2018年11月23日金曜日

隻狼 曼荼羅

※発売前の考察です


仏像

まず初めに、デビュートレーラーから登場していた仏像について
これはおそらく十一面観音(Wikipediaだろうと思われる
多面多臂の仏像は密教系に多く、とくに観自在菩薩はその手の数(千手観音)、頭の造形(馬頭観音)、頭の数(十一面観音)などが顕著である
これらはヒンドゥー教の影響を受けていると思われるがsekiroとは直接関係ないので詳細は省く
紅い蓮と紅蓮の言葉遊びか

曼荼羅

次にTGS Trailerに登場した護摩壇と曼荼羅であるが、この曼荼羅は「胎蔵曼荼羅の曼荼羅である

中央に置かれた中台八葉院が胎蔵曼荼羅の特徴であるからである

さて胎蔵曼荼羅というと、空海が請来した「現図曼荼羅」が最も有名かつ究極のものであろう。舞台、時代背景的にも本来であればこの「現図曼荼羅」がゲーム内に登場していてもおかしくはない

ただし、トレーラーに登場する胎蔵曼荼羅は「現図曼荼羅」そのものではない
 胎蔵曼荼羅は西に向かい東に掛けられるので、左が東、右側が西と方角がわかる

まず蓮華(中央にある紅い蓮の花)の八葉の間にあるはずの「金剛杵」が描かれていない。また、文殊菩薩の右下に「月輪(がちりん)」を背負った謎の仏が描かれている。ここには本来「四瓶(しびょう)」が描かれているはずである。四瓶とは、大日如来の「菩提心・慈悲心・すぐれた見解・方便」の四徳を表わすものである

では、空海の影響を受けていない時代の胎蔵曼荼羅かというとそうではない。中台八葉院の蓮華が紅いからである。この蓮華を紅く描くのは空海の「現図曼荼羅」以降のことである

胎蔵曼荼羅の根拠である『大日経』において、中台八葉院の八葉は白蓮華で描くことになっているからだ

では、sekiroに登場する胎蔵曼荼羅は、一体なんなのか?

答えを先に述べると、近代の曼荼羅研究に関する知識のある者が『大日経』をもとに新たに解釈して描き直し、さらに故意に相違部分を付け足した胎蔵曼荼羅である

というのも、八葉が紅いこと以外は、『大日経』(あるいはそれを解説した『大日経疏』)のそれに近いからである


なぜ新たに解釈する必要があったのか?

そもそも曼荼羅を信仰対象とする真言宗や天台宗実在の宗教であり、多くの信者が現存している。さらに真言宗の開祖である空海は入滅していない。入滅とは涅槃に入ること、つまり死ぬことであるが、真言宗では空海は入滅せず、今もなお高野山の奥ノ院におられると考えている

もし本物の密教をsekiroに登場させたとして、そうするとラスボスに相応しいのは空海以外にいないのである(不敬であるがスケールが段違い)。しかし、それをするといかにも密教的伝奇的なストーリーにならざるを得ず、要するに抹香臭くなるのである

よって信仰に対する良識的対応と、オリジナルな世界観を保つために、あえて本物とは相違を作り出しているのだろうと思われる

また、文殊菩薩の右下に描かれた謎の仏像の存在もこれで説明できる。詳しい人が見れば、一目で「これは現存する曼荼羅とは異なる」と察することが出来るからである

それにしても、言い方は悪いが面倒くさいやり方である。実在の曼荼羅でないことを強調したいのならば、それっぽい絵を描くだけで済む話である(ただしそれをすると、構図はガタガタ、思想的な理解はムチャクチャ、創作物として陳腐なものになるが)。それをせずに対象に関する知識を熟知した上であえて相違点を作り出しているのである(この手法はソウルシリーズから一貫して受け継がれている)

やろうと思って出来ることではない。時折、物事の本質を異常なまでに素早く見抜き、しかもそれを応用することのできる天才がいるが、きっと、そういうことなのだろう

蛇足

曼荼羅の絵を依頼されたグラフィッカーが「それっぽく描いたらそれらしくなってしまった」という説も否定はできない。というより、そうした例もあると思われる。ただし、今回の曼荼羅はそれにしてもよく描かれているように思えたので、考察してみたものである

2018年11月10日土曜日

デラシネ 小ネタ(ネタばれあり)

