2019年7月30日火曜日

Death Stranding 考察23 ハートマンの紹介動画解析

日本語版がなかなかこないのでとりあえずほぼ映像面のみの解析

ハートマンが蘇生するシーン

Administer a Shot(注射)+電気ショック?を受けて蘇生する


実はAEDは「人を蘇生させる(心臓を再始動する)」ためのものではなく、「心臓を静止させる」装置である(詳しくは除細動wikipedia

ハートマンが21分ごとに死ぬことができるのは、AEDの心臓静止機能を利用したものかもしれない




ハートマンが砂時計を動かすシーン

砂時計はふつうひっくり返すことで時間を測るものであるが、よく見るとハートマンは砂時計をひっくり返していない

はじめ、砂時計の中には黒い液体のようなものが天上側に張り付いている。それがハートマンが振動を与えることで金色の砂に変異し、下に落ち始める



反重力的な性質を持った黒い液体、といえばカイラル濃度が高まったときに観測されるあの黒い液体を想起する

この奇妙な砂の考えられる機構としては、「振動を受けている限り金色の粒子として振る舞う」である

砂が落ちる振動により、金の砂はとしてその性質を保っていられる。が、砂が落ちきった後には振動が失われる。そうすると今度は砂が黒い液体に変わり、反重力的な力を受けて砂時計の上部に昇り(落ち)はじめる



背後にある人形



サムの左後方にある吊られた人形と似たものは、公式サイトのハートマンの画像にも登場している



ボックス

サムの背後にある五つの透明な箱


左から二番目の箱には「骸骨」のように見える物体が入っている
右から二番目の箱には鉱物のような物体が入っている

他の箱も「空」というより、青黒い物体が入っているように見える

先に五つといったが、それ以上あるようだ



またこの場面の開始直後に左隅にストレッチャーのようなものが見え、そこにサムが背負っていた遺体袋のようなものが見えている



写真

ハートマンの背後に登場する写真立ての写真
女性に寄り添うハートマンの姿のようなものがみえる
※redditでは親子三人の写真という考察もあった


別の写真も登場する
移っているのが同一人物かは分からない。ぼやけた写真から妄想をたくましくすれば、ヘッドスカーフを被ったブリジットに見えなくもない(まず違うだろう)



本棚

本棚に関してはredditの「Heartman's Shelves - Collection of all titles found [ANALYSIS]」が詳しい


気になるタイトルとしては「Chiralium - H-T Extinction」(『キラリウム - H-T絶滅』)や「The Higgs Mechanism: Breaking Symmetry and Birthing Universes」(『ヒッグスのメカニズム: 対称性の破れと宇宙の誕生』)があげられる


恋の二十分

ハートマンが選ぶ映画は1914年、チャールズ・チャップリンが監督主演した『恋の二十分』という映画(wikipedia


蛇足

日本語版来ない…

218550については「ここ」や「ここ」が詳しい

2019年7月29日月曜日

Sekiro 考察45 霊符

SEKIROに登場する霊符の考察

注連縄ロボに関する動画は作ったものの、説明をスムースにするために単純化した部分や割愛せざるを得なかった部分あった。その補足



注連縄ロボの霊符

注連縄ロボの股間に貼られた霊符が上記である

鎮宅霊符「憑依」としているが、正式には「厭飛屍鬼侵害人口符(ひしのきじんこうをしんがいするをたつふ)」と言う

これはどちらかが間違っているというのではなく、『鎮宅霊符カード』(暁 玲華)において、正式名とともに「憑依」とカテゴライズされており、分かりやすいので採用したものである

また『増補 霊符の呪法』(大宮司郎 八幡書店)でも確認をとっている

それぞれの書籍において
 「不慮の事故などで死んだ者の祟りで、家族に害が及ぶのを防ぐ」(『増補 霊符の呪法』 大宮司郎 八幡書店)
 「不慮の事故などで死んだ霊鬼によるたたりを防ぐ符」(『鎮宅霊符カード』 暁 玲華 VOICE)

と記されているが、どちらも「害を防ぐ符」である

であるので、これを「注連縄ロボに神霊を憑依させる霊符」としたのは早計だったと言わざるを得ない

霊符の扱い方によって効果を逆転させるような作法(つまり憑依を防ぐのでは無く憑依させる)があるのかもしれないが、呪術方面に明るくないので私にはわからない

※あるいは霊符の「下半分」が解明されればはっきりするかもしれない


屋敷の霊符



屋敷の祭壇に貼られた二種類の御札である

鎮宅霊符「警戒」というのは、正式には「厭犬鶏狐狸鳴上屋符」という。その効果は「鶏などの家禽や動物が、家屋の屋根に上るといった怪事を防ぐ」(『増補 霊符の呪法』 大宮司郎 八幡書店)である

鎮宅霊符「精霊」は、正式には「厭神祠精魅鬼符」である。その効果は、「野の精や土石の精といった自然の精霊などの祟りを防ぐ」(『増補 霊符の呪法』 大宮司郎 八幡書店)である


源の宮に関する霊符

以上の三枚が今のところ正体の判明している三枚の霊符である
あわせて「動物、死者、精霊」を防ぐための霊符である

このことから、この三枚の霊符は源の宮を災厄から守るために貼られた、と考えるほうがより自然である

動物とは「猿や蛇」であり、死者は「戦死者の怨嗟=怨嗟の鬼」であり、
また精霊とは「」のことなのかもしれない

以上のことから、注連縄ロボが動くのは六壬式盤の働きによるものであり、霊符は関係ない可能性が高い

蛇足

「憑依」という語感から、勢い余って勇み足を踏んだ感は否めない
動かすだけなら六壬式盤だけで済む話であった。今後の教訓とする

興味のある人がいたら、国立国会図書館デジタルコレクションで『鎮宅霊符神 : 天下無比福寿必得』が読めるので見てみて下さい。だいたい100ページぐらいから霊符の解説になっています。ただし霊符の形がかなり違うので、SEKIROの制作者が参考にしたのは最近の、おそらく大宮司郎氏の書籍群だと思われる。ではなく、おそらくオリジナルの『道蔵』だと思われる








2019年7月27日土曜日

Sekiro 考察44 陰陽五行思想

陰陽五行思想は「陰陽思想」と「五行思想」が結びついた思想である

もともと別々の思想だったものが、世界(自然界)を説明するのに便利だからと組み合わされて出来た複合思想体系である


陰陽思想

陰陽思想では原初の世界は「太極」と呼ばれる混沌であった。この混沌のうちにある陽の気と陰の気が分離していき、陽の気は天に、陰の気は地になったという
Wikipediaより

この陰陽の二つの気を両儀(Wikipedia)という

この両儀からそれぞれさらに明るいものと暗いものが分離し、それは四象(wikipedia)と呼ばれるものとなったという

四象は思想ごとに解釈が分かれるが、四季(春夏秋冬)であったり、「太陽、少陰、少陽、太陰」といった四つの要素として説明されている

さらにこの四象から八卦(Wikipedia)が発生する。八卦とは事物事象を表わす「(けん)・(だ)・(り)・(しん)・(そん)・(かん)・(ごん)・(こん)」のことである

要するに、「太極」から万物が生成される過程を説明しようとした思想である

以上の思想を簡単にまとめたのが『周易』にある、

「易有太極 是生兩儀 兩儀生四象 四象生八卦 八卦定吉凶 吉凶生大業」(易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず)

