2019年1月9日水曜日

隻狼 蛇

※発売前の考察です



 デビュートレーラーから登場していた白い大蛇についての話

 人類との関係が深く世界中の神話・伝説に頻出するこの蛇という爬虫類が象徴するのは「不死、月、生命、豊穣、女性、敵対者、誘惑者」等々、多岐にわたるが、日本においてはまず「可畏(かしこ)きもの」、つまり「神(カミ)」として認識された

 本居宣長によれば「可畏きもの」とは、

すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非(あら)ず、悪きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば、と云なり(『古事記伝』)

 であるという。ここでいう「すぐれたる」とは尋常でない力を持つという意味であり、要するに「超常の力を持った存在」は「カミ」であるということである

 日本神話における「」はだいたいこういった概念の「カミ」として登場するのが通例である

 その最も著名な例はヤマタノオロチであろう(wikipedia)

 ほかにも三輪山の神であるし(wikipedia 倭迹迹日百襲姫命
 
 アヂスキタカヒコネという神は雷神であり蛇身であるといわれ(『古代研究2』折口信夫)、同様に『古事記』に登場する阿須波神もまた蛇神であるという(『蛇―日本の蛇信仰』吉野 裕子)

 また有名なところでは『常陸国風土記』に登場する夜刀神角の生えた蛇であるし、諏訪神社の諏訪大明神は竜蛇神であり、同様にカヤノヒメという神は別名「野槌神」といわれ、野の精であるを指す名前である(wikipedia 夜刀神)(wikipedia カヤノヒメ

 伝説においては、遠野三山(早池峰山、石上山、六角牛山)の女神はもともとであったという伝説があり(『山深き遠野の里の物語せよ』菊池 照雄)、その遠野を中心とした奥羽全域には、ホウリョウ権現なる正体不明の蛇神が祀られているという
 
 と、日本神話は蛇神が異常なほど多く、また蛇が象徴するものの広範さゆえに、一概に蛇といっても、このように全く話がまとまらないのである


 しかしながらSekiroは忍者をテーマとしたゲームである

 ということで、忍者と蛇をあわせて考えてみると、「甲賀三郎伝説」が思い浮かぶのである(wikipedia 甲賀三郎)

 甲賀三郎伝説を要約すると次のようになる

 妻の春日姫を天狗にさらわれた甲賀三郎は地底の国を彷徨い、やがて地上に戻ってくるが大蛇の姿になってしまう

 この甲賀三郎、名前からわかるとおり甲賀忍者の祖という伝説が残る。また大蛇の姿となったのち、姫とともに諏訪明神として祭られたともいわれる

 ここに「忍者/蛇」という構図が現われてくるのであるが、これをSekiroに当てはめるならば、忍者の化身があの白い大蛇である、と解することもできる
 
 そして同じような構図が、すでにいくつか現われているのである
 
 たとえば「忍者/狼」「忍者/梟」「忍者(糸婆)/蜘蛛(鴉?)」などである

 とはいえ、Sekiroの主人公が狼に化すという情報もなく、また糸婆が戦闘時に何らかの動物に変化しているようすもないことから、単純に当てはめることはできないであろう

 が、しかし甲賀三郎のもう一つの面、つまりのちに神として祭られたということを含むのならば、また別の面が見えてくる
 
 それが「神/蛇」という日本神話お馴染みの構図である(もちろんこの「神」とは「可畏きもの」という意味での神である)

 さて、2018年のTGSトレーラーに「靇(おかみ)」なる漢字が登場した。この「おかみ」は、イザナギがカグツチを斬り殺した際に誕生した神であり、炎の神の血から誕生した神であるという考察は以前した

 この「おかみ」を折口信夫は水神であり蛇神であるという

「おかみ」は「水」を司る蛇体だから、みつはのめ、は女性の蛇または、水中のある動物と考えられた。(『古代研究1』)

 折口信夫によれば、「おかみ」は男神の神名であり、「みつはのめ」がその対となる女神であるという

 トレーラーでは、「靇」の文字は城に掲げられたに記されていた。ということは、「靇」の文字は、城を支配する城主あるいは頭領を指し示す印であると考えられる

 であるのならば「靇」の旗を掲げる城主の正体は、当然ながら蛇神である
 よって例の白い大蛇は、城主の化身である可能性が高い

 また「おかみ」という名からして、それは「男」である

 さて、ここで疑問が浮かぶ。なぜ隻狼は蛇神が支配するあの城へ侵入したのだろうか。もっともシンプルに考えるのならば、皇子の身柄がそこにある、あるいは皇子の行方に関する情報がそこにある、というものであろう

