

ブラッドボーンにおいては、狩人の最終目的地は赤子のいるメルゴーの高楼である

高楼という名だがそれは形状的に「城」であり、乳母に保護されたメルゴーが住んでいる

『カダス』においてカダスが「悪夢めいた縞瑪瑙の城」と表現されるように、メルゴーの高楼があるのも「メンシスの悪夢」である

悪夢の辺境から臨めるメルゴーの高楼(カダス)



月の魔物

順序が前後するが、夢の国にはレン高原があり、またそこからやって来たという商人たちがいる
レン人とそれを使役する月の魔物(ムーン・ビースト)である

月の魔物とは言うまでもなく、ブラッドボーンのラスボスである「月の魔物」である(同名であるが、設定まで同じかは不明)

レン人と月の魔物の関係性は、ゲールマンと月の魔物の関係性と類似したものかもしれない



未知なるカダスを夢に求めて

以上のようにブラッドボーンの狩人の冒険は、悪夢や夢が関わる箇所については『カダス』を下敷きにして構成されている

禁域の森(魔法の森)→悪夢の辺境(ガグの地下都市、採石場)→メンシスの悪夢(カダス)→漁村(インスマウス)→月の魔物(ムーン・ビースト)

インスピレーションの源を探ると上記のようになると思われる

他のエリアについては検討中である。ただし、ミコラーシュ覚醒世界における死と、夢の世界における生の仕方は、『カダス』のクラネス王と同一のものである

※クラネス王は覚醒世界では死んでいるが夢の国では王である

インクアノク(インガノック)やセレファイスは、ヤーナムやヤハグルを比較できるかもしれない

前回考察した『フィーヴァードリーム』がブラッドボーンにおけるゴシック・ホラー側の極であるのならば、『未知なるカダスを夢に求めて』は、コズミック・ホラー側の極といえるのかもしれない



幼年期のはじまり

エンディングの1つである「幼年期のはじまり」は、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』のオマージュであることは、「はじまり⇔終わり」というもじりからも分かる

なぜ幼年期なのかは、このエンディングの際の主人公の状態が関係していることからなんとなく理解できる

しかしながら、「幼年期」という言葉は『未知なるカダスを夢に求めて』にも頻出する言葉である

そもそもカーターが幻夢境に来たのは、「失った夢の土地を欲し、幼年期の日々に憧れた」からであり、クライマックスにおいてナイアルラトホテップはカーターに対してこう言う

「そなたはそなた自身の幼年期のささやかな空想を基に、かつて存在したいかなる幻よりも美しい都を作り出したのだ。」(『ラヴクラフト全集6』)

もしブラッドボーンが『未知なるカダスを夢に求めて』を下敷きにしたものであるのならば、その最終地点は幼年期に戻ることなのである

ゆえに、すべての目的を達成した狩人は「幼年期のはじまり」に到ったのである


蛇足

前回の『フィーヴァードリーム』に続き、メタ考察である

予定ではカインハーストの考察をする予定だったのだが、『フィーヴァードリーム』の影響を薄れさせたいのと、「嘆きの祭壇」の展開を再確認したいので後回しにすることにした

本音では作中に限定した物語の考察をしたいのだが、インタビューにてコズミック・ホラーという単語を出された以上は、それも公式情報として考慮しなければならず、こうなった次第である

※『フィーヴァードリーム』も名前を出している以上は公式情報として扱わねばならないだろうという考え

実際のところ、『カダス』はモチーフに過ぎず、『カダス』の設定がすべてそのままの形でブラッドボーンに採用されているわけではない

あくまでもこの考察は作中の物語を再構成するための補足情報にはなり得るかもしれない、といった程度のものである

作中の物語を、作中の情報をもとに再構成することもおそらくは可能であろう。これはその際の指針となるかもしれないメタ考察である

2020年1月17日金曜日

DUALSHOCK 4背面ボタンアタッチメント レビュー

DUALSHOCK 4背面ボタンアタッチメント

PS4コントローラーの背面に2つのボタンを追加するアタッチメント

割り当てられるボタンは

△○×□
↑→↓←
L1 R1 L2 R2 
L3 R3
Option
無効

16種類

プロファイルを3つ保存することができる



設定法

スクリーンタッチボタン1秒押し続ける設定モードに入る
設定モードで背面ボタンを押すごとに、ボタンが変更されていく
スクリーンタッチボタンを2回押すことでプロファイルチェンジ


感触

軽いクリック感のあるタイプのボタン
ボタンクリックに必要な力は、R1、L1ボタンと同程度かやや少ない
ボタンとスイッチの距離が近く「遊び」が少ないためか、R1、L1よりもダイレクトな入力感



