2019年8月29日木曜日

Sekiro 考察51 人返り

エンディングには「不死断ち」「人返り」「竜の帰郷」「修羅」の四つが存在する。今回はこのうちの「不死断ち」と「人返り」について考察してみたいと思う


不死断ちと人返り

私見では「人返り」は「不死断ち」の上位にあり、「不死断ち」の完全な形が「人返り」である

これは「桜竜の涙」に加えて常桜の花を入手しなければならないことや、その過程で何体ものボスを倒さなければならないこと、また重要キャラクターであるエマや仏師の深い関わり等から推察することができる

各エンディングをあえてカテゴライズするのならば、以下のようなものになる(※便宜的なものであり、強く主張する気は無い)

【竜の帰郷】True End - 神なる竜と隻狼の物語
【人返り】Good End - 九郎と隻狼の物語
【不死断ち】Normal End - 九郎と隻狼の物語
【修羅】Bad End - 修羅と隻狼の物語

このうち、「九郎と隻狼の物語」と言えるのが人返りと不死断ちである。竜の帰郷は「神なる竜(としての九郎)と隻狼の物語」であり、ゆえにエンディングで「竜の忍び」と呼ばれるのである


人返り

さて前置きが長くなったが、本題に入ろう

人返りエンディングを迎えるためには、「桜竜の涙」と「常桜の花」が必要である

なぜ涙と花が必要なのか物語内では明かされない。ただそれが必要であるからという理由で桜竜の涙と常桜の花を追い求め、それを九郎に飲ませるのである。結果として主を縛る不死である隻狼は自刃し、九郎は人に返ることができたのである


桜竜の涙

ではまず桜竜の涙から考察してみよう

画像やテキストからもわかるように、「涙」といってもその形状は「石」や「結晶」に近いものである

また「常しえ」と言われているが、これは神の属性のひとつである
桜竜の涙
桜竜のその身は常しえ
一度流れた涙もまた、形を保ち
常しえに乾くことはない
源の瑠璃
源の瑠璃には、常しえがある
瑠璃で鍛えたものとは、
常しえに砕けることも、錆びることも無い
神なる竜の恩寵を受けるがゆえだ

神や神の恩寵を受けるもの、あるいは神に等しいようなものは「常しえ」なのである

常しえとは、半永久的に変化しないもの、要するに「永遠性」のことである。神という概念は永遠性とつながり、永遠だからこそ神なのである
※永遠性を生物学的な用語に置き換えると「長命」となろうか


常桜の花

ひるがえって常桜の花はどうか

人返りルートで判明するように、常桜はその名に反して枝を手折られただけで枯れ果ててしまう。これでは「常しえ」とは言えない

常桜が常と呼ばれるのは「春に限らず、常しえに咲いていた」(エマ)からであり、その身が常しえであるからではない

※SEKIROに登場する「常しえ」には二種類ある。神の永遠性による「常しえ」と、竜咳に至るような、他者の犠牲の上に成り立つ「常しえ」である(厳密には九郎や桜竜も後者)

また手折られた枝についていた花も、三年も経つと枯れ落ちてしまっている


ここで「花」は散りゆく儚いものか弱きものの象徴として提示されている

」は豊穣や繁栄を示すと同時に、その脆弱性や短命を象徴するのである


石と花

永遠性(長命)を象徴する石と、繁栄や短命を象徴する花の組み合わせは、日本神話にその前例が存在する

イワナガヒメコノハナノサクヤビメの神話である

簡単にまとめると以下のような神話である

アマテラスの孫である「ニニギノミコト」が日本に降臨した際に、山の神から二人の娘を嫁に差し出される。ところが、ニニギノミコトはイワナガヒメが醜いことを理由に、彼女だけを送り返してしまう

山の神の言い分は、岩の女神であるイワナガヒメが永遠性を、花の女神であるコノハナノサクヤビメが繁栄を天孫にもたらすはずであった

だがイワナガヒメだけを送り返してしまったことで、天孫の永遠性は損なわれ、それ以来、天孫の寿命は人のように短くなったという


神話学的には人の寿命や死を説明する「バナナ型神話(wikipedia)」に属する神話である


桜竜の涙と常桜の花

では、SEKIROにおいて涙(石)と花はどういった役割を果たしたのか

桜竜の涙とは、それが「常しえ」であるように神の属性を帯びている。また液体でありながら結晶状の様態を有する性質は「竜胤の雫」と酷似している


拝涙」という儀式の存在や、竜胤の雫が「生の力」を秘めていたように、桜竜の涙もまたそれに比類した「何らかの力」を秘めていると考えることができる

竜胤の雫が「人が、人として生きるための当たり前の力」(エマ)であるように、桜竜の涙も「神が、神として生きるための当たり前の力」、つまり「神の生の力」を秘めているのである

神の生の力とは、神を神とする力、つまり「神魂」である


荒魂と和魂

竜の帰郷ルートでは、「生の蛇柿」と「乾き蛇柿」の二つのアイテムを入手する必要がある。蛇柿とは「神たる御魂を宿す臓」(生の蛇柿)であり、それが二つ必要なのは「神たる御魂」が二つ存在するからであると考えられる

