2020年2月19日水曜日

Bloodborne 手記14 少女の姉の物語

ヤーナムの少女

少女の姉、とは「ヤーナムの少女」の姉のことである

ヤーナムの少女イベントの最後に登場する「」は、いくつかの不可解な状況を残したままゲームから退場してしまう

そこでまずは、ヤーナムの少女のNPCイベントからおさらいしてみたい

狩人(主人公)が少女と出会うのは赤い月が露わになる前のヤーナム市街である


狩人は少女に母親探しを依頼される

だったら、お願い、お母さんを探してほしいの

母親は獣狩りの夜に父親を探しに出て行ってしまって帰ってこないという

獣狩りの夜だから、お父さんを探すんだって…それからずっと帰ってこない

母親は真っ赤な宝石のブローチをつけており、もし母親に会えたらオルゴールを渡して欲しいと頼まれる

オルゴールの紙片には、ヴィオラとガスコインの名が記されている


その後、狩人はオドンの地下墓にて獣化したガスコインと遭遇し、また近くの屋根にヴィオラの遺体を発見する

真っ赤なブローチ
女物の真っ赤なブローチ
刻まれたヴィオラの名も見て取れる

少女の両親の死を知った狩人は、いくつかの選択肢のうちの1つを選ぶ


  1. 少女にブローチを返す
  2. オドン教会を教える
  3. ヨセフカの診療所を教える
  4. 何も教えない


4を選び赤い月までに行動しなければ少女のクエストラインは消滅する
3を選ぶと偽ヨセフカのクエストラインへ移行し、少女イベントとしてはそこで終了する

1.2.を選んだ場合、少女は家から姿を消し、その後に下水の人喰い豚を倒すと「使者の赤リボン」をドロップする


ヤーナムの少女本人が関わるイベントはこれで終わりである


家族構成

イベントから分かることは、少女の父はガスコインであり、母はヴィオラであること。また、父母の他に祖父がいることである

ありがとう、獣狩りさん
お母さんとお父さんと、お爺ちゃんの次に大好きよ

この祖父については過去に考察したので概略に留めるが、名前の語源や正気を失っていた場所を考慮すると、ヘンリックが「お爺ちゃん」なのではないかという結論を出した

しかしながらお爺ちゃんが何者であろうとも、セリフを信用するかぎり家族構成父母と祖父と少女4人である


少女の姉

だが赤い月後、それまでまったく触れられていなかった少女のがいささか唐突に現われる



留守番をしていたはずの妹の姿が見えない、と姉は打ち明け、妹の行方を狩人にたずねてくる

狩人が妹のものと思われる「使者の赤リボン」を渡すと、はじめは悲しむようなそぶりを見せるが、狩人が家から離れようとすると、本音を吐露する

綺麗なリボン…やっと私のものね…
とっても似合うでしょうね…
ウフ、ウフフフフフッ

ロードをはさむと姉は家から消えており、付近のハシゴの下に少女の遺体が現われる


少女の遺体を調べると「使者の白リボン」を入手できることから、この遺体は先ほど話していた少女の姉のものである可能性が高い


こうしてヤーナムの少女ならびに少女のイベントは終わる


だが、いくつかの謎や疑問放置されたままである

妹が「」について触れなかったのは、最初から姉などいなかったからなのか、それとも不仲ゆえに省いたからなのか

また、赤い月という非日常的な状況にあって、なぜ姉は自宅に帰ってこられたのかどこから来たのかなぜ理性を保ったまま喋ることができたのか

そしてそもそも少女の姉とは何者だったのか、という最大の謎は残されたままである

答えを見つけるには断片的な情報をつなぎ合わせたうえで、足りない部分は推測で補完していくしかないだろうと思われる

よって、考察には相応の飛躍が伴うことを先に断っておく



少女の姉がどこからやって来たのかは、とりあえずは不明である。しかし、どこへ行こうとしたのかは推測できる

姉の遺体がハシゴの下で見つかることから、彼女はハシゴを使って下の階層に降りようとしたのである(落下したか、あるいは降りたあとで獣狩りの下男に殴り殺された)

というのも、ガスコイン邸の玄関ハシゴ側ではなくゲートの向こう広場側に開いているからである。ハシゴを下るつもりがなければ、玄関を出てからわざわざ方向転換をしてゲートをくぐり、ハシゴの方へ近寄る必要がない

さて、すぐ下の階層には家が二軒が建っている
そのうち、奥にある家には意味深なモノがある


この家の玄関扉に刻まれたレリーフに「リボン」が確認できるのである


この家は赤い月前扉の下から明かりが漏れているが、赤い月後はなぜか明かりが消え、家の住人とも話せなくなっている(他の家は赤い月後でも「反応がない」と表示される)

また、玄関先の灯火は扉越しにNPCと話せるという目印であるが、この家の灯火は最初から消えている(赤い月後も消えたまま)



以上の情報から、姉と名乗るNPCこの家の住人であり、赤い月後にガスコイン邸に忍び込み、狙っていた「白リボン」を捜索していた、というストーリーが推測可能である

そこへちょうど狩人が訪れ、虚偽の説明を信じたうえに「赤リボン」を渡してくれたので、自宅に帰ろうとハシゴを下りたところで、落下したかあるいは下にいるMobに殴り殺されたのである