Bloodborne

設定

左手側を×ダッシュ)、右手側をL2銃パリィ)に設定

結果

走りながらの視点移動がスムーズになり、射撃速度が向上

感想

これまで、×ボタンを押しながら右アナログスティックを操作するのは極めて窮屈であり、滑らかに視点移動するには持ち方を変更しなければならなかった

×ボタンを左手背面に追加することでダッシュしながらの視点移動がより自然にできるようになった

ターゲットロックしない戦い方にも向いているかもしれない
ステップ主体の戦闘では従来どおり×ボタンを直接押すほうが戦いやすかった(いまのところ)

射撃に関しては、トリガーを押し下げなければならないL2よりも背面ボタンの方が射撃速度は向上する。流れの中で使うのは慣れが必要だが、重要な局面でのタイミングを見計らった銃パリィの成功率は上がると思われる




SEKIRO

設定

PCにUSBケーブルで接続、InputMapperを使用してSteam版Sekiroを起動

SteamはDS4に対応しているが、自分の環境では反応がやや不安定なのとボタンカスタマイズに不満があるので未だにInputMapperを使っている

ボタン追加機能がアタッチメント側で完結しているので、PC側の設定は不要

左手側を×ダッシュ。設定変更済み)、右手側をL2(鉤縄)を設定


結果

SEKIROはダッシュでスタミナ消費しないので基本的に押しっぱなしで良い。上下左右の視点移動がスムーズになり、鉤掛かり(鉤縄をかけるところ)を画面にとらえやすくなった

ブラッドボーンと統一するためにとりあえずL2を右背面ボタンに設定してみたが、こちらはあまり有用ではなかった

ダッシュ+鉤縄などの移動アクション左手側に集中させたほうが操作しやすい印象



感想

左手背面ボタンはほとんど意識せずに押しておけるので、無限ダッシュがとにかく便利

三次元的な視点移動が頻繁なSEKIROでは、右アナログスティックの操作性がさらに重要になってくるが、これまで感じていた操作ストレスが軽減された

移動時は右アナログスティックの操作性を重視した方がメリットが得られるので、ジャンプボタンを背面にするのも良いかもしれない

戦闘は慣れが必要だと思われる
SEKIROは基本的に弾きがメインなのでステップすることはあまりないが、とっさのステップは×ボタンの方が使いやすい

ブラッドボーンと同じく、ノーロック戦法で威力を発揮するかもしれない

右背面ボタンの候補としては、ジャンプか義手忍具が適していると思われる
特に義手忍具はトリガー押し下げの発動ラグが短縮されるので戦いに組み込みやすくなるかもしれない



総評

Soulsborne+Sekiroは熟達したり周回の場合、移動が多くの時間を占めることになる

必然的にダッシュボタンを押し続けている時間も長くなるが、×(あるいは○)を押し続けるのも指が痛くなるし、視点移動もやりにくい

そうしたストレスを軽減するのに背面ボタンアタッチメントは極めて有用である

戦闘面においては慣れが必要だと思われるものの、戦法を問わずダッシュしながらの視点移動がやりやすくなるというのは、生存率の向上に有意であることは論を俟たない

また、L2、R2というトリガーに特殊攻撃技能(射撃や忍具)を割り振っている場合、トリガーを押し下げる際の発動ラグが気になることがある(持ち方によっては指をR1やL1から移動させた上でさらに押し下げなければならない)

これらを背面ボタンに割り振ることで即時発動しやすくなり、よりテクニカルに戦えるようになるとともに、相打ちや失敗が減少すると想定される



蛇足

このアタッチメントが向いているのは、コントローラー操作が下手でかつ反射神経の鈍い人間、つまり私のような者かもしれない





2020年1月15日水曜日

Sekiro 竜の帰郷ENDの後を妄想してみる

以前にもDLCや続編を妄想したことがあり、そのなかには竜の帰郷に触れたものもあったのだが、ブラッドボーンを考察する過程で異なる意見を持つようにもなってきたので、訂正を兼ねて妄想してみる



竜の帰郷

具体的には、もし仮に竜の帰郷後を描いた続編あるいはDLCがあったとして、その舞台はどこであり何を描くか、というものを妄想したものである

九郎を宿した変若の御子と竜の忍びとなった隻狼の旅路を妄想するものであるが、その日本編については過去の記事で詳しく書いたので省く



楼蘭

続編において舞台となると想定できるのは中央アジアにある楼蘭(ろうらん)である

楼蘭(ろうらん,Loulan,推定されている現地名はクロライナ Kroraina)は、中央アジア、タリム盆地のタクラマカン砂漠北東部(現在の中国・新疆ウイグル自治区チャルクリク)に、かつて存在した都市、及びその都市を中心とした国家である。(wikipedia)

なぜ楼蘭になるのかは連想ゲーム的な操作が必要となる



ローラン

初っぱなから話が逸れるが、ローランとはブラッドボーンにおいて、砂に埋もれて滅亡したとされる都市である。砂に埋もれて滅亡した都市、という共通点があり名前も類似していることから、ローランとは楼蘭がモデルではないか、という説は発売当初からあったように思う