二つの神魂とは、桜竜竜胤の御子のことであり、その二柱の神は「荒魂と和魂」という神の霊の二つの側面なのである(荒魂 wikipedia)

荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。勇猛果断、義侠強忍等に関する妙用とされる一方、崇神天皇の御代には大物主神の荒魂が災いを引き起こし、疫病によって多数の死者を出している。(wikipedia)

和魂は神の優しく平和的な側面であり、仁愛、謙遜等の妙用とされている。(wikipedia)
また、単に同一の神の二つの側面というだけでなく、別々の神として祀られている例も多い

荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、皇大神宮の正宮と荒祭宮、豊受大神宮の多賀宮といったように、別に祀られていたりすることもある。(wikipedia)

桜竜を荒魂九郎を和魂と見るとその個性・性質がぴたりと合うのは偶然ではない


不死断ちEND

竜胤の御子が桜竜のを飲むということは、和魂である御子と荒魂である桜竜が一体化することであり、その結果として和魂と荒魂とが再統合された完全体の神が顕現するのである

この完全なる神を不死斬りにより断てば、当然ながら神はそのすべての力と共に「消滅」する

これが「不死断ちEND」である


人返りEND

では神となった御子に、もうひとつ常桜の花を与えるとどうなるか

永遠なる神は、神の属性である永遠性を剥ぎ取られ定命の者となるのである。つまり、永遠であった神は寿命を有する「人に成る」のである

寿命を持たない永遠なる神に、儚さや短命を象徴する「」を与えることで、寿命を持つ人に返す儀式、これが「人返り」なのである

「私も、人として懸命に生き そして、死のうと思います」(九郎)

人返りエンディングで九郎が口にするセリフである。ここには、不死の神から死ぬことのできる人間に成れたことへの感慨がこめられている


※おそらく九郎も桜竜も神の半身のような状態であり、完全な常しえを備えているわけではないと思われる

「花」の効果を得るためには完全な常しえが必須だったのであり、そのために「花」だけではなく「涙」も必要とされたのだ(九郎や桜竜が花だけ飲んでも人に返ることはできない。完全な常しえを得るためには二者の統合が必要だった)

※完全な常しえであるのは、桜竜の涙を飲んだ状態の九郎だけであると考えられる


主を縛る不死

だが、不死の契りを交わした従者がいるかぎり、人返りは不完全であるという

「竜胤の血を受けた不死は、その主を縛る」(人返りルート、エマ)

竜胤がその持ち主と強いつながりを持つのは、「桜雫」を使用し回生の回数を増やした際の会話からわかる

九郎:丈様の竜胤もまた…
そなたと共に、生きるのだ

桜竜の涙と常桜の花を飲むという「人返り」によって、神は人となった。けれども、九郎の竜胤が残っているかぎり、神の力はこの世界にとどまり続ける

上述したように九郎は神の「和魂」と考えられ、そのもまた「常しえ」であることから神に属するものである(これは竜胤の御子が傷つかないことからわかる)

ある意味で竜胤の血とは、九郎から分け与えられた神魂の欠片(あるいは飛沫)といえる

飛沫とはいえ、それは「神」であることにかわりなく、「あるべきでないものがあるがゆえ」(変若の御子)に、歪んだ生命を生み出す存在のままである

そのうえ「竜胤の血」はその本来の持ち主(九郎や丈)と強いつながりを持つ(魂の飛沫と考えると強いつながりを持つ理由がわかる)

九郎の神魂が隻狼の中に残っているかぎり、九郎は完全には人には戻れず、神としての自分に縛られることとなる

ゆえに、最後に残った竜胤の血をも断たねばならない。それには竜胤の血を受けた不死、つまり隻狼が死ななければならなかったのである

そうすることではじめて、九郎ならびに世界から「神なる竜」の力を完全に消滅させることができるのである

※ちなみに隻狼が常桜の花を飲むという手段は無効だと思われる。なぜならば隻狼は、それ自身が永遠である神ではなく常桜的な不死(偽りの常しえ)だからだ

※竜胤の力は常に九郎という神を介して発揮されるがゆえに主を縛るのであり、その従者の不死は「神の永遠性」による不死ではなく、竜咳に至るような、他者の犠牲の上になりたつ「偽りの常しえ」である。ゆえに「永遠性に寿命をもたらす花」を飲んだところで、人に戻るわけではないのである


蛇足

ややこしい「常しえ」関連の補足を入れるために、やや冗長になってしまった

基本的に葦名にある「常しえ」は偽りである。桜竜や竜胤の御子の常しえは、やがて歪みを生み竜咳を生みだす

結局のところそれは、神が「あるべきでない場所にある」のが原因である

神を消滅させるためには、分かたれた二つの魂を統合させた後に不死斬りでそれを断つか、寿命を象徴する「花」を飲ませることで、神を人にするしか方法がなかったのだと思われる

不死は主を縛る」に関しても特にこれと言った説明はなく、なぜそうなるのかを考えていたら、かなり迂遠な論になってしまった
一応の理屈はつけてみたものの、「主を縛る」を説明する明確な理由や理屈には至っていない


