クリアしたのでエルデンリングのレビューを書く(クリア後レビューという性質上、かなりのネタバレが含まれる)
クリア時間は47時間、Lv118
クリア時ステータスはこのような感じ |
その後いろいろあって、こうなりました |
観たエンディングは「エルデの王」と「星の世紀」の二種類
総評
一言でいうと「より多くの人が楽しめるようになったフロムゲー」である
装備や戦技、遺灰を揃えればほとんどの人がクリア可能な難易度になっている
極論すれば「霊体を殴っているボスを後ろから攻撃する」、という戦法のみでクリアできるからである(筆者もこれでクリアした)
つまりこれまで途中で挫折してしまったプレイヤーもフロムゲーをクリアしたという達成感を味わうことができるのである(その達成感が過去作と同様とは言っていない)
その成功が端的に表れているのが、メタスコア97点という数字であろう
97点という高得点を得るには単に面白いだけではなく、誰にでも楽しめるゲームである必要がある
ゲームメディアのレビュワーも人間である。ボスを倒せず挫折したゲームに高得点を与えるとは思えないし、逆に気持ちよくゲームをプレイできればそれは得点に反映されるであろう
すなわち最大多数のプレイヤーに、いかにしてフロム的な達成感を味わってもらうかを追求した結果がエルデンリングなのである
ある意味でエルデンリングは万人に向けたフロム流の“おもてなし”といったところであろうか
エルデンリングのメタスコア97点という数字には、これまでのフロムゲーが高難易度であるがために取りこぼしてきた無数の人々の達成感が含まれているのである
ただし万人受けするということは、尖った部分が丸くなっていくのと同義である
これまでプレイスキルのある人間か、あるいは下手でも努力する者のみが到達することの出来た「ゲームクリア」という聖域はもはや存在しない
そこは誰もが到達できる領域であり、その聖性は剥ぎ取られ、天と地の狭間にある地上へと引きずり降ろされたのである
言うまでもなく、この狭間の地こそが最も多くの生命(プレイヤー)が住む領域である
オープンなフィールド
オープンワールドではなく、オープンなフィールドと強調していたのは、狭間の地は「世界」というよりも、プレイヤーの遊ぶ「フィールド」だからであろう
一般的なオープンワールドがその世界の内にいる特定の人物を視点にしてストーリーを展開するのに対し、エルデンリングはキャラクターとプレイヤーがイコール(=)で結ばれている
簡単にいうと、ゲームにおいてプレイヤーがとったすべての行動が、そのキャラクターのストーリーになるのである(これはフロムゲーすべてに当てはまる)
狭間の地はプレイヤーが自分だけのストーリーを展開するために用意された「フィールド」なのである
エルデンリングの設定やストーリーラインは、プレイヤーが自分なりのストーリーを展開するための補助具であり、決して主軸ではないのである
こうした自分という主体が高次からゲーム内のキャラクターを俯瞰しているような視点、メタ構造はTRPGを踏襲したものであろう
いうなればエルデンリングは巨大なTRPGの箱(ゲームマスター付き)であり、狭間の地はそれを広げるためのテーブルなのである
巨大なTRPGの箱とテーブルを前にしたプレイヤーが期待するのは、ムービーを長々と観せられることではないし、分厚い設定書を読まされることでもない
ゲームに対してプレイヤーが何を期待しているかというと、ゲームで遊ぶことである
エルデンリングという万能のGM(ゲームマスター)に手を借りながら、自分だけのストーリーを遊ぶこと。それはRPG(ロールプレイングゲーム)の本質に立ち返ったような王道のスタイルである
遺灰と戦技
ここからは実際のゲームプレイの話になる
遺灰が強すぎる点については賛否両論あると思うが、遺灰を使用するしないもプレイヤーに委ねられている
遺灰はプレイヤーのとれる選択肢のひとつであり、決して強制されているわけではない
筆者は遺灰の誘惑に抗えず「写し身の遺灰」を最後まで使ったが、遺灰は縛るべきだったかもしれない、という後悔の念が少なからずある
フロムが「自由」を強調していた理由も、おそらくはこのあたりにあるのだろう
