若様の守り鈴
拝んで、祈る
仏師:目をつぶり、鈴の声を聞いてやるといい
その鈴の音が、呼び覚ますじゃろう
眠っちまってる、お前さんの古い記憶を
平田屋敷に行った後
仏師:…戻ったか
隻狼:あれは… 夢なのか…
それとも、真にあったことなのか
仏師:さてな
夢か、現(うつつ)か… 儂にも定かなことは分からん
一つ言えるのは…
仏師:仏さまは、お前さんの古い記憶を
起こしてくださっているだけじゃ
仏師:お前さんが、どう思い、どう覚えていたか…
すべては、それしだいじゃ
隻狼:見るものすべてが、正しく起こったことはか、分からぬ…
仏師:そういうことじゃ
古い記憶
仏師のセリフを曲解せずに受け取るのならば、隻狼は古い記憶の世界へ行き戻ってきた、ということになるだろうしかしながら、そう考えると数々の疑問が出てくるのである
例えば「古い記憶の世界」という架空の世界で取得したアイテムを帰還した隻狼が所持しているのはなぜなのか。また、架空の世界で穴山を殺すと、現実世界の穴山が消滅するのはなぜなのか、といった疑問である
前者においては隻狼の記憶から「物理的に実在する世界」が創造された、と考えるのならばいちおうの説明はつく
だが仏師によると、そもそも仏さまは「お前さんの古い記憶を 起こしてくださっているだけじゃ」であり、世界を創造するほど大それた事をしているわけではなさそうである
また穴山との因果関係はどうとらえたら良いのであろうか。なぜ記憶の世界で穴山を殺すと、現実世界の穴山が消えるのか。穴山は隻狼にしか見えない人物と考えることもできるが、小太郎との絡みを見る限り、そうでもなさそうである
以上のように平田屋敷=隻狼の記憶の世界と考えると、矛盾や不整合、不可解な現象が発生してしまうのである
この状況を図にしたものが以下である
非現実世界説と似た説に、世界分岐説がある。過去の平田屋敷がもうひとつあり、その時空に隻狼が飛ばされたという説だ
分岐説においては穴山との因果関係は説明できるが、ストーリーの冒頭、井戸底にいる隻狼に左腕がある説明ができない
ここは素直に、平田屋敷と現在の葦名とは時間の流れが繋がっている(同じ世界線にある)、と考えるのがより自然であろうと思われる
だが、平田屋敷を実在した過去として考えるとふたたび疑問が浮かぶ。現在の隻狼が過去にタイムワープなり時間遡行なりしたとして、ではそこにいるはずの「過去の隻狼」はどこへ行ったのか
なぜ現在の隻狼は過去の隻狼と出会わないのか。その後の物語の流れを見ると、過去の隻狼はほぼ同じ行動を取っていなければならない。だが、存在しているのは「現在から過去へ飛んだ隻狼」だけである
また実在する過去でお蝶と戦ったのは忍義手をはめた隻狼であり、であるのならば、影落としをされたのも忍義手の隻狼であるのにもかかわらず、ストーリーの冒頭、井戸底で目覚めた隻狼の左腕は健在である
戦いの直後に遅れてやってきた過去の隻狼が身代わりに影落としされたという仮説も思い浮かんだが、そんな描写はないうえに、あまりに間抜けすぎるので黙殺する
以上のタイムスリップ説を図にしたものが以下である
さて以上の仮説に登場する矛盾点が発生しないようにしようとすると、次のような仮説が立てられる
「平田屋敷は現実にあった過去であるけれども、そこで活動したのは現在(つまり未来)の隻狼であった。その未来の隻狼は過去の隻狼と入れ替わっており、その入れ替わりは平田屋敷クリアと同時に解消された」
これを図にしたものが以下である
入れ替わりのタイミングとしては、イベントムービーが入る直前であろうかと思う
シュレーディンガーの穴山
なぜこのような非常識な入れ替わりが可能であるかというと、過去の平田屋敷において、過去の隻狼と未来の隻狼は重なった状態にあるからである過去と未来の隻狼という二つの事象が重なった状態にあり、その状態において隻狼は、過去でも未来でもない確率的な状態として存在しているのである