 では、なぜ蛇神は皇子の身柄を捕えている、あるいはその情報を知っているのだろうか。

 話がそれるが、日本神話には「蛇婿入」という説話の型がある
 上で触れた三輪山の箸墓伝説がもっとも有名であるが、要約すると次のような説話である

 ある家の娘が婿をとったが、夫は夜しかやってこず、朝日が昇る前に帰ってしまう。不思議に思った娘が、夫の服に糸のついた針を刺す。そうして翌朝その糸をたどっていくと、山奥の洞窟へいたり、夫の正体である大蛇を見てしまう、という話である

 この説話は「夜叉が池伝説」(wikipedia)として各地に流布するが、その多くは、水乞いのために池の龍神(蛇神)に生け贄にされる若い娘の話である

 つまるところ、蛇神というのは昔から人間の生け贄を欲すると考えられていたのだ。
 ヤマタノオロチ伝説がその最も有名な例であろう
 
 これら「蛇神←人間(生け贄)」という構図がSekiroにも換骨奪胎されて編入されていると考えると、皇子の立場や城主の行動原理が理解できるように思える

 簡単に言うのならば、皇子は「生け贄」であり、城主はそれを欲する「蛇神」なのである。ただしここで「ねじれ」が生じているように思える。

 伝説や神話では、蛇神は男神であることも女神であることもあるが、生け贄として欲するのは必ず、異性である

 城主が「おかみ」であるとすると城主は男神である。男神が男である皇子を生け贄として欲するだろうか、という疑問が生じる
 
 この疑問には二つの仮説が立てられるように思う

 ひとつは、皇子の性別が偽られている可能性である。皇子は男ではなく女であり、ゆえに「おかみ」にその身を狙われ、あるいは拘束されている

 二つ目は、皇子は「おかみ」が欲する性別の生け贄ではないが、城主の知的好奇心を満たすために捕えている、という説だ

 個人的には後者の説だと思っている。なぜならば、そうであればダークソウルのおける「シースと聖女」の構造をそのままであるからだ(似た構造が登場するのはフロムゲーによくあることである)

 白い蛇、というのもシースを彷彿とさせるし、ダークソウルのシース関連における「聖女」とは「生け贄」そのものであるからだ

 トレーラーに登場する「おかみの城」は、DSにおける書庫のような場所であり、あの白い大蛇はシース的な存在なのではないだろうか



祭蛇記

ついでに、蛇退治の話でも
『捜神記』(wikipedia)には、白猿伝に似た蛇退治の話が伝わっている

これもまた岡本綺堂が訳している(青空文庫

祭蛇記』という話がそれだ

東越にある山に大蛇が棲み着いたという。大蛇は大いに祟り住民を苦しめたあげく、巫女を通じて少女の生け贄を要求する。こうして九年に九人の少女を生け贄として捧げたが、十人目の少女がみつからない。

そこで白羽の矢が立てられたのが、寄(き)という少女である
寄は一振りのよい剣と蛇喰い犬とともに、生け贄として捧げられるふりをして大蛇のもとへ向かい、犬の協力を得て大蛇を退治する


以上が要約であるが、ここでもやはり猿退治と同様に犬が協力者として登場する


デスペナルティ

特に根拠はないが、回生するごとに皇子の状態が変化していくのかもしれない
 最初、人であったものが死亡回数が多すぎると人の状態を保てなくなる、といったような


蛇足

「おかみ」の城蘆名へ至る経路のひとつ、とする考えも思いついたのだが、忍者がある特定の地点へ向かおうとするのに、その前にある城に侵入しなければならない、という状況がいまいち納得できなかったので触れなかった。忍者ならば戦闘を避けて目的地へ向かうことを優先するだろう

その城に侵入したからには、忍者としての目的が必ず存在するはずである(そしてそれは物語の設定上、皇子に関連するものであろう)

またいつものことであるが、具体的な神名や地名を挙げたが作中にそのまま登場する可能性は低い

2018年12月20日木曜日

Death Stranding 考察12 Archillect 12/21追記

12/21追記
Archillectの創作者であるPak氏(Twitter)により、ArchillectはDSのマーケティングとは無関係ということが明らかにされた

彼によると204863枚目の画像およびリンクは、彼が設計したものだという(それ以外の意図的な関与は否定しているが)

簡単に言うと、DSのコミュニティを巻き込んだArchillectの実験だったようだ

※1 ArchillectはSNS上で盛り上がっている話題と画像をArchillectの意志のもとにピックアップする人工知能である。その点からいえばDSコミュニティがArchillectとDSを同時に話題にすればするほど、ArchillectはDSに関係する画像を投稿するようになっていく。この傾向に目をつけたPak氏が、204863枚目のイベントを仕込んだ、ということらしい