扉のレリーフリボンへの強い執着を表わしており、近所に住む白い大きなリボンをつけた少女に対して妬みを抱いていたとしても不思議ではない

そして赤い月による精神の高揚から、ついに少女は白リボンを奪おうと画策したのである

このストーリーの難点は、赤い月前に話せる家の住人と姉の声が別人であることである
しかもこの時の声は少女ではなく完全に老婆のそれである(孤独な老婆と同じ声優さん)

※余談ながら、少女の姉の日本語音声は、実験棟のアデラインも担当している花澤香菜さんである

また、リボンのレリーフが刻まれた玄関扉をもつ家は他にもある

少女の家の近く、井戸のある広場の建物にもリボンの扉はある

さらにいえば、なぜ赤い月後のヤーナムで理性を保ったまま行動できたのかという疑問にも答えられない。他の住人は喋ることもできなくなり、またヨセフカやアリアンナやアデーラは発狂しつつある

この状況下において、まともに行動できたのはアイリーンぐらいであろうか(アイリーンは発狂耐性の高い鴉羽シリーズを装備している)

付け加えるのならば、血塗れの赤いリボンを渡されて喜び、なおかつそれを白リボンにして持って行く、というのはリボンに憧れるだけの少女としては妙である(赤い月で発狂していたにしても、意志を感じさせる行動である)

とはいえ、扉のレリーフ遺体の場所などの諸々の情報を検討するのならば、「ハシゴ下の家に住んでいたと思われる少女」を「姉」とするのが蓋然性が高いと思われる

私としても上述した細かな疑問を気にしなければ、これが結論であっても異論はない

よってこれより下は、細かな疑問にこだわり、ある一つの手がかり多分な妄想を加えた「物語」であることを先に断っておく



ガスコイン邸

ガスコイン邸の玄関は下の画像の位置にある



上でも述べたように、ハシゴの方へ行くには玄関を出てゲート方面に回り込まなければならない

さて、この玄関の上に紋章が彫られている



はじめは紋章によく使われる片足立ちのライオン」の紋章かとも思ったのだが、拡大してみると違う印象を受けた。そしてこの紋章と似た紋章をどこかで見た記憶があった

カインハーストである



尻尾の曲がり具合や、片足で立っていること、口を開いていることなどの特徴が一致している

つまり、ガスコイン邸カインハーストと繋がりのある建造物と考えられるのである

※あくまでもカインハーストに関連する紋章という意味である。カインハースト王家の紋章そのものではない


血脈

ではガスコイン邸の住人たちはどうか?

アンナリーゼの血脈に特徴的なのは、やや醒めた色の金髪(プラチナブロンド)である(アートワークスでは女王の髪は赤毛であるが…)


女王の傍系と明記されているマリアはもちろん、「禁忌の血」をもつ娼婦アリアンナやマリアを模したと思われる人形(銀髪にも見えるが薄い金色にも見える)も金髪である

ガスコイン家でいえば、ガスコインは異邦人であり養子であると思われるので省くとして、ヴィオラは金髪であり、少女の姉も金髪である


また祖父ヘンリックと同語源の名を持つ古狩人ヘンリエットも金髪である


ヘンリックの髪は濃いブラウンである

このことから、ガスコイン家(ヘンリエット家のほうが適しているかもしれない)に生まれる女性は代々金髪であると考えられる(遺伝学的にはおかしい気もするが、神秘的な穢れた血の作用であろう)

そして金色の髪をもつのは、女王の血を引く者たちである

※カインハーストの絵画に描かれた赤毛の女性たちは、女王の祖先と考えられる(血族としてはアンナリーゼが祖であろう)

※またアルフレートも金髪だが、それについてはカインハーストの考察の時に触れたいと思う

※尼僧アデーラは、オドン教会に到着後すぐにアリアンナを敵視している。まるで外見に穢れた血の徴があるかのように、彼女はアリアンナを避け、柱の後ろから睨み付けるのである。このことは、穢れた血をもつ者には外見的な特徴が現われる、という設定が背後にあるように思われる(カインのしるしのような)


少女の姉

つまるところ、少女の姉は外見的特徴から判断するに、実際にであってもおかしくはないのである

だが少女は彼女を姉とは呼ばず、彼女だけが少女を妹と呼んでいる。この矛盾を解くための推論はいくつか考えられるが、この考察において私が提示するのは、「彼女は実際に姉と呼ばれる地位にあるが、血の繋がった実の姉ではない」とする仮説である

端的に言えば、一族の女性のうち年長のメンバーを「姉」、そして年若のメンバーを「妹」と呼ぶ風習がカインハーストにはあり、少女の姉は一族の年下の少女を「妹」と呼んだのである

※平たく言えば、古い作品になるが『マリア様がみてる』のスールのようなものである(wikipedia)

この風習あるいは慣習はある種の同性愛的な色を帯びるが、吸血鬼物語における同性愛的な描写レ・ファニュの『カーミラ(1872年)にすでに登場している(日本においては『ポーの一族』か)