強い遺灰を使うのも、強い戦技を使うのも「自由」である。ただしその自由を行使した者は、自身の選択に責任を持たなければならない
もちろんこの選択は不可逆的なものではなく、考え直してやり直すという自由も与えられている
もし仮に好きなだけエルデンリングをプレイ出来る時間が与えられていたとしたら、どれほど時間がかかろうとも遺灰を縛ってソロで攻略したであろう
ただし筆者のゲームの腕前では、ソロでクリアできる自信はない(というか面倒なのでまた遺灰に頼るに違いない)
あるいは高難易度と定評のあるフロムゲーを敬遠していた人たちも同じような思いを抱いていたのかもしれない
そうした人たちに訴求する意味でも、遺灰の存在は本作においてなくてはならない存在と言える
一部の戦技がバランスを崩壊させるほど強い点についても、それが多くのプレイヤーを救うのだとしたら仕様といえるのかもしれない(「霜踏み」はさすがに修正されそうだが)
実のところ筆者も猟犬の長牙の戦技「猟犬の剣技」のごり押しでほとんどのボスを倒してしまった
ただし「猟犬の剣技」は発生がやや遅いのと、二撃目のタイミングをずらせるというテクニカルな部分もあったりと、強いだけではなく使っていて楽しい戦技でもある
入手した当時は強いと知れ渡っていたわけではなく、かなり迷った末に使い始めたのだが、それが逆に武器の選択肢を狭める結果となってしまった
別の武器をメインにしていたら、より多くの武器や戦術を使っていけたのかもしれないと、これもやや後悔している
他の武器を試したこともあるのだが、どうしても猟犬の長牙と比べてしまって実用するにはいたらなかったのである
世界
オープンなフィールドの探索に関しては、何かありそうなところには必ず何かがある、というBotwの時に感じたようなゲーム的な楽しさがある
反面、空気感というか世界に浸っているという感覚は薄く、景色は美しいものの心に響いてくるものが少なかった
個人的には「Valheim」の方が空気感は好きである
世界に浸るという点では、フロムの過去作「デラシネ」がVRだけあって最高で、DS1やブラッドボーンも非常に良かった
よってフロムに世界の空気感が出せないというわけではなく、これは意図的なものかもしれない
ただしエルデンリングのそれには、DS2で感じたような人工感というか構築感があって、人為的な都合を感じてしまうのである
確かにマップはシームレスに繋がっているし、新しいエリアに来ると風景がガラッと変わるのは良いのだが、DS1でアノール・ロンドに到達したときのような感動はない
なんとなく、エレベーターに乗ったら熔鉄城に着きました、というのが連続しているような感覚である
例えばデモンズソウルのようなステージ制ならば、がらりと風景が変わることも受け容れやすいのだが、シームレスであることが逆に違和感を創出しているというか、なんとなく繋がりに「偽物感」が出てしまっているのである
DS3ではロスリックには様々な土地が漂着するという設定があり、こうした違和感の低減に奏功していたように思う
とはいえ、まだすべてのエリアを探索したわけではないので、また印象も変わるかもしれない
ダンジョンとボス
レガシーダンジョンはどれも巨大で複雑に入り組んでいる
特に王都は地上と地下とでレガシーダンジョン2個分はゆうにあって、その広大さに圧倒される(ただし、あまりに巨大で開けすぎているので、若干のイザリス感を抱いた)
とはいえ、どのレガシーも適切な位置に祝福が置かれているのでダレずに探索することができた
ちょうど聖杯瓶が尽きる頃に次の祝福に到着するのは、そのようにデザインされているからだろうか。このあたりの塩梅はさすがである
中ダンジョンはレガシーよりも小さいがテーマが明確であり、正規ルートでないことから、ボスが強くされているのも歯ごたえがあってよい
小ダンジョンはよく見ると使い回しが多いものの、様々なギミックが用意されており、反復感はそれほど感じなかった
また聖杯ダンジョンに通じるところがあり、ダンジョン構造を把握していれば、スムーズに攻略することができるようになっていた
肝心のデミゴッドに関しては悪名高い2人組ボスたちに比べて正統派の強さであった(マレニアは未討伐)
