神人は新しい律を掲げることができるの存在であるという
神人とは、通常のデミゴッドとは異なる存在
エルデンリング、即ち女王マリカの時代が終わったとき
神となり、新しい律を掲げるべく、尊く生まれ落ちているのです(賢者ゴーリー)
作中で「神人」と確認されているのは、女王マリカ(現在は神)、宵眼の女王、ラニ、ミケラ、マレニアである
狭間の地の歴史上、律が確立された、もしくはその可能性があったのは、黄金律、夜の律、無垢金の律、腐敗の律、宵眼の女王の律(詳細は不明だが夜の律と近しい可能性)いうことになる
しかし神人の認定基準は極めて曖昧である
魔女ラニによれば、彼女は二本指に見出されて神人となったという
…私は、かつて神人だった
デミゴッドの中で、ミケラとマレニア、そして私だけが
それぞれの二本指に見出され、女王マリカを継ぐ、次代の神の候補となったのだ
この基準で言えば、黄金律ではない律であっても二本指による神人認定が必要ということになる。しかしながら二本指は黄金律勢力に属しているようにみえる
褪せ人よ、お主の持つ大ルーンは、エルデンリングの大欠片
それを、もうひとつ手に入れよ
そしてエルデの王となり、黄金の律を修復するのだ(指読みエンヤによる二本指の言葉)
ということは、黄金律以外の全ての律は黄金律の承認が必要ということになってしまう。要するに黄金律は他の全ての律の上位の律ということになる
よって黄金律、夜の律、無垢金の律、腐敗の律、(宵眼の女王の律)はまとめて広義の黄金律とさえいえる
だが一方でラニは、私の律は黄金ではないとも述べている
私の律は、黄金ではない。星と月、冷たい夜の律だ(魔女ラニ)
この矛盾をどのように解消すれば良いのだろうか
二本指
エンヤによれば二本指は大いなる意志の使いである
よくきたね。私は指読みのエンヤ
大いなる意志の使い、指様の言葉を伝える婆さね
その指様が褪せ人に命ずるのが、黄金の律の修復である
そしてエルデの王となり、黄金の律を修復するのだ(指読みエンヤによる二本指の言葉)
このことから、大いなる意志とその使いである二本指は黄金律の勢力であると考えられる
故に上記のような「神人認定」を基準とするのならば、全ての律は広義の黄金律に含まれることになってしまい、ラニの言葉と矛盾しかねない事態に陥る
だが筆者はここで重要な視点を見落としていたことに気づいた
指読みエンヤが伝えるのは、”円卓の”二本指の言葉であって、他の二本指も同じ言葉を伝えているとは限らない、ということである
つまり、円卓の二本指が大いなる意志の言葉として「黄金律の修復」を伝えたのは、円卓の二本指がマリカを擁立した二本指(黄金律)だからに他ならない
他の二本指もやはり大いなる意志と交信している。だが、そこから導き出される答えは、二本指の数だけ存在するのである
要するに二本指には、「二本指(黄金律)」、「二本指(宵眼の女王の律)」、「二本指(夜の律)」、「二本指(無垢金の律)」、「二本指(腐敗の律)」がいて、それぞれが大いなる意志と交信した結果として、それぞれの律の確立を目指し、それに見合う神人を選出したのである
そして神人同士を争わせ、勝ち残った者の律が次代の律として確立されることになる
つまるところ二本指にはそれぞれ固有の「視座(視点)」があり、その視座の揺らぎによって次代に相応しい律が異なってくるのである
だがそう考えると、全ての律は大いなる意志の支配下にあることになり、よって大いなる意志が送り込んだエルデンリングに属することになる
そのエルデンリングは黄金の律なのだから、やはり全ての律は広義の黄金律に含まれることになってしまう
偉大なるエルデンリングは、黄金の律
それは世界を律し、生命は祝福と幸福を謳歌する(指読みエンヤ)
だが、これもまた思考の視点が円卓の二本指に条件付けられていることからくる錯覚である
というのも「偉大なるエルデンリングは黄金の律」、と述べているのは円卓の二本指だけだからである
これと同じように例えば二本指(腐敗)は、「偉大なるエルデンリングは腐敗の律」、と伝えているのである
全ての二本指はそれぞれが独自に解釈した「大いなる意志の意志」を伝えているのであろう
これが何を意味するのかというと、「エルデンリングは黄金の律に限定されるものではない」ということである
