2021年2月27日土曜日

Bloodborne 考察まとめ11-1 ビルゲンワース(語源編)

名前

過去の考察でも述べたが、名前には非常に重要な情報が秘められている


しかし、結局、私はすべての名前を選びます。私が監督したタイトルはいつもそうだった。もちろん、名前はあなたが描きたい世界の非常に重要な部分ですが、それ以上に、私は名前を思いつくのが大好きです。私はちょっとしたネーミングオタクだと思います。それは私にとっていつも楽しいです。私は、単語の起源、表現でどのように聞こえるか、地域の考慮事項など、すべてを考慮します。(インタビューより)


本作に登場するNPCの名前は、ネーミングオタクを自認する宮崎氏が決定したものなのであり、その決定は、語源、響き、地域性などを考慮に入れてなされたものなのである


何度も引用している文章だが、理由も無しに語源を追求しているわけではないということを最初に触れておく



ビルゲンワースという地名

ビルゲンワースの英名は Byrgenwerth である


このうち後半部のWerthは、イギリスの地名に詳しい者であれば、Worthを連想するであろう


Worthは「囲い」や「定住」を意味する古英語の「worð」に由来する言葉である(Werth History, Family Crest & Coats of Arms


しかしながらWorthWerthは と が異なるうえ、英国系の名前をもつガスコインを異邦人として扱っていることからも分かるように、ビルゲンワースから見ると英国は異国である


その異国の慣例的な命名法を用いるのはどうにも腑に落ちない


ヤーナムが中欧をモチーフにしていると考えられることからも、唐突にイギリスの慣例姓が地名として登場するのは違和感を覚える


実のところWerthはWorthとは直接的には関係がない(語源的にはあるかもしれない)


Werthとはれっきとしたドイツ語であり、その意味は「排水前は河口や河岸の湿地だった川中島や耕地」(『ドイツの河岸地名Werderとその場所の微地形』PDF)である


それによると、ドイツ中部河岸地名にはWerthという名前の場所が多いのである


異字同語地名である Werder, Werd, Wörth, Ward, なども挙げられているが、その語義は「島、半島、湿地間の水害のない微高地」であり、水と関係の深い場所につけられる名前なのである


いうまでもなくビルゲンワースの建物は、月前の湖の岸辺に建っている


つまるところByrgenwerthのWerthの語義は「囲い」や「定住」ではなく、「島」「半島」「微高地」を意味するのである


ワースの部分だけを訳すのならば「ビルゲン島」や「ビルゲン半島」「ビルゲン河岸」「ビルゲン干拓地」という意味になろうか


大量の水は、眠りを守る断絶であり、故に神秘の前触れである

求める者よ、その先を目指したまえ(カレル文字「湖」)


カレル文字にあるように、ビルゲンワースは大量の水の先を目指したのである。その前哨基地として相応しいのは湖岸に突き出したような半島、またはである



Byrgen

さてByrgenwerthのWerthが判明したところで「byrgen」の考察に移りたいと思う


結論から先に述べれば、byrgenとは『散文エッダ』に登場するビュルギル(byrgir)の泉からとられた地名である(語尾のgirgenの差異は後述する)


『散文のエッダ』の「ギュルヴィたぶらかし」11章で、ヴィズフィンルを父とするヒューキとビルという名の二人の子供たちが高い地位へ置かれた。彼ら二人はビュルギルByrgir、古ノルド語で「何かを隠す者」の意[3])のから歩いて来たが、二人はセーグ(Sæg)という桶をシームル(Simul、古ノルド語でおそらく「永遠の」の意[4])という天秤棒で運んでいた。マーニは彼らを地上から取り上げ、彼らは今や天をマーニに付き従っており「それは地上からも見る事ができる」[5]。(Wikipedia


※北欧神話と本作の関連についてはオドンの考察参照のこと


Wikipediaによれば、ビュルギル(byrgir)とは古ノルド語で「何かを隠す者」の意であるという


その語義通り、学長ウィレームは湖に秘密を隠していた


月見台の鍵

ビルゲンワースの二階、湖に面した月見台の鍵


晩年、学長ウィレームはこの場所を愛し、安楽椅子に揺れた

そして彼は、湖に秘密を隠したという


また、月前の湖にいたロマが儀式や月を隠していたことは各所のメモに記されている


ビルゲンワースの蜘蛛が、あらゆる儀式を隠している

見えぬ我らの主も。ひどいことだ。頭の震えがとまらない(オドン教会のメモ)


あらゆる儀式を蜘蛛が隠す。露わにすることなかれ

啓蒙的真実は、誰に理解される必要もないのだ(ビルゲンワースのメモ)


