原理主義
原理主義とは、ある一つの原理の無謬性を主張し、他の原理を認めない主義のことである
また黄金律とは世界を律し、生命が祝福と幸福を謳歌することのできる律である
“偉大なるエルデンリングは、黄金の律”
“それは世界を律し、生命は祝福と幸福を謳歌する”(指読みエンヤ)
よって黄金律原理主義とは、狭間の地にあるすべてのものは黄金律によって律せられ、またすべての生命は黄金律によって祝福されている、とする考えである
これを端的に説明したものが「因果性原理」と「回帰性原理」のテキストである
因果性原理
黄金律原理主義の祈祷
その根本をなすひとつ
原理主義は、黄金律を二つの力で説明する
それ即ち回帰と因果であり、因果とは
万物を関係性の連環となす、意味間の引力である
回帰性原理
黄金律原理主義の祈祷
その根本をなすひとつ
原理主義は、黄金律を二つの力で説明する
それ即ち回帰と因果であり、回帰とは
万物が不易に収斂しようとする、意味の引力である
「因果」とは万物の関係性の連環を構築している意味間の引力のことであり、その原動力は黄金律である
黄金律が因果によって万物を律することにより、万物は関係性の連環を構築することができる(存在することができる)のである
また回帰とは、万物が黄金律(不易)から生じ、拡散し、そして再び黄金律(不易)に収斂するとする思想である
つまるところ黄金律原理主義とは、狭間の地にあるすべての物(万物)は黄金律によって今の形として存在している、とする思想なのである
たとえ「腐敗の律」や「夜の律」、その他の理や律が存在しようとも、それらはすべて黄金律から生じたものであり、またそれは黄金律として収斂されるというのである
万物は黄金律から生じた無数の現われであり、また万物は黄金律によって律せられているのである
黄金律を「全にして一、一にして全」の神性と考える主義。それが黄金律原理主義である
対立する思想
ただしこれはラダゴンが黄金律原理主義として掲げたひとつの思想に過ぎない
また逆に言えば、ラダゴンが黄金律原理主義を掲げなくてはならなかったのは、この原理に対立する思想が存在していたからである
黄金律原理主義に対立する思想とは、マリカの目指した内なる律と外なる律の比較・統合を目指す思想である
黄金律の探究を、ここに宣言する
あるべき正しさを知ることが、我らの信仰を、祝福を強くする
幸せな幼き日々、盲信の時代は終わる
同志よ、何の躊躇が必要だろうか!(小黄金樹教会)
このマリカの言霊を聞いた際に取得できるのが、ジェスチャー「外なる律」である
内なる律である黄金律に限界を感じていたマリカは、外なる律を知ることで黄金律の「あるべき正しさ」を知ろうとしたのである
※これは他国の文化を知ることで自国の文化をより深く理解しようとする、比較文化論的な手法である
※またゲーテの名言に「外国語を知らない者は、自国の言語について何もしらない」というものがある。他者を知ることは自分を知ることに繋がるのである
黄金律は世界に存在する多くの律のひとつに過ぎず、完全なものではない。そこで外の律を知ることで黄金律への理解を深め、信仰と祝福を強くしよう、という試みである
ラダゴンの黄金律原理主義はマリカの多神教的な思想に対するアンチテーゼとして掲げられたものである
ラダゴンにとって黄金律とは万物の原理である。万物は黄金律から生じ、律せられ、また黄金律へと帰って行く。黄金律と並び立つ律など存在しない
多神教的なマリカの思想に対し、ラダゴンのそれは一神教的な思想と言えるであろう
※黄金律原理主義は、哲学者スピノザの万有汎神論を彷彿とさせる
リエーニエ
多神教のマリカと一神教のラダゴンの思想戦の舞台となったのが、リエーニエである
リエーニエにはマリカの知るべき外の律(月の理)を体現するレナラがいる。またそれはラダゴンが黄金律原理主義を証明するのにうってつけの「理」でもあった
※月の理は夜の律の系譜にあり、それはラニによって実現される
黄金樹勢力によるリエーニエ侵攻は、マリカとラダゴンの利害が一致したことで実現されたのである
ラダゴンの勝利条件は、月の理(夜の律に繋がる)を黄金律のひとつの現われとして証明することである
そのためには月の理(夜の律)を分析・分解し、黄金律に回帰させる必要があった
月の理を黄金律のひとつの現れとして証明すること。その成果のひとつが「黄金律の大剣」である
黄金律の大剣
エルデンリングを模した光の大剣
黄金律原理主義を掲げた王配ラダゴンが
象徴として鍛え上げた「伝説の武器」のひとつ
そこには、最初の妻レナラから贈られた
大剣の面影があるという