という文章である


五行思想

一方、五行思想は「万物は火・水・木・金・土の五つの性質に分類される」という考え方だ

これは西洋ファンタジーなどによく登場する「四大元素説(火・風・水・土)」の中国版のようなものである

※五つの元素とすると、原子論的な世界を構成する最小単位の不思議な粒子を想起するため「性質」とした

五つの性質が互いに影響を与え合い、生成消滅してくことで万物が流転する、という世界(自然界)を説明するための思想だ

火と水は相反するが、それだけでなく火の性質に分類された物質(事象)も、水の性質に分類された物質(事象)と相反し、何らかの反応が起きるのである

これを相剋(そうこく)(wikipedia)という

逆に、水が木を育てるのと同様に、水の性質に分類された物質(事象)は、木の性質に分類された物質(事象)を育てる(生む)のである

これを相生(そうしょう)(wikipedia)という(Wikipediaでは「そうせい」となっているが、どちらでも良いと思う)

この関係性を合わせて相生相剋といい、五行思想を現実に適用するための重要な概念となっていく
Wikipediaより



陰陽道

陰陽思想と五行思想という二つの思想を統合したものが「陰陽五行思想」である。そしてこの思想を日本で独自に発展させたのが陰陽道(おんみょうどう)である

陰陽道とは陰陽五行思想を背景にした、占術・呪術の技術体系であり、それに携わる者を「陰陽師」という

もっとも有名な陰陽師は安倍晴明であろう(偶然か否か、源の宮のモチーフと思われる平安期の人物である)



SEKIROにおける陰陽五行思想

さて、安倍晴明や陰陽師たちが重要視したのが、六壬神課(りくじんしんか)と呼ばれる占術であり、安倍晴明は『占事略决』という六壬の解説書まで書き残している

六壬神課には「六壬栻盤(りくじんちょくばん)(wikipedia)という式盤が使われるとされるが、この式盤、源の宮に堂々と置いてある


このことから、源の宮の文化に陰陽道があったことは間違いない

そしてその陰陽道は、「陰陽五行思想」の知識が大前提とされた占術・呪術体系である

であるのならば、SEKIROの世界とくに源の宮の文化を探る上で陰陽思想からの視座は外せないのである

ただし私の知識が根本的に足りないため、指摘できることは少ない。また「きれい」に説明できていない部分も多々ある
よって以下の記述は下書きのようなものである



注連縄ロボ

SEKIRO世界とは異質な感じのする注連縄ロボ

妖怪に詳しい人ならば「ダイダラボッチ」だな、とか神話に詳しい人なら「オオクニヌシ」だろうとか想定はつくが、インパクトを重視した演出の一環だろうとあまり取り沙汰されることはない

この注連縄ロボ、股間の部分に巨木でできた芯がありそこに霊符が貼られている

この霊符の上部は「鎮宅霊符(wikipedia)の「憑依」を意味する霊符である

※「鎮宅霊符」についてはグーグルで画像検索すると全72枚を見られる画像が出てくると思うので見比べてみて下さい(画質は悪いですが)



下部分はまだ解読できていないが、おそらく憑依しているモノを意味する文字だろうと思われる

さてこの鎮宅霊符、もともとは道教の霊符であるが、陰陽道では「鎮宅霊符神」という主要な神として祭られている

また霊符によって人形(ひとかた)に精霊を宿らせて、自在に使役するというのは、まさしく陰陽道のやり方である

この注連縄ロボは文化的・技術的に唐突に登場したわけではなく、源の宮に存在した陰陽道の技術を用いて動かされているのである

陰陽道ではこのような存在を「式神」という(wikipedia)

そして「式神」とは、六壬式盤に由来する呪術なのである

「式神」の解釈は密教の護法童子に似たものであるとか、精霊を使役するものであるとか諸説存在するが、最も有力なのは陰陽道で用いられる六壬式盤に由来するとの説であろう。(wikipedia)

つまり、この注連縄ロボは式神であり、源の宮に置かれている六壬式盤を用いて使役されていた、と「陰陽道的」に考えられるのである


また先の六壬式盤の横に置いてある霊符は「鎮宅霊符」の「警戒」、祭壇の中央に貼られたものは「精霊」の霊符である





奥の院の掛け軸

奥の院の掛け軸を陰陽五行思想の視点から見てみるとどうなるか

東壁


まず背を向け合っている女人図。右の女人は水瓶(すいびょう)を持つことから「水」、そして左の女人は光背が燃えているので「火」とする。さらに背を向け合っているのは、相剋関係にあるからだと考えると「水剋火」と読み解ける

残りは同じ要領で、左から二番目の女人が持つアクセサリーは金属なので「金」とみる。また左端の女人は「花」を持つので「木」とみる

すると、「火剋金」「金剋木」となり、四幅の掛け軸は「五行相剋」を表わしているとわかる



西壁


こちらは背を向け合っている図はない。このことから「相生」を表わしているとみる

花を持った女人は「木」。楽器を持った女人は「水」となるが、これは五行における五事では「聴」「水」だからである(wikipedia)。そして剣は「金」、素手の女人は袈裟の色が黄色であり、これは「土」を意味する

そうすると左から「土生金」、「金生水」「水生木」となるが、水と木の掛け軸を入れ替えているのが分かるかと思う

何故かというと「この二幅の掛け軸は順番を間違えられて貼られている」からだ

五行思想から考えるとこの順に並ばさなければならず、上記のような結論にいたった(※はっきりいおう苦肉の策である)



葦名

次に葦名の地理であるが、葦名の地図に方角を書き入れると下記のようになる(信心深き者が絶命時に指さす方角を西とした)


西に位置するのは仙峯寺である。この仙峯寺には「金属性」の仏像が乱立しているので「

に位置するのは仙郷であるが、ここは源の水の流れ出るところであるので「

にあるのは落ち谷であるが地図には巨木が描かれており、「」の地とすることができる

にあるのは炎上した「平田屋敷」ならびに異常な火(雷汞)をもたらす内府軍であるから「」となる

五行に当てはめると中央は「」となるが、「五虫」では「裸(人間)」であり、人の世界であることが示されている

と、このように五方(東西南北中央)において適した五行(木金火水土)が配されている
Wikipediaより



桜竜

さて、いくつかの考察で「竜と魚」は眷属関係にあることを示したと思う。なぜ竜と魚は眷属関係にあるかというと、五行思想の「五虫」において「竜と魚」は「」あるものとして、同一視されているからである(正確には竜は爬虫類として)

また五行において、竜と魚は「」の性質を持っている
桜竜のステージにが落ち、桜竜が強風攻撃してくるのも、五行における「」の「八卦」が「雷・風」だからである

また「」は、「五液」においては「」の性質を持ち、「赤の不死斬り(拝涙)」という「金」によってその「」が得られるのは、「金剋木」の関係にあるからである

これらの詳細はWikipediaの表を見て欲しい(Wikipedia)



蛇足

果たして五行思想によってSEKIROが説明できるのか、率直にいって自分でもよく分からない

五行思想によって日本神話や日本古代を読み解こうとする手法には、民俗学者の吉野裕子氏という有名な人がいて、私も何冊か著作を読んだことがあるが、よく分からなかったのを思い出す

