まず結論として、蟲とは葦名土着の小さな神々の零落した存在である
神食み
葦名のひと際古い土地に生える草木には、
名も無き小さな神々が寄っていたという
これは、そうした草木を練り上げ作られる
神々を食み、ありがたく戴く秘薬である
だが、神なる竜が根付いたのちは、
そうした小さな神々は、姿を潜めてしまった…
桜竜が根付いたことで、小さな神々は姿を潜めたという。消滅ではなく潜めたのである。つまりどこかに隠れている
どこかというと、それは水の中である
神ふぶき
紙を抄くというが、
源の水で行うそれは、神を掬うことでもある
加えて神主から濃縮した源の水(「酒」)を飲まされた水生村の住人の言動を思い出して貰えればわかりやすいと思われる
籠かぶりの正助
「喉が渇いて、たぁくさん、お酒を飲んだからなあ」
「ただなあ… お酒を飲むと、喉が渇いちまう」
「酒樽は、すぐ空になる」
「仕方なく、みな、池や川の水を啜るんだ」
「けどなあ、飲めば飲むほど、喉が渇く…」
同じ症状が蟲憑きにも確認できるのである
この画像は葦名の底で戦う獅子猿の、戦闘前の姿勢である
壁を伝って落ちてくる水を、首の無い猿が飲んでいるように見える
首が落とされた獅子猿が、ムカデと酷似したアクションを取ることは、菩薩谷での戦闘からも分かると思う
要するに、首を落とされると憑いた蟲の本能が表面に現われるのだ
で、あるのなら、この水(源の水)を飲むという行動は、蟲本来の本能的な行動だと考えられる
ここに、源の水を飲んだ人間と、蟲の共通した症状が確認できるのである
源の水を飲んだものは例外なく喉が渇き、さらなる源の水を求める衝動を抑えきれなくなる
さて、源の水とは桜竜の影響を受けた水のことである
この水に影響された小さな神々も同じような症状を発症したと推測される
戦いの残滓・桜竜
この葦名には、ひと際古い土地がある
古い土や岩が、そこに染み渡った水が、
神なる竜を根付かせたのだ
仙郷の神域からは膨大な量の水が噴出している
その水が古い土地に染み渡ってゆき、その水を草木が吸い上げ、さらにそこに寄りつく小さな神々にも影響を与えていった
源の水と接触した神々は激しい渇きにさいなまれ、池や川の水を啜りに水中へと飛び込んでいったのである(水生村の湖底には飛び込んだと思わしき人間が無数に確認できる)
しかも、ひと際古い土地は源の水の源流に近い場所である。つまり小さな神々は、純度の高い源の水に接触している
純度の高い水は劇的な変化を小さな神々にもたらした(神主に「京の水」を渡した時のような)。小さいがゆえに、人間よりも影響の度合いが高く、人間が不死になる程度の純度でさえ、小さな神々には致命的だったのである
そうして小さな神々は水の中に溶けていった
神々の溶けた源の水は濃度が高まると変若水となり、さらにそれが濃縮されると、変若水の澱を析出させる
この変若水の澱こそが、蟲である
貴い餌は変若水が溜まり、その濃度が高まっていると想定される場所に置かれている。源の宮の湖底、水生村の滝壺、獅子猿の水場の滝壺などである
これらは、変若水の濃度が高まり、水中に溶けていた小さな神々が再び形を成したものだと考えられるのである
蟲は元は神であり、神の属性を有するがゆえに、人に憑く
また、神々と呼ばれていたように、複数の種類があり、おそらくは蟲によって憑いた人間の症状が異なってくる
さて、「仙郷」の考察において仙峯上人はぬしの色鯉の肉を食べて蟲に寄生された、と述べた
ぬしとは土地神であり、神の肉は人の身には「毒」になるとされる
生の蛇柿
ぬしとは、土地神
神を食らうなど、
人の身にとっては毒となろう
だが、絶対に変若水に触れようとしない白蛇(例えば落ち谷で襲われた時には、水中まで絶対に追ってこない)と比べ、ぬしの色鯉は純度の高い源の水に棲んでいる神である
この神もまた、小さな神々と同様に源の水に影響を受けていただろう。つまりぬしの色鯉の肉体は蟲化しているのである(蟲の群体である)
神の肉は人の身には毒である。が、その毒もまた蟲化している
神の毒が蟲と化し、それは毒虫の最たるものであるムカデの形を成したのだ
神の毒たるムカデに憑かれると、人は不死になる。桜竜の「常しえ」を受け継いでいるゆえに、蟲もまた「常しえ」なのであり、宿った肉体を「常しえ」にするからである(獅子猿は水場に流れてきたぬしの肉でも食べたのだろう)