しかしながら、東欧あるいは中欧が舞台と推測されるブラッドボーンと、中央アジアにある楼蘭とは地理的に離れている印象があるし、なぜ「血液感染」という名のゲームに「楼蘭」が登場する脈絡も不明であった

つまり、舞台や名前が類似しているものの、決め手に欠けていたのである



フィーヴァードリーム

さらに話は変わるが、宮崎氏はインタビューで新入社員に触れて欲しいコンテンツとして『フィーヴァードリーム』という小説を推薦していたことを明かしている

この『フィーヴァードリーム』はジャンル的に吸血鬼小説なのだが、一読するだけでブラッドボーンに多大な影響を与えていることが分かる

吸血鬼という素材が同じなのでどうしても似てしまう部分もあるし、違っている部分も多々あるのだが、カインハーストならびに「獣」に関する思想というか哲学は相通じるものがある

ブラッドボーンは吸血鬼という素材をさらにクトゥルフホラーに昇華させたことに唯一無二の独創性が存在するが、その思想の萌芽は『フィーヴァードリーム』にも見受けられるのである

※『フィーヴァードリーム』自体がもしかするとクトゥルフ的な宇宙的恐怖を背景に書かれたものであるのかもしれない

以上が『フィーヴァードリーム』の簡単な説明である。(詳しくは「Bloodborne 考察 『フィーヴァードリーム』」)



闇の国

小説、『フィーヴァードリーム』において、中央アジアにある深い洞窟の奥に、吸血鬼たちの巨大な都市が築かれたという。それは地下の海と大河の岸辺鉄と黒大理石で造られたとされる

つまり吸血鬼(小説ではその本性は「野獣」)たちの都市が中央アジアにあったのである

この中央アジアにある地下都市というイメージから、中央アジアにある砂に埋もれた楼蘭が連想され、さらに砂に埋もれた都市ローランに発想が転換していったと妄想をたくましくすることも可能である

その闇の都市には吸血鬼(野獣)が棲んでいたがやがて滅亡し、今も地下深くに眠っているのである

こうして、ブラッドボーンのローランは闇の都市を介して楼蘭と連繋されるのである



SEKIRO

SEKIROでは竜の故郷は西にあったとされる。西にある神的なものが棲まう場所といえば、SEKIROに多く引用されている仏教では「西方浄土」が連想される

※西方浄土は阿弥陀如来の浄土であるが、阿弥陀如来は奥の院の掛け軸の奥に確認できる

もちろん如来の浄土なので現実世界ではない。仏国土を遊ぶというのも悪くはないが、葦名という現実の国を舞台にしたSEKIROを前提にして考えると、やはり続編なりDLCも現実の国土が基礎となっていると思われる(仙郷のような場所はあるかもしれないが)

もうひとつ、日本人にとって西と言われて連想するものがある



大唐西域記

それが玄奘三蔵の記した「大唐西域記」であり、その通俗的な物語としての「西遊記」である

旅装の僧侶(尼僧)とその従者(隻狼)という二人連れが「西に行く」と言えば、多くの人がまず第一に「西遊記」を連想するのではないだろうか(すぐに仲間が増えていくが)

※ドラマなどの影響で、旅装の尼僧を見て西遊記を連想するのはあるいは日本人に特有の現象かもしれない

そして大唐西域記によれば、玄奘三蔵は故国への帰路に楼蘭に立ち寄っているのである

ここに、ブラッドボーンとSEKIROを非公式に繋ぐ「楼蘭」という都市が浮かび上がってくるのである

ローランは中央アジアにある闇の国を通じて楼蘭に通じ、かつその楼蘭は玄奘三蔵が立ち寄った都市であると同時に、日本の西方にある都市でもある



楼蘭

とはいえ、すでにローランは砂に埋もれて滅亡しているし、楼蘭についても玄奘三蔵が見たのが都市だったのか廃墟だったのか、厳密には分からないらしい

が、すでに存在しない世界へワープする方法はSEKIROには存在するので問題はない

さらに妄想を飛躍させるのならば、実際に楼蘭まで歩いて行く必要すらないのである

その記憶を留めた「鈴」さえあれば、あとは仏様がなんとかしてくれるからである

よって、楼蘭へ行くタイミングはゲーム上の任意の地点にすることが可能である。極論すれば葦名の隣の都市で偶然に「鈴」を入手して「楼蘭」に行くことすら可能なのである



仏陀

さてここまで楼蘭を推し進めてきたが、西遊記にしろ大唐西域記にしろ、もっともエキサイティングなのは、復路ではなく往路(行き)であろう

楼蘭は登場すらしない可能性もあるし、微かに存在を仄めかされるだけかもしれない(「仙郷」のような使われかたかもしれない)

