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| 最高の友人と |
ゲームプレイ
クリアタイム:115時間
攻略情報は見ていない
最長連続プレイ時間:27時間
途中で食事1回(30分ほど)
発売から時間が経ったゲームは攻略サイトを見ることが多いのだが、このゲームに関しては作業感が増す気がしたので攻略情報はいっさい仕入れなかった
雪山クリアまでは可能な限り親密度をLv5まで上げてから先に進み、どこに向かおうと荷物満載のピックアップオフローダーで突き進もうとするので何をするのにも時間のかかる非効率プレイ
さらにジップラインの構築にこだわりすぎて2日ほど時間を無駄にする
加えて「他の人の配達物を預かる」に終盤まで気づかず。それまで自分で拾った配達物のみで親密度を上げていた(どうりで時間がかかるはずだ)
同様に終盤まで気づかなかった要素として、□ボタンを押しながらカーソルを動かすと複数選択することができる、というものがある。それまで□ボタンポチポチしていたあの苦労は
雪山後は切りの良いところで親密度を上げにいこうかと思っていたのだが、その“切り”がこないままあれよあれよという間にクリアしてしまった
具体的にはDHVマゼランのファストトラベルの解禁まで進める予定だったのが、来ないままクリアしてしまったという。もし仮にファストトラベルがその間に解禁されていたらクリア時間は30時間は増えていたと思われる
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| …げる |
ストーリー
大雑把にいえばDS1(Death Stranding)から始まったサムとルーの物語が終わりを迎えるという話。前作をクリア済みならプレイ推奨
他にもサムとフラジャイル、サムとヒッグスの関係性にもそれぞれケリがつく。またデッドマン、ダイハードマンのその後もきちんと描かれる
反面、今作登場キャラは影が薄い。これは今作の話の中心にいるのがサムとルーで(前作はデスストランディングという現象)、サムとルーの物語だからであろう。そのため今作キャラはサムのサポートという役割の域を出ていない
このように述べていくと察するかもしれないがシナリオ的には、DS1のDLCもしくはDS1.5くらいの内容。はっきりいえば前作よりスケールダウンした感は否めない
前作で大きな物語を描ききった上での続編ということもあり小さな物語になるのは仕方がないのかもしれないが、この規模のゲームに乗るにしては少々の小粒感を覚える
前作を超える規模のゲームに小粒なシナリオが乗っているので、よく言えばゲームプレイ重視、悪く言えばストーリー的には間延びしている感がある(ピザ屋のあたりはやや中だるみを感じた)
ただしストーリーが悪いというわけではない。それ単体(またはDS1のDLCもしくはDS1.5のシナリオ)として見れば、前作よりもクオリティは高かったのではないかと思う
説明シークエンスが少なくシナリオが引き締まった感がある。これは絶滅体というややこしい概念にそれほど触れる必要がなかったからかもしれない
その結果、感情のもつれから生まれる人間ドラマを分かりやすくシンプルに描くことができていたように思う。加えて前作キャラに見せ場が用意されているのも満足度が高い
またニール・バナが完全な悪役ではないというのが良い。ニールに対しては同情と共感の入り交じった感情が残った
祝福されて生まれてきたルーと、誰からも愛されることのなかったヒッグスは対比的である
二者の境遇の差がクライマックスにおけるルー(スターチャイルド)の選択(世界の維持)に繋がっていると思われる。一方で誰にも愛されることのなかったヒッグスは世界の破滅を求めたのだろう
終盤に明かされる叙述トリック的なサムの秘密については、それまで「そうなのだろう」と思っていたものがたったワンシーンで「話が変わってきたな」となるプロットツイストのお手本のような手際(みんな大好き叙述トリック)
三人称的なゲームでこの叙述トリックが成立するのかという点が問題となるかもしれない。サムの一人称視点だけでなく三人称視点でもルーが映っているからである
しかしプレイヤー=サムというDS1からの前提があるので、その前提に立てばプレイヤーはサム自身でもあるので成立可能である(つまり設定的にはサムと同様にプレイヤーもその幻覚を見ている)
※価値観の転倒、善悪の転換、現実(と思ってきた虚構)の崩壊などは監督の十八番である
また日本のサブカルに親しんでいるとにやりとできるシーンが多いかもしれない(ウルトラマンとかマジンガーZとかデビルマンとかのオマージュは海外勢に伝わるんだろうか)
※巨大BTとアレしたデッドマンはギレルモ・デル・トロ監督の希望か
まとめるとゲーム規模に比してストーリーは小粒だがクオリティは前作に劣らない。説明成分の少ないシナリオはシンプルかつ直接的。サムとルーの物語として非常によくまとまっている
何度も言及しているが惜しむべきはゲーム規模とシナリオのミスマッチ
なお前作をクリア済みでDS2をやらないのは非常にもったいないと思う。クリア後の今はDS2をやらなかったら本当の意味でDS1は終わらないのではないかとさえ思う(そういった意味でもDLC向きのシナリオ)
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| ルーがあんな状態だったので2で最も長く一緒に旅をしたのは冒険家かもしれない |
