本考察はダークソウルシリーズとブラッドボーンを比較したものである
太陽の物語
ダークソウルは太陽の物語である
世界に差異をもたらしたのははじまりの火であり、それによって熱と冷たさと、生と死と、そして光と闇が発生したのである
その火が消えかけたとき、夜ばかりが続くとされる
だが、やがて火は消え、暗闇だけが残る
今や、火はまさに消えかけ
人の世には届かず、夜ばかりが続き
人の中に、呪われたダークリングが現われはじめていた…
火=太陽を復活させるために自ら薪となったのが、太陽の光の王グウィンである
太陽を復活させるために火を盛んに燃やす、というのは古来より行なわれてきた火祭りの形式そのものである
地上の炎によって太陽を助け、ふたたび太陽を強く燃え上がらせようという、フレイザーの言う類感呪術的な思考がそこにはある
いってしまえばダークソウルとは、火祭りをゲーム化したものなのである(何度も火が陰る=シリーズ化するのは、それが周期的に行なわれる祭りだからである)
その火祭りの祭司兼生け贄が太陽の光の王グウィンである(凶作の際に王が生け贄として殺害されることは古い時代にはよくあることである)
さて、グウィンのもつ太陽の光の力とは、雷である
太陽の光の剣
太陽の光の力とは、すなわち雷であり
特に竜族には、大きな威力を発揮するだろう
雷が神族に結びつけられているのは、その力が主神であるグウィンの力そのものだからである(主神をグウィンとする理由については後述する)
つまるところ、雷とは神の力である
主神が雷神であるというのは、ギリシャ神話のゼウス、ヒンドゥー教のインドラなど、多くの神話に現われるものである
また、主神が太陽神であるというのも日本の天照大神をはじめ、シュメール神話のマルドゥク(名は「太陽の雄の子牛」という意味)、エジプト神話の太陽の神ラーなど、これも多くの神話に登場する
ダークソウルではこれら雷と太陽がほぼ同一視されている。ゆえにグウィンは太陽と雷の二つの属性を象徴する「太陽の光の王」と称されるのである
火の衰えは太陽神グウィンの衰えであり、世界を照らす光の王の衰えは、世界の衰えなのである
月の物語
ダークソウルとは対照的に、ブラッドボーンは月の物語である。その物語は「赤い月」が接近したことにはじまり、月の出ている夜の間に進行し、そして月の消える朝に終わりを迎える
※月が昼に見えることもあるが、ここでは除外する
狩人の夢のはじまりは、「青ざめた月」との邂逅によるものである(青ざめた月は青ざめた血や、赤い月とは別のものである)
過去の考察において、青ざめた月をオドンとした。オドンは月の神であり、またその月の光でもあった
いうなれば、オドンはダークソウルにおけるグウィンの地位にあるのである。その尊称をダークソウル風につけるとすれば、「月の光の王オドン」である
そしてダークソウルの太陽の光が「神の力」であるというのならば、ブラッドボーンにおける月の光とは「上位者の力」であり、太陽の光の発露が「雷」だとしたら、月の光の発露とは「神秘」である
苗床
さて、ブラッドボーンでは神秘をもたらす精霊を宿した者は「苗床」になる
「苗床」
この契約にある者は、空仰ぐ星輪の幹となり
「苗床」として内に精霊を住まわせる
これが精霊を住まわせた苗床の姿である
ある種の菌類(キノコ)的な姿になっているが、苗床化の機構については、以下の2つのパターンが考えられる
- 最初に体が苗床化し、次にそれに惹かれて精霊が住みはじめた
- 最初に精霊が住みはじめ、次にその影響により肉体が変化していった
1のパターンでは、この体に住み着いた精霊は生長するキノコを食べ、そして苗床に神秘の智慧(啓蒙)をもたらすのである
