エマ
道玄すら不可能であった竜咳の治療を可能とし、竜咳にも罹らないエマという女性は何者であろうか自身や仏師が語るところでは、エマは戦場跡で「猿」に拾われたという
エマに猿酒を振る舞ったときの会話
エマ:はい。何せ、私は猿に拾われた子です
隻狼:………
エマ:…信じて、いませんね
………幼き日
戦場跡に、一人
私は、呆然と立っていました
隻狼:………
エマ:何も… 泣くことも、怒ることもできず
ただ、呆然と…
そうしたら、猿が、握り飯を食っていた
隻狼:猿がか…
エマ:はい、それは旨そうに
うらめしいと、思いました
そうしたら、今度は猿が、握り飯をくれたのです
とても、うまかった…
仏師に竜泉を振る舞った時の会話
隻狼:エマ殿とは、長い付き合いなのかここで一つ疑問が浮かぶ。なぜエマは一人で戦場跡などにいたのだろう
仏師:ああ、ずいぶん前に…
戦場(いくさば)で拾った
隻狼:…戦場
仏師:じーっと、ずーっと、握り飯を睨んできてな
面倒だから、くれてやった
そしたら、何やらついてきてな…
それから…
………
フンッ、何だ彼んだあって…
共に葦名に厄介になることになった
道玄の養女になったのも、その時よ
………
ま、どこだろうが
忍びといるよりゃ、よほど幸せじゃろう
この状況は隻狼とまったく同じであるが、隻狼のほうはオープニングで描写され、そのとき刀を何本も背負っていることから、死者から刀や甲冑の類いを強奪していたか、荷物運びか戦力に借り出されたか、あるいは戦功を立てようと自らが戦場に赴いたのか、といったことがうかがえる
だが、女であるエマが隻狼とまったく同じ事情で戦場にいたとは考えにくい。戦場に少女がいたところで足手まといになるだけであろう。またエマのセリフから本人が自ら戦場に身を投じたとも思えない
「泣くことも、怒ることもできず ただ、呆然と…」
呆然と立っていた少女は、なにゆえ戦場などにいたのだろうか
すぐに考えつくのは、住んでいた場所が戦場となったというものであろう。住んでいた場所が戦火に見舞われ、肉親や知人を皆殺しにされた結果、「泣くことも、怒ることもできず」、ひとり立ち尽くしていた
「泣くことも、怒ることもできず」とは、それに対応するような出来事があったことを示唆している。つまり、泣いて怒ることが当然の悲劇があったのである
しかもそれは、幼い少女にはあまりにも大きな悲劇であり、それゆえに幼き日のエマは「呆然と立ち尽くす」しかなかったのであろう
そんなエマを拾ったのがその頃まだ「飛び猿」であった仏師である
「猿が、握り飯を食っていた」
飛び猿として活動していたからこそ、エマは「猿」と表現するのである
飛び猿の忍び斧つまり、修羅となって一心に左腕を斬られるまで、猩々は「飛び猿」だったのである
落ち谷の飛び猿と呼ばれた忍びが、
かつて愛用した忍具
だが飛び猿は、左の腕と共にこれを失った
また、「私はかつて、修羅を見ました」というエマのセリフから、飛び猿が修羅になったのはエマを拾って以降であることがわかる
※怨嗟の鬼と修羅は厳密には異なると思われる。ここでは一心が斬ったのは修羅の如きものであり怨嗟の鬼ではない、とする
それから「何だ彼んだあって」、飛び猿は「葦名に厄介に」なり、その時「エマは道玄の養女になった」のであるが、この「何だ彼んだ」には、飛び猿が一心に仕えるの忍びとなったことが含まれている
フンッ、何だ彼んだあって…
共に葦名に厄介になることになった
道玄の養女になったのも、その時よ
時系列をまとめると以下のようになる(2019/05/28訂正)
1.どこかの戦場で飛び猿がエマを拾う
2.飛び猿とエマが葦名に厄介になる
3.飛び猿が一心の忍びとなる
4.エマが道玄の養女となる
5.飛び猿が修羅となり、一心に左腕を斬られる
5.道玄が忍義手を作る
6.忍義手をはめた飛び猿が「猩々」として活動する
8.猩々が仏師となり、仏像を彫り続ける
※2,3,4はほぼ同時期
エマが戦場で拾われた後に「葦名に厄介に」なったことがわかる。つまり、エマが拾われたのは「葦名の外」なのである(「葦名」が一心の比喩である可能性は残るが、今回は字義通りに解釈する)
よって、エマは葦名衆とは出自が異なる。いにしえの昔から葦名に住む葦名の血を引いていないのである
