灰
暗い魂の血を画家に渡すことで新しい画は描かれる
それは彼女いわく「ずっと寒くて、暗くて、とっても優しい画…きっといつか、誰かの居場所になるような」画であるという
その際に彼女から名前を訊かれ、「名前を教える」を選択するとプレイヤーの名が画の題名としてつけられることになる
この時点で絵画の題名はプレイヤーの数だけ存在することになり、それはつまりプレイヤーの数だけ解釈が分かれるということになる
しかしながら、名前はない(「伝えない」ではなく「無い」)を選択すると、画家はその画に「灰」の題名をつける
…分かりました。貴方も同じなのですね
ではこの画には、灰の名を付けます(画家)
本稿は「名前はない」を選択した場合につけられる『灰』という画の世界を考察したものである
名前はない
名前はないを選択した際、彼女は「…分かりました。貴方も同じなのですね」というセリフを漏らす
つまり彼女は灰の英雄の他に、名前をもたない者のことを知っているのである
名前をもたない者は輪の都に何人か登場している。忌み探し、名前を思い出せないラップ、呻きの騎士である
火の陰った時代においては差異が消失していき、個人を識別する名前も失われるのである
ただし、それは吹き溜まりができるような火の時代の終わりに初めてあらわれる現象である
書庫に幽閉された画家が輪の都や吹き溜まりに行けたとは思えない
よって彼女の言う「名前をもたない者」とは、火が陰ったことにより名前を失った者たちのことではない
彼女のいう「名前をもたない者」とは、名前すら与えられず世界に居場所のない忌み人たちのことである
おかしな人形
ある伝承によれば、忌み者だけがこれを持ち
世界のどこにも居場所なく
やがて冷たい絵画の世界に導かれるという
つまり画家は、名前すらない世界に居場所のない忌み人と灰の英雄を同じと言っているのである
そのような認識の彼女が新しい絵画世界に付けた名が『灰』である
ということは、「灰」という言葉には、名前すら持たず世界に居場所のない忌み人たちの住む場所、という意味が込められていることになる
※忌み人が誘われるという絵画世界の性質からいって、彼女の作る世界に導かれるのは、やはり忌み人たちであろう
暗い魂の血
そのような絵画世界を描く顔料が「暗い魂の血」である
この顔料により、「ずっと寒くて、暗くて、とっても優しい画…きっといつか、誰かの居場所になるような」を描けるのである
寒くて、とは熱の乏しい状態を表わしており、また暗くては、光の乏しい状態を表わしている
次の「とっても優しい」については、その優しさは人間性に根源を持つものと考えられる
深淵の主マヌスのソウル
それは尋常のソウルではなく
どろりとして生あたたかい、優しい人間性の塊である
宮崎氏は「ゲームの食卓」において、人はダークソウルの欠片であると述べている
つまり人は闇の魂の欠片であり、その人のみが持つとされるのが人間性である
すなわち人間性とは闇の魂のことでもあり、その血に「優しさ」が含まれているのは、その本性からいって当然のことなのである
また人間性は「どろりとして生あたたかい」とも表現されている。この液体性が強調されることで発生するのが「深淵」である
ただし画家の描く世界は「とても寒くて」とあるので、生あたたかさは失われている
深海の時代
まとめると、暗い魂の血によって描かれる絵画世界は、「冷たく暗い液体の世界」ということになる
これはエルドリッチが陰った火の先に見たという「深海の時代」を彷彿とさせる状況である
エルドリッチのソウル
彼は陰った火の先に、深海の時代を見た
故に、それが遙か長い苦行と知ってなお
神を喰らいはじめたのだ
始祖グウィンに連なる神々は、光の存在である。深海という光のない時代を到来させるには、光をすべて消滅させなければならない
それ故にエルドリッチはそれが長い苦行と知ってなお神を喰らいはじめたのである
なぜならば、神を殺してもそのソウルは散り散りになるだけで、やがて何者かがそれを集め、巨大なソウルをもとに、火継ぎを行なうからである
