ともかくまずは弦一郎の生い立ちから述べたいと思う
生い立ち
弦一郎の生まれに関しては、「戦いの残滓・葦名弦一郎」において『葦名弦一郎は、市井の生まれである』と明言されている市井とは庶民の住む町のことであり、要するに弦一郎の表向きの身分は町人であった
※武士の身分として町に暮らしていたということもあり得るが、武士の身分とはっきりしているのならば、母が他界する前に武士として葦名に引き取られていたように思う
複雑になるのはここから先である。上記した「戦いの残滓・葦名弦一郎」には続いて、『母が死んだのち、葦名に引き取られた』と記されている
この貴種流離譚(あるいはシンデレラストーリー)から考えられるストーリーは二つある
ひとつは、父親が葦名の血を引く武士であったとするものだ。この場合、父親が町人の母親に生ませたのが弦一郎であり、『母が死んだのち』に跡継ぎとして引き取られたというストーリーが浮かんでくる
もともと父親には弦一郎を引き取るつもりはなかったのだが、何らかの事情により跡継ぎが死んでしまったために、葦名の血を引く弦一郎が引き取られたのである
※身寄りのなくなった弦一郎を哀れに思った一心が引き取ったということも考えられるが、その場合は跡継ぎにしないであろう
※母が死ぬまで手放そうとしなかったとも考えられるが、単なる町人がこの時代の権力者に逆らえるとは思えない
一心が弦一郎のことを「孫」と呼んでいることから、弦一郎の父親は一心の息子(実子/養子)である可能性が高い
※戦国当時は血よりも家門の永続が優先され、血のつながらない者同士の養子縁組が頻繁に行われていたことから、父親が一心の実子である可能性は、現代から考えるよりも低いと思われる
もうひとつは、母親自身が葦名の血を引く者であったとするストーリーである。この場合、母親とは一心の娘となろうか
葦名の姫であった母親が町人の元へ嫁ぎ、弦一郎を生み、その母の死を期に跡継ぎを失っていた葦名家が引き取ったとするものである
このストーリーでは、弦一郎の本当の父親の生死は問題にされず、まだ町人として生きている可能性すら残る
まとめると以下のような二つのラインとなる
1.一心→父親→弦一郎
2.一心→母親→弦一郎
どちらがより蓋然性が高いかというと、個人的には「1.」の方だと思われる。また弦一郎の父親が一心の実子であるとする方が、よりシンプルであることから、以下の考察は「1.」の実子説を採ることとする
叔父上
さて、話は先になるが最序盤のすすきの原ムービーで弦一郎は「久しいな、御子よ 叔父上の墓前以来か」と言う叔父とは、「父や母の兄弟、およびおばの夫」のことをいい、父や母よりも年が若ければ「叔父」、年上ならば「伯父」と漢字が使い分けされる(伯母・叔母についても同様である)
つまり弦一郎のいう叔父とは、父母の弟か叔母の夫のことを指す
この叔父とは何者か。葦名の跡継ぎである弦一郎と、竜胤の御子である九郎の二人がそろって墓参りするのだから、葦名家と九郎の双方に関係の深い人物である
単純に考えるのならば、九郎の義父であり、葦名家の分家でもある平田家の当主を指すように思われる
死ぬ理由としても平田屋敷襲撃というゲーム内イベントが存在し、また「残影」により平田の者がほとんど残っていないこともわかっている
九郎:エマ殿、平田から逃れてきた者、他には?
