1.飛び猿
2.猩々(隻猩)
3.仏師
まずはそれぞれの名を名乗っていた時期を同定しようと思う
飛び猿時代
仏師に猿酒を振る舞う…いや。二人で、じゃな
儂らは、はぐれ忍び…
まともな師は、もはや、おらなんだ
ゆえに、落ちれば死ぬ谷で
ただひたすらに、駆け、跳び、刃を交える…
そのような修行を重ねた
…じき、猿と変わらぬほどには、動けるようになったわ
…修行に飽きると、儂はこの猿酒を飲んだ
そして、あやつの、泣き虫の指笛を聞いた
「はぐれ」と付けるからには、それ以前も「忍び」だったのである。また、「まともな師は、もはや、おらなんだ」というセリフからは、かつては師がいたことがわかる
二人というのは、飛び猿と川蝉のことである
泣き虫
泣き虫の指輪の裏には「川蝉」と彫られている
また修行を重ねた、とあることから「はぐれ」た当初は忍びとしては半人前だったことがわかる
二人はもともと「忍び」になるべく師の元で修行を重ねていた「忍び候補」だったのである
落ち谷で修行していた飛び猿は、川蝉の吹く指笛の悲しげな音が好きだったという
仏師に猿酒を振る舞う
変わった指輪があってな…
それをはめて、指笛を吹くと…
谷に… 悲しげな音が、響き渡るのじゃ
不思議と儂は、その音が好きでな
よう、吹いてもらったものよ
だが、飛び猿は川蝉が消えてしまった理由を知らないらしい
指笛を持って行った時の会話
仏師:お前さん、そいつを…
その指を、どこで手に入れた
隻狼:落ち谷の獅子猿が、食らっていた
仏師:…そうか
猿の腹の中とはな
川蝉が失踪して一人になった飛び猿は、落ち谷を離れて戦場に向かいエマを拾う
竜泉を振る舞う
隻狼:エマ殿とは、長い付き合いなのか
仏師:ああ、ずいぶん前に…
戦場(いくさば)で拾った
それから「何だ彼んだあって」、葦名に厄介になることになる
竜泉を振る舞う
フンッ、何だ彼んだあって…
共に葦名に厄介になることになった
道玄の養女になったのも、その時よ
………
ま、どこだろうが
忍びといるよりゃ、よほど幸せじゃろう
なぜ飛び猿が戦場にいたのかというと、
川蝉を探すためである
落ち谷から姿を消した川蝉がよもや獅子猿に食われているとも知らず、飛び猿は川蝉が落ち谷を出て行ったのだと考え、彼女の行方を追っていったのである
そこでエマを拾ったことになるが、その後に「葦名に厄介になる」ことから、そこは葦名の外である
この時点でまだ飛び猿は「はぐれ忍び」である
というのも、「葦名に厄介になった」際に、「忍びといるよりゃ、よほど幸せじゃろう」と卑下してエマを養女に出すことから、「葦名に厄介になる」とは「はぐれ忍び」を辞めて、主君に仕える「忍び」になったことを示唆するからである
この主君とはおそらく一心であろう。一心の忍びとなることと引き換えに、飛び猿はエマを道玄の養女にしてもらったのである
その後、飛び猿は修羅となり、一心に左腕を斬られる(この間の事情については後述する)
どぶろくを振る舞う
隻狼:その左腕か
仏師:ああ、この酒を好きな御方に…
くく…斬り落とされたのじゃ
隻狼:それは…
仏師:一心様よ
隻狼:…何故、一心様が
仏師:………
…斬って…くださったのじゃ
…プハァー!
飲まれかけた、儂のためにな…
隻狼:何に、飲まれかけたのだ?
仏師:…修羅
この時点で飛び猿はまだ「飛び猿」の名を使っている
飛び猿の忍び斧
落ち谷の飛び猿と呼ばれた忍びが、
かつて愛用した忍具
だが飛び猿は、左の腕と共にこれを失った
飛び猿が一心に左腕を切り落とされた時期であるが、これは国盗り後だと考えられる
というのも、
一心に竜泉を振る舞う
一心:ほう! 竜泉か!
でかしたぞ、隻狼!
…ぷっはぁー! たまらぬ!
カカカッ、この竜泉を儂が手に入れると…
かぎ付けた、馬鹿者どもが
飲ませろと集ってきたものじゃ
隻狼:馬鹿者ども…
一心:酒飲みながら、十文字槍を手放さぬ馬鹿者に…
人の酒を幻術でかすめとる、馬鹿者
盃片手に、作りかけの義手をいじっておる、馬鹿者
それから…
でかい図体で、すぐに真っ赤になる、見かけ倒しの梟もな!