ゲームメカニクス
ゲームの規模は前作より大幅に拡充された。体感だがマップの大きさは前作の2倍以上はある(平地は2倍、雪山は3倍くらい)
乗り物やガジェット、戦闘システム、モノレールや温泉ワープなど移動手段も大幅に増加。配送の快適度がDS1から大きく向上している
新建築物ではジャンプ台とカイラル橋がとても便利。これまでノロノロと下ることしかできなかった高い崖を一気に飛び降りることができるようになり、低い崖ならカイラル橋で乗り越えることも可能(ピックアップオフローダーも車体の中心を乗せることで渡ることができる)
またアップグレードを済ませたピックアップオフローダーはバランスブレイカー気味の性能を発揮。雪山の急斜面を楽々と登っていくし、武器をつければ強敵を一撃で倒すこともできる
国道やモノレールの復興は資材を入れるだけなのに非常に満足度が高い。これは単なるオブジェクトではなくその後に実利のあるインフラとして使えるからだろうか
中盤あたりに深刻なセラミック不足に陥ったものの、セラミックを産出する採掘場を稼働させたおかげで解消された。モノレールによる資源輸送計画を練るのも楽しい
戦闘の快適性も上昇。序盤は控え目だがマシンガンを入手したあたりからサム無双が始まる。人でもゴーストメックでもBTでもマシンガン一本でやっていける(弾数多い、遠距離対応、高威力、エイムアシストの効果大)
高威力の4連装ミサイルランチャーやロックオン可能な多弾頭ミサイルランチャーがあればボスも楽に戦える。ただしサムの武器Lvを考えると色々な武器を使っていったほうが良い
BT戦に関してはEXグレネード(BTの動きを停める)がゲームを通じて強武器だった。中盤以降はBT召喚でごり押しも可。コストも破格(倒したBTでおつりがくるレベル)なので縛りプレイしているのでないかぎりBTを召喚しない手はない
BT召喚があまりにお手軽なので大型BTよりもゲイザーの方が苦戦する(わざと捕まって大型BTを呼びだして倒す方が楽)
難易度にもよると思うが全体的にサムが強化されているので前作よりも簡単(快適)になった印象。しゃがんで息を止めてゲイザーの臍帯を切断する、というステルスを要求される場面はほとんど無い。これに関しては評価が分かれるところか。ただし息止めLvもあるのでしなくても良いというわけでもない
これらの強化要素を端的に表現するのならば「DLC武器を持って本編をプレイする感じ」となる。ゲーム面もDS1のDLCのニュアンスが強い(もともとDLCとして企画されたような気がしないでもない)
そんななか前作譲りの難易度を誇るのがニール・バナ戦だろうか。とはいえニールとその部下たちは遮蔽物に隠れる性質があるのでグレネードを持ち込めば難易度は下がる。最後のニール戦は多弾頭ミサイルランチャーとマシンガンでごり押した
様々な面で快適性が向上した一方、カイラルネットワークが通じていない土地をマップを頼りに進んでいく心細さと楽しさは健在
映画的な演出も前作同様に秀逸。荒野を走行中に音楽が流れ始めると、それだけで涙腺が緩む。前作よりも曲数は増えたし曲が流れる場面も多い
また、ルート作成が可能となったことで配送計画がより重要となった(結局は落とし物を拾いに脱線するのだが)
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| 雪山の頂上付近でよく遭遇する巨大な月 |
オリジナリティ(独創性)
配達というありふれた行為を優れたゲームエンタメに昇華。しかしこの作品の真の独創性は単なる「配達ゲーム」に留まることなく、「配達」という概念に内包される哲学的な意味にまで洞察が及んでいるところである
哲学者ジャック・デリダは「贈与」を可能にするものは「贈与の不可能性」であると語っている。これはつまり、人が人に「与える」という行為が認識された瞬間に、それは「贈与」ではなく見返りが生じる「交換」という行為になるからである(返礼、金銭という見返り)
贈与という行為は到達不可能かつ現前不可能な状況でのみ可能なのである。要するに贈与が成立するためには贈与は贈与であることを誰にも知られてはならないし、それが現前してもいけないのである
では不可能であるはずの贈与はいかにして可能か。これに対する筆者の理解するところにおけるデリダの考えとして、「郵便はいつもすでに遅れている」がある
郵便という行為には「誤配」、「遅延」、「盗み見」、「読まれない」という可能性が内包されている。そして「郵便」とは「配達」のことである
すなわち「郵便(配達)」という行為は、贈与が内包する不可能性を内包したまま相手に与えることのできる行為なのである
配達は原理的に失敗する可能性を内包する。ゆえにそれは「交換」ではなく、「贈与」になりうる可能性を宿す行為なのである
その不可能性ゆえに贈与の可能な「配達」はデリダの言う「来たるべきもの(à-venir)」の条件を満たしている
「来たるべきもの(à-venir)」とは「予測不可能」で「到来が保証されず」、しかし「来なければならないもの」であり、そもそも「来るかどうか」も分からない「あり方」を示す概念である。そして贈与と同様に「来たるべきもの(à-venir)」は到達不可能性を内包していなければならない
ならばいかにして「来たるべきもの(à-venir)」は到来可能か。「配達」という不可能性を宿す行為によって可能なのである