狂人ども、奴らの儀式が月を呼び、そしてそれは隠されている

秘匿を破るしかない(隠し街ヤハグルのメモ)


さて、神話に登場する「ヒューキ」と「ビル」という二人の子供たちは、月相(満ち欠け)の擬人化である


北欧神話におけるヒューキ(古ノルド語: Hjúki、おそらく古ノルド語で「快復する」の意[1])とビル(古ノルド語: Bil、文字通り「その瞬間」の意[2])は、天を横切る月の擬人化であるマーニに従う子供の兄妹である。彼らは13世紀にスノッリ・ストゥルルソンが書いた『スノッリのエッダ』にのみ認められる。学説では二人を取り巻く特性から、彼らが月のクレーターあるいは月相を体現している可能性があり、ゲルマン系のヨーロッパの民間伝承に関連するとしている。ビルはヨーロッパのドイツ語圏に伝わる民間伝承に認められる農業に関連する存在のビルヴィス(英語版)と同一視されている。(Wikipedia)


神話ではビュルギルの泉から歩いてきた二人が、高い地位、つまり月に上昇させられたという


本作における「」とは「宇宙」と同義であり、そこは上位者の住む「悪夢」でもある(「月の落とし子エーブリエタース」参照のこと)


月に上昇させられた、とはすなわち「上位者」になることと同義であり、それと符合するように、月前の湖には上位者ロマが住んでいる



byrgirからbyrgenへ

しかしながら、byrgirbyrgenとは語尾の二文字が異なっている


girからgenへの変化の合理的な説明は可能だろうか


まずbyrgirスウェーデン語やノルウェー語などの北欧語では「byrge」と記される


Vidfinn (fornvästnordiska Viðfinnr, ”skogsjägare”[1]) är i nordisk mytologi far till barnen Bil och Hjuke, som kidnappades av månguden Måne då de var på väg från brunnen Byrge med en så, som de bar på axlarna med såstången Simul. Detta berättas i Snorres Edda, Gylfaginning, kapitel 11. Snorre skriver: ”De barnen följer Måne, såsom man kan se från jorden.” Det kan alltså röra sig om en bild som syns på månen.[2](Wikipedia



古ノルド語やスウェーデン語、ノルウェー語はおなじ「インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派"北"ゲルマン語群に属する言語」であり、Byrgeの意味も同義(「何かを隠す者」)である


またドイツ語は「インド・ヨーロッパ語族・ゲルマン語派の"西"ゲルマン語群に属する言語」であり、おなじインド・ヨーロッパ語を祖にもつ近しい言語である


これらスウェーデン語とドイツ語には名詞の格によって語尾が変化するという共通する特徴がある


簡単にいうと単数形から複数形にすると語尾が変化するのである


スウェーデン語の名詞には共性名詞と中性名詞の二種類ある


このうち中性名詞を複数形にする際に、単語の語尾が母音だった場合、語尾に n をつけることになっている


中性名詞で単数形が母音で終わるものは、複数形はその末尾の母音の後に-nを加える。(例:äpple (リンゴ)/äpplen)(Wikipedia)


※つまりByrgeを複数形にするとByrgenになる


また単数名詞不定形から定形に変化させる際にも、語尾にenをつける場合がある


例:brevet(手紙)→breven(定形の手紙)


スウェーデン語では、たとえば英語で「定冠詞」と呼ばれているものに似た働きをする語はあるが、それは独立した語ではなく、名詞の後ろにつける接辞である。この接辞は共性名詞単数では-enまた-n,中性名詞複数では-etまたはtという形をとる(例:flaskan (ビン) brevet)。複数形につくときは文法性でなく複数形の語尾によってそれぞれ-na,-a,-enなどがつく(例:flaskorna(ビン),breven (手紙))。名詞にこの接辞のついた形を定形といい、つかない形を不定形という。 (Wikipedia)


本作に登場するByrgenwerthの場合には、Byrgeを定形化してByrgenにしたものとも、「何かを隠す者」という名詞を複数形に変化したものとも考えられる(つまり「何かを隠す者たち」になる)


おなじゲルマン語系のドイツ語でも名詞を複数にした際に語尾に nen がつくことがある


複数型の語尾には、-(無語尾), -e, -er, -(e)n, -sの五つのパターンが存在する。(Wikipedia)


例:Schule(学校)→Schulen(学校:複数形)

例:Funke(火花)→Funken(火花:複数形)

例:Biologe(生物学者)→Biologen(生物学者たち:複数形)

例:Auge(目)→Augen(目:複数形)