また火継ぎの終わりエンディングで言及されたように、火継ぎが終わろうとも、いつか必ず王たちの継いだ残り火は復活するのである
よってエルドリッチは神を喰らい、完全に消化することで光を消滅させようとしたのである
絵画世界
しかしながら、深海の時代と画家の描く新しい世界とはわずかな相違が認められる
というのも、深海は静謐にして神聖であり、故におぞましいものたちの寝床となるとされるが、そこに忌み者の場所はないからである
深みの加護
深みは本来、静謐にして神聖であり
故におぞましいものたちの寝床となる
それを祀る者たちもまた同様であり
深い海の物語は、彼らに加護を与えるのだ
忌み者たちは静謐かもしれないが神聖ではなく、おぞましいものたちでもない
また忌み者は祀られる対象ではなく、加護をもたらすこともない
一方で画家の世界は「ずっと寒くて、暗くて、とっても優しい画…きっといつか、誰かの居場所になるような」世界であり、名前をもたない者たちですら住むことのできる世界である
差異
さて、画家のいう「寒くて、暗くて」ははじめての火によってもたらされた差異と正確に対応している
だが、いつかはじめての火がおこり
火と共に差異がもたらされた
熱と冷たさと
生と死と
そして、光と闇と
「寒くて」は熱と、「暗くて」は光と対応しており、それぞれ熱の乏しさが「寒さ」をもたらし、光の乏しさが「暗くて」をもたらしていることになる
しかし生と死についての言及はない
つまり絵画世界は熱と光が乏しい世界ではあるが、それでも生命の住む世界なのである
この点で、生と死の差異すら存在しなかった、はじめての火以前の世界とは異なるのである
古い時代
世界はまだ分かたれず、霧に覆われ
灰色の岩と大樹と、朽ちぬ古竜ばかりがあった(DS1オープニング)
白と黒
画家の前にあるキャンバスは白で下塗りされている。この白い下塗りに黒い顔料である暗い魂の血を重ね塗りをすると、「灰色」になる(完全に乾いていない場合)
また白は雪の色であり、それはアリアンデル絵画世界の雪を表現している
その雪に生あたたかい人間性の顔料が塗られるわけだから、その画は冷たいというほどではない「寒い」世界となるのである
また同時に白の光の強さを人間性の黒が弱め、忌み者の居場所となる、柔らかな灰色の光に満たされた世界となるのである
『灰』
さて、はじめての火が熾った世界は、二度とそれ以前の世界には戻れず、例え火が消えようとも、いつか必ず復活してしまう
それはある種の呪いのようなものであり、その火によって影が歪む者たちにとっては、永遠に終わらぬ地獄に住んでいるようなものである
火の側では、影が歪む者もいる。
深淵に影はない(白面の虫)
つまり人は、本編の世界にいるかぎり、火という苦しみからは決して逃れることができないのである
だが、画家の描く世界ならば人は苦しみから逃れることができる
なぜならそこには、苦しみをもたらす強い火は存在せず、またおぞましい者たちの寝床である深海でもないからである
絵画世界は白黒はっきりしない曖昧な世界であるが、しかしその曖昧さ故に、名前すらもたない忌み者たちを許容する世界でもあるのである
けれども絵画世界の終わりは、火による焼尽である。いつか画家の描いた絵画世界も火によって燃え尽きる運命にある
しかし画が燃え尽きることで画の題名の意味が明らかになるのかもしれない
画家の描く新しい世界の題名は「灰(Ash)」である。それは画が燃やされて灰になることではじめて完成する作品なのである
蛇足
ダークソウルの世界を「絵画世界」とする説も考えたのだが、重大な矛盾に行き当たり断念した
というのも絵画世界は必ず「火のよって焼尽」することになっている。ところがロードランは火によって焼尽することはない
つまり、ダークソウルの世界は火の焼尽によって滅びることがないゆえに、絵画世界ではありえないのである
0 件のコメント:
コメントを投稿