発売直後にいくつかレビューを挙げたが、発売からかなりの時間が過ぎた今、あらためてゲームとしてのエルデンリングを評価してみたい
概論
結論から言えば、エルデンリングとは「誰もが楽しめるように調整されたフロムゲー(デモンズソウル以降の)」である
エルデンリング以前のフロムゲーは、高難易度、死にゲー、プレイヤーを選ぶ等々のイメージがついていた
そうしたいわば負のイメージを刷新しようと作られたのがエルデンリングだったように思う
なぜこれらのイメージが負であるかというと、こうした要素を突き詰めると、一部のマニアにしか受けないゲームになってしまうからである
より高難易度に、より複雑に、よりプレイヤーを選ぶようにという方向性は、ゲームというエンタテインメント作品において致命傷になりかねない
そして実際に致命傷を負ったジャンルも存在する。格ゲーがそれである(最近はふたたび盛り返しているし海外を含めれば全盛期を越えている感もある)
エルデンリングはクリアしようと思えばほとんどの人がクリアできるゲームである(途中で飽きなければ)。しかしだからといって、エルデンリングが難易度の低いゲームだと言うことではない
確かにエルデンリングは遺灰を使って霊体を呼び出したり、強い戦技をぶっ放しているだけでクリアできるゲームである
しかしそれらを封印(縛る)することで、きちんと難易度の高いゲームとして成立させることも可能なのである
ボスに勝てない人であれば、遺灰や強い戦技や魔法を使うことでボスに勝てるようになるだろう
一方で遺灰や強い戦技や魔法を使うと簡単すぎるというのであれば、それらを縛ることでより歯ごたえのある戦闘を楽しむことができる
エルデンリングに実装されたすべての要素を駆使すれば、誰でも簡単にゲームをクリアできるだろう。だからといって、すべてのプレイヤーがそれらの要素を使う必要はないのである
それらは用意されている。けれどもそれらを使うか否かはプレイヤーに委ねられているのである
過去のレビューでも述べたが、エルデンリングに用意されたこれらの難易度調整システムは、難易度導入を望む層に対するフロムからの解答なのだと筆者は思う
プレイヤーはこれらの要素を自由に組み合わせることで自分にあった難易度でゲームをプレイすることが可能なのである
ただし問題点も存在する。過去作においてはプレイヤーのゲーム体験というものは、ある程度の共通認識があったと思う
難易度を下げるような要素がない以上、どのボスに苦戦したとか、どう戦ったとか、プレイヤーの体験は似通ってくることになる
それによりプレイヤーたちは、いうなれば同じ死線をくぐり抜けた同志的な連帯感のようなものを感じていたように思う
だがエルデンリングにおいては、あまりにも各プレイヤーのゲーム体験がバラバラである
すべての要素を利用して苦戦することなくクリアしてしまう人もいれば、それらを使わず死にまくった末にクリアする人もいる
プレイヤーによって乗り越えることのできた困難の度合いが異なるため、同じボスの話をしようとしても、まったく共通点がないことさえあり得るのである
おそらくこの問題はフロムも製作以前から認識していると思われる。それでもフロムがこうした方針に舵を切ったのには、上述したように先鋭化していった先にはジャンルそのものの死(停滞)が待ち受けているからである
ゲームは創作であると同時に商品でもある。売れなくなった商品はもはや作る価値はないし、経済的に作ることが不可能になる
この袋小路を避けるためにフロムが選んだ道が、新規を取り入れるための新しいフロムゲーだったのだと思う
世にあるほとんどのジャンルは新規が支えているといっても過言ではない。新しいプレイヤーやユーザーが入ってこなければ、そのジャンルの死は必然となる(もしくは停滞から腐敗にいたる)
そういった意味で、企業としては過去作と比較してあーだこーだ言う古参ユーザーよりも、新規ユーザーをターゲットにする方がビジネス的に正しいのである
もっとはっきり言えば、売り上げにそれほど寄与しない声がでかいだけの古参は有害なだけなのである
遺灰や強い戦技、魔法を使うことで簡単にクリアできるエルデンリングに対して、そのゲームバランスに苦言を申したくなる気持ちもわからないではない
だが、そもそもエルデンリングのメインターゲットは新規プレイヤーであって、古参プレイヤーではないのである