Byrgeにこの規則を適用すると以下のようになる


Byrge(何かを隠す者)→Byrgen(何かを隠す者たち



Byrgenwerth

以上の考察を組み合わせるByrgenwerthの語義が明らかになる


Byrgen何かを隠す者たち

Werth島、半島、干拓地、河岸


Byrgen+Werth=何かを隠す者たちの島(半島、干拓地、河岸)である


より文学的に表現するのならば「隠秘者たちの孤島」という感じになろうか


その孤島は神秘を隠す水の際にあり、(半)島にある学び舎には隠秘者たちが住んでいたのである


そして「何かを隠す者たち」の名に相応しく、合い言葉の番人はビルゲンワースそのものを隠し、その学長ウィレームは湖に秘密を隠し、白痴の蜘蛛ロマは儀式を隠していたのである


神話ではByrgeの泉から来た二人の子供たちが月に誘われて神的存在になったとされる(上で引用したヒューキとビルの神話を参照のこと)


神話をトレースするように、Byrgenwerthにある月前の湖には、(悪夢あるいは上位者オドン)によって上位者となったロマが棲んでいる


あるいは月前の湖のロマ嘆きの祭壇のロマとは兄妹なのかもしれない



禁域の森

禁域の森の底にはカレル文字「深海」が落ちており、また周囲には広範囲に水たまりが広がっている


これは過去に禁域の森の底部に水が溜まっていた期間があったことを示している


ということは、その期間ビルゲンワースは前方の湖後方の湿地帯によって島のようになっていたのである


ビルゲンワースの語義が「隠秘者たちの」と名づけられたのは、こういった理由からなのかもしれない


蛇足

ByrgirからByrgenへの変化は単にドイツ語風の響きを選んだとも考えられる

「~~ゲン」とつくとドイツ語風に聞こえるからである

いろいろと最もらしくgirからgenへの変化を説明してみたものの、言語学的な素養や教養はまったくないので、正しいかも分からない

その点、Byrgirをドイツ語風の響きにしたらByrgenになった、という説ならばシンプルかつ明解である

2021年2月20日土曜日

Valheim 鉱石を運搬する話

 Valheimレビューで、鉱石を持ってワープ出来ないことにやや不満があると述べたが、それは間違いであった


実際に本腰を入れて鉱石を運搬してみると、これが非常に面白いのである


手順としては以下のようになる

  1. 本拠地までの道をならす
  2. 上陸地点に設けた仮拠点にカートを用意
  3. 輸出港から鉱石を積み込んで出航
  4. 上陸地点で鉱石をカートに積み直す
  5. 本拠地までの道を運搬


今回たどった経路が以下の図である


※ストーンサークルの左上にある「犠牲の石」付近が本拠地である

出発点は船着き場として建造したものの、やたらと大規模な漁師館のようになってしまった拠点である


中庭に面した屋根付きのポータルエリアが便利

ということで鉱石を積載して出発


海の表現がとても秀逸である



星空とユグドラシルの枝


上陸地点からはカートで進む


荷物の重さがそれほどでもなかったので登れた

本拠地が見えたときにはある種の感動さえ覚えた




運搬したを何に使ったかというと、屋内の改装である


床下収納にした大型チェストがお気に入りである(歩行の邪魔にならない)


最初に作ったこの屋敷だが、今となっては手狭なのと海が遠いことから、近々船着き場に本拠地を移転する予定である


銀の精製が済み次第、また船で輸送を行なう予定である


風向き次第で南側の進路を取る可能性も


難易度について

前回、マルチ前提の難易度と書いてしまったが、事前の準備をきちんと行なえばソロでも大骨は倒せる


  1. 毒耐性を上げる蜂蜜酒を造る
  2. 鉄装備一式を揃える(無強化でも可)
  3. 可能であれば、鉄メイス(大骨に特攻)と小型楯を用意(スキルは上げたようがいいかもしれない)
  4. 大骨と戦う場所の近くにポータルを設置
  5. 毒耐性蜂蜜酒を飲んで戦闘開始
  6. 毒液無視。大骨の攻撃をパリィして反撃一撃離脱でも可
  7. 危なくなったらポータルを使って逃げ、拠点で回復しつつ戦う
  8. 大骨のHPは回復しないので時間をかければいつか倒せるはず
  9. ログアウトして別ワールドに逃げるのもよい


雪山

沼の次は雪山なのだが、正直沼の方がきつかった


雪山も凍結防止の蜂蜜酒を造る必要はあるが、銀は数が掘りやすく銀装備一式がすぐに揃う(マントと胴に耐寒性能upがついてる)


