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2019年9月27日金曜日

Sekiro 考察53 〈竜殺し〉葦名一心

SEKIROのもう一人の主人公とも言うべき葦名一心について考えてみたいと思う

これまで一心についての考察を避けてきたのは、考察素材が乏しいからではない。その逆で一心についてはありすぎるほど考察素材がゲーム中に示されている

しかしながら、それらを集めてもまったく核心部分が見えてこないのである。まるで故意に秘匿されているかのように、一心という人物像を構築するための重要な情報が抜け落ちているのである

そうした一心というキャラクターを図にしたものが以下である
一例である


さまざまな事柄に関わり、重要な局面で常に顔を見せているにもかかわらず、その中心部がすっぽりと抜け落ちている

例えばその居城に竜胤の御子()を住まわせていたにもかかわらずそれについては触れようともせず、丈と共にいたであろう巴の思い出を語りながらその行く末は何も語らない。

修羅についても曖昧な情報しか得られないうえに、不死斬りに関しては赤と黒の二振りあることまで知り、かつ「黒の巻き物」に関係していると思われるのに、やはり核心的な情報は明かさないままである

重要な情報を有しているにもかかわらず、なぜその情報を得ることが出来たのか、まるで分からないままなのである

この中空構造は当然ながら偶然による産物ではなく、意図的なものであると思われる。それほどまでに肝心な部分だけがすっぽりと存在しないのである

この中空に何があるのか、なぜ隠されているのか、どうすれば隠されているものを暴けるのか、それをまず考えていきたいと思う


二つの世界をつなぐ軸

さて、前回の「雑文 世界構造」でも述べたようにSEKIROの物語は舞台が二重になっている。仙郷を中心とした神の世界と、葦名城を中心とした人の世界である

このうち人の世界を代表し、もっともよく体現するのは人の世界の支配者である「葦名一心」である

そして神の世界体現するのはもちろん「桜竜」であるが、桜竜にも中空構造が見いだせるのである

桜竜の中空構造


桜竜もまたさまざまな事柄に関わり、重要な局面で登場し言及されるのにもかかわらず、その核心的な部分は伏せられたままであった

仙郷はどういった空間なのか、とは何か、源の水がおかしくなった原因は何か。そもそも竜胤とは何か。それぞれ断片的な情報しか与えられず、桜竜自身が関わっていたと思われる核心部は中空のままである

つまるところ、一心と桜竜とは共に中空構造を有するキャラクターなのである

上述したように神と人の世界とは二重、つまり重なっている。であるのならば、二つの世界をそれぞれ体現する桜竜と一心もまた重なっていると考えられる

試しに二つの中空構造を重ねてみる。すると当然ながら中心部に空きが残る。これが謎の核心部である

さて何度も言うが、葦名と仙郷とは重なった状態にある。そして固定されているがゆえに源の水の引き起こす災厄が仙郷と葦名を貫いて発生しているのである。

もし二つの円が重なって固定されているのだとしたら、中心を貫く「軸」の存在が推定されるが、その軸とは二つの世界を貫く「出来事」であり、まさにそれが物語の核心なのである

ではその「出来事」とは何か

それが「一心による桜竜殺し」である

一心が桜竜を殺したことで二つの世界は繋ぎ止められ、源の水という「歪み」が二つの世界を貫いて浸食しはじめたのだ



剣鬼一心

一心が若い頃に桜竜とまみえているのは、「秘伝・竜閃」の存在からもうかがえる
秘伝・竜閃
秘伝・竜閃
納刀の構えから、高速の斬り下ろしと共に
真空波を繰り出す流派技
形代を消費して、使用する
力を溜めると、斬り降ろした後、衝撃波が飛ぶ
若き剣鬼一心は、死闘の日々を重ね
ただ、ひたすらに斬った
如何に斬ろうか、如何に斬るべきか…
そう突き詰めるうち、気づけば刃は飛んでいた

