それによると、「変若の澱を飲んだ蟲などが特異なものになる事があり」、この蟲を食べた獣を口にしたり蟲に寄生された者は、稀に「蟲憑き」になるという
特異な肉を食べて不死に近い存在(蟲憑き)となるという流れは、八百比丘尼伝説と同じである。破戒僧の本名が八百比丘尼であり、彼女が破戒僧と呼ばれているのは、やはり仏教において忌避された「肉」を喰らったからであろうか
一方で、仙峯上人は獣を口にする方法ではなく、後者の直接「蟲に寄生された」結果として蟲憑きとなったと思われる。「神なる竜から蟲を賜った」と『永旅経・蟲賜わりの章』にあることから、桜竜から直接にあるいはその直下の地位にいる者に「特異な蟲」を授けられた、とも考えられる
もしかすると源の宮では「特異な蟲」を産出し、飼育していたのかもしれない。それを仙峯上人が見聞きして、仙峯寺において行ったのが死なずの探求実験だったのではないだろうか
ちなみに蟲憑きは完全な不死ではなく、道順によれば「限りなく不死に近い」存在であるという。どれほど肉体が損壊しても蟲が体を補修することで不死に近い存在となっているらしい
蟲による肉体補修は『無限の住人』に登場する人を不死にする蟲、「血仙蟲」と同じ機能である
この血仙蟲の秘密を研究者が探ろうとしておぞましい惨劇となったのが、『無限の住人』における、「不死実験篇」であるが、このエピソードと道順による変若水の施術との類似は以前から指摘されてきたことである
さて、蟲を特異にする「変若の澱」は変若水が濃くなったところに結晶するものであり、その変若水とは源の水のことであり、その源は竜胤つまり桜竜にある
おそらく葦名の水に桜竜の体液(血液)が混入したものが源の水なのであろうと思われる
であるのならば、それが濃くなったところに発生する「澱」とは神の血の結晶となろう
神の血の結晶を飲むことで蟲はある種の小さな「神」となり、それが巡り巡って人に依り憑く。これが桜竜から流れ出た神の血が人を蟲憑きにするまでの流れであろうか
澱の効果が人と蟲で異なるように思えるが、実はどちらも神性を宿す(神に近づく)という意味で同一の変異を起こしていると思われる
蟲が神に近づけば「不死に近く」「憑く」ことができるようになる。同じように人が神に近づけば「不死に近く」「憑く」ことができるようになる
弦一郎が「憑いた」ことはない。だが思い出して欲しい、人のうちに憑く存在となったものがいたことを
御霊降ろしのテキストにある、護国の勇者である
阿攻の御霊降ろし道を踏み外したとは、変若の澱を飲んだことを意味すると考えられる。澱を飲み人間を止めた勇者は神性を宿し、人に憑く「御霊」となったのである
「阿攻」を身に降ろす、首無しの遺魂
一時、攻撃力と体幹攻撃力を強化する
形代を消費すれば、何度でも使用できる
首無しは、かつて護国のため、
道を踏み外した勇者の成れの果て
人ならぬ御霊は、降ろせば力となるが、
代わりに差し出すものなくば、やがて狂う
蟲が特異な存在となりやがて人に憑く蟲となったように、勇者も特異な存在となり人に憑く御霊となったのであろう
吽護の飴のテキストに、護国の勇者のために作られたって書いてあるのは、勇者たちの御霊を降ろすことで勇者たちの霊を成仏させようとでもしたんでしょうか?
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