ストーンゴーレムもツルハシで攻撃することを知っていれば大して強くない


沼を越えたご褒美という感じのエリアなのだろうか。成長を実感させてくれるような難易度バランスは素晴らしい


蛇足

前回のレビューにおいて、鉱石ワープと難易度への言及が的外れだったので、その訂正も含めて記事にしたものである

ストーリー的にもシステム的にも、ボスを倒すことが目的のひとつであるが、このゲームの面白さは寄り道にあると思われる

あまり急いてボスを倒し尽くすと、逆に飽きが早いのかも知れない


2021年2月16日火曜日

Valheim ヴァルヘイム レビュー

 ヴァルヘイムとは一言でいうと、北欧神話を舞台にしたサバイバルクラフトゲーである


※詳細はSteam参照のこと


※現在のところアーリーアクセス(EA)、つまり開発途上のゲームであり、遊べるのは実装された範囲までである


レビュー

まずグラフィックの質が高い。ここでいうとはフォトリアル至上主義とは無縁のグラフィックの美術的センスのことである


筆者にはフォトリアルなグラフィックは必ずしもゲームの質に貢献しないという持論がある


まるで現実のような精緻なグラフィックをゲーム上に構築したとしても、ゲームとしての土台が傾いていれば、名作にはなりえないのである


その点ヴァルヘイムのゲーム容量は1GB程度であり、世間一般で言うところと高グラフィックはとうてい望めない


しかしながら、ゲームをプレイしているうえで世界に没入できているという感覚は、フォトリアルを追求したゲームよりヴァルヘイムのほうがはるかに大きい


風が明示的に表現されている


低ポリゴンを最新エフェクトにより美麗に魅せるという手法は、あえて類似ゲームを挙げるとすれば、ゼルダの伝説Botwに近いだろうか


正直なところ、BOTWの独特な“味”を表現できるのは日本のメーカーだけだと思っていたが、良い意味で裏切られた思いである


世界の諸物は単なるとして置かれているのではなく、プレイヤーに関連する「出来事」として提示され、そうした出来事の総体が世界を創り出しているのである


ヴァルヘイムはNPCはほとんど登場せず(商人とカラス、トール、森の謎人ぐらいか)、草原に廃屋が点在するような空疎にさえ思える世界である


だが、そこで筆者が感じたのは世界そのものから立ち上る濃密な存在感である


大地はクワにより掘り起こされ、木々はオノによって切り倒され、鉱物はツルハシによって砕かれる


吹き抜けるカゼは眼に映り、アメは体を濡らし、シカの鳴き声がこだまする


世界に自分ひとりだけのような寂寥感と、かつて人がいた気配だけが漂う廃屋


世界の美しさと汚らわしさ、自然の恩恵と過酷さ、わずかに示されるストーリーが、世界そのものへの興味を引き立てていく


奇をてらわず、あからさま過ぎず、それでいて人間の五感をひかえめに刺激するような表現が、プレイヤーを世界の深いところまで没入させるのである


正直なところ、Elden Ringに密かに期待していた要素が少なからず実現されていて驚いている



世界

北欧神話には本来は9個の世界しか存在しない。本作の10個目の世界ヴェルヘイムはつまりオリジナル設定ということになる

※あるいは、ヴァルハラ(戦死者の館)とヘイム(国)を合わせて、戦死者の国という意味なのかもしれない


※空を見上げると巨大なユグドラシルの枝が見える。このダイナミックな表現法はゼノシリーズを彷彿とさせる

あるいはラグナロク後に神々が再会を果たす場所「イザヴェル(輝く野)」のイメージも含まれているのかもしれない


ラグナロク後には海中から緑の美しい大地が浮かび上がるとされるが、本作の海に浮かぶ無数の島々のビジュアルイメージと合致するからである


※世界はランダム生成されるので多少の相違はあるかもしれないが、配信など見ても多くの島に分かれているようである


とはいえまだオーディンは生きているようなのでラグナロク後ではない。あくまでモチーフはモチーフである


ヴァルヘイムは名前やストーリーから推測するにヴァルキュリア(戦乙女)とヘイム(古ノルド語で「国」の意)の合成語のようである


戦で命を絶たれた戦士Valkyriesにより、あなたの魂は10個目の北欧の世界「Valheim」へ運ばれた。混沌とした生き物と古代の神々に囲まれたあなたは、オーディンの古代の宿敵を倒し、「Valheim」に秩序をもたらす任務を負う。(Steamのストアページ「このゲームについて」)


ただし「戦で命を絶たれた戦士Valkyries」とあるように、ヴァルキュリアの設定そのものも変更されているのかもしれない(翻訳の問題も?)