花の名前

ユーリヤが持っている花はマドンナリリーという種の白百合であり聖母マリアの象徴として有名。百合→ユーリヤ。ユーリヤの髪の色は白

ロージャの綴りはRozsaでローズ、つまりバラであり、赤いバラは聖母マリアを象徴する花である。ロージャの髪の色は赤

マリーはマリーゴールドであり、「聖母マリアの黄金の花」と呼ばれる花である。マリーの髪の色は金色

※ロージャについて補足。Rozsaはロザリオが転じた名であり、そのロザリオの語源は「バラの花冠」を意味するラテン語のrosariumである

※蛇足だがルーリンツ(ハンガリー語)の英語形はローレンスである

世界の他の場所

ニルスの本をすり替え過去を改変すると、時間移動後にコインを入れる箱のある部屋で「消失事件」について調べているニルスと会える





ユーリヤの襟元のブローチの有無

ユーリヤは襟元にブローチを付けているときと付けていないときがある。


こよりの反応

登場人物のなかでただひとり、こよりに反応しない人物がいる

妖精さんの席、図書館二階と礼拝堂が増える

入手した投票用紙を箱に入れることで黒板に選択肢が書き込まれる。それぞれちょっとした情報を得られる

スカボロー・フェア

演奏会で演奏される曲はスカボロー・フェア(wikipedia スカボロー・フェア)であるが、この曲は不思議な曲として有名である。その源流はスコットランドの古いバラッド『エルフィンナイト』(The Elfin Knight, 「妖精の騎士」)である

左手の痣

プレーヤーの左手には痣がある

コインの場所

図書室
 左奥の書棚の上。覗き込むことで見える

屋根裏
 宝箱の上方。梁の上。しゃがみ込むことで見える

中庭の木
 出て左側にある木のウロの中。覗き込む

立ち入り禁止の扉の下
 ドアの下に少しだけ見えている

最初に犬がいたバルコニーの下
 ストーリーを進め、ダニー(犬)がいなくなった後で入手可

屋根伝いの行き止まり
 演奏会の日にしか取れない(と思う)
 屋根裏へ行く途中の窓から出て右→右→右とずっと右に進んでいくと行き止まりがあり、その下。しゃがみ込み

木琴
 ヘビのいた窓際でしゃがみ戸棚を開くとヒント
 音楽堂の一階左奥の席にある打楽器のバチを入手し、それで木琴を叩く。2314

ユーリヤのベッド下
 覗き込み

報酬
 妖精さんの正体を示唆するものである

妖精さんの正体

雪山から戻ったあと、校長室の奥の部屋に行く機会がある。奥にはイーゼルがあり、ある写真が立てかけてある。その写真の裏側に直接的な答えがある

2018年11月8日木曜日

デラシネ 感想

環境

PS4 pro(SSD換装)
PSVRエキサイティングパック(MOVE2本セット)
ダウンロード版
クリアしただけでプラチナトロフィー

VR

かなり乱暴な視線移動と移動を繰り返したものの、まったく酔わなかった。基本的にはワープ移動。しかしながら操作に慣れてくると、ビュンビュンと連続ワープするのが楽しくなってくる。このあたりは流石フロムというか、屋根の上を移動してるところはほとんどダクソかブラボやってる気分になりかけた。また探索の楽しさはソウルシリーズを彷彿とさせるものであった。
伝説のBlood&Bonesを発見

世界観

不穏な空気が漂う世界観であるにもかかわらず、ずっとこの世界に浸っていたいという矛盾した感情を覚える作品である。それはクリア後も変わらず。この独特の世界観はゲームとしては唯一無二なものであろう

あえて類似する作品をあげるとすれば、一部のギレルモ・デル・トロ作品であろうか。『パンズ・ラビリンス』や、監督ではないが制作総指揮をした『永遠の子どもたち』等々。他にはダークファンタジー、例えば『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』にも似た世界観がある。あとはシャマランの『ヴィレッジ』。『ディアトロフ・インシデント』も興味深いかもしれない

そして漫画作品であればやはり萩尾望都作品があげられる

冒涜的な形状の海坊主


ストーリー

ネタバレになるので詳しくは触れないが、「思い出の幻影」をある種の目くらましとして機能させているのは特筆すべきものがある。たとえネタがわかったとしても(同様のネタは有名なホラー映画でも使われている)、VRならではの手法に工夫しているところは感嘆せざるを得ないのである(幻影が虚であるとすれば、現実の人間は実である、とする思い込みを逆手に取った方法である)
登場キャラクターなど。名前が一部覚えにくかった

総評

VR作品としての完成度が高いストーリーや設定ゲームシステムとして落とし込む宮崎氏の卓越した手腕が今作でもいかんなく発揮されている

VRだからこそ設定でありストーリーであり、それらを統合する形でのゲームシステムである

プレーヤーが妖精で、時間の停止した世界にいて、思い出の幻影が見えて、と一見とっつきにくそうな印象を受けるが、これが不思議とVRと合うのである

そしてその突飛な設定クライマックスにおいて大きな効果をあげている。ほとんど何もヒントがないにも関わらず、プレーヤーはすぐに正しい選択に気づくであろう(ゲームのシステムを理解しているプレーヤーには、何をすれば良いのかすぐにわかる

ゲームのシステムとはすなわち、デラシネの世界における妖精のシステムそのものであるからだ

その瞬間プレーヤーは妖精の正体を確信し、ついに「デラシネ」となるのである

最後のヒント



2018年11月1日木曜日

Red Dead Redemption 2 コーヒーの話

RDR2におけるコーヒーを一杯飲むための手順は以下のようなものである

1.雑貨屋で「コーヒー粉末」と「コーヒーパーコレーター」を購入
2.荒野へ行き、L1を押したままR1を押しながらスティックを下に入れながらL1を離し「キャンプを設営」
3.作成/料理(□ボタンを押す)
4.作成ウィンドウでコーヒーを選択し、淹れる(Xボタンを押す)
5.注ぐボタン(Xボタンを押す)
6.飲む(R2トリガー

