2019年6月23日日曜日

Sekiro 考察40 竜 vs 蟲

SEKIROの物語を「竜 vs 蟲」という切り口から考察してみたいと思う

藤原秀郷

SEKIROの物語構造は、御伽草子で有名な藤原秀郷の物語を踏襲している

秀郷の物語を簡単にまとめると以下のようなものである

「ある日藤原秀郷は、竜王(大蛇や竜の使い)と出会い、竜王を苦しめている大百足退治を懇願される。頼みを承諾した秀郷は大百足を退治し、褒美にさまざな宝物を与えられる」

竜の願いを叶えるために秀郷が尽力するというのは、SEKIROの「竜胤の御子の願いを叶えるために、隻狼が尽力する」のと構造が同じである

秀郷が竜王の望みを叶えるために蟲(ムカデ)を殺すのと同様に、隻狼は竜胤の御子の望みを叶えるために、不死(ムシ=無死=不死)を殺すのである

また、竜王を苦しめる大百足はSEKIROにおいては大百足に憑かれた蟲憑きの形で登場し、それは隻狼の行く手を阻むものとして、重要な局面で登場するのである(獅子猿、破戒僧など)

蟲憑きの代表格はSEKIROにおいてもムカデであり、それを殺しきるには不死斬りが必要とされる。桜竜や一心など他にも不死斬りをする場面がいくつか存在するが、蟲憑きに限って言えば、それはムカデを斬ることなのである

つまり不死斬りとは「蜈蚣切(むかでぎり)」であるが、秀郷の刀もまた「蜈蚣切」と呼ばれているのである(蜈蚣切 wikipedia)

秀郷の物語で竜王は大百足と対立していたのと同様に、SEKIROの世界にも竜 vs 蟲の対立構造がさまざまな場所で見受けられるのである



水生村

水生村では「竜 vs 蟲」の対立構造が、オブジェクトとしても表現されている

例えばナメクジと魚が合体したような奇妙な生物「ナメクジ魚

これが本来の姿でないことは湖底にいる完全なナメクジを見ればわかる

ナメクジ魚は何らかの異変によりナメクジが魚に変容しつつあるのだ

鯉が竜になる登竜門の故事がある。鯉つまり魚は竜の眷属なのだ。それは竜がもともとは水神として崇拝されていたことと関係しているのであろう。また浦島太郎の行く「竜宮」には魚の家臣たちがいることから、魚=竜の眷属だという観念が昔からあったことも分かる

要するにナメクジ魚は、竜の眷属たる魚とナメクジが対立しせめぎ合っているその構造を二つの生物が融合したオブジェクトとして表わしたものなのである

この竜と蟲の対立構造は人間界にも飛び火し、代理戦争的な勢力争いが繰り広げられている。それが「水生村の神主(竜) vs 仙峯寺の僧侶(蟲)」の構図である

神主がなろうとしているミヤコビトとは源の宮にいる貴人のことであるが、その姿は桜竜の特徴と魚の特徴を兼ね備えている。ゆえに神主は竜側といえる

また廃寺を追い出された僧侶の頭部に仙峯寺の僧侶と同じ「あざ」のようなものがあることから、彼もまた死なずの求道者であり、つまり蟲側の人間である

こうして竜と蟲との争いに巻き込まれた結果、水生村は蟲に汚染され、村人たちは竜(ミヤコビト)になる酒によって、生半には死なぬゾンビのような姿となったのである


源の宮

桜竜のお膝元である源の宮にも蟲の痕跡が見受けられる

例えば湖底の魚骨に這う蟲は、そのまま蟲に食われる魚(竜)を意味し、ここでは蟲が勝利していることがわかるのである

また貴い餌はヌシの食餌であり、ヌシの優勢を示すものであるが、「まこと貴い餌」に至るとその形勢が逆転し、蟲が竜を殺すほどの力があることを表わしている

壺の貴人がヌシを殺めようと「まこと貴い餌」を隻狼に渡すことから、蟲が竜の眷属たるヌシを殺すことは、宮の貴族たちにも知られていたことがわかる

また、朱の橋にいる破戒僧は「竜の割符」持っていることから、もとは竜側の人間だった事が分かる。ところが破戒僧もまた蟲に憑かれ、蟲憑きに落ちたがゆえに源の宮への立ち入りを禁じられ、門番として使われているのである