※2 このタネ明かしを追記するか悩んだのだが、タネを明かすまでがこのARGの範囲だと考え記すことにした(Reddit民もあんまり怒ってないしね。皆うすうす仕込みだと感じつつあえて参加していた感がある)

Archillect

Archillect(Archive+Intelligent)とは、ソーシャルメディア内の画像を特定の意志のもとに集めて共有する人工知能(AI)である(詳細はArchillectのFAQ

このArchillect、一見DS(Death Stranding)と無関係であるように思われる

だが、いつの頃からかDSに関連する画像を投稿し始め、それに気づいたRedditのARG民が注目し始めた、というのが事の始まりの様だ
ARG= Alternate Reality Game, 代替現実ゲーム

さて小島プロダクション制作の「P.T.」というゲームがある
このホラーゲームには様々な謎があり、いまも考察がなされているが、その謎のひとつに「204863」という数列が存在する

昨夜、Archillectが「204863」枚目の画像を投稿した、というのがRedditにおける盛り上がりの原因である(204863に近づくにつれ小島監督に関連する画像が投稿されていった)

「204863」枚目に投稿された画像が以下のものである(Twitterに投稿された大きな画像


Archillect上のこの画像には「小島プロダクション」へのダイレクトリンクが張られており、クリックすると小島プロダクションのWEBサイトに飛ばされるようになっている

このカラフルなドットの画像小島プロダクションとの間に何らかの関連性があると考え、解読を試み、そしてそれに成功したと報告したのが下記のスレッドである

I've done it - the code is decyphered
(または少し異なる詳細な説明 Was trying to decode as binary code

詳細はリンク先のスレッドを読んでほしいが、ドットのうち色彩の有るものを1黒を0とし、それをバイナリコードに変換実行すると次のようなメッセージが吐かれたという

uoyodmaiohwwonktnodllitsuoyetalooteruoy

そしてこの意味不明な文字列を反転させる(キラルのように)と、

youretoolateyoustilldontknowwhoiamdoyou
あるいは
You're too late. You still don't know who I am do you?」と読めるという

下の英文を日本語にすると
あなたは遅すぎます。あなたはまだ私があなたのことを知らないのですか?
と訳せるが、これはトレーラーのリンゼイ・ワグナーのセリフ

遅すぎたわ。私が誰か、まだわからない?
に対応すると思われるというのだ

ArchillectのFAQにおいて、Archillectとはデジタルミューズ、つまりデジタルの女神と言われていることから、リンゼイ・ワグナーはArchillectの原型であり、彼女自身、AIなのではないか、とも考察されている

信じるか信じないかはあなた次第


蛇足

Archillect関連は流し読みしていただけなので、正しく説明できているかはなはだ自信がない。その正誤についての判断は保留する。

2018年12月19日水曜日

Death Stranding 考察11 『神曲』

Reddit興味深い考察が載っていたので紹介する
詳細は『Death Stranding vs Aligheri L'inferno (1911)』を読んでもらうとして、大雑把にいうと、1911年に製作された『L'inferno』という映画にDeath Strandingの構図と似た映像があるというものだ

該当スレには画像もあるので必要ないと思ったが、別のソースから引用した比較画像を作成してみた。それが以下の画像である。なお画像は左右反転している。



オマージュなのか偶然なのか、事の正否には触れない

また該当スレのコメントにDeath StrandingのトレーラーにM1911という拳銃が登場しており、この映画を示唆している、という情報があった。それについても検証してみたが、真偽不明というのが正直なところだ

M1911ではないように思える。しかしながら昨今は権利関係上、実銃を登場させることが難しくなっており、M1911をモデルとした銃ということなのかもしれない。というか、そもそもコメントが指摘しているM1911がこの銃であるという確信がない(わたしの記憶にない別の場面である可能性も)


『神曲』

ともあれ、Death Strandingと『神曲』に何らかの関連性がある、という考察には「あるかもしれない」というのが自分の印象である

まず、映画の場面であるが、これはダンテがウェルギリウスに先導されて地獄へ向かうシーンである。つまり洞窟を抜けた先が地獄なのである。ということは、サムがいる場所は地獄的な場所であることを示唆している