よく分からないというのは、その方法論が理解できないということではなく、五行による解読法がはたして有効かわからないという意味である

五行思想はその思想からして、万物を「五要素」に分類するところから始まる。逆に言えば五行思想という計算機に通せば「万物」はその五要素に還元されるということになる

どんなものでも「五行という場」に持ちこんでしまえば、あとは五行の方法論によっていかようにも解読できるようになる気がするのだ

五行思想が占術として利用されているのも、状況によってあらゆる「解」を算出できるからではないだろうか、と凡人なりに疑問に思うわけである

とはいえ、陰陽道はその出自が陰陽五行思想に負うところが極めて大きく、またその思想体系が用いた呪術や霊符が平安期の日本において相当な影響力を持ったのはたしかである

もし源の宮のモチーフが平安期なのだとしたら、陰陽師や陰陽道の影が見えない方がむしろ不自然である

そしてその背景には当然ながら陰陽五行思想があるわけで、何らかの影響があってもおかしくはない。というより無くてはならない

問題はどの程度、陰陽道の影響を考慮に入れるかというところで、今回はとくに制限を用いず(掛け軸の順番を入れ替えることさえやった)、考察してみたものである

2019年7月24日水曜日

SEKIRO 補足4:動画05・06・07

分量が少なくスキップしても良かったのだが、補足と言うより訂正したい部分があったので記事にする


SEKIRO 補足5:考察勢が普通にSEKIROを遊ぶ動画05



訂正

04:40あたりで小太郎兵と言っているが、正確には「太郎兵
出丸にいる老婆は「敵将、田村主膳」の正室ではないかという仮説は、特に根拠のないものなので考察ではない

補足

ちょっとだけ修正した地図



SEKIRO 補足6:考察勢が普通にSEKIROを遊ぶ動画06


補足

わりと妄想まみれの回。
甲冑武者、信心深い者に関しては暇つぶしの雑談のようなものである

小太郎の話については、これまで考えたことがなかったが「真白い風車」の位置やお堂に「猿酒」が供えられていることから、そうではないかと思われる


SEKIRO 補足7:考察勢が普通にSEKIROを遊ぶ動画07



訂正

05:44あたりで「らっぱ衆()」となっているが、天狗は「孤影衆」も鼠と呼んでいるので、正しくは「らっぱ衆」である

」とは葦名城に忍び込んできた「忍び全般」のことだと思われる

また白頭巾を名無し、黒頭巾を名有りと判別したが、内府襲来時に白蛇の社で死んでいる正就が白頭巾であることから正確ではない


補足

落ち谷衆が「なぜ白い包帯で全身を覆っているのか」「なぜ白蛇を信仰しているのか」「なぜ淤加美一族に率いられているのか」といった疑問に対する答え

落ち谷衆はハンセン病(wikipedia)を患っているからである

かつてハンセン病は「レプラ」と呼ばれていたが、その語源を辿るとギリシア語の「λέπος (lepos) 皮・鱗」という言葉に行きつくという(定説ではない)

その名称からわかるように、この皮膚病は人の皮膚を鱗のように、つまり蛇のようにするのである

またかつて日本ではハンセン病は「白癩(びゃくらい・しらはたけ)」と呼ばれていたという説がある

『令義解』には「悪疾所謂白癩、此病有虫食五臓。或眉睫堕落或鼻柱崩壊、或語声嘶変或支節解落也、亦能注染於傍人。故不可与人同床也。」とあり、症状が進むと顔の凹凸が失われ、のっぺりとした白い蛇のような顔となる


以上のことから落ち谷衆と淤加美一族の関係も類推できる

落ち谷衆と蛇の目は、基本的には血縁関係に無い

落ち谷衆はハンセン病を患い共同体から追放された者たちである。彼らを保護したのが蛇の目たちであり、なぜかというと彼らの外見が蛇の目の崇拝する白蛇と酷似していたからである

落ち谷衆は自らの身体的特徴を神の意志の現われと考え、ゆえにその症状と似たモノ、つまり白蛇を崇拝しているのである

こうした「相似する二者のあいだに神秘的な繋がりを認める思想」を、神話学者のフレーザーは類感呪術と呼んだ

この類感呪術の思想は、SEKIROのなかに他にも認められる。例えば桜竜の右眼と隻狼の右眼付近の白い痣や、左腕の欠損。燃え上がる左腕と不動明王の消失した左腕。桜竜化する貴族たちなどである



蛇足

落ち谷衆に関する補足は削除するかもしれない

2019年7月22日月曜日

Sekiro ボスラッシュMOD

待望のボスラッシュMODがnexusに上がっていたので導入してみた

導入法

※MODの導入は自己責任でお願いします。最悪の場合、セーブデータ喪失やプログラムの再インストールといったトラブルに巻き込まれます

1.Boss Rush modSekiro Mod Engineをダウンロードしてくる
2.解凍して出て来たbossrushフォルダをSEKIROのゲームディレクトリにコピー
※デフォルトだとSEKIROのディレクトリは下線の場所

3.Modengineフォルダにある「dinput8.dll」と「modengine.ini」を同じくSEKIROのゲームディレクトリにコピー


4.modengine.iniをテキストエディタかメモ帳で開き、「modOverrideDirectory="\mods"」のmodsの文字をbossrushに変更して上書き保存


※これまで使っていたMODを使いたい場合、modsフォルダの中のファイルをbossrushフォルダにコピーするのが楽
※modsフォルダにbossrushフォルダの中身を突っ込んでも構わないがトラブルを避けるためにフォルダを分けた方がよい

5.ゲーム起動(事前にセーブのバックアップ推奨)。必ずNEWGAMEからスタート。既存のセーブは使わないこと(最悪セーブデータが破損する恐れがある)

6.オープニングを飛ばす。井戸底に見慣れぬ鬼仏があるので触れる

7.誰もいない荒れ寺へ移動(裏に神食み、鬼仏近くに「はちきれ銭袋」)

8.鬼仏に触れるとメニューが出る

9.Boss Rushを選ぶとボス選択画面に遷移

10.消費アイテムや、義手忍具用アイテム、伝書や念珠、瓢箪の種などはアイテムとして購入できる

11.「はちきれそうな銭袋」を売り、アイテムを揃えボス戦へ
ボスを倒すことで得られる「はちきれそうな銭袋1個」を売ってキャラクターを強化していくスタイル

12.「帰り仏」を使用することで荒れ寺へ帰還。「最後に対座した鬼仏」を選択すると、ボスステージをリセットすることができる。鬼仏は使用すると一瞬で作動する

13.アンインストールするときは、bossrushフォルダを削除。modengine.iniの記述を元に戻す(bossrush→mods)。MOD導入時に作製したセーブデータはゲーム的に壊れている可能性が高いので削除したほうがよい

感想

時間がなかったので最後まで倒せていないが、アイテムの所有状況やスキル取得状況が異なるので勝手がちがうせいか、やけに難しく感じる

死んでも鬼仏からボスステージまで走る必要がないので練習にはもってこい。戦闘の途中でやり直したくなったら鬼仏使用で戦闘開始の状況にリセットできるのも良い

倒したボスとも再び戦えるので、いちいちNewgameする必要がない





2019年7月19日金曜日

Death Stranding 考察22 胡桃の核へいたりし者

「このハムレット、たとえ胡桃の殻に閉じこめられていようとも、無限の宇宙を支配する王者のつもりになれる男だ。悪い夢さえ見なければな」(『ハムレット』意訳)

前回の考察がやや観念的なものとなってしまったので、今回はよりゲーム内世界に即した考察をしてみたいと思う

前回の考察は言うなればゲームシステムに関するメタ考察であった。ソーシャル・ストランド・システムとは何か、プレーヤーは何者か、を高次(現実)の視点から俯瞰したものである

そこにはデスストランディングの内的世界、つまりサムの側からの視点は欠けていた(あるいは不足していた)

そこで今回はいったいサムの住む世界に何が起きたのか、どうして世界が分断されたのか、BTとは何か、そもそもデスストランディングとは何か、をゲーム内の世界観をもとにして考察してみたいと思う

※前回の考察と結論を変更した部分もある


世界

まず、サムのいる世界には複数の世界が存在する。これは、ハデスの存在やそこからやって来るBTといった異世界生物から帰納法的に導き出せる解である

世界が複数あるがゆえに、一方の側からもう一方の側へと座礁(ストランディング)することも可能になるのである

もしハデスが地球と同じ物理法則に支配されているのだとしたら、極論してしまえば「脅威」にはならない。だが、トレーラーでかいま見える時雨やBTの引き起こす現象は、地球の物理法則に従っているとは思えない

