以下の文章は上記スレに多大な影響を受けたものである
仙峯寺入り口
まず入り口に張られた仏画(変若の御子の声が聞こえる)は「勢至菩薩」を描いたものである『観無量寿経』の中には「知恵を持って遍く一切を照らし、三途を離れしめて、無上の力を得せしむ故、大勢至と名ずく」とあり、火途・血途・刀途の三途、迷いと戦いの世界の苦しみから知恵を持って救い、その亡者を仏道に引き入れ、正しい行いをさせる菩薩とされる(勢至菩薩 Wikipedia)
宝冠の前面に水瓶(すいびょう)があることがポイントなのだが、画像が荒くてよく分からない。しかしながら背後にある唐草光背の形状から、以下の仏画がモデルになったと思われる
【仏画色紙】勢至菩薩(高野山大師堂オンラインショップ)
※いろいろ調べてみたが他に唐草光背が割れているものは見つけられなかった
※山門の仁王像は見れば分かると思うので渇愛する
寺院内
次に遭遇するのが、寺院内に入った場所にある五体の仏像であるこれは左から順に、「増長天」「持国天」「金剛夜叉明王」「広目天」「多聞天(毘沙門天)」である
金剛夜叉明王の左右にある四天王像のモデルになったのは、持国天(左右反転)と広目天(ポーズがやや改変)が東大寺戒壇院の「塑造四天王立像(国宝)」、増長天は東大寺法華堂の「増長天像」、多聞天は同じ神格である毘沙門天像の一般的な造形から取られている
大きな画像はグーグルで「四天王像」で画像検索してください |
本堂
次に本堂内へ進むと現われるのがおびただしい数の仏像であるが、これはすべて「観音像」であるこれのモチーフは三十三間堂にある千手観音立像である(三十三間堂 Wikipedia)
三十三間堂の本尊が十一面千手観音坐像であるように、本堂の中央奥にある本尊もまた「十一面千手観音坐像」である
その手前に左右に分かれて立つのが「観音菩薩」である
左手の形が妙なのは、本来あるはずの水瓶(すいびょう)を持っていないためである
他の仏像は例外を除いてこの「観音菩薩」のコピーである
完全な形の観音菩薩は護摩堂にある(仙雲のいるところ)
水瓶とそこから伸びる紅蓮 |
さて問題は本尊の裏にある木像であるが、唐代の貴人の像と言われても納得しそうなぐらいに仏像(菩薩)っぽくない
一方の右手を挙げて左手を下げている方はともかく、両手を袖に隠して拱手している方が謎である。また菩薩にしてはやたらと厚着である
あえて類似した仏像を挙げるとしたら、天部神の像であろうか。天部神は仏像として表現されるとき、隋や唐代の服を着用していることがある(参考:興福寺 木造梵天立像)
上述した四天王像も「天部神」であり、如来や明王の周囲に天部を配置するのが、仙峯寺の教義だったのかもしれない
例えば東寺にある立体曼荼羅では如来や明王の脇に天部像が六体置かれているが、四天王(「増長天」「持国天」「広目天」「多聞天」)の他に、帝釈天と梵天が加えられる(東寺 立体曼荼羅)
東寺をモチーフとしているのならば、十一面観音菩薩の背後に置かれた二種類の仏像は、残りの天部、帝釈天と梵天なのではないだろうか
※帝釈天は四天王が仕えるという意味で、四天王天とも呼ばれる
ただし置かれているのは、東寺のそれではなく、東大寺にある「乾漆梵天・帝釈天立像」だと思われる(googleで「東大寺 法華堂 帝釈天立像」で画像検索してください)
五重塔
次に胎内くぐりの先にある五重塔に置かれた仏像であるが、これは不動明王であるただし、左右反転されている