『神曲』の「地獄篇」には九つの圏(階層)が存在するが、サムがいるのは気候的に考えて第九圏、「コキュートス」と呼ばれる氷地獄であろう

コキュートスは裏切り者を罰する地獄であるが、ここに四人の罪人が繋がれている(参考『神曲』wikipedia)
第一の円 カイーナ Caina - 肉親に対する裏切者 (旧約聖書の『創世記』で弟アベルを殺したカインに由来する)
第二の円 アンテノーラ Antenora - 祖国に対する裏切者 (トロイア戦争でトロイアを裏切ったとされるアンテーノールに由来する)
第三の円 トロメーア Ptolomea - 客人に対する裏切者 (旧約聖書外典『マカバイ記』上16:11-17に登場し、シモン・マカバイとその息子たちを祝宴に招いて殺害したエリコの長官アブボスの子プトレマイオスの名に由来するか)
第四の円 ジュデッカ Judecca - 主人に対する裏切者 (イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダに由来する)
そしてもう一人、第九圏のもっとも奥深くに幽閉されているのが魔王ルチフェロ(サタン)である

上記の四人に魔王を足す「五人」ということになるがこれはDeath Strandingにおいてボイドアウト後に空中に浮かぶ「五人」と照応する

さらにいえば、魔王ルチフェロは口の中で、ユダ、ブルータス、カッシウスの三人をかみ砕いているが、これはボイドアウトを引き起こす直接の結果となった黒い巨人が人間を喰らうという現象と照応していると考えられる

さらに地獄の中には煮え立つ瀝青(アスファルトの原料、黒い液体状のもの)に漬けられるというものもあるが、これは時雨ならびにそれが溜まった黒い水たまりのモチーフなのではないかと考えられる

と、このようにDSのなかに『神曲』の影響を見ると様々な事象に説明がつけられることとなる。

ただし、サムのいる場所=地獄そのものというわけではないように思われる。イメージとしては、地球に隣接した別次元に「氷地獄」が存在し、カイラル濃度が高まることで、二つの世界が重なり、結果、地球に地獄が顕現してしまうというものだ

地球と地獄とは、薄い次元の膜を隔てて隣在しており、地獄の影響を受けて地球は寒冷化し、また一部は融合してしまっているのではないだろうか

そしてまた永遠の責め苦を与えるという性質上、地獄には時間がない。こうした時間的な異常時雨の、触れたものの時間を進ませる、という性質をもたらしているのではないだろうか

また地獄となった場所には「死」が存在しない。カイラル濃度が高まり、地獄と融合した時空にいる人間は「死ぬことができなくなる」

付け加えるのならば、集英社文庫版の『神曲』を読んだ人ならば周知であるが、そのをDSのトレーラーに引用されたウィリアム・ブレイクは『神曲』の場面を描いた絵を何十枚も描いている


『ファウスト』

古典繋がりでいうのならば、『ファウスト』的なモチーフも散見される

まず、赤ちゃんを連れて旅をするサムの姿だが、これはホムンクルスに導かれて旅をするファウスト博士のイメージと重なる

このファウスト博士、物語の序盤でメフィストフェレスによって若返らされている

はじめ老人であったファウストがメフィストフェレスと遭遇し、若返ったあげく、赤ん坊(ホムンクルス)に先導されてをする

この一連のプロットをDSにたとえるのならば、「デル・トロがマッツと遭遇し、若返った姿となり、やがて赤ちゃんと共に旅をする」となる

とはいえ、デル・トロとサムでは顔の骨格からして違うので科学的考証を無視しない限り実現することはないので、おそらく違うだろう(それでもマッツならなんとかしてくれそう)


運命の女

『神曲』と『ファウスト』を雑に概略すると、失った運命の女を再び手に入れるために旅をする、というような感じになる。ダンテはベアトリーチェを、ファウストはグレートヒェンを追いかけまわし、彼女を失うや彼女の代わりを探しに行くが、ついに得られない

サムにとってのベアトリーチェやグレートヒェンとは、あの写真の女性であろう
何らかの事故か事件により最愛の女性と子供を失ったサムが、失ったものを再び手に入れるために放浪する、というのがDSにおけるサムの基本的な立ち位置なのではないだろうか

放浪の途中でブリッジスと出会ったサムはやがて伝説の運び屋と呼ばれるようになり、地獄の最深部(物語の核心部)へと足を踏み入れていく……という話なのかもしれない

またサムの物語以前には、ファウストとメフィストフェレスの出会いに近い出来事があったと思われる。現時点でその有力候補はデル・トロとマッツであるが、デル・トロがサムである、とは一概に断言できない

ちなみにリンゼイ・ワグナー/赤ちゃんは「先導役」たるウェルギリウス/ホムンクルスの役割であろうか(その存在がサムを核心へと導く)

レア・セドゥはやや複雑なのだが、『神曲』の「天国篇」において、先導役をウェルギリウスから交代したベアトリーチェだろうか(この交代はDSにおいては、リンゼイ・ワグナーの計画からサムが離反することを表すのかもしれない)