難易度

ソロだと難易度がかなり高い草原→黒い森→沼→雪山→平地という攻略順なのだが、サクサク進めるのは「」までであろう(ボスは強い)


※ソロでも5番目のボスまで倒せるようである


沼で「」を入手することで石材建築まで可能になるのでその先は無理に進まなくてもいいかな、というのが個人的な感想である


というか鉄の必要量が尋常でないので進めない…



建築

攻略拠点ともなり、休息もできる家を建築するのがこのゲームの定石である


休息することでスタミナ回復速度上昇のバフが付与される。基本的にはこのバフが付与された状態で探索することになる


休息するためには焚火と寝床が必要であるが、が降ると焚火は消えてしまうし、といって家の中に焚火を置くと煙が充満して死んでしまう


そのあたりをクリアする効率的な家として下の2つをよく使う


3x3の小さな小屋である


5chのValheimスレで見かけて参考にした家


あくまでも一時的な攻略拠点である


また家には快適度がある。快適度は鹿皮などを敷くと上がり、快適度1につきバフ時間が1分延びる


本拠地はやや大きめの屋敷を作り、チェストを並べておくと戦利品の整理がしやすい


短い丸太を使って横ではなく縦に並べる方法もある



食事

食事を摂ることで最大HPとスタミナが増える

このゲームはレベルというものがなく、HPとスタミナ食事の質により確保される


食事を何も取らなければゲーム終盤でもHPは25程度である


草原などに生えているベリーやキノコや、生肉を焼いて食べることで60~80程度まで上昇する。HP100程度あれば黒い森のボスの攻撃も耐えられるはずである


廃屋などにある「蜂の巣」は弓で撃つことで破壊でき、女王蜂を入手することができる


女王蜂と木材で養蜂箱を作ることができ、定期的にはちみつを入手することができるようになる。そのまま食べてもいいし、中盤以降は醸造酒を作るために必要になる



戦闘

棍棒系の武器とを持てば大体の敵は倒せる


棍棒系は黒い森のスケルトンなどに特攻があり、また沼のボスにもよく効く。


トロールは弓を引き撃ちすることでノーダメージで倒せる(盾が強くなればパリィ)


連続攻撃するとすぐにスタミナが枯渇してしまうが、パリィを混ぜていくことで素早くMOBを倒せ、またスタミナも維持しやすい




総評

開発途中であるが雑な部分はほとんどない。ゲームのレベルデザインからUI成長曲線等、とても丁寧に作られていることがわかる


聞くところによると開発者は5名とのことである


小規模であることが奏功したのか、意味のないシステムをゴテゴテと飾り付けることはせず、シンプルにバランスと面白さを追求していったようであり、そこには引き算の美学のようなものすら感じられる


そうして要素を削っていったことで濃密な世界が誕生するというのも面白い


おそらく主導している人物のビジョンが明確なのであろう。感覚ではなく論理を重視する人物(簡単にいうと「面白いゲームを狙って作れる人」)であり、その点からいえば開発が迷走する心配はなさそうである


基本的にマルチ前提の難易度なので、ソロでかつ腕に自信がなければ沼の攻略に手を付けるまでを目安にプレイするといいかもしれない。その後は難易度が上昇し、多大な労力を要求される(鉄集めとか)


鉱物を所持してワープすることができないため、カーゴや船で運搬するか、あるいはワールド間運搬という裏技的な技で運ぶしかないのがやや不満である


アップデートで遊びやすくなったら進めるということも検討しつつ、建築しながらのんびり過ごすのも良いかもしれない


あくまでも開発中ということを頭に留めおいて、途中まで遊んでみるつもりならば、2000円という低価格ということもあり、オススメである


2021年2月3日水曜日

Bloodborne 雑文 アルフレート

考察ではなく「雑文」である

 

名前の語源から判断すると、カインハーストはドイツ系である


まず女王アンナリーゼがアンナ+ルイーゼの合名であり、ドイツ人の名の例として語源事典などに載っている


エヴェリンもまたドイツ名である。エヴェリンは銃の名であるが、テキストに「女性名を冠されたこの銃は」とあるように、人の名前でもある


さて、ブラッドボーンのNPCの中にはドイツ名を持つ者が他に2名いる


アルフレートとエミーリアである


アルフレートは金髪碧眼であり、いわゆるドイツ系(ゲルマン系)の特徴を有している



またエミーリアは銀髪に近いプラチナブロンドである




そしてまた女王アンナリーゼも金髪である



つまるところアルフレートとエミーリア名前もそして身体的特徴カインハーストの係累であることを示唆しているのである



孤児

カインハーストの係累であるアルフレートとエミーリアが現在のような地位にあることには、彼らもしくは彼らの祖先が孤児院に引き取られたことが関係している



孤児院の鍵

大聖堂の膝元にあった孤児院は、かつて学習と実験の舞台となり

幼い孤児たちは、やがて医療教会の密かな頭脳となった


ローゲリウス率いる処刑隊による粛正は「血族」のみが目的である。そのため血に穢れを持っていない者たちは見逃されたか、保護されたと考えられる


ほとんどの大人は血族となっており殺害されたであろう。しかし子供たちの多くは保護されたのである


おそらく血族になるためには「成人」である必要があったからである


このルールは萩尾望都の『ポーの一族』からの影響があると考えられる(『ポーの一族』では成人にならないと一族に加わることができない。しかしエドガーが14歳で一族にされてしまったことから、悲劇の物語がはじまる)