まず十文字槍を手放さぬ馬鹿者であるが、これは鬼庭形部雅孝のことである。そして鬼形部が十文字槍を手に入れたのは、国盗りの血戦の後である
刑部の折れ角
だが、国盗り戦の最中、一本角は折れた
一心は、「見事な折れぶりよ」と褒め称え、
敵将・田村主膳の十文字槍を下賜したという
道玄は国盗り後に「作りかけの義手」をいじっていることになる。また、この酒宴は葦名の城で行われたことから、国盗りを果たしてそれなりに時間が経ち、葦名に平穏が訪れてからのことだと考えられる
エマに竜泉を振る舞う
エマ:いいえ、この竜泉を一心様が手に入れると…
葦名の城に… わらわらと、人が集ってきて
騒がしい、酒宴が始まるのです
そういう時は、道玄様を置き去りに
城の裏手など、散策しておりました
以上のことから、飛び猿が修羅に落ちたのは、一心の国盗りの後、まだ「飛び猿」と名乗っていた時期、となる
※実際には飛び猿の修羅化→直後に血戦→国盗り後に義手作りという流れもありえる。今回は不動明王像との絡みを考え、国盗り後とする説をとったものである
猩々
飛び猿が猩々と名乗るのは、飛び猿が修羅となり、一心に左腕を切り落とされた後のことである飛び猿の忍び斧
落ち谷の飛び猿と呼ばれた忍びが、
かつて愛用した忍具
だが飛び猿は、左の腕と共にこれを失った
というのも、猩々というのは、以下のような姿だからである
能の演目である五番目物の曲名『猩猩』が有名である。真っ赤な能装束で飾った猩々が、酒に浮かれながら舞い謡い、能の印象から転じて大酒家や赤色のものを指すこともある。 (猩々 Wikipedia)
この姿は、「怨嗟の鬼」そのものである。怨嗟の鬼のモーションが歌舞伎や能の影響を受けているのは言うまでもないが、であれば、飛び猿が名乗った猩々とは、真っ赤な猿を指し示してのことであることがわかる
命名したのはおそらく一心である
修羅と化した飛び猿の姿が、能や歌舞伎の「猩々」を彷彿とさせたことから付けた名前なのであろう
一心は相手の容姿から名前を付ける癖がある
出丸の葦名の天狗
天狗:なるほど、隻腕の狼か
気に入ったぞ!
ならば…
隻狼
お主を、そう呼ぼう
隻狼の時と同様に、修羅と化した飛び猿を目にした一心は、その赤い猿然とした姿から飛び猿を「猩々」と呼んだのである
その後、飛び猿は道玄に忍義手を作ってもらい「猩々」という名の「忍び」になったのである
また死なず半兵衛は仏師のことを「隻猩殿」と呼ぶが、これは仏師が猩々と名乗っていた時代から面識があるからである
※おそらく、コミカライズに「忍び、猩々」が登場するのではないだろうか
※コミカライズには荒れ寺に関わる人物が登場するのではないだろうか。仏師、エマ、藤岡あたり(エマはまたもやヒロイン枠ではなさそうだが)
仏師
一心の忍びを辞して仏師となったきっかけは、荒れ寺に置かれた仏像に「一面の葦名を焼き尽くす炎」を見せられたことである過去の平田屋敷を訪問後
隻狼:仏師殿は…
そこの仏で、何かが見えたのか?
仏師:一面の… 葦名を焼き尽くすような、炎…
「何を供えようとも、それしか見えん」と仏師は言う
つまり、仏師もまた隻狼と同じように「別世界への転移」を経験したのである
その世界で怨嗟の鬼と化して葦名を焼き尽くしていた仏師を殺したのが隻狼である
つまり隻狼が過去を見せられたのと対照的に、仏師は未来を見せられたのである
※仏や菩薩には天眼通(てんがんつう)と呼ばれる能力がある
六神通ろくじんずうの一。仏・菩薩、また修行を積んだ人のもつ、現在・過去・未来のすべてを見通すことのできる能力。(大辞林)
修羅
飛び猿が猩々という名前を付けられたことから、修羅の姿は怨嗟の鬼と類似していると推測されるではそもそも修羅とは何か
一心によれば修羅とは、
一心に猿酒を振る舞う
一心:斬り続けた者は、やがて、修羅となる
何のために斬っていたか…
それすら忘れ、ただ斬る悦びのみに、心を囚われるのじゃ
また出丸の老婆によれば怨嗟の鬼とは、
老婆:用がなければ、もうお行き
…もうすぐ、戦になる。惨い戦にね
屍は山と詰まれ、怨嗟は大火のように渦を巻き…
きっと、鬼が生まれっちまうよ
微妙に食い違っているように思える。斬り続けた者がその果てに落ちるのが修羅であり、惨い戦によって生まれるのが鬼(怨嗟の鬼)である
このことから、修羅の姿は怨嗟の鬼に類似しているけれども、怨嗟の鬼そのものではないことがわかる
修羅ENDでは、隻狼が修羅となったのち、「葦名の地に鬼が潜んだ」と述べられるが、この鬼は仏師が怨嗟の鬼となったものか、隻狼が修羅→鬼となったものか判断がつかない