また平田屋敷全体が、あらゆる可能性を内包した確率的な状態となっており、何も確定していない不確定な状態に置かれているのである
この不確定な状態を確定するためには、観測者による観測という行為が必要となってくるが、その観測者として選択されたのが、未来から来た隻狼である
※仏さまは古い記憶を「起こす」という。記憶を起こすとは、もう一度その記憶を見せることであり、つまり観測者にするということである
ゆえに、出来事は観測者(未来の隻狼)の観測のとおりにすべてが確定されていくのである
そしてムービーの開始と同時に、未来の隻狼は観測者としての特権を奪われ、それは過去の隻狼へと返されるのである。ムービーにあった出来事は見ている。見ているがそれは過去の隻狼が観測した事象を後追いで見ているに過ぎず、ゆえにそれは「古い記憶」と呼ばれるのである
要するにシュレーディンガーの平田屋敷である
過去という箱のなかに、重なった状態の平田屋敷が入れられており、その不確定の状態を確定するために観測者たる隻狼が送り込まれたのである
穴山の生死は、観測者である隻狼の観測によって決定されるが、観測者自体が系に内包された存在であるがゆえに、原子の振る舞いが猫の生死を決めるように、隻狼の振る舞いが穴山の生死を左右するのである
※参考:シュレーディンガーの猫 Wikipedia
義父の守り鈴
義父の守り鈴義父の亡骸からこぼれ落ちた守り鈴
この鈴は義父が長く持っていた
荒れ寺の仏に供えれば、
また異なる古い記憶が見られるだろう
守り鈴のある訳は、もはや知る由もない
義父の為のものなのか、
あるいは渡せなかった、誰かの為か…
人返りルート
隻狼:これは、鈴か…
エマ:きっと、梟殿の亡骸から、こぼれ落ちたものでしょう
梟殿と貴方は、縁(えにし)が深い…
それを供えれば
また異なる記憶が、見られるやもしれません
隻狼:…供えてみよう
エマ:どういった記憶かは、分かりません
ですが、それは、梟殿が持っていたもの
どうか、お気をつけて…
若様の守り鈴とは異なり、義父の守り鈴の見せる平田屋敷は、現在の葦名とは繋がっていない
というのも、義父の平田屋敷において義父を殺したとしても、現在の葦名においては「義父は生きていた」ことになっているからである
これは孤影衆 槍足の正長にも同じ事がいえる。義父の平田屋敷で正長を殺したとしても、現在の葦名において正長は「生きている(白蛇の社)」
さらにいえば、義父の平田屋敷には「穴山は存在しない」のである(例のお社の前から消えている)
厄介な穴山がおらず、現在と世界線が異なるのであるから、新しい世界を創造したなり、世界が分岐したなり何でもありであるが、世界の創造は上で却下している
残るは世界の分岐であるが、それを裏付けるセリフが正長との戦闘開始時に聞かれる
正長:…ほう、話が違うではないか
お主… 何故生きておる
…まあいい 始末すれば、辻褄も合うというものよ
正長のセリフからは、隻狼が生きているのは話が違い、死んでなければならず、しかし始末すれば、辻褄も合うということがわかる
つまりこの世界において隻狼は「死んでなければならない」のである
事実、正史では梟に影落としを決められて瀕死状態にあったはずで、それが梟や孤影衆の計画であった
だがこの世界ではその歴史の流れをたどらなかった
端的に言ってこの世界の隻狼は影落としを決められていないのである
その直前に未来からやって来た隻狼と入れ替わり、過去の隻狼は隠し仏殿から姿を消してしまっている。梟が隠し仏殿に来たのはその直後である
というのも、もし影落としを決められていたのだとしたら、後の梟戦において梟がそれについて触れるであろうからだ
また、隠し仏殿にもう一人の隻狼が倒れていないことからも、影落としをされる前だということがわかる。梟にとって隠し仏殿に到着した隻狼は、お蝶を撃退した後にどういうわけか平田屋敷にとって返し、そこに配された孤影衆たちを斬り伏せてきた、強敵である
