これまでのいくつかの考察において、Sekiroのストーリーには元となるモチーフがあり、それらを再解釈することで新たな物語を創造していると述べてきた(「考察4 隻狼」「考察5 丈」「考察6「花と石」と「血と涙」)
日本神話における神代の神話(花と石)から、人代の伝説(ヤマトタケル)、そして史実(藤原秀郷)に至るまで、この流れは要するに日本の歴史全体の再解釈である
で、あるのならば仙郷もまた、日本の歴史(神話も含む)の再解釈によって創造されたのではないだろうか
というわけで、仙郷(それはつまりSekiroの物語の根幹)を日本の歴史の再解釈という視点で考察してみたいと思う
はじめに
まず、仙郷(源の宮)の中央には巨大なクレーターが存在する明らかに何かが墜ちてきたその痕跡が確認できるのである
これほど巨大なクレーターを作る衝突であれば、もし付近に生物なり建物なりがあれば、衝突した瞬間に消滅しているであろう
いや、実際そのときに完全に消滅したはずなのだ
ということは、このクレーターが出来た時が、仙郷の始まりである(それ以前に何があろうと、それはもはや存在しない)
ここから先は、日本の歴史に当てはめた時代区分を項として、そこに仙郷の歴史を当てはめて行きたいと思う
ただし、この歴史区分はわかりやすいよう便宜的に区分したものであり、Sekiroの世界に実際にそういった時代があったというわけではない
地球創世~約1万6500年前までの期間
仙郷の歴史の始まりには、隕石の衝突というイベントがあった衝突により仙郷には深いクレーターが残されたのである。当然それ以前に文明があったとしても跡形も無く消滅していると思われる
縄文時代の始まりが約1万6500年前であり、まず日本の歴史の始点をこのときだと定めると、隕石の衝突は約1万6500年前までに起きたと思われる
縄文時代~弥生時代
隕石の落下を始点として始まった仙郷の歴史隕石の欠片は周囲に飛び散り、その最も大きな欠片はクレーターの底に残された
そうして最初に仙郷に寄ってきたのは、神々である
金剛屑
金剛屑は、葦名の中でも、
ひと際古い土地のみで採れる
古い土や岩は、神を寄せるとも言われる
この恩寵か、金剛鉄は実にしなやかで強い
この金剛屑(金剛鉄)とはつまり、隕鉄のことである
神々は隕鉄に引き寄せられるようにして、仙郷へ、そして葦名の地に散らばった隕鉄の欠片に集っていった
長い時を経て、大きな力をもった白蛇と百足が土地神となる
乾き蛇柿
ぬしとは、土地神
隻狼の考察でも述べたように、俵藤太の伝説の背景には、日光山と赤城山の蛇と百足の神戦の伝承があり、そこに「竜」の要素が混じることで、「俵藤太物語」として成立したのである
はじめに蛇と百足の要素があったのである
同様に仙郷においても、まず蛇と百足が棲み着いたである
この時代、古代人(縄文人)はこれら土地神を崇めて暮らしていたと思われる
弥生時代~古墳時代
さて、クレーターの底に残された隕石の最も大きな欠片(金剛鉄の塊)は、神を依り憑かせる磐座である。無数の神、強大な神がそこへ寄って行ったであろう。西から桜竜が到来するまでは。西からやって来た桜竜は岩に惹かれ、在来の神を押しのけて、そこに根付く
こうして隕石は神の岩となった
この神の岩を発見したのが、祭祀王を中心にする一族である。彼らを率いる祭祀王こそ神域で眠る巫女であり、日本の歴史で言うのならば、卑弥呼である
巫女は神の岩を祀り、それは神の依り憑く磐座であるがゆえに、クレーターの底から神域へと引き上げられる
神域からは止めどなく水が溢れ、それは徐々にクレーターを水没させていったであろう
この時代、小さな神々が桜竜の影響を受けて姿を潜めてゆく
蟲憑きで考察したように、神々は水の中に溶け、それは蟲として人々に憑きはじめる
神食み
だが、神なる竜が根付いたのちは、
そうした小さな神々は、姿を潜めてしまった…
一方、古代人たちは変若水の影響で不死となる。古代人たちは以後、数百年に渡り源の水を崇めながら、仙郷で暮らす
この頃まだ仙郷と下界との交通は盛んであり、仙郷人たちが下界に降りていくことは頻繁であった。こうした仙郷人が仙郷へ戻るための交通手段が、輿入れの儀である(かつては双方向的な機能があったと思われる)
