錬金術師にとって最大の眼目は、金属を黄金に変える技術そのものではなく、ましてやこの技術を実社会に通用する金銭に替えることではなかった。なによりも低次の金属を高次の金属に変えるという物質変容の過程に、獣性をもって生まれてきた人間が霊性にめざめていく魂の精鍛、錬磨の過程の比喩を見てとっていたのである(『黒い錬金術』 種村季弘)
三つの瞳
前回、「瞳」には頭の中の瞳と脳の瞳、内の瞳の三種類あることを述べた今回はこのうちの後者、内の瞳とは何かについて考察してみたい
3本目のへその緒
狩人の悪夢はゴースの遺子の黒い影を斬ることで狩られる(Nightmare Huntedと表示)狩人の悪夢は狩人の業から芽生えたとされ、その中心にいるのが上位者の赤子、ゴースの遺子である
さて、本作において上位者の赤子とともに見出されるものがある
3本目のへその緒である
3本目のへその緒
別名「瞳のひも」として知られる偉大なる遺物
上位者でも、赤子ばかりがこれを持ち
「へその緒」とはそれに由来している
3本目のへその緒のは別名「瞳のひも」とも呼ばれ瞳の連なったひものような形状をしている
この黒い球体のひとつひとつが人に瞳を獲得させるものである(そのうちの一つはロマに授けられた)
瞳は複数あることがミコラーシュによって示唆されている
ああ、ゴース、あるいはゴスムミコラーシュはロマに瞳を授けたゴース、あるいはゴスムに対して、さらなる瞳を要求している。このことは瞳が複数あることが前提されていなければ為されない要求である
我らの祈りが聞こえぬか
白痴のロマにそうしたように
我らに瞳を授けたまえ(ミコラーシュ)
結論から先述べれば、狩人の悪夢はこの黒い球体から芽生えたのである(悪夢がある種の苗床であることは「考察30 悪夢と神秘」で述べた)
なぜ苗床は植物的な形態をとり、植物のようにたとえられるのか?
植物だからである
そしてこの植物の種から悪夢が芽生えるのである
端的に言うと、3本目のへその緒とは「鞘に入った悪夢の種」である
ただし悪夢の種は人の内に瞳を獲得させるアイテムであって、瞳そのものではない
これは例えば瞳=種としてしまうと、上位者になったにもかかわらず、芽吹いたはずの種を内に抱いているという矛盾が生じてしまう(これは瞳=精霊の卵説でも同じ矛盾を抱える)
よって3本目のへその緒とはテキストにあるとおり、内に瞳を獲得させるアイテムであって「瞳」そのものではない
3本目のへその緒
使用により啓蒙を得るが、同時に、内に瞳を得るともいう
だが、実際にそれが何をもたらすものか、皆忘れてしまった
内の瞳
3本目のへその緒とは悪夢の種である言い換えれば、上位苗床の種である
その種を使用することで人は内に瞳を得る
なぜ瞳が宿るのは内でなければならなかったのか? 脳でも頭の中でも体でも血でもなく、なぜそれは内に宿らなければ上位者になれないのか
そもそも「内」とは何を意味するのか?
実は宮崎英高氏はインタビュー(Pages 005-009の左下)において、意図的なものかうっかりなのかは分からないが内の瞳の正体を漏らしている
開発の開始時に、私たちはこのフォーラムを持っていて、日常的に思い浮かんだことを何でも書いて、チームの他のメンバーがそれを閲覧できるようにしました。私は、心の目の意味や人々に対するその制限、あるいは血や獣の変容についての議論、そしてそのような他の本当に意味のないものについて書きます。※心の目は原文では mind's eye の字が使われている
※このインタビューでは青ざめた血の意味や赤子が象徴するものなど、かなり突っ込んだ話がなされている。ここであえて内の瞳を隠す必要はないし、また心の目に該当する概念は作中に「内の瞳」しか存在しない
心の目、つまり精神の目であり、内とは人の精神のことなのである
そして悪夢とはまさにその精神が見るもう1つの現実である
悪夢が芽生える培地として悪夢を見る心(ゼーレ)よりも相応しい場所はない
※ユングによれば夢とは「無意識的な心が意図せず自然に生みだしたもの」(『元型論』)である。よって分析心理学的に解釈するのならば内の瞳とは「無意識を見る眼」を持つことである
「内の瞳」は別の物を比喩的に表現しているのではなく、純粋に見るという機能面から名づけられた名前である。そして夢見る瞳を内に抱き続けるかぎり、その者は夢を見ることができるのである
内に瞳を宿したとき、人は自己の内にある「悪夢(無意識)」に気づく
そして人は上位者になった自分を悪夢(苗床)の中に見るのである
貴公、まだ夢を見るのだろう?
