田村家の家紋
田村家の家紋は「丸に九曜」である九曜紋は奥州千葉氏や相馬氏、木曾義仲を祖と称する信濃国の藤原流木曾氏など多くの氏族に用いられている
信濃国の木曾氏も藤原秀郷流であるので、そちらの説を採っても良かったのだが、動画では奥州藤原氏との関連を鑑みて奥州千葉氏をモチーフとしてとりあげた
木曾氏説だと巴(巴御前)との関係がややこしくなるのと、葦名は信濃よりも北側のイメージがあったのも理由のひとつである
九曜紋を用いる相馬氏の通字を「胤」と紹介したものの、それが何か別の考察に発展するかというと、特にないので削除しておくべきだったかもしれない
九郎の家紋
一方、九郎の家紋は「四つ方喰」(よつかたばみ)といって、「方喰紋」、藤原秀郷流の後裔・子孫が用いていた家紋である実際には奥州藤原氏の家紋は不明らしいのだが、その祖をたどると藤原秀郷に行きつくので、藤原氏の代表的な家紋として「方喰紋」が選択されたのではないかと推測したものである
動画では複雑な関係を画像一枚で済ませるために、奥州藤原氏と源義経(幼名九郎)との関係や、藤原氏のミイラや即身仏と蟲憑きとの関係などを簡略化せざるを得なかった
奥州合戦
奥州合戦(おうしゅうかっせん)は、文治5年(1189年)7月から9月にかけて、鎌倉政権と奥州藤原氏との間で東北地方にて行われた一連の戦いの総称である。(Wikipedia)
義経を匿った奥州藤原氏を鎌倉政権が攻めて滅亡させた、というイメージが強い
不遇の人物を匿う孤立した国、という構造は葦名のそれであり、北国かつその人物の名が九郎、そして攻め手が政権側(内府)となれば、奥州合戦を連想してくれと言っているようなものである
とはいえ、フロムソフトウェアはひとつのモチーフをそのままトレースすることは無い。必ず無数のモチーフが重ねられ原型が分からぬほどに創造(再創造)されている
例えば九郎にしても、義経や木曾義仲、悪路王などの政権側に敗れ滅亡した者たちを抽象化した複合イメージとして創造されている
葦名に関しても奥州藤原氏だけでなく、蝦夷と蔑まれたれたまつろわぬ者たちや、関東に国家を建てた平将門などの、いわゆる朝敵のイメージが重ねられている
杜若紋
葦名氏・平田家が用いる杜若紋弦一郎の杜若紋をたどっていくと花山院家に行き当たり、さらにさかのぼると藤原北家に行きつく
これは九郎の方喰紋をたどっていくと藤原秀郷に、さらにさかのぼると藤原北家に行きつくのと同じ構造である
竜胤の御子としての九郎はともかくとして、人間としての九郎は形式的には、方喰紋を用いる家の一族である
これは公式サイトに「葦名の地に、古くより続く一族の末裔」と明記されている
つまるところ、九郎の方喰紋は(形式的なものに過ぎないかもしれないが)、杜若紋を用いる葦名氏や平田家と遠い縁戚にあたることを暗示しているのではないか、という考察である
蛇足
動画は手軽に修正できないのでブログで補足・訂正という形をとることにしたゲームの進行をメインにしたいので、どうしても抜け落ちる部分や触れられない部分がある。それの補足。動画作成に慣れてきたらなくなるかもしれない
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