エルデンリング
エルデンリングとは輝ける生命の円環(生と死の円環、輪廻)である
生命が生きて死ぬという現象を律するものが黄金の律であり、生命は死ぬことによって生き、そして生きることによって死ぬことができる
エルデンリングの権能はデビュートレーラーにある「流れる星すら律し」にすでに示されている
流れる星をすら律し
命の灯を高らかに輝かす(デビュートレーラー)
魔術師セレンによれば、輝石とは星の琥珀であり、星の生命の残滓でるという。つまりこの世界において星は「生命」なのである
…輝石とは、星の琥珀なのだ
金色の琥珀が、古い生命の残滓を、その力を宿しているように
輝石には、星の生命の残滓、その力が宿っているのだよ(セレン)
すなわち「流れる星すら律し」とは、「生命を律する」ことの比喩である
黄金の律により生と死という二つの現象が世界を巡ることで、はじめて生命は祝福と幸福を謳歌することができるようになる
故に生と死の循環を停滞させたり、どちらか一方を除去してしまうと、世界や生命は停滞し、それは腐敗を呼び込む原因となるのである
そしてついに黄金の律が砕かれたことで、世界と生命はどうしようもなく壊れてしまったのである
“今や世界は、生命は、どうしようもなく壊れている”
“呪いと不幸が蔓延っているのだ”(指読みのエンヤ)
生と死
生と死は現象として実在するが、生と死を象徴として見た場合、それらには多様な概念が包含されている
以下が生と死がそれぞれ包含するもののリストである
生
黄金樹(死のルーンを取り除かれた後)
祈祷
永遠の女王マリカ-永遠の生
黄金律(原理主義)-ラダゴン
生体
温かい
金
黄金樹の雫
琥珀(黄金樹の琥珀)
死
黒い月(失われた後)
魔術
宵眼の女王-運命の死
冷たい夜の律-魔女ラニ
霊体(魂)
冷たい
銀
銀の雫
輝石(星の琥珀)
生と死に包含される多様な概念群は、狭間の地においてそれぞれ対立し、相克し、そして混淆していた
これらの多様な概念を循環させていたのが黄金の律でありエルデンリングであった
だが今やエルデンリングは砕かれ、循環は停滞してしまった
その結果、狭間の地の内部では様々な対立間のバランスが崩れ、歪んでしまっているのである
例えば生と死のバランスが崩れその循環が停滞したことで、生が行き場を失い腐敗が引き起こされ、また死からは死に生きる者が誕生する
※腐敗は生の過剰から引きおこされる
また還樹という生命の循環システムが止まったことで、生命は再生することができず、朽ち果て、あるいは霊体としてさまようことになった
死のルーン
エルデンリングが砕かれたことの根本的な原因は、マリカがエルデンリングから死のルーンを取り除き、封印したことである
マリカが死のルーンの封印を取り除いた理由はいくつか考えられる
エルデンリングが形而上(律)と形而下(生命現象)という2つのレベルを司っていたように、マリカが死のルーンを封じたことにも2つのレベルの理由がある
形而上レベルにおける理由とは、エルデンリングの司る生と死の循環、すなわち輪廻からの解脱である
仏教の最終的な到達地点は、生と死の繰り返しである輪廻から解脱してニルヴァーナの境地へ至ることである
大いなる意志のもたらした生と死の循環(エルデンリング=黄金律)は、狭間に輝ける生命をもたらした
しかしそれは同時にあらゆる罪と苦しみをも生じさせたのである
けれどそれは、大いなる意志の過ちだった
苦痛、絶望、そして呪い。あらゆる罪と苦しみ
それらはみな、過ちにより生じた(三本指の言葉を語るハイータ)
マリカは生命現象の宿命である苦痛から逃れるために、最大の苦痛である死を取り除き、封じたのである
もちろんマリカの行動は仏教的な解脱理解とは異なるものであり、当然ながら失敗に終わる
また生命現象という形而下レベルにおける理由とは、ゴッドフレイとの間に忌み子が誕生したことであろう
坩堝の力が強すぎたことで、子どもたちが忌み子として誕生してしまったことが、マリカに死のルーンを封じさせたのである
坩堝とは生命の混じり合った状態である。生命とは生と死による現象である
そこでマリカは生命の一方の極である死を取り除くことで、生命の力を弱めようとしたのである