…何度でもくるがよい。その度に、死の苦痛を削り込んでやる(デュラ)
デュラによれば、狩人は狩人の夢を見ることで悪夢に存在している。悪夢とは神秘、つまり遺志によって構成された領域である。その領域に存在するために狩人は夢を見る
悪夢に存在するための存在原理は「遺志」なのである。だからこそ死ぬとそれを落とし強制的にもう1度夢を見させられるのである
夢を見ようという遺志がある限り、狩人は夢を見ることができるのである(これは本作に対するプレイヤーの態度とリンクしたシステムである)
上位者もまた同じメカニズムによって悪夢のなかに棲んでいる。悪夢の世界の存在原理、遺志によって存在しているのである
だからこそ、上位者は「上位者の死血」を落とすのである
上位者の死血上位者の血の遺志を宿した遺物
使用により宇宙悪夢的な血の遺志を得る
内に瞳を得た者は、上位者の赤子となった悪夢を見るのである。しかしそれはたんなる夢ではなく「上位の苗床」に棲まう高次元の生命体である
精霊が存在するためには苗床が必要であるように、上位者が存在するためには悪夢(上位の苗床)が必要になるのである
※後述するが、このとき悪夢は上位者の赤子の揺り籠として機能する
上位者の形質や悪夢の造形は遺志をあるていど反映したものである(ただしそれは人の理解できる変異ではないかもしれない)
なぜならば悪夢の種は人の心の内にある「遺志」を肥料にして芽生えるからである
※人→上位者という転変の仕方や生前の性質を反映するという性格は、『ベルセルク』における使徒と類似したメカニズムである
※また夢が世界を構築するというメカニズムは、ダークソウル3の輪の都がそうである。輪の都はフィリアノールが見る夢であり、彼女の目覚めによって真の姿が明らかになる
※フロイトにより無意識が研究されたのはヴィクトリア朝末期である
ここから下は補遺(と補足)である。やや特殊な知識が前提とされることと、重複する部分があることを先に断っておく
補遺:遺志
オドンとは神秘であり、それは遺志でもあることは過去の考察で述べた悪夢における遺志は、狩人の主体(意識と肉体)を成り立たせるものである
青い秘薬
それは脳を麻痺させる、精神麻酔の類である
だが狩人は、遺志により意識を保ち、その副作用だけを利用する
すなわち、動きを止め、己が存在そのものを薄れさせるのだ
脳が麻痺した状態で意識を保てるのは、夢の中における狩人を存在させているのが脳ではなく遺志だからである
遺志がなければ、教会の大男のように意識の希薄な状態に囚われるのである
逆に言えば、遺志こそが狩人自身を狩人たらしめている根源的な要素なのである。ゆえに通常はそれを捨てなければ目覚めることはできない
なぜならば悪夢の世界においては遺志こそが狩人を規定するからである
そして上位者はそんな悪夢の中に棲まう者たちである
上位者も狩人と同じく「遺志」によって存在している。このことは上位者の死血に宇宙悪夢的な血の遺志が宿っていることからも明らかである
上位者の死血
上位者の血の遺志を宿した遺物
使用により宇宙悪夢的な血の遺志を得る
それは天啓にも似て、だが到底理解などできぬものだ
悪夢における存在の仕方において狩人も上位者も同じメカニズムによって成り立っているのである
それは悪夢を支配する神秘の概念、遺志である
狩人は夢を見ることで夢のなかに存在している。そして遺志がある限り存在し続けることができる
貴公、まだ夢を見るのだろう?