秘伝・竜閃は衝撃波を飛ばす技であるが、これは桜竜の技でもある


さらにその技に竜閃と名付けたことから、一心は桜竜とまみえ、それだけでなく戦って桜竜の竜閃を体験していることも推測できる

如何に斬ろうか、如何に斬るべきか…
そう突き詰めるうち、気づけば刃は飛んでいた

如何に斬ろうか突き詰めているうちに、かつて戦った桜竜の技を無意識のうちに飲み込み、竜閃を編み出したのである

竜閃とは、竜のひらめきと書くがこれは竜から閃いた技だからこの名をつけたか、あるいは真空波の光るさまが桜竜の振るったそれと酷似していたから名付けたのであろう

一心が戦った相手の技を飲み込むことは「戦いの残滓」にも触れられている

戦いの残滓・剣聖葦名一心即ち、死闘を重ね、貪欲に強さを求め、
あらゆる技を飲みこもうとした一心

さらに一心は「雷返し」を放つことも出来る。この技は葦名流伝場に掛け軸が張られていることから、葦名流創始者の一心が使えるのは当然といえるが、この技は隻狼がそうしたように桜竜にダメージを与えるられる数少ない手段である

一心は桜竜討伐に必要な「雷返し」を使うことができ、後に桜竜の技を彷彿とさせるような「竜閃」をも編み出している

また一心は「黒の不死斬り」の所在を知っていた。敵将、田村主膳と戦っている時にすでにそれを握っていることから、愛刀にしたのは国盗り戦より以前であることがわかる


以上のことから、一心は桜竜を殺すことが出来る不死斬りを所有し、かつ桜竜に対して特効をもつ技を修め、また後に桜竜の技をも自分のものとしているのである

つまるところ一心は桜竜を殺すことができた


桜竜

桜竜がすでに死んでいるとしたら、では隻狼が戦った桜竜とは何だったのか。もちろん巫女の記憶の中の桜竜である


記憶から再現された世界に赴き、すでに現実世界で失われてしまったアイテムを入手することができる、というシステムは「平田屋敷」で経験済みである

桜竜はすでに一心によって殺されている。水生村や源の宮の貴族たちに異変が起きたのは、桜竜が蟲によって傷つけられたからというわけでも、丈によって枝を折られたからでもない

桜竜が一心に殺されたことで、異変が起こり始めたのである

※一心が仙郷に渡った当時は水生村の輿入れの儀もまだ執り行われていたと思われる


さて一心は黒の不死斬りを用いて桜竜を殺害している。この黒の不死斬りの能力は「開門」である。竜胤を供物に黄泉から死者を全盛の姿をもって黄泉帰らせるのである

開門によって黄泉帰らせたのはである

桜竜は故郷より放たれたのち、源の水に誘われて葦名の地に根付いたという

神食み
HPを完全に回復させる、いにしえの秘薬
全ての状態異常も、併せて回復する
葦名のひと際古い土地に生える草木には、
名も無き小さな神々が寄っていたという
これは、そうした草木を練り上げ作られる
神々を食み、ありがたく戴く秘薬である
だが、神なる竜が根付いたのちは、
そうした小さな神々は、姿を潜めてしまった…
根付くとは、そこで生きることが出来るようになるのと同時に動けなくなることでもある

桜竜が桜竜として生きられるのはおそらく「故郷」のみであったであろう。葦名のそれは「あるべきではない場所に、あるべきではないものがある」状態にあり、それは桜竜の本来的な生き方ではない

故郷から切り離されたがゆえに桜竜は流されている間も衰弱していったのであろう。ゆえに特殊な力を持つ葦名の水に惹かれ、根付くことでようやく生き延びたのである

代償は、その場から離れられなくなることである

桜竜の生態を以上のようなものと考えるのであれば、全盛とは故郷にいた頃の姿であり、移動のために揺り籠に入れる状態、つまり「竜胤の御子」の状態である


葦名城

丈は常桜を仙郷の名残として持ってきたという。また葦名に降りてきて少ししてから唐突に帰還手段を探しはじめていることから、もとは二度と仙郷に戻らないつもりで葦名に降りてきたと考えられる