2019年8月28日水曜日

Sekiro 考察50 君の名はSEKIRO

SEKIROフロム版『君の名は』だった、という仮説を検証したものである
先に断っておくと私は大真面目である。大真面目にふざけている


キャラクター

『君の名は』の主人公は、宮水三葉と立花の二人である

このうち三葉の名前の由来は「みつはのめ」という水の神である
またの名前も、「滝」や「」のイメージからつけられている

つまり、この二人は「水の神/龍」という組み合わせなのである

一方、SEKIROにも同じ組み合わせの登場人物がいる

巴と丈である

巴は「淤加美」であるが、淤加美とは日本神話における「水の神」である
また丈は「竜胤の御子」であり、その意味は竜の血を引く御子、要するになのである


このように「三葉/瀧」と「巴/丈」は「水の神/竜」という同一の組み合わせとなっている



隕石湖

『君の名』に登場する糸守湖は、隕石によってできたとされる湖である。その形は丸くクレーター状になっており、湖を作った隕石はおよそ1200年前に地球に衝突したという

1200年前といえば、日本では平安時代である

さて、SEKIROにも隕石湖に似た形をした湖が存在する。源の宮の湖である。この源の宮の設定上の時代は、建物や文物の様子から「平安時代」のころである



葦名に隕石が衝突し、直後に建物が建てられ始めたとするならば、糸守湖を作った隕石と、葦名に落ちた隕石は同時期に地球にやってきたことになる

また、糸守町に落ちる彗星はその名を「ティアマト彗星」というが、ティアマトとは、メソポタミア神話に登場する海の女神であり、その姿は「」であるともされる

さらに宮水神社の巫女装束の頭飾りや神楽鈴には「竜」の装飾がほどこされていることから、1200年前に墜落した隕石を「竜神」であると考えていた節がうかがえるのである

宮水神社の御神体は、山頂にできたカルデラ地形の中心部の「カクリヨ」と呼ばれる神域に存在するが、その正体は巨石と巨木である

同じように葦名に「漂着」した神もまた「」であり、山頂近くにある磐座をその依り代としており、さらに神域たる仙郷においては「巨大な桜竜」の姿をとるのである(あるいは大桜)
もとはクレーターの底にあったと思われる隕石が「磐座」である

折られた大枝は隕石の飛来を示唆する(数百年前)

西から飛来した神なる竜が隕石に依り憑くことで、桜竜となった



組紐

『君の名』において、時間の概念を形にしたものとして「組紐」が登場する。この組紐の力により、三葉と瀧は時間を超えて邂逅することになるが、SEKIROにも同じ役割を持つアイテムが登場している

守り鈴である

組紐が「編まれる」ことにより「時間の流れ」を視覚化しているのに対し、守り鈴は「」により時間を表すものである(これはDSの鐘の音から続く伝統でもある)


しかしながら両者は共に、神の業により時を超える力を持った「時間を象徴するアイテム」なのである



口噛み酒

口噛み酒は作中、「三葉の半分」なのだといわれる。その残った半分を飲むことで、瀧は三葉の記憶を追体験することになる。つまり完全に三葉と一体化するのである

同じ作用を持つアイテムに「桜竜の涙」がある。不死断ちのために必要とされ、それを飲んだ竜胤の御子を不死斬りで斬ることで不死断ちが成るという

つまり桜竜の涙とは、神の半分なのである。もう半分である竜胤の御子がそれを飲むことで、神と一体となり、ゆえに不死断ちがなるのである




二つの世界線

『君の名』には二つの世界線が存在する

隕石が墜落し多数の死者を出したいわば失敗した世界線と、瀧と三葉の行動により人々が救われた、いわば成功した世界線である

SEKIROにおいては、失敗した世界線は過去として存在し、それは「三葉/瀧」と同じ組み合わせである「水の神/竜」の「巴/丈」によって演じられている

九郎/隻狼は、失敗した世界線を前例として行動し不死断ちに成功することになるが、これは『君の名』において人々を救うことができた世界線に存在する三葉と瀧と重なるのである

三葉の姓を「宮水」という。「宮の水」という意味である。源の宮にいた貴族は「宮の貴族」と呼ばれていた。で、あるのなら源の宮の水とは、「宮の水」と呼ばれておかしくはない


その宮の水の根源とは、竜胤である

九郎:その源は竜胤にある、というのだな(残影)

つまりSEKIROの世界において「宮水」は「竜胤」を意味し、九郎とはその体現者たる竜胤の御子なのであるから、宮水三葉と九郎とは同じ「宮の水」を象徴するキャラクターなのである

また、隻狼とは当初は「」と呼ばれている。「狼」を音読みすると「ロウ」となるが、「」という字を音読みしても「ロウ」となる

以上のことから、「三葉/瀧」とは「宮の水/ロウ」を介し、「九郎/狼」と重なるのである


物語

瀧は三葉を救うことだけを考え、三葉は人々を救うことを考える
これは、隻狼が九郎のためだけに行動し、九郎が人々のために竜胤を断とうと決意することと同じ構造である

物語の結末も、小破局(葦名の滅亡 or 変電所の爆発、山火事)を是認することで、大破局(歪みの氾濫 or 彗星の衝突による被害)を防ぐことに成功するが、けれども最も大事な者を失ってしまう、というややビターなものである

