2019年8月13日火曜日

Sekiro 考察48 エマの秘密

以前エマの名前は能楽の「絵馬」からとったのではないか、という考察というか思いつきを書いたことがある

しかしながら、SEKIROにおけるエマの重要な立ち位置から考えると、どうにも煮え切らない結論であった

そこでエマという名前についてもう少し詳しく考察したのがこの記事である


EMMA

エマは英語版では「EMMA」という綴りが使われる


EMMAと書いてエマと読むのである。これは英語圏の名前としてポピュラーなものであり、何も不審な点はない

同じ綴りをもつキャラクターがダークソウル3にも登場する


しかしながらDS3のEmmaは日本語版において「エンマ」という読み方をされている

エマは英語名Emmaを通じて「エンマ」とも読むのである



地蔵菩薩

エンマといえば、すぐに思いつくのが「閻魔大王」である(Wikipedia)

言わずとしれた地獄・冥界の王であるが、日本では地蔵菩薩と同一と解される

この地蔵菩薩葦名の地に不自然なほどに散見されるのである


錫杖如意宝珠は、地蔵菩薩の三昧耶形さんまやぎょう/さまやぎょう wikipedia)である

また武者侍りの隠し扉の掛け軸に描かれているのは、愛宕権現であり、愛宕権現の本地(正体)は地蔵菩薩である

勝軍将軍(愛宕権現)の本地(正体)は地蔵菩薩



さらに霊符式盤から源の宮には「陰陽道」の文化があったのではないかと考察したことがある
六壬式盤(りくじんしきばん)
※六壬式盤は日本においては、陰陽道の六壬神課(りくじんしんか)とよばれる式占術に使われた

この「陰陽道」の主祭神は「泰山府君(たいざんふくん)」というのだが、別名を東嶽大帝(とうがくたいてい)といい、閻魔大王のことである(コトバンク

そして閻魔大王とは地蔵菩薩であるのだから、葦名とはまさに「天(源の宮)から地の底(葦名の底)」まで地蔵菩薩の遍在する土地なのである

なぜこれほどまでに地蔵菩薩が見られるのか

地蔵菩薩とは六道能化(ろくどうのうげ)ともいわれ、現世の衆生を救う菩薩だからである

地蔵菩薩は忉利天に在って釈迦仏の付属を受け、釈迦の入滅後、5億7600万年後か56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまう為、その間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされる (Wikipedia

また子供の守護尊であり、賽の河原で苦しむ子供たちを救うのは地蔵菩薩ともされる
風車と地蔵



エマ

ではSEKIROの物語において、子供を救うために行動を起こしたのは誰か?


葦名の天狗こと一心と、エマである(実際に動いたのはエマである)
そして天狗と地蔵菩薩とは愛宕権現を通じて密接な関係にある(愛宕権現 wikipedia)


九郎のために、不可思議霊妙な薬水瓢箪を作り出したのは誰か?


エマである


竜咳に苦しむ者たちのために、その治療法を編み出したのは誰か?


エマである


まさにエマとは、「苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う」(Wikipedia)キャラクターなのである


さらに地蔵菩薩はもともとインドの地母神(修験真言宗 大本山金剛寺 仏教講座 No.197参照)とされ、つまところ女性である

名前からして地蔵菩薩はサンスクリット語でクシティガルバというが、クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」という、極めて地母神的な意味である

また英語版Wikipediaでは、Kṣitigarbhaを「バラモンの乙女」として紹介している

以上のように地蔵菩薩とは女性であり、子供の守護尊であり、苦悩する衆生救う者であり、地獄においては死者の罪を裁く神でもある

これはSEKIROにおけるエマの立場、つまり女性であり、九郎を守護する者であり、竜咳患者を救う者であり、また修羅という鬼(死者、中国では死者を鬼という)を裁く者(修羅ルート)という立場に等しいのである