また仏師イベントにおいて、
エマ:猩々…。内府の軍が、来ています
仏師:……そうか
相も変わらず、奪うことが好きな連中じゃ…
ということから、仏師は内府に対して反感を抱いていることがわかる
さらに内府の軍が来ているという情報だけで心配したエマが仏師を訪ねることから、猩々が修羅となった出来事に内府が絡んでいると考えられるのである
まとめると、飛び猿が修羅となったのは
1.エマを拾った後
2.内府が絡んでいる
3.その時に一心に左腕を斬られた
竜咳
竜咳に関しては過去にも考察したので要約に留めるが、以下のようなものである「竜咳の源… それは、血の淀みです」(エマ)
「おそらくは 竜咳になった者は… 人が、人として、生きるための 当たり前の力を、奪われています ゆえに、血が淀むのでしょう」
生きる力を奪われた人間の血に淀みが生まれ、それにより竜咳に罹る
では血とは何を意味するのか
過去作では、血は炎と同一視されていた
同じようにSekiroにおいては、血は水と同一視されているのである
柿
水が良いのか、葦名の柿は滋養がある
柿は血となる。血は米となる
血が足りぬ者には、
食わしてやると良いだろう
水が葦名の柿を育み、その柿は血となり米となるという
お米
変若の御子の手のひらより、零れ落ちたお米
偽りなれど、竜胤の力
その血は豊穣をもたらす
水が血となり、血は米となる
つまるところ葦名衆の体内に流れる血は、源の水から出来ているのである
この源の水が清められたものが「京の水」である
京の水
杯に注がれた、宮の貴族が嗜む御神水
源の宮に輿入れした者は、
まずこれを頂戴する
宮の貴族の嗜みぞ
さあさ、ぐぐいと召し上がるが良い
京の水を神主に飲ませたとき、彼は貴族化する。その姿は首が長く伸び、腕が四本あり、足が根のように広がっている(画像は例として出した源の宮の貴族)
これは樹人でも魚人でもなく、あえていうのならば「桜竜人」である
欠損している左腕のほかに、三本の腕がある。あわせて四本 |
ちなみに、白木の翁は腕が二本であり系統が違うということがわかる
まとめると、「京の水」を飲むと、桜竜の眷属となるのである
源の水にも、効果ははるかに低いものの同様の効果があると考えられる。ということは、源の水を飲み続けた葦名衆もわずかながら「桜竜化」しているのである
源の水を愛する葦名衆は、長きにわたる飲水により桜竜の眷属になっているのである。樹木に例えるのならば、根の先端の部分である
眷属であるがゆえに、その末端に位置する根であるがゆえに、彼らは「生の力」を吸い取られるのである。なぜならば葦名を桜竜を頂点とする樹木と見立てると、葦名衆の身体は根であり、その血は水にあたるからだ
水は根によって養分と共に吸い取られ、吸い取れる水や養分が無くなれば、根は縮んで腐ってしまうのである
竜胤の雫を供えることで、生の力を持ち主に返すことができるのも、葦名の地に住まうものはすべて、葦名という樹木の内部を流れる「水(血)によって繋がっている」からである
反対にいうのならば、葦名衆でなければ「竜咳に罹らない」のである
エマは葦名の外から来たと上述したが、エマが竜咳に罹らないのは、彼女が葦名衆ではないからである
また仏師が竜咳に罹るのは、かつて落ち谷で忍び修行した(酒:仏師)ことで、桜竜の眷属となったからであろう
…じき、猿と変わらぬほどには、動けるようになったわ
…修行に飽きると、儂はこの猿酒を飲んだ(酒:仏師)
落ち谷はヌシの色鯉の死体が流れ着くように、また馨し水蓮が咲くように、源の水が濃い場所である。その水を飲んだゆえに仏師は桜竜の力を得て、猿と変わらぬほどの機動性を獲得したのである
竜の舞い面
源の宮で、淤加美の女武者は、
竜がために舞いを捧げた
すると不思議と力がみなぎったという
では、葦名に厄介になった後、長く住んでいるエマはなぜ桜竜の眷属とならないのか
道玄がそれを未然に防いでいたからである
「はい。我が師、道玄より聞いたことがあります 竜胤は、回生の力を授けることができる しかし、それは常ならぬ力 繰り返せば、やがて淀みが溢れ 関わった者に、病として降りかかる その病を、竜咳と呼ぶ…と」