エマ:もう、ほとんど、残っておりません
では、平田家の当主(叔父上)は弦一郎の父親の弟か、というとそうではない
もし仮にそうだったとすると、葦名家の跡継ぎがいなくなってしまった場合、叔父上が葦名家当主として擁立されるであろうからだ(主家を存続させるための保険的な立場は、分家の本来的な役割である)
そうすると弦一郎が葦名に引き取られる理由はなくなってしまう
このことから、弦一郎の父親には妹姫がおり、その姫が平田家へ嫁いだ、と考えるのが妥当だと思われる
戦国時代は何よりも男子継承が優先され、例え姫であろうとも女性が家督を相続することはいくつかの例外を除き不可能であった
※女性が家督を相続した実例は存在する(日本における女城主の一覧 wikipedia)
いくつかの例外とは、新当主が幼すぎたり(二歳など)、男性当主の死亡や追放により、その奥方や妻が代役を務めた例である
これらを考慮に入れると、新当主(つまり弦一郎)が葦名に引き取られたのは、あまり幼すぎない年齢である。元服にあたる12歳あるはその直前の11歳あたりだろうか
また、父親には奥方も娘も、そしてもちろん跡継ぎもいなかったということになる(奥方がいれば代役として立てられるし、娘がいれば婿をとるという方策も残っている)
以上をまとめた家系図が以下である
葦名家
葦名に引き取られた弦一郎の傅役(ふやく、嫡子の教育係)を務めたのが、鬼形部である戦いの残滓・鬼形部
心中に息づく、類稀な強者との戦いの記憶
今はその残滓のみが残り、
記憶は確かに狼の糧となった
鬼形部は、葦名に名を轟かす賊の頭目であった
だが一心に敗れ、その強さに惚れ込み、
賊党ごと召抱えられた
その後、葦名弦一郎の傅役まで努めた
剣の師となったのは、意外にも一心ではなく「巴」である
一心にどぶろくを振る舞う
隻狼:巴の雷とは、いったい…
一心:カカカッ、それはのう
弦一郎の師の技じゃ
なかなかに、面白かったであろう
隻狼:師とは…
一心:巴… あれほどの遣い手は、そうはおらぬ
まるで、舞いのように、あの女は戦う
あやつの瞳を覗いておると…
水底に引き込まれるような、心地がしたものよ
カカカッ、見惚れて、斬られそうになるなど…
この一心、長く生きたが、あの一度のみじゃ
なぜ一心が直々に弦一郎を鍛えなかったのか。それにはおそらく、弦一郎の境遇が関係していると思われる
というのも葦名に引き取られる直前、弦一郎は母を失っている
その生い立ちから、おそらく母子二人暮らしであった少年が唯一の肉親である母親を失ったのである
その衝撃はトラウマレベルで弦一郎を襲ったであろうことは想像に難くない
ゆえに一心は、巴を剣の師としてだけでなく「母代わり」として遣わしたのである
弦一郎の技のほとんどすべてが「葦名流」ではなく「巴流」であるのは、師が巴だったことだけでなく、巴に対する深い愛着を思わせるものである
人返りルート
エマ:あの頃…
私と弦一郎殿は、良くここを訪れていた
常桜の下で、丈様が笛を吹かれ、巴殿が舞われる…
それを見るのが、たまらなく好きだった
………
弦一郎は葦名に引き取られたことで、剣の師と同時に母親をも得たのである
彼がかたくなまでに葦名の国を守ろうとするのは、単に跡継ぎとして引き取られたからだけではない。彼にとっての「葦名」とは、何よりもまず「巴の思い出がつまった聖域」であり、「母の国」だからである
盗み聞き
一心:弦一郎が、いずれ現れるじゃろう
不死斬りの、もう一振り… それを使うためにな
エマ:葦名を守るためならば…
己のすべてを、投げ打たれるおつもりでしょう
一心:ああ…。我が孫ながら、見事な覚悟よ
母の国
母の国という場所は、『古事記』にも登場する母であるイザナミを失ったスサノオが、母の眠る「妣國(ははのくに)根之堅州国」へ行きたいと大泣きするのである
この「妣」という字は亡き母を意味し、妣の国とは死んだ母の国、つまり「黄泉」のことである
黒の巻き物