しかしながら、出丸にいる老婆は仏師が怨嗟の鬼となるのは自業、因果だという
老婆:ふん… だったら、しょげっかえるじゃあないよ
ずっと仏を掘り続けてなお
怨嗟の炎に焼かれ、鬼となり苦しむは
…あ奴の自業、因果なのさ
あんたはそれを終わらせた。送ったんだよ
…あ奴も、きっと感謝しているさね…
猩々の自業とは何か。ゲーム内で提示されている情報に限れば、斬り続けて修羅になった、ことであろう
つまり、斬り続けることで人は修羅になるが、一度修羅に落ちた者は、怨嗟が降り積もるようになるのである。その結果、修羅や元修羅は怨嗟の鬼と化すのである
修羅ENDの場合、隻狼という新たな修羅が登場したことで、怨嗟の降り積もり先が、仏師から隻狼へと変更されたのである。よって、葦名に潜んだ鬼とは、隻狼のことである
修羅の姿形に関しては、そのヒントが修羅エンディングにある
黒の不死斬りを持つ隻狼の左腕から紅蓮の炎が噴出している
この紅い炎に全身が覆われた姿が修羅なのである。飛び猿が紅い炎に包まれ、紅い猿となって、それを一心が「猩々」と表現したのである
左腕から紅蓮の炎を噴出する修羅と似た像が仙峯寺に置かれている
五重塔にある不動明王像である
不動明王
本来、不動明王像は左手に羂索(けんじゃく)、右手に倶利伽羅剣を持つのが正しい形であるだがこの像はポーズ的に右手に羂索を持ち、失われた左手に剣を持つ姿となっている
なぜ左右反転してまでこのような造形にしたかというと、剣を持った左腕を欠損させたかったからであろう
不動明王像をよく見ると、左腕から噴出した炎によって左腕が焼失しているのがわかる
つまり、この不動明王像は、不動明王であると同時に修羅を表した像でもあり、元は修羅として怨嗟の炎の降り積もる先だったのである
なぜならば、左腕が炎に焼かれるというのは、修羅、怨嗟の鬼と共通する特徴であるが、この特徴を持つのが修羅となった隻狼、怨嗟の鬼となった仏師、そして不動明王像だからである
不動明王の持つ倶利伽羅剣には倶利伽羅竜王が燃え盛る炎となって巻きついているとされる
この倶利伽羅剣、黒の不死斬りと同様の両刃造り(もろはづくり)である
修羅ENDにおける隻狼は、左手に黒の不死斬りを握り、その左腕からは紅蓮の炎が噴出している
倶利伽羅剣も黒の不死斬りも同じ造りの刀(それも珍しい造り)であり、両者とも炎や修羅や左腕と関連し、かつ不動明王像からは剣が失われている
以上のことから、黒の不死斬りはもとは不動明王像が左手に握っていたものだと考えられる
仙峯寺に秘されていた「黒の不死斬り」を強奪したのは、飛び猿である。ただしそれは主君に命じられてのことである
主君である一心が「黒の不死斬り」を欲したのは、丈と巴が「不死斬り」を求めていたからである
だがそれは巴が本当に求める「赤の不死斬り」ではなく、さらに強奪時にそれまで積もっていた怨嗟の炎が噴き出し、不動明王像の左腕は焼失してしまったのである
神仏を毀損した自業と因果により、飛び猿は黒の不死斬りに魅入られて斬り続ける者となり、やがて修羅に落ちたのである
一心が飛び猿の左腕を斬ったのは、飛び猿が修羅となった原因が己にあるからであり、それを斬るのに最も相応しい人間だからである
※ラスボス前の弦一郎が振るう黒の不死斬りは「黒い炎」を噴出させる。この黒い瘴気は修羅ENDでも確認できるが、「黒い炎」にまで強化されたのは竜胤の御子の血を吸ったからであろう
仏師
左腕を切り落とされた後、道玄に作ってもらった忍義手をはめて「猩々」として活動していた飛び猿であったが、あるとき荒れ寺に置かれた仏像により、焼き尽くされる葦名を見てしまうその光景に恐怖した猩々は、一心の忍びを辞して怨嗟の炎を「押し留める」ために仏師となったのである
仏を彫り続けても「押し留める」ことしか出来ないことは仏師も了解していた。それでもなお仏を彫り続けて来たのは、やがて「それを終わらせ」る者が現われることを知っていたからである
仏像に見せられた「焼き尽くされる葦名の世界」において仏師は、怨嗟の鬼が隻腕の狼に殺される光景を目撃したからである
川蝉
川蝉という名は、鳥類のカワセミから取られていると思われる翼があり飛ぶ生物である
この「翼があり飛ぶ生物」の名を持つ登場人物がSekiroには何人か登場する
まず梟、そしてお蝶である
両者とも「薄井の森」と関係があることから、川蝉の生まれは「薄井の森」だったと考えられる