ゴシック・ホラーの吸血鬼においては、同性愛的な要素はその創始の頃から存在していたのである

しかしブラッドボーンには表面的にはそういった描写はない

ストーカーのドラキュラに似た雰囲気を目指したといい、ジョージ・R・R・マーティンの吸血鬼小説『フィーヴァードリーム』や人狼小説『皮剥ぎ人』など、多くの吸血鬼モノの影響が散見される本作であるが、『カーミラ』については、女吸血鬼たる女王アンナリーゼがその直系であろう

ゆえに『カーミラ』由来の同性愛的な要素が隠されているとしたらカインハーストであり、その抑制された表出が「ヤーナムの少女とその姉の物語」であるのかもしれない

ヤーナムに住む少女にとって家族とは祖父と両親だけである。けれどもカインハースに住む少女にとっては、ヤーナムの少女はであり、自分はなのである

異なった二つの風習のすれ違いが矛盾として表現されたのが、「お母さんとお父さんと、お爺ちゃんの次に大好きよ」と「妹をご存じではありませんか?」である


カインハーストの少女

カインハーストに住む少女と言っても、カインハーストは処刑隊によって滅ぼされているので、実際にカインハーストに住んでいるわけではなく、そこから逃げ延びた者たちであろう

彼女の一族はガスコイン家とは違い、カインハーストの風習を守って生活していたのである。以前から交流があったことは、少女の姉のセリフ「綺麗なリボン…やっと私のものね…」から推察できる

なぜ彼女が大きなリボンを欲したかというと、カインハーストにおいては「懐古主義的で大袈裟」(騎士装束)なものが好まれたからである

全体にカインハーストの意匠は華美で装飾的である。ガスコインが送ったと思われる「真っ赤なブローチ」がヴィオラの心を射止めたのもその凝った装飾によるものであろう

大きなリボンそのものは「騎士の一房」として「美と名誉」の象徴的装飾具となっている


※リボンは聖歌隊装束の襟元にもあるが小さい
銀髪なのは騎士の地位が女王の血脈ではなく従僕だからである(レイテルパラッシュ)

彼女がリボンを欲したのは、華美な装飾を好むというカインハーストの文化のなかで育てられたからである

また、彼女は血に塗れた赤リボンを渡され、それを平然と受け取っている。さらにその汚れを落とし白リボンにして持ち出している

古くから血を嗜んだカインハーストの貴族(レイテルパラッシュ)に連なる者ならば、たとえ血まみれであろうと受け取るはずである。なぜなら彼女たちにとって血を嗜むことは当たり前のことであり、血に塗れたリボンチョコレート塗れのリボンの如きものである

要するに、渡されたリボンについた血を、姉は舐め取ったのである

輸血液「故にヤーナム民の多くは、血の常習者である」とは、血を嗜むことではなく、「同様の輸血により生きる力、その感覚を得る」とあるように、輸血による常習である
※また「匂いたつ血の酒」は血そのものではない

が、経口摂取する濃厚な血の類は、強い鎮静作用をもたらすものである

鎮静剤
濃厚な人血の類は、そうした気の乱れを鎮めてくれる

彼女はやはり赤い月によって狂っていたのである

愛護すべき妹の大きなリボンを奪おうとするほどに気が狂い、カインハーストの貴族であるがゆえに、渡された赤リボンの血を嗜んだのである

そして正気に戻ったのである

彼女は妹の死を察し、自らの行為に罪悪感を覚え、そうしてハシゴの上から飛んだのである


※彼女の気の狂いがアリアンナらと比べて軽度なのは、彼女の体がまだ子供を宿せない状態(オドンが頭の中に蠢いていない)であるか、日頃から濃厚な人血の類を摂取していたからかもしれない

※アンナリーゼは血族は唯一人(あるいは2人?)しか残ってないというが、ローゲリウスに閉じ込められていた彼女が、正確な状況を知ることは不可能である

※事実、女王の傍系、その数少ない一部がカインハーストを逃れヤーナムに落ち延びた。その末裔が、娼婦アリアンナやヴィオラなのである

※舐め取っただけで血の汚れが落ちるかというと、それは難しいであろうと思う。しかしたとえ洗ったとしても、血の汚れを落とすにはそれなりに強力な洗剤が必要だろう。つまり、どちらにせよあの状況で赤リボンが白リボンに漂白される現象は不自然なことと言える

※取得時期にもよるが、赤リボンの血が渇いていたことも考えられる。しかし赤リボンのグラフィックには鮮血として描かれている


リボンの家

少女の姉がどこに住んでいたかというと、やはりリボンのレリーフの家であろうと思われる

リボンを付けた少女が表わすように、そこはカインハーストの血を継ぐ子供たちの住む施設である(装飾性を象徴するリボンはカインハーストを表わし、少女は女王の血を引く子らを表わす)

要するに孤児院である(会話できる老婆は孤児院の院長かなにかであろう)