おそらく丈の当初の目的は竜の故郷へ帰ることであったであろう。だがその情報は意図的に隠され、プレーヤーには丈のホームシックにより降ってわいてきた仙郷帰還計画の段階から知らされるのである

丈に関連する事柄も二つの世界を貫く「隠された軸」であるが、これもまた一心による桜竜の殺害に端を発しているのである

ゆえに同時にそれは一心の核心部でもある。丈を自らの居城に住まわせたのは(しかも御子の間という仰々しい部屋まで造って)、自らの行為(桜竜殺害)により生まれ出たに対して、一心が責任を感じていたからであろう

一心による桜竜殺害というを想定することで、丈が葦名に降りてきたタイミングとその理由、一心の居城に住んでいた理由などが理解できるように思える


故郷へ帰るための移動手段(揺り籠)を探していた丈を、仙郷から追ってきたのは巴である(同時に舞い降りたのかもしれない)

奥義・浮き舟渡り
その遣い手は、
浮き舟を渡り、葦名に舞い降りた
名を、と言う

は使用する技やその名前(御前)から淤加美一族であると推測されるが、彼女は丈を「主」と認識している

秘伝・渦雲渡り
源の渦を望む、己が主
その小さな背中が、巴にとっては全てだった

さて淤加美一族は本来であれば桜竜を崇拝していたはずである。だが、巴は神なる竜ではなく丈を「全て」と考えているのである

例えば巴が丈の乳母や世話係であり、その愛情ゆえにそうした認識に至ったということも考えられる。けれども現実においてもそうであるが、たとえ子供に愛情を注いだとしても、その子供を主人とは認識しないであろう

あくまでも「主」とは乳母を雇っている者、つまりこの場合は桜竜のみである

にもかかわらず、巴は丈をとし「全て」としている

なぜか?

桜竜はすでに死んでいて、その血を受け継ぐのが「丈」しかいないからである

彼女にとって丈とは唯一の「主であり、神なる竜」なのだ。ゆえに巴は竜に奉献されるを丈のために舞ったのである

竜の舞い面
源の宮で、淤加美の女武者は、
竜がために舞いを捧げた
すると不思議と力がみなぎったという

常桜の下で、丈様が笛を吹かれ、巴殿が舞われる
それを見るのが、たまらなく好きだった(人返りルート・エマ)


葦名城

話がだいぶ仙郷関連にずれてしまったが、これまで述べてきたように、一心の桜竜殺しは仙郷と葦名をつなぐ「軸」であるので、仙郷側の出来事も語らなければならなかったのである

葦名側の出来事としては、上でも少し触れたが丈が葦名城に住んでいたことであろう。「神なる竜」は、竜の故郷への帰還手段を探すために御子の間に滞在していたのである

一心が丈を歓待したのは自身が桜竜を殺害し、それによって丈を黄泉帰らせたからである。一心は殺害し、なおかつ生き返らせるという二重の責任を負っているのである

一心の部屋の側に「黒の巻き物」が置かれているのは、一心がそれを書き記し隠匿していたからである、とするのがもっとも蓋然性が高いように思える

黒の巻き物のあまりにも具体的な記述に不可解な点を覚えたのは私だけではないであろう。だが、それを記したのが一心であり、彼はそれ以前に黒の不死斬りを用い「開門」の儀を執り行っていたことがあると考えると、その具体的な記述は当然のことといえる

自身が実際に行ったことであるゆえに、その記述は具体的なのである

だが丈は竜の故郷へ帰る方法を見つけられず、目的を不死断ちに変更し仙郷に戻ろうとするもそれも果たせず、病に罹って衰弱していく一方となった

竜胤断ちの紙片
丈が遺した竜胤断ちの書の一部のようだ
 不死斬りがあれば
 我が血を流すことが叶うはず
 血を流せば、香が完成し、仙境にいける
 そうすれば不死断ちもできるだろう
 竜胤の介錯、如何に巴に頼もうか…

巴の手記
柔らかな字でしたためられた巴の手記
 丈様の咳は、ひどくなられるばかり
 仙郷へ帰る道は、どうやら叶わぬ
 せめて竜胤を断ち、人に返して差し上げたい
 人返りには、常桜の花と不死斬りが要る
 なれど、花はあれども不死斬りはない
 仙峯上人が、隠したのであろう
 竜胤を断つなど、あの者は望まぬゆえに…

