まずブリコラージュについて
ブリコラージュとは人類学者クロード・レヴィ・ストロースが提唱した用語で「器用仕事」と訳されている。
簡単に言うと、「何かの役に立つだろう」と考えて集めてきた物を用いて、何か別の物を作りだすことだ。
冷蔵庫に入っていた残り物の食材を使用して作る料理、というふうに説明も出来るかも知れないが、料理の場合、食材は「食べるため」という目的のもとに集められた物なので、あまり適切な例でないかもしれない。他に日曜大工仕事の例もあるが、それもそれほど適切ではない。
あるいは美術にコラージュという手法がある
カラーチラシなどを細かくちぎり、それを張り合わせてまったく別の絵を生みだしたりするあれだ。
こちらのほうが適切だと思われる。まったく別の用途のもとに作られたチラシを器用に張り合わせて、まったく別の物に再創造する。
とにかくまあブリコラージュというのは、無作為に集められたモノを「器用」に組み合わせて、新しいモノを創造すると考えていいと思われる
構造主義
あらゆる概念、思想、神話、人間の思考には、「構造」がある。確かこんな思想だったはず(うろおぼえ)
これもまたクロード・レヴィ・ストロースが源流に係わっている。
神話において、「ブリコラージュ」の材料(集めてきたモノ)となるのが、この構造だ。
例えばタカを祖霊とする一族と、カラスを祖霊とする一族がいるとする。
(祖霊というのは、一族が特別視している崇拝対象のことだ。多くは祖先が何らかの動物だったという伝説があったりする)
この場合、タカの一族がタカに似ているから、祖霊がタカなわけではない。
同様に、カラスの一族がカラスに似ているから、カラスを特別視しているわけでもない。
タカとカラスの相違点、関係性が、二つの一族の関係性と類似しているゆえに、それぞれタカとカラスを祀るのである。
この関係性こそ「構造」であり、タカとカラスの「構造」が、二つの一族の「構造」に類似しているゆえに、二つの動物が選ばれたのである
神話に出てくる動物、自然現象というものは、常にこうした「構造」を内包するために、神話に登場するのである。
「構造」を「器用」に「組み立て」て「神話」を創り出す。この手法が、ダークソウルの手法と同じなのである。
具体例
さてようやく本題に入る。といってもまずはダークソウルと関係のないイギリス史上の人物の紹介からだ。
11世紀のイングランドに、エドワード証聖王と呼ばれる人物がいる。
ウィキペディアからの引用抜粋によると
>>エゼルレッド2世と2度目の妃エマの子。エドマンド2世の異母弟。聖公会・カトリック教会で聖人。白子(アルビノ)で柔弱な性格であったといわれる。
さて、ここに出てくるエドマンド2世、これがどんな人物であったか。
再びウィキペディアからの引用抜粋
>>「剛勇王(Ironside)」という異名はクヌート(後のデンマーク王クヌーズ2世)率いるデンマーク軍の侵略に立ち向かった奮闘ぶりから名付けられたもの。
ダークソウル3をプレイした人ならば、あれ? と思うかも知れない。
勇猛な兄と、生まれつき病弱な弟。ローリアンとロスリックに「関係性」が似ている。
さらにロスリックの母親であるエマだが、英語の綴りは「Emma」であり、これはヨーロッパ人命語源事典によると「エンマ」と読む。
DS3には乳母として登場するが、母親と乳母という地位は、女性的庇護者という意味で王子との「関係性」が「類似」している。
ここで重要なのが「モチーフ」ではないということ。
あくまでエドワード証聖王、エドマンド2世、エマという三者の「構造」のみを抜き出して、DS3の舞台上に「組み立て」直している。
なので、エドワード証聖王に関連するイングランド史上にDSのストーリーを強引に重ねることはやめたほうがいい。
ここがややこしいところなのだが、この違いを理解できないと、牽強付会、我田引水の罠にはまる。
ではなぜ、エドワード証聖王を選んだのか。
この王子は、ノルマン・コンクエスト以前のイングランドにおける「最後の王」として知られている。
「最後の王」と「国家」という「構造」をDS上に組み立てなおしているのだろう。
ただし、プロデューサーが漫画「ヴィンランド・サガ」でも読んでたのかな、という身も蓋もない説明が最もしっくりこないでもない。
発展
さて上記のような「ブリコラージュ」がDSには数多く見受けられる。
無縁墓地の英雄グンダと、結晶の娘クリエムヒルトは『ニーベルンゲンの歌』に登場する兄妹の「構造」を「組み立て」直している
ただし、その組み立て直し方はわからない。
兄妹の構造を保ったままなのか、あるいは別に構造に「変化」しているのか判断にするには与えられる情報が足りない。
シリーズを通して同じ「構造」を少し変えて再登場させていたりもする。
例1:デモンズソウルのアストラエアとガル・ヴィンランド→フリーデ&ヴィルヘルム
聖女と従者、そして赤子という「構造」は、そのまま女主とその騎士、赤子のようなアリアンデルに「組み立て」直されている
例2:ユーリアとその弟子(プレーヤー)と太った公使
カルラとプレーヤー、アルバ
呪われた女と、弟子、さらに女を求める男という「構造」が踏襲されている
「構造」は柔軟であり、「関係性」そのものが逆転していても(仲良し→敵対とか)、構造は保たれる。
カリムのイリーナとイゴンは、どちらかというと捕囚とその監視役のような「構造」だが、
最終的にはアストラエア&ガルの「構造」に落ちつく(ただしそれは破滅を意味する)
「赤子」がいないので歪んだ「構造」になっており、それが意味不明なストーリーラインの直接的な原因だと考えられる
あまり本気にしないように
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