この「来たるべきもの(à-venir)」についてデリダは「正義や倫理」を生じさせる条件であるという。「正義や倫理」は到達不可能性を保証された場においてのみ可能な概念である
要するに「正義」は「正義を為したと宣言した瞬間にそれは他者を排除する暴力になる(正義を実現したら他者は必要なくなる)」し、「倫理を為したと宣言した瞬間に他者への責任を放棄することになる(他者を前提としない倫理は無意味)」のである
ゆえに「来たるべきもの(à-venir)」は来なければならないが、到着してはならないのである。到着してはならず、しかし到着を待ち望む。そのような開かれた存在としてあること。その人間の姿勢こそが、逆説的にそれを可能にする、ということであろう
人間は「来たるべきもの(à-venir)」と直面した時にのみ「正義や倫理」を生じさせることができる。それはすなわち、人が他者と対面した時のみ「正義や倫理」を生じる条件が整うということである
このような「来たるべきもの(à-venir)」を待ち続ける姿勢をデリダはメシア性と呼んだ。メシアは宗教学的な用語だがデリダの言うメシア性には宗教的な意味はない
また「来たるべきもの(à-venir)」は人間の本質であるともいう。人間が到達不可能性を内包する存在であるかぎりにおいて人間性の限界は訪れず、完成不可能であるゆえに人間は完成可能なのである
すなわちメシア性とは「来たるべきもの(à-venir)」であり続けているものを尊重することであり、「来たるべきもの(à-venir)」とは未来にやってくる人間(他者)のことである
ゆえに配達される人は「来たるべきもの(à-venir)」を待ち続けるメシア性を体現する者であり、配達人とは「来たるべきもの(à-venir)」の具現である
ここで到達してはならないのにサムは配達を完了させているではないか、と疑問に思うかもしれない。だがDS1から提示されているように、サム=無数のプレイヤーである。すなわちサムとは不特定多数のプレイヤーであり、個人としてのサムは存在しない
ゆえに本作における配達は、サムという誰でもない誰か(サムワン)が相手に贈り物を送り届けていることになり、そこに贈られた者から贈る者への「交換」は生じない
つまるところ、厳密には「来たるべきもの(à-venir)」は到達していないのである。それは常に誰でもない誰か(サムワン)であって、それゆえに不可能性を内包しつつ贈与が可能なのである
本作のエンディングに引用された安部公房の文章は「予測不可能」で「到来が保証されず」、しかし「来なければならないもの」であり、そしてそもそも「来るかどうか」も分からない「来たるべきもの(à-venir)」の「あり方」を表わしているように思う
未来が「今日」のつみ重ねによって作られたとしても、
未来が「今日」に属しているとは限らない。
(「『今日』をさぐる執念」安部公房)
それは「予測不可能」であり「到来が保証されず」
生きるということは、けっきょく、未来の中に自分を
思い描くことかもしれない。そして未来はかならずやって来る。
(「『今日』をさぐる執念」安部公房)
しかしそれは「来たるべきもの(à-venir)」であり「来なければならないもの」である
だが、そのやって来た未来のなかに、
予期していた君の姿があるとはかぎらないのだ
(「『今日』をさぐる執念」安部公房)
またそれは「予測不可能」であり予期していた姿で「来るかどうか」も分からない「あり方」である
配達はゲームの一要素としてだけ存在しているわけではない。それは作品全体を貫く思想の核なのである
配達という行為によって人は必然的に正義や倫理の生じる場に立ち会うことになる(しかしそれらが達成されたと宣言してはならない)
人が孤立して生きているデスストランディングの世界で、そうした場を生み出すことができるのは配達員たるポーターだけなのである。つまりサムは配達物を配達しているだけではない。その行為は世界から衰微してしまった人間性の回復を促すための贈与なのである
総評 95/100
連続で27時間プレイしていることからもわかるかもしれないがゲームとして非常に楽しめた。前作よりクオリティもボリュームも格段にアップしており止め時がわからないほどである
配達メインのゲームをプレイヤーが夢中で遊べるようなクオリティに昇華させたことや、その深い思想性や独創性は賞賛されるに値する
ストーリーについても前作クリア後も残った確執や謎をおおむね解決してるあたりは大きなカタルシスを得られる。またミステリ的な仕掛けもあり、感情を揺さぶられる人間ドラマも描かれている
惜しいのはシナリオとゲーム規模のミスマッチである。シナリオもゲーム部分も不満はほぼないのだが、それらを足し合わせた時にどうしてもアンバランスに感じてしまう
簡単に言うと「スケールアップした続編にDLCのシナリオが乗っかっているよう」である。とはいえそれもストーリーよりもゲーム体験を重視するプレイヤーなら欠点ではなく長所になろう
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| サムソン・フックの右フック |
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| モノレールはたまに空を飛んでいく |








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