また川蝉の泣き虫は特異な性質を有するが、この能力はお蝶の幻影や梟が出す「青い炎の梟」といった幻術的な力と共通する
泣き虫
泣き虫の指輪によって強化された指笛
形代を消費して、使用する
獣の類を狂わせるだけでなく、
怨霊の類を苦悶させ、隙を作ることができる
落ち谷の水辺で、川蝉は泣いていた
いまは、もういない
落ち谷の水辺で泣いていたのは、故郷を思ってのことであろう。追放されたか、あるいは飛び猿と駆け落ちでもしてきたのであろう
となると、飛び猿も薄井出身のように思える。「飛び」とは「飛び加藤」という有名な忍びからその名を取られていると思うのだが、あるいは薄井の森出身者に共通する「飛ぶ」という概念を示したものかもしれない
蛇足
今回の考察は「考察33 エマ」のコメント欄にいただいたパンセポンセ氏の鋭い指摘を受けて構築し直したものであるエマの考察をする上で仏師についても触れざるを得なかったのであるが、そのために考察不足であったことは否めない
大まかに言うと仏師が修羅となった時期を、国取り前から国盗り後に修正した上で、他のテキストからも補強したものである
Twitter:@Souls_Seed
五重塔の不動明王が左右反転している理由ですが、それは飛び猿を修羅に落とす存在だったからではないでしょうか。つまり本来の不動明王は人を外道から救う存在ですが、五重塔の不動明王は逆の役割を担っているため左右反転で描かれたのではないかと思います。
返信削除そして本来の不動明王として描かれているのは、おそらく葦名一心だと思います。
一心は修羅に落ちかけた飛び猿を救い、修羅ルートでは炎による攻撃で狼の修羅落ちを止めようとします。またオープニングムービーでは右手に持った黒の不死斬りで敵将を討ち、国盗りを果たしています。正に不動明王像として相応しい人物ではないでしょうか。
本来は右利きであるはずの不動明王が、ある邪悪な意図のもとに歪められて左利きになってるんですね
削除その歪みを正す存在として、右利きであり炎を行使する不動明王(一心)の登場が要請されたと
修羅ルートで一心が炎を使う理由にもなりますし、とても興味深い考察だと思います
出丸の老婆の正体も気になります。
返信削除隻狼に登場する老婆は有益な情報を狼に教授してくれますが、それはお米様や九朗様関連のことが多く、出丸の老婆は些か仏師殿の状況に詳しすぎではないかと思います。
もしかして出丸の老婆は川蝉で仏師殿のことを見守っていたのでは…と妄想を膨らませておりました。
SEKIROに登場する老婆たちはいつか考察してみたいです
削除信心深い老婆や深い諦念を抱いている老婆など、共通するのは仏道への信仰心でしょうか
川蝉だとすると指が欠けてたりしないかなと思って出丸の老婆を調べたことがあるのですが両手とも五本指でした。泣き虫の解釈にもよりますが、年齢的にも猩々と同年代と言うより、その母親の世代かなという印象です
不動尊と結びつけた考察、とても面白かったです。
返信削除ところでふと疑問に思ったのですが、一心が語る、竜泉を手に入れたときのエピソードに猩々が出て来ないのが少し気になりました。
道玄が義手をいじっていることから、まだ仏師として荒れ寺に籠る前の話と推測できます。
また、仏師殿はお酒好きのように見えるので、下戸だから参加しなかったという線もなさそうに思えます(そもそも酒に弱い梟も竜泉に群がっている)。
猩々は葦名の忍びに素でになっているので、弦ちゃんが城の裏手で修行していたり道場に入れなかったような事情もないはずです。
以上のように、猩々が竜泉に群がれない理由はないのに竜泉のエピソードに出て来ないのが不思議に感じました。
ここからも、なにか考察できそうな気がします。
竜泉を振る舞った時の反応が
削除仏師:ほう、竜泉か… 随分と上物だ
もらうとしよう
…実に染み入る…
…やはり、これじゃ
よく、道玄と、飲み交わしたもんだ…
エマに、酌をしてもらってな
エマ:いいえ、この竜泉を一心様が手に入れると…
葦名の城に… わらわらと、人が集ってきて
騒がしい、酒宴が始まるのです
そういう時は、道玄様を置き去りに
城の裏手など、散策しておりました
二つの証言の違いは、竜泉を入手したのが一心かどうかではないかと
修羅に落ちかけて一心に左腕を斬られた猩々としては、一心の面前には出にくかったのではないでしょうか
面白い考察ありがとうございます。
返信削除いくつか疑問を感じたので少し書かせてもらいます。
1.仏師が「左腕を失った」タイミングと「隻腕」になったタイミングについて