※あるいはカインハーストの生存者が隠れて暮らす共同体のようなものかもしれない
※少女の姉が制服のような装束を身につけているのは、それが孤児院の制服だからであろう
※レリーフが男の子でないのは、カインハーストが女王の国だからだと思われる
※カインハーストの紋章でないのは、彼女らは騎士(狩人)ではないからであろう

成長すると彼女たちはその家を出て、娼婦となるか(アリアンナ)、またある者は強烈な近親憎悪を芽生えさせ、存続してすらいない処刑隊に身を投じたのかもしれない

※現在のヤーナムにおいて、処刑隊はほぼ活動停止状態にある。ゆえに穢れた血を持っていたとしても、蔑視される程度で虐殺はされなかったと思われる。これはアリアンナが不特定多数を相手にする娼婦をして生き延びていることからも分かる

だが、正々堂々カインハーストの紋章を掲げるヴィオラの家系は彼らとは別世界に生きていたのである。その末裔たる少女にとって、同胞とはいえ孤児院の孤児たちは姉妹とは思えなかったのである

※確認されうる限りヘンリエットから続く狩人の家系である
※家の高低からも、双方の差がうかがえる

一方で孤児院に住む「姉」は、妹の持つ大きなリボンを渇望し、彼女との格差に日々妬みを募らせていったのである。その鬱積した感情を爆発させる要因となったのが、赤い月の接近だったのである

※孤児のなかには聖歌隊の孤児院に移った者がいたかもしれない。最後の学徒ユリエはデータでは頭髪がない。これを意図的と見るのならば、頭髪のない理由はその髪の色に不都合があったから、とも考えられる


蛇足

「※」がやたらと多くなってしまった。ということはあまり良い考察ではない

旧市街の時もそうだったが、ヤーナムの街や人を考察しようとすると、なぜかカインハーストの影がちらつくのである。影を追おうとすると様々な事象が際限なく繋がりはじめ、しかし確証はないのでいつのまにか曖昧な全体像に帰着してしまう

そのたびに※によって補足しようとするのだが、場当たり的な感は否めない
そのため「物語」とした


2020年2月11日火曜日

Bloodborne 手記13 ヤーナム/ヤハグル

ヤハグルという名前の語源について動画のコメント欄でとても貴重な情報を頂いたので、それを参考にして考察したのが本考察である

本考察の参考元となっている動画はこちら→Meaning of “Yhar’gul”? “Blind” etymology research experiment [Bloodborne, Dark Souls II]

またトールキンの人工言語についてはArdalambionを参考にした


ヤハグル(Yahar’gul)

さて、上記動画によれば、Yahar’gulの名前の意味は「血の幽鬼」を意味するという。その他にもいくつか考えられる「意味」にも触れられているので、詳細は動画を見て欲しい

まずgûlとは、トールキンの人工言語のうちのひとつ「黒の言葉」において、「Wraith」を意味する単語である(参考ArdalambionのOrkish and the Black Speech

例えば指輪物語に登場するナズグル(Nazgûl)のうち、nazg指輪を意味する単語であり、nazg+gûlは「指輪の幽鬼(Ring-wraith)」という意味になる

この他にgûlには、黒魔術魔術ネクロマンシー禁断の知識等々の意味が存在する

例えばミナス・モルグル(Minas Morgul)は、Minasが塔、morが暗い、黒い、gulが魔術という意味に分解され、翻訳では「呪魔の塔」になる

要するにヤハグルのグルには「幽鬼/魔術」といった意味がある

続いてYaharであるが、トールキンの人工言語にはYaharという単語は存在しない。しかしながらyárという言葉はあり、その意味は「血(blood)」である

本作における血の重要性を鑑みるならば、説得力のある語である

Yaharからyárへの語形変化については、DS3に登場するイルシール(Irithyll)Isil(月)やIthil(月)からの合成(ルシエンの歌の歌詞『ir Ithil ammen Eruchin』)であることを考えるのならば、yaharYarと何らかの単語の合成であると思われる

以上をまとめるとヤハグルとは、血の幽鬼/血の魔術/血の知識、等々の意味があると考えられる



ヤーナム(Yharnam)

さてヤーナムという単語は、ヤハグルと「Yhar」が共通している(厳密にはYaharとYhar)
では、Yharnamのnamとはどんな意味があるのか

上記動画の制作者KazzArmA氏が挙げるのが古英語の「ham」(あるいはゲルマン祖語のhaimaz)であり、home(故郷、家)の意味がある

このhamにyárが合成されることでYharnamとなり、「血の故郷」という意味になる

hamには街の意味があり、YharnamがもとはYárnham(血の街)という綴りだったのではないかというコメントをshe.oakenさんからいだだきました。詳細は下のコメント欄を読んでいただければと思います。説得力があり私は納得しました

しかしながら、トールキンの人工言語を組み合わせたヤハグルに比べて、古英語が唐突に登場してくるのはやや不可解である

多言語+古英語で構成される地名はイギリスではままあることだそうです。詳細はshe.oakenさんのコメントを読んでいただければと思います。私の指摘は言いがかりに近いものでしたので、撤回します

