2018年11月1日木曜日

Red Dead Redemption 2 コーヒーの話

RDR2におけるコーヒーを一杯飲むための手順は以下のようなものである

1.雑貨屋で「コーヒー粉末」と「コーヒーパーコレーター」を購入
2.荒野へ行き、L1を押したままR1を押しながらスティックを下に入れながらL1を離し「キャンプを設営」
3.作成/料理(□ボタンを押す)
4.作成ウィンドウでコーヒーを選択し、淹れる(Xボタンを押す)
5.注ぐボタン(Xボタンを押す)
6.飲む(R2トリガー

なぜこれほどの手順を踏ませるのか

たとえば村上春樹氏の小説を読んでいると、料理を作る場面や着替える場面、身体を洗う場面などの描写が非常に細かいことがある。キャラクターの一挙手一投足をそれこそ微に入り細を穿つような精度で描写しているのである。

実は読者はそうした細緻きわまりない文章を淡々と読むことで、登場人物との同化を果たしているのである。これは感情移入や没入といった心理とは異なる現象であり、ある意味で読経する僧侶神に祈る神父のような形而上学的な存在への同化を感じてさえいるのである。

仰々しくなったが要するに小説の登場人物という仮想の存在と具体的な行為を介して同一化している、という程度のことである。

さて、この小説技法は村上春樹氏独自のものではない。そしてこの「登場人物の日常的な行為を細部まで記す」という技法をもっとも効果的に駆使したのは、かのレイモンド・チャンドラーであろう。

チャンドラーの小説『The Long Goodbye』の冒頭、探偵フィリップ・マーロウテリー・レノックスコーヒーを淹れる場面がある。ここでフィリップは1ページ以上にわたり、コーヒーを淹れるという具体的な行為をこれでもかと描写している。そのすぐあとでチャンドラーはフィリップ・マーロウに託す形で、なぜこれほどまでに細かく描写するのかを説明している。以下引用
 こんな細かい作業に何故いちいちこだわるのか? 張りつめた空気の中では、どんな些細なものごとも演技性を持ち、大事な意味を示す動きとなるからだ。そのときがまさにそれだった。一触即発の空気の中では、すべての決まり切った動作でさえひとつひとつ自立した意思表示になる。どんなに長いあいだ反復され、日常習慣と化したことであってもだ。(『ロング・グッドバイ』47ページ。レイモンド・チャンドラー。村上春樹訳。早川書房)

コーヒーを淹れるという些細であるが具体的な行為こそが、探偵フィリップ・マーロウを最も明瞭に表現すると同時に、読者はフィリップの行為を自らの行為として頭の中で体験することとなる。これは人間の形而上学に関する能力、つまり虚構を現実のものとして感じ取れる、という人類の能力の一端である(吉本隆明氏の『共同幻想論』や最近では『サピエンス全史』などがこの能力について扱っている)


つまり、「登場人物の日常的な行為を細部まで記す」という技法は、具体的な行為を介した登場人物と読者の同一化と、具体的な行為によるキャラクターの表現という二つの効果があるということになる

言うまでもなくレイモンド・チャンドラーといえば、「ハードボイルド」という概念を創出した作家の一人である。そして上記の技法は、ハードボイルドという舞台において最大の効果をあげる技法なのである。なぜならば具体的な行為を積み重ねることで、何故かそこに哀愁(ペーソス)のようなものが発生するからである。このペーソスがなければ、ハードボイルドは野卑で粗雑なピカレスクに堕してしまうであろう

おそらくロックスターは西部開拓時代の終焉を描くにあたり、チャンドラー的な文体をゲームに導入したかったのであろう。もしハードボイルド的な哀愁がなければ、ただの暴力的なゲームになってしまうからだ

ゆえに、アーサーは朝起きて水をくみ干し草を運ぶ。さらに馬に乗っては装備をひとつひとつ取り出し、銃弾を装填していくのである。この行為の反復が、哀愁を感じさせるような人物像を明瞭に表現するからである

そしてもうひとつ。日常的な行為プレーヤーに行なわせることで、プレーヤーはアーサーと徐々に同一化していくのである。この行為は無意識に出来てはいけないし、かといって難しすぎてもいけない。少し頭を使いながら、それこそフィリップ・マーロウがテリー・レノックスのために淹れるコーヒーのように、繊細に慎重に行なわなければならないのである

おそらく、この行為の積み重ねはプレーヤーとアーサーの同一化を推し進め、最終的には同化するであろう。これは一種の(そして本物の)仮想現実(バーチャルリアリティ)である

ロックスターはHMDや錯視の力を借りず、古来からの方法をゲームとしてアップデートすることで本当の意味での仮想現実、つまり読者とキャラクターの同化を成し遂げたのである

とはいえ、やはり毎度毎度、馬の鞍から武器を取り出すのは面倒くさい。しかしそれでいいのである。きっとアーサーも「面倒くせーな」と思いながら取り出しているからである。この段階ですでにプレーヤーとアーサーは同じことを感じている(同化している)と言えるのかもしれない

スクリーンショット


 Rockstar Gamesに乾杯

PS4でこれほどの表現ができるとは

例のキャンプ

いい顔のアーサー

サンドニの夜がとてつもなくきれい

イカした婆さんキャラクターが多い

たぶんいちばん美人のペネロペ嬢


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