そもそも西遊記のストーリーをそのままトレースするとも思えない

また竜の故郷、つまり物語の根源へとさかのぼっていくわけだから、それは同時に仏教の始原へさかのぼる旅にもなるはずである

※SEKIROにおける摩訶不思議の現象は、ほぼすべて「仏教」が関連している

仏教の始原とは言うまでもなく「仏陀」である

つまるところ、続編やDLCでは仏陀のフロム的解釈にすら到達するのではなかろうか



蛇足

仏陀をフロム的に解釈するとどういった世界観が生まれてくるのか分からないが、近しいと思われる伝奇小説は読んだことがある

夢枕獏の『涅槃の王』である

その希有壮大なスケール感と奇々怪々の物語や異形異類の登場人物たちは、ある種、読むフロムゲーとさえ言えるものである(個人的な感想です)

このように気兼ねなくSEKIROの続編を妄想できるのは、逆説的に言えば続編を諦めているからかもしれない(フロムとアクティの不和の噂とかあるし)

以前にも書いた覚えがあるが、SEKIROはそれ単体で完全無欠に完結していると評して良いほど完成度が高いと思うので、「」ということでもいいかなとも思う


2020年1月10日金曜日

Bloodborne 手記10 『フィーヴァードリーム』

「わが名は 王の王なるオジマンディアス
全能の神よ わが行ないし業をみそなわせ 絶望せよ!」(『シェリー詩集』新潮文庫)


フィーヴァードリーム

『フィーヴァードリーム』はジョージ・R・R・マーティン作の吸血鬼小説である
ジョージ・R・R・マーティンといえば、近年ゲーム・オブ・スローンズの原作者として世界的に名声を博し、フロムソフトウェアの新作「Elden Ring」の神話部分を担当した人物としても知られている

※宮崎氏はインタビュー(ファミ通.com)で、「新入社員にぜひ触れてほしいコンテンツ」として『フィーヴァードリーム』を推薦していることを明かしている

もとはSF畑の作家であり、ヒューゴー賞やネヴュラ賞といった権威ある賞をいくつも受賞しているほど実力のあるSF作家である

そんな彼が1982年に発表したのが『フィーヴァードリーム』である

本作は19世紀中頃のミシシッピ川流域を舞台にしたいわゆる「吸血鬼モノ」のホラー小説であり、吸血鬼小説としてのルールを守りながらも独特の世界観を構築した名作である

※時代は半世紀ほど下るが、RDR2に登場するサンドニのモデルであるニューオリンズも舞台のひとつ。サンドニの吸血鬼イベントの元ネタかもしれない

さて、ひとことにミシシッピ川といっても全長3779kmもある大河であり、地域によって植生や文化が異なっている。これら多様な社会を結びつけるのがミシシッピ川そのものであり、そこを航行する蒸気船であった

本作はこの蒸気船の栄枯盛衰を軸に、吸血鬼と人類、あるいは吸血鬼同士の闘争を描くものである




舞台

本作の舞台は主として1857年南北戦争直前のミシシッピ川とそこを航行する蒸気船である

1857年頃といえばイギリスではヴィクトリア朝の中期頃であり、ブラッドボーンとは年代的に共通するものがある

ざっくり言えば、『フィーヴァードリーム』の舞台をイギリスに置き換えたのがブラッドボーンなのである。もちろん『フィーヴァードリーム』には上位者は存在しないが、登場する吸血鬼の本性ならびにその在り方は、ブラッドボーンにおける「獣」と類似するものである

※同じ吸血鬼モノで比較するのなら、スティーブン・キングの『呪われた街』と小野不由美の『屍鬼』の関係と近似であろうか



吸血鬼

『フィーヴァードリーム』に登場する吸血鬼は、伝説上の吸血鬼と同じ部分もあり違う部分もある。差異を厳密に比較するのは煩雑であるし、曖昧な部分もあるので省略するが、ブラッドボーンと共通するいくつかの特徴を挙げたいと思う



吸血鬼と人狼の同一性

小説に登場する吸血鬼は自分たちは吸血鬼でないと主張する。彼らは夜の人々(ピープル)であいり、血の人々(ピープル)であり、たんに人々(ピープル)とも自称する(そして人類は「家畜」である)

吸血鬼と人狼(ウェアウルフ)双方の特徴を有し、彼らによれば「両者は呪われた暗黒の硬貨の裏と表」であるという

実際、『フィーヴァードリーム』の吸血鬼は人の血を吸い、また人肉を喰らう



赤い渇き

二十歳になると現われる吸血衝動を「赤い渇き」と呼ぶ。別名を「熱病(フィーヴァー)」ともいい、燃えさかるような渇きを感じるという

赤い渇きを癒すには生者の血を啜るしかなく、犠牲者の血中のある成分を補給しなければならない。だが、たんに血を吸えば良いものではなく、輸血液や死体の血では赤い渇きは完全には癒やせないという

