描かれていないモノ
エルデンリングを考察しようとすると一つの困難に突き当たることになる
それは物語の中心に近付けば近付くほど、描かれていないモノの存在が大きくなっていくということである
物語の細かな設定はフレーバーテキストを読み込めば分かるものもある。しかし、細かな設定をどれほど積み重ねたとしても中心にたどり着くことはできない
なぜならば、物語の中心は空白だからである
エルデンリングの物語は中空構造となっており、その外周をグルグルと巡ることはできれども、道を辿って中心に至ることはできない
中心には何も無いからである
故にエルデンリングの考察は存在するモノを探すのではなく、存在しないモノ、描かれてしかるべきなのに描かれていないモノを探さなくてはならない
要するに描かれていないモノを見つけなければならないという困難が生じるのである
しかもそれはただ単に描かれていないモノであれば何でもいいというものではない。それはやはりゲーム内の情報によって示唆されていなければならないのである
こうした描かれていないモノを見つけることは不可能ではない
例えばパズルの空白ピースの四方が埋まれば、その中央ピースの形が予想できるように、エルデンリングにおいても情報を収集することで「何が描かれていないのか」を予測することは可能である
描かれてしかるべきなのに描かれていないモノ、他の状況では重要なモノとして登場するのに、なぜかそこでは不自然なほどに触れられていないモノ、そういったモノを探さなくてはならない
それこそが神の血であると仮定したのが前回と今回の考察である
神の血はミケラの聖樹などのデミゴッドに関連する領域で頻出する概念である
しかしながらなぜかマリカと黄金樹の領域に関してだけ、神の血は登場しないか、その影響が希薄化されている(ラダゴンなどは出血すら無効である)
上述したパズルのピースで例えるのならば、ミケラの聖樹関連の情報は空白の四方を埋めるピースのひとつである
聖樹はミケラという神人の血によって育てられるところの新たな黄金樹であり、現黄金樹の来し方を示唆しているからである(黄金樹は物語の中心)
これを仮に空白の左側のピースとしよう(左右上下の割り振りは便宜的なもの)
空白の上側にはデミゴッドの誕生法がある。過去の考察でも述べたがデミゴッドは神の血の混じった黄金樹の雫が変化して生まれる。このメカニズムもピースのひとつである
空白の下側には黄金樹の民による還樹システムがある。黄金樹の民は黄金樹の根元に埋葬されることで黄金樹に還り、そして再び黄金樹の雫として誕生する
空白の右側はマレニアとミリセントのシークエンスによって埋められる。マレニアの血縁であり分け身であるミリセントは、マレニアが咲いた際に放出された胞子にマレニアの血が混ざっていたことにより誕生したものと考えられるからである(詳細は前回の考察)
これらによりパズルのピースの四方が埋められ、中央の空白に埋まるピースの形が明らかとなる
すなわち黄金樹は神の血を吸い上げ、それを黄金樹の雫と混ぜることで神の子らを誕生させる、という形のピースである
本作の中心にある空白を神の血という物質で埋めることで、これまで曖昧模糊としていた物語上の謎に一定の解釈が得られるようになる
本作の中心を貫く空白(それは神の血によって埋められる)は、樹木の内部を通る水のように地下から天空へと物語を貫いているからである
ここでいう神の血は比喩や象徴ではなく、実在する物質としての神の血のことである
要するに神々の力の秘密は目に見えない神秘エネルギーではなく、血液という物質に還元されるのである
神々は血液を触媒とすることで狭間の地に干渉し、人は血を巡る神々の争いに翻弄され、恐怖と絶望を味わうことになる
これを文学的な表現に言い換えるとするのならば、エルデンリングは血によって描かれた物語となる
すべての出来事は神の血による、あるいは神々が血液に干渉したことで生じたものであり、物語の中心を貫くこの血の大樹がなければ、狭間の地には物語は生起しなかったとさえ言える
例えば黄金の流星とは神の血の混じった黄金の血液であり、朱い腐敗とは腐敗した血液であり、巨人の火とは巨人に宿る悪神の燃え上がる血液であり、真実の母の炎は穢れた血液とそれぞれ解釈することができる
そしてこれらすべての血液を狭間の地にもたらしたのが大いなる意志である
それは原初、一滴の血液として狭間の地に滴ったものであり、その大きなひとつから狭間の地のすべての生命は分かたれた
すなわち狭間の地の物語は血の一滴から始まったのである