仏師が「左腕を失った」タイミングがいくつかあるように感じます。
まず一つ目のタイミングが、「落ち谷の飛び猿」が斧を失った時。これはテキストにはっきりと書かれています。
そして2つ目が、仏師が修羅に堕ちかけた時。これは彼のセリフからわかります。
しかし、仏師が左手を失ったのが2つ目のタイミングと同時だとすると、彼は修羅に堕ちかけてなお「忍義手」を着けてまで活動をつづけたことになり、少々不合理な気がします。
これを考えるには、死なず半兵衛が「隻猩」と呼ぶのがヒントな気がします。一心は「義手を着けた」狼を「隻腕の狼」ということで「隻狼」と名付けましたが、仏師が一心と出会う前に片腕を失っていれば、一心は仏師の事も初めから「隻〇」のような感じに名付けるはずです。しかし、エマが「猩々」と呼ぶことから、仏師に付けられた名は「猩々」であり、それは彼が「隻腕」になる前だと考えられます。また、半兵衛が隻狼の事を一貫して「其処許」と呼ぶことからも、仏師が隻腕になった時期がうかがえます。隻狼は半兵衛と会った時から「隻腕」ですが、半兵衛が露骨にそれに触れる描写がありません。つまり、半兵衛は仏師が「猩々」と呼ばれていた頃から仏師の事を知っており、かつ「猩々」が「隻椀になった」という風に認識しているということです。
更には、半兵衛が「修羅」を知っている描写が無いことも引っ掛かります。もし彼が修羅を知っていれば、仏師とよく似た「隻腕の」隻狼に対して一言二言「注意」みたいな言葉があってもよさそうなものです。
これらのことから、仏師が「隻腕」となったのは「猩々」の時、そして「修羅」の後なのではないかと考えられます。
ここでいったん整理すると
1.「落ち谷の飛び猿」は左手を失った。
2.一心は仏師に猩々と名付けた。
3.仏師はかつて修羅へと落ちかけ、一心に左腕を切り落とされた。
4.エマは仏師を猩々と呼ぶ
5.半兵衛は仏師を隻猩と呼ぶ
6.「猩々」は「隻腕」となることで「隻猩」と呼ばれている
4・5・6を総合して考えると、エマは仏師が「隻猩」となった理由を知っているが半兵衛は知らない。故に半兵衛は仏師を「隻猩」と呼ぶがエマは仏師を「猩々」と呼ぶ。
また、一心の国盗り後、彼の酒宴の席には片腕が「義手」の者がいます。つまりこの時点で猩々は「隻腕」となっています。しかし、もしこれが「修羅」後だとすると、先に述べたように、仏師がわざわざ「寺」に籠る理由が薄くなります。であれば時系列は
飛び猿が一心に仕える
↓
飛び猿が左手を失う
↓
猩々は修羅へ堕ちちかける
となります。
以上を総合的に考えると
・飛び猿が一心に仕える
・飛び猿は何らかの理由により「左腕」を失う。
・左腕を失った飛び猿は「猩々」へと名を変える。
・猩々は「忍義手」を身に着け殺しをつづけるが、多くを殺した結果修羅へと堕ちかける。
・猩々の異変に気付いた一心は、彼の左手を切り落とすことでそれを阻止し、猩々は殺しから離れるために仏師となる。
・半兵衛が仏師を「隻猩」と呼ぶのは、彼が「左手を失った」からではなく義手を外し外見的に「隻腕」になったからではないでしょうか。そして半兵衛が「猩々」がもともと「隻腕」だと知らなかったのは彼が忍だったから。
2.「猩々」の由来
これは仏師が「返り血」で真っ赤に染まっていたからではないかと考えました。仏師は「落ち谷の飛び猿」と呼ばれるほど殺しに秀でた忍びだった。左手を失ってもなお、その実力は確かだったでしょう。しかし、「落ち谷の飛び猿」と呼ばれていた忍は左腕と身に着けていた斧を失ってしまい、それは名が知れた忍びにとってはあってはならないことでしょう。故に一心は、忍義手を着けた飛び猿に「返り血に染まるほど勇猛な者」として「猩々」と名付けたのではないでしょうか。
3.修羅の条件
一心も弦一郎も梟も、狼や猩々に負けず劣らず殺しをしていますが、修羅に堕ちる気配がありません。一方で、1で述べたように猩々が義手を身に着けていたのであれば、その点で猩々と狼には「同一の義手」を身に着けているという共通点が生まれます。
ここにヒントがあるように感じます。
修羅化の共通点として義手がかかわっているのではないかという説は面白いですね
削除ただ、修羅や怨嗟の炎を恐れている仏師が、修羅化の危険を犯してまで隻狼に義手を渡すとは考えにくいかなと
一心に義手を落とされて修羅から戻ったとすれば、修羅化の原因が義手であることは分かっていたような気がします
まず1.の仏師が左腕を失った時期ですが、
仏師:…いや、うまい
…プハァー!