エマの証言で、道玄が竜咳の核心に迫っていたことがわかる。また道順の持ちだした「変若水の澱」は、「元々は我が師、道玄が調べていたもの」である
さらに道玄は「調べた書も薬も、焼いて捨てた」という
つまり道玄は竜咳の原因が血の淀みあることを発見し、その血を作る源の水と、濃縮された源の水である「変若水」の危険性を認識していたのである
一方、源の水の毒性の発見は竜咳治療の端緒ともなったのである。しかしながら竜咳の治療は完成せず、予防薬を試作することしかできなかった
そこで道玄はおのれの最も大切な者、つまり一心(主)とエマ(娘)に予防薬を投与したのである。おそらく弦一郎も投与されたと思われる(変若水の澱を飲んで意識を保っていられるのは、体内に出来た源の水への耐性が残っているからである)
NPCのなかで竜咳に罹らないのは、死なず半兵衛や変若の御子の不死勢、または源の宮関係者である壺の貴人とぬしの世話係+姉妹を除くと、一心とエマだけである。そしてこの二人は道玄に最も近しい者たちである(弦一郎も含まれると思われるが、澱を飲んでいるので厳密には不明)
そしておそらく予防薬とは、人の体内に桜竜への免疫を作るワクチンのようなものであったであろう。ゆえに一度免疫が作られてしまえば、それ以降は源の水の影響を受けにくい身体となるのである(濃縮液である変若水の澱は完全に防げない)
源の水は葦名衆に、「武人としての名声」をもたらしたが、一方で葦名衆は桜竜の眷属となり、葦名という樹木の根の一部となって、その生の力を吸い取られてゆくのである
このような「水(血)によって繋がる樹木生命体」の存在に気付いたとき、エマは竜咳の治療法を発見したのである
快復の御守り
御守りの中には、竜咳患者の血から
エマが精製した血石が納められている
この血石は、治すべき者たちを定める道標だ
血石として精製された後もそれは「葦名に流れる水(血)」なのである。まだ竜咳患者へと繋がっているのである。ゆえに、竜胤の雫を供えることで、「生の力」は道管を通って竜咳患者へと届くのである
なぜならば、葦名の地に住まう者は数少ない例外をのぞき、葦名という樹木の内部を流れる「水(血)によって繋がっている」からである
葦名衆ではないと水の効果に差があるという考察で思ったのですが、ぬし鯉の餌係は赤鬼と同じモーションなので元は西洋人だとするなら、葦名衆ではなかったから他の貴人たちとは違う容姿になったのではないかと思いました。娘姉妹が日本人ぽいのが微妙ですが
返信削除桜竜化と魚人化の差がどこにあるのか難しいところです
削除壺の貴人は明らかに魚人化してますが(壺の中のグラフィック等)、セリフなどから源の宮出身ということがうかがえます
「我が父は、貴族になりましたが… そのとき、鯉に魅入られてしまいました」(妹)
あるいは何に魅入られるかによって、変態先が変わるのかもしれません
ゲーム中の情報から仏師の来歴を大雑把に区分すると
返信削除1.「落ち谷の飛び猿」として師も主も持たないはぐれ忍びとして相棒の川蝉と活動していた期間
2.「猩々」として葦名一心に仕え国盗り戦の葦名衆として活動していた期間
3.葦名衆を辞して荒れ寺で仏師として活動している現在
大体この3つになるわけですが、どこで修羅になりかけたのかは作中で明確には示されていません。
この記事では葦名一心に仕える以前という説を採用していますが、見ず知らずの修羅になりかけた忍びの左腕だけを斬って正気に戻し、自陣営に迎え入れて義手まで用意するというのは個人的には不自然かなあと感じました。
葦名衆の一員として活動するうちに殺しすぎた猩々が修羅になりかかり、やむなく一心が左腕を斬り飛ばし、戦えなくなった猩々のために道玄が忍義手を用意した…というのが私の見解です。
鋭いご指摘ありがとうございます
削除まず「飛び猿」をはぐれ忍びとしての呼称とするのならば、「だが飛び猿は、左の腕と共にこれを失った」(飛び猿の忍び斧)ということから、一心が斬ったのははぐれ忍びであった飛び猿だったということになります
「飛び猿」を一心の忍びとしての名と考えることもできますし、腕を切り落とされ隻腕となった後に「猩々」に改名した、というふうに考えることもできますが、改名の意図が不明瞭な感じがします