ヤーナムというエリアの重要性を考えても、ヤーナムが最初に命名されたように考えられるし、ならばヤハグルの命名法はヤーナムの命名法を踏襲したものであると思われる

ヤーナムという名は、トゥメルの女王に代々受け継がれてきた名前である
支配者の名が街の名となったのか(アレキサンドリアのように)、あるいは神聖な街の名を女王が戴いたものであろうか

もしくは上位者が悪夢そのものである(Hunted Nightmare)ように、「女王」そのものが「街」だったのかもしれない

さて、トールキンの人工言語において、語尾に「nam」が付く言葉としてはgohenamがあり、その意味は「許す/赦す」である

Yár+gohenam=Yharnamとなり、その意味は「血の赦し」となる

またトールキンの人工言語には、nahamという単語があり、その意味は「召喚」である
このnahamのnとhを入れ替えると、hanamとなり、これにYárを合成することで、Yharnamとなる

その意味は「血の召喚」となろうか

Gohenamにしろnahamにしろyár(「血」)が付くことで、どちらもそれっぽくなってしまいこれ以降は好みの問題となろう



ヤーナム/ヤハグル

血の幽鬼」というのは、隠し街ヤハグルという存在様式からいって妥当だと思われる。しかしながら、ヤハグルの中心にあり街を隠しているのは「ビルゲンワースの蜘蛛」である

そしてその蜘蛛が隠しているのが「儀式」である

この儀式を魔術的な用語で言い表すのならば、「血の魔術」となるであろう。個人的には「血の幽鬼」というよりも、「ヤハグル(血の魔術)の街」としたほうがしっくりくるが、これも解釈しだいであろうと思う

またヤーナムは、トゥメルに代々受け継がれてきた女王の名前である

その女王は上位者の赤子を得るための生贄のような存在であり、上位者の血を現世へ呼び出すという意味で「血の召喚」と呼ばれるのがふさわしいかと思われる



蛇足

DS1のアノールロンドやDS3のイルシールなど、トールキンの人工言語を利用した名前があることは知っていたのだが、それがブラッドボーンにも登場していたとは完全に盲点だった

クトゥルフ神話にばかり注目していたせいで、危うく見過ごすところだったので、動画のコメントは本当に助けになった

コメントを寄せてくれたBozeman氏には改めてここにお礼を申し上げる

2020年2月5日水曜日

Sekiro 考察57 まぼろしお蝶

素性

お蝶の素性に関しては、わずかな情報しか存在しない

うら若き頃薄井の森にて修行を積んで歴戦の幻術使いとなり、後年、狼の忍び技の師となった

まぼろしクナイ、戦いの記憶、戦いの残滓からくみ取れるのはこのくらいである

まぼろしクナイ
まぼろしお蝶の使ったクナイ
「手裏剣」の強化義手忍具の作成に使える
投げると音が鳴り、
クナイを追ってまぼろしの蝶々が飛ぶ
うら若き頃、お蝶は、葦名より北に離れた
薄井の森にて修行を積んだ
彼の森は、霧とまぼろしで満ちている
幻術を修めるには、またとない場所だ

戦いの記憶・まぼろしお蝶
まぼろしお蝶、歴戦の幻術使いであった

戦いの残滓・まぼろしお蝶
まぼろしお蝶は、義父が狼にあてがった
忍び技の師の一人である
師と言うが、手取り教えるわけも無し
忍びの技は、戦いの中でのみ育まれる


薄井の森

うら若き頃のお蝶は薄井の森で修行を積んだという。お蝶が外部から修行のために薄井の森に入ったのか、それとももともと薄井の森の住人であったのかはテキストからは判断できない

この薄井の森にいたと思われるのが、である。梟の本名は「薄井右近左衛門」であり、薄井の森と関係の深いと思われるフクロウ(猛禽)を使うことからも薄井の森と繋がりがあることがわかる
霧がらすの羽
葦名より北に離れた薄井の森には、
正体掴めぬ猛禽が棲む
中でも霧がらすは、
確かにいるが捕えた者はおらぬ
掴まえたとして、羽を残して消えてしまうのだ
中でも」とあることから、薄井の森に棲む猛禽は、霧がらすだけではない

また、その能力が霧がらすと酷似していることから、梟の操る(使う)フクロウもまた薄井の森に棲む猛禽の一種であると考えられる

さて、お蝶のうら若き頃とは、梟の若い頃でもあり、薄井の姓を名乗っていることからも、梟は薄井の森の支配者層であったと考えられる(正確には薄井の森を含むある程度の領域)

このことから薄井の忍びとしてのヒエラルキーは、梟が上でありお蝶はその下であると考えられる

これは後年、狼に忍び技の師としてお蝶を「あてがった」ことからも裏付けられる

あてがう」とは立場が上の者下の者の役目を割り振るというニュアンスが強い言葉である

狼の修業時代においても、梟→お蝶というヒエラルキーは維持されていたのであろう


国盗り後

国盗り後はお蝶は一心の忍びとして活動していたようである。この時には梟とお蝶とはほぼ同格であったろうと思われる

竜泉を振る舞う一心:酒飲みながら、十文字槍を手放さぬ馬鹿者に…
人の酒を幻術でかすめとる、馬鹿者
盃片手に、作りかけの義手をいじっておる、馬鹿者
それから…
でかい図体で、すぐに真っ赤になる、見かけ倒しの梟もな!


