2019年10月26日土曜日

Sekiro 考察54 道教

道教

まず道教についてであるが、簡単にいうと「神仙思想を源流に、種々雑多な思想民間信仰を取り込み、やがて仏教によりその体裁を整えた中国古代より続く宗教現象」となろうか

よりわかりやすい解説はWikipedia概要を読んで欲しい

ともかく、とりとめもなくその時代その時代の勢いで様々な思想信仰宗教を取り入れてきたので、定義するのもままならない、ひとつの宗教と呼べるかどうかもわからない宗教なのである

それはともかくかくとしてSEKIROと関係のありそうな要素を抽出すると以下のようになる


  1. 神仙思想
  2. 陰陽五行説
  3. 煉丹術(錬金術)
  4. 呪符
  5. 医薬
  6. 庚申信仰



神仙思想

このうち神仙思想は、煉丹術医薬と密接な関連があり、その究極の理想は「錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする」(Wikipedia)である

昇仙(仙人になること)にはいくつか方法があり、上記の霊薬を飲むというもの、善行を積み功績を立てること、一度死んで天上で再生する(尸解仙)などいろいろある

要するに神仙思想の第一の目的は、不老不死の仙人となることである

そうした仙人たちが住んでいるのが「仙郷・仙境・仙界」であり、これらは神山の上にあると考えられていた

また天界も山の上にあると考えられており、崑崙山(こんろんざん)という神山には天界に通じる天門があったという

この崑崙山上の天界ならびに全仙人を司るのが、天帝の娘であり、最高の女仙である西王母である(Wikipedia)

山海経』の西山経によると西王母は以下のような姿をしている
「西王母はその姿は人のようでありながら、豹の尾、虎の歯をもっていて、嘨(しょう、声を長く伸ばす歌い方)がうまい。天の災厲(さいれい)と五残(刑罰としての五種の斬殺)を司る」(『道教とはなにか』坂出祥伸)
また後の大荒西経には、「崑崙の丘(やま)には、人面虎身で白い文様があり、白い尾がある神人がいて、西王母という名である」と記されているという

天界へ通じる天門崑崙山にあり、この天に通じる山を守るのが、天帝の娘である西王母なのである

これをSEKIROに当てはめるのならば、崑崙山は源の宮天上は仙郷西王母は巫女であり、天門は磐座となろうか(後述するが、どちらかというと源の宮は崑崙山というより蓬莱山である)

また、そもそも仙郷とは神仙思想の用語である
さらにSEKIROには道教の仙人と似たような者たちがいる

ミヤコビトである

だが、長生不老を追い求め、権力争いに耽るミヤコビト(壺の貴人)と、賢者然とした仙人・神仙ではイメージがやや異なるように思える

しかしながら、道教における仙人はむしろミヤコビトに近いのである

上大山禽獣博局鏡という後漢時代の銅鏡には以下のような文字が読める

『泰山に上り、神人を見るに、玉英を食い、澧泉(れいせん)を飲み、官秩を宜しくし、子孫を保ち、長き楽しみは央(つ)きず、富貴は昌(さか)んに、天と極まることなく、飛ぶ龍に駕し、浮雲に遊ばん』

また同じ時代の呂氏五乳羽人龍虎鏡にも

『呂氏の作る鏡自ずから紀有り。長く二親□孫子を保ち、不祥を辟(しりぞ)け去り古市(?)を宜しくす、吏と為れば高く升(のぼ)り人の右に居り、寿は金石の如し』

とあるように、「天界にあって俗界以上の栄楽と昇進を保とうというのが、仙人なのである」(『道教とはなにか』坂出祥伸)



陰陽五行説

陰陽五行説はSEKIROでは陰陽道として姿を見せる

この陰陽道の駆使する陰陽五行説もともと道教のもの(かつて道教が取り込んだ)であり、また、陰陽道の使う呪符もまた道教のものである。さらに鬼神を使役することも道教の方術を取り入れたものである

つまり日本の陰陽道は道教の影響が強いのである

源の宮に確認できる霊符も『道蔵』に収載された道教の呪符である

また陰陽五行説をもとにした風水説では、名山や霊山の頂上に竜神が住むと考える。山頂の竜神から流れ出るのが竜脈であり、竜脈が集結する地点を竜穴という

これをSEKIRO的に解釈するのならば、桜竜から流れ出る竜脈の化身が「白蛇」となり、それが住む洞窟が竜穴となろうか。竜脈が集結する洞窟であるからこそ、岩潜りなる不可思議な敵がいるのかもしれない