…何度でもくるがよい。その度に、死の苦痛を削り込んでやる(デュラ)
人も上位者も存在の源泉が遺志であるのならば、人は夢見ることで夢に存在し、上位者は悪夢を見ることで悪夢に存在するものである
※血の遺志は人形によって狩人の力となる。たとえ敵に殺されたとしてもすでに得た力は失われない。つまり狩人として存在し続けることができる
※しかし、まだ力になっていない血の遺志は殺されるとその場に落としてしまうことがある
補遺:宇宙は空にある
しかし遺志は現実世界には存在しないそれは悪夢という領域に満ちる悪夢のエネルギーである
こうした霊的世界を満たす架空のエネルギーを第五元素(キンタ・エッセンティア)や第一質料(プリマ・マテリア)と呼ぶ。たとえばエーテルでありイリアステルである
※『ベルセルク』ではオドと呼ばれている
エーテルは天体を構成する第五元素としてアリストテレスによって提唱された概念である
イリアステルは生命の精気といった意味の錬金術師パラケルススの造語である。ヒュレ(質料)と、アステル(星)との合成語
古来より第五元素には無数の名前がつけられてきた
水銀、鉱石、鉄、鉛、塩、硫黄、生命の水、石、毒、空気、火、水、血、雲、空、露、影、海、母、月、龍、ウェヌス、混沌(カオス)、小宇宙(ミクロコスモス)等々である
このうち錬金術においてもっとも頻繁に使われたのが「水銀」である
錬金術師たちはしばしば変幻つねなき悪戯好きの神メルクリウスを水銀と同一視してきたが、同時にそれは、火とも、精霊とも、空気の精とも、魂とも同一視されてきた(『黒い錬金術』 種村季弘)
ブラッドボーンにおけるオドンはメルクリウス(水銀)的な第五元素である。それは火であり、光であり、目に見えない形なきものであり、血を滲ませるものである
錬金術の文書はしばしばメルクリウスを火と定義している。それは「元素的な火(イグニス・エレメンタリス)」、「われらの自然にしてもっとも安全な火」、「眼に見えず、秘密裡に作用する火」である。それはまた「天上の霊を内蔵している自然の光の宇宙的な煌く火」でもある。(『黒い錬金術』 種村季弘)
そしてこのこの自然の光(ルーメン・ナトゥラエ)は、「深淵的な」ものであり、地獄の火としても理解されていたのである
メルクリウスは、かくて同時に水であり火であるのみならず、不浄な火である。(『黒い錬金術』 種村季弘)
骨炭の仮面
上位者たちの眠りを守る番人たちは
その姿と魂を業火に焼かれ、灰として永き生を得たという
また物質であるとともに霊でもあり、この二つの対立物を統一した完全性の象徴でもあった
要するに、メルクリウスは物質であるとともに霊であり、眼に見える存在でありながら手に触れられぬものであって、しかも同時にこの対立する二つの範疇を結合する媒体としての魂(アニマ)であった(『黒い錬金術』 種村季弘)
聖歌隊が「宇宙は空にある」といったのは、第五元素であるオドンによって満たされた世界、すなわち宇宙の領域が星辰(アストラル)にあることに気づいたからである
だがそこは現実における空ではない
悪夢の空であり、空の果てには「海」が存在するのである
なぜならば悪夢とは逆さまの世界だからである
「すべて上にあるものは、下にあるものに等しい」(『エメラルド板』ヘルメス文書)
補遺:上位者の赤子
3本目のへその緒の特異な点は3本使うことで上位者の赤子になることであるたとえ使用者が大人であっても上位者の成体ではなく、上位者の赤子に変化するのには何らかの理由があるはずである
上述したように、3本目のへその緒は悪夢の種である
そしてそれは上位者が赤子を産むときに苗床が散種するものである
いわば赤子の揺り籠になるべく生み出されたものなのである。同時に苗床にとっては自らの領域を増やすための手段でもある
赤子に種をもたせることで、その赤子から新たな悪夢が芽生え、苗床は大きくなっていくのである
錬金術用語でいうのならば、こうした悪夢の種子もまた「第一質料(プリマ・マテリア)」である
この第一原質(マテリア・プリマ)はすでに分化の萌芽を内蔵している。それはちょうど、全世界がそこから開花してくる植物の小さな種にもたとえられる(『黒い錬金術』 種村季弘)
補遺:3本の3本目
しかし3本目のへその緒を3本使うことに何の意味があるのだろうか単純に考えるのならば3という数字は、調和を意味する数字である(キリスト教における三位一体もこの観念の延長である)
対立物を調和させ一つに統合することのできる数字が3である