ベアトリーチェが二人いることになるが、死んだ妻とレア・セドゥとの間でサムが悩む的な展開になるのかもしれない

蛇足

当然であるが作品の性質上、「地獄」だとか「魔王」だとかは、SF的な言葉(ターム)に置き換えられると思われる

また、あくまでもRedditの考察に触発されて古典の構造をDSに当てはめただけの代物であり、映画的なものの影響を無視しているため、正否について責任はもてない(かなり悪乗りした考察である)





2018年12月16日日曜日

RDR2 赤い死の贖い

アーサーの物語

 イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれでも、血を食べるならば、わたしはその血を食べる人に敵して、わたしの顔を向け、これをその民のうちから断つであろう。
 肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。(レビ記 5章10-11)

 Redemptionは「贖(あがな)い」を意味する英単語である。

 また旧約聖書では、殺害者に対する報復を行なう近親者のことを「血の贖い人」と呼ぶ(民数記 35章)
 RDR(無印)におけるRedemptionとはこちらの意味だと思われる

 さてRed Dead Redemptionを直訳すると「赤い死の贖い」となる

 RDR2における「赤い死」とはまず第一に血を吐き続ける病、つまりアーサーの「結核」のことを指す

 物語の終盤、これまでの生き方に疑問を持ち始めたアーサーは「赤い血(赤い死)を吐きながら」これまで犯した罪を贖おうとする。その血はアーサーの命を象徴するものであり、彼は自分の命を捧げることで贖おうとするのである。「血は命であるがゆえ」に、「あがなうことができる」からである。彼は「おのれの血」を捧げる以外に贖罪する方法を知らなかったのだ

 一般に宗教行事は「血」を好むものであるが、とくにユダヤ・キリスト教は「血液」に対する反応が過敏で、それは聖杯伝説や吸血鬼というものを生み出してきたが、両者の根本にあるのがキリストの磔刑である。イエス・キリストの血が人類の罪を贖うものとされ、その奇蹟の力を信じるがゆえに「聖杯伝説」が誕生し、また「血液」に対する狂熱のゆえに「吸血鬼」が畏れられてきたのである
 
 ここには「血」に対する信仰のようなものすら感じられるが、その延長線上に「血を吐きながら贖うアーサー」という人物像が生まれたと考えられるのである

 つまり「赤い死の贖い」とは「結核(赤い死)」によって血を吐きながら、その血によって贖おうとするアーサーの行為そのものである

 作中アーサーは死んでもおかしくはない、というより生きているのが不思議なぐらいの吐血を繰り返しながら、それでもクライマックスまでは死なない。普通ならばとうに死んでいておかしくはないほどに病状が進んでいるにもかかわらず、立ち続け銃を構え、敵を殺し続けるのである

 そうした「不可解な生」の代償が「結核による吐血」なのである。血を吐く(生命を捧げる)ことで死までの猶予を与えられ、アーサーはその「不可解な生」を罪を贖うために使い果たしたのである

 この「不可解な生」を象徴するのが、牡鹿と狼の幻覚なのである。アーサーはすでに人として死に、ある種の精霊として生きている。そうした精霊を象徴するものとしてアーサーが視るのが、牡鹿と狼なのである。

 アメリカ先住民の神話では動物と人間との境は曖昧で、かつて動物は、動物であると同時に人間でもあったとされ、また、人間から動物にあるいは動物から人間にといった変身もあたりまえのことのように行なわれる

 例えばブルーレ・スー族の神話『白いバッファーローの女』では、文化を伝えた文化英雄である「白いバッファーローの女」は、白いバッファローになったと語られる

 またホワイト・リバー・スー族の『兎少年』という神話では「かつて動物は人間に姿を変えることができたし、人間も動物になれた」と語られる

 例を挙げていくときりがないので打ち切るが、アーサーの視た精霊とは上記のような動物とも精霊とも判断のつかない曖昧な存在だと思われる

 そして、その動物精霊はアーサー自身でもある(名誉値によって牡鹿か狼に象徴が変わることから)

 動物に変身したアーサーをアーサー自身が視ているのである。いわば臨死体験的な幻視であり、もっというのならば、シャーマンが陥る忘我状態(トランス)にあるといえる

 この忘我状態を引き起こし促進させたのは、結核による生命の衰弱と、「雨の到来」から渡された薬草であろう(作中、重要な感じで渡されるにもかかわらず、何故かそれ以降その薬草の存在が触れられることはない)

 アメリカ先住民の祈禱師はこうした忘我状態を引き起こす植物の知識に通じていたし、実際彼らの神話には、多くの聖なる草が登場する。それらは普通、喫煙によって祈禱師を天上へと導くとされていた。