そしてこのキノコを生長させるエネルギー、それが「月の光」である。月の光という神秘を食べた精霊は、その神秘を智慧(啓蒙)の形にして苗床にもたらすのである(排泄するともいう)
2のパターンでは、精霊そのものが月の光を摂取していると思われる。そして1と同じように精霊の排泄物(生成物)がもたらされ、その影響により肉体が変化していったのである
さて、星輪の幹のすべてがキノコ形態をとるわけではない
例えば失敗作たちのボスステージは「星輪樹の庭」であるが、そこに生えている「星輪樹」ならびに「星輪草」はひまわりに似た植物である
ここには菌糸類的な要素は見いだせない |
よって、苗床のすべてがキノコ類になるのではなく、キノコ化は精霊によってもたらされた神秘に対する人間の特異的な反応であると考えられる
つまり人間を苗床に変異させるのは精霊や月の光の影響であるが、それがキノコ形態であるのは、たんに人間の側の都合(反応)によるものである
また、月の光により苗床化した人間を眷属とするのならば、人間の中にも軟体生物的な「学徒」や、昆虫的な特徴を「瞳の苗床」といったように、キノコ形態をとらない「眷属」は存在する
しかしいずれにせよ、「苗床化」した狩人の姿はキノコ人間である
キノコ人
興味深いことにダークソウルにもキノコ人間が登場する
黒い森の庭や大樹のうつろにいるキノコ人である
このうち黒い森の庭の個体は100%、「黄金松脂」を落とす
黄金松脂(DS1)
黄金の光を放つとても珍しい松脂
右手の武器に雷をまとわせる
またダークソウル3の黄金松脂の説明には、黄金松脂がキノコから採れることが明記されている
黄金松脂(DS3)
いまやその製法を知る者はおらず
ある種のキノコの樹脂であるともいう
記述したように、雷は太陽の光であり、また神の力である
その力をキノコが宿しているのである
このキノコと神の力の関係性について、同じキノコ人である霊廟の守人エリザベスは以下のように明言している
「ウーラシールの魔術は、私と共にありますから」
ウーラシールの魔術とは、光の術である
見えない武器
ウーラシールの魔術は光を扱う術に長けており
この魔術もまたその一端である
照らす光
光を生み出す単純な魔術であるが
それこそがウーラシールの神秘であり
ヴァンハイムでは遂に実現していない
ここでいう光、とは「太陽の光の王グウィン」という時の「光」である
すなわち、「光」は太陽の光であり、雷であり、それは神の力なのである
キノコ人が黄金松脂を落とすのは、彼らが太陽の光の力により生長したからであり、黄金松脂とは神の力をキノコ人が凝集させた生成物である
エリザベスの「ウーラシールの魔術は、私と共にありますから」というセリフは、そのキノコの体に「太陽の光(雷)」を宿している自負からのものである
※またエリザベスの秘薬がHPを回復する効果を持つのは、「太陽の光の恵み」との関連がうかがえる
太陽の光の恵み
太陽の光の王女グウィネヴィアに仕える
聖女たちに伝えられる特別な奇跡
周囲を含め、HPを徐々に回復する
キノコ人と苗床
苗床とは人がその身に神秘を宿したときに変異する姿である
エリザベスやキノコ人も、人がその身に雷を宿したことで変異した、と言いたいが、彼女たちが元人間であるという証拠はなにひとつない
とはいえ考えられるパターンは、1.人がキノコ化した 2.キノコが人化した の2パターンである
ウーラシールの魔術には、人を変身させるものも存在するので1の可能性もある
擬態
亡国ウーラシールの古い魔術
場所にふさわしい何かに変身する
またエリザベスの秘薬には、古の聖女エリザベスという人物がいたことが記されている
エリザベスの秘薬
古の聖女エリザベスは、数多くの秘薬を作り出し
生涯を貧者の救済に捧げたという伝承がある
その貴い行いに相応しい美貌を備えていたと
信じられているが、実際はどうだったのだろう?