以上のように桜竜のお膝元である源の宮においても、竜と蟲の対立は、蟲が優勢である


仙郷

桜竜のいる仙郷でも、それはかわらない。
桜竜には蟲と対立した傷痕が残されているのである
 
左腕はちぎり取られ、胸元は大きく抉られている


桜竜は蟲との戦いによって力をほとんど失い、現し身を失った結果ようやく磐座に宿っている状態である。であるがゆえに、源の宮は荒廃し隻狼が訪れた時のような姿となったのである


では、そもそも蟲とは何なのか、どこから来たのであろうか

竜と蟲との最初の接触は、「神食み」のテキストによって示されている

神食み
葦名のひと際古い土地に生える草木には、
名も無き小さな神々が寄っていたという
これは、そうした草木を練り上げ作られる
神々を食み、ありがたく戴く秘薬である
だが、神なる竜が根付いたのちは、
そうした小さな神々は、姿を潜めてしまった…

ここに登場する「草木に寄る小さな神々」こそがである。草木に寄りつき生きるというのは、現実の昆虫の生態と同一である

神なる竜の到来により、小さな神々は姿を潜めたのだという。消滅したのではなく「潜めた」のである。まだ彼らはどこかに存在しているのである

彼らが潜んだ先は、源の水である

神ふぶき怨霊払いの加護を持った紙ふぶき
紙を抄くというが、
源の水で行うそれは、神を掬うことでもある
神宿りの紙ふぶきは、浴びた者に加護を降ろす
怨霊の類にも、攻撃が通じるようになる

神を掬う、それはつまり源の水の中には神がいるということに他ならない

この小さな神が憑いた状態が、蟲憑きである

蟲が「付いた」わけでもなく、「寄生」したわけでもない。蟲が「憑いた」のが蟲憑きである。この憑くという字は神霊などが憑く場合に使われる字である

それは最初から、現実的に存在する蟲ではなく、神霊的な蟲が憑いたことを示唆しているのである


源の水

源の水には小さな神々(蟲)が溶けている。しかしながらそれは、源の水の一側面しか説明していないのである

源の水には、桜竜に由来する成分(血)も混じっている

つまり源の水にも、竜 vs 蟲の構図が見出せるのである。竜か蟲かどちらか一方ではなく、どちらも含有されているのだ

それを象徴的に表わした場所がある

菩薩谷の獅子猿の住処だ

この場所には、源の水が濃くなった場所に咲く「馨し水蓮」と、蟲憑きが同居している

源の水の竜の側面が馨し水蓮となり、蟲の側面が獅子猿として現れているのだ



変若水

源の水の竜と蟲の二面性は、それを濃縮した変若水となっても保たれる

香花の手記
九郎より授かった手記
かつての竜胤の御子、丈が記したもののようだ
 巴の一族は、かつて源の香気を集め、
 宮に至ったと言う
 源より流れ出ずる水こそが、香気の鍵だ
 源の水が濃く溜まった場所
 つまり変若水が溜まる場所ならば、
 あの白い、香気をまとう花が咲いておるやも…

葦名の赤目を生む変若水は竜の側面であり、一方仙峯寺の死なずの求道者たちが扱うのは、変若水の蟲の側面である

道順の扱う変若水とは、変若水に含まれる竜の成分を利用したものであり、ゆえに赤目となり火を恐れる。また変若水の澱とは、竜の成分を結晶として析出したものである

蟲憑きとは、変若水に含まれる小さな神々(蟲)を人に憑かせたものであり、死なずの求道者たちの研究テーマである

双方は同じ源の水を扱いながらも、利用する側面が異なるのである。ここにもまた葦名衆(竜)/仙峯寺(蟲)という対立項が見られるが、それは葦名の地に貫かれる、竜 vs 蟲の対立構造を踏襲するがゆえである