結局のところ赤の不死断ちは入手できず、巴は自害しようとするもそれも果たせず、死ぬこともできない丈の肉体は惨たらしいことになったと思われる

苦しむ丈を救うために一心は黒の不死斬りを用いて再び「開門」の儀を執り行ったのである

そして生まれたのが九郎であった

九郎は神なる竜の全盛、つまり故郷にいた頃の姿をとる。そのために丈としての記憶はない。九郎は黄泉帰ってすぐに平田家へ養子に出された

なぜならば竜胤の御子にとって葦名城は危険だったからである

そこには丈の持ってきた「常桜」が咲いていたからだ

なぜ丈が病に罹ったのか。神の片割れ(あるいは眷属)たる「常桜」に生気を吸い取られていたからである

ゆえに葦名城から遠ざける意図で九郎を平田家へ養子に出し、またに命じて「常桜の枝」を折らせたのである

丈の介錯をしたのも一心であろう。その一連の出来事に梟は立ち会っていた(おそらくお蝶も)。黒の不死斬りの「開門」を目の当たりにし、老いた忍びは野望を抱くこととなったのである



葦名一心

以上のように葦名一心の中空構造を埋めるは仙郷と密接に結びつき、物語の核心そのものともいえる

正確な時系列は分からないが、一心は田村主膳と戦うための力を求めて、あるいは自らの剣の腕を試すために仙郷へ渡り、そこで桜竜とまみえ、戦い、殺害したのであろう

一心の手に入れたとは「竜胤の御子」であり、その従者である不死の「巴」である

※一心と巴が戦ったのは、巴が不死になる前だったと思われる。というのも丈という少年の庇護者である巴を相手に一心が本気で戦うとは思えないからである。巴と一心との立ち会いは、一心の言葉を信じるのならば、まぎれもない真剣勝負であった

一心:巴… あれほどの遣い手は、そうはおらぬ
まるで、舞いのように、あの女は戦う
あやつの瞳を覗いておると…
水底に引き込まれるような、心地がしたものよ
カカカッ、見惚れて、斬られそうになるなど…
この一心、長く生きたが、あの一度のみじゃ

※ここに言う水底とは、源の宮の湖の底をイメージしたものかもしれない

仙郷から戻った後、一心は竜胤の御子と巴七本槍、希代の医師であり機巧師でもある道玄、人間離れした忍びども、そして葦名衆を率いて国を盗り、葦名の支配者となった

まるで英雄譚の主人公のようである

事実、一心は一時代前の主人公であった

隻狼が関わるのは、そうした英雄譚の終章、『英雄の最期』の章なのである

ゆえにSEKIROは葦名一心の物語でもあった。だからこそ全てのルートで最後のボスが一心なのである

Sekiro 蟲の起源

SEKIROコミカライズ『SEKIRO外伝 死なず半兵衛』において、蟲の起源が明らかにされた

それによると、「変若の澱を飲んだ蟲などが特異なものになる事があり」、この蟲を食べた獣を口にしたり蟲に寄生された者は、稀に「蟲憑き」になるという

特異な肉を食べて不死に近い存在(蟲憑き)となるという流れは、八百比丘尼伝説と同じである。破戒僧の本名が八百比丘尼であり、彼女が破戒僧と呼ばれているのは、やはり仏教において忌避された「」を喰らったからであろうか

一方で、仙峯上人は獣を口にする方法ではなく、後者の直接「蟲に寄生された」結果として蟲憑きとなったと思われる。「神なる竜から蟲を賜った」と『永旅経・蟲賜わりの章』にあることから、桜竜から直接にあるいはその直下の地位にいる者に「特異な蟲」を授けられた、とも考えられる

もしかすると源の宮では「特異な蟲」を産出し、飼育していたのかもしれない。それを仙峯上人が見聞きして、仙峯寺において行ったのが死なずの探求実験だったのではないだろうか

