2019年9月17日火曜日

Sekiro 雑文 世界構造

世界構造

SEKIROの世界には二つの時空(時間と空間)が存在する
葦名城を中心とする人の世界と、仙郷を中心とする神の世界である

二つの時空が重なった世界観は、過去作においても見られたものだ

例えばダークソウルシリーズでは人の成れの果てである亡者が住むロードランと、巨人や神々の住むアノール・ロンドとして描かれている
同じようにブラッドボーンでは現実世界に基盤を置くヤーナムと、上位者たちの世界である「」として設定されている

こうした二つの時空が重なった世界設定は、クトゥルフ神話における現実の都市(現実をモデルとした都市)と、上位者たちの住む宇宙的領域、あるいは「夢幻郷」という対比構造と類似したものである

プレイヤーや読者はまず極めて現実的な時空を這い回り、やがて神の住む領域へと至るのである

このいわば「俗から聖」への移行が人にもたらすものは、宗教的啓示再生(生まれ変わり)の感情である(ダンテの『神曲』)

困難を経て苦難を乗り越えた先に神々しい世界を垣間見ることで、人は宇宙の隠された真理を見いだし、同時に新しい自分を見いだすのである

もっと俗的な表現をすれば「達成感」を得るのである

しかし何も「神の領域」である必要もない。高い山の頂上から眺める向こう側の世界でも良いし、高い壁のてっぺんから眺める新世界でも、竜の巣を越えた先にあるラピュタでも良いのである

ある意味でこうした経験は、シャーマンの昇天儀礼と通じるところがある。そこではシャーマンは肉体や骨をバラバラにされた後に再びつなぎ直され新しい肉体を得ることで、神の領域へ入る資格を得るのである


現実世界

最初からきらびやかな世界に投げ込まれるのでは、このような劇的な効果は得ることができない

またたんに荒廃した世界であれば良いというものでもない

そこには細心の注意を払って構築された「抑制された現実」が描かれていなければならない

ソウルズボーンでよく利用されたのは「人間くさいNPC」だ。いわゆる青ニートや車椅子の老人などだ

彼らは大いなる神々の話や、希望に満ちた物語を語らない。彼らが話すのは個人的な、それもこちらにはよく分からない陰鬱な話を自分勝手に喋るのみだ

現実世界でもそうだが、やたらと明るく希望に満ちた話を嬉々として喋る人間にはある種の胡散臭さを感じるものである
胡散臭さを感じた瞬間に人は一歩後退する。つまり感情移入を阻害され、物語から引き剥がされてしまう

アリストテレスがいうように、人間は「悲劇」を求めているのである。その陰鬱な話の背後に「悲劇」の匂いを感じ取れば、プレイヤーなり読者なりは、そこに真実味を勝手に感じてしまう

SEKIROの九郎にしてもそうである。九郎が竜胤の御子であることや、その意味などは(ゲーム内では)当初はまったく説明されない。だが、彼が少年であり月見櫓に幽閉されているという「状況」だけで、人はそこに悲劇の匂いを嗅ぎ取り、一瞬にして感情移入するだろう

これが例えば最初の月見櫓で九郎が「自分の生い立ちはこうであり、竜胤の御子であり、こういうを持ち、だから幽閉されているのだ」と長々と語ってしまえば、すべては台無しである

抑制された、おそらくは計算された描き方によって提示される「悲劇としての現実」が、SEKIROの土台となっているのである


神の領域

悲劇の中を這い回り、やがてプレイヤーは神の領域へとたどり着く。もしそこが光と幸福の溢れる世界であったのならば、話はただの宗教説話となってしまう

だがメンシスの悪夢に代表されるように、ソウルズボーンでは神の領域すらも悲劇の舞台となっている。清浄な光の国を期待したプレイヤーはここで「目眩(めまい)」を起こす

人間の悲劇のなかを這い回った先にあったのは、神の悲劇である。だが上でも書いたように人間は「悲劇が好き」なのである

目眩を起こしたプレイヤーは瞬く間に新たな悲劇に魅了され、探究心や好奇心を抑えられなくなるのである

※やはりこれも神の国である必要はない。例えば「ウォーキングデッド」というドラマがあるが、あれは「俗から聖」への移行の繰り返しである(その理想的祖型は旧約聖書のモーセに率いられたユダヤの民)。地獄のような世界から新天地に到達したかに見えて、そこもまた地獄であった、というような繰り返し。