おそらく葦名の地に存在するすべてのものが、この対立構造を含んでいると思われる(変若の御子については後述する)


仙峯寺

仙峯寺の「」という字、また仙峯寺本堂から眺めることのできる「仙郷」の姿。開祖仙峯上人の桜竜への関わりなどから、もともと仙峯寺は、仙郷を遙拝するために建立されたことがうかがえる

もとは竜の寺だったのである。だが、開祖仙峯上人が蟲に憑かれたことを桜竜からの賜り物だと勘違いしたことから、仙峯寺は仏道を離れていく。

死なずの探求は、仙峯寺の本来的なあり方でないことは、変若の御子のセリフからも明らかである

「この仙峯寺は、今や御仏の教えより外れた場 みな、僧であることを捨て 死なずの探求に魅入られてしまいました」(変若の御子)

では仙峯寺の本来の目的とは何か?

変若の御子を造ることである

もとは竜側の寺であり、当初は変若水の「竜の成分」を使って「変若の御子」を生み出そうとしていたのである。またそれは多数の犠牲の上に「変若の御子」として結実している

この「変若の御子」ひいては「揺り籠」の作製を命じたのは、神域にいる巫女である。揺り籠のあれほどややこしく詳細な造り方を知っているのは、自身が揺り籠であった巫女しかいない

が、いつの頃からか蟲が仙峯寺の実権を掌握。仙峯上人は主流を外れ、変若の御子は奥の院にこもってしまう

仙峯寺の堕落の背景にも竜と蟲の対立構造が存在するのである

※変若の御子の具体的な作製法であるが、妊婦の胎内の羊水を変若水に入れ替えることで、胎児を神の水に浸し、人でなく神として誕生させようとしたのであろう
※変若水には蟲も混じっているので、悲劇的な結果を迎えたことも多かったと思われる


話は少し変わるが、仙峯寺の本尊は、水瓶(すいびょう)をもった十一面観音菩薩像である。他にいくつか仏像は存在するが、その数も大きさも十一面観音菩薩像が圧倒している

なぜ水瓶を持った十一面観音菩薩像でなければならないのか

開祖、仙峯上人がその姿を仏の理想としたからである

観音菩薩の起源は諸説あるが、そのなかにペルシア神話に登場する水の女神アナーヒターであるという説がある

仙峯寺の観音菩薩像が水瓶を持っているのは、水神としての属性を強調したかったからであり、また落ち谷の白衣観音が赤子を抱いているのは、その女性性を強調するためである


つまり、SEKIRO世界の観音菩薩像は、女性なのである

水を司る水神であり、かつ女神である観音菩薩。仙峯上人はいったいどこから、この理想を見いだしたのか

神域にいる巫女である



巫女

この女性は桜竜の宿る磐座に寄りかかっていることや、「巫女」と呼ばれること、また桜竜から拝涙した後は、「静かに眠っている」ことなどから、桜竜と関わりが深いことがうかがえる

また宮の貴族たちよりも一層古い服装であること、竜胤が移動するためには「揺り籠」に入らなければならないことなどから、桜竜が西からやって来たときに宿っていた「揺り籠」と考えられる

※巫女がすでに「揺り籠」の用を為さないのは、自らが竜胤を宿して帰郷しないことからもわかる

この巫女こそ、仙峯寺にある十一面観音菩薩像のモデルであり、仙峯上人が理想の仏としたものであろう

落ち谷にある白衣観音像が赤子を抱いているのは、巫女の揺り籠としての姿を描写したものであり、つまりあの赤子は竜胤なのである


また仙峯寺を初めて訪れた時、仏画から変若の御子の声が聞こえてくるが、ここに描かれているのは勢至菩薩である。つまり変若の御子は勢至菩薩の化身として表現されているのであるが、勢至菩薩と対になる菩薩が、観音菩薩なのである