※宮崎英高氏が萩尾望都の作品群に影響を受けていることは「デラシネ」からも見て取れる


血族が遺伝によって伝わるのでないことは、血族に加わるためにはアンナリーゼと契約を交わさなくてはならないことにも示されている


血族名鑑

カインハーストの血の女王

アンナリーゼと契約を交わした血族たちの赤革の紳士録


古くから、すべての血族の名が記されている


つまりカインハーストの民であっても、血の契約をする前ならば血は穢れていないのである


保護されたカインハーストの孤児たちは医療教会の頭脳となり、やがて聖歌隊を組織したのである


言ってしまえば医療教会の上層部とは、カインハーストの血を引く者たちの集団である


ヨセフカ偽ヨセフカ金髪であるのも、ユリエ碧眼(頭髪はない)であるのも、医療教会の上層部にカインハーストの血を引く者たちがいるからである


あるいは初期の狩人にはカインハーストの者たちが多かったのかもしれない(ヘンリエッタなど)


こうしたカインハーストの血を引く集団の最後尾にアルフレートとエミーリアはいるのである


兄妹

アルフレートとエミーリアがカインハーストの血を引く者だったとして、なぜこの二人だけが獣狩りの夜に活動していたのか


本作には同じ構図が繰り返される特徴がある。赤子を奪われる母であったり、獣の病により滅ぶ都市であったり、人類の冒涜とそれに対する上位者の呪いなどである


アルフレートとエミーリアと同じような構図を持つキャラクターとしては実験棟の兄妹が挙げられる


脳液

かつて、兄は医療者を志し、妹はそのため進んで患者となった

結果夢のような神秘に見え、兄妹は幸いであった


ここに描かれるのは目的に邁進する兄と、それを支える妹という構図である


これはそのまま処刑隊として目的を果たそうとするアルフレートと、彼を支えるために医療教会を維持しようとするエミーリアに当てはめられるのかもしれない


ただしアルフレートとエミーリアが兄妹であるとするには根拠が薄弱であるので、実験棟の兄妹の繰り返し、とするには弱いかもしれない


しかしながら、2人が医療教会によって育てられた、ちょうど同じぐらいの年齢の男女であることは確かであろう


また、2人は作中ではほぼ同じタイミングで登場する。かたや行く手を阻む敵として、かたや協力者として、まるで対照的に登場するのである


この対照性を意図的なものと解釈するのであれば、二人は同じコインの裏表、すなわち双子である



アルフレート

アルフレートがローゲリウス師を列聖の殉教者として祀るために動いていることには疑いはない


見てください! あなたのお蔭で、遂に私はやりましたよ

どうです!素晴らしいでしょう!これで師を、列聖の殉教者として祀れます


しかしこれほど喜悦していたアルフレートはカインハーストから戻るやいなや、聖堂街にあるローゲリウス像の前で自決しているのである


目的を果たしたことで生きる意欲を失ったとも、また殉死したとも、自分が獣血に侵され始めていることに気づいたとも考えられる


アルフレートの瞳孔はやや混濁気味のように見える。瞳孔の崩れや蕩けは、獣の病の兆候である

獣の病に罹患したことに気づいたアルフレートは獣化する前に処刑隊として自らを処理したという説である


しかし、やや気になるのがアルフレートのセリフである


如何にお前が不死だとて、このままずっと生きるのなら、何ものも誑かせないだろう!


誑(たぶら)かす、とはやや場違いな言葉である(誑かす:だましまどわす、あざむくの意)


