いくつかのふわっとした思いつきはあるものの、一つの考察として形を成さないというか、ようするに情報がほとんど無くて考察しようがなかったのである
しかしながらTGAのGOTYを受賞したことでSEKIRO熱が再燃し、ここはやはり残してきたものを片づけるべきだろうと狼の考察をしてみたものである
少年狼
狼が初めて登場するのは、葦名一心の国盗り戦のシーン。その戦場の端で起きていた義父・梟と少年狼との出会いの場面であるこのとき梟は「野良犬が、心すら亡くしたか」と狼に嘲りの言葉をかける。さらに刀の切っ先をつかんだ狼に「ほう 共に来るか 餓えた狼よ」と誘う
なぜ梟は戦場跡に呆然と座り込む少年を「野良犬」と言い表したのか
なぜ梟は刀の切っ先をつかんだ狼を「餓えた狼」と呼び変えたのか
野良犬
まず野良犬について考えてみたいと思う野良と言うからには、元は主人がいてそれに仕えていたものの、今現在は主人を失い「野良」つまり未所属の身分であると考えられる
もしかりに初めから仕える主がいなかったのであれば、それは「野生の犬」である
場景から推測するに国盗りの戦において主人が討ち死にし、ゆえに主人を失った「野良」となったのであろう
少年の狼は背中に二振りの刀を背負っているが、これは自らが使うのではなく主人が使う刀の予備なのであろう。つまり狼はたんなる荷物持ちであったのだ
※戦力として期待されていたのであれば、もう少しマシな防具を着させられているだろう
背中の刀は主のものである。だからこそ狼は梟に抗するための武器として背負った刀を抜くのではなく、死んだ武士の握っていた刀を拾ったのである
刀を拾うとき、最初は武士の左手が柄にかかっているが… |
手がパタリと柄から落ちる |
ご指摘を受けましたので、この※は保留とします。狼は予備の刀をもつ従僕として戦場に狩り出されていた、という論旨には変更はありません
戦場で主人のために走り回る様子が忠実な飼い犬のようであり、その後に主人が死んだために「野良」になったということを含めて、梟は「野良犬」と呼んだのだ、というのが穏当な説であろうと思う(以下では不穏な説を展開する)
柿色の衣
このシーンにおける狼は柿色(柿渋)の着物をまとっている。アートワークスに全身の図が登場しているが、この時狼が着ているのはこの柿色の衣のみである(両脚はむき出しである)※コメントでご指摘を受けましたので追記します。柿色の衣は一般的な忍び装束としても使われていたものです。隻狼というキャラクターをデザインする際に、その知見が反映されたものだと思われます
※ただし、忍びとも呼べない子どもが、闇夜に紛れるための柿色の衣を昼中の戦場で、それも上着だけを着用していることへの疑問から今回の解釈となったものです
この柿色の衣は「熟達の忍び」となった後も、上着として着用している
この柿色の衣と、ほぼ同じ色の衣服を着ているのが仙峯寺の僧侶たちである
しかしながら仙峯寺の僧侶たちのそれは懸衣型(けんいがた)の「袈裟(けさ)」であって、狼の着るような衿を前であわせる寛衣型の着物とは異なる
また仙峯寺は拳法を中心教義に据える宗派であり、僧侶でもあるから刀を使うことは絶対にない
仙峯寺拳法の伝書
仙峯寺の者は、拳法を修めて功徳を積む
法とは、教えのことである
己の身一つで仏敵を打ち倒すためには、
拳と法、どちらも欠けてはならぬ
では柿色の衣をまとい、刀を振るう主をもつ少年はどこから来たのか
以前、「落ち谷衆」の考察において、落ち谷衆は『もののけ姫』に登場する石火矢衆のオマージュであると述べたことがある
この石火矢衆が狼と同じ寛衣型の柿色の着物をまとっているのである
参考資料として提示 |
画像の背後には薙刀や刀と思わしき刃のついた武器を持っている石火矢衆も確認できる
では、狼は石火矢衆(落ち谷衆)の縁者であるかというと一概にそうとは言えない