やや言い過ぎた感はあるのでフォローしておくと、とはいっても縛ることで難易度を上げられるのだから、いちおう古参も大事に思われているように思う
他にも例えば広すぎるフィールドに対して、単なる通路にしか思えないとか、周回時に嫌になるといった意見もわからないではない
しかしこれまで述べてきたように、それら古参には余計な要素に思われる要素は、フロムゲーに慣れたプレイヤーではなく、慣れていないプレイヤーのために用意されたものである
勝つまでボスに数十回挑み続ける、というのはおそらくフロムゲー経験者ならあたりまえのことのように思える
が、それは一般ユーザーからしてみれば異常なことであり、そうした状況を押し続けていれば、やがて新規プレイヤーが入ってこなくなるだろう
ボスに勝てなかったらフィールドを探索することでキャラクターを強化することができ、それによってボスに簡単に勝てるようになる
こういった導線を構築するためのオープンフィールドなのであり、多くのプレイヤーをゲーム途中でやめさせないための創意工夫なのである
※この点で他のソウルライクゲーより一歩も二歩も革新的といえる
ストーリーに関しても「王となれ」という最初の目的がぶれることはない。青い血を探せだの、その青い血は空の色でもあるし、ある獣のことでもあるし、といった意味不明な展開はない
ただし巨人の釜関連については、説明不足であることは否めない。
一応エンヤが説明してくれるが聞き逃すこともあるし、説明を聞いてもよくわらかないことがある。これは本来メリナが説明すべきだと思うのだが、肝心のメリナが「ああ」なので、仕方がないと言えなくもない(彼女の素性を考えると難しいのかなぁと思う)
その他、永遠の都の盛衰やローデイル防衛戦、ミケラの誘拐等々の歴史的出来事に関しては、時系列を確定することさえ困難である
ただしゲームクリアのためには、これらの時系列を知る必要はないし、知ったところでやることは同じなので、物好き向けのサービスと考えた方がいいかもしれない
フロムゲーの核心は、強大な困難と、それに立ち向かい乗り越えるプレイヤーという体験であり、フレーバーテキスト等はそのゲーム体験を盛り上げるための、小道具に過ぎないのである
世界
では各論に移る
狭間の地がどのような場所であり、その外になにがあるのかといった情報はほぼ存在しない
しかしそれらを詳しく説明されたところで、結局やること(ボス全殺し)は同じなので、知る必要は基本的にはない(特定の物好き以外は)
では狭間の地がまったく説明されていないかというと、そうではない。狭間の地で起きたことはしつこいくらい繰り返されるし、エルデンリングを修復せよというゲーム的な目的も何度も聞かされる
そして何より、プレイヤーはフィールドを探索することで、狭間の地の最も詳細な現在を知ることができる
レアルカリアはどういう土地で、ケイリッドはなぜこのような状況になっているのか。これらはフロムが得意とする環境ストーリーテリングによって、プレイヤーに自然に知らされることになる
各エリアの特色が極端すぎる(作為的すぎる)気もしないでもないし、その所為でひとつの世界というよりぶつ切りのエリアを移動している感が強いことも否めないが、ゲーム体験としては同じような景色が続くよりも、極端であれ特色あるフィールドを探索する方がより楽しむことができるだろう
戦闘
戦闘スタイルの多彩さもエルデンリングに特有のものである。どのようなビルドを選んでもボスを一方的に殺せる程度には強くなれる
更に言えばキャラクターをまったく成長させなくとも、用意されているシステムを活用すれば簡単に倒せるようになっている
それが顕著なのが状態異常である。なかでも出血と冷気はほとんどのボスに有効なうえに、序盤のマップで装備を調えることができる
また睡眠などは一部のボスさえ眠らせることができ、毒(何種類かある)や朱い腐敗も弱いというほどではない
状態異常に加えて、戦技や魔法、遺灰といったバランスブレイカークラスのシステムも用意されているのだから、褪せ人を迎え撃たねばならないデミゴッドに同情したくなる
これらを駆使して戦うと、ほぼ無双ゲーである。いうなればエルデンリングは「フロム無双」と表現してもおかしくないレベルである
上述したがこれは、より多くのプレイヤーにクリアしてほしいという本作の方針からのものであろう
※一部ぶっ壊れ性能の武器が放置されているのも、同じ理由による
ストーリー