いったい女王は誰を誑かそうとしたのであろうか


はじめローゲリウスとも考えたのだが、どう考えてもローゲリウスは誑かされているように思えない


誑かされているのだとしたら、ローゲリウスは封印を解いて女王を解放したであろう


しかし実際にはローゲリウスは最後まで女王の間を閉ざし続けていたのである


余談だが、ローゲリウスがミイラ的な姿なのは、血を完全に失うことで穢れた血に侵されないようにするためである


血に宿る獣血の主にとって、ひからびたローゲリウスは操ったり獣化させることのできない存在である


そうであるのならば、女王が誑かしたのは「アルフレート」である


カインハーストの血を引くアルフレートは、不死の女王アンナリーゼから見れば我が子も同然である


故に彼女はアルフレートに事実を伝えたのである


我が一族の末裔よ、と


そして、なぜ我らが宿敵の側にたち同胞を傷つけるのか、と


一方、処刑隊の教義をたたき込まれてきたアルフレートにとって、その事実はもっとも恐ろしいものであった


散々に罵倒し嫌悪し、憎悪してきた相手と自分が同族であることなどとうてい受け入れられないのである


彼はアンナリーゼの言葉を「誑かし」と判断し、不死と知りながら彼女を肉片に変えたのである


なぜなら肉片になれば喋ることはできないからである


そして彼はローゲリウス像の前まで戻ると激しい苦悩の果てに自決したのである


なぜならば、女王アンナリーゼを肉片に変え口を封じるという行為こそが、アルフレートの迷いを示しているからである


もしアンナリーゼの言葉を完全に否定できるのであれば、彼はアンナリーゼを肉片にする必要はないのである


しかしアルフレートはそうせずに、不死と知りつつ口を封じたのである。まるで彼女の口から不都合な真実が語られる事を恐れるかのように


そのことに考え至ったアルフレートには自決するしか道は残されていなかったのである


なぜならば、いくら否定しようとも彼の心は自分がカインハーストの民であることを否定しきれなくなっていたからである(その意味ではアンナリーゼに誑かされている


血族の自分が血族を狩る処刑隊であるという矛盾に、半身が引き裂かれた彼は、ついに自決するに至ったのである


このとき彼はローゲリウス像の前で自決しているが、これはローゲリウスに対して二心がないことを示すやり方である(殉死とも言えるが)


すなわちアルフレートは自ら死んでみせることで処刑隊への忠誠を示したのである

2021年2月2日火曜日

Bloodborne 考察42 月の落とし子エーブリエタース

前回のオドンの考察(モチーフ編伝承編では、オドンの正体がオーディンであること、その多面的な性格を受け継いでいること、エーブリエタースの父親がオドンであると考えられることなどを述べた



このうち「青ざめた月」としてのオドンとエーブリエタースの関係について考察したのがこの記事である



月の落とし子

月の落とし子とは宇宙の娘、エーブリエタースの「内部名」(Bloodborne WIki)である


星界からの使者は「月からの使者」であり、星の子らは「月の幼生」である


つまり内部的には、月は星界や宇宙と同一のものとして考えられているのである


さて、エーブリエタースは月の落とし子である。つまり、その父親は月であることになる


オドンの考察ではオドンには青ざめた月としての側面があると述べた


ここにオドン(月)→エーブリエタース(月の落とし子)という大いなる鎖が見出せるのである


また星界からの使者(月からの使者)をや星の子ら(月の幼生)もまた、オドンにより眷属となったものと考えられるのである


すなわち眷属とは「オドンの眷属」のことである


空仰ぐ星輪の幹となった苗床たちや失敗作たちもまた眷属である。


「苗床」

実験棟の患者、アデラインにもたらされたカレル

人ならぬ声、湿った音の囁きの表音であり

星の介添えたるあり方を啓示する


この契約にある者は、空仰ぐ星輪の幹となり

「苗床」として内に精霊を住まわせる

精霊は導き、更なる発見をもたらすだろう


、とはオドンのことである。オドンの介添え(世話人)である彼らは星の光を宿す精霊により苗床となり、その星の光の力ゆえに眷属となったのである


眷属とは、青い光(月光)としてのオドンの影響を受けた者たち、とも考えられる



ミコラーシュ

※この項は次項「ゴース」で反論するための仮説である

さて、月の名を持つ「メンシス学派」の主催者ミコラーシュが祈るのはゴースあるはゴスムである


ああ、ゴース、あるいはゴスム

我らの祈りが聞こえぬか

白痴のロマにそうしたように

我らに瞳を授けたまえ(ミコラーシュ)


祈っているのはゴースあるいはゴスムであって、月ではない


この矛盾は開発の初期段階において、エーブリエタースがゴースと呼ばれていたことに由来するものである


アルファバージョンを復元した動画によって、エーブリエタースの先触れが「ゴースの先触れ」という名前だったことが明らかになっている


つまりミコラーシュは現在のゴースに呼びかけているのではなく、開発の初期段階のゴース、すなわち今のエーブリエタースに呼びかけているのである


なぜならエーブリエタースは宇宙の娘であり、月の落とし子であり、その父親はオドンであり、その本性の1つは「メンシス(月)学派」が崇拝する「」だからである


また「あるいはゴスム(Kosm…)」は通説のように、Cosmosのことである(C→Kの変化はギリシャ語読み、あるいはチェコ語読みしたことによるものである)