勢至菩薩の化身である変若の御子が揺り籠であるのなら、それとになる観音菩薩、つまり巫女もまた揺り籠であってもおかしくはない

また観音菩薩は、普門示現(ふもんじげん)といって、『あまねく衆生を救うために相手に応じて「仏身」「声聞(しょうもん)身」「梵王身」など、33の姿に変身すると説かれている』(wikipedia)

つまるところ、十一面観音菩薩像は巫女の水の女神である姿、白衣観音は巫女の揺り籠としての姿、磐座に寄りかかる巫女は桜竜を祀る祭司としての姿、をそれぞれ表わしたものである

そしておそらく、「真の仏師」でもある

平田屋敷の隠し仏殿に巨大な十一面観音菩薩像があるのも、その背後に観音菩薩の神通力が存在するからなのである

源の水への信仰を禁じられた葦名衆のために、代わりとなる仏像を彫り与えたのである。猩々がいうように、仏像の姿形は仏師にはコントロールできず、本人を表わす十一面観音菩薩像となったのだが、それは揺り籠、つまり神の御子が彫った仏像であるがゆえに超常の力を獲得したのである

だが竜と蟲の戦いは密かに続いていたのである


桜竜 vs 蟲

一時は潜んだ蟲(神々)であるがやがて勢力を増し、水生村や仙峯寺、さらに源の宮にまで侵入していき、最後は仙郷にいる桜竜にまで到達してしまった

蟲に体を蝕まれた桜竜は左腕を失い胸を抉られ現し身を失って磐座に逼塞した

ほとんど死んだも同然である。いや、実際死んでいるのかもしれない。だが、桜竜は自分の分身とも言えるべきものを、現世に産み落とした

竜胤の御子である

竜胤の御子は蟲に汚染された源の宮を脱出。蟲から逃げるようにして、葦名の地に降りて来たのである

その当時はまだ「変若の御子」は完成しておらず、竜胤の御子を他の土地に移動させる「揺り籠」も存在していなかった

葦名の地に足止めを喰らったまま年月が過ぎ、故郷へ戻ろうとするも不死斬りがないために果たせない。

そうこうしているうちに丈の咳が酷くなり、故郷へ帰るどころではなくなってしまった

もはや可能なのは竜胤を断つことぐらいであるが、仙峯上人は当然ながら協力しない

その後のことはよくわからない。丈は死んだのか、人返りを果たしたのか、それとも仙郷へ帰ることができたのか。どれもあり得る話であるが、この考察ではこれ以上は触れない


まとめ

さて以上のように、葦名の地は上から下まで竜 vs 蟲という対立構図に貫かれている
二つの得体の知れない「神と神々」によって人間は多大な迷惑を被っているわけだが、人間側もまた竜と蟲の旗印の下にやり合っているわけだから自業自得と言える

 今回は巫女=揺り籠説をとったが、巫女=巴説でも細部が異なるぐらいで大意に相違はない。次回は巫女=巴説を考察してみたいと思う



9 件のコメント:

  1. いつも作者様の知識と洞察力の深さに驚かされながら拝読しております。
    完全に思いつきで、以前に考察済みかもしれませんが、Bloodborneでは赤目の狩人からは「虫」が得られましたね。世界観を共有すると考えると少し興味深いのではないでしょうか。

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    1. 「淀み」が呪いや蟲といった忌まわしいもの(不死)を生みだすという共通した観念がソウルズボーンにはある気がします(考察31 ストーリーでも少し触れました)

      クトゥルフ的なシェアワールドの構築を宮崎氏が企図していたとしても不思議ではないですね。SIEが関わっているので公認は難しいと思いますが、ユーザーがメタ視点から考察することも想定内なのかもしれません