ゆえに、世界は複数あり、双方の物理法則は異なると考えられる

こういった不可解な状況を「科学的」に説明しようとする時によく持ち出されるのが前回でも触れた「多世界」である

前回はエヴェレットの多世界解釈を例としてあげたが、理論物理学的に考えられる「多世界宇宙論」は、いくつも存在する(参考:多元宇宙論 Wikipedia


これらの「多元宇宙論」をひとつひとつ検討していく余裕はないし、私自身が理解できている自信がないので、このうちのひとつに絞りたいと思う

そのためのキーワードになるのは「爆発」である

昔 爆発があった
この宇宙は 爆発で生まれた

昔 爆発があった
この星 爆発で生まれた
昔 爆発があった
この生命は 爆発で生まれた
そしてまた 爆発が起こる
これが 我々の目撃する
最後の爆発になる
(2017トレーラー)

ここには、我々の「宇宙を生んだ爆発」から我々の「宇宙を終わらせる爆発」までが表わされている

わざわざ「我々の」と主語をつけたのは、「我々の知る宇宙」というニュアンスを表現したかったからである

つまり、爆発により「我々の知る宇宙」が生まれ、爆発により「我々の知る宇宙」が終わる、という認識論的な視点を導入したかったのである

なぜか?

全宇宙には「我々の知る宇宙」と「我々の知らない宇宙」が並存しているからである

永遠のインフレーション理論(英語版 wikipedia)によれば、宇宙は永遠に膨張していくという。その結果、ある空間領域において「」のような小さな宇宙が誕生するという

この小さな宇宙を泡宇宙というが、この泡宇宙は我々の知る宇宙と同じように「爆発」(ビッグバン)とそれに伴うインフレーションによって膨張していくという

この泡宇宙のひとつが「我々の知る宇宙」である

そして宇宙全体としては永遠に膨張していくのだから、宇宙には泡宇宙が無限に生み出されることになる(小さな宇宙の大きさはハッブル球殻に等しい)

無限の宇宙には無限個の泡宇宙が存在し、また生まれ続けているのである。そしてこれらの異なる泡宇宙は、それぞれ異なる物理法則を持つのである

異なる泡は異なる自発的対称性の破れを経験するであろう。その結果、異なる物理定数のような異なる性質を持つ(wikipedia)

泡宇宙は無限にあるのだから、すべての物理法則はすでに無限の泡宇宙のなかに実現しているか、いつかは実現されると考えられるのである(物質で出来た宇宙もあれば、反物質で出来た宇宙も理論的には存在しうる)

二つの泡宇宙の間にはインフラトン場という「場」が広がっており、それがつまり全宇宙を満たしている場でもあるのだが、永遠のインフレーションにより膨張しているために、ふつうは泡宇宙どうしは衝突しない

だが、泡宇宙の膨張速度が永遠のインフレーションの膨張速度を超えると、二つの泡宇宙は徐々に接近してゆき、やがて衝突する

この衝突は「爆発」のようなものになる可能性もあるし、また「座礁」のように比較的おだやかな衝突となる可能性もある

さらに量子トンネル効果により、一方の物質が他方へ漏れ出すことで「」のように降り注ぐ可能性もある

あるいは、ひも理論によれば、「重力子」は宇宙にひも付けられていないために、泡宇宙の間を跳び越えて移動できるという。そうして移動してきた他世界の重力子が「雨」のように降り注いでいるのかもしれない

重要なのは、双方の泡宇宙は物理法則が異なることであり、特に「ヒッグス場」の性質(値)が異なるであろう点だ

ヒッグス場とは、ほぼすべての粒子に質量を与える場であり、その値が異なると言うことは、「重力」が異なることでもある

そして重力(正確には重力ポテンシャル)の大小は、時間の流れの速度を左右するために、二つの泡宇宙が「座礁」した際には「どちらの世界に属するかによって」時間の流れの速さが違ってくるのである


以上のように考えると、2017年のトレーラーで示された「爆発」の意味は以下のように考えられる

我々の知る宇宙は「爆発」により生まれ、我々の知っていた宇宙は二つの泡宇宙の衝突という「爆発」により終わる

世界が分断されたのは部分的に物理法則が乱れているからであり、BTとはその他宇宙からやって来るものであり、それらは、サムの住むに宇宙に別の宇宙が座礁したこと、つまりデスストランディングにより引き起こされたのである

その別の宇宙は「反物質」で構成されているがゆえに、サムの世界の物質を接触すると「対消滅」を引き起こすのである。座礁が進めば、やがて泡宇宙どうしが完全に衝突し、双方の宇宙は「対消滅」を起こして消滅する

また泡宇宙の相違を強調してきたが、無限の泡宇宙のなかには「ほぼ同一の泡宇宙」も存在する。そこにはやはりサムがいて、やはりアメリカが分断され、やはり運び屋をしているかもしれない

それがつまり(またメタ的になるが)、他のプレーヤーがプレイするデスストランディングの世界なのである



蛇足

正直なところ、多元宇宙論やらひも理論やらインフレーション理論を少しでも理解しているかと問われれば、答えはノーである。というより、まったく理解していないに等しい

なので本当は観念的、思弁的(妄想)な考察に終始したいところだったが、サムのネックレスなどであれほど数学の方程式を強調しているのだから少しは関係あるだろうと思い書いてみたものである

とはいえ初歩的な数学すら理解が怪しいうえに、わからないところは適当に妄想で補っている。よって、科学的な宇宙論というより、宇宙創成神話論のようなものである


かれらは行く! かれらは行く! わたしは知っている、かれ
   らは行くと、だがわたしは知らない、かれらが何処へ行く
   かを、
 しかし、わたしは知っている、かれらが最良のものへと――何
   かしら偉大なものの方へと向かって行くのを。(『ホイットマン詩集―対訳』 岩波文庫―アメリカ詩人選)

2019年7月15日月曜日

Sekiro 考察43 平田屋敷

若様の守り鈴


拝んで、祈る

仏師:目をつぶり、鈴の声を聞いてやるといい
その鈴の音が、呼び覚ますじゃろう
眠っちまってる、お前さんの古い記憶


平田屋敷に行った後

仏師:…戻ったか

隻狼:あれは… 夢なのか…
それとも、真にあったことなのか

仏師:さてな
夢か、現(うつつ)か… 儂にも定かなことは分からん
一つ言えるのは…

仏師:仏さまは、お前さんの古い記憶を
起こしてくださっているだけじゃ

仏師:お前さんが、どう思い、どう覚えていたか…
すべては、それしだいじゃ

隻狼:見るものすべてが、正しく起こったことはか、分からぬ…

仏師:そういうことじゃ


古い記憶

仏師のセリフを曲解せずに受け取るのならば、隻狼は古い記憶の世界へ行き戻ってきた、ということになるだろう

しかしながら、そう考えると数々の疑問が出てくるのである

例えば「古い記憶の世界」という架空の世界で取得したアイテムを帰還した隻狼が所持しているのはなぜなのか。また、架空の世界で穴山を殺すと、現実世界の穴山が消滅するのはなぜなのか、といった疑問である

前者においては隻狼の記憶から「物理的に実在する世界」が創造された、と考えるのならばいちおうの説明はつく

だが仏師によると、そもそも仏さまは「お前さんの古い記憶を 起こしてくださっているだけじゃ」であり、世界を創造するほど大それた事をしているわけではなさそうである

また穴山との因果関係はどうとらえたら良いのであろうか。なぜ記憶の世界で穴山を殺すと、現実世界の穴山が消えるのか。穴山は隻狼にしか見えない人物と考えることもできるが、小太郎との絡みを見る限り、そうでもなさそうである