若者や純真な人々、美しい女性などの生命力に溢れた人間をとくに欲するのは、血の成分のみならずそこに宿る生命を奪っているのだという

生理学的には、吸血鬼の血液には欠けている成分があり、その血液は日ごとに薄くなっていくという。そして臨界点に達すると赤い渇きに襲われるのである。これを防ぐには犠牲者の血をとりこみ、自らの血を濃厚にしなければならない

この赤い渇きを癒すために作られたのが血の酒である
大量の羊の血をベースにして、防腐剤として強いアルコールを混合した液体であり、それだけでなくアヘンチンキや、カリウム塩や鉄分、ニガヨモギ、その他さまざまな薬草と、化学薬品が加えられているという



理性と野獣

小説中のある吸血鬼は、人間として無数の人格(仮面)をかぶってきた過去があり、仮面はある種の抑制装置として作用しているが、それらがすべて剥がれ落ちたときに現われるのが、「赤い渇きと熱病にとりつかれた、飽くことなき太古の野獣」であった

それは原始的に非人間的であり、それは強かった。それは恐怖そのものを生き、呼吸し、呑みこんでいた。それは古かった。恐ろしく古かった。人類とその創造物より古く、森や河よりも古く、夢よりも古かった。(『フィーヴァードリーム』 創元推理文庫)
そこには人間性のかけらもなかった。その顔のしわは恐怖のしわであり、その目は――それはもはや黒ではなく、赤であった。真っ赤であった。うちなる炎に輝き、血に飢えて、ぎらぎらと真っ赤に燃えていた。(『フィーヴァードリーム』 創元推理文庫)

生命にあふれ、なだめがたく、強大なる野獣」が吸血鬼の中に潜み、赤い渇きが限界まで高まると、それは人間的理性を越えて姿をあらわにする

血の酒はその野獣を飼い馴らすことができるが、ゆえに野獣の力を抑えてしまうことでもある

『フィーヴァードリーム』の吸血鬼像の特徴は、その根底に人類とは別の、恐ろしく古く、理性を超えたところにある得体の知れない「野獣」を据えていることである

これまでの吸血鬼が少なくとも人類の亜種、あるいは伝統的な怪物が多勢であったのに対し、本作では人類ですらなく、さらに動物ですらなく、人智を越えた太古の野獣にまで次々に姿を転変させていくのである

つまり人間→人類の亜種(伝説)→動物→太古の野獣というふうに、物語が進むにつれて人間の理解から遠ざかっていくのである

これはゴシックホラーからコズミックホラー連続的に飛躍するブラッドボーンの構造と類似したものかもしれない




カインの末裔

本作の吸血鬼は創世記に登場するカインの末裔であるという(wikipedia)

アベルを殺害した罪によりカインは追放されてノドの地で妻をめとったとされるが、当時アダムの家族以外には人間はいなかったはずである

このノドの地にいた女性こそが吸血鬼誕生の端緒であるという
ノドの地は暗闇の国であり、カインとその妻から吸血鬼が誕生したのである

追放の際、神は他の者が危害を加えないようカインに「カインの刻印」を印したとされるが、このカインのしるしこそが赤い渇きという呪いであるという

こうして誕生した夜の人々は、アジアの中央部の暗く深い洞窟の中、地下の海と大河の岸辺鉄と黒大理石で巨大な都市を築きあげたとされる

※この地下都市が「神の墓」(聖杯ダンジョン)であるとすると、「ローラン」とはまさしく中央アジアにある「楼蘭」を指し示すのかもしれない


だが、そのうちの一部が何らかの罪による都市を追われ数千年ものあいだ放浪し、やがて都市の場所忘れてしまったという

この追放された人々がいま世界にいる吸血鬼の種族である。彼らのうちにいつか王が生まれ彼らを率いて地下の巨大都市へと導くと言われている

さて、別の伝説によれば彼らはウラル山脈あるいはステップ地帯から何世紀もかけて西や南に進出してきたという
※アジアの中央部から北部へ移り、さらに西や南に移動したということだろうか



カインハースト

Cainhurstのうち「hurst」という単語は、中世英語ではhirst(「砂州」や「小さい丘」)であり、古英語では hyrst(「樹木が茂った丘」)、ゲルマン祖語では「茂み、巣」を意味する(wiktionary)

※またイングランド南部では慣習的に、語尾にhurstをつけることで「○○屋敷」のような形になることもある。ただし明確なソースは見つけられなかった

カインハーストが河の中にある砂州のような場所に建てられたことを表しているか、あるいはその城を砂州に見立てているのかもしれない。また「カイン屋敷」や「カインの丘」「カインの巣」のような意味を重ねているのかもしれない