三年前

しかし竜泉詣での年、つまり平田屋敷が襲撃された時にはお蝶は梟や狼とは距離を取っていたようである

ムービーにおいて、「久しいな 梟のせがれよ」と口にするからである

この「久しいな」がどの程度の期間を示すのかはいくつか考えられる

一つ目は、お蝶が一心の忍びとして仕え続けており、九郎の護衛を任ぜられていた梟と狼とは会う機会が「久しくなかった」というパターン

二つ目は、お蝶が一心の忍びを辞して「はぐれ忍び」となり、姿を隠したというパターンである

戦闘開始時に隻狼が「お蝶殿、何故…」と疑問を口にする

この疑問は一つ目のパターンであればなぜ九郎を襲ったのか、となり、二つ目のパターンを前提にするのならば、なぜはぐれ忍びとなったのだ、という解釈も可能である

曲解せずに素直にとるのならば一つ目のパターンが正解であろう

だが、もしこの時にお蝶が未だに一心の忍びであったのだとしたら、お蝶に刀を向ける理由は隻狼にはない

主のそのまた主なのだから、まずは事情を問いただすはずである
※正気に戻った九郎はためらうことなくお蝶から逃げていることから、九郎にとってもお蝶は襲撃者であった

また、一心の命令による正当な理由があったのだとしたら、隻狼に「お蝶殿、何故…」と問われて「…さてな」と答えを濁す必要はない

つまりお蝶はこの時、正当な理由なしに九郎を襲撃(誘拐)しようとしたのである(少なくとも隻狼や九郎に対して正当な理由はない)


梟の謀

戦闘開始時にお蝶は不思議なことをいう

隻狼に「お蝶殿、何故…」と問われて、「…さてな 惑わば死ぬるぞ、せがれ殿」と答えるのである

これは一見、お蝶の幻術に惑えば死ぬ(=敗北する)という一心の「迷えば、敗れる…」と同じようなニュアンスととれる

実際、そういう意味もあるのであろう

だが、このセリフにはもう一つの意味があるのかもしれない

それが「(梟の謀に)惑わば死ぬるぞ、せがれ殿」という意味である

事実この直後に隻狼は梟の謀によって死にかける

梟の謀は過去にも考察したが、要約すると「死を偽装して姿をくらませる」ことである

※死を偽装する理由や目的についてはいくつかあるが長くなるので割愛する

死を偽装するためにはおのれを知る者一人残らず始末しなければならない

だがおのれの力に衰えを感じていた梟には、お蝶や狼を無傷で倒せる自信がなかったのである

※梟の衰えに関しては、義父の守り鈴の梟天守の梟との比較が参考になるかと思う
※端的に言うと、天守の梟は力が衰えているがゆえに、邪道に走るほかなかったのである(忍者としては完成形であるが)

そこで梟は、お蝶と狼を戦わせることで相打ちを狙い、たとえそうならなくとも、生き残った満身創痍の方をだまし討ちで片付ける、という最初の謀を企んだのである

こうした事情により、隠し仏殿のあの不可解な状況が発生したのである


お蝶の動機

では、お蝶はいったいいかなる理由において九郎をさらおうとしたのであろうか

ここでお蝶にとって九郎とはどういった価値があるのかという問題が浮上する

例えばお蝶は桜雫を持っていた。ゆえに九郎を利用して不死の契りを行おうとしたというのが一つ

これにはお蝶が九郎にかけた幻術に「父上や母上」が登場することが重要な意味を持ってくる

つまり、父上や母上に不死の契りを懇願させる、あるいは瀕死状態にある両親を目の当たりにさせることで、九郎に不死の契りを行わせようとしたのである(その対象はお蝶となるが)

もう一つは、純粋に九郎を救おうとしたというものである

この場合でも、幻術に両親と蝶々が出てくることが重要性を持つ。ようするに九郎が受けるであろう惨劇のショックを和らげるために、幻術をかけた、というものである

蝶々による誘導という点も考えたのだが、あの賢い九郎が蝶々を追ってふらふらと誘導されるという構図に現実味がない。多少頭の足りない子であればあり得るだろうが…


不死の契り

不死の契り仮説を採るのならば、お蝶が桜雫を持っていたことや九郎を狙ったこと、「…さてな」の説明ができるうえに、お蝶が誘い出された梟の謀(平田屋敷の防備が手薄な日の情報をお蝶に流せば済む)も推察することができる

また重蔵たちが本殿を囲み平田の者の侵入を防いでいたことも、リーダーであるお蝶の不死の契りを邪魔させないため、と容易に説明づけられる

※この場合、襲撃者を率いていたのはお蝶である。梟は襲撃者に殺されたふりをして、最終的には孤影衆と合流してお蝶一派を皆殺しにする予定であったと思われる

ただし、一つだけ説明の付けづらいものがある

お蝶のキャラクター性である

確かどこかのインタビューで宮崎英高氏が、お蝶を「かっこいいお婆ちゃんキャラを出したかった」的なことを言っていた記憶がある(探したのだが見つからず…記憶違いかもしれない)

