火の封
人のもつダークソウル由来の闇を王グウィンは恐れたという
王グウィンは、闇を恐れた
火の終わりを恐れ、闇の者たる人を恐れ
人の間から生まれるであろう、闇の王を恐れ
世界の断りを恐れた(闇撫でのカアス)
それゆえグウィンは、息子たちに人を率いさせ、そして縛らせた
だから奴は、火を継ぎ、自らの息子たちに、人を率い、縛らせた(闇撫でのカアス)
縛らせるとは、ダークリング、別の言い方をすれば火の封である
火の封とダークリング |
輪の騎士の鎧
そしてそれ故に、持ち主たちと同様に
神々に火の封を施されたという
火の封はすべての人間に施された、神の縛めである
細かいのだが、DS3の輪の騎士の鎧やダークリングに見られる火の輪は、「火の封」に付随する現象であるが、そのものではない
もし仮に火の輪が「火の封」そのものであるとすると、生きているすべての人間に火の輪が見られなくてはならないが、ダークリングが現われるのは「不死」だけである
ダークリング
呪われた不死の証
このリングが現われた者は、死んでも蘇り
やがて心をなくした亡者となる
また、似たような形状に暗い穴(DS3)があるが、こちらは火の輪がない
暗い穴
不死人の証にも似た暗い穴
ぽっかりと体に開いている
その暗い穴には底は無く
人間性の闇が徐々に漏れ出し
引き換えに呪いが溜まっていく
人間性
ダークリングや火の封、そして暗い穴とは何か?
また暗い穴そこから漏れ出す人間性の闇とは何か?
それらの正体を探るべく、まずは人間性について考察を進めたいと思う
まず、人間性とは人間だけがもつものである
人間性
ソウルが生命すべての源であるなら
人のみにある人間性とはなんなのか?
暗い穴からは、その人間性の闇が徐々に漏れ出しているという
ここで重要なのは人間性全体が漏れているのではなく、そのうちの闇が漏れていると記されていることである
まとめると人間性は人のみにあるもので、そのうち闇のみが暗い穴から漏れているのである
人のみがもつ闇、それは小人が見出した闇のソウル(ダークソウル)に由来するものであろう
※闇のソウル(ダークソウル)と人のもつ闇は似て非なるものであることに留意してほしい。簡単にいうと、小人の見つけたダークソウルは「王のダークソウル」であり、人に受け継がれたのはその断片、「ただのダークソウル」である
人間性はダークソウルそのものではないが、その一部をダークソウルに由来する闇(ダークソウルの断片)によって構成されており、そしてそのうちの闇成分が暗い穴から漏れ出しているのである
人は小人から継承したダークソウル由来の闇をその内に宿している。この闇が冷たいことは前回の考察で述べた。一方でその冷たい闇を恐れたグウィンから与えられたものもある
火の封という縛めである
太陽の光の王であるグウィンから与えられた火の封とは、冷たい闇を封じ込めるためのものである
すなわち、冷たい闇を封じるためにはその反対属性である熱と光、すなわち火が必要だったのである
小人から受け継いだ冷たい闇と、神々から与えられた熱と光、その相対立する2つの属性群を宿しているのが人である
そしてこれら闇と光、冷たさと熱が統合されることによって生み出されたものが、人のみがもつという「人間性」である(光と闇を共存させているのは人のみである)
また、人間性は「生と死」を内包する生命でもある
人間性
稀に死体に見られる小さな黒い精
しかしその内にはダークソウル由来の冷たい闇を宿している。その冷たい闇を恐れたグウィンにより与えられたのが火の封(光と熱)である
よって人間性には原初に生まれたすべての差異が統合されている。熱と冷たさ、生と死、光と闇である
さて、輪の騎士の武具は深淵に鍛えられ僅(わず)かに「生」を帯びるとされる
輪の騎士の鎧
古い人の防具は、深淵によって鍛えられ
僅かにだが生を帯びる
そしてそれ故に、持ち主たちと同様に
神々に火の封を施されたという
ただの生ではない。深淵によって鍛えられた深淵由来の生である
次回「深淵」の考察で詳述するが、深淵に由来する生とは人と同じように冷たい闇を受け継ぐ生である
その生が闇を宿しているが故に神はそれを恐れて火の封を施したのである
これにより火の封が破れたときに見られる火の輪が、何を燃やしているのかがはっきりする