これが紋切り型の光輝に満ちた神々の国だったのであれば、物語はそれで終わりである。もはや語る価値のある物語は生まれず、エンディングが流れておしまいである

だがソウルズボーンではそうはならない。悲劇どころか宇宙的恐怖すら登場する

プレイヤーは神の悲劇に対して「哀れみ」の感情を持ち、また宇宙的恐怖に対しては「恐れ」の感情を持つ

アリストテレスは、悲劇を見る観客はあわれみ(eleos)とおそれ(phobos)の感情を抱くと説いている

つまりそこで展開されているのは、人間の大好きな「悲劇」そのものなのである

もちろん直接的には悲劇は描かない。そんなことをしてしまえばすべては台無しになってしまうからだ。再現映像などもってのほかである

わずかに生存する神々でさえも「人間くさいNPC」のように、個人的な話を自分勝手に喋るだけである

だがプレイヤーは周囲の荒廃した世界とわずかな情報のみをもとに「悲劇」を想像する。なぜならば何度も言うように人間は「悲劇」が好きだからである

この抑制された情報の提示は感覚に頼ったバランスというのではなく、計算された理詰めのメソッドであろうと思われる

すなわち論理(哲学)がある。感覚頼りでなく論理により構築されているので(その論理から創造された創作物が好きな人ならば)、ハズレはない

ソウルズボーン、SEKIROと評価が一貫して高いのは理詰めにより作られているからだと思われる



蛇足

本格的にDLCがなさそうなので、個人的にSEKIROの元ネタなのではないかと思うものを挙げる(DLCでも使われてたら言及する予定だった)

諸星大二郎の『妖怪ハンター』特に「天の巻」

元ネタ系は偶然の一致の可能性も高く鵜呑みにはしないほうがいいですが

5 件のコメント:

  1. 初めまして、いつもとても深い考察に感動すら覚えながら拝読しております。
    当方の見落とし等であれば申し訳ありませんが、
    先日よりSEKIROのまとめページへのリンクが削除されているようです。

    投稿者様の意図的なものであれば申し訳ありませんが、
    考察等を順に読み込む際に重宝していたページであったため、
    可能であれば復活していただけると幸甚でございます。

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    1. ご指摘ありがとうございます。修正しました。ブラッドボーンのまとめを追加したときに手違いで削除してしまっていたようです。

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  2. 返信
    1. 上のコメントは間違えました。
       確かに宮崎さんがラジオで再三言っていたとおり、想像の余地がある物語として、情報(ヒント)をかなり意図的に調整して散りばめているのが一連の作品群ですよね。
       やはり抑制された、つまり情報量を絞られている作品だからこそ、ユーザー側はもっと知りたいとなるわけで。
       自分はまさにこの理詰めで構築された物語が本当に好きなので、宮崎さんが手がけたソウルシリーズやセキロウはとても素晴らしいものに感じました。

       これは自分語りになってしまいますが、自身もまた同じく創作をしようとしている人間でして、このような想像の余地ある作品を生み出したいと思っています。
       もしあるいはシードさんにそのご協力をいただけたりは出来ますか?シードさんほどの含蓄があり、深い考察力を持つ人物にご助力いただければ、より繊細な物語を生み出せるような気がしているのです。

       もちろん実際の物を見なければ何とも言えないでしょうけれど……。
       一応、そのような案件についてシードさんがどのようにお考えかを知る機会として、この場をお借りしました。
       どうぞよろしくお願いいたします。
       


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    2. ストーリーや設定もそうですが、情報の出し方もゲームシステムを元に考えられているのかなとも思います

      創作についてですが、率直に言いまして私がお役に立てることは無いかと思います
      完成品に対して後付けであれこれ説明づけることはできますが、ゼロから一を生む創作という行為に関してはまったくの門外漢です。そんな人間ですから助言どころか悪影響にしかならないと思われます

      以上の理由から、せっかくのお誘いですが協力はできません。申し訳ない

      それでは創作がんばってください

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