もちろん『君の名』のほうは最終的にはハッピーエンドに至るが、監督の作風からすると本来的には二人は再会しなかったのではないか、と考えられもする


結論

結論のようなものはない

この考察を本気にする人はいないと思うが、最後に追記しておく

細部に類似した点はあるものの、偶然の一致レベル以上のものではない
日本神話という同じ題材を元にしたものであるから、似た部分があるのも当然である

『君の名は』の主題である「入れ替わり」に関しても書いたのだが、操作ミスで消えてしまった。再び書く気力もないので大雑把に触れておくと、「平田屋敷」における過去と現在の隻狼の入れ替わりのことである








2019年8月22日木曜日

Sekiro 考察49 穴山又兵衛

穴山又兵衛というのが、物売りの穴山の本名である

今回は穴山又兵衛とは何者だったのかを考察してみたいと思う

穴山の最期

穴山の手形」の購入が穴山の最期のイベントである
このイベントにおいて、それまで巧妙に隠されていた穴山の秘密がほんのわずかだが綻びを見せている

ここで穴山は言う
「内府方のやつら… へへ、ああまで話が…通じねえとは」

このセリフは元盗賊であり抜け目ない商人である穴山にしては違和感をおぼえるものである

なぜ穴山は「内府方の危険性」について、これほど楽観視していたのか

また穴山ほど危機察知能力の高い者が、なぜ内府の侵攻を事前に察知し逃亡しなかったのか

穴山のこのセリフからは、「内府方」と話せば見逃して貰えるという前提があったことがうかがえる

おかしな話である。この時代の侵略者にとって、逃げ遅れた商人の銭や商品が略奪品として格好の獲物であることくらい、穴山にもわかっていただろう

にも関わらず、彼は「話が通じる」と思い込み、案の定、銭も商品も、そして命までも奪われてしまう

穴山はそれほど迂闊なキャラクターだったであろうか? 

平田屋敷の襲撃(内府方が関与)に参加し、そのすぐ後に機を見て、賊から足を洗って葦名の商人となった男である。また出会った時に穴山は、すでに葦名が存亡の危機にあることも認識している

SEKIROのキャラクターたちのなかで、もっとも世界情勢に通じていた者のうちの一人であろう

そんな狡猾な人間が、なぜ内府方の侵攻にも気づかず、その危険性を軽視していたのか

穴山が内府方と内通していたからである。いや、内通というより、そもそもが穴山は内府方の下っ端の忍びであったのである

忍者が他国を偵察する際に、もっとも利用されるのが商人という身分である。ふらりと村々を訪れても怪しまれることなく、また人々から情報を得やすいからである

平田屋敷襲撃の際にであったという証言も怪しい。なぜなら穴山は襲撃の際の戦利品を持っておらず、なぜか商人なのに、「売れそうな情報」を記録した覚書を豊富に持っているのである(火が出る筒の覚書が、「その三十六」である)

そもそも穴山は内府方の忍び(下っ端の「草」)なのである。その任務は情報収集であり、ゆえに他の賊とは異なり、略奪や酒宴にも参加せず、情報を記録し続けていたのである

また平田屋敷で出会った際に、立ち去らない隻狼に穴山は次のように言う

「どっかの崖上に、三重の塔が見えやしたぜ きっと中にはお宝が仕舞われているに、違いねえ」


なぜお宝があると踏んでいるにもかかわらず、穴山は自分でそれを取りに行こうとしないのか

なぜ隻狼を追い払うためにそんな情報を持ち出したのか

穴山は三重の塔にいる内府方の孤影衆に、隻狼を始末させようとしたからである

穴山は三重の塔に孤影衆がいることを知っていたのである。だが、情報収集に務める穴山にとって、お宝の強奪は任務から外れているうえに、孤影衆は忍びとしての位が違いすぎて協働することもできない

そうして別のお堂を探っていたところ、またしても情報収集を邪魔する者が話しかけてきた。隻狼である

とっさに火事場泥棒を装ったものの(後にと告白するので火事場泥棒というのは真っ赤な嘘である)、隻狼は立ち去らない。そこで三重の塔に向かうように誘導したのである



平田屋敷後

平田屋敷襲撃後、穴山はその任務を継続させた。葦名に潜入したまま情報を収集することが、穴山に与えられた任務である。その際にもっとも便利なのが商人という身分であった

だがその正体は内府方の忍びである

ゆえに穴山にとって内府方は味方であり、自らの身分を明かせば、話が通じると考えていたのだ

だが、内府方としてみれば、下っ端の忍びなど切り捨てて当然の輩に過ぎない。内府軍にしても、穴山の正体を知るものなどいなかったであろう

そうして「話が通じず」、穴山は殺されたのである



内府方の忍び

穴山を内府方の放った(参考:忍者トリビア)として考えると、穴山の差し出す情報や依頼が別の意味を持ってくる


例えば「火の出る筒の覚書」を取得するタイミングは、なぜか都合のよいことに、「火に弱い赤鬼」の直前である

内府側の間者である穴山にとって、内府方の脅威になりかねない赤鬼は妨害工作の一環として排除せねばならない障害である

そこで穴山は赤鬼を排除させるために、隻狼に赤鬼の弱点である「火の忍具」の情報を与えたのである。三十六以上もある覚書のうち、ピンポイントで「火」にまつわる情報を渡すというのは、偶然ではありえない