ライカードは恒例の特殊剣を使ったイベント戦だったが、これまでのそれよりも爽快感は増している
大ボスたちとの戦いはどれも面白かったが、それはボスエリアが基本的に広いのと関係があるような気がする
狭いところに巨大ボスと閉じ込められると、もはや敵はボスではなくカメラになってくるからである
また狭いエリアで2体のボスと戦わなければならないシチュエーションも非常に辛い
ストーリー
これをもっとも楽しみにしていたのだが、ジョージ・R・R・マーティンの作風を彷彿とさせる部分はあまりなかった(ホスローのアレは「ゲーム・オブ・スローンズ」のオマージュだろうな、ということくらいか)
またストーリー自体も過去作と比べて平坦なような印象である
例えばブラッドボーンで見せた鮮やかなプロットツイスト(物語の急激な転換)はなく、最初から最後まで「王となれ」というメインストーリーに沿って話は進んでいく
そのかわりといって何だが、メインストーリーは分かりやすくはっきりしている
本作では過去作の光と闇の相克のように、黄金律と星の相克が描かれ、それによって悲劇的な出来事が起こったことがうかがえる
すなわちゴッドウィンが殺されたのも、カーリア王家が滅亡したのも、黄金律と星の闘争の果てのことである
黄金律と星が象徴するのは「光/闇、昼/夜、生/死、永遠/必滅、永世/流転、創成/滅亡」など様々であろう
エルデンリングとは、回転することによりこれらの対立する二つの概念を生み出す世界摂理の円環のことである
その円環を女王マリカは砕いた、つまり黄金律と星の円環を停止させてしまったのである
マリカの槌
狭間の外、稀人の地で作られたという石槌
女王マリカが、エルデンリングを砕こうとし
ラダゴンが、それを修復しようとした得物
エルデンリングが砕かれたことで世界摂理の円環は回転を停止し、世界や生命は生でも死でもない曖昧な状態に置かれてしまったのである
それ故に大いなる意志は環を再び動かすべく、世界を黄金律あるいは星に傾けることのできる褪せ人を呼び寄せたのである
大いなる意志の“意志”としては、褪せ人が黄金律を復興させようとも、あるいは星の世紀をもたらそうとも、世界摂理の円環が再び動き出すのならば、どちらでもかまわなかったのである
エルデンリングの修復が成されれば、世界摂理の円環は再び動き出し、世界に黄金律と星の、すなわち生と死の円環がもたらされるからである
マリカが砕いたように、また大ルーンによって修復されるように、エルデンリングは物質としても存在するである
しかしながらエルデンリングの本質は、その円環が回ることにより生み出される、創成と滅亡を果てしなく繰り返す永遠の円環のことである
NPC
ただし上記のエルデンリング解釈はあくまでも暫定的なものである
NPCイベントをほとんど見逃しているうえに、アイテムテキストも精査していないのでストーリーに関して断定することはできないからである
唯一完走した「ラニ」イベントにしても、ブライヴやセルブスのイベントは見ていない
情報不足を承知であえて語るとしたら、本作のヒロイン格のNPC(ボス)は過去作における「火防女」や「人形」と類似した物語背景をもつ印象を受けた
すなわち救済と滅びを一身に体現した存在である
それに加えてDS2に登場した深淵の落とし子たちの要素も見受けられる
デュナシャンドラのソウル
何処からか現われた深淵の落し子たちは
この地で王たらんとする者に、影のように寄り添った
渇望の鎌
かつて深淵にあった者は
滅びと共に、無数の破片に分かれ散った
やがて形を成したそれは、より強い力を求め
強いソウルに惹かれ、這い出した
深淵の落とし子たちとは、渇望の使徒デュナシャンドラ、憤怒の使徒エレナ、孤独の使徒ナドラ、恐怖の使徒アルシュナのことであり、全員が女性である
褪せ人は彼女らの王となり、彼女らの願いを叶えるべく東西奔走し、次の世界の在り方を選択するのである
それは彼女たちのうちの誰を選ぶか、という選択に等しい
過去作と同様、エルデンリングもある意味でギャルゲーである。特にラニイベントは途中で完全にギャルゲーになっていた