医薬

道教における本草学の基となっているのは『神農本草経』(しんのうほんぞうきょう)である。中国最古の薬物書であり、365種類の漢方薬が記されている

薬は上品・中品・下品の三つに分類され、このうち上品(上薬)の最上位にある金丹と呼ばれる薬は、「久しく服用すれば寒暑に耐え、飢渇せず、不老にして神仙となる」という

道教の医薬書『黄帝内経医学』によれば、病は気の流通が滞ることから生まれ出るという。この血と根源的に同一のものであり、血の滞りも病を引き起こすという

これは停滞した血、あるいは淀んだ血により病が発生するという竜咳のメカニズムを道教側から説明したものである

道教において医を始めたのは「神農氏」とされている。彼は全国を回って多くの草をなめ、毒草と薬草とを区別し、365種の薬を考案したという

SEKIROに当てはめるのならば、神農氏とは道玄であろう。そしてその弟子であるエマが作り出したという薬水瓢箪もまた道教における金液還丹(飲むと病が治ったり神仙になれたりする液体)の流れを汲むものであろう

もとは九郎のために作ったとされる薬水瓢箪。なぜ不死である九郎にそれが必要だったかというと、道教において金丹や金液還丹は天界へ昇仙した仙人の食べ物(飲み物)でもあるからである

薬水瓢箪のかさを増やすものがであるのは、西王母が不老長生を求めた前漢の武帝に与えた桃と、その種の逸話をモチーフにしたものかもしれない

その桃の種を植えても3000年に1度しか実がならないという

エマのモチーフを道教に求めるのならば、王夫人(太真王夫人)であろうか

王夫人は西王母の末娘であり、絶世の美女(ここ重要)であり、東岳泰山を司る神仙である。彼女は後に神仙となる男に怪我が直る丸薬を与えたりもしている

そして東岳泰山といえば、閻魔大王の司る山でもある。エマと閻魔大王の関係については「エマの秘密」で触れた(道教では泰山府君と閻魔は同一のものではないらしいが)



煉丹術

煉丹術は中国古代の錬金術と呼べるものであり、その主な材料はや「丹砂」(硫化水銀)などの鉱物である

その目的は服薬すると不老長生をもたらす「神丹」を人工的に錬成することである

煉丹術には火法水法があり、火法では鉛や丹砂を加熱、昇華、蒸留といった科学反応により性質を変化させていく手法がとられる。そうして得られるのは、水銀や砒素という劇毒物である

一方、水法は鉱物を水の中に溶解させて水溶液とし、その水溶液を放置冷却することにより結晶(丹)を析出する方である

煉丹術の観念をSEKIROに応用するのならば、変若の澱とは水法で得られる丹の一種となろうか

変若水を濃縮した際に生成される「変若の澱」とはつまり、水法によって生成される「神丹」のことであり、それを食らった虫が「不死」となるのも当然といえる

また、煉丹術は鉛や丹砂という劇毒物を原材料とすることから、それを服用した生物、人間に重金属中毒の症状が現れるはずである(即死しなければ)

不死の効能と重金属中毒の症状、この二つの結果を重複させると「ミヤコビト」になるであろうか(水銀中毒へのある種の好奇心は、DS3に登場する魔術「致死の白霧」が元は「致死の水銀」であったことやその効果などからもうかがえる)

煉丹術には神丹(金丹)の他に金液というのもある。中身は神丹と大体同じであるが、丹が固形物であるのに対し、金液は液体状である

道術には薬草由来の金丹や金液鉱物由来の金丹、金液が存在するが、この二つの流れが薬水瓢箪の薬水と、変若水や変若水の澱という違いとなってSEKIROに現れているのではないだろうか



庚申信仰

庚申とは以下のような虫のことである

「人の身中には、三尸という虫がいる。三尸とは形がなく霊魂や鬼神のたぐいである。この虫はその人を早く死なせたいと思っている。人が死ねばこの三尸は鬼となって、思いのままに遊び歩き、死者を祀る供え物を食べることができる。そこで、庚申の日になると、いつも天に昇って司命(人の命数を司る神)に、その人の犯した過失を報告する」(『抱朴子』内篇)

この思想が日本に来ると、庚申(かのえさる)から申(さる)が連想され、庚申待を行う庚申堂には三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)が脇侍として置かれることになった

SEKIROの四猿との関連は定かではない。あるいは変若の御子さまがたを三尸とし(三尸とは形がなく霊魂や鬼神のたぐい)、をその見張り役としての脇侍とみたてたものだろうか



蓬莱山

仙人たちの住まう仙境や仙郷、天界があるのは神山の上であることが上で述べた
神山のうち、多くの仙人が住むとされたのが蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛州(えいしゅう)三神山である