運命の死が封じられたことでマリカと神の一族は永遠となった。しかしその永遠は停滞でもあった
黄金樹が豊穣の雫を滴らせなくなったのと同じ頃、マリカは子どもを産めないことに気づいたのである(ブラッドボーンの上位者と同じ境遇)
恵みの祝福
かつて黄金樹は、恵みの雫を滴らせた
これはその残滓であろう
黄金樹の恵み
かつて、黄金樹は豊穣であった
そして、それは束の間であった
すべての生命と同じように
それは生と死の循環から死を取り除いた弊害であった
そこでマリカはゴッドフレイを追放し、いつか死を宿して帰還することで、黄金律に死が回帰されることを望んだのである
それによってマリカは新たな子を産むことができるようになるからである
要するにゴッドフレイの追放は不妊治療の一環である(ブラッドボーンの上位者と行動原理が似ている)
一方で死の取り除かれた黄金律を宿すマリカの精神に、ラダゴンという神格が誕生する
それは死を取り除かれた不完全な黄金律を体現する神であった
ラダゴンは自らの不完全性に気づき、彼なりのやり方で黄金律に死を回帰させようとする
そして死に連なる「魔術」を取り込むため、リエーニエに侵攻したのである(これもある種の不妊治療である)
だが魔術を取り込むことには成功したものの、それはやはり不完全な黄金律であった
けれども魔術を取り込む過程で、その冷たい結婚の副次的な産物として、冷たい夜の律を掲げるラニが産まれる
※もしかするとラダゴンはここでラニと結婚することで黄金律を完全にしようとしたのかもしれない
だがマリカはそれを許さず、自身との結婚を強制し、やがて二人からミケラとマレニアが誕生する
死に連なる概念である魔術をラダゴンが修めていたために、それはまがりなりにも成功する(死そのものではないが、死に近しい概念を回帰することにより、生命はわずかにその力を取り戻した)
しかし二人の子どもたちは、不完全な黄金律から由来するところの永遠の停滞(ミケラ)と腐敗(マレニア)に侵されていた
そしてマリカはついに陰謀の夜を企てる
かつて封じた死のルーンを盗み、それによってデミゴッドに死をもたらすこと。それにより神の一族は生命の豊穣を取り戻すことができる
だがラニの企みにより計画は中途半端な形で実行されてしまった
黄金のゴッドウィンは魂のみを殺されて死に生きる者となり、ラニは肉体のみを殺し、神人という桎梏から逃れてしまう
もはや自らの掲げる不完全な黄金律では神の一族を救えないと悟ったマリカは、黄金律の器すなわち自分自身を砕くに至る
※あるいはエルデンリングに死を回帰させるために、死のルーンをエルデンリングの器であるマリカ自身に打ち込む必要があったのかもしれない
神である自分が死ぬことで不完全な黄金律は壊れる。しかし次の神により掲げられる律によって世界は修復されることを望んだのである
デミゴッド、我が愛し子たちよ
お前たちはもう、何者にもなれる。王であれ、神であれ
そして、何者にもなれぬ時、お前たちは見棄てられる
…そして贄となるのだ(マリカの言霊)
マリカがエルデンリングを砕いたのにはもう一つの目的があった
というのも、デミゴッドたちが大いなる意志の祝福を受けているかぎり、ゴッドフレイと褪せ人たちは狭間に還ってくることはない
そこでマリカは、やがてデミゴッドたちが大いなる意志から見棄てられる(何者にもなれぬ時)ことをも想定し、エルデンリングを砕いたのである
エルデンリングを砕いたことでマリカは黄金樹に囚われる。マリカを罰したのはエルデの獣である(エルデの獣の技に褪せ人をマリカのように磔にするものがある)
そしてマリカの身体には死のルーンが突き立てられている
死のルーンの赤黒い炎はマリカの体を焼き、砕けたその身体から分け身がこぼれ落ちる(分け身については、神道の分け御霊参照のこと)
その分け身の一体であるメリナに、黄金樹を焼く種火の少女としての使命を与え狭間の地に送り出す
種火の少女の存在に気づいたラダゴンはメリナを幽閉(神を殺すことはできない)し、そして黄金樹を拒絶の刺で封じる(種火の存在は死のルーンの解放、つまり神の死を可能とする)
しかし拒絶の刺による神の封印は、ラダゴンによるエルデンリング修復の可能性も閉ざしてしまった