エルデンリングには、他のあらゆる律が内包されている。例えば宵眼の女王が掲げようとしていた律、マレニアが掲げようとしていた腐敗の律、ラニが掲げようとしていた夜の律等々である
そうした無数の律に対応する二本指が狭間の地に出現し、それぞれが各々の律を掲げる神人を選出してきたのである
そして選出された神人たちは自らの律を確立するために争い、勝者の律が新たな律として狭間の地に君臨する
これが狭間の地における律の確立システムの全容である
外なる神
そしてこの律の確立システムに強く関与しているのが「外なる神」であり、結論から言えば、全ての外なる神は「大いなる意志」の一部分である
二本指が読み取った内容により、大いなる意志は黄金律の神にも腐敗の律の神にも夜の律の神にもなりうる
全てはエルデンリングを眺める視座が違うことから発生した差異である
二本指は大いなる意志と交信し、その理解を元に「世界を律する律」をエルデンリングの中に見出し、それを実現させるために神人を選ぶ
ある二本指はエルデンリングの中に「生命が祝福と幸福を謳歌する黄金律」を見出したように、ある二本指は「爛熟輪廻の理、腐敗の律」を見出し、またある二本指は「月と星の律」を見出し、ある二本指は「無垢金の律」を見出したのである
だが、それらはすべて元々エルデンリングに含まれている律であり、すべては大いなる意志と交信した各二本指の解釈を元にした選択に過ぎないのである
この考察をもとに大いなる意志と二本指の関係性を整理すると以下のようになる
大いなる意志=外なる神(全にして一)→二本指(複数)→神人たち→勝利者の律が次代の律として確立
無数の外なる神は大いなる意志の一部(全にして一) |
しかしそもそも、大いなる意志(一者)→二本指(単数)→神人(単数)→次代の律としておけば、無用な混乱を起こさずにスムーズに律の交代を繰り返していけるはずである
だがここに外なる神(複数)から二本指(複数)へのラインが導入されたことにより、問題がややこしくなってしまったのである
しかしながらこれは異なる解釈を導き出した二本指だけの責任ではない。複数視座による競争と律の確立は、大いなる意志の意向によるものである
…すべては、大きなひとつから、分かたれた
分かたれ、産まれ、心を持った
けれどそれは、大いなる意志の過ちだった
苦痛、絶望、そして呪い。あらゆる罪と苦しみ
それらはみな、過ちにより生じた
だから、戻さなくてはならない
混沌の黄色い火で、何もかもを焼き溶かし
すべてを、大きなひとつに…(ハイータによる三本指の言葉)
各々の律を争わせようとしたことでエルデンリングという大いなる律は意味的に分裂し、分かたれ、産まれ、心を持ち、苦痛、絶望、呪い、あらゆる罪と苦しみが生じたのである
だが大いなる意志がエルデンリングを意味的に分裂させようとしたのは、差異を生じさせることで世界の秩序を成り立たせようとしたからである
というのも、エルデンリングという大きな一つの意味だけでは世界は分かたれず、何も産まれず、それは混沌で在り続けるからである
苦痛、絶望、そして呪い。あらゆる罪と苦しみを
焼き溶かす混沌の王に・・・
もう誰も分かたれず、産まれぬように・・・(ハイータによる三本指の言葉)
ここでいう「分かたれた」はマリカのやったように物理的に破壊することではなく、意味的に分けることで事象を発生させることである
こうした差異による世界創造という思想は、ダークソウルのオープニングに描かれている
古い時代
世界はまだ分かたれず、霧に覆われ
灰色の岩と大樹と、朽ちぬ古竜ばかりがあった
だが、いつかはじめての火がおこり
火と共に差異がもたらされた
熱と冷たさと
生と死と
そして、光と闇と
そして、闇より生まれた幾匹かが
火に惹かれ、王のソウルを見出した
最初の死者、ニト
イザリスの魔女と、混沌の娘たち
太陽の光の王グウィンと、彼の騎士たち
そして、誰も知らぬ小人
それらは王の力を得、古竜に戦いを挑んだ
グウィンの雷が、岩のウロコを貫き
魔女の炎は嵐となり
死の瘴気がニトによって解き放たれた
そして、ウロコのない白竜、シースの裏切りにより
遂に古竜は敗れた
火の時代のはじまりだ
だが、やがて火は消え、暗闇だけが残る
今や、火はまさに消えかけ