また、ゲーム内における描写でも、九郎に不死の契りを強要させるような人物には見えない

死に際に関しても、「腕を…上げたね…狼…」と、自らの目的が果たせなかったことなど口にせず、狼を褒めて逝くのである

こうした描写からは、不死の契り説で想定される暗躍するお蝶の姿は想像しにくいのである



九郎を救出しにきた説

一方、お蝶のそうしたキャラクター性を重視するのならば、何らかの正当な理由により九郎を助けに来た、あるいは正義を貫きに来た、という説に傾くことになる

ただし一心の命令ではないと思われる。上述したが一心の命令であれば、事情を明かすはずだからである

一心の命であると考えると、それは「九郎の安全を確保すること」であると思われるが、優先事項を無視し、事情を説明して戦いを避けようともせず狼との戦いに突入してしまう、というのはちょっと考えにくい


丈の遺志説

次に検討するのは、お蝶は丈の遺志を継いで行動しているという説である
これは桜雫を持っていたことからの自然な推測である

交流があったであろう丈が死に、その遺品である桜雫を大事に所持していることから、丈に対するお蝶の深い思いが伝わってくる

ただし丈の遺志というのは、「仙郷に帰って竜胤を断ちたい。果たせなければ人返りで死にたい」というものである

平田屋敷の段階では九郎にしても為すべきことが分からない状態であり、お蝶が竜胤断ちを狙っているようにも思えない

あるいは、丈の護衛を任されているうちに丈に対して愛着がわき、しかし丈が死んだことで強い喪失感を抱いたお蝶が、その面影を宿す九郎を助けに来た、ということも考えられる

丈を失ったショックから一心の忍びを辞し(おそらく一心であれば許したであろう)、しかし追慕の情から同じ竜胤の御子である九郎を助けようとしたという流れである

しかし、それほどまでに丈に強い情を抱いているのだとしたら、そうした理由は説明するだろうし、死に際に丈に対するセリフの1つも吐くはずである



竜胤の御子

次に検討するのは、竜胤の力を利用させないために活動している、とする説である

丈との交流により、竜胤の力の歪みを知ったことから、お蝶はその力を誰にも使わせないように行動しているのである

ゆえに、その力(回生の力)を宿す桜雫を隠し持ちながら使うつもりはなく竜胤の御子が騒乱に巻き込まれそうであれば、救いに来るのである

しかしやはりここでもネックになるのは、隻狼の問いに対して「…さてな」と答えを濁すことである

世界の歪みである竜胤の力を使わせない、という大義を抱いているのだとしたら、なぜそれを隻狼に言わないのか

また、死に際に関してもやはり何かしら満足して死んでいっているように見えるのは、この説からすると不自然である



振り出しに戻った感があるが、では一体全体お蝶はなぜ平田屋敷に来たのか

平田屋敷にしかない特別なものは何かというと、竜胤の御子たる九郎である

だが上記の検討により、竜胤の御子を救う説も、利用しようとする説も、利用させまいとする説も、どこか違和感があるのである

だがここで、竜胤の御子に必然的に付随する存在を忘れていたことに気づく

それは九郎を護衛する者、その筆頭、である

結論から先に述べれば、お蝶は梟と刺し違えるために来たのである

梟のせがれと知って狼と戦おうとするのも、お蝶にとって狼は梟と戦う前の障害だったからである(一心前の弦一郎みたいな)

お蝶にとって九郎は、九郎を護衛する者(梟)おびき出すためのエサであった

何の執着も見せず九郎を逃がしたのは、狼という獲物がかかれば九郎は用済みだからである(そして狼は次の獲物のエサでもある)

お蝶は梟の謀を見抜いていた。うら若き頃に薄井の森で修行したお蝶は、薄井右近左衛門が謀を企むような人物であることも熟知していた

だが、それでもお蝶はあえて謀に飛び込み、梟と刺し違えようとしたのである

正義大義からの行為ではない。だとしたらお蝶はそれを狼に告げたはずである

まったく非合理的で、まともな理由ともいえず、端から見れば意味不明の言動であり、それでもお蝶を行動させずにいられないもの

率直に言えば、それは「愛情」であろう

かつて愛した者であるがゆえに、歪んで狂っていくのが耐えられなかったのである

そうした心の動きを「何故」と問われても「…さてね」と答えるしかないのである(性格的に照れもあると思うが)

なぜ、わざわざ「うら若き頃」のお蝶と薄井の森を関連づけたのか。なぜ梟の本名薄井右近左衛門と名づけたのか

宮崎英高氏はブラッドボーンのインタビューでも明かしているように、命名マニアであり、その名前には必ず意味がある

梟とお蝶の二人だけが(人間に限定)薄井の森という登場すらしない場所で繋がっている。つまり薄井の森とは比喩的であり象徴的な場なのである

何を象徴するかというと、家庭あるいは家族である

このことから、なぜ梟がお蝶と狼とを亡き者にしようとしたのかも推察することができる
梟にとってお蝶と狼家族、つまりおのれを最もよく知る者たちなのである

一心という主から離反し、はぐれ忍びとなるという覚悟、その決意のほどを表わしたのが、梟による肉親殺しなのである(内府の信頼を買うために必要だったのか、あるいはすでに狂っていたのかもしれない)