本来であれば不動明王は右手に倶利伽羅剣を持ち、左手に羂索(けんじゃく)を持っているはずであるが、右手には何も持たず、さらに左腕は欠損している
左右反転をした理由はひとつしかない
剣を持つ左腕を欠損させるためである
ここにある仏像は、燃え盛る炎を背負い左腕を欠損した不動明王像なのである。これらの特徴に当てはまるキャラクターがSekiroには登場する
仏師(怨嗟の鬼)である
つまり仏師は不動明王と密接に関連している(隻狼と桜竜がそうであるように)
ずっと仏を掘り続けてなお
怨嗟の炎に焼かれ、鬼となり苦しむは
…あ奴の自業、因果なのさ(老婆)
自業と因果により仏師に怨嗟の炎が降り積もるようになったという。逆に言えばそれ以前は、怨嗟の炎は別の対象に降り注いでいたことになる
それが不動明王像だったのである。この不動明王像はまことの仏師が彫った仏像であり、不動明王像が焼け焦げていたのは、降り注ぐ怨嗟の炎を人の代わりに引き受けていたからである
また不動明王の持つ倶利伽羅剣には、倶利伽羅竜王が燃え盛る炎となって巻きついているという(倶利伽羅剣 wikipedia)
この倶利伽羅竜王こそ、怨嗟の炎の正体である
そしてこの倶利伽羅竜王、竜王とつくように竜族である。怨嗟の鬼を倒した時に源の瑠璃をドロップするのは、倶利伽羅竜王もまた神なる竜であり、その炎身に源の瑠璃を宿していたからである
源の瑠璃
源の瑠璃には、常しえがある
瑠璃で鍛えたものとは、
常しえに砕けることも、錆びることも無い
神なる竜の恩寵を受けるがゆえだ
ここから先はさらに推測の域になるが、猩々は不動明王像から倶利伽羅剣を奪い取り、それを持って人を斬り続けたのであろう
斬り続けた者は、やがて、修羅となる
何のために斬っていたか…
それすら忘れ、ただ斬る悦びのみに、心を囚われるのじゃ
(酒:葦名一心)
葦名一心が左腕を斬ることで猩々を正気に戻せたのは、その左手に怨嗟の炎を纏う倶利伽羅剣が握られていたからである
そしてこの倶利伽羅剣こそ「黒の不死斬り」である
上記の画像は修羅エンディングの一場面である。隻狼が修羅となり、左手に黒の不死斬りを握っている。そして周囲の火とは色合いの異なる紅蓮の炎が左腕から噴き出している
つまり不死斬りは二振りとも仙峯寺にあったことになる
赤の不死斬りは奥の院に、そして黒の不死斬りは不動明王像が握っていたのである
一心が黒の不死斬りの存在を知っていたのも、修羅となった猩々が黒の不死斬りを握っていたからである
※「飛び猿の忍び斧」のテキストに「だが飛び猿は、左の腕と共にこれを失った」とあり、左腕は忍び斧を握っていたのではないかと思われるかもしれないが、上記の画像のように、忍具と刀の両方を装備することは可能なのである
さて、金剛山の仙峯寺にある奥の院は、高野山真言宗総本山金剛峯寺にある奥の院がモチーフであるということは過去の考察で触れた(今はもう強く主張する気はないが)
真言宗の本尊は「大日如来」である。だが仙峯寺の仏像群のなかには一見、大日如来は存在しないように思える
しかし、いるのである
不動明王は大日如来の化身なのである(不動明王 Wikipedia)
阿弥陀三尊
では不動明王こそが仙峯寺の本尊なのか?置かれている場所から判断すると、不動明王は仙峯寺の本尊ではない。仙峯寺の本尊に相応しいのはやはり、十一面千手観音像である