火が陰り闇の力が増大するとき、人間性のうちから溢れ出す冷たい闇に破られた火の封が、それでもなお冷たい闇を封じ込めようと燃え上がらせる炎。それが火の輪である
漫画的に例えるなら、邪神が復活するときそれを封じていた御札が燃え上がる、みたいなイメージである
黒炎にあるように、闇の炎は黒く陰を作らない。火の輪に見られるオレンジ色の炎は闇ではなく熱と光に由来するものである
黒炎(DS3)
深淵より生じる黒い炎は
陰を生まず、何者も分かたないという
それは人間性の火であると
不死人は今もなお生命の熱によって生かされている。すなわち、いまもその人間性にわずかながら光と熱を宿しているのである
ですが、私たちはもう、火の明るさを知り、熱を知り
生命の営みを知っています(太陽の光の王女グウィネヴィア)
僅かながらも生命を宿すがゆえに不死人には火の封が破れたことで発生する火の輪、すなわちダークリングが見られるのである
ダークリングとは、闇によって決壊した火の封が最後にみせる断末魔の炎だからである
逆に火の無い灰は、その名のとおり火のない状態である。それは火による縛めのない状態であり、人間性の闇が溢れ出そうとするとき、邪魔をするものは何もないのである
それでも火の無い灰は火の力を受け入れることができる
残り火
英雄たちの内にある残り火
火の無き灰たちが終に得られず
故に惹かれるもの
死ぬまで火の力を得、最大HPを増やす
すなわち、火の無い灰は火/無火という差異の間に吊るされた宙ぶらりんの状態にあり、選択によってどちらの側にも存在することができるのである
火の無い灰が、火の封の破れた証である「ダークリング」と、火の無い状態で人間性の闇が漏れ出ている「暗い穴」の両方を所持するのは、火/無火という曖昧な状態にあるからである
光と闇
このように人のみがもつ人間性とは、熱と冷たさ、生と死、光と闇の統合体である
そうした人間性をもつ人間は、熱さと冷たさ、生と死、光と闇のすべてを包含した存在なのである
それを象徴するものが「人間性」なのである
熱さと冷たさという相反する2つの属性をもつためにそれは生あたたかく、
深淵の主マヌスのソウル
それは尋常のソウルではなく
どろりとして生あたたかい、優しい人間性の塊である
生と死という相反する2つの属性をもつために、人間性はHPを回復させると同時にその黒い精は人の死体に湧き、
人間性
稀に死体に見られる小さな黒い精
使用により人間性1を得、HPを大きく回復する
光と闇の両属性をもつが故に、それは光として篝火を激しく燃え上がらせ、逆に火を守る火防女の肉体を闇として蝕むのである
火防女の魂
火防女の魂は人間性の憑代であり
それは彼女たちの体においても変わらない
あらゆる皮膚の下に無数の人間性が蠢き
その姿は、大抵おぞましいものとなる
そしてまた、人間性は生と死が共存する存在、すなわち「生命」であり、故にそれは蠢き、また生まれ出ようとたまごの形をとるのである
火防女の魂(混沌の娘)
彼女においてそれは、無数のたまごとして現われた
あのたまごはすべて、人間性の揺り篭なのだ
闇術
人間性が闇に近しいと言われるのは、人間性には闇が含まれているからである
闇の霧
人間性に近しいはずの闇の霧は
だが、人にとっては恐ろしい毒となる
多くの人が、よく人を蝕むがごとく
その闇は人間のもつ光の側面を蝕むのである
このように人間性の闇の部分のみを抽出し、魔法としたのが闇の魔術である
追う者たち
深淵の主マヌスの魔術
人間性の闇に仮そめの意志を与え放つもの
与えられる意志は人への羨望、あるいは愛であり
その最期が小さな悲劇でしかありえないとしても
目標を執拗に追い続ける
羨望とは裏返せば嫉妬である。また、愛憎相半ばするという言葉があるように愛と憎しみは表裏一体である。愛にはポジティブな面だけでなく、憎しみとしての愛も存在することはいくつかのストーカー事件を思い起こせば分かるかと思う
闇の魔術はそうした人間性の闇の部分を抽出したものであり、故に「最期が小さな悲劇でしかありえないとしても目標を執拗に追い続ける」のである
奇跡
逆に光の側の愛を強調したのが、奇跡「太陽の光の癒し」である
太陽の光の癒し
太陽の光の王女グウィネヴィアに仕える
聖女たちに伝えられる特別な奇跡
周囲を含め、HPを大きく回復する