というのも、SEKIROの落ち谷衆の着物は濃紺(黒)だからである
わずかに襟元に柿色(柿渋色)が確認できるものの、メインカラーは濃紺(あるいは黒)なのだ
つまり狼の柿色の衣は石火矢衆に酷似しているが、そのオマージュ先である落ち谷衆とは異なるのである
犬
だが、石火矢衆の着物と狼の着物の類似点は単なる偶然ではないのかもしれないやや話は戻るが、柿色の衣を着た少年を梟は「犬」と呼んだ
人の子を犬と呼ぶのはやや奇異な感じがするし、なぜ犬なのかも明らかにされない
(この疑問に対する穏当な答えは上述した)
しかし柿色の衣と「犬」とは遠く関係しているのである
実は『もののけ姫』に登場する石火矢衆には更なる元ネタがある
「犬神人(いぬじにん)」というのがそれである(wikipedia)
元は大社に従属した下級神官であったがやがて他宗弾圧の尖兵となっていったという
彼らは柿色の衣をまとい、八角棒を握り、弓弦や占いなどを生業にしていたらしいが、末期にはほとんど無法集団となり、他宗派、他集団との闘争を繰り返したという
簡単に言うと、僧兵をさらに無法にしたような神社側の者たちである
つまるところ、梟が狼を「犬」と呼んだのは、彼が「犬神人」が着るような柿色の衣をまとっていたからである
実際に狼が「犬神人」、あるいはその縁者であったかというと疑問が残る。戦場には他に柿色の衣を着た者は確認できないし、そうした集団は本編には一切登場しないからだ
あくまでも「犬神人」と似たような色の服をまとい、主人を失ったようなので梟は便宜的に「野良犬」と呼んだのである。なので、狼が「犬神人」だったということではない
※ここから下は読むと不快になる人がいるかもしれないのでよく注意して、苦手だと思ったら「変若の御子」の項までスルーしてください
稚児
さて、いくつか仮説を立てては見たものの、結局のところ柿色の衣の出所については不明のままであるだが、少年狼が柿(柿渋)色の衣を着ていたことは確かである。この色を作中に探し求めるのならば、やはり仙峯寺の僧侶の着る袈裟がよく似ている
何よりも「柿色」というが、本作において「柿」は仙峯寺と関連づけられている。たとえば太郎兵や変若の御子の好物として強調されるし、アイテムとしての「柿」が落ちているのも仙峯寺である
古くは柿色とも言われた「柿渋色」は渋柿を潰してとれる「柿渋」によって染められるが、素材の点からいっても仙峯寺は柿渋染めが可能なのである
※水生村にも柿の木はあるが、水生村の名産は「血染め」である
つまり色から言えば狼は仙峯寺系の衣服を着ていたのである
だが仙峯寺はれっきとした仏教寺院であり、本来であれば子供などは足を踏み入れることすら出来ない聖域なのである。ましてやそこに所属している証である柿色の僧衣を身にまとうなど言語道断である
しかしながら、ただの子供が仏教寺院に所属する方法がひとつだけある
稚児となることだ(wikipedia)
本作に強い影響を与えた密教系の寺院では稚児を預かることは盛んであり、その役割のうちには「男色、衆道、少年愛の対象」といったものもある
真言宗、天台宗等の大規模寺院は修行の場であるため山間部にあり、また、女人禁制であるため、このような稚児はいわば「男性社会における女性的な存在」となり、しばしば男色の対象とされた(ただし上稚児は対象外)。中世以降の禅林(禅宗寺院)や華厳宗などにおいても、稚児・喝食は主に男色、衆道、少年愛の対象であった。(wikipedia)
※牛若丸(仮名は九郎)もまた鞍馬寺の稚児である(こちらは分類上は「上稚児」であるが)
※また小太郎も当初は稚児として預けられていたと思われる
元は仙峯寺の稚児であったものが下級武士(おそらく田村家側)に捕まり、その下僕として戦場に帯同させられていたのであろう。ほとんど半裸に近いような服装から判断するに、彼は予備の刀を持つ荷物持ちであると同時に、女のいない戦場ではその身代わりとなっていたのであろう
