2019年3月19日火曜日

Bloodborne 没データ「ヤーナムの石」追記:ゴースの加護あれ

 夜半の朋輩よ、朋類よ、走狗の遠吠え、淋漓たる鮮血に満悦する汝、葬地に集う黒影の只中を彷徨う汝、血汐を求め死すべき定めの者に恐怖をもたらす汝、ゴルゴーよ、モルモーよ、千の貌をもてる月霊よ、めでたく我等が生け贄をば照覧あれ。(『ラヴクラフト全集5』「レッド・フックの恐怖」)


謎アイテムだった「ヤーナムの石」の使い道没データから発掘されたという話と考察

動画:Bloodborne Cut Content - Yharnam Stone Purpose - Fishing Hamlet Priest Unused Dialogue

ヤーナムの石




没データ







考察


「ヤーナムの石を渡す」
 ヤーナムの石とは「トゥメルの女王、ヤーナム」を倒すことで得られる貴重品である
 グラフィック的には赤く石化した胎児のようなものが見える

 かつて考察でも述べたが、石/意志/遺志/遺児とは言葉遊び的に繋がっている
 つまり「ヤーナムの」とは「ヤーナムの遺児」であると考えると、このアイテムのグラフィックの意味が飲み込めると思われる

 さて、没データでは、この「ヤーナムの石」を漁村民に渡すと次のようなセリフが聞ける

「ゴース!ゴースの赤子っ…」

「ヤーナムの石」「ゴースの赤子」として“認識”しているらしいことがわかる
 このことからやはり、ヤーナムのとは「ヤーナムの遺児」との言葉遊び的な名称であることがわかる

 ここで重要なのは、「ヤーナムの石=ゴースの赤子」となるのは、あくまで漁村民の“認識上”のことである

 というのも、漁村民が女王、ヤーナムを知っていた可能性は低く、彼が「ヤーナムの石とはゴースの赤子である」と断言したわけではないからだ

 事実は「ヤーナムの石を渡された漁村民が、それをゴースの赤子である、と“認識”した」以上のものではないのである

 ではなぜ漁村民は「ヤーナムの石」を「ゴースの赤子」と認識したのか

 これもかつて考察で述べたが、ヤーナムの地には「母胎に異物を移植し、産み直させる」という儀式(冒涜的代理母システム)があると思われる。この儀式というか思想は、ヤーナムからゴースを経て、ミコラーシュが「再誕者」として結実させている(ミコラーシュのは失敗作であったようだが。「腐ってやがる早すぎたんだ」)

 つまるところ、ヤーナムの身に執行された儀礼と、ゴースに執行された儀礼とは、同一の思想の基に執り行われた同一の儀礼なのである

 この儀礼(「再誕の儀」)によって得られるものとは、「特別な赤子」である(メルゴーは奪われ、悪夢に囚われている。ヤーナムの石は、現実世界においてメルゴーの肉体となるべきであろう)

 ゆえに漁村民は、ヤーナムの石とゴースの赤子を混同して認識したのである

 なぜならば、どちらも同じ「特別な赤子」であるからだ

 こう考えると、没になった理由もわかる

 一言でいうと、「わかりにくい」からである

 ユーザーも漁村民と同じ混同を犯す可能性が高い。つまり「ヤーナムの石=ゴースの赤子」と認識してしまうのだ

 だが、女王ヤーナムとゴースとは、生きていた時代も場所も全く異なる。

 一方はヤーナムの地であり、もう一方は深海である
『…ああ、ゴースの赤子が、海に還る…』(DLCのナレーション)
 還るというからには、そこから来たと考えることができる(正確にはその母だが)

 もし仮に「ヤーナムの石=ゴースの赤子」であったのなら、女王ヤーナムが赤子を求めて漁村に姿を見せないのは少々おかしい。さらにいえば、ゴースは老いた赤子であるが、メルゴーはそのような描写はない(小さな乳母車に乗る赤子という示唆)

 しかし、この誤解を解くためには、ゲーム自体から排除され、秘匿された儀礼、つまり「再誕の儀」に触れねばならず、その社会通念上冒涜的ともいえる思想を明らかにするのは、ゲーム会社としてリスクが高すぎるのである

 よって、ヤーナムの石とゴースの赤子との類似性はDLCからも完全に秘匿されてしまったのであろう(没になった)


 では次のセリフに移ろう
 
「時もなく、海は遠く。それでも腐臭、母の愛は届いたか」

 ヤーナムの石とゴースの赤子を混同していると考えると、このセリフも意味がわかる

「時もなく、海は遠く」と表現されたのは、漁村民のいる時空が、時間がなく空間も異なる「悪夢の場」であるからである


「それでも腐臭」、そうした隔絶した時空にあっても、ゴースの愛、つまり「腐臭」が感じられる。腐臭を放っているのは「ヤーナムの石」であるが、両者ともに「特別な赤子」であるがゆえに、「同じ臭い」をまとっているのである。

 そしてその「臭い」とは、母から与えられた「愛」のことである

 『憐れなる、老いた赤子に救いを…
  ついにゴースの腐臭、母の愛が届きますように…』(漁村民のセリフ)


「母の愛は届いたか」
 ゆえに、この愛(臭い)をまとう石を渡された漁村民は、母の愛(腐臭)がゴースに届いたと認識したのである


「ああ、ありがとう。使者よ、感謝します」
 母の愛(腐臭)に包まれた赤子(石)を受け取った漁村民は、老いた赤子に救いがもたらされたことを確信し、礼を述べるのである。


「彼方からの使者に、ゴースの加護あれ」
 「彼方」という言葉には、漁村民のいるこの時空が、すでに現世ではない(悪夢である)ことの自覚が反映されている。そうした彼方からの使者に与えられるゴースの加護とは、おそらくではあるが、遺児戦におけるプレーヤーが有利になるような何らかのギミックが存在した名残なのではないだろうか

 本来であれば、ゴースを倒した時に得られる「ヤーナムの石的なアイテム」を漁村民に渡すことで最後のムービーが流れる、というプロットだったのではないだろうか

 つまり元のシナリオでは、「ゴース撃破」→「ゴースの石的な何かを取得」→「漁村民に渡す」→「遺児が海に還るムービー」であったのだが、何らかの理由により変更されたのである

 何らかの理由とは、「石を渡しに漁村民に会いに行く」という行程を経ると、ムービーの劇的な感じ薄まってしまうからだろうと考える(漁村から海を眺める感じになってしまい、臨場感が薄れる

 より印象的なシーンにするために、「漁村でムービーを見る」はずだったのが海岸でムービーを見る」演出に変更されたのであろう

 よくよく考えてみれば、海岸でゴースの影を斬ったときに漁村民の声が聞こえるというのは、おかしな話である(元のシナリオでは漁村民が隣にいるはずだったからであろう)


蛇足

※あれやこれや書きましたが、「イベントテスト用のダミーアイテム」として「ヤーナムの石」便宜的に使われたということで自分の中では落ち着きました 



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