ちなみに蟲憑きは完全な不死ではなく、道順によれば「限りなく不死に近い」存在であるという。どれほど肉体が損壊しても蟲が体を補修することで不死に近い存在となっているらしい

蟲による肉体補修は『無限の住人』に登場する人を不死にする蟲、「血仙蟲」と同じ機能である

この血仙蟲の秘密を研究者が探ろうとしておぞましい惨劇となったのが、『無限の住人』における、「不死実験篇」であるが、このエピソードと道順による変若水の施術との類似は以前から指摘されてきたことである


さて、蟲を特異にする「変若の」は変若水が濃くなったところに結晶するものであり、その変若水とは源の水のことであり、その源は竜胤つまり桜竜にある

おそらく葦名の水に桜竜の体液(血液)が混入したものが源の水なのであろうと思われる

であるのならば、それが濃くなったところに発生する「」とは神の血の結晶となろう

神の血の結晶を飲むことで蟲はある種の小さな「神」となり、それが巡り巡って人に依り憑く。これが桜竜から流れ出た神の血が人を蟲憑きにするまでの流れであろうか

澱の効果が人と蟲で異なるように思えるが、実はどちらも神性を宿す(神に近づく)という意味で同一の変異を起こしていると思われる

が神に近づけば「不死に近く」「憑く」ことができるようになる。同じようにが神に近づけば「不死に近く」「憑く」ことができるようになる

弦一郎が「憑いた」ことはない。だが思い出して欲しい、人のうちに憑く存在となったものがいたことを

御霊降ろしのテキストにある、護国の勇者である
阿攻の御霊降ろし
「阿攻」を身に降ろす、首無しの遺魂
一時、攻撃力と体幹攻撃力を強化する
形代を消費すれば、何度でも使用できる
首無しは、かつて護国のため、
道を踏み外した勇者の成れの果て

人ならぬ御霊は、降ろせば力となるが、
代わりに差し出すものなくば、やがて狂う
道を踏み外したとは、変若の澱を飲んだことを意味すると考えられる。澱を飲み人間を止めた勇者は神性を宿し、人に憑く「御霊」となったのである

が特異な存在となりやがて人に憑く蟲となったように、勇者も特異な存在となり人に憑く御霊となったのであろう

2019年9月23日月曜日

Death Strandingへの備え

Death Stranding発売までの暇つぶしと予習(になるか不明だが)
入手性、視聴性の高い有名作品ばかりを挙げた
かなり個人的な好みも入っているので参考にはならないかもしれない


ドラマ

ウエストワールド[Wikipedia]

同名映画のドラマ版
人間そっくりのアンドロイドがホストを務めるテーマパークの話

意識自由意志、創造主に対する被造物の反乱を描く

これらのテーマは『創世記』の神の背くアダム、もっと直接的にはカレル・チャペックの『R.U.R.』からおなじみのものだが、叙述トリック的な手法を用いることで人間であることとアンドロイドであることの差異を消失させ、意識について深く考えさせる作品となっている

S1に使われた叙述トリックはサムとクリフに重なるところがあるかもしれない
また、キャラクターを人間らしく描くことで逆に視聴者をそれと思い込ませる手法などはブレードランナーなどにも通じるところがある



ストレンジャー・シングス[Wikipedia]

スティーブン・キング(『スタンド・バイ・ミー』、『イット』の黄色いレインコート)やスピルバーグ(『ET』、『未知との遭遇』など)、ジョン・カーペンター(『遊星からの物体X』のポスターが張ってある)の影響がとても強いドラマ

1980年代のアメリカの架空の田舎町を舞台にしたドラマであり、ほぼ全編に映画のパロディというかオマージュが散見される

得体のしれない化物が裏側の世界からやって来るのだが、裏側の世界(異界)の描写に関しては映画版の『サイレントヒル』のほうが好みである。そういえば『P.T』ってサイレントヒルの続編として(略)

簡単にいうとみんなの見たかった『スーパーエイト』

S3になるとコメディ要素や映画のオマージュが激増するので好みの分かれるところかもしれない

発端となった事件は「MKウルトラ計画



ダーク[Netflix]