 話がかなり逸れたが、つまるところ牡鹿や狼の突然の登場は、「アーサーの死」を肉体や精神の消滅によって表現するのではなく、人間から動物的精霊への移行というアメリカ先住民的な世界観によって表現したものだと思われる

 彼らにとって死はたんなる存在様態の移行にすぎず、彼らの魂は精霊的な動物となってアメリカの大地に住み続けるのである



アーサー王の死

さて、『旧約聖書では殺害者に対する報復を行なう近親者のことを「血の贖い人」と呼ぶ(民数記 35章)』と既述した
 
 アーサーの物語におけるRed Dead Redemptionとは「赤い死の贖い」であり、それは結核による血を象徴し、それによる贖いの物語であったが、アーサーの死後はその意味が変わる、というより元に戻る

 元とはもちろん「血の贖い人」の意味である

 操作キャラがジョンに変わり、マイカに報復するための物語となる

 が、マイカに報復するのはジョンではない

 ここにダッチが最後にマイカを撃った理由がある

 作中におけるダッチの描写があまりにアーサーに厳しいものだから忘れがちだが、ダッチにとってアーサーは家族のようなものである

 クライマックスでジョンに「ここで何してるんだ」と訊かれ、ダッチは「おまえと一緒だろうな」と答える。この答えこそ、ダッチがマイカに報復するために来たのだと言うことを直接的に示している

 ただしダッチの報復は、仇を取ってやろうとかアーサーの弔いのためにというような積極的な理由ではない。おそらく彼は当初、アーサーの死を理解できなかったであろう。何故アーサーは死んだのか、何故計画が狂ったのか。マイカと別れた後、ダッチは考え続けた。だが、彼の脳裏には自分が悪かったという論理は存在しないのである。

 そして彼は結論づける

 計画が狂ったのはアーサーが死んだからであり、その死に対してマイカは責任がある。なぜならアーサーを最後に痛めつけていたのはマイカであったのだから

 すさまじく短絡的な論理であるが、ダッチはそういう人間である。状況が悪化しても自分が悪いとは考えず、周囲の人間が悪いのだと決めつける。その矛先はジョンにも向けられるが、アーサーを慕うジョンには今のところ報復するつもりはなかった

 彼が求めたのはアーサーを殺した者に報復することだった
 報復さえ果たせば何もかもが元に戻る、とすら考えていた

 だからこそダッチは直接マイカに聞きに行ったアーサーの死に責任があるか?、と(幼さすら感じさせる行動だが、ダッチは基本的に子どもをそのまま大人にしたような人格をしている。その裏表のなさが奏功する場合もあれば裏目に出ることもある)

 マイカは言い逃れをしただろう。直接手を下したわけでもなく、実際アーサーの死因は結核による衰弱死だ。
 ダッチは何の疑いもせず、それを信じたのかもしれない。何しろ世界が自分を中心に廻っている男である。腹心のマイカが自分を騙すとは考えもしないのである(そこが魅力であり欠点でもあるが)

 ちょうどそこへジョンがやって来た
 銃を向け合っての口論の後、ジョンが言う「俺を殺しても解決しない」と

 ダッチの中でジョンはただの裏切りものである。アーサーの死を担えるほど、その喪失を贖えるほどの価値はない。自分がもう一度やり直すためには、アーサーの死を贖えるほどの生け贄が必要である。そう考えたダッチは、ただ単純にすべてを仕切り直すためだけに、マイカを撃ったのである

 そこには報復を果たした歓喜もなかった。そこにいるジョンはもはや部下でも裏切り者でも無く、仕切り直したダッチにとっては見知らぬ他人にしか見えなかった

 山小屋に残された忌まわしい過去を象徴するものであり、新しく生まれ変わった今の自分には必要ない

 もはやこの場所にいる理由も必要もない。さっさと山を下りよう

 山小屋の金に意を向けず、ジョンを見知らぬ他人のような眼で見て、さっさと山を下りていくダッチの心理はこういったものであった

 ただしダッチは一つのことだけはやり遂げた

 それこそが、マイカにその血をもってアーサーの死を贖わせること、Red Dead Redemption(赤い血の贖い)である



蛇足

言うまでもなく、たんなる解釈の一つに過ぎない

 一つだけ付け加えるとすれば、ゲーム内に登場するアメリカ先住民の居留地は名を「WAPITI」というが、これはアメリカインディアンのショーニー族の言葉(Shawnee)で「白い尻」を意味するワーピティ(waapiti)から由来する言葉で、「アメリカアカシカ」を意味する(wikipedia)
 アーサーが視る牡鹿がおそらくこの「アメリカアカシカ」であろうと思われる