すべてに愛されたグウィネヴィアの奇跡は
その恩恵をひろく戦士たちに分け与えるが
誓約者でなければ使うことはできない
人間性には光と闇が共存しており、光は熱と生を、闇は冷たさと死を人間にもたらすのである
相克
このように相反する属性の相克、という思想はブラッドボーンに特に顕著であり、そこでは聖職者こそが最も恐ろしい獣になる、とされている
剣の狩人証
そして、聖職者こそがもっとも恐ろしい獣になる
ブラッドボーンでは、獣化衝動とそれを抑える人間性の相克がインタビューで明言されています
変身したいという衝動を維持する枷が強いほど、その枷が最終的に破壊された後の反動は大きくなります。その結果、あなたはより大きな生き物、またはよりねじれた生き物に変身します。これら2つの衝動(獣化衝動と人間性)の間の闘争はここでの1つの概念です。(インタビューより)
DSではダークハンドで吸える人間性の数はNPCごとに異なるが、最も多く人間性を持っているのは聖女レアで12個である
善人だから人間性を多く持つ、ということではないのは、女神の騎士ロートレクや人食いミルドレットから8個もの人間性を吸えることからも明らかである
人間性の量は個々人の善人度と悪人度の双方に比例するのであり、それは人間性というものが光と闇、言い換えれば善と悪から構成されているからである
こうした光と闇の相克に気づいたのがヴァンクラッドである
火を以って闇を統べる…
それはふたつを諸共に、引き受けること
それを成す者こそが…(ヴァンクラッド)
光と闇の相克を止揚し、高い次元において統一すること、それを成す者が新たな世界を創造することができるのである(これについては次回「深淵」参照のこと)
お前は何を望む
光か、闇か… あるいは…(アン・ディール)
いうなれば、ダークソウルの物語とは「光と闇の弁証法」である (細かくいうとヘーゲル的な弁証法 Wikipedia)
ダークハンド
さて、話は変わるが人間性を喰らい続けることで「神の枷」は外れるという
闇の王の力、生命喰いの力だ
その力で、不死として人であり続け
貴公ら人にはめられた、神の枷をはずすがよい(闇撫でのカアス)
生命喰いの力とはダークハンドによる人間性の吸収である(誓約ダークハンドを交わすとダークハンドをもらえる)
人間性を溜め込めば溜め込むほど、同時に光と闇を内部に溜め込んでいくことになるが、火の陰りにより光が弱まったとき、そのバランスは崩れる
枷が強ければ強いほど、それが外れたときの反動は強まり、結果として神の枷は一気に外されるのである
輪の騎士たちや不死のように破れかけた火の封に抵抗されることなく、巨大な闇は一瞬で神の枷(火の封)を消滅させ、闇だけが残されるのである
深淵の主マヌスのソウル
マヌスは、古くとも明らかに人であった
人間性を暴走させ、深淵の主となった後も
ずっと寄る辺、あの割れたペンダントを求めていた
余談だが輪の騎士の武器の「戦技」は「残り火」である。
輪の騎士の直剣
戦技は「残り火」
今やおいさらばえたその剣を携え
往時の姿、そして火を一時的に取り戻す
構えから通常攻撃、強攻撃に繋げられる
かつてはもっと火勢が盛んだったのである。それがいまや弱い火を残すのみなのは、輪の騎士たちに「火」がほとんど残されていないからである
火とは、神の枷であると同時に生命を魅了し、維持するものだからである
魅了(DS3)
生命とは炎に惹かれるものであり
こうした業もまた呪術の一側面であろう
火が無くなれば火の勢いが衰えるのは道理である
ダークソウル
まとめると、ダークソウルは人間性そのものではない。もしダークソウルが人間性であったとしたら、奴隷騎士ゲールは輪の都まで探索に出なくて済んだはずである
人間性
稀に死体に見られる小さな黒い精
使用により人間性1を得、HPを大きく回復する
稀に死体に見られる小さな黒い精を集めて画家に渡せば済む話である
人間性にはダークソウルに由来する闇(ダークソウルの断片)が含まれているが、それは決して王のダークソウルではないのである(王のダークソウルと、ただのダークソウルの違い)
王のダークソウルは輪の都の小人の王たちのみがもっていたのである
ゲールがダークソウルを求めて輪の都まで赴かなくてはならなかったのは、小人たちの血に流れる王のダークソウルを喰らい、それを自身の魂に宿すことでしか暗い魂の血を手に入れることができなかったからである
