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2019年4月19日金曜日

Sekiro 考察20 まつろわぬ葦名衆

Sekiroはモチーフなり物語構造なりがむき出しなので、遊んでいるとコレはアレかな、と思うことが多々ある。けれどもそれを説明しようとすると、組み替えられたり跳躍している部分がたくさんあるので、やたらめったら話が長くなる


結論を先に述べれば、首無しは大和朝廷にまつろわぬ民や鬼と呼ばれた蝦夷の軍事指導者たちの成れの果て、であるのだが、それを説明しようとすると鈴鹿峠の鬼女の話からしなければならず、その最大最後の御霊(怨霊)である平将門に行き着くまでに、長い長い話が必要となるのである

また一心の葦名国とは、そうした蝦夷の末裔を自称した奥州藤原氏がモチーフのひとつであり、Sekiroにおける葦名国の物語とは、都から落ち延びてきた源義経(九郎)を匿った奥州藤原氏源頼朝滅ぼされる顛末を、戦国に置き換えたものであるのだが、ただ単純に史実をトレースしたものではなく、個々の事項が組み替えられているので、一言にモチーフと表現するのは適切ではないのである


関連する事項を自由自在に組み替え共時化し、重層化し、ひとつの統一した世界を作る手腕はデモンズソウルから一貫して受け継がれているが、このSekiroも例外ではない

Sekiroは日本がテーマであり、その神話的歴史的事項をいったん解体し、そこから新たな形に組み立てていると思われるのだが、それが効果を発揮するのは、その一つ一つに対して正確な理解があってこそである(生半可な理解でそれをすると、どこか奇妙な日本像ができあがってしまう)


というわけで、鈴鹿峠の鬼女の話から始めたいと思う。結論は特に変わらないので、読んだところで得することは何もない


 昔、鈴鹿峠にも旅人が桜の森の花の下を通らなければならないような道になっていました。花の咲かない頃はよろしいのですが、花の季節になると、旅人はみんな森の花の下で気が変になりました。(『桜の森の満開の下』坂口安吾)

その昔、鈴鹿峠には鈴鹿御前なる鬼が棲んでいた
鈴鹿御前は御伽草子や浄瑠璃などで有名な鬼女で、『桜の森の満開の下』もその伝説から材を取ったものである

桜の森の満開の下には、がいるのである


さてこの鈴鹿御前、瀬織津姫という女神と同一視されることがある。瀬織津姫というのはその名の通り、(川の)瀬を織る神という意味で、水神であり、穢れを流し清める祓神でもある

そして水神である淤加美の神がそうであるように、やはり竜神としての性質も有している(鈴鹿という淤加美が登場してもおかしくはない)

また鈴鹿御前は坂上田村麻呂と夫婦になったという伝説があり、その坂上田村麻呂は、Sekiroのオープニングに登場する「敵将、田村」のモチーフとされる田村隆顕の祖先とされる(田村氏は坂上田村麻呂の末裔を自称)(坂上田村麻呂本人がモチーフである可能性も)

坂上田村麻呂といえば蝦夷討伐がすぐに想起されるが、彼の戦った蝦夷とは大和朝廷に服従しようとしなかったまつろわぬ民たちである

土蜘蛛と呼ばれたまつろわぬ民たちは、支配者による討伐の対象となり、その物語はいくつもの鬼退治や化け物退治の物語に変容して今も伝えられている

そうした鬼たちの有名なもののひとつが、平安初期に東北地方にいたとされる悪路王と呼ばれる蝦夷の首長である

御伽草子の世界では、悪路王鈴鹿御前坂上田村麻呂モデルとした英雄討ち取られるという筋になっている

この悪路王と同類とされる鬼たちに大嶽丸や大武丸といった者たちがいるが、他の有名な鬼(酒呑童子)と同様に、彼らも首にまつわる伝説や首塚が存在する

大武丸などは、落とされた首が飛行し、落ちた場所が鬼首村と呼ばれたり、その体を埋めた地が鬼死骸村と呼ばれたり、とにかく日本においては死後もその首や体が恐れられたのである

とはいえ、蝦夷の側に視点を移してみれば、侵略者から国を護ろうとした勇者であるともいえ、これらの鬼たちの首を断たれた姿が「首無し」なのである

また平将門の首が飛行したとされたり、首塚が恐れられるのは、将門の姿に古代の鬼を重ねているからである。板東武者の将門は、まつろわぬ民の最後の鬼なのである


さて、こうした鬼=まつろわぬ民=蝦夷末裔を自称したのがかの奥州藤原氏である。奥州藤原氏といえば平泉文化を花開かせたことでも有名であるが、その滅亡の原因は都落ちした源義経(九郎判官源義経)匿ったことにある

この構造を抜き出すと以下のようなものとなる
から落ち延びてきた義経を、奥州藤原氏匿い源頼朝に攻められて国を滅ぼされる

これを言い換えると、
源氏の都から落ちてきた貴種を、古代の血を引く勢力が匿い外部勢力の侵略を受けて国を滅ぼされる


さらにこれをSekiro風に言い換えるとこうなる
源の宮から落ちてきた竜胤の御子(丈→九郎)を、古代から葦名に住まう葦名衆が匿い、内府の侵略を受けて国を滅ぼされる

この葦名衆とは、一心によれば
 元々、この葦名は…
 我ら葦名衆が、暮らす地じゃった
 源から流れ出ずる水
 それを、こよなく愛する民じゃ
 …ぷはぁ…。ゆえに酒も、うまあいっ!
 …じゃが、我らは異端、そして弱い民じゃった
 当然に蹂躙され、服従を強いられた
 ずっと、長い年月な…
 源の水を、祀ることすら許されぬ

異端であり、弱い民であるがゆえに服従を強いられ、その独特の信仰すら禁じられた民である

これはまさしく、古代に蝦夷と呼ばれた民の姿そのままである


上の方で、桜の森の満開の下には、鬼がいるのである、と述べたが、この鬼とはまつろわぬ民のことであり、Sekiroの世界では桜竜の下に住まう葦名衆のことである

2 件のコメント:

  1. 首無しに関する記事だったので首無しについての話ですが。
    首無しに関することで面白いと思ったのが首無しが河童をモチーフにしているという話で、首の断面を皿として見ると、そう見えるという話なんですけど、さらに首無しの掴み攻撃が隻狼から尻子玉を抜くようなアクションをするというのもあって面白いなぁと思いましたね。

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    1. アクション面でのモチーフであることは間違いないと思います
      ストーリー的には、河童と言っても様々なのでどの河童なのかという問題になってきますが、一説に平家の落人が河童になったというものもあるので、そちらの線かもしれません。

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