以上のように平田屋敷=隻狼の記憶の世界と考えると、矛盾や不整合、不可解な現象が発生してしまうのである

この状況を図にしたものが以下である


非現実世界説と似た説に、世界分岐説がある。過去の平田屋敷がもうひとつあり、その時空に隻狼が飛ばされたという説だ
分岐説においては穴山との因果関係は説明できるが、ストーリーの冒頭、井戸底にいる隻狼に左腕がある説明ができない


ここは素直に、平田屋敷と現在の葦名とは時間の流れが繋がっている(同じ世界線にある)、と考えるのがより自然であろうと思われる

だが、平田屋敷を実在した過去として考えるとふたたび疑問が浮かぶ。現在の隻狼が過去にタイムワープなり時間遡行なりしたとして、ではそこにいるはずの「過去の隻狼」はどこへ行ったのか

なぜ現在の隻狼は過去の隻狼と出会わないのか。その後の物語の流れを見ると、過去の隻狼はほぼ同じ行動を取っていなければならない。だが、存在しているのは「現在から過去へ飛んだ隻狼」だけである

また実在する過去でお蝶と戦ったのは忍義手をはめた隻狼であり、であるのならば、影落としをされたのも忍義手の隻狼であるのにもかかわらず、ストーリーの冒頭、井戸底で目覚めた隻狼の左腕は健在である

戦いの直後に遅れてやってきた過去の隻狼が身代わりに影落としされたという仮説も思い浮かんだが、そんな描写はないうえに、あまりに間抜けすぎるので黙殺する

以上のタイムスリップ説を図にしたものが以下である



さて以上の仮説に登場する矛盾点が発生しないようにしようとすると、次のような仮説が立てられる

「平田屋敷は現実にあった過去であるけれども、そこで活動したのは現在(つまり未来)の隻狼であった。その未来の隻狼は過去の隻狼と入れ替わっており、その入れ替わりは平田屋敷クリアと同時に解消された」

これを図にしたものが以下である


入れ替わりのタイミングとしては、イベントムービーが入る直前であろうかと思う


シュレーディンガーの穴山

なぜこのような非常識な入れ替わりが可能であるかというと、過去の平田屋敷において、過去の隻狼と未来の隻狼は重なった状態にあるからである

過去と未来の隻狼という二つの事象が重なった状態にあり、その状態において隻狼は、過去でも未来でもない確率的な状態として存在しているのである

また平田屋敷全体が、あらゆる可能性を内包した確率的な状態となっており、何も確定していない不確定な状態に置かれているのである

この不確定な状態を確定するためには、観測者による観測という行為が必要となってくるが、その観測者として選択されたのが、未来から来た隻狼である

※仏さまは古い記憶を「起こす」という。記憶を起こすとは、もう一度その記憶を見せることであり、つまり観測者にするということである

ゆえに、出来事は観測者(未来の隻狼)の観測のとおりにすべてが確定されていくのである

そしてムービーの開始と同時に、未来の隻狼は観測者としての特権を奪われ、それは過去の隻狼へと返されるのである。ムービーにあった出来事は見ている。見ているがそれは過去の隻狼が観測した事象を後追いで見ているに過ぎず、ゆえにそれは「古い記憶」と呼ばれるのである

要するにシュレーディンガーの平田屋敷である
過去という箱のなかに、重なった状態の平田屋敷が入れられており、その不確定の状態を確定するために観測者たる隻狼が送り込まれたのである

穴山の生死は、観測者である隻狼の観測によって決定されるが、観測者自体が系に内包された存在であるがゆえに、原子の振る舞いが猫の生死を決めるように、隻狼の振る舞いが穴山の生死を左右するのである

※参考:シュレーディンガーの猫 Wikipedia


義父の守り鈴

義父の守り鈴
義父の亡骸からこぼれ落ちた守り鈴

この鈴は義父が長く持っていた
荒れ寺の仏に供えれば、
また異なる古い記憶が見られるだろう

守り鈴のある訳は、もはや知る由もない
義父の為のものなのか、
あるいは渡せなかった、誰かの為か…

人返りルート
隻狼:これは、鈴か…

エマ:きっと、梟殿の亡骸から、こぼれ落ちたものでしょう
梟殿と貴方は、縁(えにし)が深い…
それを供えれば
また異なる記憶が、見られるやもしれません

隻狼:…供えてみよう

エマ:どういった記憶かは、分かりません
ですが、それは、梟殿が持っていたもの
どうか、お気をつけて…


若様の守り鈴とは異なり、義父の守り鈴の見せる平田屋敷は、現在の葦名とは繋がっていない

というのも、義父の平田屋敷において義父を殺したとしても、現在の葦名においては「義父は生きていた」ことになっているからである

これは孤影衆 槍足の正長にも同じ事がいえる。義父の平田屋敷で正長を殺したとしても、現在の葦名において正長は「生きている(白蛇の社)」

さらにいえば、義父の平田屋敷には「穴山は存在しない」のである(例のお社の前から消えている)

厄介な穴山がおらず、現在と世界線が異なるのであるから、新しい世界を創造したなり、世界が分岐したなり何でもありであるが、世界の創造は上で却下している

残るは世界の分岐であるが、それを裏付けるセリフが正長との戦闘開始時に聞かれる

正長:…ほう、話が違うではないか
お主… 何故生きておる
…まあいい 始末すれば、辻褄も合うというものよ

正長のセリフからは、隻狼が生きているのは話が違い、死んでなければならず、しかし始末すれば、辻褄も合うということがわかる

つまりこの世界において隻狼は「死んでなければならない」のである

事実、正史では梟に影落としを決められて瀕死状態にあったはずで、それが梟や孤影衆の計画であった

だがこの世界ではその歴史の流れをたどらなかった

端的に言ってこの世界の隻狼は影落としを決められていないのである

その直前に未来からやって来た隻狼と入れ替わり、過去の隻狼は隠し仏殿から姿を消してしまっている。梟が隠し仏殿に来たのはその直後である

というのも、もし影落としを決められていたのだとしたら、後の梟戦において梟がそれについて触れるであろうからだ

また、隠し仏殿にもう一人の隻狼が倒れていないことからも、影落としをされる前だということがわかる。梟にとって隠し仏殿に到着した隻狼は、お蝶を撃退した後にどういうわけか平田屋敷にとって返し、そこに配された孤影衆たちを斬り伏せてきた、強敵である

梟:あの日、戦場で拾った飢えた狼が… よもや、ここまでになるとはな…

という梟の言葉は、そうした凄腕の忍びとなった隻狼にかけられたものである

※実際にどの時点で世界が分岐したのかを確定することは難しい。影落としを決められる前である可能性は高いと思われるが、そのはるか以前ということも考えられる。うわばみと重蔵と二度戦うことから重蔵と戦う前に分岐したとも考えられる


さて、話が少しそれたが、要するに義父の平田屋敷は元の世界から分岐した世界である。分岐しているので現在の葦名とは因果関係が繋がっておらず、義父や正長の生死は現在の葦名と関わりがない

関わりがないとはいえ、ここもまた正真正銘の実在する世界であるのでアイテムを取得し、持ち帰ることができる(その最たる物が「常桜の花」)