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  2. ありがとうございます
    動画の件ですが、なるにぃ様より参考にしたいという旨のDMをいただいたので、許可したものです。動画の説明文にURLを載せていただければ、私としては問題ありません

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  3. このコメントは投稿者によって削除されました。

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  4.  考察、拝見させていただいてます。
     考えもしなかった着眼点がたくさんあって驚くと同時に楽しませていただいてます
     
     私見ですが、桜竜への蟲の侵食と同時に、蟲への桜竜の侵食もあるのでは。
     首無し獅子猿は、猿の頭からではなく首の切断面から変若水を飲んでました。それが不死のムカデが変若水を補給しているように見えました。ムカデの不死の力は桜竜の力で、蟲も桜竜の侵食で変若水が無いともはや生存できないのではないでしょうか。
     胎内巡りの仙峯上人ら蟲憑き即身仏たちの死も、変若水を断って蟲が干上がったからと考察しました(服毒死の可能性もありますが。無限の住人に血仙殺という不死殺しの毒がありますし、即身仏は毒物の漆を飲んで体内を防腐処置するそうです)
     葦名の滅亡は、国の滅びだけでなく、桜竜が滅ぶことで小さな神々も滅亡するのでは、と思いました。

     また、桜竜の竜胤脱出計画ですが、狼も御子と出会う前から桜竜の駒の1つと言う気がします。
     SEKIROの作り込みから考えて「オカミ」と「オオカミ」にも結びつきがあるように思います。私は初見プレイ時、常桜の枝の入手前、狼が源の香を「懐かしい」と言ったのは源の宮の出身だからと思いました。一番出自が謎なのは孤児である狼なので、そう思った次第です。

     長々と申し訳ありません。

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    1. 蟲憑きは変若水を断つと死ぬ(干上がる)という考察はとても説得力があると思います
      蟲憑きによる不死も回生の力と同じく代償が必要であると考える方がより自然ですね

      この考察では変若水には神々が溶けているという説をとっているので、枯渇するのは桜竜の力というより神々の供給が断たれた結果として「憑きものが落ちた」ということかもしれません

      源の香気に対する隻狼の反応は、義父(ふくろう)が常桜の枝を懐に入れていたからではないかと思われます。ただ、源の香気を嗅いだときに「源の宮」という言葉が隻狼の頭に浮かぶことから、源の宮を目指した者たちの系譜を継いでいるとも考えられる気がします

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  5. 仙峯上人が蟲を竜からの授かりものと勘違いした、との説ですが、仙峯上人が仙峯寺の建立をしたとするなら設立当初、あるいは相当初期から蟲付きだったと考えられるので、(そうでないなら寿命で死んでるはず)途中から蟲に侵食された、という説はあてはまらない気がするんですよね。
    やはり破戒僧同様に蟲と竜には本来なんらかの共生関係があったのではないか、と思っています。

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    1. 仙峯寺に到着した際に変若の御子が
      「この仙峯寺は、今や御仏の教えより外れた場」と言います
      なぜならば、「みな、僧であることを捨て 死なずの探求に魅入られてしまいました」

      死なずの探求とは、蟲による不死の探求かと思われます

      蟲に関する探求が「御仏の教えに外れる」ことを意味するのならば
      もともと仙峯寺は蟲とは関係のない教義を奉ずる寺だったと思われます

      その開祖が仙峯上人ですから、やはり仙峯上人はかなり長い期間、ふつうの僧侶だったのではないかと思います

      竜と蟲の共生関係については同意です。共生と寄生とは視点が違うだけで同じ事象であり、だからこそ仙峯上人も蟲を竜の賜り物と思ったのではないでしょうか

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  6. ご返信ありがとうございます。仙峯寺がどれくらい昔からあるのか、変若の御子と蟲は本当に無関係なのか、やはり新情報が無い限りははっきりとは分からないですね。
    竜と蟲の対立における白蛇の立場って何かというのもよくわからないですし。

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