本作で言うのならば3つの対立項を調和させた上位者になるためには3本目のへその緒を3本使う必要があったのである(3本でも4本でも結果は変わらないということは、3という数に意味がある)
3つの対立項とは
- 神秘と獣性
- 血の無きものたちと血をもつ者たち
- 上位者と人
である
これらはすべて月の魔物が統合しようとして失敗したものである(月の獣は神秘と獣性を宿しており、その双極性により障害が引き起こされている。それは2.をも内包し、マリアの子であるがゆえに3.をも内包しているが、月の魔物はそのすべてにおいて統合が不完全である)
血の無きものたちと血をもつ者とは、オドンに代表される血を持たぬ上位者と、その他の血をもつ上位者たちのことである(人間含む)
上位者と人との統合は、トロフィーにより明らかにされている
トロフィー:幼年期のはじまり「自ら上位者たる赤子になった証。人の進化は、次の幼年期に入ったのだ」
ここで狩人は上位者の赤子であると同時に、新しい進化(幼年期)に入った人としても扱われている
3本目のへその緒は対立物を結合させ、卑金属を金に変えるような賢者の石である
賢者の石が上記の3つの対立項を結合させ、人を上位者に(卑金属を金に)変えたのである
※相反するものの結合は錬金術とユング参照のこと(wikipedia)
対立物の結合という観念は錬金術的に非常に重要なものである。錬金術の究極の目標としてあげられるほどである
そしてこの分極をふたたび一つにすることこそが、錬金術の大いなる秘密であり、究極の目的であった。別の表現でいえば、「相反するものの結合」をこそ錬金術の業はめざすのである。(『黒い錬金術』 種村季弘)
心理学者ユングは童子についてこう語る
それゆえそれは対立を結合するシンボルであり、調停者、救い手、すなわち全体性を作る者である。(『元型論』)
狩人は単に上位者であるだけでなく、これまで決して調和され得なかった獣性と神秘を統合した新たな人類と呼べるものなのである(あるいは上位者の進化ですらあるかもしれない)
そしてそれが、幼年期に入るために必要な人の進化だったのである
トロフィー「幼年期のはじまり」
自ら上位者たる赤子となった証。人の進化は、次の幼年期に入ったのだ
補遺:呪い
呪いとは極めて意識的な行為である悪夢において遺志とはたんに意識を保つためのものではなく、世界を構成する要素(神秘)でもある。ゆえに遺志の制御は世界を制御することなのである(ミコラーシュがそれなりに成功したように)
呪いという意識的行為は、呪いに相応しい形質を遺志に与え、そしてそれは現実世界へと送り込まれたのである。獣の病、またその根源にある「虫」である
遺志は悪夢の中にしか存在しえないものである。だが、条件が重なることで遺志や遺志から創造されたものは現実世界に顕現する
例がないわけではない。例えば精霊による神秘力の行使はその弱い実現である
またミコラーシュの未使用セリフによれば、彼は夢を現実にして瞳を得ようとしていたことが明らかになっている
ああ、ようこそ我らの夢へ
けれどもう、誰も必要としない
儀式はもうすぐ終わる
夢が現実に、我らに瞳をもたらすのだ!(ミコラーシュの未使用セリフ)
儀式により夢が現実となり「瞳」をもたらす
この儀式はしかしミコラーシュのオリジナルではない。すでに漁村において原型となる出来事が引き起こされている
赤子を泣かせることで遺志の世界たる悪夢を現実に接近させたのである。悪夢は現実を侵食していき、そこは悪夢と現実の混淆した中間的領域になるのである
そして悪夢と現実とが完全に重なったとき、夢が現実となり、我らに瞳をもたらすのである
※そうしてもたらされた瞳の帰結が「ロマ」であろう
補遺:生きているヒモ
メンシスの脳が寄生生物的な生きているヒモをドロップすることから、抱いていた瞳は精霊の卵であり、精霊の卵こそが脳の瞳であると早合点してしまいがちだが、これは大きな誤解であるなぜメンシスの脳の抱いていた瞳が「邪眼」でなければならなかったのか?
なぜメンシスの脳は腐りきっていなければならなかったの?
純粋な上位者のようにただ瞳を抱くだけではない、別の要素があるはずである
別の要素とは「生きているヒモ」そのものである(それ以外にない)
生きているヒモのグラフィックは「赤い」
そして、青い光や白い液体といった神秘属性の物質とはほど遠い赤い血のような液体に浸かっている
つまり生きているヒモは神秘の存在ではなく「血属性」をまとっているのである
さらにいえば、軟体生物とは異なり「生きているヒモ」は固く折れ曲がっている
これは一体何者なのか?
