突然だがSekiroには、秘匿された
ある集団の影が見え隠れしている
それが存在した
痕跡があり、またそれを
示唆する
物品があちこちに
落ちており、さらにいえば、キーアイテムである
不死斬りそのものが
指し示すにも関わらず、その存在がまったく無視されるかのように
隠蔽されているのだ
隠蔽された存在、それが
製鉄集団である
落ち谷衆を見て「
もののけ姫」を想起した人も多いだろう
もののけ姫に登場する
石火矢衆が
落ち谷衆とそっくりなのだ
もののけ姫における
石火矢衆の役目の一つが
たたら場の警備である
また
製鉄場で作られた
鉄により、彼らの
石火矢は製造されている(逆に言うと
製鉄場が無ければ、
石火矢は製造できない)
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これが本来は石火矢と呼ばれる武器 |
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石火矢衆ならびに落ち谷衆が持っているのは火槍である |
また落ち谷の鉄砲砦のボス、
ジラフは
百足衆の長(六の念珠)であるが、
百足衆とは鉱山を
採掘をする集団のことである
『甲陽軍鑑』に拠れば武田家の金掘り衆は、トンネル戦法を得意とする工兵部隊で、百足衆と呼ばれたとも言われる。(Wikipedia 「百足」モチーフ、象徴)
さらに、
素材アイテムのいくつかは直接的に
製鉄の存在を示すものである
また
製鉄は竜とも関係が深い。例えば
ヤマタノオロチの尾からは
天叢雲剣が発見されるが、これは
スサノオによる製鉄集団の征服を物語った神話だという説も存在する
参考:
たたらの歴史
参考:
草薙剣と出雲地方のたたら製鉄(ヤマタノオロチと草薙剣の伝説)
これほどまでにその
存在を示唆されながら、なぜSekiroに
製鉄集団が登場しないのか。もののけ姫に似すぎてしまうことを避けたのか、あるいはDLCで触れるつもりなのかは不明だが、その
秘匿のされ方はあまりにも不可解である
何より不自然なのは、
不死斬りと呼ばれる
名刀(妖刀)が伝わっているにもかかわらず、それを作った
鍛治師(それは製鉄技術と関連が深い)の
存在に全く
触れられていないことだ
とはいえ、現在の葦名に
製鉄集団の姿が見えないのは説明可能である。古代の製鉄集団は基本的に
漂泊の民である。採掘技術が低く深部の鉄鉱石を取れないため、
表層の鉄鉱石を
掘り尽くした製鉄集団は
次の場所へ移動する必要があったのだ
そうして残されたのが、かつて
鉱山の採掘の任に当たった
百足衆であり、製鉄により作られた
石火矢を持つ
落ち谷衆であり、
鉄屑であり、また
不死斬りなのである
この
不死斬りであるが、その力ゆえに
尋常な方法で製作されたものでないことは想像に難くない。不死を切れるほどの力を持つ
武器の製作に使われたのは、
金剛鉄であろう
金剛屑
白色に鈍く輝く金剛鉄の屑
強化義手忍具の作成の基本となる筒薬
深い段階の作成に、広く使われる
金剛屑は、葦名の中でも、
ひと際古い土地のみで採れる
古い土や岩は、
神を寄せるとも言われる
この恩寵か、
金剛鉄は実にしなやかで強い
神を寄せるほどの
鉄ならば、
不死を斬ることを可能な
刀も製作できるであろう。またこの金剛鉄は以前の考察でも述べたが、
隕鉄であると思われる
(隕鉄は古代より神の石とされ、それは崇拝の対象であった。イスラムの聖地メッカのカーバ神殿にある聖石は、隕石である。ついでに言うとゲールマンの葬送の刃も隕鉄から出来ている)
赤の不死斬り
二振りの不死斬りのうち隻狼が手にしたのが
赤の不死斬りである
不死斬り
死なぬ者さえ殺す大太刀
その赤き刃は、刀を抜いた者を一度殺す
回生の力なくば、不死斬りの主とはなれぬ
不死斬りならば、
蟲憑きにとどめ忍殺をすることができる
この刀は、長く仙峯寺に秘匿されていた
刻まれた銘は、
「拝涙」
それがこの刀の真の名だ
刻まれた銘「拝涙」のとおり、
桜竜の涙を拝領するわけであるが、なぜ
「拝涙」という銘を刻まれたのかという
由来は伝わっていない
しかしながら、もし
鍛治師が赤の不死斬りを製作したとして、「
竜の涙を受け取れそうだから拝涙という銘にしよう」と考えたとは
思えないのである
普通こうした銘は、その刀の成し遂げた
事績から付けられるものである
つまり、「拝涙」とは
「竜の涙を受け取った事績」により与えられた名だと思われるのである
であるのならば、
「拝涙」は
隻狼以前にも行われたことがあることになる
ではなぜ「
拝涙」という
極めて特殊な行為をあらわす
銘が付けられたのか
なぜ「
竜斬り」ではいけなかったのか。
簡潔にいうと、
不死斬りは
拝涙の儀式のために作られたからである
拝涙によって得られるのは