だが、仙峯寺入り口に勢至菩薩がいたことを思い出して欲しい。観音菩薩と勢至菩薩は、「阿弥陀三尊」といって阿弥陀如来とセットにして置かれることが多い(阿弥陀三尊 Wikipedia)
また、入り口に張られた勢至菩薩は上品上生印という特殊な印相(印相 Wikipedia)を結んでいる
この指の組み方は奈良の大仏(阿弥陀如来)でお馴染みの上品上生印(禅定印)という組み方であり、九品印のうちの一つである(参考:浄土宗【公式WEBサイト】)
九品(くほん)というのは浄土教で極楽往生の際の九つの階位を表しており、上品上生(じょうぼんじょうしょう)は、そのうちの最上位の位階である
その功徳により阿弥陀如来の浄土に生じることを願えば、1日もしくは7日で往生できるという。この人は勇猛精進をもち、臨終に阿弥陀や諸菩薩の来迎を観じ、金剛台に載り浄土へ往生し、即座に無生法忍を悟るという。 (九品 Wikipedia)
つまり、阿弥陀如来と関係の深い勢至菩薩が、阿弥陀如来と関連の深い印相を結んでいるのである
そのうえ仙峯寺には勢至菩薩の対になる観音菩薩も大量に置かれている
そして何より、奥の院には阿弥陀如来がいるのである
(変若の御子の背後にある仏壇の後ろの壁) |
これで阿弥陀三尊が揃ったことになる
阿弥陀如来(Wikipedia)は西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)を持つとされ、その阿弥陀如来を本尊とするのが「浄土宗」である(Wikipedia)
以上のことから仙峯寺の宗派を「浄土宗」であると結論づけることができるかと思う
ただし、仙峯寺が歴史を通じて浄土宗一色であったかというと、どうも違うようである
例えば本堂の仏像群のモチーフになっているのは三十三間堂であるが、これは天台宗の寺、つまり密教系の寺であるし、他にも池に捨てられた卒塔婆には「南無大師遍照金剛」と書かれているが、「遍照金剛」とは真言宗の開祖「空海」のことだからである
仙峯寺はもとは真言宗(その開祖は死なずの空海である)と天台宗を融合させたような密教系の寺だったと思われる。しかし仙峯上人が蟲を賜わり、不死となってから死なずの探求にのめり込み、やがて密教の信仰すら捨てて死なずの求道者となっていったのである
その堕落と頽廃の果てに生まれたのが変若の御子であり、仙峯上人が縋ったのが変若の御子が体現する浄土思想だったのであろう
蟲憑きの仙峯上人が死んだのは、不死信仰を捨て、浄土信仰に宗旨替えをしたからであろう
浄土信仰の最も重要な点は、いかに「理想の死」(来迎 Wikipedia)を迎えるかであり、不死信仰と相反する「死への信仰」とも言えるからである
西
さて、仙峯寺の背景に浄土思想があるとすると、「西への旅」の行く先が分かってくる。当然ながら「西方極楽浄土」である(極楽 Wikipedia)白衣観音
Sekiroは全体的に観音推しであるが、鉄砲砦の奥にある「蛇の抜け殻」の置かれた仏像も観音である(蛇の干し柿のところのも)これは白衣観音といって、観音菩薩が様々な姿をとって現れる三十三観音のうちの一つである(白衣観音 Wikipedia)
お疲れ様です。西方極楽浄土は阿弥陀如来が住んでいるとされる死後の世界らしいですが、以前Harveyさんは竜の帰郷ENDで狼と変若の御子の行く先が百済になるのではと考察をされていましたけど、今でも百済の考察はHarveyさんの中でも有力ですか?