また、ということは穴山は「赤鬼の弱点が火」であることを知っていたことになる。当然、内府方にもその情報は渡していただろう

内府方が「葦名の赤目は火に弱い」ことを知っていたのは、穴山がその情報を渡していたからであろう

赤備えの火消し粉
変若水で生まれる、葦名の赤目
それを恐れたか、内府方は火で攻め寄せた
これは自ら焼かれぬための備えである

火吹き筒
暴れ狂う赤目は、人の力で抑えることは難しい
だが、やつらは何より火を恐れる
火吹き筒ならば、怯ませることができる

隻狼に「火の出る筒の覚書」を渡し、赤鬼を排除させたのは穴山の破壊工作のひとつである

さらに隻狼が火吹き筒を持っていると知るやいなや、その効果を高める「油」までくれる念の入れようである。何が何でも赤鬼を排除させようという穴山の執念がうかがえる


頼み事

その後、穴山は隻狼にある頼み事をする

「葦名の侍どもが、いま欲しがっているものは何か 探ってきちゃあくれやせんか」というのである

葦名方の不足している物資の情報とは、そのまま葦名方の弱点の情報にもなる

この情報の両義性を穴山も察しているのか、彼はその情報収集に危険がともなうことを了解している



「旦那は忍びだ」「敵方から情報を仕入れる」

忍びだから敵方から情報を仕入れることができる。つまり不足物資の情報とは、敵の機密情報であることを穴山は了解しており、ゆえに「忍び」である隻狼にそれを頼むのである

隻狼が忍びであることは基本的にゲーム内でバレバレなのだが、元賊と自称するにしては、穴山は「忍びの実力」について、やたらと詳しいのである

そもそも初対面の時から一目見るなり隻狼を忍びと見抜いている

また、忍具にも詳しく「まぼろしクナイ」を販売していたり、隻狼に「忍びの道具」の情報を教えてくれる



戦場漁り

次に穴山に頼まれるのは、「戦場漁りのための、人手」である

「でかくて、力のあるやつ」

戦場を漁り、槍や太刀や鎧兜を手に入れて、それを売るのだという



その後、穴山の店は品揃えが増える


特に目立つのは「阿攻の飴」の無限販売である

この阿攻の飴、仙峯寺の商品である

上で、「槍や太刀や鎧兜を手に入れて、それを売る」と言ったが、葦名方にそれらを売って儲かった銭で、仙峯寺と取引をしたのである

小太郎を紹介しないと品物が最大まで増えないので、おそらく小太郎の伝手をたどったと思われる

こうして内府→穴山→仙峯寺というつながりが構築されたのである

話は少し変わるが、内府襲撃時に寄鷹衆と赤目の寄鷹衆が戦っている場面に遭遇する。このとき、赤目の寄鷹衆がテキスト違いの「噛み締め」を落とすが、葦名の赤目であるにもかかわらず、「葦名の裏切り者」という主旨の内容が記されている

なぜ葦名の赤目が葦名の裏切り者と言われるのか

内府方と仙峯寺が手を組んでいるからである。というのも、赤目を作る変若水は、葦名の専売特許ではなく、最も高い変若水技術を持つのは仙峯寺である(変若の御子を作れるほどの技術)

つまり寄鷹衆は内府方に寝返ったものの、内府と協力関係にある仙峯寺の変若水により赤目化させられたのである

ゆえに裏切り者の赤目として、葦名方の寄鷹衆と戦っているのである

この内府と仙峯寺による葦名包囲網を完成させたのは、「草」として情報収集と破壊工作に従事した穴山であった



穴山の死

だが、どれほど成果を上げようと穴山は下位の忍びである。簡単に切り捨てられ、「話が通じる」と思っていた相手に殺されるのである

主君に忠義を尽くす、いわば忍びの理想を象徴する隻狼とは対照的に、穴山は容赦なく見殺しにされていく数多の忍び、いわば忍びの現実を体現したキャラクターであったといえる

最期の時、穴山が隻狼に手形を売るのは、穴山の商人としての意地であると同時に忍びへの決別である。隻狼と再会した後、穴山は忍びであるよりも商人であることに生きがいを見いだしたのである

隻狼と再会するまでの三年間、穴山は商人としてほとんど成果を上げていない(初期の販売物から)。手形に書かれたような「どうにも商いは止められぬ」というような状況には見えない

穴山が商人として成果を上げ始め、「どうにも商いは止められぬ」という心境になったのは、隻狼と再会して商いに弾みがついてからのことである

穴山が本物の商人になろうと考え始めたのはこの頃のことであろう。けれども最後の任務で裏切られ、その望みも断たれかける。そんな時に現れたのが隻狼である

そして穴山は手形を売る。それは忍びの任務のために取得した、いわば「忍び道具」である。最後に残った忍び道具を隻狼に売ることで、穴山は忍びへの決別商人としての生き様を同時に示したのである


蛇足

「初対面時に主人公を謀にかけて第三者に殺させようとするが、最終的には改心する」という構造は、Des、DS、BBに登場するパッチと共通のものである

過去作のパッチが「穴」と関連深いように、SEKIROのそれは「穴山」という名を名乗り、その顔に装着しているのは「眼帯(アイパッチ)」である


2019年8月20日火曜日

Death Stranding ゲームプレイ動画

Gamescom 2019で公開されたゲームプレイ動画の印象

排尿システム

明らかにされた排尿システムとキノコ

グーグル翻訳

思いやりと自分を和らげる
他の人やその財産から離れます。
L2を使用して準備し、R2を使用して解放します。

人のいる場所では排尿できないらしい

排尿場所に生えるキノコ(オンライン要素あり)
他のプレーヤーとのつながり(?)がこのキノコらしい?