即ち、黒の不死斬り。その銘は「開門」
黄泉への門を開く刀なり
弦一郎が赤の不死斬りではなく黒の不死斬りを選んだのは、亡き母である「巴」が仙郷ではなく「黄泉」にいることを知っていたからであろう
弦一郎は変若水や不死斬りに関する書物を読める立場にあり、実際、『小姓の日記』は弦一郎の居室にあったという
その過程で源の宮や仙郷についての知識も得ていたであろう
にもかかわらず、弦一郎は「仙郷」にはまるで興味を見せず、変若水や黒の不死斬りに固執するのである
唯一、弦一郎の源の宮に対する感情が見られるのは、竜泉を振る舞った時にエマが言及する、雷の渦雲への態度だけである
エマ:遠く、源の水の流れ出ずる方角…
そちらの方に見える、大きな渦雲(うずぐも)です
渦雲は雷を、纏っています
弦一郎殿は、良く刀を振るっていたものです
その雷の渦雲を、睨みながら…
これは巴流を習得するための修練のひとつであるとも考えられるし、渦雲に対して憎しみや秘めた思いがあるともとれる。また、すでに巴がいない時期であるのならば自分の元を去って源の宮へ戻った巴に対する複雑な感情を表出させたともとれる
ただ後に弦一郎が「巴流」を称すること、実際にその剣術が巴のものであることを考えると、巴に対する憧憬が変じた様子はない
もし仮に巴が源の宮に戻っていたのだとしたら、葦名の危急の折に巴に助力を頼みに行こうともしないのは不可解である
以上のことから、弦一郎の認識上では巴は源の宮に戻っておらず、死んだものとされていると考えられる
源の水
弦一郎が傾倒しているのは巴流だけではない。巴に関するあらゆることが弦一郎の生きるための指針となっている例えば弦一郎が不死の契りを九郎に迫ったのも、巴が竜胤の御子の従者であったからである
他にも弦一郎が変若水に執着しているのは、その水がもとは巴の故郷である仙郷から流れてきているからであろう
源の水に対して淤加美は不思議な耐性を持っている。人のように軟体生物に変化することなく、形を保ったまま長寿の恩恵を受けているのだ
これは、淤加美一族が「女性」であることと関係している
朽ちた囚人の手記
淤加美一族の伝承を辿り、ここまで来た
彼の女たち、まこと源の宮に辿り着けたのか
それが知りたいが、どうやら叶わぬようじゃ
朽ちた囚人の手記からは、淤加美一族が「女系」かあるいは女しか存在しないことがわかる。実際に源の宮にいる淤加美一族はすべて女性形である
女性に対して源の水は劇的な効果を示さない。それは人であっても同様である。例えば源の宮にいる姉妹は、日常的に源の水に触れていると思われるのにもかかわらず、ミヤコビトにはならず人の姿を保っている
また錆び丸が特殊モーションを発動させることから、淤加美の血を引くと考えられる水生のお凛も、周囲がおかしくなる中で人の姿を保っている
なぜ女性に対して源の水は効果がないのか
源の水が「女性性」あるいは言い換えて「母性」そのものだからである
源の水を凝縮した変若水が変若の御子を誕生させたように、水を飲み続けることで体内にお宿り石ができるように、変若水の濃い場所で馨し睡蓮が咲くように、源の水には様々なものを生み育む効果がある
これらの力を一言で言い表すのならば「母性」である
さらにこの曖昧な概念を直接的に表現するのならば、源の水とは「垂れ流された桜竜の羊水」である
アートワークスにおける桜竜の姿は、ゲーム内のものと少し異なり、胸の傷が下腹部までに至っている
そして腹部からは青い水が滝のように流れているのが確認できる
その水の流れた先、葦名の地にいるのが、桜竜の子たる「竜胤の御子」である
竜胤の御子とは未熟児で生まれた桜竜の子(あるいは分身)である。ゆえに丈は現実世界に耐えきれずに衰弱し、九郎は自らが何者なのか、何をすれば良いのかすらわからなかったのである
弦一郎
このように、弦一郎の言動はモデルとなる巴の言動をトレースしたものである弦一郎は理想の母としての巴を求めるあまりに、彼自身が彼女になろうとしたのだ
