2018年12月19日水曜日

Death Stranding 考察11 『神曲』

Reddit興味深い考察が載っていたので紹介する
詳細は『Death Stranding vs Aligheri L'inferno (1911)』を読んでもらうとして、大雑把にいうと、1911年に製作された『L'inferno』という映画にDeath Strandingの構図と似た映像があるというものだ

該当スレには画像もあるので必要ないと思ったが、別のソースから引用した比較画像を作成してみた。それが以下の画像である。なお画像は左右反転している。



オマージュなのか偶然なのか、事の正否には触れない

また該当スレのコメントにDeath StrandingのトレーラーにM1911という拳銃が登場しており、この映画を示唆している、という情報があった。それについても検証してみたが、真偽不明というのが正直なところだ

M1911ではないように思える。しかしながら昨今は権利関係上、実銃を登場させることが難しくなっており、M1911をモデルとした銃ということなのかもしれない。というか、そもそもコメントが指摘しているM1911がこの銃であるという確信がない(わたしの記憶にない別の場面である可能性も)


『神曲』

ともあれ、Death Strandingと『神曲』に何らかの関連性がある、という考察には「あるかもしれない」というのが自分の印象である

まず、映画の場面であるが、これはダンテがウェルギリウスに先導されて地獄へ向かうシーンである。つまり洞窟を抜けた先が地獄なのである。ということは、サムがいる場所は地獄的な場所であることを示唆している

『神曲』の「地獄篇」には九つの圏(階層)が存在するが、サムがいるのは気候的に考えて第九圏、「コキュートス」と呼ばれる氷地獄であろう

コキュートスは裏切り者を罰する地獄であるが、ここに四人の罪人が繋がれている(参考『神曲』wikipedia)
第一の円 カイーナ Caina - 肉親に対する裏切者 (旧約聖書の『創世記』で弟アベルを殺したカインに由来する)
第二の円 アンテノーラ Antenora - 祖国に対する裏切者 (トロイア戦争でトロイアを裏切ったとされるアンテーノールに由来する)
第三の円 トロメーア Ptolomea - 客人に対する裏切者 (旧約聖書外典『マカバイ記』上16:11-17に登場し、シモン・マカバイとその息子たちを祝宴に招いて殺害したエリコの長官アブボスの子プトレマイオスの名に由来するか)
第四の円 ジュデッカ Judecca - 主人に対する裏切者 (イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダに由来する)
そしてもう一人、第九圏のもっとも奥深くに幽閉されているのが魔王ルチフェロ(サタン)である

上記の四人に魔王を足す「五人」ということになるがこれはDeath Strandingにおいてボイドアウト後に空中に浮かぶ「五人」と照応する

さらにいえば、魔王ルチフェロは口の中で、ユダ、ブルータス、カッシウスの三人をかみ砕いているが、これはボイドアウトを引き起こす直接の結果となった黒い巨人が人間を喰らうという現象と照応していると考えられる

さらに地獄の中には煮え立つ瀝青(アスファルトの原料、黒い液体状のもの)に漬けられるというものもあるが、これは時雨ならびにそれが溜まった黒い水たまりのモチーフなのではないかと考えられる

と、このようにDSのなかに『神曲』の影響を見ると様々な事象に説明がつけられることとなる。

ただし、サムのいる場所=地獄そのものというわけではないように思われる。イメージとしては、地球に隣接した別次元に「氷地獄」が存在し、カイラル濃度が高まることで、二つの世界が重なり、結果、地球に地獄が顕現してしまうというものだ

地球と地獄とは、薄い次元の膜を隔てて隣在しており、地獄の影響を受けて地球は寒冷化し、また一部は融合してしまっているのではないだろうか

そしてまた永遠の責め苦を与えるという性質上、地獄には時間がない。こうした時間的な異常時雨の、触れたものの時間を進ませる、という性質をもたらしているのではないだろうか

また地獄となった場所には「死」が存在しない。カイラル濃度が高まり、地獄と融合した時空にいる人間は「死ぬことができなくなる」

付け加えるのならば、集英社文庫版の『神曲』を読んだ人ならば周知であるが、そのをDSのトレーラーに引用されたウィリアム・ブレイクは『神曲』の場面を描いた絵を何十枚も描いている