人の世には届かず、夜ばかりが続き
人の中に、呪われたダークリングが現われはじめていた…(ダークソウル、オープニングより)
※なんとなく『荘子』に出てくる「渾沌の話」を思い起こさせる話でもある
DLC
DLCへの登場を強く期待されているミケラ。そのミケラは外なる神の干渉を退ける針を作っている
ミケラの針
外なる神の干渉を退けるため
ミケラが紡ぎあげた無垢金の針のひとつ
無数の外なる神を大いなる意志の現われの一つと考えるのならば、ミケラがしたこと、そしてしようとしていることは、大いなる意志への反逆に他ならないことになる
本編において褪せ人はついに大いなる意志に見えることはなかった。またその影響力から脱することができた、とも言い難い
あるいはDLCにおいて褪せ人は、ついに狭間の地を大いなる意志の支配下から解放することができるのかもしれない
もっとも恐ろしい神人と言われたミケラの陰謀。それはおそらく陰謀の夜をはるかに超える不遜なのかもしれない
マレニアの翼兜
兄さまが、約束を違えるはずがない
神の知恵、神の誘惑。ミケラこそ
もっとも恐ろしい神人なのだから
蛇足
AC6からの大作ゲーム発売ラッシュの後遺症が予想以上に大きく、最近はゲーム自体からやや遠ざかり気味であった
予定では「Lies of P」をプレイするはずだったのが諸事情により無期限の延期となった(やるとしてもゲームパス版かなと)
他にもドラゴンズドグマの新作が出るまえに旧作をプレイしておきたいな、とか、バルダーズゲート3のためにD&Dをかじって起きたいなとか、やりたいことは沢山あるのだが物理的な意味で可能なことは限られている
ただしエルデンリングの動画および考察は続ける予定である
今回も面白い考察をありがとうございます!
返信削除私の考えでは、大いなる意志とその眷属である二本指はやはり黄金律を望んでいるのだと思います。
一つの根拠として、ラニは自分の夜の律は肯定している様子で、実際に彼女のエンディングでは彼女は望んで夜の律を敷きますが、一方で二本指に対してあんなものに操られたくなかった、黄金律の化身であり父であるラダゴンにはTRPGで「あの男」呼ばわりしています。これらは彼女が黄金を拒み夜の律を敷きたいという意志の表れだと思います。つまり二本指とその上位存在の大いなる意志はやはり黄金ではないかな、と。
彼女自身の語り口も暴露するような形で「私の律は(実は~)黄金ではない」とニュアンスとしては神人は通常黄金律であることを前提としたようなニュアンスではなしますし。
虫達はエルデンリングの生命循環システムに自分たちの腐敗を混入させて利用し、ある種の乗っ取りを図ろうとしている存在で、ゴーリーの「神人は新たな律を敷く存在」という台詞はそういう立場からきたものだと思います。だから本来黄金の存在であるマレニアは腐敗を懸命に拒んでいるのではないかなと。
ミケラの無垢金の律に関しては無垢金という新しい律というよりは無垢金=純金、混じり物のない純粋で力強い黄金律ということなのだと思います。黄金は生命を死から遠ざけ永遠を与えます(金の排泄物の存在やマリカが永遠の女王と呼ばれてたりしますね)。それが強すぎてミケラは永遠に幼いのだろうなと。
私見を長々すいません。
いいね!
返信削除これまでの考察、非常に興味深く拝見しています。
返信削除最近になってエルデンリングを始め、気になったことがあります。
それは「二本指(黄金律)信仰は狭間の地以外では異端なのではないか」ということです。
素性が預言者のプレイヤーやコリンは迫害された預言者ですが、二本指に肯定的な預言であれば迫害されることはなく、信仰に反する預言を授かったのだとしたら(少なくともコリンは)二本指を盲信し続けることもないでしょう。
となると考えられるのは
1.単純に狭間の地内でも二本指信仰が異端とされるコミュニティで生きていた。
2.狭間の地外では二本指信仰はメジャーではない。
のどちらかかな、と思うのです。
今回の大いなる意志≒外なる神説を見て、ふと思い出したことでした。
(実はこれ、素性を預言者にして狂い火信仰ロールプレイをしていて思いつきました。ハイータやシャブリリなど目隠しをしているのが共通点として、コリンも狂い火信仰のコミュニティ出身なのかな? とも思ったり)