じゃあ傷がうずくのよ
隻狼:その左腕か
仏師:ああ、この酒を好きな御方に…
くく…斬り落とされたのじゃ
とあるので、一心に切り落とされたのは義手ではなく、生身の左腕ではないかと思われます
また酒宴の席に登場する義手ですが
一心:酒飲みながら、十文字槍を手放さぬ馬鹿者に…
人の酒を幻術でかすめとる、馬鹿者
盃片手に、作りかけの義手をいじっておる、馬鹿者
作りかけの義手をいじっているのは、義手を作っていた道玄ではないかと思われます
次に2.の「猩々」の由来ですが
怨嗟の鬼の外見が伝説上の猩々と類似していることから
修羅に落ちかけた「飛び猿」も似たような姿になっていたと考えられます
赤い炎をまとった姿は、修羅ENDの隻狼でも確認できます
ゲーム内で隻狼も返り血を浴びますが、鮮やかな赤というより黒ずんでいることから
血を浴びても伝説上の猩々のように赤色には染まらないのではないかと思われます
最後に3.の修羅の条件ですが
一心:斬り続けた者は、やがて、修羅となる
何のために斬っていたか…
それすら忘れ、ただ斬る悦びのみに、心を囚われるのじゃ
お主の目にも、修羅の影があるぞ
そう、思っておった
とあり、条件として斬り続けることと、「修羅の影」があることが明言されています
この「修羅の影」が一心や弦一郎と、仏師や隻狼との差異なのではないでしょうか
返信ありがとうございます。
返信削除自分としてはなんで「忍」義手なのかが引っ掛かるんですよ。
仏師が左腕を失くしたのが修羅後なのであれば、わざわざ義手を着けてまで殺しを続けるか?というのと、修羅化した奴に「忍」義手=殺しの道具を送るか?という2つの疑問が残るんですよね。
エマが修羅を知っているということは、道元もまた修羅の事を知っていたはずです。であれば、その修羅を抑えることが「剣聖」レベルの難易度だってことも重々承知していたはず。
道玄という人物が、そこを理解していてあえて送った外道というならまだしも、「忍びといるよりはマシ」という理由で仏師からエマを預けられたわけですし、「竜咳」を治療しようと研究していたことからも、その可能性は低いと考えてもいいと思います。
だからこそ、修羅化した人物に「忍」義手を送る理由が見えてこないんです。
普通の義手でも構わないはずです。
一方で、修羅化した仏師が「忍義手」を切り落とされていたのであれば、いろいろと補完できる点もあると考えるのです。
・左腕を失った「落ち谷の飛び猿」が斧のみに依らない戦闘スタイルを見出すために拡張性の高い義手を望んだ。
・仏師は忍をやめるつもりはなかったから、道玄も「忍義手」を造った。
・わざわざ「義手を着けてまで」殺しに拘ったことが修羅の影となった。
それに、通常の義手ですら生身の肉体との固定はかなりタイトに連結させます。
いわんや戦闘用をや、です。また、狼の着けている「忍義手」は肘より先の部位のもので、彼が弦一郎に切り落とされたシーンでも、宙を舞っているのは肘窩より前の前腕部分にも見えます。しかし「怨嗟の鬼」の左腕はそれよりもさらに短く、肘窩部分より手前の部位からすでに炎の腕となっており、「忍義手」をそこにくっつけるだけでは腕のパーツが足りないようにも見えます。
まず一心やエマ、仏師の語る修羅情報は、仏師が修羅化した時の経験をもとに語られていると思われます
削除人を斬り続けたものはやがて修羅に落ちる
仏師の修羅化によって得られた知識は、当初はこれだけだったかと思います
逆に言えば人を斬り続けなければ修羅にはならないことになります
なので、「忍び」として働く分には修羅にはならないだろう、と思われたのでしょう
実際、「忍び」の仕事とは主として諜報活動であって人を殺すことではありません
忍義手の基本の能力「鉤縄」も人を殺すためのものではないです
なぜ「忍」義手だったかというと、
はぐれ忍びとして生きてきた猩々には、「忍び」としてしか生きられなかったからだと思います
「斬ってくださった」という言い方から一心に恩を感じているのがうかがえます
またエマを養女に引き取り、義手まで作ってくれた道玄にも恩を感じていたと思われます
その恩に報いるためには、自分の力が最大限に発揮できる忍びとして生きようとしたのだと思います
あとこれは反論というより単なる疑問なのですが、
もし義手をつけたことで修羅と化すほどに仏師が殺しに酔ったのだとしたら、修羅化の原因のひとつは義手ということになりますが、そんな忌まわしいものを隻狼に送るでしょうか
それに何よりも修羅を恐れているエマが隻狼に義手を送ることを許すでしょうか