が、それはやはり毒である。怪異の領域にある獅子猿ならともかくも、人間がその毒に耐えられるとは思えない
事実、耐えられなかったのだろう。ゆえにぬしの肉による不死は、仙峯寺の専売特許となったと思われる
仙峯寺の本堂にいる即身仏型の蟲憑きは「中り薬」をドロップする
中り薬
毒に中る粉薬
葦名の忍びが、古くから用いたもの
口にすると、弱い「中毒」にかかる
自らの身体に毒を取り入れることで、
他の毒を全て無効化できる
ある類の術のため、この薬を用いる忍びもいる
毒も使いようと心得るゆえに
仙峯寺の僧侶たちは、中り薬を自ら飲むことで蟲の毒を無効化しているのである。そして彼らは理性を保ったまま、肉体的な不死を手に入れたのであろう
※蟲憑きである仙峯上人が死んだのは、中り薬の服用を止めたことで、神の毒の毒を抑えきれなくなり、中毒死したからである
※死なず半兵衛は奥の歯(「忍びの青い秘薬が仕込まれた差し歯」)、つまり毒薬をドロップする。この毒の効果により中和されているのだろう
※獅子猿は糞投げ攻撃をしてくるが、これを喰らうと毒状態になる。つまり毒を体内に保有しているのである
※ただし破戒僧は毒攻撃ならびに毒に関連するアイテムを持っていない。よってこの考察には瑕疵がある
さて変若水には蟲となった神々が溶けていると上述した。要するに濃度の高い変若水、例えば変若水の澱などを飲めば、人は蟲に感染するのだ
元は同じ源の水であるが、その濃さによって感染の度合いは異なると思われる
感染の度合いは、変若水の澱>>>変若水>>>源の水ぐらいのものであろう
変若水の澱などを摂取して蟲に感染すると人は赤目になる
赤目となった者が体内に残すのが赤成り玉である
赤成り玉
赤目と成り果てた陣左衛門
その体内にあった、赤く丸い塊
食らうと赤目となり、
敵の攻撃に怯みづらくなる
ただし、回生の力は使えなくなる
この赤く丸い塊は、常しえに朽ちぬ
害はないが、効力が切れたのちも
きっと腹の中にずっと残るだろう
赤成り玉
食らえば赤目と成る、赤く丸い塊
赤目になれば、敵の攻撃に怯みづらくなる
ただし、回生の力は使えなくなる
赤成り玉は、
成りたいものに、成れなかった者の名残り
触れば仄かにあたたかく、脈を打っている
赤成り玉は常しえだという。この「常しえ」はSekiroにおいては、桜竜の属性である。つまり桜竜の影響を受けていることを指し示す
さらに、触れば仄かにあたたかく、脈を打っている、という
ある種の寄生虫(例えば回虫)は、人の腸内でボール状にかたまり、腸閉塞などを起こすという。人の皮下や脳に嚢胞(シスト Wikipedia)を作る寄生虫も存在する(嚢虫症 Wikipedia)
赤成り玉は、人に憑いた蟲が作りだした玉状の嚢胞(シスト)であると思われる
ゆえに、仄かにあたたかく、脈を打ち、さらにそれを摂取した人間に寄生し、宿主を赤目にする。この赤目とは、蟲が憑いたことを示す症状である
上記のように神々が複数いたように蟲の種類も様々なのであろう
また鱗を集めていた壺の貴人が赤目の鯉になるのは、その鱗に蟲が憑いていたからであろう(実際の鯉の鱗にも寄生虫がつくことがある)
鱗を食し、蟲に寄生された結果、壺の貴人は魚人化したのである。鱗を介して貴人に寄生した蟲は、源の宮の湖底で確認できる
鱗が足りず蟲の数が足りなかった場合は、ぬしの「成りそこない」となる
鯉の赤目玉
水生村の池の底に棲む鯉
その赤い目玉二つ
目だけ赤い鯉は、「ぬし」の成りそこないだ
鱗が足りぬ半端物。その身は錦に染まらぬが
目玉は赤く、常しえに朽ちぬ
ぬしの色鯉とは蟲の群体であり、神たるぬしになるには膨大な数の蟲が必要なのである
※基本的に蟲は人の肉体を強化する。憑く神が強ければ強いほど人の肉体は強靱さを増し、それが極限まで高まると不死になるのである
※幻影のエマが、変若水に関して「いえ、死ねぬようになります」と言っているので、変若水も不死をもたらすのかもしれない
※都人のナメクジ化は、桜竜の異変により源の水の成分が変容したためと考えられる(源の水の濃度とは無関係の、何らかの異質な成分が混じっている)。それは植物の防御機構によるものであると推察される
蛇足