せがれ

なぜお蝶はことさら「せがれ殿」を強調するのか。彼女にとってかつての連れ合いである梟の義理の息子は、自らの「せがれ」に等しいものだからである

ゆえに、皮肉と自嘲の入り交じった口調で「せがれ殿」と繰り返すのである

また、自らが鍛え上げた「せがれ」であるがゆえに、殺された際にはある種の満足感を得たのである。ゆえに母親らしく、たくましく育った息子を褒めて逝くのである



川蝉

かつて飛び猿であった頃の仏師は、おなじはぐれ忍びである川蝉とともに落ち谷で修行を重ねたという

はぐれ忍びというからには、川蝉は忍びの出であることがわかる
そして翼を持ち飛翔する生物の名であるゆえに、薄井の森との関連をかつて考察したこともある

さて、この川蝉カワセミと書けば鳥類であるが、漢字には昆虫の蝉の字が使われている

つまり、川蝉という単語は鳥類と昆虫を併せ持っているのである

なぜ命名マニアである宮崎英高氏が「川蝉」という名を薄井の森と関連するであろう忍びにつけたのか

鳥+昆虫=川蝉、これをゲーム内の人物に置き換えるのならば、

梟+お蝶=川蝉、となるのである

名前から考察するに、川蝉は梟とお蝶の娘である

だが川蝉ははぐれ忍びとなり、梟のもとから去っていった

彼女は飛び猿と出会い、落ち谷で修行中に獅子猿に食われて死ぬが、その時の彼女の得物(武器)は、梟のそれとよく似た大振りの刀である

その後に飛び猿が戦場でエマを拾っていることから、梟が狼を拾ったのは川蝉が姿を消した後のことであろうと推測できる

梟が狼を拾ったのは、あるいは娘を失ったことの反動からだったのかもしれない


家族

さて、SEKIROの物語には、隠されたテーマとして「家族」のようなものがあるように思われる

なぜ弦一郎は一心の跡継ぎとして育てられてきたのではなく、市井の出なのか。なぜ梟は狼を義理の息子としたのか。なぜ竜胤の御子は父である桜竜から離れようとしたのか

登場人物たちの家族関係はかなり歪んでいる(あるいは希薄、さらにいえば無縁)のだが、そこに描かれているのはまぎれもなく父と子の相克であり、乗り越えなければならない偉大な父に対する三者三様の答え方なのである

弦一郎は超えようとして挫折し、隻狼父親殺しを完遂させ、竜胤の御子は父の影響から逃れようと苦しむ
※誤解が無いように付け加えておくと、ここでいう「父」とは実の父のみを表わしている言葉ではない。象徴的な「父」「家父」としての父、あるいは葦名の父といった意味合いである

その周辺にあるのもやはり「家族」である

本考察をもとにするのならば、川蝉は隻狼の義理の姉であり、であるのならばその相方である仏師は義理の兄のような存在である

またその仏師に拾われたエマは仏師の娘ということになるが、となるとエマは隻狼の姪になる

なんとなく「薄井一族」という忍びの者たちが葦名に対して忍術戦を繰り広げる、「山風」的なイメージが浮かんでくるが、このあたりは妄想である


桜雫

なぜお蝶が桜雫を持っていたのかという補足的な項

基本的にはやはり丈に対する思慕があると思われる。また、その桜雫を手に入れたことが、梟と距離を取る原因となったとも考えられる

桜雫に対する反応により、梟の狂気を確信したのであろう。ゆえにお蝶はそれをもって姿をくらましたのである(事情を説明すれば一心も許可したであろう)

平田屋敷の後で梟が桜雫を探していないのは、桜雫という代用品ではなく、竜胤の御子という実物を入手する算段がついたからであろう(死を偽装後に内府に寝返り、葦名に侵攻、竜胤の力を手中にする)


蛇足

本考察におけるお蝶のキャラクター解釈は『タフの方舟』(ジョージ・R・R・マーティン)に登場するトリー・ミューンという女性に負うところが多い

彼女の性格や口調、外見や身のこなしなどが偶然とは思えないほどお蝶と似ているからである(完全に同じというわけではない)

彼女の信念の通し方を考えたとき、ではお蝶が信念を通すのはどういったときかを解釈したのが本考察である

媒体もジャンルも違うSEKIROと『タフの方舟』であるが、宮崎英高氏が書名を口にしていることからお蝶とトリー・ミューンの類似性はある程度は意図したものであった可能性はある

とはいえ、確信が持てるわけでもないので、本文では『タフの方舟』との関連には一切触れていない。あくまでSEKIRO本編から読み取れるもののみによって考察したものである

※お蝶がトリー・ミューンなら、タフは梟ということになるが性格が異なる。強引にタフのキャラクターを当てはめるのならば、道玄がそれか