満月の女王レナラから贈られた「月の理(夜の律)を象徴する大剣」を「黄金律原理主義を象徴する大剣」に作り替えたのである
黄金律によって月の理(夜の律)が解析可能であることを証明したことで、ラダゴンの黄金律原理主義は一定の成果を得た
月の理(夜の律)は黄金律のひとつの現われであり、その根底には「黄金律」が存在していたのである
そこでラダゴンは、月の理(夜の律)を黄金律に回帰させることで、現在の不完全な黄金律を完全なものにしようとする
ラダゴンの肖像
赤髪のラダゴンは
カーリアのレナラの夫として魔術を修め
女王マリカの夫として祈祷を修めたという
英雄は、完全たるを目指したのだ
その成果の最たるものが「神人ラニ」である
神人とは神の宿る依り代である。今現在はマリカが神の宿主となっているが、不完全なものである。そこでより完全な依り代を用意すべく、生みだされた神人がラニである
レナラに「産まれなき者の大ルーン」を贈り、彼女の月の理(夜の律)を黄金律に回帰させることで、新たな神人を生じさせたのである
産まれなき者の大ルーン
満月の女王、レナラの抱く琥珀のタマゴ
産まれなかったデミゴッドの大ルーン
「産まれ直し」を完全なものにする
レナラの、産まれ直した子供たちは
皆脆弱であり、また短命である
それは完全ではなかったのだ
…そしてレナラ様は、ラダゴン様の贈られた琥珀のタマゴに縋り
許されぬ術に耽っているのです(結びの司祭ミリエル)
※夜の律の系譜にあるレナラだけでは産まれ直しは不完全なものとなる。黄金律を体現するラダゴンの協力があった時のみ、ラダーンやライカード、そして神人のラニが産まれるのである
ラダゴンの試みはしかし期待外れに終わる。ラニは黄金律を体現する神人ではなく、夜の律を体現する神人だったからである
ラニの誕生はむしろマリカに勝利をもたらした
というのも夜の律を分析することは外なる律を知ることでもあり、夜の律と黄金律との比較により、マリカの目指す黄金律の「あるべき正しさを知る」という目的も達成されるからである
月の理(夜の律)を受け継ぐものの、律を掲げられる神人ではないレナラと違って、神人のラニは次代の神になれる器である
それは夜の律の神が誕生することであり、夜の律が黄金律と同格の律であることを証明することでもあったからである
世界は黄金律原理主義の示す一神教ではなく、マリカの考える多神教的な姿をしていたのである
しかも都合の良いことにラダゴンは夜の律に連なる「魔術」を修めていた。つまり外の律を知っていたのである
黄金律の探究を、ここに宣言する
あるべき正しさを知ることが、我らの信仰を、祝福を強くする(マリカの言霊)
外なる夜の律を知ることで内なる黄金律のあるべき正しさが明瞭となる。それは他国との間に国境線が引かれることで自国の領土の形が明瞭となるのに似た理屈である
マリカは外の律を知ったラダゴンを呼び戻し、内なる律と外なる律を統合することで、黄金律を完全なものにしようとしたのである
そして産まれたのが、双子の神人ミケラとマレニアである。しかしミケラは永遠に幼く、マレニアは腐敗に侵されていた
この悲劇の根底には、やはり現在の黄金律の不完全性が関係している
現在の黄金律に不完全性をもたらしているものは、死のルーンの欠如である
そのはじまりに死のルーンを取り除いてしまったために、生と死のサイクルが停止し、永遠なる停滞に陥ったのである(デミゴッドレベルで)
このうち永遠は永遠に幼いミケラとして現われ、停滞は腐敗となってマレニアの宿痾として現じた
結局のところ、マリカとラダゴンの思想戦は痛み分けに終わった。双方ともに一定の成果(ラニ、ミケラ、マレニア)は得られたものの、最終的な目的(完全なる黄金律)を達成するには至らなかったのである
問題の根底にあるのは「死の欠如」である。そしてマリカはついに、かつて封印した死のルーンの解放を企て、それはやがてラニを巻き込んで「陰謀の夜」として実行されることとなる
エルデの獣とラダゴン
一方のラダゴンは「死のルーン」の解放をあくまで拒絶した
なぜならば過去の考察でも述べたが、死のルーンの除去はエルデの獣の望みであり、エルデの獣(黄金律)の犬であるラダゴンにとってそれは、拒絶しなければならないものだったからである(ラダゴンをエルデの獣の精神そのものと解釈することも可能であろう)
※マリカがラダゴンに発した「黄金律の犬」という言葉は、「エルデの獣」を揶揄したものかもしれない。つまり、ラダゴンという人格はエルデ(黄金律)の獣(犬)なのである
エルデの獣が死のルーンを恐れたのは、それが自らに死をもたらすからである。つまり死ぬのが怖かったのである