そのうえエマがEMMAを通じエンマとも読めることから、その名前までもが同一なのである


アートワークス

アートワークスに描かれた「初期稿のエマ」は公式サイトでも見ることができるが、両目や腕に包帯を巻いた痛々しい姿をしている

治療者がなぜ自らも傷ついているのか

人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされた。(Wikipediaより)
からである

患者の代わりにその苦を受けるという「能力」を持つがゆえに、彼女は治療者でありながら、また治療をすればするほど自らが傷ついていくのである(初期設定)

もともと初期設定ではNPCの竜咳は進行すると、NPCは死亡するはずだったという

その死によって溢れた淀み、または竜咳そのものをそれ以上広まらないように代わりに受けて、エマが傷ついていく。そういうシステムがあったのかもしれない(想像です


救済計画

話は少し変わるが、物語内で最初期にエマを確認したのは、飛び猿時代の仏師であり、その時のエマの姿は子供であった

際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあり、また小僧姿も多い。(wikipedia)

とあるように、地蔵菩薩が子供(小僧)の姿をとることは多い

拾ったのが後に修羅に落ちる「飛び猿」であることが極めて意味深である

しかもその後、エマは衆生を救える立場(薬師の養女)となり、さらには葦名でも最も苦悩する子供、竜胤の御子を守護する役目にさえ収まるのである

まるで「計画通り」と言わんばかりの、地蔵菩薩による救済計画である

あるいは葦名各地に仏像を彫って歩いた本物の仏師さえ、エマとなる前の地蔵菩薩だったのではないか、とすら思えてくる(自分で自分の像を彫るという行為がやや奇妙なのでうがちすぎかもしれない)


蛇足

エマが自分を地蔵菩薩であるか自認しているかというと、それはないだろう。九郎や隻狼を失いたくないという本心(人返りルートで告白する)には嘘偽りはないはずである

とはいえ、面倒を見てきた九郎はともかく、一度だけの面識しかない隻狼に対してはやや唐突な感を受ける。しかしながら、彼女が「地蔵菩薩の化身」であり、大いなる慈悲の持ち主であると考えると、隻狼への思いも不思議ではない

また修羅となった者への厳格な態度は、死者の罪を裁くエンマとしての厳しさをうかがわせるものである

このように、エマのキャラクター性には慈悲深い地蔵菩薩の側面と、恐ろしい閻魔大王としての側面が並存しており、さらにはその本性である菩薩としての特異性も相まって、SEKIRO内では、どこか浮世離れしたような印象を受けるのだと思われる


3 件のコメント:

  1. 酒イベントで、何も言わない忍びが隻狼のことだと思いますので会ったことあると思いますよ。。

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    1. 「蛇足」にある「一度だけの面識」は、酒イベントで明かされるその時のことを指したつもりでした。婉曲というかわかりづらくてすいません

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  2. 考察楽しく読ませていただいております。
    エマについては「なんかこの人名前からしても立ち居振る舞いからしても浮いとるな」とプレイしていて思っていたのですが、そもそも浮世(ないし憂き世)離れした存在だったとも考えられるんですね。
    エマの狼さんへの妙な肩入れについては、地蔵菩薩という属性が由来しているのもあるかとは思いますが、なにより彼女が一人の人物でありキャラクターであることは忘れたくないように思います。一心とエマの二人が九郎を守ろうと奔走していましたが、一心は主君であり、弦一郎の葦名への想いにも最終決戦での言葉からしても理解があったようですから、いつ方向性を違えてもおかしくなかったはずです。けれど、狼は主君、一心の命によりエマ自身が文を投げ込み、再起を促した「同じ目線・立場であり、まず間違いなく九郎を捨てないであろうと見込める『仲間』」というような連帯感があったのではないかと思います。完全な妄想ですが!(ただ、それゆえに狼が修羅と化す前にあれだけ厳然たる態度をとったのではないかとも、思うのです)

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