プレッパーズ

プレッパーズとは以下のような者たちのことである
《「備える人」の意》大災害や経済の崩壊、戦争などに備えて、食料を備蓄したり核シェルターを作ったりする人。プレッパーズ。 (コトバンク)
アメリカのドラマを観ているとよく出てくる人たち


画面内に表示される情報の数々。地面にグリッド線が走るのと、岩に赤い×印がつくのもパタパタの機能の一部と思われる

Destination(行き先)としてマーカーをつけてると思われる




AMSSは「航空移動衛星業務(Aeronautical mobile satellite service)」の略?


ターミナル

サムがアクセスするターミナル



配達端末
様々な情報が映し出されている。右側のInhavitants(住民)の鎖マークはつながりの強さ。その下のQ-pid(おそらくキューピッド、紹介人)はフラジャイル


荷物を渡す画面かと思われる


カイラルネットワーク

アメリカ全土の地図

アメリカ中部あたりはクレーターでボコボコ
光点と線がつながっているのが、カイラルネットワークのつながった範囲(?)

つながりができている範囲は、以下のように明るく示される?



ネックレス

サムのネックレスの数式が書き換わる
上はラグランジアン(場の力学)に関連するシュレディンガー方程式かもしれない(何言っているのか自分でもさっぱりわからない)


下のゲージ変換の「+」は、通常は「-(マイナス)」だと思われる(+の数式も見つけたがなぜ+なのかわからない)

ゲージ理論というのは、以下略(Wikipedia

理論群を局所的に変換しても物理法則は保たれる、という理論。様々な理論を入れ替えても物理法則は変わらない的な何か(さっぱりわからない)

本来「-」である部分が「+」になっているのは、それによって物理法則を書き換えているからかもしれない(さっぱりわからない)

次の場面で重力が失われサムの体が宙に浮くことから、重力の法則を書き換えて場の物理法則を変更しているのかもしれない(さっぱりわからない)


会話文

You the delivery dude?
That's a relief. I'd just about given up on you.
Good job, man. Good job.
Not that I'm surprised. I mean, you're you, right?
About time I hopped on the whole chiral network bandwagon, am I right?
Join the UCA and all that.
You can help me do that, yeah?

[荷物受け渡し]

Thank you Sam.
Hey, take care out there. Hate for this to be the last time we meet, you know?
So, um, I'm gonna need a moment to look over what you brought me.
But i'll hit you back via mail after. Promise.
hey, I'm hoping maybe you can help me out again?
Don't wanna be weird, but, I feel you and I might have, like, a connection or something...
Good job, man. Good job.

[Sam]Thank you, kindly!

Come back soon!

グーグル翻訳

あなたは配達人ですか?
それは安心です。 私はちょうどあなたをあきらめました。
お疲れ様でした。 よくやった。
私が驚いたわけではありません。 つまり、あなたはあなたですよね?
カイラルネットワークの時流全体に飛び乗った頃、私は正しいでしょうか?
UCAなどに参加してください。
あなたは私がそうするのを助けることができますね

サムありがとう。
ねえ、そこに注意してください。 これが私たちが最後に会うのが嫌いですよね?
だから、ええと、私はあなたが私に持ってきたものを見渡す時間を必要とするつもりです。
しかし、私は後にメールであなたを打ち返すでしょう。 約束する。
ねえ、多分あなたが再び私を助けることができると思いますか?
変になりたくはありませんが、あなたと私は、つながりや何かがあるかもしれません...
お疲れ様でした。 よくやった。

[サム]ありがとう、親切に!

すぐに帰る!



蛇足

登場する方程式の意味や内容はまったくわからない
プレイ動画といっても、内容はサブクエストの紹介であり、排尿システムと同様にメインではないだろう






2019年8月13日火曜日

Sekiro 考察48 エマの秘密

以前エマの名前は能楽の「絵馬」からとったのではないか、という考察というか思いつきを書いたことがある

しかしながら、SEKIROにおけるエマの重要な立ち位置から考えると、どうにも煮え切らない結論であった

そこでエマという名前についてもう少し詳しく考察したのがこの記事である


EMMA

エマは英語版では「EMMA」という綴りが使われる


EMMAと書いてエマと読むのである。これは英語圏の名前としてポピュラーなものであり、何も不審な点はない

同じ綴りをもつキャラクターがダークソウル3にも登場する


しかしながらDS3のEmmaは日本語版において「エンマ」という読み方をされている

エマは英語名Emmaを通じて「エンマ」とも読むのである



地蔵菩薩

エンマといえば、すぐに思いつくのが「閻魔大王」である(Wikipedia)