以上を図にしたのが以下である


隻狼は現在aから分岐した過去へ行き、ふたたび現在aへと戻ってくる
分岐した過去の世界は現在bとして続いていくが、現在aの隻狼とは関係ない



蛇足

実際のところ穴山さえいなければ、「記憶の世界へ行き、仏さまの不思議な効験によりアイテムを持ち帰ることができた」という結論で済む話である

だがここに穴山との因果関係が絡むのでややこしくなる

義父の平田屋敷に穴山がいないことから、このややこしい世界構造は意図的なものかもしれない

2019年7月14日日曜日

SEKIRO 補足4:考察勢が普通にSEKIROを遊ぶ動画04


平田屋敷

動画では平田屋敷を「現実の過去に構築された“現在の”隻狼用アトラクション」と説明しましたが、その補足です

例えば平田屋敷を完全な非現実世界とすると、取得したアイテムを持って帰ってこれることや、穴山との因果関係破綻します
平田屋敷の穴山を殺すと現実の穴山も消滅するのは、平田屋敷が完全な非現実世界でないことを示しています



逆に完全に「現実にあった過去」とすると、もう一人の隻狼と出会わないことや、忍義手をはめた隻狼が影落としされているはずなのに、その三年後の井戸底の隻狼に左腕があることが説明できません



さらに飛躍させて世界が分岐したと考えたとしても、穴山との因果関係は説明できますが、井戸底の隻狼の左腕は説明できません



以上の矛盾点を説明することができるのは、「平田屋敷は現実にあった過去であるけれども、そこで活動したのは現在(つまり未来)の隻狼である。また未来の隻狼は過去の隻狼と入れ替わっており、その入れ替わりは平田屋敷クリアと同時に解消される」となります



入れ替わりのタイミングですが、イベントムービーが入る直前か影落としを食らった直後、あるいは不死の契りの直前であろうかと思われます
ムービーと同時に入れ替わりが解消された、とするのがわかりやすいと思います


蛇足

先の話になりますが、義父の守り鈴を使って行ける「平田屋敷」はまた別のシステムかもしれません(まだ何も考えてませんが)

2019年7月12日金曜日

SEKIRO 補足3:考察勢が普通にSEKIROを遊ぶ動画03




呉子

『呉子』というのは春秋戦国時代の軍人、「呉起」を主人公にした兵法書である

この呉起という人は一言で言うのならば職業軍人で、幾度も主君を変えてはその国を立て直し、あるいは勢力を拡大させた人物だ

現代に置き換えるのならば、複数の会社を渡り歩き業績を改善させるプロ経営者のようなものであろうか

その手法も、現実的かつ合理的な社内改革と、徹底したコストカットによる財務状況の改善というように、プロ経営者と通じるところがあり、最期は旧勢力に妬まれて殺されるところなど、昨今の某有名企業の某CEOと被るところがある(某CEOが返り咲いたように、呉起もまた死後に一定の報復を果たしている)

また呉起は根っからの叩き上げ軍人でもあり、『呉子』に記された兵法も、戦略・政略的な『孫子』に比べると、より現場主義・実務的な内容である(悪く言えば応用が利かない)

若き頃は孔子の弟子である曾子に儒教を学んでいたものの、母が死んだときに帰らずに破門され、後には自分の妻を殺してまで将軍になろうとするような、冷淡、残忍な人物とさえ見られていたのである

この『呉子』の物語設定もまた、君主に登用面接を受ける呉起という場面から始まっている。自らの能力をアピールしなければならない状況である。君主としては、国を護りまた勢力を拡大するために有能な将軍を採用したいと考えている

そんな場で、「玉砕精神」を説く人材を採用する君主はいないだろう

と、いうことで動画では「有死之榮 無生之辱」は「玉砕精神」を説いたものではない、とする解釈を採った

区別がつきにくいが、「死ぬことで初めて栄誉を得られる」と「死ぬことがあっても栄誉を得る」とはニュアンスがやや異なるのである

前者だと「生きることは恥」に繋がり(「玉砕精神」だとそうなる)、「無生之辱」(例え生きても恥にはならない)の意味と繋がらないのである

時代的には多くの国が覇を争い攻防を繰り広げた、生き馬の目を抜く春秋戦国時代である。諸子百家のなかには「玉砕精神」を説いたものがあったかもしれない

しかしながら、プロの職業軍人であり、出世のためなら母や妻を犠牲とし、母国が傾くや母国を捨てて別の国へと立ち去ったとされる呉起が、それを説いたとは思えないのである(部下の軍人にはやたらと優しいが)

呉起の最期も、君主の遺骸の下に隠れて降り注ぐ矢を受けたとのことだが、これも乱を起こした者たちに死後に報復するためであり、ここには徹底した実利主義を見るのである(亡き君主に矢を射た者たちは、新王に一族郎党誅殺された)


蛇足

内府襲撃後の七本槍・鬼庭主馬雅次は、こう口にする

雅次:よし… 弦一郎様が戻られたら、はじめるぞ
…竜胤とともに、葦名を興すのだ

また水生氏成も次にように呟く

水生氏成:…一心様、お借りいたします
見ていて下され…
この戦、我ら葦名衆が、必ずや

葦名弦一郎もそうであるが、いっそ醜いまでに生や葦名に執着している。自らを犠牲に一心を黄泉返らせたのも、栄誉というよりも葦名への執着心である

ここに醜く生きて葦名を存続させるよりも、潔い滅亡によって名誉を守るとする、死の美学は見受けられない

とはいえ、「有死之榮 無生之辱」の解釈は最終的には人によって様々であろう

2019年7月8日月曜日

Sekiro 考察42 竜の故郷

変若水

竜の故郷を考察するにあたり、まずは変若水の考察から始めたいと思う

ゲーム内における変若水の効果としては以下のようなものが挙げられる

・葦名の赤目を作る(赤備えの火消し粉)
・道順の施術は「変若水の施術」と言われている(「鯉の赤目玉」)
・変若水の濃く溜まった場所に「馨し水蓮」が咲く(「馨し水蓮」「香花の手記」)
・変若水の中でも特に濃いものを「変若の澱」という(弦一郎戦後のエマ)
・澱を口にした者は、「当然に死んでいるはずの斬撃に耐えるほど強靱な肉体に、変貌する」(弦一郎戦後のエマ)
・その源は竜胤にある(残影)

かつて現実の神話や伝説に登場する変若水を考察したことがある。その時は、「月神がもつ若返りの水であり、人間がそれを被れば不老不死となるが、神話や伝説の多くの例で蛇に奪われてしまう」というような例を出した

しかしながら、これだけではSEKIROの変若水に対する解答としては不十分であった。どうにも核心に迫りきれておらず、隔靴掻痒の感があったことは否めない

竜の故郷を考察する上でも、西方浄土か月かぐらいにしか対象を絞りきれず、後のことは想像に任せることしかできなかった

と、いうことで今回はさらに深く変若水について情報を集めてみたものである


ミブ

変若水について民俗学者の折口信夫は、貴人の産湯に使われた水をかつては変若水と称した、という

貴人誕生に壬生(ミブ)の汲んでとりあげる水は、即、常世の変若水(ヲチミヅ)であつたのだ。(『貴種誕生と産湯の信仰と』折口信夫)

そして変若水を用いて沐浴すると、人はすべて始めに戻る、という

其水を用ゐて沐浴すると、人はすべて始めに戻るのである。此を古語で変若と云ふ。 其を又変若水と称する。(『貴種誕生と産湯の信仰と』折口信夫)

始めに戻る、とは変若水の名前からして若返ることをいう
正しく若返りの水である

さて、ここに登場する「壬生(ミブ)」とは何者か

折口信夫によれば、壬生は語源をさかのぼると丹生(ニフ)といい、水神の信仰と結びついているという

にぶ(壬生)又は、みぶとも云ふ。語源をさかのぼると丹生(ニフ)の水神の信仰と結びついてゐるのである。(『貴種誕生と産湯の信仰と』折口信夫)