死ぬのが怖いという感情は、エルデの獣が精神を持つ生命である限り逃れることができない
※黄金律原理主義が死に生きる者を絶対悪とするのは、エルデの獣の恐怖に起因している
聖律の治癒
金仮面卿は、狩人たちを大いに嘆いた
学問が狂信に変わるのは、実に簡単だ
愚かな善人どもは、ただ絶対悪が欲しいのだから
そんなものが、律の原理であるものか
要するにエルデの獣が精神を持つ限り、現在の不完全な黄金律が完全になることは不可能なのである
このことを正確に読み解いたのが、金仮面卿である
完全律の修復ルーン
金仮面卿が見出したルーン
エルデの王が、壊れかけのエルデンリングを掲げる時
その修復に使用できる
それは、黄金律を完全にせんとする
超越的視座のルーンである
現黄金律の不完全は、即ち視座の揺らぎであった
人のごとき、心持つ神など不要であり
律の瑕疵であったのだ
神が心を持つ限りにおいて黄金律は不完全である
そこで金仮面卿は瑕疵を除去した純粋な黄金律原理主義を抽出する
輝ける金仮面
輝ける黄金の輪を模した仮面
黄金律原理主義の厳格なる探究者
金仮面卿が作り、残したもの
それは、かつて彼に訪れた圧倒的閃きであり
探求の先にあるはずの、輪の似姿であるという
もし君が、私と閃きを同じくするのなら
これを被ってくれたまえ
金仮面卿の厳格な黄金律原理主義において神は必要ない。そこには厳格な黄金律のみが存在すべきなのである
万物が因果と回帰を絶え間なく循環するための、心を持たない制御システム
生命と同じ次元に存在する心持つ神という瑕疵を取り除き、エルデンリングを生命を俯瞰する超越的視座に押し上げたのである
完全律におけるエルデンリングは生命には直接的に関わらない。関わろうとする意志がない
ただ機械的に世界を律し、因果と回帰を循環させ続けるだけである
黄金
黄金律の司る因果と回帰の痕跡は世界にある種のパターンとして刻まれている。このパターンを読み解いたのが金仮面卿であった
現実世界には「フィボナッチ数列」(wikipedia)と呼ばれるものがある
フィボナッチ数は自然界の現象に数多く出現するという。またフィボナッチ数列が生みだす螺旋は、世界で最も美しいとされる(Wikipedia)
他にも花びらの数はフィボナッチ数であることが多いとされたり、植物の花や実に現われる螺旋の数もフィボナッチ数であることが多いとされる(Wikipedia)
おそらく植物で最も有名な例が「ヒマワリ」であろう
ヒマワリの種は螺旋状に並んでおり、螺旋の数を数えていくとフィボナッチ数が現われる(Wikipedia)
黄金樹の眩い輝きに顔を向ける金仮面卿の姿勢や、茎のように細い身体、ヒマワリの花に似た仮面、そして完全律の修復ルーンはヒマワリを模したものであろう
またフィボナッチ数列の隣接2項の比はφ(ファイ)に収束するという
このφを別名「黄金数(黄金比)」という
※黄金比に対する白銀比というのもある
金仮面卿に訪れたという圧倒的閃き、探究の先にあるはずの輪とは、ヒマワリの花に見出される純粋な数列と、そこから導き出される黄金数だったのかもしれない
※黄金律原理主義の祈祷の消費FPが素数であることも、何らかの数学的価値観が通底していることの証左であろう
ラダゴンの光輪の消費FPは21ですが、これは黄金律原理主義から外れたものかもしれないということでしょうかね
返信削除と思ったら因果性原理も回帰性原理も聖律の治癒も聖律の剣も素数ではないような… 要求知信が素数だというのは間違い無さそうです。
削除いつも読ませていただいています!今回の考察も深いところに突っ込んでいますね!
返信削除私の考えなのですが死のルーンは死の概念ではなくて、神狩りの黒炎、つまり神の死なのだと考えてます。狭間でNPCは普通に死にますし。
つまるところ、律の始まりに神(エルデの獣)の死が取り除かれたことで抑止力がなくなり、エルデンリングに巨人の火など不純物が混ざることを嫌った獣がマリカの体を使い黄金律(自分)原理主義を掲げ、またマリカを廃して自分の意のままになる黄金律の神人を求めた。それを嫌って獣を殺すために再び死のルーンを解放した、ということではないでしょうか。
マリカとしてはエルデンリングを完全にするために神の死なんていらないと思ったら、実はエルデンリングに自我があってそれに対する抑止力もなくしちゃった!そうこうしてるうちに獣が私の体使って好き勝手してるぞ!いったん旦那は逃がして、死のルーンで獣を殺せるようになったら帰ってきてもらおう、みたいな。
返信削除そう考えると陰謀の夜にマリカが死のルーンの解放を望んだ理由も見えてきますねー。