血に潜む生物には二種類いると先述した。精霊の卵と獣血の主(虫)である
その二者は相克関係にあり、一方が一方を滅ぼそうと熾烈な争いを繰り広げている
それは上位者であっても同じ事である
つまるところ、メンシスの脳が腐っていたのは「生きているヒモ」に寄生されていたからであり、その瞳が邪眼になってしまったのも「生きているヒモ」に寄生されていたからである
純粋な上位者になることを「獣性」が妨害したのである
啓蒙取引において「生きているヒモ」は啓蒙10と交換される。これは単に啓蒙と交換に生きているヒモを手に入れたわけではない
獣性の塊たる「生きているヒモ」を入手することで、より獣性に近づいたことを意味しているのである(それは啓蒙を失うことでもある)
そう考えると啓蒙取引の素材ラインナップにも意味深なものを感じてくる
啓蒙取引の素材に並ぶのは、ほぼ例外なく「血」(それはつまり獣性)に関連する品物である
補遺:大量の水
本作において湖は重要な概念として登場してくる「深海」
大量の水は、眠りを守る断絶であり、故に神秘の前触れである
求める者よ、その先を目指したまえ
ユング心理学において「大量の水」(海や湖)は無意識の象徴である
そしてユングによれば夢とは「無意識的な心が意図せず自然に生みだしたもの」(『元型論』)であるという
夢とは神秘の世界であり、普段それを意識と断絶させているのは無意識なのである
さて、第五元素イリアステル(星辰的質料)には、その水性、水としてのあらわれとして「アクアステル」と呼ばれる霊的原理が存在し、それは水棲生物メルジーネの属する領域であるという
「メルジーネ」は水棲生物であるから、「メルジーネ的形成原理」とは、いわゆる「アクアステル」をさす。アクアステルはイリアステルの水性、水としてのあらわれであり、身体内の水分に生命を与え、これを保持するからである(『ユング 錬金術と無意識の心理学』)メルジーネは水の精であるが、パラケルススによれば水の精は「悪夢」であり、メルジーネは血液に宿るとされる。またユングによればメルジーネは無意識の魂(アニマ)であるという
なぜ狩人の悪夢の最深部(それは最上部である)において、狩人は水棲生物ゴースと遭遇しなければならなかったのか。彼女こそが自らの血液に宿る無意識の魂(アニマ)であり、彼女との統合を果たすことが、この旅の最終的な目的だからである
そしてそれは、狩人の分身たるゴースの遺子が母の元へ、海へと還ることで達成される
ユングはこの人間的完成つまり個性化への旅を「夜の航海」と名づけた。ユングにおいては、この個性化への旅は、暗い無意識世界の海へ深く下降していく旅なのだからである。この下降によって、意識と豊かな無意識とは統合され、個性化――人格としての完成――は実現されるのだ(『ケルト神話と中世騎士物語』)
本作における悪夢は「逆さまの世界」である
逆さまであるということは、本来は海の底にあるはずの深海が空にあることになる
狩人が悪夢(メルゴーの高楼)において上へ上へと昇っていく行程は、悪夢的には深海の底へと下降していく旅である
補遺:無意識
ここまで悪夢とは苗床であり苗床から芽生えるもの、としてきたこれはゲーム内の用語を用いた説明である
しかしながらこれをユング心理学の用語で説明するのならば、苗床とは悪夢そのものであり、さらに悪夢を芽生えさせるような概念、つまり無意識や集合的無意識に置換できるのである
であるのならば、無意識に棲まうある種の人格、つまり上位者とはユングのいうところの「元型」(Wikipedia)である
元型 (げんけい、ドイツ語: ArchetypまたはArchetypus、英語: archetype、アーキタイプ) は、カール・グスタフ・ユングが提唱した分析心理学(ユング心理学)における概念で、夜見る夢のイメージや象徴を生み出す源となる存在とされている。集合的無意識のなかで仮定される、無意識における力動の作用点であり、意識と自我に対し心的エネルギーを介して作用する。元型としては、通常、その「作用像(イメージ等)」が説明のため使用される。
元型とは無意識を構成するものであり、無意識における駆動力そのものであり、形式であり内容である。そしてまた意識と無意識とを調停するものである
※人形はアニマとなろうか
シンボルが先例のないほど貧困化してのち、ようやく神々は心的動因として、つまり無意識の元型としてふたたび発見された。(『元型論』)そして夢とは元型が具象化している場所なのである
その夢を芽生えさせる3本目のへその緒とは、無意識の種子であり錬金術でいう第五元素、第一質料である