まさしく師弟の赤成り玉がいうところの
『こう在りたいと追い求める理想の姿は、往々にして自らの内にこそある』だ
巴流を操り、変若水により淤加美のような肉体を獲得し、竜胤の御子の従者となろうとしたのは、すべておのれが理想の巴となるためである
理想の巴とは、源の水を背景にした生み育むところの「大いなる母」であり、ゆえに男である弦一郎には超えることの出来ない障壁が存在する
男では子を産むことが出来ない
だからこそ弦一郎は黒の不死斬りを欲したのである
黄泉返りによって、全葦名兵を象徴的に生み直し、おのれの肉体を犠牲にして全葦名を象徴する「一心」を生み直すことを求めたのである
一心を生むことは、葦名一国を生むことと等しく、ゆえにこれは日本神話で言うところの「国生み」である
黒の不死斬り
弦一郎が最後に黒の不死斬りに頼ったのも、巴の行動をトレースしたからであろうゲーム上では丈と巴は死んだことになっている。不死たる竜胤の御子とその従者が死んだ、となれば、それを可能にするのは「不死斬り」しかない
ゆえに丈と巴は「もし死んだのが確かならば」、どこからか手にれた不死斬りよって死亡したと考えるのが妥当である
けれども赤の不死斬りは隻狼がそれを抜くまで、仙峯寺の奥の院に秘匿されていた
赤の不死斬りは、一心でさえ「仙峯寺にあると聞く」と伝聞でしかその所在を知らない
だが黒の不死斬りに関しては「黒の巻物」が居室の側にあることに加え、弦一郎がそれを入手していることを前提に話している
一心:弦一郎が、いずれ現れるじゃろう
不死斬りの、もう一振り… それを使うためにな
黒の不死斬りの存在も、その所在も、由緒も一心は知っていたことになる。で、あるのならば客人として滞在していた巴と丈がそれを知らないはずはない
巴は黒の不死斬りを手に入れ、丈を斬り、そしておそらく自害したのである
※ややこしいのだが、竜胤の御子を殺すのに「桜竜の涙」を手に入れる必要はない。九郎はあくまで桜竜を含めた竜胤そのものを消去するために不死断ちを為そうとしたのである。そのために必要だったのは「桜竜の涙」である
※たんに竜胤の御子を殺すだけならば、どちらの不死斬りでも可能である。それは不死斬りによって九郎が血を流せたことが証明している(赤も黒も)
黄泉返り
黒の不死斬りに関する由緒の記された「黒の巻物」が存在することから、巴は丈を供物に何者かを黄泉返えらせた可能性はある黄泉返ったのは九郎であろう
丈は竜咳のような病気を患っていた。その心身は葦名に降りてきてからは衰弱する一方であった。ゆえに丈の全盛とは、物心つかぬうちの幼い丈であろうと思われる
そもそも丈が葦名に降りてきたのは、「拝涙」を行うための赤の不死斬りを求めてのことだと思われる。なぜ拝涙が必要だったかというと、仙郷にいた時分から丈は竜咳に罹っていたからであろう
人々の竜咳を治すのに竜胤の雫が必要だったように、竜胤の御子の竜咳を治すには桜竜の涙が必要だったのである
丈の全盛とは、葦名に降りてくるという計画すらなかった時代の、おそらくは生まれてすぐの頃であろう
さて、巴の行った黄泉返りの儀式を見ていたのが梟である。梟の野望はおそらくこのときに生まれたものであろう
巴と弦一郎
巴の言動は残された数少ない書から再構成するしかなく、核心部については隠匿されたものとして解釈するほかないだが、弦一郎の言動は巴の言動の繰り返しであると考えるのならば、核心部についても推測することが可能である
まず先例があり、それを繰り返す者がいる、というのはソウルシリーズやブラッドボーンでもおなじみの構図である
例えば「火継ぎ」そのものが繰り返しの思想に基づくものであり、DS1からDS3までの主人公はその輪廻の中に閉じ込められているのである
ブラッドボーンに関しては、先任の狩人たちが主人公の先例であり、狩人の夢の中で狩人たちは同じことを繰り返し続けるのである