それはともかく、ヒロインと褪せ人の関係性は源流を辿っていくと「淑女とその騎士」に行きつくのかもしれない
それはアーサー王伝説におけるランスロットとグウィネヴィアであり、または本国のかぐや姫もそれに近い
淑女と騎士というと淑女と男性騎士というイメージが湧くかもしれないが、かのエドマンド・スペンサーの『妖精の女王』にもすでに女性騎士が登場していることから、騎士は男性に限定されない
騎士とは性別ではなく、忠節を誓った相手から与えられた試練に命がけで挑むという生き様なのである
蛇足
語り尽くせていない部分も多々あるのだが、まだ倒さなくてはならないボスがいるので、このあたりで切り上げる
クリアお疲れさまです。
返信削除自分は遺灰はある程度縛っていましたが、終盤のあるところで解禁してしまいました
>>なんとなく、エレベーターに乗ったら熔鉄城に着きました、というのが連続しているような感覚である
これはよくわかります。
祝福の置き方について触れていますが、散りばめている施設やダンジョンの感覚も含め
今作までのステージ設計の文法が染み付いてしまっているのかな。
「この辺でそろそろ来るだろうな」と思ったら大体当たってますし…
あとは縦マルチということもありまだまだ「表現したいこと」にハードの制約がつきまとっている気がします。
メモリやロードの都合上どうしても区切られた感を拭えないというか。
ノクローンにしても、外のクレーターから狭い穴をくぐってやっと見えてくるという手法ですが、あれがクレーターの周りから既に折り重なった崩れた建物や深淵な様子が見えているような見せ方だったら大分印象が違っただろうし、きっとそうしたかったんじゃないかなぁとか想像しています。
コメントありがとうございます
削除終盤のあるところというと、「神肌のふたり」あたりでしょうか
あのボスは遺灰を使うのとソロとでは難易度が天と地ですね
自分はレガシーダンジョンの造りは満足しているのですが
オープンなフィールド部分がやや冗長かなと思いました
特色あるエリアを数多く出そうとしたらある程度のワープ感は仕方のないことでしょうし、そのための破砕戦争という設定だったと思います(世界が滅茶苦茶になったので、少し離れると風景ががらりと変化する)
ただし、それじゃ過去作のようなステージ制ではダメだったのか、という疑問が残ります
給仕さんの指摘するように、ステージ設計は基本的に同じですし、オープンなフィールドならではの表現が出来ているかというと…なかなか難しいところです
大穴から永遠の都市が見下ろせたらインパクトあったかもしれませんね。大穴が開いたことで世界の様相が一変しても面白かったかもしれません(現状、クレーターがひっそりと出来ているだけなので…)
マリカはなぜエルデンリングを壊したんですかね?
返信削除色々調べたのですがその辺がよく分かりません
これは一つの解釈ですが、マリカはゴッドウィンの死を受け容れることができず
削除生と死を司るエルデンリングを破壊することで、彼の死を無効にしたかったのだと思います
その結果、生死の理は破壊され、狭間の地には死に生きる者たちが現われたのだと考えられます
横から失礼します。
削除マリカがエルデンリングを壊した理由なんですが、女王の閨でのマリカの言葉を見ると、もっと複雑な理由がありそうな気がするんですよね。
子供を殺されたからどうにか生き返らそうとしている母親の感じの言葉ではない。
そもそもゴッドフレイがなんで祝福を奪われたのかとか、なぜ推定円卓がゴッドウィンを殺したのかとか、わからないことが多すぎてあれですが・・・・・
終盤説明不足過ぎる気がします。
かなりしっかりしたストーリーが後ろに隠されてそうなんですけど、今のところアイテムの説明文とかからはそれがわからない。
イベントは大体回収したと思ってるんですが、逃してるんでしょうかね……
「おお、ラダゴン、黄金律の犬よ。お前はまだ、私ではない。まだ、神ではない。さぁ、共に砕けようぞ! 我が半身よ!」
ギデオンとかいろいろ情報あげて、欲しがってるあげられる情報をたぶん全部上げたのでなにか終盤するのかなと思いきや、ただボスとして立ちふさがっていただけですし。