ラダゴンはエルデンリングを修復しようとするが、種火を怖れるあまり拒絶の刺を解くことができず、しかしその状態では修復は不可能なのである
※このときのラダゴンはマリカとそっくりな行動をとる。マリカは死を恐れるがあまり死のルーンの封印を望んだが、それによって生命現象は袋小路に入ってしまう。同様にラダゴンは神の死に繋がる種火を恐れるがあまり黄金樹を閉ざしたが、そのことにより修復の道を自ら断ってしまったのである
砕けたエルデンリングの破片は大ルーンとなり、それを手にしたデミゴッドたちは破砕戦争を引き起こし、世界はどうしようもなく壊れていく
しかしこの時、マリカがかつて追放したゴッドフレイと褪せ人が、大いなる意志の導きにより狭間の地に戻ってくる
彼らこそ黄金律から失われた死を取り戻し、世界と生命を修復するための最後の希望であった
だが律たる概念の具現であるエルデの獣は、死のルーンが取り除かれたことでその律もまた歪み、ある種の暴走状態となって褪せ人の前に立ちはだかるのであった
不完全な黄金律たる概念の具現であるエルデの獣は死を拒絶している
大いなる意志の望みは、不完全なエルデの獣に死を回帰させることにより、完全なる黄金律をうち立てることである
絶対矛盾的自己同一
エルデンリングとは生と死が循環することで生じる、輝ける生命の円環である
生と死の循環というと、生と死という2つの状態を移行しているように想像されるかもしれない
しかし生と死は、絶対的に矛盾した概念である
生は死を経験することは絶対にできない。なぜならば死を経験したら生でなくなってしまうからである
また同様に死も生を経験することは絶対にできない。なぜならば生を経験したら死ではなくなってしまうからである
このように絶対に交わることのない矛盾対立する概念が生と死である
こうした絶対矛盾した生と死の概念が大きなひとつとして融合したものがエルデンリングである
エルデンリングのこのような在り方は西田幾多郎の言葉を借りて表現しようとすれば、「絶対矛盾的自己同一」となる
絶対的に矛盾する対立概念が対立したまま全体として同一性を実現しているこの状態を、「絶対矛盾的自己同一」というのである
またこのとき、それは「一即多、多即一」であるという。すなわちエルデンリング=黄金律が、全体としては一つの黄金律を表わしていると同時に、多数の黄金律をも表わしていることと等しい
そして西田幾多郎によれば、この世界の根柢には「絶対矛盾的自己同一」があり、その矛盾という原動力が、世界を創造しているのだという
狭間の地というひとつの世界に根柢にあるのは、生と死という絶対矛盾する概念を自己のうちに内包したエルデンリングである
極論すれば生と死は「有」と「無」に還元することができる。有と無が絶対的に矛盾しながらも同一性を保持している状態が、世界の根柢にある
この領域を西田幾多郎は「絶対無の場所」であるという
多世界解釈によれば、世界は無数に分岐し、今ある世界はそのうちのたった一つが観測により実現したものであるという
つまり今ある世界は、無数の観測されなかった世界を前提として存在していることになる。いわば今ある有の世界は、無数の無の世界の裏側に芽生えた若芽のようなものである
今ある世界は絶対無を根源として、絶対無から生じている。
そして絶対無とは、有と無という絶対に矛盾したものが、矛盾しながらも同一性を実現した「絶対矛盾的自己同一」の状態にある
絶対的に矛盾したものの同一化という考え方は錬金術にもある。そこでは男性的なものと女性的なものの合一、または太陽と月の結婚という比喩によって表現されるが、その合一によって生じるものが「賢者の石」である
賢者の石は卑金属を黄金に変えるという奇跡の物質である
エルデンリングが黄金の律であるといわれるのは、それが卑金属を黄金に変える賢者の石だからである
ただし狭間における黄金とは金属としての黄金であると同時に、生と死の循環から生じるところの生命をも意味している
すなわちエルデンリングとは、黄金に輝く生命の円環なのである
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