この第一原質(マテリア・プリマ)はすでに分化の萌芽を内蔵している。それはちょうど、全世界がそこから開花してくる植物の小さな種にもたとえられる(『黒い錬金術』 種村季弘)
さて、ユングによれば人間の全体性は意識的人格と無意識的人格の結合によって成り立っているという
要するに人間の全体性は意識的人格と無意識的人格の結合によって成り立っている。(『元型論』)
本来結合していなければならない意識と無意識が分裂してしまう。そのことが人間の全体性を損なわせる原因になるのである
この「人間性の欠損という病」を修復するためには、意識と無意識とを再統合しなければならない
そしてこの相反するものの統合は錬金術の究極の目的でもある
ゆえにユングは錬金術の手技の過程に、精神の再統合のモデルを見出したのである
そしてこの分極をふたたび一つにすることこそが、錬金術の大いなる秘密であり、究極の目的であった。別の表現でいえば、「相反するものの結合」をこそ錬金術の業はめざすのである。(『黒い錬金術』 種村季弘)金属における「相反するものの結合」のなかに、精神における意識と無意識の結合を見出したのである
病める金属(不完全な金属)を完全者へと救済する方法は、これを肉体に適用すれば病者の治癒、あるいは不老長寿の法となる(『黒い錬金術』 種村季弘)
補遺:霊性と獣性
要するに、錬金術師たちは人間の魂を物質(獣性)と霊との間にある中間的存在としてとらえ、見かけはつまらないものである種子がやがて美しい花を咲かせる潜在的な力をたくわえているように、魂には生まれつき至高善をめがける性向が具わっていると考えて、行く手のさまざまの障害や艱難辛苦を通過して魂の霊的完成(悟り)に達する内面の旅の細目を物質の化学変化のうちに類型的に対応させたのだった(『黒い錬金術』 種村季弘)
獣性とは本作における獣性であり、霊性とは本作における神秘である
両極に引き裂かれた状態にある狩人(魂)は、悪夢(無意識)への旅を経て、両者を完全に統合し、あるいは霊的に高められ、上位者の赤子として完成に至るのである
そのための必須のアイテムこそが3本目のへその緒、つまり第五元素、第一原質と呼ばれる「賢者の石」である(賢者の石は卑金属を金にする)
獣性と霊性を超越し、自らも第一原質となった姿が、幼年期のはじまりENDにおける狩人である
ユングによれば童児とは以下のような存在である
- 本質的な性質の一つは、その未来的性格である。
- 意識的な人格要素と無意識的なそれとの総合から産まれる形姿の先触れである。
- それゆえそれは対立を結合するシンボルであり、調停者、救い手、すなわち全体性を作る者である。
蛇足
内の瞳とは卵や瞳の比喩ではなく、まさしく見るという機能を持った「瞳」なのであるしかしそれは無意識(夢)を見るための「心の瞳」であって、人体にある「眼球」ではないのである
この精神と夢との関わりや、神秘と獣性の統合といった概念はユング心理学から採用されたものであろう
補遺としていくつか挙げたがまだ書き足りないのでユング心理学と本作の関わりについてはそのうちまとめてみたいと思う
へその緒に3本の血管が…というのを見たので、3本の3本目について血管の数を3本目のへその緒3本と置き換え考えました。
返信削除血の遺志を回収しようと月の魔物に抱かれた時3本のへその緒がへその緒として役割を果たして主人公とつながりが出来てしまうため月の魔物が引いた「赤子ばかりがこれを持ち」とあるためへその緒を取り込んだ主人公は赤子、月の魔物は親の関係となる。へその緒でつながった赤子は親から栄養(血)をもらうものである。月の魔物を倒しへその緒を通じ上位者の血の遺志(上位者たるもの)が流れ込んだため上位者の赤子が誕生、幼年期の始まりとなったのではと思いました。
「瞳のひも」の部分には触れてない内容で文の締めも記事と関係ないものになってしまいましたが3本使う理由としての考えです、お目汚し失礼いたします。
コメントありがとうございます
削除3本目のへその緒は多義的な意味をもつので、もちろん「へその緒」としての解釈もあるかと思います(私自身も動画ではそのように解釈しました)
例えば3本目の血管と見ると、その結合部を真正面からとらえれば「瞳」のように見えるからという見方もできるかと思います(星輪の幹と血管はともに神秘の力を流すものとも解釈できます)
本考察はあくまでも宮崎氏の「心の目」という言葉に着目し、無意識を介して悪夢に論を展開した一解釈を提示したものです。したがって他の解釈を否定するものではありません
実のところ「見る」という行為を物質に転換するのならば「繋がる」ことであり、繋がりとはへその緒に象徴される血管の繋がりである、という解釈もできるかなぁと思いはじめてます