 大型の鹿は一般的にエルクと呼ばれるが、アメリカ先住民においてエルクとは、最も神聖かつ重要な動物のひとつである。

 ワスコ族の『失われたエルクの魂が住む湖』という神話には、死んだ動物たちの精霊が住むとおいう〈失われた精霊たちの湖〉が登場する
 
 青く静かな湖の底には、死んだ動物たちの精霊が数えきれないほどいる。澄んだその湖面に反射して映し出されるフッド山の姿は、まるで失われた精霊たちに捧げるために立てられた慰霊碑のようだ。(『アメリカ先住民の神話伝説 下』青土社、249ページ)

2018年12月9日日曜日

デラシネ ローレンス/ミコラーシュ/ゲールマン

女性陣の名前は小ネタで触れたので、次に男性陣の名前について考察してみようと思う

ルーリンツ

ルーリンツ(ハンガリー語)の英語形はローレンスである

ニルス

ニルスという名はデンマーク語形であり、これを英語形するとニコラウスとなる
参考(ニコラウス・ステノ wikipedia)

そしてこのニコラウスチェコ語形にしたのが、ミコラーシュとなる

ハーマン

以前に「ハベル」という名前についての記事を書いた
ガリア戦記で有名な「ガリア」 とは「ケルト人の地」を意味する言葉。「ケルト人」を意味する英語名はガル(Gall)このガルがチェコ語に変化するとハベル(Havel、Habel)になる。(小ネタいろいろ」)
つまり英語形(ラテン語の間違い)からチェコ語にかわる際には「G」と「H」の置換が起きる

さて、ハーマンの綴りは「Herman」だが、この「H」が「G」に置き換わるとどうなるか

German」「ゲールマン」となるのである

※ゲールマンの正しい綴りは「Gehrman」であるが、ゲールマンのモチーフというか名前の元ネタはゲルマン民族のゲルマン(German)だと思っているので(あるいは「ゲール人の男」という意味かもしれない)、むしろGermanからHermanとGehrmanに分かれたのではないかと考えている


蛇足

小ネタに追加しようとも考えたのだが、過去の記事をあれこれいじるのがあまり好きではないので、新しく記事にした


2018年11月23日金曜日

隻狼 曼荼羅

※発売前の考察です


仏像

まず初めに、デビュートレーラーから登場していた仏像について
これはおそらく十一面観音(Wikipediaだろうと思われる
多面多臂の仏像は密教系に多く、とくに観自在菩薩はその手の数(千手観音)、頭の造形(馬頭観音)、頭の数(十一面観音)などが顕著である
これらはヒンドゥー教の影響を受けていると思われるがsekiroとは直接関係ないので詳細は省く
紅い蓮と紅蓮の言葉遊びか

曼荼羅

次にTGS Trailerに登場した護摩壇と曼荼羅であるが、この曼荼羅は「胎蔵曼荼羅の曼荼羅である

中央に置かれた中台八葉院が胎蔵曼荼羅の特徴であるからである

さて胎蔵曼荼羅というと、空海が請来した「現図曼荼羅」が最も有名かつ究極のものであろう。舞台、時代背景的にも本来であればこの「現図曼荼羅」がゲーム内に登場していてもおかしくはない

ただし、トレーラーに登場する胎蔵曼荼羅は「現図曼荼羅」そのものではない
 胎蔵曼荼羅は西に向かい東に掛けられるので、左が東、右側が西と方角がわかる

まず蓮華(中央にある紅い蓮の花)の八葉の間にあるはずの「金剛杵」が描かれていない。また、文殊菩薩の右下に「月輪(がちりん)」を背負った謎の仏が描かれている。ここには本来「四瓶(しびょう)」が描かれているはずである。四瓶とは、大日如来の「菩提心・慈悲心・すぐれた見解・方便」の四徳を表わすものである

では、空海の影響を受けていない時代の胎蔵曼荼羅かというとそうではない。中台八葉院の蓮華が紅いからである。この蓮華を紅く描くのは空海の「現図曼荼羅」以降のことである

胎蔵曼荼羅の根拠である『大日経』において、中台八葉院の八葉は白蓮華で描くことになっているからだ

では、sekiroに登場する胎蔵曼荼羅は、一体なんなのか?

答えを先に述べると、近代の曼荼羅研究に関する知識のある者が『大日経』をもとに新たに解釈して描き直し、さらに故意に相違部分を付け足した胎蔵曼荼羅である

というのも、八葉が紅いこと以外は、『大日経』(あるいはそれを解説した『大日経疏』)のそれに近いからである


なぜ新たに解釈する必要があったのか?