※『フィーヴァードリーム』には「砂州」が重要な地形として幾度も登場する


ではCainとは何かというと、上述したように聖書に登場するカインのことである

その城に住むのは吸血鬼であり、カインの末裔であるから「カインハースト」という名がつけられたのであろう



妊娠

『フィーヴァードリーム』の吸血鬼は長命であるが性欲を覚えることは滅多になく、妊娠することは稀であるという
また、生まれ出る時に母の子宮を引き裂くことから、出産は女性を死に至らしめるという

※女王、ヤーナムの腹部の傷は内側から引き裂かれたものかもしれません



メスメルによる動物磁気(wikipedia)

吸血鬼は動物磁気を操作することで人を思うままに操るという
それは声に宿っており、とりわけ目に宿っているといわれる

ブラッドボーン的には、声のみの存在である「オドン」、また「脳の瞳」を連想する

また、メスメルの磁気実験は患者の体内に「人工的な干満」(潮のみちひ)を生じさせることから、実験棟で行われていた「自らを水で満たし、海の声を聞く」(脳液)という治療と類似したものかもしれない

メスメルはある女性患者に鉄を含む調合剤を飲ませることによって、患者の体内に「人工的な干満」を生じさせ、それから、患者の体のあちこちに磁石を付けた。患者は体中に流れる不思議な液体の流れを感じたと言い、数時間、病状から解放された。(Wikipedia)



蛇足

最初に書いたようにジョージ・R・R・マーティンはSF作家である
しかしながら、彼の著作を読むとSFと神話との相性の良さのようなものを再確認させられる

彼のSFには背後に神話的な表象が読み取れるものや、あるいは神話的なファンタジーに見えて重厚なSFだったりする作品もある

『タフの方舟』のあとがきで訳者の酒井昭伸さんが予感しているように、ゲーム・オブ・スローンズ(『氷と炎の歌』)そのものが《一千世界(サウザンド・ワールズ)》(ジョージ・R・R・マーティンの作品に共通する未来史)であってもおかしくないほどに、SFとファンタジーを融合させるのが上手い作家である

※ダン・シモンズのようにそれに特化したSF作家もいるが

ゆえに、Elden Ringもまた「王道ファンタジー」に見えて、その奥底にはSF的な世界観が埋もれているのではないか、と妄想をたくましくすることも可能であるかもしれない

※ダークソウル路線の王道ファンタジーと明言されているが、ファンタジーの底にSF的世界観が隠されているというのも、また一種の王道である(ゲームでいうなら「ゼノギアス」はちょっと違うか…FF4とか)

2020年1月5日日曜日

Death Stranding 『羅生門』

クリア直後に印象を羅列したような感想文を書いて以来、Death Strandingについて語ることを避けてきた。これは興味を失ったからでも、作品に不満があったからでもない

Death Strandingには、解釈や考察を頓挫させるような困難さが存在しているからである

端的に言えば、各キャラクターの証言ならびに信条に相容れない部分があり、また同一の事柄を語っているにもかかわらず、それぞれが完全にすれ違っていたり、ひとつの物語としてうまく再構成できないからである


絶滅体とBT

ひとつ例を挙げれば、ハートマンとスピリチュアリストの絶滅体やBTに対する見解である

スピリチュアリストによれば人の手をもつBTが人類誕生以前に存在していたという。ならば人類はBTを模倣することで人型を獲得した、という推測が成り立つ

※ハートマンによれば哺乳類の臍帯はDSを模倣したもの

そう考えるのならば、空に浮かぶ五人の人影は絶滅体である、という結論までは少々の飛躍があるものの、一応の連繋がつく(BTと絶滅体とを根源的に同じ物と考えるのならば)

だが、ハートマンは体外に臍帯のある生物を絶滅体とし、人型でないそれ(時間の止まった絶滅体)が実際に発見されたと述べているのである。だとしたら宙に浮かぶ黒い影それぞれの生物を模していなければならない

※ハートマンの挙げる絶滅体は、三葉虫、アンモナイト、恐竜、マンモス、アイスマンであり、いずれも時間が止まった状態の個体が発見されたという

ところが実際に見ることのできる人影は人型であり、これまでの五回の絶滅と同数の五体である

これは一体どういうことか

いや、そもそもBTや絶滅体が人型で、それを生物が模したとして、ではなぜBTや絶滅体が人型なのか、という疑問が生まれてしまう

つまり、人類はBTを模倣したという説では、人類が人型をしている説明はつくものの、そのひな形であるBTや絶滅体が人型をしている理由は不明のままなのである

スピリチュアリストハートマンの仮説を破綻なく統合するには、人類が模倣したのは絶滅体ではなくBTであり、空に浮かぶ五体の人影は大絶滅期と同じ数であるが絶滅体ではなくBTであり、絶滅体は時間の止まった状態で地下に埋まっていた、ということになる