そしてこの壬生というのは特定の目的のために組織された聖職団体であるという

その目的とは貴種の子(御子)禊ぎの水をそそぎ、扶育・教養・保護することである

産湯から育みのことに与る壬生部は、貴種の子の出現の始めに禊ぎのを濯ぐ役を奉仕していたらしい。(『水の女』折口信夫)
さらに御子が死んだ後は、その御子が生きていたことの記念の団体として残ったという
みこ(御子)生れ給ふと共に、産湯の儀式を行ふ。其際に、其みこの一生に関聯深い壬生部(ミブベ)と言ふ部曲(かきべ)――聖職団体――が定まる。其々のみこの扶育・教養・保護凡(およそ)すべて其一代を守り申す壬生職なる家族――氏――の下にあって、其みこの一代を通じて奉仕し、更に他界の後、其みこの、此世にあつたことの記念の団体として残つたのである。(『貴種誕生と産湯の信仰と』折口信夫)

この団体を宰領するのが壬生氏である

まづ御子が産れると、其御子をば、豪族に附託して、養育せしめる。昔でいふと、其家筋を壬生氏といふ。壬生氏は、壬生部といふ団体の宰領である。(『貴種誕生と産湯の信仰と』折口信夫)

なぜこのような役目に壬生の名が付けられたかというと、壬生水神信仰と結びついているからである

禊ぎによって、水の神の魂御子におつけすることで、その御稜威(みいつ)を増大せしめ、あるいは御子を守護するのである

水の魂をして、天子様となるべき尊い御方におつけ申すのだ。水中の女神が出て来て、お子様のお身体に、水の魂をおつけ申して、お育て申す儀式である。(『大嘗祭の本義』折口信夫)

SEKIROに登場する水生村も、まったく同じように水への信仰を持っていた。そしておそらく、竜胤の御子の養育を任せられていたのであろう

なぜならば「輿入れの儀」には竜胤の御子の血が必要であるが、水生村に御子がいたとすれば、その血の調達も可能であるからだ(不死斬りがあればの話だが)

さて、以上のように変若水水神や貴種の御子と関連し、またそれを養育する部曲には「ミブ」の名がつけられている

変若水の中に神が溶けているというような考察をしたことがあるが、まさしく現実における変若水にも神が宿っているのである


常世

神の宿る変若水は常世から来るという

即、其水の来る本の国は、常世国であり、時は初春、及び臨時の慶事の直前であつた。(『貴種誕生と産湯の信仰と』折口信夫)

SEKIROと比定するのならば、常世の国とは源の宮のことである

というのも、桜竜の開発中の名前が「人魚竜」であり、竜宮に居たと思われることから、源の宮の根源的なモチーフは「竜宮城」であるが、その竜宮城は常世の国だからである

浦島子の行つたのも、やはり常世の国であった。(『古代生活の研究』折口信夫)

山中常世が想像されるようになったのは、道教の蓬莱山や仙郷の影響であり、もとは常世の国は海の彼方にあったという

常世の国を、山中に想像するやうになつたのは、海岸の民が、山地に移住したからです。(『翁の発生』折口信夫)


常世神

そしてその海の彼方の常世の国からは、まれびとがやって来たという

大昔には、海の彼方の常世の国から来るまれびとの為事であつたのが、後には、地霊の代表者なる山の神の為事になり、更に山の神としての資格に於ける地主神の役目になつたものでした。(『翁の発生』折口信夫)

この常世の国から到来する存在を、折口信夫は常世神とも呼び、次のように説明している

常世神とは――此はわたしが仮りに命(ナヅ)けた名であるが――海の彼方の常世の国から、年に一度或は数度此国に来る神である。(『鬼の話』折口信夫)


わたつみの宮

では、常世の国とは具体的にいえば何か

折口信夫によれば、わたつみの宮(海神の宮)であるという

わたつみの国も常世の国と考へられて行つた。(『国文学の発生(第四稿)』折口信夫)

飛鳥時代にすでにわたつみの宮常世の国と同じ場所という観念が存在していた

浦島の話は、更に一つ前之飛鳥の都の頃に既に纏まつて居たものらしいが、早くもわたつみの宮ととこよの国とを一つにしてゐる。(『古代生活の研究』折口信夫)

この時代に想像されていた常世の国は、不死常成の楽土で有り、恋愛の理想国でもあった

常世の国を理想化するに至つたのは、藤原の都頃からの事である。道教信者の空想した仙山は、不死常成の楽土であつた。其上帰化人のシナから持ち越した通俗道教では、仙郷を恋愛の理想国とするものが多かつた。(『古代生活の研究』折口信夫)

常世と恋愛の結びついた物語は、浦島太郎の物語の他に、『古事記』のホオリの命(wikipeida)の神話がある


この神話では、常世の国は疑いも無く海中にある国として描かれている

我国のとこよにも恋愛と結びついて居るのは、浦島の外に、ほをりの命の神話がある。此は疑ひなく、海中にある国として居る。(『古代生活の研究』折口信夫)

この海中の国は、海神(わたつみ)の宮と言われている

此海中の地は、わたつみの国と謂はれてゐる。(『古代生活の研究』折口信夫)


整理

ここで一度整理しよう

変若水とは常世から流れてくる若返りの水である。貴種の御子壬生部の汲む変若水によって水の魂を付与され、若さと御稜威を得る

その変若水の流れてくる源には常世の国があり、それは道教の影響を受けて山の中に存在する。しかしながら、もっと古い形では、常世の国とは海の彼方にある国であった

海の彼方の国とは、ホオリの神話にあるように、海神の住まう国であり、それは常世の国と同一視されていた


小さな神

そうした常世の国からは、一年に一度あるいは数度常世神がやって来る

ここにスクナヒコナという神がいる(wikipedia)
常世から渡ってきたとされる、小さな神である

特に伯耆の伝説では、此神が粟幹に弾かれて常世国から渡つて来られた事になつてゐる。(『偶人信仰の民俗化並びに伝説かせる道』折口信夫)

この神は、医薬の神であり最後には粟に弾かれて常世の国へと帰っていく。粟に弾かれて、とあるようにこの神はとても小さい

折口信夫も、常世から来る神は大抵小さな神だという

常世の国から来るのは、大抵小さな神である(『古代人の思考の基礎』折口信夫)

そしてこの小さな不思議な神は、もとは霊魂の信仰であったという。

小さな不思議な神は、もとは霊魂の信仰であつた。荒魂・和魂が、時代を経てから、すくなひこの神に考へられて来た。魂から、神になつて来たのである。かう見なくては、日本の神典の、神と魂との関係は訣らない。(『古代人の思考の基礎』折口信夫)

SEKIROにおいて変若の御子が成る「揺り籠」とは、魂の乗り物なのである。ゆえに、竜胤、つまり常世の神が移動するときには、元の「」の姿でなければならないのである

常世神とは、小さな神であり、それは霊魂が神となったものであるからだ

そして竜が帰る故郷とは、常世の国、つまり海神(わたつみ)の国である


竜の到来

かつて神なる竜が日の本に流れ着いたときに何があったのか。私が下手に再構成するよりも、折口信夫の著作からの引用のほうがわかりやすいであろう

幼い神が海のかなたの常世の国から、うっかり紛れて、此土に漂ひ寄る。此を拾ひあげた人の娘が育みあげて、成人させて後、其嫁となって生んだのが、村の元祖で、若い神には御子であり、常世の母神(オヤガミ)には御孫(ミマ)の御子だと考えられた(『山のことぶれ』折口信夫)