※武士の衆道・男色についてはWikipediaを参照のこと。蘆名氏の名が出てきて興味深い
※状況的には『ベルセルク』のガッツの少年期と同じようなものである
※『ベルセルク』にも男色好きの城主が登場するが、彼が侍らせる少年たちの表情は心を亡くした狼とよく似ている(気がする)
時代背景や情況からすると、SEKIROには不思議なほどに衆道や男色の文化が登場しない。だが、これは存在しないわけではない
否、むしろ狼・九郎・弦一郎の関係こそがそもそも恋愛における三角関係なのである。つまり竜胤を巡る奪い合いという表層の奥には、九郎を巡る衆道物の愛憎劇が展開されていたのである
エマがどれほど美人でも、誰もなびかないのはそういった理由からなのかもしれない
変若の御子
しかし狼=稚児説では、忌まわしい物であるはずの柿色の衣を成長しても愛用していることが説明できない。また事実として仙峯寺に稚児文化が確認できないのも問題であるしかしながら、稚児に極めて近しい存在は確認できる
変若の御子さまがたである
この変若の御子たちの生前の着物をまとっているのが四猿である
※猿たちは生前の御子たちの姿を真似ていると思われる
この四猿の内の一体に、柿色の衣をまとった猿(言う猿)がいる
狼の柿色の衣と同型・同色の着物である
背中側の裾にあるスリットも同じ |
実際に戦う四猿の着物は、首元の衿(えり)に細かい刺繍が入っているが、アートワークスならびに屏風では狼と同じく衿は無地である
「言う猿」は他の二匹と異なり、きっちりと衿(えり)を合わせているのでやや異なって見える |
見え猿は裸なので除外するが、「聞く猿」と「見る猿」は着崩している
以上のことから、狼は変若の御子の候補者として寺に預けられ(あるいは拐かされ)、変若の御子として育成されている途中(おそらくまだ信心深き者が関与していた時代)に、敵対武士にふたたび誘拐されたのだと思われる
※求道者と信心深き者の確執を考えると、求道者の勝利により信心深き者は追放され、彼女たちが育てていた変若の御子の多くは、売られたか捨てられたか殺されたか実験材料にされたのかもしれない。そのうちのひとりが、狼だったのであろう
柿色の衣は狼にとって変若の御子として大切にされている時代の思い出の品である。ゆえに成長してもそれを手放せず上着としてまとっているのである
また、変若の御子として人体実験の被験者であったとも考えられ、その体験が戦場で心を亡くしていた遠因(直接的な原因は稚児の項で述べたものだと思われる)となり、また一心に面白いやつと評される精神を育んだのであろう
※ある秘密集団に育てられた子供が特殊な役割を担うという構造は、ブラッドボーンにおいて医療教会に育てられた孤児たちが「聖歌隊」となったことと似ている
常陸坊海尊
以上のように狼の素性というかキャラクター造形は相当に複雑なのだが、稚児(変若の御子)であったと考えると下級とは言え僧籍ということになる狼の主(あるじ)である九郎のモチーフを義経とするのならば、義経と従者の僧兵というお馴染みの構図であることに気づく
問題はこの僧兵に該当するのは誰かかであるが、最も有名なのは武蔵坊弁慶であろう
義経と弁慶の絆は歌舞伎「勧進帳」にも描かれて有名であるし、最後まで主に仕えた忠義の者として弁慶を狼のモチーフとすることも考慮したのだが、もうひとり相応しい僧がいる
それが常陸坊海尊である
伝説に拠れば『衣川の戦いで生き延びた海尊はその後、不老不死の身となり(400年位生きていたとも伝えられている。生没年は不明)。源平合戦や義経伝説を見てきたように語っていたと伝えられている。(Wikipedia)』