水生村とは水が生まれる地、その水をもたらす源の宮と下界を繋ぐ「駅」のような機能を担っていたのである
平安時代初期
源の宮が不老不死となった古代人により建造されるまだ湖の水深は浅くクレーターの底付近にまで建物が建てられた
これらの文化をもたらしたのは、下界へ降りて戻ってきた仙郷人たちであろう。彼らは京へ行き、その京の文化を自らの土地へと持って帰ってきたのである(遣唐使が唐の文化を日本にもたらしたように)
この頃、地上の人間も仙郷へ渡りはじめる。輿入れの儀を利用し、その香気を偽装することで、仙郷へ侵入するのである
仙郷渡りを果たした人間は、京の水を飲み都人となるのである
お宿り石
お宿りは吉兆ぞ
かぐわしく、輿入れ奉ろう
水生の呼吸術
水生の御初代は、
輿入れが決まった者にのみ、
密かにこの秘術を授けた
輿入れ望まば、水生の息
これ無くば、神なる竜とは見えられぬ
内裏への道は、この頃すでに水に沈んでいたと思われる。ぬしの通り道は緩いUの字型をしており、そこは水に満たされているがゆえに、水生の息が必要なのである
この頃、仙峯上人が仙郷へとやって来る。
奥の院が高野山の奥の院がモデルであることから、仙峯寺が出来たのもそのころ、つまり平安初期と想定される
空海が唐に渡ったのと同様に、仙峯上人は仙郷に渡ったのである
仙峯上人は神なる竜と見え、竜宮に行った浦島や俵藤太が土産をもらったように、仙峯上人もまた土産を仙峯寺に持ち帰る
土産、とは仙郷の池に飼われていたぬしの色鯉の肉であろう
だが、ぬしの色鯉は、ぬしであるがゆえに神である
乾き蛇柿
ぬしとは、土地神
生の蛇柿
神を食らうなど、
人の身にとっては毒となろう
ぬしの白髭
ぬしの色鯉の貴く白い髭
仙峯上人は賜わったぬしの肉には手を付けなかった。戒律で肉食が禁止されているからである
だが、ある尼僧が寺の戒律を破り食べてしまう
戦いの残滓・宮の破戒僧
真の名を、八百比丘尼という
尼僧は伝承上の八百比丘尼と同じく不老不死となるが、破戒僧として寺を追放されてしまう(そののち彼女は各地をさまよい歩きやがて、仙郷へと至る)(参照:八百比丘尼Wikipedia)
神の肉は毒である。その毒が人の体内で蟲として結晶したものが、毒虫の最たるものムカデである
「考察8 蟲憑き」でも述べたが、神と蟲は双方向的に置換(変態)可能であり、神の一部とて、それは同じなのである(変若水を触媒にしたある種の化学反応である)
一方、尼僧の不老不死を目の当たりにした仙峯上人は、その死なずの魅力に囚われる
神なる竜がそれを授けたのは、仙峯上人である。彼は誘惑に耐えきれず、それを口にする。そうして不死が蟲の力によってもたらされていることに遅まきながら気付くのである
永旅経・蟲賜わりの章
我、蟲を賜わり、幾星霜
死なずとは、永き悟りの旅路なり
死なぬ訳もまた、悟らねばなるまい
神なる竜は、西の故郷より来られたという
我に、蟲を授けられたは、なにゆえか
蟲を授けられた理由を知るために、仙峯上人は法から離れ、死なずの探求へと突き進んだのである
平安時代中期
仙峯上人が不死となってから数百年後、淤加美の一族が到来する。彼女らはその武力を持って、源の宮の実権を握り、武門としての地位に就く建前上、貴族を敬いながらも我が世の春を謳歌するのである
淤加美の一族は元は白蛇を祀る一族である
鉄砲砦の社の鍵
鉄砲砦の落ち谷衆は、
異敵と見れば、撃ち殺す
中でも、蛇の目の石火矢は、恐ろしい
かの女衆は、いにしえの淤加美の一族の末裔
稀な目を持ち、遙か彼方を容易く射抜く
乾き蛇柿
落ち谷の衆は、ぬしの白蛇を崇め、
乾いた蛇柿を御神体として祀ったという
彼女らは自らの神を捨て、仙郷を目指したのである
ゆえに彼女らは神の復讐を恐れ、淤加美門を建て防備を固めた
不自然に滝際にある淤加美門は、人ではなく白蛇の襲来を防ぐために建てられたのである
実権を握る淤加美の号令のもと、仙郷勢力が葦名に攻め込むも、葦名衆の活躍により撃退される
錆び丸
いにしえの昔、葦名に攻め寄せた
人ならぬ一族に抗するため
葦名衆が鍛えたもの
あやかしを退けたは、
青錆びの毒の賜物とか
葦名衆の反撃を恐れた仙郷勢力は宮の門を閉じ、門守として死なずの蟲憑きを配置する
水生村との交流が途絶え、輿入れの儀は徐々に忘れられてゆく
平安時代末期