言わずとしれた地獄・冥界の王であるが、日本では地蔵菩薩と同一と解される

この地蔵菩薩葦名の地に不自然なほどに散見されるのである


錫杖如意宝珠は、地蔵菩薩の三昧耶形さんまやぎょう/さまやぎょう wikipedia)である

また武者侍りの隠し扉の掛け軸に描かれているのは、愛宕権現であり、愛宕権現の本地(正体)は地蔵菩薩である

勝軍将軍(愛宕権現)の本地(正体)は地蔵菩薩



さらに霊符式盤から源の宮には「陰陽道」の文化があったのではないかと考察したことがある
六壬式盤(りくじんしきばん)
※六壬式盤は日本においては、陰陽道の六壬神課(りくじんしんか)とよばれる式占術に使われた

この「陰陽道」の主祭神は「泰山府君(たいざんふくん)」というのだが、別名を東嶽大帝(とうがくたいてい)といい、閻魔大王のことである(コトバンク

そして閻魔大王とは地蔵菩薩であるのだから、葦名とはまさに「天(源の宮)から地の底(葦名の底)」まで地蔵菩薩の遍在する土地なのである

なぜこれほどまでに地蔵菩薩が見られるのか

地蔵菩薩とは六道能化(ろくどうのうげ)ともいわれ、現世の衆生を救う菩薩だからである

地蔵菩薩は忉利天に在って釈迦仏の付属を受け、釈迦の入滅後、5億7600万年後か56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまう為、その間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされる (Wikipedia

また子供の守護尊であり、賽の河原で苦しむ子供たちを救うのは地蔵菩薩ともされる
風車と地蔵



エマ

ではSEKIROの物語において、子供を救うために行動を起こしたのは誰か?


葦名の天狗こと一心と、エマである(実際に動いたのはエマである)
そして天狗と地蔵菩薩とは愛宕権現を通じて密接な関係にある(愛宕権現 wikipedia)


九郎のために、不可思議霊妙な薬水瓢箪を作り出したのは誰か?


エマである


竜咳に苦しむ者たちのために、その治療法を編み出したのは誰か?


エマである


まさにエマとは、「苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う」(Wikipedia)キャラクターなのである


さらに地蔵菩薩はもともとインドの地母神(修験真言宗 大本山金剛寺 仏教講座 No.197参照)とされ、つまところ女性である

名前からして地蔵菩薩はサンスクリット語でクシティガルバというが、クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」という、極めて地母神的な意味である

また英語版Wikipediaでは、Kṣitigarbhaを「バラモンの乙女」として紹介している

以上のように地蔵菩薩とは女性であり、子供の守護尊であり、苦悩する衆生救う者であり、地獄においては死者の罪を裁く神でもある

これはSEKIROにおけるエマの立場、つまり女性であり、九郎を守護する者であり、竜咳患者を救う者であり、また修羅という鬼(死者、中国では死者を鬼という)を裁く者(修羅ルート)という立場に等しいのである

そのうえエマがEMMAを通じエンマとも読めることから、その名前までもが同一なのである


アートワークス

アートワークスに描かれた「初期稿のエマ」は公式サイトでも見ることができるが、両目や腕に包帯を巻いた痛々しい姿をしている

治療者がなぜ自らも傷ついているのか

人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされた。(Wikipediaより)
からである

患者の代わりにその苦を受けるという「能力」を持つがゆえに、彼女は治療者でありながら、また治療をすればするほど自らが傷ついていくのである(初期設定)

もともと初期設定ではNPCの竜咳は進行すると、NPCは死亡するはずだったという

その死によって溢れた淀み、または竜咳そのものをそれ以上広まらないように代わりに受けて、エマが傷ついていく。そういうシステムがあったのかもしれない(想像です


救済計画

話は少し変わるが、物語内で最初期にエマを確認したのは、飛び猿時代の仏師であり、その時のエマの姿は子供であった

際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあり、また小僧姿も多い。(wikipedia)

とあるように、地蔵菩薩が子供(小僧)の姿をとることは多い

拾ったのが後に修羅に落ちる「飛び猿」であることが極めて意味深である

しかもその後、エマは衆生を救える立場(薬師の養女)となり、さらには葦名でも最も苦悩する子供、竜胤の御子を守護する役目にさえ収まるのである

まるで「計画通り」と言わんばかりの、地蔵菩薩による救済計画である

あるいは葦名各地に仏像を彫って歩いた本物の仏師さえ、エマとなる前の地蔵菩薩だったのではないか、とすら思えてくる(自分で自分の像を彫るという行為がやや奇妙なのでうがちすぎかもしれない)


蛇足

エマが自分を地蔵菩薩であるか自認しているかというと、それはないだろう。九郎や隻狼を失いたくないという本心(人返りルートで告白する)には嘘偽りはないはずである

とはいえ、面倒を見てきた九郎はともかく、一度だけの面識しかない隻狼に対してはやや唐突な感を受ける。しかしながら、彼女が「地蔵菩薩の化身」であり、大いなる慈悲の持ち主であると考えると、隻狼への思いも不思議ではない

また修羅となった者への厳格な態度は、死者の罪を裁くエンマとしての厳しさをうかがわせるものである

このように、エマのキャラクター性には慈悲深い地蔵菩薩の側面と、恐ろしい閻魔大王としての側面が並存しており、さらにはその本性である菩薩としての特異性も相まって、SEKIRO内では、どこか浮世離れしたような印象を受けるのだと思われる


2019年8月10日土曜日

Death Stranding 考察24 ハートマンの紹介動画解析2

4Kの日本語版が来たので前回の考察で深く触れなかった点など

レコード

冒頭のレコードから流れているのはショパンのピアノソナタ第2番「葬送」第3楽章である(ややアレンジ?)


