注意書き
本稿の内容は筆者の印象をもとにした臆測であり、エルデンリング本編との関連性を指摘するものではない
前提
前提として過去作「デラシネ」が文学的だった頃の少女漫画を参考にして作られたとするインタビューがある(他のインタビューでは古典的少女漫画という表現もある)
少女漫画のタイトルは宮崎氏本人から明かされていないものの、寄宿舎を題材にしたその内容や雰囲気から萩尾望都の作品群、特に『トーマの心臓』や『ポーの一族』であると考えられる
しかしながら本作はGRRM(ジョージ・R・R・マーティン)氏との協働(神話を担当)であり、デラシネのように少女漫画の影響についてはとくに触れられていない
よって本作に萩尾望都作品の影響が見られるとしても、それはたんなる偶然かあるいは筆者の思い込みである
イグアナの娘
筆者が萩尾望都作品の影響をはじめに感じたのは、ゾラーヤスのイベントのくだりである
蛇人に変身したラーヤ(ゾラーヤス)と、その母タニスとの関係が『イグアナの娘』を想起させたのである
『イグアナの娘』は自分が産んだ娘がイグアナの姿にしか見えない母親と、その母親の愛を求めながら嫌悪されて生きる娘を描いた作品である
人の母とトカゲの娘という関係性はタニスとゾラーヤスの関係性とそっくりである
しかしながら相違点もある。『イグアナの娘』は実の母娘であるが、タニスとゾラーヤスは義理の親子である
ただしタニスの側はその事情を知っているが、ゾラーヤスはイベントが進むまでタニスを実の母と信じている
…タニスさまは、私の母なのです
そして、偉大な王の恩寵を受け、私が生まれたと聞いています
だから、私だけのこの姿は、母の喜びであると(ゾラーヤス)
また『イグアナの娘』の母親が娘を嫌悪するのに対してタニスはゾラーヤスに愛情を持っているようにも見える
だが、育ての母として、願わせてくれ
ゾラーヤスに、これからも、よくしてやって欲しい
その姿が何者であれ、あれはよい娘なのだ
…私などには、勿体ないほどにな(タニス)
そしてゾラーヤスの方もイベントを通じてタニスを慕っている。これは『イグアナの娘』の娘が母を愛そうとして愛せなかったこととは真逆である
以上のように『イグアナの娘』の母娘と、タニスとゾラーヤスの関係性は異なっている
しかしながらイベントを最後まで完遂することで、実はこの二組の母娘が同じ関係性によって結ばれていたことが明らかになる
…貴公、感謝する。私の我儘を叶えてくれて
やはり、私は母にはなれぬよ。私の心は弱すぎる(忘却の薬を飲ませた後のタニス)
『イグアナの娘』の母もタニスも、娘を愛そうとして愛せなかった母親なのである
そしてイグアナの娘が母との逃れられない同一性に気づき、母と娘であることを受け容れたように、ゾラーヤスもまたタニスの娘としての自覚が芽生えるのである
旅に出ようと思います
火山館のタニスの娘として
いつか、母の志を継ぐために(ゾラーヤスの手紙)
このように『イグアナの娘』は萩尾望都作品に通底する親に愛されない子どものテーマが色濃く出た作品である
このテーマはゾラーヤス以外にも見出すことができる。モーゴットの身の上がそれである
忌み王の追憶
祝福なき忌み子として生まれ落ちてなお
モーゴットは、黄金樹の守人であろうとした
愛されたから、愛したのではない
彼はただ愛したのだ
マルギットの拘束具
黄金の魔力を帯びた呪物
忌み子と呼ばれる呪われた者たち
そのただ一人を、特に厳重に拘束するもの
僅かだが、その拘束の魔力は残っており
かつての幽囚、マルギットを
一時的に地に縛るだろう
祝福なき忌み子として生まれ落ちたモーゴット(マルギット)は、愛されることなく地下に幽閉された
愛されたことのない彼はただ黄金樹を愛する。それは親の愛を求める子どもの姿にも重なり、そして彼は最後までその愛を得ることはできなかった(死後にゴッドフレイが彼をねぎらったのがわずかな救いであろうか)
半神
萩尾望都の短編に『半神』というものがある
腰部で繋がったシャム双生児の物語である
双子の姉は賢いが醜く、一方で妹は知能は低いが美しい
周囲の人間が愛するのは天使のような妹であり、醜い姉はその妹から栄養を吸い取られて生きている
醜く産まれたが故に愛されず、しかし誰よりも賢明な心をもつ姉の姿はモーゴットと重なる部分もあるが、より似ていると思うのはミケラとマレニアである
永遠の若さと美しさを持ち誰からも愛されるミケラと、腐敗により身体が欠損し醜女と中傷されるマレニア
姉妹の美醜や知能の振り分けは『半神』とは異なるものの、美醜を双子を振り分ける手法や、何より『半神』というタイトル(デミゴッドは半神という意味)が、エルデンリングの半神の双子を想起させるのである
ポーの一族
ミケラとマレニアのうち、ミケラにはさらに別の萩尾望都作品を思い起こさせる
ミケラは永遠に幼い少年であり、妹がいる
腐敗の女神の追憶
ミケラとマレニアは、唯一人の神の子供である
故に二人は神人であるが、その生は脆弱であり
一方は永遠に幼く、一方は腐敗を宿した
しかし血の君主モーグに連れ去られて、血の閨を共にする伴侶にされてしまった
血の君主の追憶
黄金樹に刻まれた
血の君主、モーグの追憶
ミケラを神とし、自らはその伴侶として王となる
そのために、血の閨をどれほど共にしようとも
幼き神人は何も応えなかった
血の君主に仕える者たちが特に愛でるのが、血の薔薇である
血の薔薇
血の君主に仕える者たちが、特にこれを愛でる
来たるべき王朝に、美あれ
ミケラまわりの設定からは、永遠の若さ、妹、血、薔薇、といったキーワードが抽出される
これと同じキーワードを持つのが『ポーの一族』(Wikipedia)に登場するエドガーである
詳細はWikipediaに譲るとして、簡単にまとめるのならばエドガーは永遠に年をとらないポーの一族(吸血鬼)の少年である
ポーの一族は人間の血のほか、赤い薔薇の精気を吸うことで生き続ける吸血鬼(バンパネラ)である
エドガーにはメリーベルという妹がいて、不完全なバンパネラである彼女への偏愛が彼を衝動的な行動に駆り立て、破滅へと繋がっていく
血と薔薇と吸血鬼の組み合わせは『吸血鬼カーミラ』にすでに登場しているが、筆者的には『ポーの一族』に由来するのではないかと考える
ミケラも同じように永遠に若く、不完全(神人として)な妹がおり、血と薔薇の世界へ連れ去られる。そしてなによりミケラが“少年”であることに何よりのこだわりを感じるのである
ただし前提で述べたようにエルデンリングの神話まわりはGRRM氏の創作である。よってミケラとエドガーの共通点は偶然か、あるいは箇条書きマジックによる思い込みである
またGRRM氏は『フィーヴァードリーム』という吸血鬼物語を書いており、その作品に登場する「地下にある吸血鬼の始祖の国」のほうが、モーグウィン王朝に似ている印象がある
その他、『銀の三角』に放浪の民の姿を見たりなど色々あるが繋がりが希薄なので省略する
蛇足
この夏は迷宮とアビスを堪能したのでそろそろ狭間の地に戻るそす
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