源の宮で起きた争乱(源平合戦)により、桜竜が左手を失って目覚める。桜竜の目覚めと共に噴出する水量が増加、源の宮が水没してゆく(クレーターの底から縁に沿って建てられていた建物の大部分が水没)さらに桜竜が傷ついたことで変若水の水質が変化(参考:植物の防御機構)
葦名に「竜咳」が蔓延。それは誰も助かる者がなかったと言われるほどに猛威を振るったのである
都人は姿を保てなくなり、徐々にナメクジ化。都人同士の対立が激化して、源の宮が荒廃していく
「…あれは、一族の恥者 己のため、ぬしの鯉様を弑せんとした、大逆の罪人よ」「ようやっと、あ奴の罪を償える」(壺の貴人 維盛)
まこと貴い餌
平田屋敷の壺の貴人は、ぬしになりたい
まこと貴い餌
源の宮の壺の貴人は、実にぬし思いである
ここに示されたのは、ぬしの鯉の地位をめぐる権力争いである
これが争乱(源平合戦)の引き金になったのである
争乱の根元には白木の翁派(平氏)とぬしの色鯉派(源氏)の争いがある。勝ったのはぬしの色鯉派である。ゆえに白木の翁たちは、桜竜のいる渦雲へ追いやられ、白木の翁派が支配していた内裏は閉ざされたのである
最も貴き者は内裏に幽閉され、その配下にあった一族は壺に入れられた。そしてその最も罪の重い大逆の罪人は川へ流されたのである
壺の貴人「維盛」のモデルは平維盛(wikipedia)であり、同様に淤加美の長 静のモデルは静御前(Wikipedia)である
前者は敗れた平氏を象徴し、後者は勝者である源氏を象徴していると思われる
ゆえに維盛や春長は壺に入れられ、春長は川に流された(都落ち)
一方の勝者の静は源の宮で優雅に蹴鞠をしているのである
※大桜の枝を折ったのはぬしの色鯉であろう
※大桜は白木の翁派の長であり、ぬしの色鯉により大枝を折られ、戦いに敗れたのである
戦国時代
丈と巴が葦名に到来。この二人の都落ちも、都人同士の対立が背景にある。荒廃が進み、人の姿を保てなくなる都人が増えはじめた結果、異常の原因である桜竜を殺すかどうかで意見が分かれたのであろう
この対立に敗れた側の貴族は源の宮を追放され、葦名に落ち延びたのである。水生村に追放された都人は霧にこもり帰京の機会をうかがうも、反対勢力はそれを防ぐために、幻影の破戒僧を派遣する
幻影ゆえに、霧ごもりの貴人は若さを吸えず、岩戸を守る門番を排除できないのである
戦いの残滓・破戒僧
夜叉面の破戒僧は、
朧なまぼろしの如き姿をしていた
水生村の岩戸を守っていたのは、
何の故あってのことか…
桜竜派の筆頭である巫女は力の限りを尽くして桜竜の暴走を抑え続けている。一時の葦名の地における「竜咳」の蔓延はこれにより束の間鎮まったのである
一方、丈は桜竜を殺す方法を探しに葦名へ落ちてきた
丈はモチーフとなったヤマトタケルと同様に大王つまり桜竜の直系(竜胤の御子)である。桜竜殺害派が担ぐには最適な人物である
だが、桜竜との繋がりの深さは弱点でもあった
傷ついた桜竜は際限なく周囲の生物の「生の力」を奪い続ける。それは縁が深ければ深いほど、多く奪われる。
桜竜に生の力を奪われた丈は「竜咳」に罹り、やがてすべての「生の力」を奪われて病死。同時に竜胤の御子の従者である巴も死亡
桜雫だけが残ったのである
ここには桜竜←竜胤の御子←生物
└→従者
という「生の力」の流れがある
桜竜が健康であれば、御子から桜竜への流れは起こらない。なぜなら桜竜は「常しえ」であるからだ。
だが、桜竜が害され、その力を快復させようとするとき、桜竜は竜胤の御子を通じて生の力を掻き集めるのである(足りなければ御子自身からも)
ちなみに従者が回生すると、御子を通じて縁の深い人々から生の力を奪い取る。竜胤の雫はその流れを逆転させるアイテムである
丈は桜竜と縁が深かったために、巫女によって抑えられた桜竜にも生の力を奪われていったのであろう
戦国時代末期
隻狼が仙郷にやって来て、不死斬り「拝涙」により桜竜を鎮める。不死斬りによる殺害ではなく、「拝涙」により桜竜が鎮まったのは、涙こそが流された血を浄化するからである(考察「花と石」と「血と涙」)桜竜が鎮められたことで、巫女は静かに眠ったのである
蛇足
仙郷の歴史とは、日本史の項(要素)を再解釈し、器用仕事(ブリコラージュ)により組み替えた構造となっているのではないか、とこれまでの考察から思いついたものである隕石に関しては、そちらの方がわかりやすいしクトゥルフ感が出るかな、と思ったので出してみたものである