なぜこれほどの手順を踏ませるのか

たとえば村上春樹氏の小説を読んでいると、料理を作る場面や着替える場面、身体を洗う場面などの描写が非常に細かいことがある。キャラクターの一挙手一投足をそれこそ微に入り細を穿つような精度で描写しているのである。

実は読者はそうした細緻きわまりない文章を淡々と読むことで、登場人物との同化を果たしているのである。これは感情移入や没入といった心理とは異なる現象であり、ある意味で読経する僧侶神に祈る神父のような形而上学的な存在への同化を感じてさえいるのである。

仰々しくなったが要するに小説の登場人物という仮想の存在と具体的な行為を介して同一化している、という程度のことである。

さて、この小説技法は村上春樹氏独自のものではない。そしてこの「登場人物の日常的な行為を細部まで記す」という技法をもっとも効果的に駆使したのは、かのレイモンド・チャンドラーであろう。

チャンドラーの小説『The Long Goodbye』の冒頭、探偵フィリップ・マーロウテリー・レノックスコーヒーを淹れる場面がある。ここでフィリップは1ページ以上にわたり、コーヒーを淹れるという具体的な行為をこれでもかと描写している。そのすぐあとでチャンドラーはフィリップ・マーロウに託す形で、なぜこれほどまでに細かく描写するのかを説明している。以下引用
 こんな細かい作業に何故いちいちこだわるのか? 張りつめた空気の中では、どんな些細なものごとも演技性を持ち、大事な意味を示す動きとなるからだ。そのときがまさにそれだった。一触即発の空気の中では、すべての決まり切った動作でさえひとつひとつ自立した意思表示になる。どんなに長いあいだ反復され、日常習慣と化したことであってもだ。(『ロング・グッドバイ』47ページ。レイモンド・チャンドラー。村上春樹訳。早川書房)

コーヒーを淹れるという些細であるが具体的な行為こそが、探偵フィリップ・マーロウを最も明瞭に表現すると同時に、読者はフィリップの行為を自らの行為として頭の中で体験することとなる。これは人間の形而上学に関する能力、つまり虚構を現実のものとして感じ取れる、という人類の能力の一端である(吉本隆明氏の『共同幻想論』や最近では『サピエンス全史』などがこの能力について扱っている)


つまり、「登場人物の日常的な行為を細部まで記す」という技法は、具体的な行為を介した登場人物と読者の同一化と、具体的な行為によるキャラクターの表現という二つの効果があるということになる

言うまでもなくレイモンド・チャンドラーといえば、「ハードボイルド」という概念を創出した作家の一人である。そして上記の技法は、ハードボイルドという舞台において最大の効果をあげる技法なのである。なぜならば具体的な行為を積み重ねることで、何故かそこに哀愁(ペーソス)のようなものが発生するからである。このペーソスがなければ、ハードボイルドは野卑で粗雑なピカレスクに堕してしまうであろう

おそらくロックスターは西部開拓時代の終焉を描くにあたり、チャンドラー的な文体をゲームに導入したかったのであろう。もしハードボイルド的な哀愁がなければ、ただの暴力的なゲームになってしまうからだ

ゆえに、アーサーは朝起きて水をくみ干し草を運ぶ。さらに馬に乗っては装備をひとつひとつ取り出し、銃弾を装填していくのである。この行為の反復が、哀愁を感じさせるような人物像を明瞭に表現するからである

そしてもうひとつ。日常的な行為プレーヤーに行なわせることで、プレーヤーはアーサーと徐々に同一化していくのである。この行為は無意識に出来てはいけないし、かといって難しすぎてもいけない。少し頭を使いながら、それこそフィリップ・マーロウがテリー・レノックスのために淹れるコーヒーのように、繊細に慎重に行なわなければならないのである

おそらく、この行為の積み重ねはプレーヤーとアーサーの同一化を推し進め、最終的には同化するであろう。これは一種の(そして本物の)仮想現実(バーチャルリアリティ)である

ロックスターはHMDや錯視の力を借りず、古来からの方法をゲームとしてアップデートすることで本当の意味での仮想現実、つまり読者とキャラクターの同化を成し遂げたのである

とはいえ、やはり毎度毎度、馬の鞍から武器を取り出すのは面倒くさい。しかしそれでいいのである。きっとアーサーも「面倒くせーな」と思いながら取り出しているからである。この段階ですでにプレーヤーとアーサーは同じことを感じている(同化している)と言えるのかもしれない

スクリーンショット


 Rockstar Gamesに乾杯

PS4でこれほどの表現ができるとは

例のキャンプ

いい顔のアーサー

サンドニの夜がとてつもなくきれい

イカした婆さんキャラクターが多い

たぶんいちばん美人のペネロペ嬢