ただし絶滅体の体(ハー)と、魂(カー)は分離していると思われ、魂(カー)が人型をしているのだと考えることもできる。この場合絶滅体の魂(カー)が五人の人影の正体となるが、これもまた、ではなぜ魂(カー)は人型をしているのかという疑問は解けない

また、ハートマンによれば人間以外には魂がない。よって三葉虫に人型の魂が宿ることはない

まとめると、スピリチュアリストを信頼するのならば五体の人影BTもしくは絶滅体であり、BTや絶滅体は人型をしていることになる。そして人類はBTや絶滅体を模倣することで人型となった、という仮説が導ける

だがその場合、ハートマンが主張する「臍帯付きの時間の止まった生物」という存在そのものが仮説と矛盾してしまうのである。なぜならそれらは絶滅体である確たる証拠を有しているが、人類以外には魂が宿らないことから、五体の人影にはなり得ないからである

※人類が模倣したのはBTのみであって、絶滅体は各種生物として誕生し時間が止まったまま地下に埋もれていたと考えることもできる。その場合五体の人影は、人型BTが偶然的に五体、空に浮いていたことになるか、あるいは正体不明の何かとなる



信頼できない語り手

このようにBTや絶滅体をからめて人類の歴史を再構成しようとしただけでも、各キャラクターの証言が食い違い、あるいは完全にすれ違い、解釈が頓挫してしまうのである

どちらかが、あるいは誤りを語っている(信じている)と考えるのならば、その嘘を消去してしまえば、真相だけが残るはずである

しかし、ハートマンの主張には発掘された臍帯つき生物という確固たる証拠があり、一方のスピリチュアリストにも、手形の化石という確実な証拠がある

これはもはや、どちらかが正しいかを究明するよりも、どちらを信じるか、という解釈の問題となってくるのである

もちろん、どちらも虚偽であると解釈することも可能である
両者の信条には誤りがあり、意図的ではないにせよ嘘をついているのである

物語論ではそうしたキャラクターを「信頼できない語り手」(wikipedia)と言うが、Death Strandingにはこうした「信頼できない語り手」が他にも登場する





カバーストーリー

デッドマンがその一人である。彼は自らの経歴を「カバーストーリー」だとサムに打ち明ける
また、彼の収集した情報や打ち明け話の「情報源」や「確度」は故意に隠されている

例えば、BBの脳死母はキャピタル・ノットの集中治療室にいる、とさらりと情報を明かすものの、後には、「おれたちが使っているBB-28の履歴がまるでわからないのは~」と言い始める

これはBBという単語に、「BB技術」「BB-28」「一般的なBB」など複数の意味を持たせていることからくる錯誤と、悪意の無い虚偽から発生する「プレイヤーの混乱」を企図したものである

つまりデッドマンというキャラクターもまた、「信頼できない語り手」の一人なのである



作中で最も信頼できないのは「アメリ」である
当人も「アメリカは嘘から始まった」といい、自らの名を「Ame(魂)とlie(嘘)」と意味づける

その名のとおり、Death Strandingという物語はアメリの嘘によって始まり、嘘によって続けられているのである

テロリストからアメリを救い出すという目的そのものがだったのであり、サムは「信頼できない語り手」の嘘によって北米大陸を引きずり回され、やがて嘘を打ち明けられ、人間不信の極地へとたたき落とされる

少年時代からアメリを姉と慕っていたサムはともかくとして、プレイヤーはこの時点でアメリという人間の一切を信じられなくなる

その後にアメリの側の事情も明かされ、その絶望的な理由を聞いてアメリに同情するプレイヤーも少なくないであろう

だが、本作におけるアメリの嘘は大きすぎた

多くの人にとってはアメリの語る真相すらも、のように感じられてしまったのである

これはおそらく意識的な仕掛けであり、その目的はアメリを「信頼できない語り手」のままにしておくことなのである



メール・文書

本作における「信頼できない語り手」を象徴するアイテムとしてメール、文書が挙げられる

プレッパーたちの多くはサムと直接会おうとせず(仲良くなれば泊まれるが)、その信条の多くをメールや文書として、あるいはホログラムとして表明する

こうした方法で表明されるのは、シェルターに閉じこもった人々の見るそれぞれの「世界」である
彼らにとっては真実であり、それをサムに知らせてくるのは善意でしかない

だが閉ざされた世界であるがゆえに、それは独我論の影響から脱することができない

どれもこれも、彼らにとっての真実、でしかなく、ゆえに現実世界における事実とは齟齬やすれ違いが生じてしまうのである

現実世界を歩むサムにとってそれは、「信頼できない語り手」から発せられる「虚偽」の情報に過ぎず、つまるところ「フェイクニュース」の類なのである

けれども作中ではそれは「真実を表明した情報」として提示され、プレイヤーもその通りに受け取ってしまう。事実、重大な点を除けば「彼らの真実」は本作の世界観を理解するうえで大きく間違ってはいないのである