桜竜の涙である。竜胤の御子に飲ませると不死断ちを可能にするアイテムである
別に
竜胤の雫と呼ばれるアイテムがある。竜咳に罹ったものに
生の力を返すことのできるアイテムである。よく見ると
涙の形をしている
つまり、この二つは
両方とも涙であり、桜竜と竜胤の御子のレベルの差はあるが、本来的には
同様の機能を持つアイテムとも考えられるのだ
拝涙の儀
桜竜から涙を戴く
「拝涙」と呼ばれる儀式が古代から行われていた。この儀式は
活力の衰えた世界に再び活力を与え、復活させるための儀式である
これはダークソウルにおける
「火継ぎ」とほぼ
同じ機能を持つ儀式である
ただし、拝涙の儀の対象は
衰えた世界ではなく、
衰えた京人(ミヤコビト)たちである
不死ではあるが
不老ではない京人たちは、数十年も過ぎると京の水の影響もあって徐々に
姿を保てなくなってくる
その行き着く先は、ゲームに登場する
軟体生物化した京人であるが、彼らはそうなることを事前に
防ぐ方法を知っていた
それが、
桜竜の涙を戴き、それを用いて
力の衰えた京人たちに活力を付与する儀式である
儀式の具体的な
作法だが、竜胤の
御子の従者が
不死斬りを手に
桜竜に挑み、その
眼に剣を突き刺すことで
涙を得る、という隻狼がしたのと
まったく同様の手順であると推察される(儀式には
試練がつきものなのである)
この拝涙の儀はある
一定の期間ごとに行われていたと思われる(後述する)
そうして手に入れた
桜竜の涙を、竜胤の雫を用いて生の力を元の人々に返すように、
桜竜の涙を用いて生の力を京人へと戻すのである
この生の力とは
「若さ」である
儀式により、
不死である
京人は
若さを取り戻し、再び老いるまでの時間的猶予を得るのである
だが
あるときから拝涙の儀は
行われなくなってしまった。結果、京人たちは
軟体生物と化し、若さに飢渇するがゆえに人から
「若さ」を奪おうとするのである
黒の不死斬り
不死斬りには
黒の不死斬りと呼ばれる刀がある
黒の巻き物
黒の不死斬りについて記された古い巻物
不死斬りには、赤の他に、もう一振りがある
即ち、黒の不死斬り。その銘は
「開門」
黄泉への門を開く刀なり
黒は
転じて生を成す
竜胤を供物に乞い給え…
この黒の不死斬りもまた
「開門」と呼ばれる儀式に使うために作られたと思われる
まず拝涙の儀を終わらせた竜胤の
御子とその従者は
用済みとなる
拝涙の儀式を行えるのは、竜胤の御子とその
従者一組につき
一度だけである
隻狼が神域に戻っても桜竜のいる時空へ
再び飛べないこと、また、もし
何度も挑めるのであれば、竜胤の御子が
何人もいる必要は無いからである
複数の竜胤の御子がいると言うこと自体が、
儀式の一回性を示しているのである
そうして用済みとなった御子と従者は、
速やかに処理されることになる
処理とは
殺害することである。そのために
不死斬りは必要なのである
黒の不死斬りを用いて竜胤の
御子を供物にする(本来は殺害)ことで、
従者の肉体を引き裂いて
死者が復活する
この
死者とは、宗教学的には
王でなければならない
世界が更新されるごとに、王は
新しい肉体を持った王として
復活するのである
この思想は、日本神話においては
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の
真床追衾として伝わっている
床をおおう夜具。日本書紀の天孫降臨神話や海幸山幸神話などで、誕生した皇子を包む具とされ、天皇の即位儀礼における衾との関連が指摘されている。(真床追衾(まとこおうふすま))
此真床襲衾こそ、大嘗祭の褥裳を考へるよすがともなり、皇太子の物忌みの生活を考へるよすがともなる。物忌みの期間中、外の日を避ける為にかぶるものが、真床襲衾である。此を取り除いた時に、完全な天子様となるのである。(青空文庫『大嘗祭の本義』折口信夫)
さて、源の宮における
王とは、
帝(みかど)のことであろう
だが、不可解なことに、本来
いるはずの帝の姿が源の宮には
見えないのである
源の宮が平安の都を模したものであり、また
内裏がある以上は
帝がいるはずなのである
だが、
帝はいない。軟体生物化しているふうでもない。
内裏にいる
貴族は、
深緋の束帯を着用した
者だけである(襲われている
淤加美は護衛であり貴族とは系統が異なる)
律令の官位と服色(当色)、その変遷の項
摂関期以降の欄を見てみると、
深緋の服色の官位は「
五位」と決まっている。また、源の宮で確認できるもう一つの服色、
深縹(青)は「
六位」であるが、これは源の宮におけるヒエラルキーの
印象と一致する
となると、天皇は
黄櫨染の束帯を着用しているはずだが、その色の服を着た貴族は
確認できない
なぜ帝がいないのか。考えられるのは
死んだか、あるいは源の宮を
去ったかのどちらかであろう