実際、空から落ちてきた隕石ではなく、深い穴の底(深淵)にあった岩でも良いのである。その場合、生者の住む現世と、死者の住む幽世(かくりよ)の間にある黄泉比良坂(よもつひらさか)に置かれた千曳の岩となろうか
ただ金剛鉄の隕鉄的な性質や神を寄らせるという性質を考えると、どちらかと言えば隕石かなと思った次第である
すごく面白いです。
返信削除ありがとうございます。モチーフをもとにSekiroの物語を補完していくときは、たいていワルノリしているので、読み返してみると暴走しすぎだなといつも感じます
削除仙郷の範囲は源の宮を含むか含まないかというのはまず絡んでくる問題だと思います。
返信削除オカミ一族は仙郷を目指したが、仙郷に実際にたどり着いたという記録はゲーム内にない模様です。
狼も桜竜の雲海に入った時、「仙郷か...」と言って、おそらくその雲海の空間からが初めて仙郷ではありませんか。
しかも、拝涙の終わりに、直ちに葦名城に移動した。その後、雲海に入ろうとも出来ず、まさしく仙郷から追い出されたようになります。
仙郷の範囲は難しい問題ですね。
削除「竜胤断ちの紙片」だと「仙“境”」になっていますし(これは英語訳を見れば誤字かわかる気がします)…
メタ的なことを言うのなら、「仙郷」とはクトゥルフ神話でいう「ドリームランド」的な空間なのではないかと思いますが、自分もはっきりとした答えは出せてません
壺の貴人・維盛のモデルは平維盛でまず問題ないとして、壺の貴人・春長は誰だろうと、ずっと考えたんですが、一つの可能性を見いだせた気がします。
返信削除江戸の人形浄瑠璃曲目『絵本太功記』は『太閤記』を題材としいるが、羽柴秀吉を真柴久吉、明智光秀を武智光秀、という具合で登場人物の名前を改変しています。そして織田信長の名前が、小田春長になってします。
http://morimiya.net/online/ukiyoe-big-files/U199.html
この歌川芳富作の浮世絵にも「小田春長卿」と書いています。
さらに織田信長が平氏の子孫と自称していることを加えると、壺の貴人・春長のモデルは織田信長かもしれないと考えています。
ただ自分は日本人ではないので、こういうガチ日本文化に関するものにはあんまり自信がありません。せめてHarveyさんの考察の役に立てればと思います。
素晴らしい情報ありがとうございます
削除春長は平安期の無名かオリジナルな人物名かと思っていたので、戦国時代は盲点でした
たしかに源の宮を平安期だとするのなら、平田屋敷は戦国期にあたるので、戦国期の人物がいてもおかしくないです。炎上する平田屋敷(本能寺的な舞台)や織田氏の出自を考えると、正解のような気もします
とても勉強になりました。ありがとうございました
そう言っていただいてなによりです。
削除私は日本文学文化学科の留学生で、sekiroをやって、Harveyさんの考察を読んで、とてもいい勉強になりましたし、これらをきっかけに、読みたい本、知りたい知識もいっぱい増えました。
素晴らしいゲームと「ソウルの種」とのめぐり合わせに感謝します。今後の記事も期待しています!頑張ってください
留学生の方でしたか。文章下手な私より日本語が上手いですね、確実に
削除コメントありがとうございます。励みになります
私の考察が何かの刺激になったのであれば、とてもうれしいです
私もいいゲームと出会うと、読みたい本のリストが増えます
考察やらゲームやらをしているとなかなか減りませんが…
最近はとくに知識不足を痛感しているので、いろいろと手を出そうと思っています
春永はともかく戦に勝ったはずの維盛が壺に籠ってるのは何故なのでしょうか
返信削除「…あれは、一族の恥者」(維盛)とあるように維盛と春長は同じ一族ですので、春長の大逆に連座したのではないかと思います
削除考察とても楽しく見させてもらいました
返信削除隕鉄で思い出しましたが修羅ルート一心の刀も刃紋から見て隕鉄で出来た刀に思えました
感想ありがとうございます。隕鉄にはロマンがあります
削除一心の刀は榎本武揚の「流星刀」のような刃紋がありますね。モデルなのかもしれません
クレーターとは水に沈んでいる所のことでしょうか?