ドイツ版ストレンジャー・シングス的な紹介のされ方をされるドラマ(あまり似てないが

ある出来事をきっかけに時空が歪み、ループの中に閉じ込められたドイツの小さな町の話
黒いタールのような液体が登場し、それはヒッグス場を構成する神の粒子という設定である

1953年・1986年・2019年という3つの時間軸を基本とし、各時代の出来事が次々に提示されてくるので、見ている方はまず年代とキャラクターの把握につとめる必要がある

ストレンジャー・シングスに比べると、ひたすら暗く人間関係が複雑なので相関図を見ながらでないとわかりにくいかもしれない。またストレンジャー・シングスがオカルト・ホラーだったのに対し、ダークは純SFとしての濃度が高い

物語構造や人物関係が複雑な分、頭の中で出来事や人物たちが繋がり始めると、一気にはまる

存在と時間』(ハイデガー)の国だけあって、時間をたんに因果の連なりとして見るのではなく、現存在を成り立たせる意味の場として扱っている。登場人物はいくつもの時空へ企投(Entwurf)され、彼らの可能性の総体がひとつの共世界(Mitwelt)を構築している。ヴィンデンという町が異様な存在感を持つのはこうした理由からであろう

印象的な図形として登場する「トリケトラ」はもとは古代ケルトの模様
登場人物が遊んでいるゲームは、SF版ダークソウルと言われる「The Surge」である

聖書からの引用が多く、登場人物の名前もおそらく聖書にちなむ

発端となった事件は「原発事故」



ツイン・ピークス[Wikipedia]

難解系ドラマの先駆けかな?
ツイン・ピークスという街を舞台にした女子高生の殺害事件を発端とする奇妙なストーリーの連鎖
長い上に全編見通したとしても理解できないかもしれない(私は未だによくわからない。好きだけど)

なので、映画版と最近作られたS3(18話もありますが)で済ますという手も

デヴィッド・リンチが本質的に映像作家であることを念頭に置いて見ると楽しいかもしれない

すべての発端となった事件は「トリニティ実験



映画

2001年宇宙の旅[Wikipedia]

もはや説明の必要もないと思うが要約すると、「モノリスを発見した猿人が人へ進化し、やがて月に至りモノリスを再び発見。モノリスに導かれるように宇宙を進んでいった結果、ボーマンは人類を超越したスターチャイルドへと進化する」

ここにAIの人類への反乱といったテーマが絡んでくる

映画と小説は別物であるが理解という意味では小説版のほうがわかりやすい
映画版は内容とか気にせずに映像だけ見て楽しむのがよい

発端となった事件は「モノリスの発見」



ソラリス[Wikipedia]

人類にとって完全に異質な生命体とのコンタクトは可能か、またいかなる意味を持つか、というSF

ソラリスの海とは、哲学者レヴィナスのいう「無限に超越的であり、無限に異邦的(エトランジェ)」なものとしての「絶対的他者」である。人はその現前により閉鎖的自己意識を揺り動かされ、自己の延長ではない他者の存在に気づくと同時に、他者に応答する自己をも見いだす

多様な解釈が可能であり、映像化された『惑星ソラリス』(タルコフスキー)や『ソラリス』(ソダーバーグ)のどちらも原作とは解釈が異なっている(原作者はどちらの映画も気に入らないそうだ)

2001年宇宙の旅と同じく、小説版の方がわかりやすい

2015年に出版された新訳版は旧訳では削除されていた部分が復活している。また巻末の解説を読むとなぜ『ソラリス』が世界的古典となったのかがよく分かる



インターステラー[Wikipedia]

重力と時間父親と娘の関係を学ぶのに最適な教材

主人公たちの乗る宇宙船は「エンデュランス号」というが、これはサムのバイクに張られた「Endurance」というステッカーにあるのと同じ単語である。もしかしたらサムのバイクは「エンデュランス」という名がついているのかもしれない