だが、それはやはり真相ではない



羅生門

こうした、「信頼できない語り手」たちによる多元焦点化を芸術の域にまで引き上げたのが、黒澤明監督による『羅生門』である

※その原作は芥川龍之介の『藪の中』(+『羅生門』)であり、その芥川もビアスの『月明かりの道』といった先行作品に強い影響を受けている

※90分ほどの作品であり、あらすじを読むよりも実際に映画を観たほうがよい

『羅生門』においては、「殺人」というひとつの事実に対し、登場人物たちの証言がそれぞれ食い違い、あるいはすれ違い、真相だけがまるで「藪の中」にあるようにつかめない

おのおのがそれぞれの思惑のもとに、まったく別のストーリーを物語り、ひとつの事実に対する複数の真相という矛盾した構造が生じるのである

※この手法は羅生門効果(Rashomon effect)として様々な作品で使われている

多襄丸はおのれの蛮勇を曲げぬために、武弘は武士の名誉を毀損せぬために、真砂は女の矜持を守るために、杣(そま)売りはある秘密を隠すために、それぞれが「信じたい真相」を語るのである

真砂は二人の男を争わせ、真砂の「言葉」に翻弄されて、二人の男殺し合う
それを見ていた杣売りは、三人の矛盾する証言を聞いて人間不信に陥ってしまう
そして、その杣売りから真相を聞いた旅法師もまた人間不信に陥ってしまう

ここにあるのは、嘘から人間不信が生まれ、その人間不信が感染し、さらなる嘘を生むという現代の「炎上」にも似た悪循環である

この人間不信という悪循環を断ち切るのは一人の赤子なのである



『羅生門』の冒頭は雨のシーンである

人間不信に陥った杣売りは豪雨を避けて羅生門で雨宿りをしている
そこにはまだ赤子はおらず、旅法師と下人がともに雨宿りをしている

そしてクライマックスもまた雨のシーンである
雨があがり太陽光が射すなかを杣売りは赤子を抱いて羅生門から歩き出すのである

これらの場面は、Death Strandingのそれと状況や人物設定などが構造的に類似している

冒頭、サムは時雨を避けるように洞窟で雨宿りをする
この時のサムはもちろん人間不信の状態にあり、まだBBはいない

クライマックス、サムは赤子を抱いて焼却所から出てくる
外は雨があがり日が射していることを示すように虹が出ている

この場面において、焼却所とは羅生門である

冒頭、羅生門の上階には引き取り手のない遺体が捨て置かれていると明かされるが、物語の初め、サムは大統領の死体を焼却所に運んでいく

羅生門と焼却炉にはまず「死」があったのである

だが物語の終わり、杣売りが赤子という希望を抱いて羅生門を出るように、サムはルーという希望を抱いて焼却所を出てくるのである

羅生門焼却所とはともに生と死の交錯する場として設定され、人間への不信というを、希望という転換する機能を担わされているのである

ここでサムは杣売りと旅法師、両者の役割を兼任している
人間不信に陥った者が、ひとりの赤子により人間への希望を取り戻したのである



人間不信

焼却場にBB-28を廃棄しに行くとき、サムはフラジャイルからの誘いを断る

サムはその理由を「ずっと繋がっていたものを失くした」と説明するのだが、ではアメリのビーチに行く直前にブリッジズのメンバーたちと芽生えた絆はどこいったのか、という疑問が浮かんだのは私だけではないだろう

しかしここでサムはアメリとの繋がりを言っているのでも、メンバーとの絆を忘れているわけでもない。それ以前の人類への希望という細い繋がりを失ったといっているのである

なぜならば、その直前に人類の総意として「赤子殺し」を命じられたからである

これは『羅生門』でいうのなら、杣売りが赤子を抱き上げた時の旅法師と同じ心境である
アメリとの絆を断たれ、またダイハードマンから父親を殺したことを打ち明けられたサムは、人類への希望を失いかけていた

そこへ「ルー」という亡き我が子の名前までつけていた「BB-28」を廃棄せよ、という命令が下ったのである

その瞬間に、サムは人類への希望の一切を棄てたのであろう(デッドマンの言葉の真意はまだ気づいていない)

だが、杣売りが赤子を育てるつもりだと打ち明け、その言葉を聞いた旅法師が人間への信頼をふたたび取り戻したように、サムもまたデッドマンの言葉の真意に焼却所で気づき、そうして人間不信を克服するのである


蛇足

Death Strandingを考察するうえでの困難さはもうひとつあって、それは作品ではなく小島監督本人を考察してしまう、というものである

監督は何を考え、何を伝えたいのか、というものを作品を飛び越して小島監督という人物から考察してしまいそうになるのである。これは小島監督という強大な個性を考えれば仕方の無いことなのかもしれない。本考察も『羅生門』という映画作品を引用したのは、小島監督が映画通だから、という点は否定できない