幼い神を拾い育てる娘は、多くの場合こう呼ばれる

神の嫁、「巫女」と



蛇足

見ての通り、引用まみれである
読む方も大変だと思うが、引用するのも大変だった(コピペではなく、キーボードで手打ち)

ゆえに、ずっと以前からうっすら考えていたものの実行に移せなかった考察である
その出来はよくわからない。ほぼすべてを折口信夫の著作から引用したので、かなり偏った考察になったとも思う

であるので、こういう考え方もある、程度に思ってくれたら幸いである


2019年7月7日日曜日

SEKIRO 補足2:考察勢が普通にSEKIROを遊ぶ動画02

補足と訂正記事


季節

動画内で隻狼の眠っていた期間を考察したが、その際、源の宮について深く切り込めなかったので、補足してみたいと思う

作中の季節は動画で示したとおりである
降雪、ススキ、紅葉は成立しうる


しかしながら、源の宮は例外で朱の橋を源の宮に含めるのなら、四季が揃っている
朱の橋には秋(紅葉)と冬(雪)、源の宮の内には春(桜)

アヤメとスイレン(初夏)、レンゲ(夏)

源の宮に四季の花々が見られるのは何故かというと、ここが「四方四季の庭」だからである

四方四季の庭というのは、御伽草子『浦島太郎』の竜宮にある庭で、同時に四つの季節が見られる理想郷のことである(竜宮 Wikpedia

竜宮とSEKIROの関係については、桜竜はもとは「人魚竜」と呼ばれていたことや、モチーフの一つである藤原秀郷と竜宮の関わりが深いことなどが挙げられる

この四方四季の庭もそのうちのひとつであるが、四方四季の庭という趣向そのものは異界を表現するポピュラーな表現方法である

 こうした「四方四季の趣向」は、徳田和夫が『お伽草子 研究』のなかで詳細に論じているように、鎌倉時代から広く民間に流布したもので、お伽草子「浦島太郎」の竜宮城のみでなく、酒呑童子伝説を描くお伽草子「酒呑童子」の鬼が島、同じ「七夕」の天上世界、「釈迦の本地」の天竺の内域など、さまざまな異界(神の住居の内部の趣向)として利用されていたものであった。さらに、この「四方四季の庭」は人間界と異界の時間の質の違いが生じる源泉として設定されたものであった。(『神隠しと日本人』小松和彦 角川ソフィア文庫)


薬水瓢箪

薬水瓢箪の神力を「小さな神々」に帰したのは、薬水瓢箪の効果が体力の回復だからである

神食み」はその名称のとおり、神を食らうことで体力を回復させるアイテムである。つまりSEKIROの世界では神を食らうと体力が回復するのである

他にも例えば「お米」は竜胤の血から出来ると直接的に記されており、竜胤は神なる竜なのだから、その血から出来た米を食らうのは、神を食らうことと同じである

また体幹を回復させるは「が良いのか、葦名の柿は滋養がある 柿はとなる。血は米となる」とあり、葦名の水が葦名の柿を実らせ、それが血となるとされる

ここで水は柿を介して血に変化するのであるが、その血は「お米」を実らせる神の血である。葦名の水に溶けた小さな神々が柿を介して、竜胤のとなったのである

またもともと変若の御子とは、名称からして変若水の影響がうかがわれる。なぜ変若水によって神なる竜の御子が誕生したのか。そこに神が宿っていたからであろう

おはぎに関しては、もともと変若の御子からもらった「お米」が材料であること、餡となる小豆が柿と同じように葦名の水で育ったことを考えると、その効果が回復であるのは当然のことといえる

また各種瓢箪は、その生える土地により効果が異なるが、これは土地に影響されて特殊な能力を持った、というのではなく、もともと特殊な能力を持った瓢箪があり、それが土地の影響を受けてそれぞれの効果を有するようになった、と考えられる

一体に、葦名に自生する植物は例外なく変若水の影響を受けている。ゆえに瓢箪もまた影響を受けていると考えられる


蛇足

試験的にNPCの会話に考察テキストを重ねてみたが、画面がうるさくなったのと「会話」「考察」ともに集中できなくなる気がしたので、今回のみでやめにする






2019年7月5日金曜日

SEKIRO 補足1:考察勢が普通にSEKIROを遊ぶ動画01

考察勢が普通にSEKIROを遊ぶ動画01補足と訂正記事である




田村家の家紋

田村家の家紋は「丸に九曜」である



九曜紋奥州千葉氏相馬氏、木曾義仲を祖と称する信濃国の藤原流木曾氏など多くの氏族に用いられている

信濃国の木曾氏も藤原秀郷流であるので、そちらの説を採っても良かったのだが、動画では奥州藤原氏との関連を鑑みて奥州千葉氏をモチーフとしてとりあげた

木曾氏説だと巴(巴御前)との関係がややこしくなるのと、葦名は信濃よりも北側のイメージがあったのも理由のひとつである

九曜紋を用いる相馬氏の通字を「胤」と紹介したものの、それが何か別の考察に発展するかというと、特にないので削除しておくべきだったかもしれない


九郎の家紋

一方、九郎の家紋は「四つ方喰」(よつかたばみ)といって、「方喰紋」、藤原秀郷流の後裔・子孫が用いていた家紋である

実際には奥州藤原氏の家紋は不明らしいのだが、その祖をたどると藤原秀郷に行きつくので、藤原氏の代表的な家紋として「方喰紋」が選択されたのではないかと推測したものである

動画では複雑な関係を画像一枚で済ませるために、奥州藤原氏と源義経(幼名九郎)との関係や、藤原氏のミイラや即身仏と蟲憑きとの関係などを簡略化せざるを得なかった


奥州合戦

奥州合戦(おうしゅうかっせん)は、文治5年(1189年)7月から9月にかけて、鎌倉政権と奥州藤原氏との間で東北地方にて行われた一連の戦いの総称である。(Wikipedia)


義経を匿った奥州藤原氏鎌倉政権が攻めて滅亡させた、というイメージが強い

不遇の人物を匿う孤立した国、という構造は葦名のそれであり、北国かつその人物の名が九郎、そして攻め手が政権側(内府)となれば、奥州合戦を連想してくれと言っているようなものである

とはいえ、フロムソフトウェアはひとつのモチーフをそのままトレースすることは無い。必ず無数のモチーフが重ねられ原型が分からぬほどに創造(再創造)されている

例えば九郎にしても、義経や木曾義仲、悪路王などの政権側に敗れ滅亡した者たちを抽象化した複合イメージとして創造されている

葦名に関しても奥州藤原氏だけでなく、蝦夷と蔑まれたれたまつろわぬ者たちや、関東に国家を建てた平将門などの、いわゆる朝敵のイメージが重ねられている


杜若紋

葦名氏・平田家が用いる杜若紋


弦一郎の杜若紋をたどっていくと花山院家に行き当たり、さらにさかのぼると藤原北家に行きつく

これは九郎の方喰紋をたどっていくと藤原秀郷に、さらにさかのぼると藤原北家に行きつくのと同じ構造である

竜胤の御子としての九郎はともかくとして、人間としての九郎は形式的には、方喰紋を用いる家の一族である

これは公式サイトに「葦名の地に、古くより続く一族の末裔」と明記されている

つまるところ、九郎の方喰紋は(形式的なものに過ぎないかもしれないが)、杜若紋を用いる葦名氏や平田家と遠い縁戚にあたることを暗示しているのではないか、という考察である



蛇足

動画は手軽に修正できないのでブログで補足・訂正という形をとることにした
ゲームの進行をメインにしたいので、どうしても抜け落ちる部分や触れられない部分がある。それの補足。動画作成に慣れてきたらなくなるかもしれない