また修羅化したときに義手ごと斬られたとして、なぜ仏師はそれを保管しているのでしょう
義手を斬られたことで修羅から救われたのだとしたら、義手が修羅化の原因であったことは理解したと思います
忍びを捨て仏師となって仏を彫り続け、必死に怨嗟の炎を押し留めている仏師が、自分のそばにそんな怖ろしいものを置いておくでしょうか
ただSEKIROの制作者側の考えとして、隻腕+義手+黒の不死斬り=修羅、という構造は充分に考えられると思います
例えば三人目の修羅がいたとして、おそらくその人物は左腕が欠損し、義手をつけ、黒の不死斬りを握っているのではないでしょうか
落ち谷に住んでいる武器を使う猿を川蝉が指笛で調伏した猿というのが面白かったです。二刀流猿や忍犬がいるため忍び猿がいてもおかしくなさそうな世界観なのでそこまで的外れでもないと思います。
返信削除エマの猿に拾われたという発言で、握り飯をあげたらついてきたという一連の流れに会話のようなものが見当たらない点。
仏師が異常に毛深く手足がやたら長い。オランウータンそっくりである点。仏師の姿での猩々はオランウータンの漢字表記であると思われる。
飛び猿から仏師になるまでの大まかな流れはほとんど同じだと思います。
ここからは想像ですが、落ち谷で川蝉と修行していた頃、相方は獅子猿に喰われ行方不明になる。川蝉を探しに行く中、エマを拾うが、忍びで猿であるためなんやかんや出会った葦名衆に預ける。一心に厄介になる。修羅になって左腕を切り落とされて猩々になる。
ここで猿から人?になった原動力ですが仏の力であると考えると分かりやすいです。
ここでの仏の力は信仰または怨嗟であると思われます。左腕を切られたことで修羅から帰ってこれたからなのか、まことの仏師が彫った仏像に見え、仏道の心が芽生えたからなのかは不明ですが。
武器を使う猿や白毛二刀流猿それらのボス猿の獅子猿、三猿など隻狼の猿は色々と面白いので考察の余地があると思います。
すいません。途中で送信してしまいました。
削除正しくは
仏師の正体は、川蝉が指笛で調伏した猿という考察が面白かったです。
です。失礼しました。
忍義手についてですが、「仏師殿が使っていた」忍義手には、多くの業がこもっており、馴染むほどに、その業を背負うことになると、忍義手技「仏師の業」の説明にあります。
返信削除(同様に「忍びの業」の説明に、多く殺した忍びはその身に業を背負うものであるとも)
また、楔丸の説明にある、「忍びの技は殺すこと」とありますが、これは恐らく、暗殺のことであり、一心の人斬り(真っ向勝負)とは、人斬りの性質が異なるかと思います。
殺しに長ける熟達の忍びは、業を背負い、また、業を背負いきれなくなってしまう(業から目を背け、殺しに酔う)ことで、修羅となってしまう可能性が高いのではないでしょうか。
狼が短期間で修羅となってしまう可能性を持っていることは、業が積もった忍義手と、狼の人斬りの才能が重なってしまったから、なのではないかと。
仏師殿が、忍義手を手にしてからも、忍びの技を振るっていたことは、忍義手技の説明でわかります。(纏い斬りの説明に、極め、殺し過ぎた、とも)
当時の一心達の認識としては、目的も無く、殺しに酔ってしまったものは修羅となる、という認識であった為、忍義手を手にした後、明確な任を受けて殺しを続けることは問題視されていなかったのではないかと思います。
結局、仏師殿は、自ら、殺しを続けることの危険性に感づいて、忍義手を外すことになりますが、怨嗟の炎が漏れ出すほどになってしまったのは自らの行いからであり、狼に譲ることは、狼の任を助ける(目的がある)ので、問題としなかったのではないでしょうか。
興味深い考察ありがとうございます。修羅と怨嗟の鬼に関して疑問点があり、コメントさせて頂きます。私個人の勝手な考察ですしSEKIROは未プレイなので、至らぬ点があるかもしれませんが、ご容赦ください。
返信削除記事では仏師が黒の不死斬りを盗み、怨嗟の炎が噴出して仏師が修羅となりかけた。一心に腕を斬られて事無き得たが、仏師は怨嗟の積もる先となった。そしてついには怨嗟の鬼となったとありました。しかし私は修羅と怨嗟の鬼は全く違う性質、むしろ逆の性質を有しているように感じます。
一心いわく修羅は目的も忘れて人を斬る喜びのために人を斬る者だそうです。イメージとしては快楽殺人者です。一方で怨嗟の鬼の正体は怨嗟が降り積もることで変身した仏師です。ある意味優しいと感じました。仏師に怨嗟が集まることで世界は平穏を保てていたのかもしれない、内府軍を蹴散らしていたのは戦で死んだ人の怨嗟を晴らしていたのかもしれないと感じました。