立ち去ったと考えると該当する人物は
丈であるが、公式サイトにおいて
当初は御子ではなく皇子という
字が使われていたことから、
帝ではないと考えられる(即位していたのならば、竜胤の帝とでも呼ばれていただろう)
そうなると
帝は死んだと考えるほうが適切でないかと思われる。だが京人は
不死である。不死である帝が
なぜ死ぬのか
答えは単純で、
帝は源の宮で
ただひとり、不死の京人ではなく
死すべき人であったからであろう
京の水を頼らずとも、
帝は不死に近い存在であった。なぜならば、
死んでも「開門」によって復活することができたからである
拝涙の儀は
帝の薨去ごとに行われたのである。その目的は
京人が若さを取り戻すことと、
帝の復活なのである
しかしいつの頃からか
「拝涙の儀」は執り行われなくなり、
帝は黄泉返ることができず、京人たちは若さを失い続けて、軟体生物と化してしまった
これが
不死斬りの存在から考察される源の宮の現状である
不死斬り
以上のように二振りの不死斬りは元々は
拝涙と開門の儀式のために作りだされたと考える
今のところ
これ以外に
「拝涙」と「開門」という
銘の不死斬りが存在する理由を思いつけないのと、
回生システムが桜竜から連なるシステムであることを考えると、
竜胤の雫に備わる
竜咳の快復機能が、桜竜にも
上位機能として
存在するのではないかと考えたことによるものである
竜胤の御子とは
桜竜を矮小化させた存在であり、竜胤の御子に
備わる力は、基本的に
桜竜にも
上位版として備わっていると思われる
変若の御子が「
竜胤の呪い」と言うように、都人の不死
老衰も「
呪い」だと考えると、
桜竜の涙は
呪いを解く機能があるのかもしれない(
呪いと考えると、ソウルシリーズの不死と共通する点が見えてくる)
丈
これらの考察から
丈の行動も説明できるように思える。丈は桜竜ではなく
死期の迫った帝の命によって追放同然に
葦名の地に派遣されたのだ
その目的は
「拝涙の儀」ならびに
「開門の儀」を執り行うための
「不死斬り」を探すことであった
彼は「拝涙の儀」の機能、つまり
「呪いを解く」機能を理解していた。ゆえに、
竜胤断ちの術を書き残すことができたのである(そうでなければ、
竜の涙を、戴くべし、などという具体的なことは書くことが出来ない)
竜胤断ちの書
九郎より授かった書物
竜胤を断つための術が記されている
古い物のようで、綴じ紐はほつれ
紙片が所々抜け落ちている
竜胤断ち
それを
成す術を、ここに書き残す
源の宮の、さらに神域
仙郷の神なる
竜の涙を、戴くべし
巴もまた、
不死斬りの機能について
把握していた。でなければ、
人返りの方法を知っているはずがない(「
人返りには、常桜の花と不死斬りが要る」とまで言い切っているのである)
巴の手記
柔らかな字でしたためられた巴の手記
丈様の咳は、ひどくなられるばかり
仙郷へ帰る道は、どうやら叶わぬ
せめて竜胤を断ち、人に返して差し上げたい
人返りには、
常桜の花と不死斬りが要る
なれど、花はあれども不死斬りはない
仙峯上人が、隠したので
あろう
竜胤を断つなど、あの者は望まぬゆえに…
丈と巴は、源の宮に帰る方法を知らなかった。ゆえに調べてそれを突き止めたのである。一方、
不死斬りについては、調べた形跡がなく、なんとなれば
最初からその存在や機能を知っていたようにしか思えないのである
しかも「仙峯上人が不死斬りを隠したので
“あろう”」と手記に書き残していることから、不死斬りの
所在も大まかには分かっていたようだ
これらのことから、丈と巴の
葦名到来の目的は「
不死斬り」にあったと考えるほうが自然である
けれども丈は目的を果たすことなく葦名の地で
病没し、「
拝涙」が行われないために
京人は軟体生物化し、「
開門」が行われないため、
帝は死んだまま復活することなく源の宮から姿を消したのである
蛇足
「拝涙」による「生の力(若さ)」の復活、というところまでは竜胤の雫というモデルがあったため、詰まることもなく考察できたのだが、「開門」にはとても困った
死者を黄泉返らせる機能があるとして、これまで誰を復活させてきたのか皆目見当がつかなかったからだ
まさか鍛冶師が「この剣は竜胤の御子を供物にすると、死者を黄泉返らせることができそうな予感がする」として「開門」という銘を付けたわけではなかろう
というわけで、「開門」にもまた死者を復活させる目的により鍛えられ、その事績があるがゆえに「開門」と名付けられたのかなと考えてみたのである
しかし、そうだとしても一体、だれが復活したのかさっぱりわからない
よほどの人であろうとは推測されるのだが、Sekiro内にそんな人物は存在しない
しかし製鉄集団の存在が隠されていたように、本来いるべき存在が秘匿されているのではないか、と想像をめぐらし、紆余曲折を経て帝に至った次第である