4次元超立方体(テサラクト)の空間という、過去、現在、未来のすべての時間が連結した空間が登場する
TGSの説明から推測するに、おそらくカイラルネットワークも同様の機能を持つと思われる

テサラクトが高次元空間であるとするならば、カイラルネットワークは二次元の線形なのかもしれない(過去・未来・現在のすべての時間に繋がるネットワーク)



メッセージ[Wikipedia]

地球各地に現れた謎の宇宙船を発端とし、彼らとのファーストコンタクトを言語学の領域から描く

ウィトゲンシュタインが『およそ語られうることは明晰に語られうる。そして論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない』といったように、人間の全認識は言語活動によって語られるものとして語られる

ある意味で言語が人間の意識の限界を決めている

だが、人間の認識を超えた言語が存在したとしたら。例えばその言語は既存の言語では語ることのできない『未来』について記述することができるとしたら。

人間の認識は未来にまで拡張される

言語による時間認識の拡張は、言語を発する主体が「今現在」にあるという制約があるがゆえに「未来時制」(予言)の形を取らざるを得ない

しかしながら、制約を受ける主体から言語自体を切り離してしまえば、その言語体系はこの宇宙で唯一、時間の支配から逃れることが可能となり、その言語をプロトコルとして採用したネットワークは時間から解放されるのかもしれない

それはつまり三次元+時間からなるこの宇宙から乖離したネットワークを構築することに等しい



ブレードランナー[Wikipedia]

脱走したレプリカント(人造人間)を追跡して「解任(射殺)」する捜査官の話である

レプリカント対人類の構図は物語を通じて保たれるが、レイチェルの登場を機にその構図は社会的なものから個人の内面的なものへと移行する

つまり、レプリカントとデッカードの内面に「レプリカント/人間」という対立項があらわれ、やがて両者の終局における選択に反映されていく

ロイ・バッティの利他的行為はまぎれもなく人間のものであり、一方でデッカードレプリカントの救済者なるが、これは物語のスタート時の彼らとは真逆の立場である

人間であったものがレプリカントを救う者となり、レプリカントであったものが人間として死ぬのである

人間とレプリカントとの差異は何か? その問いを残して映画は終わる

デッカードがレプリカントであるか否かについてはさまざまな意見がある(監督のリドリー・スコットはデッカードはレプリカントであると明言しているが)

だがロイが人として死んだのであれば、デッカードはレプリカント(ただしそれは人間性を備えたレプリカント)として生きるという対比がよりふさわしいように私には思える


原作である『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、人とアンドロイドとの差異を「感情移入」の有無としている

すなわち人間とレプリカントの器質的な相違は問題とされず、感情移入という内面的な能力によって両者は分け隔てられるのである

映画版におけるロイとデッカードの最後の選択はこうした感情移入からのものだと考えると、彼らはともに「人間である」ということになるのかもしれない

ちなみに原作には映画に登場しないマーサー教という宗教が登場する。この教団が用いるのが「共感(エンパシー)ボックス」なる黒い箱形の装置である。

そこから出ているハンドルを両手で握ると、同じように取っ手を握っているすべての信者と共に「教祖ウィルバー・マーサーと肉体的融合――精神的心霊的な同一視をともなったそれ――ができる」代物である

つまり「共感(エンパシー)ボックス」を介して教祖と全信者が「繋がる」のだ

そうして信者たちは教祖と同じ体験を共有することになるが、その体験というのが「山道を登っていく」体験である

これをDeath Strandingに当てはめるのならば、教祖ウィルバー・マーサーはサムであり、信者はプレーヤーとなろうか。黒い装置というのはもちろんPS4のことである

プレーヤーはPS4を介しサムと繋がりサムの体験を自分自身として体験するのである

ここから先はネタバレになるのだが、このマーサー教というのは全くのイカサマであった。体験する光景は映画スタジオで撮影されたものであり、マーサー本人は酒浸りの老役者である

つまるところ「共感(エンパシー)ボックス」を介した「感情移入」なる現象はすべて偽りだったことになる。その結果として、人間とアンドロイドを区別していた感情移入という能力は疑わしいもの、否定されるべきものへと降格させられてしまう(アンドロイドと人間の差異が消失することにつながる)