返信削除竜の故郷が日本の外にあることは確実ですから、とにかくまずは日本を脱さねばならないと思われます。かぐや姫のように「飛ぶ車」に乗って月に行くというのもファンタジーですからあり得ない話ではないと思いますが、戦国末期の現実的な技術レベルからすると、ひとまず海を渡り朝鮮半島に向かう可能性もあるかと思います
削除輿入れのあの大仕掛けを見せられた後だと飛ぶ車を見て驚ける自信は自分にはないですね。
削除発売前の考察でお米が血で出来ているとの考察と蟲が不死に作用しているとの考察を見事に当てられましたね。
今作は比較的NPCが饒舌だったりと資料を纏めるのに一段と苦労されていると思います。日本ではここ数日気温の高い日が続いているのでご自愛ください。
飛ぶ車といってもフロム解釈が入るので、アメンドーズタクシーみたいな感じかもしれません
削除過去の考察はあまり覚えてなかったりするので、当たったかどうか確認することもないんですが、おそらくあてずっぽうの一つが偶然当たったとかでしょうねぇ
資料に関しては大まかなところは集まったので、あとは「盗み聞き」関連を集めたいです
こんにちは。先日ようやくSEKIROをクリアして、世界観などを探っていたらこちらのサイトにたどり着きました。鋭い考察の数々、本当に素晴らしいです。
返信削除特に不動明王と黒の不死切りに関する考察は踏み込んでいてとても興味深いものでした。
さて、私は趣味で仏教美術について勉強しているのですが、SEKIROの仏教美術は開発の方も言っていたとおりとても力が入っていますね。
ここを読んで何点か気にになったところを述べさせていただきたいと思います。
まず、仙峯寺のモチーフが真言宗の総本山である高野山金剛峰寺であることを前提とすると、仙峯寺の入り口にある仏画は勢至菩薩ではなく胎蔵界大日如来もしくは仏眼仏母かと思われます。
勢至菩薩が阿弥陀三尊像として祀られるときは観音菩薩の対となることはご指摘の通りですが、この場合、蓮台を捧げもつ観音菩薩に対して、勢至菩薩は合掌するのが通例です。儀軌からも勢至菩薩が定印を結んでいる例は見受けられません。
また、勢至菩薩が独尊として造像されることは稀で、作例のほとんどは法然が勢至菩薩の化身であるという信仰に基づいて浄土宗系の寺院で祀られます。
管見の限りでは勢至菩薩を独尊として描いた仏画は現代のものしか確認できませんでした。
つぎに奥之院の阿弥陀如来像ですが、その前に真言宗の重要なシンボルである多宝塔が設けられていることからも、これは密教系の阿弥陀如来である紅頗梨阿弥陀如来かと思われます。
真言密教における阿弥陀信仰は名号を唱える称名念仏よりも瞑想による観想念仏が重視されます。
像例としては平等院鳳凰堂の阿弥陀如来があります。この像は内刳りを施した像内を朱色に塗り、阿弥陀小呪を書いた心月輪を納入していて、観想念仏の対象となったと考えられています。
ここからは想像でしかないのですが、仙峯寺では真言密教系の観想念仏が行われていたのではないでしょうか。そう考えると、仙峯上人も蟲憑きになる以前には密教系の阿弥陀信仰を持っていた可能性があります。
変若の御子に関しても真言密教という観点から見ると、人為的に作られた尊敬の対象という点で、いわゆる真言立川流の髑髏本尊や、西行が高野山で死体から人造人間を作ったという逸話から考えてみても面白いなあ、とか思っています。
もう一点、荒れ寺のまことの仏師が彫った仏像は向源寺の国宝・十一面観音像がモデルかと思います。
以上、こちらの考察に刺激されてつまらない駄文を長々と書き連ねてしまいました。お目汚し失礼しました。
これからも考察楽しみにさせていただきます!
