なおほとんど情報収集しておらず公式サイトと前回の公式放送しか観ていないので、かなり見当違いな妄想が含まれると思う
勢力/国家
インヴィディア(妬み)スペルビア(傲慢)
イーラ(憤怒)
アヴァリティア(物欲)
これらは七つの大罪の名がつけられている
つまり概念的なものが物理的に存在している
残りの三つも登場するかもしれない
ルクスリア(色欲)
グラ(暴食)
ピグリティア(怠惰)
ちなみに公式放送に登場したリベラリタス島嶼群は七つの美徳のひとつ
謙譲 ヒュミリタス
忍耐 ヒュマニタス
慈悲 パシエンティア
勤勉 インダストリア
救恤(きゅうじゅつ)リベラリタス
節制 テンペランティア
純潔 チャスティタス
登場人物
レックス(REX)
レクスとはラテン語で「王」の意味を持つ神話的な物語の主人公としてはふさわしい名前だろう
ホムラ/ヒカリ
公式放送を見る限りヒカリの方がより根源的な存在に思える旧約聖書『創世記』の神の最初の言葉「光あれ」がモチーフだろう
世界観を見る限り、神が最初に作ったアルスかその試作、あるいは天使的な存在だろう
グノーシス的に言うのならば、楽園から落下したソフィア
ニア/ビャッコ
白虎は言わずもがな四神獣の一柱。特に付け加えることもないが、ニアのモチーフが実在する猫だとしたら、白虎は空想上の生物。現実/空想という二元論が成り立つ。これが世界観そのものを示唆していると思われる(理由は後述)トラ/ハナ
ミニゲームの名が「TigerTiger!」なのはウィリアム・ブレイクの詩からの引用…でもあるが、名作SF小説『虎よ、虎よ!』にもかかっている…かもしれない。
ジーク・B・極・玄武/SAIKA
おなじみジークフリート。SAIKAが巨大な剣を生み出すというのは、ジークフリートの愛刀であるバルムンクからか。背中に巨大な甲羅をもつ四神獣の玄武があてられているのは、ジークフリートの弱点が背中にあることからか。
現実/空想の二元論的には、ジークとサイカは役割が逆であってもおかしくないが
SAIKAは災禍のことだろう
SAIKAは災禍のことだろう
ヴァンダム/スザク
おなじみの人と四神獣の組み合わせ。
この現実/空想の組み合わせは、おそらく意図的なものだろう
メレフ/カグツチ
カグツチは日本神話のヒノカグツチ。
メレフは女性じゃないか、と思いついたのだけどその根拠を忘れてしまった
メツ/シン/ヨシツネ
メツは不明。ロシアにムーロメツという英雄がいるからそれか
シンはキリスト教の「原罪(sin)」からだろう。
ヨシツネも英雄か
妄想を飛躍させればシンはアダムとイブの罪の象徴であり、それを受け継ぐ者。
キリスト教でいえばイエス・キリストその人であり、要するに英雄。
人類が楽園から追放される原因であり、物語の核心にいる人物である
世界
アルス/アルスト
アルスというと「アルス・マグナ」とか思い浮かぶ
個人的には「アルス・オプ(als-ob)の哲学」からきているように思われる
アルス・オプの哲学とは、ドイツの哲学者ハンス・ファイヒンガーが提唱した哲学論理。「かのようにの哲学」としても知られ、森鴎外の短編『かのように』の主題でもある
詳しくは上記のウィキペディアの記事を読んでもらいたいが、要約すると
「人間には世界の根底的現実を認識することはできない。そこで人は概念という便利な道具を作り出し、あたかもそれが存在するかのように利用している」
人間は素粒子を見たことはないし、原子を見たこともない。それらを肉眼で見ることは絶対に不可能である。ただその存在を前提とすると、宇宙の様々な現象が説明できるからそれが存在するかのようにふるまっているだけなのだ
より直截に言うと「世界は実在するが人間が見ているのは虚構である」
さて、これをゼノブレイド2の世界に当てはめてみる
雲海に覆われた「アルスト」という世界には「アルス」という巨大生物がいて、人間は彼らの肉体に棲みついている。
しかしながら上記で考察したように、これらアルスには「概念」の名前が付けられている。つまり人は存在しない概念に棲みついているといえる。
そう、まるでその概念が存在するかのように。
しかしやがて概念は死に瀕する。それはあくまで「存在するかのように」存在していただけであり、実在するわけではないからだ
そして人類は「楽園」を目指すことになる
楽園とはなにか?
アルス・オプの哲学にいう「根底的現実」である
そこは原罪を犯した人類が追放された地であり、その原罪を受け継ぐシンはゆえに「天の聖杯」を得なければならなかったのである(罪を暴かれぬよう)
楽園とはどこにあるのか?
登場人物の項でも触れたが、ゼノブレイド2には人物にも世界観にも「二重性」が付与されている。ホムラ/ヒカリはその分かりやすい例であり、登場人物の多くは西洋的な人物に東洋的な精霊という組み合わせとなっている。
同様に世界は根底的現実/虚構という二重性を持つ。
つまり楽園とアルストとは「重なっている」
「天の聖杯」とは世界を覆う「不可知の雲」を吹き払うアイテムであり、それが使われる場所は世界樹の頂上が最もふさわしい。
不可知の雲が吹き払われた時、根底的現実は姿を現すだろう
しかし、それはおそらく「楽園的なものではない」
人類は二重性をはぎ取られて精霊の加護を失い、世界もまた神の恩寵を失う
そして人類は気付く「すでに神が死んでいた」ことを
神の去った世界は荒廃し、滅亡に瀕しているだろう
しかし、それこそが「グノーシス(知る)」ということなのだ
だが、愛ゆえに天国から落下した天使(ソフィア)により、人類の純粋な部分だけは救われるかもしれない(グノーシス主義ではそれを「火花」と呼ぶ。転じてヒカリ)
あるいは救済を望む者との対決により、永遠に神と決別を果たすかもしれない。
後記
まずそもそもの前提として、未プレイのゲームの考察というアホなことをしている自覚はある。そのうえ自分自身でも考察があたってるとはろくすっぽも思っていない。
これは発売前の単なる暇つぶしのひとつであり、おそらくゲームをプレイするころには自分でも忘れているだろう
その程度のもの。決してまともな考察と思わないでほしい
単なる気狂い者のわけのわからない妄想。それが正しい。
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