梟:あの日、戦場で拾った飢えた狼が… よもや、ここまでになるとはな…
という梟の言葉は、そうした凄腕の忍びとなった隻狼にかけられたものである
※実際にどの時点で世界が分岐したのかを確定することは難しい。影落としを決められる前である可能性は高いと思われるが、そのはるか以前ということも考えられる。うわばみと重蔵と二度戦うことから重蔵と戦う前に分岐したとも考えられる
さて、話が少しそれたが、要するに義父の平田屋敷は元の世界から分岐した世界である。分岐しているので現在の葦名とは因果関係が繋がっておらず、義父や正長の生死は現在の葦名と関わりがない
関わりがないとはいえ、ここもまた正真正銘の実在する世界であるのでアイテムを取得し、持ち帰ることができる(その最たる物が「常桜の花」)
以上を図にしたのが以下である
隻狼は現在aから分岐した過去へ行き、ふたたび現在aへと戻ってくる
分岐した過去の世界は現在bとして続いていくが、現在aの隻狼とは関係ない
蛇足
実際のところ穴山さえいなければ、「記憶の世界へ行き、仏さまの不思議な効験によりアイテムを持ち帰ることができた」という結論で済む話であるだがここに穴山との因果関係が絡むのでややこしくなる
義父の平田屋敷に穴山がいないことから、このややこしい世界構造は意図的なものかもしれない
記憶の世界の時系列が矛盾してるように見えるのは、桜竜の仙境と似たような、過去とも未来とも言えない、時間が意味をなさない空間なんだろうという気がしてます。
返信削除言ってて自分でもよく分かってないのですが…
仙郷についてはまた考察しようと思いますが、もし穴山がいなければ無時間的な空間(「夢」あるいは「夢幻境」)と考えることもできるかと思います。ところが穴山との因果関係が存在してしまっていることで、過去→現在という時間の向きがどうしても残ってしまうんですね…
削除2回、守り鈴で野上を生かしましたが義父鈴で死んでましたね(ちゃんと屍がある)。野上ェ……。
返信削除あと、過去の梟にまぼろしクナイ?を投げると「懐かしい……」みたいなことを言ってたので、こっちの世界ではお蝶は来ていないor既に死んだという説はないでしょうか
野上玄斎に関しては、隻狼がどのように行動しようと「死亡する」ことになっているかと思われます。というのも、世界が分裂したのは隻狼がお蝶を倒し、梟が隠し仏殿に到着する直前ですが、その際に梟は孤影衆や重蔵を引き連れて主殿を通り抜けているからです
削除例え隻狼が野上玄斎を生かしたとしても、その直後にやって来た梟に殺害されているのでしょう。世界が分裂したのは、野上が死んだ後のことですが、どちらの世界も野上玄斎は死んでいることには変わりないかと思われます
ただ、そうするとうわばみの重蔵が二人になってしまいますので、もしかしたら世界が分裂したのはもっと前のことかもしれません。すいぼくさんのおっしゃられるとおり、お蝶が来なかった世界という可能性もあるかと思います(その場合も、野上玄斎は主殿に乗り込んできた梟たちに殺されているかと思われます)
DLC1「野上は二度死ぬ」9月配信!……するといいなぁ
返信削除返信あざす!
義父の守り鈴の重蔵には忍殺された傷跡がありませんでしたっけ?
返信削除情報ありがとうございます
削除まだ確認できていないのですが確認したいと思います
頭悪いから、あれ全部お蝶の仕業なのかと思ってました
返信削除狼に件の鈴を渡した野上のおばばが幻術にやられてたし、現在の伊之助が理由もなく死にかけてるのも怪しいし
平田のものが葦名城下で殺されてるのも普通に考えたら梟の仕業だけど、友達との間で弦ちゃん黒幕説が上がってる
あと、3年前っていうのは何か理由があるんですかね?そんな長くなくても半年くらいでいい気もするのに
狼以外の人物の口から”3年”って言葉が出たことってありましたっけ?