(何度かコメントしようとして失敗したので、もしコメントが重複してしまっていたらごめんなさい)
明哲な解析、たいへん参考になります
削除SEKIROの仏教美術を調べていて感じたのは、そのほとんどが現実のものとは相違があるということでした
これは現存する信仰への配慮と、オリジナルな世界観を作ろうとする姿勢の表れかと思います
仙峯寺にしても確かに高野山金剛峯寺のモチーフは見て取れるのですが、本堂などは清水寺の影響がうかがえます
しかもただ混ぜているだけでなく仙峯寺の思想的な流れに沿って意図的に混淆、変更されてる印象を受けます
仏像を反転させてあえて左利きにしているのもそうですし、左腕を欠損した不動明王像もそうです(桜竜の欠損した左腕を象徴)
つまり仙峯寺は現実にある特定の宗派ではなく、フロムソフトウェアなりのオリジナルの宗派であると思われます
そうした流れの中に、仙峯寺入り口にある仏画(変若の御子)はあるのだと考えました
印相から判断すると、仏画の仏は阿弥陀如来と比較することができるかと思われます。しかしながら、宝冠の全面にある水瓶、また光背から判断すると阿弥陀如来とも異なります
※護摩堂には胎蔵界曼荼羅がありますが、そこに描かれた大日如来と仏画(変若の御子)は印相が異なります
※また上記の考えから、高野山真言宗金剛峯寺のみから判断するのではなく、仙峯寺というオリジナルな宗派として考察したものです
ではこれは何だろうと考えたとき、定印を結んだ勢至菩薩(あくまでもモチーフ)ではないか、というのがredditのスレッドに影響を受けた私の考えでした(定印を結ばせることで阿弥陀如来との関連性を示唆している)
つまり仏画の仏は、阿弥陀信仰を背景にしたオリジナルの仏であり、それは阿弥陀如来との関係を考えると、構造的に勢至菩薩に当たるのではないか、という主旨で勢至菩薩の名を出したものです
また法然上人が勢至菩薩の化身であるということも、開発者の念頭にあったかと思います
仏の化身としての人間、という構造が、竜胤の化身としての変若の御子の構造と同一だからです
変若の御子については、真言立川流ですと18禁になってしまいそうですね
『撰集抄』の「西行高野の奥において人を造ること」は確かに宮崎氏が好みそうな題材であります
西行は桜とも縁が深いですし、考察してみても面白いかもしれませんね
向源寺の十一面観音像は気がつきませんでした
まだ詳細に見ていませんが「真の仏師の造った仏像」と一見して相違が見られません
あるいはそこが「真」の意味なのかもしれません
正直なところ浅学な私にはかなり手強いコメントでした
しかしながら返答を考えるうえで、とても勉強になりました
ありがとうございます
YouTubeで仙峯寺を博物館の研究員の方と見る動画があってここを思い出しました
返信削除もっと突っ込んで聞いてみたいなぁ
面白そうな動画がありますね。探して見てみたいと思います
削除個人的には源の宮の解説を聞きたいです
とても楽しく読ませていただいています。一つ疑問なのですが、不死斬りは抜くと一度死にますので常人には扱えないのではないでしょうか?。それとも仏師は落谷にて修行を行った際に源の濃い水を摂取したため、擬似的に不死を得たというのでしょうか。(しかしそうすると川蝉も同じ状態のはずなので獅子猿とはいえ生半可には死なない気もしますが。)
返信削除抜くと死ぬのは「赤の不死斬り」のみで、「黒の不死斬り」は梟や弦一郎が抜いていることから、抜いても死なないのかもしれません
削除また、不動明王像の造形的に倶利伽羅剣(くりからけん)は抜き身だったようにも思えます
いつも楽しく考察を読ませていただいています.
返信削除黒の不死切りの鍔が仏教的に重要な意味を持つ蓮であることからも,黒の不死切りが不動明王に握られていた可能性は高いと思います.
しかしながら,黒の不死切りと怨嗟の炎に関係性はないと思います.
黒の不死切りで人を斬っていたのはオープニングムービーにもある通り一心で,仏師ではありません.
さらに,形代の最大所持数を増やすスキルをテキストを読むと,仏師の業が積もった先は義手忍具であるように思います.修羅エンドにおいても,怨嗟の炎は狼の義手忍具から出ていてるのであって,黒の不死切りから炎は出ていません.
そもそも,ラスボス戦で黒の不死切りは黒い瘴気を出しますが,これは怨嗟の炎とは違うように見えます.