削除おそらく黒炎を使っていることやいろんな情報から神肌の使徒で、宵眼の女王に仕えていたんだろうとは思うんですが。
そもそも円卓陣営は褪せ人というより、宵眼の女王陣営感にありますしね
うーん、情報を整理したら見えてきそうな来なさそうな……
マリカがエルデンリングを砕いた理由については考察しているところなのですが、オープニングの文章から判断すると、上の私の意見は間違っていたことになります
削除偉大なるエルデンリングは砕けた
霧の彼方、我らの故郷、狭間の地で
永遠の女王マリカは隠れ
黒き刃の陰謀の夜、黄金のゴッドウィンが最初に死んだ(オープニング)
オープニングの文章を読解する限り、マリカがエルデンリングを砕いたのはゴッドウィンの死よりも前になります
よってマリカがエルデンリングを砕いた理由として、ゴッドウィンの死以外の理由が必要となってきます
そこでゴッドウィンの運命的な死を避けるため、エルデンリングを砕いて死のルーンを取り除いた、ということも考えたのですが、そうすると黄金律の始まりがエルデンリングを砕いた後になってしまうんですね
死王子の修復ルーン
黄金律は、運命の死を取り除くことで始まった
ところが、黄金樹が完全性を失ったのはエルデンリングが砕けた時のことですから、黄金樹の時代は黄金樹が不完全になった後に始まることにもなります
黄金の種子
それは、エルデンリングが砕けた時
黄金樹から各地に飛来した
生命が、自らの終末を悟ったかのように
またマリカの言霊からはゴッドウィンから祝福を奪ったのはマリカ自身であり、それも褪せ人として戻ってくることを期待していた節もうかがえます
我が王よ、王の戦士たちよ。お前たちから、祝福を奪う
そして、その瞳が色褪せるとき、狭間の地を追放する
外に戦を求め、生き、そして死ぬがよい(マリカの言霊)
そして、お前たちが死した後、いつか奪ったものを返そう
狭間の地に戻り、戦い、赴くままにエルデンリングを掲げるがよい
死と共に、強くあれ。王の戦士たちよ、我が王、ゴッドフレイよ(マリカの言霊)
おそらくマリカはゴッドフレイを追放することも含めて、何らかの計画のもとにエルデンリングを砕いたのではないかと思われます
直接的な根拠はありませんが、ラニと同じく大いなる意志からの解放を目指したのかもしれません
ラニの死やゴッドウィンの死、メリナの誕生も含めて、マリカの手の平という可能性もあるような気がします
マリカ=DSシリーズのベルカなのかなぁ、と思う次第です
ギデオンに関しては、デミゴッド情報の見返りに貰える「王たる聖防護」に、彼がすでに二本指や黄金樹を見限っていたことが記されていますね
削除王たる聖防護
二本指との長き対話の後、ギデオンは悟った
すべて、とうの昔に壊れていたのだ
老いさらばえた震える指も、黄金樹も
ギデオン=オーフニールという名前も
ギデオン:ヘブライ語で「偉大な戦士」あるいは「切り倒している人」と解釈することもできる
オーフニール:北欧神話で、宇宙樹ユグドラシルの根元でとぐろを巻いて根をかじっている蛇のうちの一匹。原義は「とぐろを巻くもの」
という意味なので、作中の彼の言動と合っている印象です
百智の兜には、そんな彼が女王マリカの“遺志”に触れたことで、あるはずのない終わりを感じて恐れたことが記されています
百智の兜
知とは、自らの無知を知ることであり
知ることの終わりなきを知ることである
だが、女王マリカの遺志に触れた時
ギデオンは恐れてしまった
あるはずのない終わりを
この“終わり”とは、百智の兜や百智の王笏によれば「識ることの終わり」と考えられます
百智の王笏
その珠は、世界であり、宇宙であり、瞳であり
識ることの終わりなきを示している
それでも、百智卿は手を伸ばすのだ
これは全てを識ってしまったことで終わりを感じたということでなく、人間知性の限界を認識して絶望したということなのかもしれません(ウィレームのように)
また黄金樹を見限り、神狩りの黒炎をも操る彼が最期に発した言葉が「…人は、神を殺せぬのだ」ですから、マリカの遺志に触れた時点で彼の信条は転回したと思われます
問題は彼がいつマリカの遺志に触れたかについてになります
恐らくは黄金樹の拒絶の刺が消えてから最初に黄金樹内部に侵入したのが彼だったと考えられます