お蝶が九郎をどうにかしようとしていたのは間違いないと思いますが、どのように関わっていたかは諸説あるところです
削除三年前に関しては、平田屋敷に移動したとき「三年前」と字幕が出るのでおそらく正しいかと思われます(システムメッセージ的なものだと判断した場合)
ご存知かも知れませんが、
返信削除穴山店開業させてから平田屋敷で敵対し、仕留めずに帰ってくると、
「あぁ?てめえ旦那!」が聞けます。
ただ穴山もその後自分が怒りを感じた事に困惑するので、完全に未来が書き変わったという訳でもない…?
部分的に過去に介入しているということなんでしょうか
矛盾が発生してもそのままみたいな…
開業してからのパターンもあるんですね。情報ありがとうございます
削除難しいところですが、過去の平田を「記憶の世界」と考えると、隻狼だけの「記憶」ではなく、穴山も含めた集合的な記憶の世界なのかもしれません
コメント失礼します。
返信削除いつも素晴らしい考察拝見しております。
ふと考えたのですが、過去へ行くにも、ワープをするにも、その先には必ず竜胤に関係するものが存在します。
竜胤に関係するもの同士、時系列を超えて影響を与え合っているから、二つの異なった平田屋敷があるのではないでしょうか?
だから竜咳で繋がっている穴山を過去で斬るといなくなる。
平田屋敷の過去も本当は、隻狼が活動する現在の世界、お蝶のいる平田屋敷の世界、梟と戦う平田屋敷の世界と、全く別の世界だったのではと思います。
それが竜胤の力によって繋がった…、というのはどうでしょうか?
長文すみません。自分でもはっきりと考えがまとまっていないので、ザッと書いてしまいました。
竜胤(樹木にたとえるのなら水分を吸い上げる幹とそこを流れる水)によって人々が繋がっているというのは、いつだったか考察した覚えがあります
削除その繋がりが世界を超えて維持され続けるというのも、どこかクトゥルフ的なものを感じますね
無数の世界を内包する巨樹ということで「セフィロトの樹」を想起しますが、あるいは今見えている桜竜は、もっと巨大な何かの現われれの一つなのかもしれません
梟も負けた後、入れ替わってるということは無いですか
返信削除隻狼入れ替わり説の図、拝見しました。早速指摘させて頂きます。過去で穴山を殺し、現在に戻った時に、穴山が消滅している場合、そこには親殺しのパラドックスが発生するのではないでしょうか。矛盾をなくすには、穴山が過去で生きのびた世界線1の他に、過去で穴山が死んだ世界線2が生まれている、と解釈するべきだと思いました。
返信削除初めまして。
返信削除いつも、シードさんの考察を楽しく拝見させていただいています。
平田屋敷の謎についてふと思ったのですが隻狼の行動が現実世界に反映されるのは、神道の上流下流という考え方が反映されているのではないでしょうか。
神道では力は上から下に流れるものとかんがえられていて、そのため人間より上流にいる神様の行動は現世にえいきょうを与えることができるのです。
隻狼は竜胤の御子との契りにより、普通の人よりも竜胤に近しい存在になりました。
これは神道で解釈すれば、人よりも上流に位置する存在になったと考える事ができます。
だから、隻狼が平田屋敷でとった行動が現実世界にも反映されるようになったのではないかと考えてみたのですがどうでしょう。
SEKIROは神道と仏教のモチーフも包含していると思いますが、神道と仏教は混在と分離という歴史もあり、SEKIROも少なからずそれをなぞらえているきらいがあるように思います。ところで興味深いことに神仏分離令は平田屋敷と名を共にする平田派により強く提唱されたものでありますが、平田派の中心には平田篤胤がおり、その名は竜胤との関連も予感させます。九郎が平田屋敷に囲われていたのも平田篤胤と国学神道の話と無縁ではないのではないかと踏んでおります。妄想が過ぎますが。
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