つまりエリザベスはすべてのキノコ人の祖であって、あるときキノコに擬態したまま子孫を継いでいったのである
とはいえ、黒い森の庭にいる個体はそれで説明できるとして(シフの場所からして過去のウーラシールと近い)、大樹のうつろに住むキノコ人たちの説明がつかない
あるいは単純に雷が落ちた地点にキノコが生え、その雷が神の力であったがために人型になった、ということかもしれない
落雷した場所に、きのこがたくさん生育するという話は、古代ギリシアの哲学者、プルタルコスが『食卓歓談集』(岩波文庫など)に記すほどの経験則である[9]。これを説明する仮説としては、電流によって菌糸が傷ついた箇所から子実体が成長するという説、電気刺激によって何らかの酵素の活性が増大するという説[10]、落雷の高電圧により窒素が固定(窒素固定)され、菌糸の養分となる亜硝酸塩等の窒素化合物が生成されるとする説[11][12]などがある。(Wikipedia)
いずれにせよ、苗床とキノコ人は、月の光と太陽の光によって変異した種であると考えられる
※キノコ人が大樹のうつろに多く棲息することから、大樹に寄生したキノコが大樹の力を吸い取って、ということも考えたのだが、岩の大樹はむしろ雷を弱める性質にあり、さまざまな点で矛盾することから断念した
さて、こうしてエリザベスはウーラシールの魔術の祖となり、また苗床は医療教会に神秘の力をもたらしたのである
宇宙的なエネルギーによりキノコ人が生まれるという構造は、もしかするとElden Ringにも受け継がれるかもしれない
追記:主神について
主神はロイドなのではないか、という指摘をいただいた。確かにロイドは「金の硬貨」(DS1)に主神とうたわれている
金の硬貨(DS1)
金で作られた硬貨
中央は主神ロイドと彼の白い光輪である
一方DS3のロイドの剣の指輪には、「ロイドは傍系にすぎず、主神を僭称したのだ」というカリムの司祭たちの主張が記されている
ロイドの剣の指輪
だが白教のロイド信仰は、今や廃れて久しい
カリムの司祭たちは声高に主張する
ロイドは傍系にすぎず、主神を僭称したのだと
ロイドが傍系にすぎず、主神を僭称したのだとしたら、本来の主神はグウィンとなる(カリムの性質からすると女神ベルカの可能性もある)
※ロイドはグウィンの叔父とされる。ロイドを傍系とするのならば、グウィンが主筋であると考えるのが妥当かと思われる
さて、コメントにもあったが、なぜ主神なのに影が薄いのか、という疑問が生じる。その理由については、神々の構造的な理由がある
比較神話学者ジョルジュ・デュメジルは、インド=ヨーロッパ語族の神々は、3つの機能にわけられるという
- 王権
- 戦闘
- 豊穣
である
このうち1の王権は二重構造であり、統治と祭祀に分けられるという
白教のロイドが主神であるのは、王権機能の祭祀を担っているからであり、また実際に統治しているのがグウィンであるのは、グウィンが王権の統治機能を担っているからである
ロイドとグウィンは王権の二つの機能を分有しているのである。いわば両者が主神といえるのである
よって金の硬貨にロイドが主神と記されるのも正当であり、またカリムの司祭たちがロイドは主神を僭称したと訴えるのも(王権機能が二重であるのならば)、正当である
また本来の主神の影が薄くなっていく現象は、「暇な神」(デウス・オティオースス)といって、いくつかの神話に見られる現象である
シュメール神話では主神の座はアヌからエンリルやエンキに受け継がれ、ギリシャ神話では最終的にクロノスがゼウスに主神の座を奪われている
ロイド
さて、上述した三機能を見ると、すべてグウィンが関わっている
グウィンは王として統治し、王として戦闘を率い、また太陽の光の王として豊穣を司っている
よって実のところDSの神話は三機能をおのおのの神々に完全に当てはめることができない(一柱の神が複数の機能を担っている)
これと同じように三機能説が当てはまらないのが、ゲルマン神話である。
例えばオーディンは主神であるが、戦いの神でもある。またトールは戦いの神であり、雷神として豊穣に関係する
DSの神話においても、太陽の長子は戦いの神であり、また豊穣を司る嵐の神(雷神)でもある(無名の王を長子とするのならば)
さて金の硬貨にはロイドの姿が刻まれているという
金で作られた硬貨 中央は主神ロイドと彼の白い光輪である |
ローブをまとった人物に見える
北欧・ゲルマン神話においてローブを被った神とは、「オーディン」のことである
またオーディンには「灰色の髭」という別名もある(ロイド(Lloyd)はウェールズ語で「灰色」の意味)
そう考えると、オーディンが主神であるようにロイドは確かに主神であったのである。しかしオーディンが旅好き(不在が多い)のと同じように、ロイドはアノール・ロンドから姿を消してしまい影が薄くなっていった、という事情があるのかもしれない
代わって主神の座についたのがグウィンであり、次第に彼が主神となっていき、本来の主神であるロイドは僭称者とされたのであろう
蛇足
グウィンを主神とすることについては、途中の議論をかなりすっ飛ばした乱暴な説だったと反省している
記憶が曖昧になり過程を忘れて結論のみを覚えている、というような場合にこのような過失が発生する
ロイド=オーディン説については、思いつき程度のものである。DSの神話を考察するには、また学び直さなければならない