このうち蓬莱山徐福伝説を介して日本と関わりが深い

徐福は秦の始皇帝の時代に生きた人である。彼は秦の始皇帝に願い出て、東の海の果て(渤海沖)にある三神山に向かったという。そこには長生不老の霊薬があるという

その後、徐福は海を渡って蓬莱山に漂着するのだが、この徐福が日本に到達していたという伝説が日本各地に伝わっているのである(Wikipedia)

つまりここでは蓬莱は日本と同一と考えられていたのである



崑崙山

道教において、東の海の向こうにあるとされたのが蓬莱山であり、西の果てにあるとされたのが「崑崙山」である

上述したように崑崙山には西王母が住み天界へ通じる門があるという。西王母を記録したもっとも古い書物は『山海経』であるが、この山海経にはおびただしい数の異形奇怪の怪物たちが記載されていることで有名である

以下はその一部

開明獣天帝の下界の都である崑崙の丘にある九つの門を守っている。その姿は大きな体で虎に似て、九つある首は全て人間の顔だという
燭陰(しょくいん)北海の鍾山(しょうざん)という山のふもとに住む神で、人間状の顔と赤い蛇のような体を持ち、体長が千里におよぶとされる
女媧(じょか)姿は蛇身人首であると描写される文献が残されており、漢の時代の画像などをはじめそのように描かれている
貫匈人(かんきょうじん)貫匈人は人間の姿をしているが、その胸に大きな穴があいていたという[2]。また『異域志』によると位の高い者はその胸の穴に竹や木の棒を通し、それを二人が担がせて(駕籠のように)移動するとされる。
夔(き)『山海経』第十四「大荒東経」によれば、夔は東海の流波山頂上にいる動物である。その姿は牛のようだが角はなく、脚は一つしかない。体色は蒼である。水に出入りすると必ず風雨をともない、光は日月のように強く、声は雷のようである。

とりあえずWikpediaにページがあるものから適当に選んだが、その姿の奇怪さが分かるかと思う

で、何が言いたいかというと、この中に入れば「桜竜」の姿もそれほど奇異ではないということである

※ちなみに『山海経』には応竜という名の竜も登場する。桜竜を「おうりゅう」と読むのならば、同じ読みである



竜の故郷

なぜ源の宮や仙境に道教思想が見られるのか?

それは例えば仙郷がそもそも神仙思想の用語であるとか、桃源郷常世の国源の宮に投影している。あるいは平安期における陰陽道の隆盛を表しているのだとかいろいろと考えられる

しかしながらそれらは、制作者の美学というか思想から選択されたものであって、ゲーム内の必然性から選ばれたものではない

SEKIROの主たる舞台は戦国期である。主人公の身分やストーリーを考えると戦国期である必然性がある。だが、源の宮が平安期である必然性はない。もっと古い縄文時代でもよいのである

けれども、源の宮はどうやら平安期あたりの時代設定であり、そこには陰陽道や陰陽五行説といった道教思想が見受けられる

このように源の宮に道教思想が見られる理由、そのゲーム内における必然性がこれまでどうしても納得できなかった。しかしながら道教思想を軸に蓬莱→崑崙→西王母ときて、『山海経』にまで至ったとき、ようやく答えを見つけた気がしたのである

つまり、源の宮道教の思想が見られるのは、桜竜がそこに故郷の環境を再現しようとしたからではないだろうか

葦名に降りてきた丈が、仙郷の名残にと常桜を持ってきたように、追放された桜竜には故郷への懐郷の念があったのであろう

ゆえに桜竜は根付いた葦名の地に故郷を再構築しようとしたのである

桜竜の故郷とは、西王母の住まう崑崙山を含む『山海経』の世界であり、それは神仙が山に遊び、奇怪な鬼神が闊歩する、道教(神仙思想)の世界なのである

そしてそうした道教の世界観は、神仙思想が広まり不老長生を望む貴族たちが生きていた平安期の日本と重なるのである



蛇足

『十二国記』の新刊は、時間軸を使った叙述トリックだと思われる
同じ時代の同じような場面を複数描写しているように思えて、実はそれぞれ起こった時代は異なっているのである

現代において大人である人物が、その場面では子供として描写されていたり、現代では大人である人物が、そこでは若者として描かれていたりするのである

読者はそれを同じ時代の場面だと認識し、重大な認識の誤認を引き起こす
歌は、それぞれの時間を繋げる縦糸として用いられていると思われる

なぜ『十二国記』の話をしているかというと、特に理由はない

麒麟と王の関係が、竜胤の御子と従者の関係の裏返しになっているとか、泰麒と驍宗の二人の面影がなんとなく九郎と隻狼に重なったように思ったりとかはしていないし、妖魔は玉を食らうけどその玉は水の中にできるのか、とか考えてもいない

ただ蓬莱とか崑崙とか考えていたら書きたくなっただけである

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