返信削除もしそうだとしたらクレーターの中に破壊された建物があるのは矛盾しませんか?
想定としては、水底の魚の骨に蛍光色の蟲がたかっている場所です
削除まずクレーターが出来、その後に周囲に建物が建てられ、最後に水に沈んだ、という時系列を考えています
破壊された建物は、源の宮の橋と同様にヌシに壊されたと推測します
金剛屑のテキストに曰く、
返信削除"古い土や岩は、神を寄せるとも言われる
この恩寵か、金剛鉄は実にしなやかで強い"
これをそのまま解釈すると、
土が古い→神々が寄ってくる→影響を与える→金剛屑
と読み取れるので、あくまで神々を寄せる要素を持つのは金剛屑ではなく、"古い土""古い土地"のはずです。
仮に御考察されたように、古い神々のいた時代に隕石がやって来たとするのであれば、神々からすれば突然自分たちの土地に降ってきた巨石=その時代においてもっとも新しい物となり、神々を寄せる要素は皆無なのでは?
『「まことの仏師が彫った仏象から狼がタイムスリップ」できる三年前の平田屋敷のボスはまぼろしお蝶であり、それを倒すとムービーが入って仏像の前に帰還する。』(桜雫を入手)
返信削除『源の宮のボスは桜竜であり、それを倒すと葦名城に移動する。』
源の宮に移動する際に注連縄ロボを経由している為に関連性がなさそうに見えたこれら二つの現象ですが、源の宮に到達するまでの過程から源の宮の攻略中の行動は「源の香を嗅いだ時点で狼がタイムスリップ」したn年前の源の宮の出来事だったのではないでしょうか!?
なまじ「源の香を入手する過程」で獅子猿から仏師殿の昔なじみの形見を入手したりお宿り石を入手する際に古びた輿を目撃するという過程を経るために現代と地続きの位置に源の宮があると考えていましたが、違うんじゃないでしょうか……!
輿入れの岩戸の前で破戒僧の幻影が立ちはだかりますがこれは幻影を破戒僧のまぼろしとして、続いて術者である本体を倒すという流れではなく(まぼろしお蝶という存在によるミスリード)、実際に過去に狼が倒した(源の宮の)破戒僧の怨念が亡霊となって出現していたのではないでしょうか?(亡霊の出現時間と微妙に合わないのが痛いところ。幻影の破戒僧とは昼以前でも戦闘可能だったような気がします)
……という考察を考えたのですがどうにも煮詰まらず……シード兄貴の智慧をお借りしたいです。
リリースより大分時間が経ってからからで申し訳ないのですが……
返信削除金剛は仏教において最も固いもの、転じて壊れないものを指す言葉です。
和訳の金剛石はダイヤモンドを指しますが、ダイヤはご存じの通り日本では産出しませんので日本における金剛石は別の鉱石を指していたといえます。保育社出版の原色鉱石図鑑の記述では上記の理由で古来日本で金剛石とされていたのは比較的広範囲に産する鉱石の中でも硬い柘榴石(宝石としてはガーネット)だったと記述されています。
柘榴石の主成分はケイ酸(Sio2)とアルミ(Al)に不純物として諸々の金属元素が混入し、その種類によって鉄礬(Fe)苦礬(Mg)満礬(Mn)灰鉄(CaFe)灰クロム(CaCr)など個性的に色調に分類されます。
これらの不純物は製鋼における鉄合金の添加剤や改質剤として非常に重要な要素で、クロムは耐食性と靭性に優れたステンレスとして身近な合金ですし鉄アルミマグネシウムの合金は鉄の1/3という軽量合金です。また、合金の前段階として高品位の鉄を得るにはカルシウムやマンガン(フェロマンガン)は添加剤として非常に重要です。金剛は硬いモノを指す言葉であるなら、「金剛鉄は実にしなやかで強い」というテキストに違和感を感じます。金剛屑のテキストの由来はこんなところにもあるのではないでしょうか。
ついでに言えば宝石としての柘榴石を示す「ガーネット」は遡るとラテン語で「種」を意味するgranatumに由来しています。母岩の風化で大粒が露出しやすい石でもあったため古くから宝石とされてきた石です。西洋では勝利の象徴とされてきた歴史もあります。ある意味、生存競争真っ最中の土着神の恩寵があったとしても頷けるかと。