飛び猿→はぐれ忍びだった頃の名
猩々→一心の忍びとしての名
仏師→一心の忍びを辞したあとの名
とするのが個人的には分かりやすいかなと考えます
また、「共に葦名に厄介になることになった 道玄の養女になったのも、その時よ」とありますが、一心との縁(修羅化と左腕斬り)がない場合、何の義理もないはぐれ忍びの連れ子を道玄は養女にしていることになり、やや不自然かと思います
修羅となった見ず知らずの忍びを登用することに関しては、一心の戦闘狂としての性格を鑑みれば、あり得ない話ではないかと思います。「あらゆる技を飲みこもうとした一心」(戦いの残滓・剣聖葦名一心)からしてみれば、修羅となった飛び猿もまた興味の対象であり、それゆえ厚遇したとも考えられるかと思います
レスポンスありがとうございます。
返信削除情報が少なすぎてお互いこのキャラならこうするはずという推量でしか語れないのが現状って感じですね…
DLCで一心の守り鈴なり仏師の守り鈴なりが登場してここらへんを補完してくれるといいですね。
猩々はまだ正面から考察してないので何とも言えませんが、一心に「盃片手に、作りかけの義手をいじっておる、馬鹿者(道玄)」と言われているので、状況的に国盗り後に修羅になったとするのも蓋然性が高いかと思われます
削除個人的にも現在は国盗り後説に傾いてます。細部の相違があるぐらいで、基本的には同意見です
基本的には同意見なのですが、葦名衆どころか「日本人」は桜竜の影響を少なからず受けていて、外国人であるエマには源の水の影響が薄かったのかな、と思っています。赤鬼≒外国人説との整合性はよく分かりませんが…
返信削除過去作の火防女パターンを踏襲すると、エマは外国人どころか造られた超自然的存在であっても不思議ではないかと思います
削除真の仏師が彫った菩薩だとか、竜の故郷から落ちてきたとか(天の羽衣伝説)
やっとクリアしました。
返信削除参考にした動画がここの話をしてました、目から鱗!
源の水の耐性の話ですが
一心は国盗りをしたはずなので
エマと同じく葦名出身ではない可能性はどうでしょうか。
猩々は芦名育ち、川蝉を探すために外に出てエマを拾ったので耐性無し。
一心の妻か子供の配偶者は葦名出身の為、
弦一郎は半分か4分の一、葦名の血が混じっているので
ある程度影響は受けるけど一心の血の耐性で自我を保てる。
そんな気がしました。
でもエマの超自然的存在もフロムらしい!
絵馬かもしれませんね!
クリアおめでとうございます
削除ずっと独り言のように書いてきたブログですので、動画で話題にしていただけるのはとてもありがたいことだと思います
一心ですが
酒を振る舞った時に
一心:元々、この葦名は…
我ら葦名衆が、暮らす地じゃった
とあるので、葦名衆ではあるようです
ただ、剣豪として外の国に出ていた可能性はあるのかなと思います(当時の剣豪はみなそうやってますから)
血の濃さによって源の水の影響が異なるのも、今作を血、つまり竜胤の物語であると考えるとありえそうですね
なるほどー!
返信削除しかしクリアした後もこんなに楽しませてくれるなんて
フロムはやはり最高ですね!
なんと面白い考察の事か…恐れ入ります…
返信削除エマさんにお酒を振る舞ったとき「人は斬らない、鬼は斬る」みたいなことを申すのですが過去に修羅を斬ったことでもあるのでしょうか…
それとも一心様に剣術を教えてもらった事で昔、一心様が修羅になりそうになった仏師殿を斬ったことをなぞって言っただけでしょうか…
仏師の怨嗟の炎に対するエマの警戒(たびたび仏師のもとを訪れては怨嗟の炎のことを話している)を見ていると
削除仏師がかつて修羅に落ちかけたところを、エマは目撃しているのかと思います
一心に剣術を習ったのもその時の経験があったからでしょう
次に修羅に落ちかけたら、自分が斬ろうという覚悟を示すために
「人を斬りたいなどは、露ほどにも
ただ、鬼など出れば、斬りたいと思っています」
というセリフになったのだと思います
おぉ、なんとお早い返信ありがとうございます!
削除自身もう一回そこの台詞を見てみたのですが「斬りたいと『思っています』」でしたね、いやはやお恥ずかしい