SEKIROにおいても、まず失敗例として「丈と巴」の物語が存在し、それを繰り返す形で「九郎と隻狼」の物語が語られるのである
そして失敗に終わった「丈と巴」とは対照的に、「九郎と隻狼」は成功例、つまり繰り返しを克服した者となるのである
だが一方で、同じ過ちを繰り返し続ける者がいる。それが葦名弦一郎である
黒の不死斬りにより竜胤を供物とし、黄泉返りを果たす。その先にあるのは、いま現在葦名で起きていることの繰り返しである
この永遠に繰り返される悲劇こそが、竜胤のもたらす「歪み」なのである
九郎はこうした輪廻の苦しみから脱しようとし、ゆえに不死断ちを為そうとしたのである
蛇足
ゲームが異なるので追記の蛇足としてソウルズボーンやSEKIROの物語構造が螺旋であることは、以前から述べてきた
この構造を踏襲するのならば、Elden Ringもまた螺旋構造なのではないだろうか
そしてこの細部を変えながら「永遠に繰り返す螺旋」を具現化したものが、「Elden Ring」なのではなかろうか
つまるところ、それまで永遠に繰り返し続ける「神々の世界」であったものが
その破壊により輪廻を解き放たれた世界となるのである
不死であった神々は病み衰え、世界は活力を失い滅亡へと突き進む
この構造はダークソウルとよく似ている。だがその理由として世界時間の崩壊(輪廻の終焉)が前提されていることが異なる
要するにElden Ringとは輪廻のことなのではなかろうか、というのがこの蛇足の論旨である
コンセプトアートのキャラクターが持っているのは螺旋剣である
この螺旋は直線であり、輪廻から解脱した姿を現している。逆にタイトル画面の無数の円は繰り返し続ける世界、「螺旋円の世界」を意味しているのではないか
※蛇足にしても思いつきである
あの立場にいながら芦名流じゃないのは、一心と出会う(=一心から芦名流を学ぶ)前から巴流を修めていたのかな?と。その後に巴を介して一心と弦ちゃんが出会って現在の立場に至る…と妄想してました
返信削除巴と丈が不死断ちに奔走していた頃の弦ちゃんとかエマとか一心とか梟の様子知りたいし、いろんな疑問点が解消されそうだから巴の守り鈴DLCお願い…
町人であった弦一郎が町道場に通い、そこの師範代が巴だったとか妄想がはかどります
削除DLCはTGSに期待ですかねぇ…
シード兄貴の考察は最初からずっと読んでてどれも毎度毎度感心してましたけど、結局何もできなかった人のこの考察は正直鳥肌が立ったですね。結局何もできなかったことがこれほどまでに考察材料になるとは...。
返信削除結局何もできなかった人は俺が葦名!俺が葦名!と言ってるわりに一心様と直接的な絡みが一切描写されていないのもシード兄貴が考察している通り家督としての葦名ではなく巴ママと過ごした葦名を守りたいんやってことを暗示していて、結局何もできなかった雑魚は実際のところ葦名一心が守りたい葦名はどうでもいいんじゃないかな~と思いました。
ひいては脱いだけど結局何もできなかった人が狼と違って修羅に落ちない理由もそこにあるのだと思います。自分(の中の理想(巴ママ)しか見ておらず、そ)のためにしか斬っていないですからね...”迷えば敗れる”...うーん奥が深い言葉だ...。
ちなみに巴のイメージはヒカルの碁の佐為(を完全に女にした感じ)です。
切れ長の目で長髪で『凛とした佇まい』という表現がふさわしい、でも丈様にはゲキ甘という。
そんな勝手な妄想が今回の考察のせいでさらに加速してしまいました。
巴の守り鈴DLCの要望をフロムに毎日100通送って責任取ってください()
読んでいて全く関係ないことをふと思ったのですが、弦一郎の最期は首筋から自刃して最盛の一心を呼び戻していますけど、あの肩あたりから別の存在が生えてくるって構造は七面武者と同じように考えられました。
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