そもそも曼荼羅を信仰対象とする真言宗や天台宗実在の宗教であり、多くの信者が現存している。さらに真言宗の開祖である空海は入滅していない。入滅とは涅槃に入ること、つまり死ぬことであるが、真言宗では空海は入滅せず、今もなお高野山の奥ノ院におられると考えている

もし本物の密教をsekiroに登場させたとして、そうするとラスボスに相応しいのは空海以外にいないのである(不敬であるがスケールが段違い)。しかし、それをするといかにも密教的伝奇的なストーリーにならざるを得ず、要するに抹香臭くなるのである

よって信仰に対する良識的対応と、オリジナルな世界観を保つために、あえて本物とは相違を作り出しているのだろうと思われる

また、文殊菩薩の右下に描かれた謎の仏像の存在もこれで説明できる。詳しい人が見れば、一目で「これは現存する曼荼羅とは異なる」と察することが出来るからである

それにしても、言い方は悪いが面倒くさいやり方である。実在の曼荼羅でないことを強調したいのならば、それっぽい絵を描くだけで済む話である(ただしそれをすると、構図はガタガタ、思想的な理解はムチャクチャ、創作物として陳腐なものになるが)。それをせずに対象に関する知識を熟知した上であえて相違点を作り出しているのである(この手法はソウルシリーズから一貫して受け継がれている)

やろうと思って出来ることではない。時折、物事の本質を異常なまでに素早く見抜き、しかもそれを応用することのできる天才がいるが、きっと、そういうことなのだろう

蛇足

曼荼羅の絵を依頼されたグラフィッカーが「それっぽく描いたらそれらしくなってしまった」という説も否定はできない。というより、そうした例もあると思われる。ただし、今回の曼荼羅はそれにしてもよく描かれているように思えたので、考察してみたものである

2018年11月10日土曜日

デラシネ 小ネタ(ネタばれあり)

花の名前

ユーリヤが持っている花はマドンナリリーという種の白百合であり聖母マリアの象徴として有名。百合→ユーリヤ。ユーリヤの髪の色は白

ロージャの綴りはRozsaでローズ、つまりバラであり、赤いバラは聖母マリアを象徴する花である。ロージャの髪の色は赤

マリーはマリーゴールドであり、「聖母マリアの黄金の花」と呼ばれる花である。マリーの髪の色は金色

※ロージャについて補足。Rozsaはロザリオが転じた名であり、そのロザリオの語源は「バラの花冠」を意味するラテン語のrosariumである

※蛇足だがルーリンツ(ハンガリー語)の英語形はローレンスである

世界の他の場所

ニルスの本をすり替え過去を改変すると、時間移動後にコインを入れる箱のある部屋で「消失事件」について調べているニルスと会える





ユーリヤの襟元のブローチの有無

ユーリヤは襟元にブローチを付けているときと付けていないときがある。


こよりの反応

登場人物のなかでただひとり、こよりに反応しない人物がいる

妖精さんの席、図書館二階と礼拝堂が増える

入手した投票用紙を箱に入れることで黒板に選択肢が書き込まれる。それぞれちょっとした情報を得られる

スカボロー・フェア

演奏会で演奏される曲はスカボロー・フェア(wikipedia スカボロー・フェア)であるが、この曲は不思議な曲として有名である。その源流はスコットランドの古いバラッド『エルフィンナイト』(The Elfin Knight, 「妖精の騎士」)である

左手の痣

プレーヤーの左手には痣がある

コインの場所

図書室
 左奥の書棚の上。覗き込むことで見える

屋根裏
 宝箱の上方。梁の上。しゃがみ込むことで見える

中庭の木
 出て左側にある木のウロの中。覗き込む

立ち入り禁止の扉の下
 ドアの下に少しだけ見えている

最初に犬がいたバルコニーの下
 ストーリーを進め、ダニー(犬)がいなくなった後で入手可

屋根伝いの行き止まり
 演奏会の日にしか取れない(と思う)
 屋根裏へ行く途中の窓から出て右→右→右とずっと右に進んでいくと行き止まりがあり、その下。しゃがみ込み

木琴
 ヘビのいた窓際でしゃがみ戸棚を開くとヒント
 音楽堂の一階左奥の席にある打楽器のバチを入手し、それで木琴を叩く。2314

ユーリヤのベッド下
 覗き込み

報酬
 妖精さんの正体を示唆するものである

妖精さんの正体

雪山から戻ったあと、校長室の奥の部屋に行く機会がある。奥にはイーゼルがあり、ある写真が立てかけてある。その写真の裏側に直接的な答えがある