もちろん以前考察したように、狼のモチーフのひとつは「藤原秀郷(俵藤太)」のお伽噺&伝説である
だが、俵藤太の蜈蚣退治がSEKIROの物語上のモチーフであるように、二人の僧兵、弁慶+海尊と義経の関係性が、九郎と狼のモチーフとなっているのである
犬から狼へ
さて、差し出された刀の切っ先を握ったことで、「野良犬」から「餓えた狼」と呼び名が変わる
これは梟を見返したことで狼の意志の強さを感じとったか、あるいは恭順の姿勢に憐憫を覚えたかであろうと思われる(あまり自信なし)
どちらにせよ、ここで狼という言葉は犬の上位として使用されている…というのが、一般的な読み取り方であろう
が、ここで一つ珍説を提唱したい
「犬」という字の右上の点を取ると「大」という字になる
これを上記の「犬神人」説とあわせると、「犬神人」は「大神人」となる
「大神」は「オオカミ」と読み、「狼」とも通ずる
そして、梟は狼の顔面の右上を刀で斬っているのである
以上を画像にするとこうなる
犬神人から大神人へ、犬からオオカミを経て狼へ、という言葉遊びである
どこまで本気かという点についてはあえて触れない
蛇足
結論としては「狼=元変若の御子説」となろうかしかしそれを引き出すのにいつも以上に論が右往左往した感がある
「犬」や「稚児」の項は必要だったのかもわからない。あるいは同型の服を着ているとしてすぐに四猿を提示したほうが、スムースだったのかもしれない
梟が犬と呼んだ理由や、戦場での少年狼の役割、心を亡くしていた理由、信心深き者が排除された経緯と結果などをまとめて考察しようとしたらこうなってしまった
(なるほど…、だから狼は受け値が高かったのか…)
返信削除個人的には、オープニングのシーンは、狼が戦場で死体漁り(葦名側の兵)をしていた所を梟が見つけたのかな、と思っていましたが。
でもそうすると、梟の刀をなんで触ったのか?とか、
そもそも、何で狼はあんなに堂々としているのか?とかの疑問が出てきて…
何となく、シードさんの考察の方が"当たっている"(と言うより単純に面白い)気がしますね…。(特に、狼-稚児説は「コンプラ的に言えないけど」可能性はかなり高い気がします…)
(まっ、エマ殿がヒロインになれないのは、エマ殿自身の責にn……おっと誰か来たようだ)
面白いといっていただきありがとうございます
削除『ベルセルク』のガッツもそうだったし、それくらいは考えるだろうな、とは発売直後ぐらいから思っていました
ただ、やはりなんとなく触れにくい話題でもありますし、CERO的にもアウトでしょうから…
とはいえ稚児文化に関しては当然考慮したでしょうし、結果として触れていないのは、まあそういうことなのかなと
まああくまでも解釈のひとつということで…(歯切れが悪くて申し訳ない)
※日本刀は堅い物に刃先が当たれば刃が欠け、血糊によってもすぐ使い物にならなくなる
返信削除↑
いつまでそんなデマ信じてらっしゃるんですかね
大体 江戸期の護身用のヤツと 戦国時代以前や幕末
の復古刀の区別がついてないニワカの与太話なのに
想定としては戦国期に作られた「数打ち」の刀です
削除たとえ刃こぼれしたとしても、威力にはあまり関わらなかったという説もありますが、折れること(折れにくいですが)や敵に奪われること、また、刀の腰が伸びる(仕込み傘の元ネタであろう『花の慶次』にも登場します)こともあり、予備を用意することはあったかと思います
血糊に関してはやや軽率だったかもしれません(異論のあるところなので)が、これもやはり粗製濫造された刀を想定していました
これも訂正、追記させていただきます
日本刀が切りあいをするとすぐに切れなくなってしまうという話は、しばしば真実のように語られますが、これは太平洋戦争中に粗製濫造された軍刀の悪評によるものです。
