多世界解釈
多世界解釈とはその言葉どおり、この世に無数の世界が共存しているとする解釈であるここでは単純化するために世界の数を2つに絞るが、世界Aと世界Zが同時に共存している世界観であり、要するに並行世界である
さて、多世界や並行世界というと、同じ時間の世界が無数にあるいは対のように存在するように思えるが、各世界の時間が同時である必然性はない
たとえば世界Aが現在であり、世界Zが未来であるとすることも可能である(厳密には世界Zのほうが現在であり世界Aは過去であるのだが、時間の相対性のために世界Aからは世界Zが未来となる)
結論から先に述べるがDSの世界は、これら世界Aと世界Zが重なり合った状態になっている
どうして重なり合ったのかは謎だが、おそらくタイムワープ実験か何かで未来の世界全体が過去世界に座礁してしまったのだろう
重なり合ったDSの世界がどうなっているかというと、地球はもちろん人間も過去の人間と未来の人間が重なった状態になってしまっている
シュレディンガーの猫という量子論的な実験があるが、あれのように2つの状態が重なり合った状態なのである
コペンハーゲン解釈では波動関数の収縮が起きて重なり合った状態が解消される(並行世界が消滅する)
しかしながら多世界解釈では多世界の共存を前提としているので、波動関数の収縮は起こらず、重なり合ったまま存在していると考えられる(量子コンピューターの量子ビットのように)
例をあげると、若い男aと歳をとった男aが重なり合い、そのどちらか確定できない状態になっているのだ
ただしその状態(複数の量子状態)が永劫に続くわけではない
世界Aでもなく、世界Zでもない、完全なる外部の観測者の観測により、波動関数は収縮され、異なる量子状態が消失するのだ(デコヒーレンス)
その完全なる外部の観測者こそ「時雨」である
時雨はコペンハーゲン解釈における波の収縮、つまりデコヒーレンス的な性質をもち、重なり合う世界の重なり合いを解消してしまう
(時雨は、重なり合った世界の外部的な物質のために、重なり合った世界全体を観測することができる。ただしそれは世界のなにかに接触するまでの話であり、世界のなにかに一度でも接触した瞬間に、時雨は世界の内部の物質となり完全な観測者としての資格を失う)
時雨により波動関数が収縮すると、若い男aが消失し老年の男aが選択される
先程は省略したが実は世界Aと世界Zの間には時間が少しずつ先に進んでいる世界B、C、D、E…が無数に存在しており、それらもまた世界Aに重なり合っている
そして時雨は触れたものを古い順から次々に消滅させていく
最初に世界Aに属する男aが消滅し、次に世界Bに属する男aが消滅、その次に世界Cに属する男aが消滅…これを繰り返し、最後には世界Zに属する年老いた男aだけが残るのだ
世界Aに属する男が急激に老化するわけでなく、単純に重なり合った世界から年老いた男が選択されるだけなので、エネルギーを必要とせず細胞の老化に伴うエネルギー問題は解決される
ただし順に消滅してゆくので、周囲からは急激に老化していくように見える
植物の場合でも同じで、種子である状態、若芽である状態、生長しつつある状態、枯れた状態、などが無数に重なり合っている。時雨に触れると種子である状態から消滅してゆき、最後は世界Zに属する枯死した状態だけが残るのだ
これら状態Aと状態Zが重なった状態を象徴的にあらわしているのが、サムとその喉の奥にいる赤ちゃんなのかもしれない
※時雨が古い順から重なり合った状態を消滅させていくのは、宇宙における時間がそう進んでいるからである
過去、現在、未来
これまでは話を単純にするために現在世界と未来世界に限ったが、過去の世界も重なっている可能性がある(T3における戦車等の映像から)というより、最初に未来が現在へと座礁し、その余波を受けて世界がDSのような世界となり、さらに事態が進んで現在が過去へと次々に座礁していくのかもしれない
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