暗い魂の血
DS3DLCに登場する画家(お嬢様)は、新たな絵画世界を描くために暗い魂の血を求めていた
暗い魂の血
アリアンデルの「お嬢様」が
絵画世界を描くための顔料となる
白地のキャンバスに、暗い魂の血という顔料を滴らせることでその新たな絵画世界は誕生するのである
それは彼女いわく「ずっと寒くて、暗くて、とっても優しい画…きっといつか、誰かの居場所になるような」画であるという
狭間の地においてこれらの条件が該当するのは巨人山嶺であろう
そこは雪が降り積もる寒い地方であり、また暗く、星見と巨人が隣人として生きていける優しい世界であった
エルデンリングの物語の中心に神の血があると措定し、その物語を血で描かれたと解釈することで、DS3DLCで示唆された新たな絵画世界との繋がりがくっきりと浮かび上がるのである
すなわちエルデンリングとは、暗い魂の血で描かれた物語なのである
そしてそれはメタ的にこう言い換えることも可能であろう。エルデンリングとは、ダークソウル(暗い魂)の要素(血)を用いて新たに作られたゲーム(絵画世界)なのである
これまでの考察
物語の中心に神の血があると仮定したところで、これまでの考察のすべてが無効になるということではない
というのもエルデンリングは多層的な物語構造だからである
その中央層には黄金樹とエルデの王というファンタジー物語があり、それは狭間の地の生命の物語として一定のまとまりを成している
よって黄金樹とエルデの王の物語を考察したことで得られた諸々の仮説の中には、中央層の物語を解明する上で正当なものもあるだろう
だが、中央層の物語のみを探っていったのでは決して明らかにされないモノがある。それは物語の中心軸にあるはずのモノであり、現在は意図的に空白化(希薄化)にされている神の血である
黄金樹とエルデの王の物語という中央層は、神の血を巡る神々の争いという外側の層によって挟まれている
そして神の血の物語は、狭間の地を地下から天空まで貫く黄金樹のように、中央層と外層を貫いているのである
この多層構造をより分かりやすくいえば、狭間の地の生命の狭間の層と、神々の外なる層となる
エルデンリングをプレイする上で褪せ人が直面するのは狭間の地の生命たちの物語である
そして狭間の地の生命の物語は最終的に黄金樹とエルデの王の物語として集約されていく
一方で狭間の地の生命の層の外側には、生命そのものを狭間の地に送り込んだ神性(大いなる意志)や、外なる神々が蠢く外側の層がある
この二つの層を結びつけるものが「神の血」である
狭間の地の生命は神の血から分かたれた生命体であり、神々はその神の血を媒介することにより狭間の地に干渉することができる
つまり神の血は狭間の地の生命体と神々を結びつける触媒なのである
中空構造
物語の中空構造はSEKIROの時にも指摘した記憶がある。あるいはフロムゲーの特徴のひとつなのかもしれない
例えばダークソウルにおいてダークソウルが人間そのもの、人間性であるということはフレーバーテキストによって示唆されているものの、それと分かる形で明示されていない(空白ということである)
またブラッドボーンにおける神の血や青ざめた血の正体についても示唆に留まる(それは血を媒介にして感染する寄生体と二つの寄生体の融合体だが明示はされず空白状態である)
つまり物語は神秘の力をもつエネルギーを中心に展開され、その脅威の威力が強調されるものの、その物質的な起源については曖昧(空白)にされているのである
これにより考察者は奇跡を起こす神秘エネルギーの力の源を、神性や聖性に求めようとする
考察者は形而上学的な神秘的存在を宇宙の果てまで追い求めてしまうのである。だが実際は極めて物質的、卑俗的なものがその正体なのである
それは例えば精神の正体を探ろうとして魂や天界を思いついた人類が、やがて医学を発展させて、精神とは脳の器質的な働きに過ぎないことを見出したかのような顛末であり、またはコペルニクス的転回であり、幸せの青い鳥にも例えられようか
つまりダークソウルやブラッドボーン、SEKIROといった最近のフロムゲーに登場する神秘エネルギーは常に物質的なモノに起源を持つのである
だがそうした物質的な起源は常に秘匿されているがために、考察者はその正体を追って天界へと魂の旅に出てしまうのである
しかし見つけるべき真理は最初から足元の血溜まりに潜んでいたのである
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