八百比丘尼の人魚の肉を食べたという伝承を蟲に絡めようとすると、どうしてもぬしの色鯉を介さねばならず、そうすると話がかなり回りくどくなってしまうので困る色鯉とムカデは「毒」という項を通じて繋げたわけだが、多少無理があった感も否めない
他の考察をしようにも、なぜかいつもこの「蟲」ならびに「蟲憑き」が出てきて、しかもこの二つ、物語の本筋とまったく脈絡なく登場する
Sekiroの考察をするには、どうしてもまず「蟲」の考察を自分なりに片づける必要があった
考察大変参考になりました
返信削除葦名の土着神と外来種の竜が人間を巻き込んで生態系の争いをしているのがsekiroの世界観なんでしょうね
正面切った“対立”というよりも、互いに本能のまま行動している結果、重なる部分があるという感じですかね。彼らは互いに無自覚であり、人間に対してもほとんど興味を持っていないと思います
返信削除長手の仙雲の部屋を何となく寄鷹筒で覗いてみたらムカデや甲虫のようなものが大量に蠢いていて(不死になる虫は百足以外にも?)、近くのオブジェクトと思わしき即神仏は斬ると血がでたり、
返信削除あの部屋で何が行われていたか気になるしだいですり
あの仏堂は謎ですね
削除即身仏の件は気が付きませんでした
虫の件と含めて調査しに行こうかと思います
情報ありがとうございました
捨て牢の施術場の中と外の甕からミミズのような蟲が溢れ出しているのですが、赤目もムカデ以外の蟲に感染しているのだとすればこれではないでしょうか?
返信削除情報をいただいたので確認してきました
削除攻撃すると壺が割れて消滅することから、「常しえ」の赤成り玉をつくる蟲ではなさそうかなと思いました。消滅するのは幼虫の状態だからということも考えられますが、そうすると不死の蟲ではなくなるので難しいところです
確かに甕が割れると消えるので常しえ感はないですね。
削除ただグラフィックだけじゃなく動いているので重要なものなのかなという印象を受けました。ハエが飛び回っているので単に蛆かなとも思ったのですがサイズが大きいので違うなと。
それと、捨て牢のゾンビは頭をひらかれた傷跡があるので、この虫を入れるor摘出しているのではないかとも考えました。
おっしゃるとおり、蛆にしては大きいですね。遺体に集るという習性は、源の宮の湖の底にいるイモムシとも通じるところがあるかと思います
削除私自身はまだ考察が及んでいませんが、別の物との繋がりが見えたときには重要なポイントになるかもしれません
赤成り玉が人の脳にも似ていることと何か繋がりがあるような予感がします
はじめまして
返信削除隻狼をプレイするだけでは見えなかった物語が見えてきて、とても面白く読ませてもらってます。
都人のナメクジ化についてなんですけども、「なぜ、ナメクジなのだろう?」と思い、ナメクジの象徴するものを調べたところ、数霊(かずたま)というものがあるらしく
ナメクジの数霊は123で、これは
「123は永遠へのいざないをもたらす数霊です。
あの世とこの世を繋ぐ数霊でもあります。」
だそうです
このことから、桜竜の「常しえ」故のナメクジ化であり、色んなところに「常しえ」を象徴するものが含まれているなぁと思った次第です。
ありがとうございます。SEKIROの物語というか私の妄想に近いものですが…
削除数霊については知りませんでした
戦国末期という時代に数霊があったか否かは調べられませんでした
そのあたりの考証がどうかですねぇ
死なず半兵衛は奥の歯〜のところですが隻狼外伝のコミカライズで半兵衛が蟲付きになった経緯が書いてます それによると半兵衛は小さい頃に僧侶に蟲をつかされ蟲付きになっておりその時は奥の歯はもっていないはずです なので毒で中和は少し違うような気がします(わかりにくかったらすいません)
返信削除返信遅れてすみません(コメントの確認を忘れてました)
削除コミカライズは読んでいます。どうやら蟲憑きは蟲が憑いたあとも普通に歳を取るようですね
蟲の毒で死なないとすると、求道者たちが中り薬を持っているのは蟲の毒に抗して理性を保つためではないかな、という推測もできますが確かなことは言えないです
蟲憑きにも段階があり、最終的には蟲に意識を乗っ取られてしまうとしたら、それに対抗するために中り薬を服毒する。その方法が死なずの探求の研究成果だったのかもしれません
仙峯上人の死が重要なポイントになる気がしますので、そのうちまた蟲憑きについて考察しなおしてみたいと思います