削除事実、資料が豊富に残っている幕末の池田谷事件などの戦闘では激しい切りあいで刃先がかけけてしまったりといったことはありましたが刀が切れなくなったといったことは起きていません。いくら「数打ち」が粗製濫造された刀といえど日本中で戦い起きていた戦国時代に数度切っただけで使い物にならなくなるような刀が大量に作られていたとはかんがえられないでしょう。
赤の不死切りもムービーで見ると刃こぼれなどがみられるお世辞にも状態が良い刀とはいえないものですが問題なく切ることができていたわけですしね。
刃こぼれによって威力は変わらないというのは、上で返信したとおりです
削除かえって威力が増したという説もあるみたいですね
柿色の服は単に実際シノビが
返信削除着てたモノを参考にしただけだと思いますよ
孤影衆の中ボスクラスが着てるような黒服は実際は
当時の色として高級品で動くと目立ち使われてなかった
孤影衆の雑魚の方の紺色や溶け込みやすい柿色なんか
がシノビ装束として使われていたらしい
ご指摘ありがとうございます
削除隻狼というキャラクターの衣装デザインとして、
柿色の忍び装束が選択されたのは考えられます(黒色よりも夜の闇に紛れやすい)
発売初期頃から各種掲示板Wikiなどでもそういった意見が多かったと思います
私としてもそれに異論はないですし、定説だと思います
けれども、日中の戦いに忍びとも呼べない子どもが忍び装束を着ていることの不可解さと、柿色の長衣のみ着用していることの違和感から、今回の解釈になったものです
ただし“定説”を省いてしまったことはやや拙速だったかと思います。追記させていただきます
狼の柿色の着物は「身分の低さ」の象徴ではないでしょうか。
返信削除柿色の着物は穢多・非人の着物の色だそうです。もののけ姫に言及されてますが、舞台であるタタラ場は「最下層民による、階層社会に支配されない理想郷」。そのため柿色の着物の人やハンセン病患者がたくさんいるようですね。エボシ御前も元は誘拐されて海賊の妾にされた女性だったようです。
狼は子ども時代から柿色なのは、最下層の出身で死体漁りで武具を盗んで食いつないでいたからではないでしょうか。
それに忍者自体もかなり身分が低く、表舞台には出られない「賤人の類」。足軽以下の扱いだったようです。柿色の着物は、忍びとしての迷彩でもあり、しかし、身分の低さの象徴である、というのが私の意見です。
逆に、やたらド派手な狐影衆は内府の子飼い(本能寺の変で家康の逃亡を助け恩賞を与えられた伊賀衆が元ネタ?)で身分が高いため、紫マントなのかもしれません。
そう考えると、御子様や一心様は武家なのに最下層出身の狼を親愛・敬愛してくれていることになります。仏師殿やエマ殿もそうですが、SEKIROは本当にいい人だらけです。
貴重なご意見ありがとうございます
削除支配者と被支配者という二極構造に属さない、第三極の被差別民として狼が構想されたというのは、確かにそうかもしれません
石火矢衆や犬神人という狭い範囲では無く、無縁(公界)の象徴として柿色が選択され、その色ひとつによって当時の社会における狼の地位を提示しているのかもしれませんね
武具漁りは『バガボンド』(あえて漫画の方を挙げます)という先例もありますし、検討したのですが、なぜ武具漁りで「心までなくす」必要があったのかという疑問があって今回の考察となりました
子どもが戦場に出たら恐怖で心を閉ざすこともあるかと思いますし、国盗りの戦が特に凄絶だったということも分かるのですが、武具漁りをしようとしているからにはそれなりの覚悟なり慣れはあったような気がします
まあ、狼は怖気に弱いので、あるいは怨霊の類にでも遭遇したのかもしれません…
狼がかつて、信心深き者に育てられていた 変若の御子候補であったとすると、本編における彼女の言動に違和感を感じます
返信削除("信心深き者"は、あっちじゃ婆 ですよね?)