そのため非情な修羅と優しい怨嗟の鬼は違う性質で別物なのではと考えています。
また狼の目には修羅の影が見えると一心は指摘していました。しかし梟を倒したあとに一心の元へ行くと、修羅の影が消えたと言われるそうです。そのため修羅化の原因は黒の不死斬りや怨嗟の炎というよりも梟や掟、裏切りの決意にあると推察しました。
個人的に修羅となる理由は「目的を失うこと」だと考えています。一心の「目的も失い、人を斬る喜びのために人を斬るようになったのが修羅」というセリフから考察しました。
狼にとって人を斬る理由は九郎様のためです。しかし梟の命令と掟により九郎様を裏切ることは、それまでの狼の目的(九郎様を守ること)をかなぐり捨てることになります。結果、狼は全てがどうでも良くなりました。狼にとって掟も主君も義父も大切だったのですが全て両立できないことに絶望したのだと思われます。そうして目的を失った狼は自暴自棄になり修羅となります。
逆に掟を破って主君を救う選択をしたルートでは狼はうまく取捨選択して目的を見失わなかったのでしょう。おそらく掟が矛盾しうるものなので従わなくて良いと思ったのか、義父が自分を殺した人物だと気づいたために切り捨てられたのだと思います(影落としお返し致す)。
怨嗟の鬼の発生理由は記事の通りだと思いました。しかし上記のように直接の関係は無いと思われます。おそらく仏師は違う理由で修羅になりかけ、一心に腕を斬られました。その後黒の不死斬りを盗み、結果として怨嗟の積もる先となります。勘なのですが仏師が修羅となった理由は川蝉かなと考えています。川蝉が行方不明となった時に仏師は自暴自棄になり、修羅になりかけた…と思ったのですが、情報が無くて手詰まりです。
すみません。訂正と補足です。
返信削除「しかし上記のように直接の関係は無いと思われます」の一文は間違いで、正しくは
「しかし上記のように修羅と怨嗟の鬼は直接の関係は無いと思われます。」
です。
また補足として、ひょっとしたら仏師は自ら進んで怨嗟の積もる先となっていたのではないかと思いました。怨嗟の炎を受け入れている状態は非常に苦しい状態なのだと思います。大手門の老婆も狼に怨嗟の積もる先になるなと警告していたことから相当な苦しみがあったのかもしれない思います。しかし仏師はどこか達観しており、苦しみを受け入れているように思えました。おそらく修羅になりかけたときの贖罪のため、一心への忠義のためだったのかなと思っています。
泣き虫の指輪の説明文に
返信削除燃える怨嗟を、ほんの一時、忘れるほどに
とあります。これからは指笛を川蝉が吹いてくれている時期に、飛び猿が怨嗟をいだいていたと読み取ることができます。ただし、川蝉の指笛の音を思い出して怨嗟をほんの一時忘れるとするのであれば別ですが。
川蝉を探して戦場に出る、エマを拾う、一心に会う、その後修羅化して怨嗟の降り積もる先となる、の時系列だとこれとは矛盾すると思います。
ここから妄想をすすめると、一度川蝉と飛び猿は一心のもとに下っていたとします。そして二人は度々落谷を訪れていたとすると、修羅化を経た後の時系列で川蝉は獅子猿に負けてしまった、と考えられます。
また、別の説として落谷で修行していた時期、飛び猿は個人的に怨嗟を抱いていたとも考えられます。この怨嗟が、川蝉と飛び猿が故郷を出たことに関連していれば面白いと思います。(個人的には出丸の老婆の言う、怨嗟が降り積もるというのは、大きな事変の中心として人々から怨嗟を買うということ、と解釈してこれは修羅ルートで修羅と化した狼が人を切り続け国を荒らしたことに当たると考えます。
仏師殿が怨嗟の鬼となったのはこれとは別に個人的な怨嗟が降り積もったからではないかと考えます。出丸の老婆の台詞にある、自業、因果とはこういうことではないかなと思います。)
現代の仏師は仏を彫ることで怨嗟を沈めていましたが、昔は指笛ひいては川蝉の存在がその役割を果たしていたのではないかなと。
修羅エンドで九郎が「違う、そなたは…そなたは修羅ではない!」と叫ぶのが疑問だったのですが、やっと腑に落ちました。
返信削除読みごたえのある考察ありがとうございます。
返信削除少し疑問に思ったのですが、飛び猿が黒の不死斬りを入手して修羅となったのが一心の国盗り後だとすると、なぜOPの国盗り戦の時点で、一心が既に黒の不死斬り(のような刀)を持っていたのでしょうか。