『ファウスト』

古典繋がりでいうのならば、『ファウスト』的なモチーフも散見される

まず、赤ちゃんを連れて旅をするサムの姿だが、これはホムンクルスに導かれて旅をするファウスト博士のイメージと重なる

このファウスト博士、物語の序盤でメフィストフェレスによって若返らされている

はじめ老人であったファウストがメフィストフェレスと遭遇し、若返ったあげく、赤ん坊(ホムンクルス)に先導されてをする

この一連のプロットをDSにたとえるのならば、「デル・トロがマッツと遭遇し、若返った姿となり、やがて赤ちゃんと共に旅をする」となる

とはいえ、デル・トロとサムでは顔の骨格からして違うので科学的考証を無視しない限り実現することはないので、おそらく違うだろう(それでもマッツならなんとかしてくれそう)


運命の女

『神曲』と『ファウスト』を雑に概略すると、失った運命の女を再び手に入れるために旅をする、というような感じになる。ダンテはベアトリーチェを、ファウストはグレートヒェンを追いかけまわし、彼女を失うや彼女の代わりを探しに行くが、ついに得られない

サムにとってのベアトリーチェやグレートヒェンとは、あの写真の女性であろう
何らかの事故か事件により最愛の女性と子供を失ったサムが、失ったものを再び手に入れるために放浪する、というのがDSにおけるサムの基本的な立ち位置なのではないだろうか

放浪の途中でブリッジスと出会ったサムはやがて伝説の運び屋と呼ばれるようになり、地獄の最深部(物語の核心部)へと足を踏み入れていく……という話なのかもしれない

またサムの物語以前には、ファウストとメフィストフェレスの出会いに近い出来事があったと思われる。現時点でその有力候補はデル・トロとマッツであるが、デル・トロがサムである、とは一概に断言できない

ちなみにリンゼイ・ワグナー/赤ちゃんは「先導役」たるウェルギリウス/ホムンクルスの役割であろうか(その存在がサムを核心へと導く)

レア・セドゥはやや複雑なのだが、『神曲』の「天国篇」において、先導役をウェルギリウスから交代したベアトリーチェだろうか(この交代はDSにおいては、リンゼイ・ワグナーの計画からサムが離反することを表すのかもしれない)

ベアトリーチェが二人いることになるが、死んだ妻とレア・セドゥとの間でサムが悩む的な展開になるのかもしれない

蛇足

当然であるが作品の性質上、「地獄」だとか「魔王」だとかは、SF的な言葉(ターム)に置き換えられると思われる

また、あくまでもRedditの考察に触発されて古典の構造をDSに当てはめただけの代物であり、映画的なものの影響を無視しているため、正否について責任はもてない(かなり悪乗りした考察である)





3 件のコメント:

  1. 映画L'infernoはダンテの地獄篇を原作にGustave Doréの挿し絵にインスパイアされ制作されたそうです。Gustave Doréといえば過去に小島監督がツイッターにLa Siesta, Memory of Spain(ラ・シエスタ、スペインの思い出 )の写真をツイートされてましたね。

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  2. 監督のドレのツイートによって、映画とデスストの酷似しているシーンが偶然かどうかというのに少しでも説得力を持たせられれば良いのですが。一応、下記のURLからインスパイアを示す記述が確認できます。https://www.getty.edu/museum/programs/performances/dantes_inferno_films.html

    毎度、監督のツイートを報告する人になってしまっていますがなんかすみません。

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    1. いえいえ、いつもとても参考になる情報ありがとうございます

      映画方面は明るくないので断定は避けたのですが、ギュスターヴ・ドレを媒介項として考えると、きちんと繋がるのですね。勉強になりました。

      『ドレの神曲』は邦訳がありますし、もしかすると小島監督は『神曲』に関するありとあらゆる資料(映画、文学、美術)を渉猟済みなのかも、という妄想もはかどります

      『神曲』が下敷きになっていると想定すると、著名俳優の出演交渉やゲーム製作がスムーズ(ストライキを除けば)なのも頷けるような気がします(『神曲』ほどインパクトのある題材はあまりないですから)

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