Cosmosとは「Ebrietas, Daughter of the Cosmos」というように、そのまま宇宙のことである


そして宇宙は月と同一視されているのだから、その父は月であるオドンということになる


ミコラーシュの本意を汲み取って彼の祈りを翻訳するのならば、「ああ、エーブリエタース、あるいは宇宙」となるのである


さらにこれを内部名に沿って訳すのならば「ああ、月の落とし子、あるいは月」となり、最終的な形としては「ああ、オドンの落とし子、あるいはオドン」になるのである


ミコラーシュが祈っているのは、オドンの娘たるエーブリエタースと宇宙たるオドンなのである


要約するのならば、ミコラーシュの祈りに見える錯綜は、開発中の名前変更が引き越した混乱の残骸なのである



ゴース

ミコラーシュの不可解な言動を名前変更による混乱、と結論づけてもよいのだが、しかしミコラーシュの祈りを矛盾を抱えたまま残すとは考えにくい


本当にミコラーシュの祈りがゴース(現在の)に捧げられていると考えることは不可能なのだろうか


端的に言ってエーブリエタースとゴースは置換可能な存在である


両者ともにオドンの落とし子とも考えられるからである


双方とも深海生物的な上位者であり、そして共に大事なものを失っている。ゴースは赤子であり、エーブリエタースはおそらく嘆きの祭壇にある「ロマに似た甲虫」であろう


双方ともに酷似した姿をしているが、嘆きの祭壇の甲虫は月前の湖のロマよりも足が長いなど形態的な相違がある


ここで暗示されているのは、ロマに似た上位者の赤子を産むのは月の落とし子であること、その赤子は成体になれずに死ぬということである


ゴースとエーブリエタースは本作でもおなじみの構図を繰り返している。「赤子を奪われる母」の構図である


誕生した赤子の類似性から、ゴースとエーブリエタースは同じく宇宙の娘、すなわち月の落とし子であると考えられ、父親はやはりオドンである


また神話によくある話であるが、彼女たちの赤子の父親もオドンである(血が濃くなりすぎるが故に赤子は生まれなくなったのだろうか)


以上のようにエーブリエタースとゴースは置換可能であり、両者は共に月の落とし子であるが故に、ミコラーシュの祈りは、矛盾や開発中の混乱によるものではなく、正当なものである


つまり、ミコラーシュは正しく「今のゴース」に祈りを捧げているのである


なぜならそのゴースは「月の落とし子」であるが故に、ゴスム(Cosmos)と共に祈られているのであり、彼の祈りはまさしく「オドンの落とし子とオドン」に捧げられているからである


※そもそもエーブリエタースは聖歌隊の本尊である。ライバル会派の本尊に祈りを捧げるというのも不自然である



エーブリエタース

さて、上述の考察を取り入れるのならば、エーブリエタースは死んだ我が子の亡骸の前にひざまずき、空を見上げ星の徴を待ち望んでいることになる


彼女の祈りを成就させるような奇跡的な力を持つのは「宇宙」そのものともいえる「オドン」だけだからである


つまり、彼女は我が子の復活を願って祈っているのである。生きていた時の状態に戻そうと祈っているのである


しかしその祈り、つまり上位者の祈りが何を引き起こしたかというと


時間を巻き戻す力を亡骸に与えたのである



死んだ子の時間は巻き戻されず、その力を行使する聖体となってしまったのは皮肉なことである


エーブリエタースは非常に醜い姿をしている。だがその祈りは心からのもので、宇宙はその美しさに一片の奇跡を持って応えたのであろう


結局のところ、私が使用する創造的なエネルギーを提供するのはこれらのものです。たとえば、心からの祈りの美しさ。それは私にインスピレーションを与えるようなものです。ですから、Bloodborneに見られるもの、つまり陰気さ、救いの欠如、狂気などは、私自身のやり方でそれらも尊敬していると思います。そこには美しいものがあります。(インタビューより)



蛇足

没データの扱い方についてはいつも悩む

本編に採用されなかった没データを考察の根拠として利用するのは間違いとするべきなのか、あるいは設定はそのままだが諸事情により(表現が直接的すぎなど)封印したと判断するのか、その基準が曖昧だからである

今回もまたエーブリエタースが元々ゴースという名前であったという没設定から論を展開したものである

没設定から考えるのならばミコラーシュの祈りは、設定が没になったことで整合性がとれなくなった典型、と言えるものである

しかし、そこからさらに一歩考えを進めてみると、ミコラーシュが実は正しいことを言っていたのではないか、という結論にたどり着いた

ミコラーシュのセリフは本編の伝承によっても解釈できるものであり、それは設定変更による矛盾の残滓ではないのである(これも解釈しだいだが)