そこでマリカの遺志に触れたギデオンは、マリカが相手にしているモノの正体に気づかされ、マリカさえ神と呼べなくなるような、もっと巨大な神性の存在を識ったのかもしれません
彼の「…人は、神を殺せぬのだ」というセリフは、マリカやエルデの獣を指しているのではなく、大いなる意志という神を指しているのかもしれません
訂正:ラニの死やゴッドウィンの死→ラニの行動やゴッドウィンの死
削除あー、なるほど
削除ギデオンのあの言葉はエルデの獣とかじゃなくてもっと大きな、外なる神たちを指していたと。
ありえそうですね。
てっきり円卓結成あたりですでにマリカの遺志を見ていたと思っていたんですが、黄金樹が燃えてからという可能性もありますね。
というかゴッドフレイが唐突に出てきましたが、あいつどこにいたんだよと。おそらく円卓のどこかにいて、黄金樹が燃えたことで縛りがなくなって帰ってこれたと思うんですけど、OP以外で欠片も存在が出ていなかったのに、伏線がなさすぎる……
ギデオンは諸々の情報から宵眼の女王陣営だと思うので、女王のために動いていたということもあると思うんですけど、結局女王も出てきませんしね
自分もすべてはマリカの遠大な計画だったんじゃないか、とは思っています。
鍛冶師の人しかり、黒剣のマリウスしかし、ラダゴンしかり、火の巨人もしかり、みなマリカの干渉を受けている。
というか本編はいろいろ消化不足なんですよね。
まず大いなる意志が結局出てきていない。エルデの獣は大いなる意志の遣わせた存在ですが、それだけで大いなる意志の意思表示とはいいがたい。
ただマリカがエルデンリングを壊したことと、それと破砕戦争で最終的にデミゴットたちが大いなる意志から見捨てられたことから、おそらくマリカと大いなる意志は敵対していた。マリカがラダゴンを黄金律の犬と呼んでいたことからもそれは察せられる。
なぜマリカはラダゴンにともに砕けようぞ、って言ってたんでしょうね。お前はまだ、私ではない。まだ、神ではない。これらのことからラダゴンがマリカに成り代わるのは既定路線かもしくはラダゴンの野心を知っていたということになると思いますが。
イベントやアイテムを逃していないと仮定するなら、DLC待ちなんでしょうか。
ここまで強大な存在を残しているんだからDLCはやってくれるでしょうし。
もしくは大いなる意志の掘り下げについてはエルデンリング2に持ち越しなんでしょうかね。
SEKIROの竜胤やダークソウルのダークソウルもそうでしたが、宮崎氏の作るゲームは中心概念がすっぽりと中空状態になってるようですね(秘するが花というやつですか)
削除なので大いなる意志もDLCが出たとしてもはっきりとは提示されないという恐れも…
ただ、エルデンリングを作るに当たって宮崎氏が大きなインスピレーションを受けたという「エターナル・チャンピオンシリーズ」を参考にすれば、大いなる意志は「宇宙の天秤」に近い神性なのだと思われます
宇宙の天秤というのは、宇宙の秩序と混沌のバランスを司る上位の神です
そして宇宙の天秤の釣り合いを保つために戦うよう運命づけられた戦士が主人公です。具体には秩序の神と混沌の神との闘争によって崩れてしまったバランスを調律するのが役割です
大いなる意志も宇宙の天秤に近い機能を持っているのかもしれません(バランスを修復するために褪せ人を使わす)
「共に砕けようぞ」は、エルデンリングを壊そうとするマリカと、それを修復しようとするラダゴンの対立関係を表わしたものかなと思います(あまり深く考えていませんが)
壊れかけのマリカとラダゴン、どちらが先に壊れるかという持久戦の末に最期は相打ちになって共に砕けるだろう、というマリカの負け惜しみのようなものでもあるでしょうか(一心同体なので片方が砕けたらもう一方も砕けますね)
「まだ、私ではない。まだ、神ではない」は、当代の神であるマリカが生きている限りラダゴンは神になれないということなのかもしれません
宵眼の女王については、今のところの私の解釈を記事にしてみました(推敲してないので仮公開ですが)
https://souls-seed.blogspot.com/2022/03/2.html