暗い魂の血
奴隷騎士ゲールの、虚ろに生じた暗い魂の血
アリアンデルの「お嬢様」が
絵画世界を描くための顔料となる
ゲールが小人の王たちに見えたとき
彼らの血は、とうの昔に枯れ果てていた
そして彼は、暗い魂を喰らった
王のソウル
さて、はじまりの火が灯されたのは世界樹である
DS3の最初の火の炉は、燃え尽きた巨樹の切り株の内側にある
古の時代にあったという「灰色の大樹」ははじめての火の薪となり、世界に差異をもたらしたのである
生と死と、熱と冷たさと、光と闇である
闇はやがて「幾匹か」を生み出し、幾匹かは「はじまりの火に王のソウルを見出し」、そのうちの一匹がグウィン王となった
グウィン王とはすなわち、闇と王のソウルの落し子である
王のソウルの特徴を箇条書きにすると以下のようなものになる
- 分割できる(分け与えられた王のソウル)
- 集めると薪の王になれる
- 火継ぎに必要
- はじまりの火から見出された
- 闇から生まれた幾匹かを「王」にした
王のソウルを集めることで薪の王になれるのは、それが薪にふさわしい大樹のソウルだからである
グウィンたちが王のソウルを火から見出した際に大樹のソウルはさまざまな属性を宿している。生と死、熱さと冷たさ、光と闇である
それは王たちが火を見つめたときに魅了された力に対応している(たとえばグウィンは熱と光に強い印象を受け、それを欲した)
誰も知らない小人が最後に見出したのは、世界樹が燃え尽きた後に残る炭になった冷たく黒いソウル、つまり、ダークソウルである
3になってから死体から生じる方の人間性がまるでないのが妙なところですよね。
返信削除システムの都合と言ったらそれまでですが重要な設定ですから形を変えて登場してもよさそうなもんですけどね。
それ言ったら人の像とかもナゾですが...
黒い精のほうの人間性は輪の都で「擬態」するとなれますね
削除深淵に近い輪の都くらいしか湧かなくなっているのかもしれません
人の像は深淵の欠片みたいなものですかね(デュナシャンドラよりもさらに小さな)
人の像
あたたかく柔らかで、影のように暗い色の像
あたたかいのは人間性の特徴ですし
篝火に投げ込むと
しばらくの間、他者の世界との繋がりが薄くなり
とあるので、火の勢いが増すことで他世界との差異化が強まると考えられます
上記の人間性と残り火が落ちる意味をDS1とDS3の違いから妄想してみました。
返信削除1と3との火の陰り具合が違う。
DS1は陰ったといっても灰の時代を終わらせた三神と巨大な王のソウルが残っていた時代。説教者の言う「火の傍で影はより濃くなる」ことが世界規模で起こっていた。
DS1の世界は始まりの火の差異を与える力で不死人や生き物?が死ぬと生命エネルギー(ソウル)が死体(冷めた物質問)と分かれて、死体から流れたソウルの詰まった血の塊(冷たい物質から流れ出た物)は【人間性】になった。
ソウルの詰まった死体の血の塊は始まりの火と比べて温度が低いから人間性と見なされた。
DS3の時代は火がいよいよ消えそうな時代。
生き物?が死ぬ時に生命エネルギー(ソウル)と死体(冷たい物質)と分かれて、流れ出たソウル詰まった血の塊が【残り火】と見なされた。
ソウルが詰まった血の塊=残り火>始まりの火≧灰の人の体
これがDS1とDS3での差異ではないでしょうか。
加えて、DS3の灰の人自体、言葉通り灰の時代の存在。もしくは、残り火状態になる事から「熱を帯やすいが、火と闇の差異はほぼ無い存在」かもしれません。黒教会の儀式も灰の人の差異の無い状態を崩して闇の傾向を強くする為の物なのでしょう。
人の像については、妄想が思いつきませんでした。
ありがとうございます
削除DS3DLCの教父アリアンデルはフリーデの流した血を炎によってかき消そうとしているように見えます
フリーデは火の無い灰ですから、彼女の血には「火」が含まれておらず、つまりは人間性の含まれない冷たい血であると思われます
残り火をソウルのつまった血と考えると、熱のある血を受け入れることで火の無い灰は一時的に「熱」を持つことになり、人間性が回復されるということなのかもしれませんね
DS3DLCで強調される「血」の描写はとても重要なように思えます