写真

一枚目の写真には三人の人物が写っている。1が父親、2が父親に抱かれた子供、3がと考えると、家族の写真であろう


二枚目の写真に映った人物は、一枚目の子供の成長した姿だろうか




AED

心停止状態のハートマンがAEDによって蘇生されるシーン

心停止には四種類ある
1.心室細動
2.心室頻拍
3.心静止(ドラマなどで心電図が平坦になり「ピー」と鳴る状態である)
4.無脈性電気活動

このうちAEDが有効なのは1と2だけである(3と4には無効)
ゆえにハートマンは心室細動か心室頻拍を起こしていると思われる

脈拍計が00から79に跳ね上がっていることから、心室細動(脈拍が消失する)か「無脈性心室頻拍」であると考えられる


AEDによって蘇生されたのだから、心室細動か心室頻拍であり、脈がないのだから心室細動(脈拍が消失する)か「無脈性心室頻拍」である、という推論である


しかしながら、心停止時に「ピー」という音が聞こえる。これは心電計が心臓の電気信号を捉えていないことを意味する

またAED後に「ピッピッ」と定期的な音になるが、これは心電計が心臓の電気信号を捉えていることを意味する

AEDにより心臓の電気信号が復活し、蘇生したということであり、それはハートマンの背後にあるモニターの映像からも確認できる
平坦だった波形が大きな波形として描出されている
さて、上記のような平坦な心電図が記録されるのは「心静止時のみ」である

AEDが有効な1.2(心室細動、心室頻拍)の心電図は平坦ではなく特有の波形を描く

つまり心静止状態に陥っていたハートマンは、心静止には効果のないAEDによって蘇生したことになる

これはなぜか?

話は少し変わるが、ハートマンの吹き替えの声が合っていない、と感じた人は多かったように思う

繊細でどこか儚い感じのハートマンが、含みのあるどこか邪悪な匂いのする声を発していることに、私自身、違和感や齟齬を感じている

なぜ他にもっとキャラクターに合う声優がいるにも関わらず(田中秀幸さんとかね)、大塚芳忠さんだったのか

声を聞いた瞬間、私はハートマンがまったく信用できなくなった。いや、むしろそのような疑念を抱かせるために、あえてあの声にしたとさえ考えた

発売告知トレーラーでは、日本語版に英語版にはないシーンや情報が足されていたのは記憶にあたらしい。であるのならば、ハートマン動画についても同じではないか

要するに、映像はまったく同じだが「声」によって日本語版だけに何らかの情報が埋め込まれているのである

その情報とはつまり、ハートマンの欺瞞である

ハートには心臓という意味のほかに「心」という意味がある。心臓を停止させるので「ハートマン」であるというのは、ハートマンの一つの側面を表わしたものに過ぎない。ハートマンのハートにはもう一つの意味があるのだ

「ハート」つまり「心」が無いのである

無論、家族を探しにビーチに赴くという使命は本物であろう。しかしそれは彼の心からの使命ではない。彼には心がなく、その使命は第三者から与えられたものなのである

常識的に考えて21万8550回もの心停止と蘇生に耐えられる人間はいない

ハートマンは人間ではなく心も持たない。しかし人間と同質の身体構造を持ち、しかも人間よりも強靱な肉体を持つ

ここから導き出される答えはひとつしかない。人間を基にして作られたアンドロイドである(人造人間、あるいはレプリカント)

ハートマンはレプリカント(『ブレードランナー』)であると考えると、サムの奇妙な態度にも説明がつく

これまでのトレーラーに登場したサムは基本的に他者に対して積極的な態度で応じていた。だが、このハートマンの動画においては、何かうさんくさそうな視線をハートマンにずっと送っているのである

たった今、人が蘇生したというのにつまらなそうにソファに座り続け、ハートマンのジョークを黙殺する。さらに映画や小説を薦められても、まるで得体の知れない何かを見ているように消極的な態度を見せる

このサムの態度は困惑である。人間に似た何かに相対したときの、不気味の谷に直面したときの人間の反応である

ハートマンの蘇生はつまるところ「嘘(フィクション)」であり、そこに用いられた医療技術に関しても、人間のそれを模倣したに過ぎないのである


蛇足

はっきりいってかなり悪ノリした考察である。厳密にでなく大雑把にいって、深夜のテンションが生み出した妄想である。

実際のところ、心電図のような波形が心電図であるとは確定しておらず、また単に現代にはない技術が使われているという可能性も高い。よってAEDにこだわる必要はないと思われる