ジョージ・R・R・マーティン氏の神話を土台にしたことで、世界観設定や歴史は非常に緻密であり奥深い
ただしプレイヤーが関わる部分はとてもシンプルで、狭間の地に呼び戻された褪せ人が王になる物語、と要約することができる
※狂い火の王エンディングは特殊であるが、それでも「王」になる
マーティン氏の著作を参考にするのならば(特にタフの方舟シリーズ)、大いなる意志の狭間の地への干渉はある種の惑星改造であり、善意からの贈り物がそれを受け取った者の愚行により歪んでしまった、という物語を推測することができるかもしれない
※ただし善意とは上位者の善意であり、下位にいる者たちの考える善意とは大きく違っている可能性もある
またそもそも大いなる意志が何か別の意図を持って干渉していることも大いにあり得る。実のところ狭間の地に生命は、大いなる意志に搾取されるだけの存在であるのかもしれない
この事実に刃向かおうとしたのが、永遠の都であり、マリカであり、あるいはDLCにおけるミケラなのかもしれない
キャラクター
それぞれのキャラクターには目的があり、NPCイベントを進めて行くと彼らの物語の顛末を知ることができる
このことが群像劇と表現させた理由なのであろう。しかしながら、各々のNPCの役割が固定されているために人間味が薄いのが残念である
過去作のNPCはもっと人間臭く、青ニートやヨセフカの結末などは無慈悲な世界に生きる人間を表わしていてとても好きだったのだが、本作に登場するNPCは誰もが非常に優等生的である(糞喰いでさえ)
キャラクター造形はよく言えばわかりやすく、悪く言えば単調である。NPCたちはそれぞれの目的を目指して勝手に突っ走ってしまうので、こちらとしてはそれを眺めているしかなく、コミュニケーションを取っているという実感が薄い
言葉は悪いが、エルデンリングのNPCって全員コミュ障だよね、っていう感想である
なぜこうなるかというと、創作者の都合で動かされてる感が強いからなのかもしれない(このことは分かりやすさにも繋がっている)
DLC
DLCの舞台として筆者が予想しているのが「未来」「過去」「冥界」「夢の世界」である。また「狭間の地」「狭間の地の外」「異界」「異世界」という可能性もあると思っている
正直なところ、舞台に関しては何でもありだと思っている(今回は考察ではなくゲームとしてのエルデンリングをふり返る主旨なので省略する)
ゲームとして考えるのならば、バランスブレイカー要素はある程度制限されると思われる
具体的には「状態異常系」「魔法」「戦技」「ジャンプ攻撃」が有効でない敵が登場すると考えられる
状態異常と魔法に関しては敵の耐性を高くすることで実現可能であろう。
状態異常と魔法の効かない相手として想定できるのが、出血や冷気、魔法耐性の高い「冥界」や、睡眠耐性の高い「夢の世界」である
戦技に関しては種類が多すぎるのでやや難しいかと思う。ただしジャンプ攻撃も含めて、敵の斬撃、刺突、打撃耐性、強靭を上げることで容易に使えないようにすることも可能である。全ボスにスーパーアーマーを実装してしまうのも手である
しかしながら、こうしたやり口は「簡単に倒されたら悔しい」という以上の意味はなく、それが楽しいかというと疑問である
よって、実装されるとしても一部のボスに適用されるに留まると思われる
おそらく、より手強いボスは王道を行くものである。簡単に言うならば、強靭が高く状態異常の効かず、パリィもできないマレニアを想定することができる
そのDLC版マレニアと対を為す圧倒的な暴力によりプレイヤーを圧殺するような、パワーアップ版ラダーンも用意され、この2体と同時に戦う展開もあるかもしれない
※神肌のふたりや、DS1のオーンスタインとスモウに代表されるように、痩せと太っちょコンビをフロムは好きである
またソウルシリーズ恒例の巨大な竜も登場すると思われる。それに加え巨大な狼も登場するかもしれない
遺灰対策としてはやはり舞台を「冥界」にすることで可能であろう。というのも遺灰によって召喚できる霊体とは、狭間の地に留まる霊のことだからである
つまるところ、冥界においては霊を召喚することができない
※冥界を狭間の地に含めるのなら召喚も可能だと思われる。さすがに本作の目玉の一つでもある召喚を完全に死に要素にはしないだろう
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