狼の過去を匂わせるセリフはなく、一貫して 不思議な婆と 普通の人(ときに助言を求める)という関係で話をします
育った狼の外見が (忍びになったこともあり)あまりに違って気づかなかった、とも考えられましょう
しかし 柿色が仙峯寺カラーならば、狼の衣から 生い立ちに気づいてもいいはずです
(少なくとも、衣に言及はするはず。ただし 彼女が視力を失っている可能性はある)
また 狼がミブ風船を割り拝んだときの反応も、信心深い他人に感心する風にとどまります
寺で育つ稚児ならば、(ミブ風船はなくとも)拝むのは日常で、その動きから思い出してもいいのではないでしょうか
(作風から言って、「育てる御子たちも、そう拝んでいたわ」など遠回しな表現になるでしょうが。ただ 狼は記憶がなく、似つかない所作の可能性はある)
ただ 変若の御子候補が複数居たことから、育てる者も複数居たと考えるのが自然です
ゆえに 彼女が 幼い狼を担当していなかった可能性は十分あります
(実際、お米を見分けたり 変若の御子からひきはがされた と言うことから、今在る変若の御子のそばに在ったことは間違いありません)
とはいえ、各々隔離して育てるわけもなし。ある程度の面識はあったはずです
これらの点を考えると、信心深き者の言動は 狼稚児説に沿わないものではないかな、と思います
別の視点からの話として、苛酷な環境で 駆け回り戦う忍びが 20年以上も同じ服を着ていて、服がもつのか という疑問もあります
(今の狼を見ると、裾はほころび、腕部分は詰められており、早く傷む部分は 傷んでいます。とはいえ 20年の傷みには見えないかと)
考えられるのが、狼か梟の意思で、同じ色や形の 衣や首巻を新調していたことです
しかし 柿色染色が仙峯寺に通ずるならば、これも難しいように感じます
また、狼が仙峯寺を訪れたときにも「ここは…」くらい独りごちてもいいのではないか、と思います
狼は平田屋敷の事件から (どの程度かはともかく)記憶を失ってはいますが、幼い頃の原風景ならば、思い出すこともあるのではないかと
色々書きましたが、幼い狼の 光のない目の理由として、寺坊主に何された というのはしっくりきます
(尤も この点は、下級武士帯同のときにも機会があるので、そちらだけでも不思議ではありませんが)
九郎を守り抜くのも、幼い自分の辛い体験からと言うと、理由がひとつ増しますし
あと寺坊主を殺したときにスカッとします
長文失礼しました
詳細なご指摘ありがとうございます
削除信心深き者(あっちじゃ婆)の反応の不自然さについては、彼女が「変若の御子」の世話係だったことが関係しているかなと思います
変若の“御子”とあるように、また現存する変若の御子が子どもの姿であるように、基本的に変若の御子は「子ども」の姿を保つのではないでしょうか
信心深き者の意識の上では「変若の御子」は子どもであり、大人となった狼は変若の御子と認識されないのではないかと考えます
ミブ風船を割り拝むことについては、竜泉詣でならびに源の水信仰は葦名に広く浸透しているものですので、仙峯寺に限らず葦名に住む者なら知っていたと思われます。ですので、そこから信心深き者と狼との関係を汲むことは難しいのではないかと思います
柿色の衣の修繕と入手についてですが、水生村に仙峯寺系の寺があったように、葦名には仙峯寺本山の他にも寺社が置かれていたと考えられます(荒れ寺や白蛇の社など宗教施設が多い)
また、捨て牢から仙峯寺に通じるエレベーターがあるように、葦名家と仙峯寺は敵対していない(もしくは敵対していなかった)と思われます
何らかの関係が築かれていた以上、仙峯寺染めの衣服を入手することも可能だったかと思われます(大人狼の着ている柿色の衣が新調したものであると考えた場合)
次に狼の仙峯寺に対する薄い反応ですが、狼が仙峯寺にいたのは物心つくまえだったからかと思われます
古く日本では七歳以下の幼児は神や精霊のように考えられており、人としては考えられていなかったという説があります(うろ覚えなので歳の数は違うかもしれません)
変若の御子として相応しいのもやはり七歳以下だったのかなと思います
七歳以下の記憶となると、その後に強いショック(心を無くすような)があった場合、自己防衛反応として記憶を封じてしまうこともありえるのではないでしょうか
ただし、以上は解釈のひとつだと思いますので、これが真実だというつもりはありません
柿色の衣を着た忍者軍団が登場していれば、もっとはっきりしたのかもしれません
追記と訂正:七歳以下というのは「変若の御子候補」のことで、現在奥の院にいる変若の御子が七歳以下ということではありません
削除こんにちは、いつも楽しく読ませて頂いております。
返信削除いきなりなんですが落ち谷の鉄砲砦が「もののけ姫」に出てきたタタラ場に似ていました。
やっぱり落ち谷は「もののけ姫」のオマージュなんでしょうか。