だが、原作のデッカードはマーサーとの繋がりをたたれてなお、自らがマーサーであるという感覚を持つ。そのマーサーは不死であり、一万年たっても死ぬことができないマーサーである

このマーサーとは他者への感情移入能力をもつ全存在(レプリカントであれ人間であれ、あるいは全く未知の生命体であれ)を包括した名称としての「人間性」のことである



ブレードランナー 2049[Wikipedia]

上記したようにブレードランナーの物語の本質はレプリカントと人類という二つの性質の対立構造にある。感情移入が象徴する人間性と、レプリカントが象徴する非人間性の構図であり、この構図は人間・レプリカント双方の内面に存在する

2049において「K」が最後にとった行動は、前作のロイと同じ行動原理(衝動)から発生したものである
衝動とは「他者への感情移入」、つまり人間性の引き起こす共感のことである

ロイと同様にKもまた人間となったのである



スパイダーマン: スパイダーバース[Wikipedia]

多世界解釈的スパイダーマン

多世界解釈だからといって「たくさんの世界」を登場させないところが秀逸である
舞台となる世界はあくまでひとつであり、他の世界は基本的にその世界を体現するキャラクターの描写によってなされている

一つの世界に対し無数の世界のキャラクターが干渉するという構図はDeath Strandingとも重なりそうである

映像表現、音楽、キャラクターデザイン等々、すべてが飛び抜けたセンスの塊である


地獄の黙示録[Wikipedia] 原題:Apocalypse Now

クライマックスにおけるウィラードの言動は、フレーザーの『金枝篇』に書かれた「ネミの森の祭祀王」の神話を読んでいるとわかりやすい

ネミの森では、祭祀を殺した者が次の祭祀になることができる。今の祭祀も前任者を殺すことで祭祀王の座についたのである

またギリシャ神話では父であるクロノスを殺し主神となるゼウス、父親殺しの呪いを受けるオイディプスに似たところがあるだろうか

原作であるコンラッドの『闇の奥』は映画よりもさらに内面を深く描いた作品である。闇の奥とはアフリカの奥地を意味しているだけでなく、人間の心の奥底にある闇黒の深淵を意味している

そういう意味で、映画のウィラードの旅はベトナムの川を遡っていくと同時に、人間の心の奥へと進んでいき、ついに最奥にある人間性の闇(カーツ)に至ったと考えることもできる

ダークソウルにおいて、アルトリウスが深淵の闇に取り込まれたのと同様に、ウィラードも人間性の闇を直視したがゆえに、闇と一体化するほか無かったのである

カーツは死んだのではなく、カーツの闇と共にウィラードに受け継がれていくのかもしれない



その他

ずいぶん長くなってきたのであとはタイトルのみを挙げる
『1984』
『遊星からの物体X』(原題:The Thing)
『BTTF』
『バタフライ・エフェクト』



蛇足

紹介した映画やドラマには大きく分けて二つの共通するテーマのようなものがある

ひとつは「時間」である

時間というのは昨今の創作物の流行でもあるが、H・G・ウェルズの『タイム・マシン』あるいはその映画化された作品からも分かるように、まったく新しいジャンルというわけではない

時間物の中には、ヒッグス場や重力異常を根拠に据えたものや、複数の時間(それはつまり複数の時空、多世界)を扱ったもの、叙述トリック的な時間操作、言語学的思考実験より生みだされるもの等々、多種多様な時間の扱い方があり、もはやジャンルというよりそうした時間概念をいかに作品に取り込むかというのは創作物における必須条件といえるかもしれない


ふたつめは「他者」である
ソラリスの海に代表されるような絶対的な他者や、人の造ったアンドロイドAI(HAL9000)の中に見いだされる他者、人間の心理の奥に潜む深淵の闇という異質な他者、あるいは地球外生命体エイリアン等々、人間存在を人間の外部から規定するような他者とのコンタクトをフィクションは描いてきた(恋愛物もまた異質な他者との接触の一つである)

だが、人間にとって最も根源的な他者とは「死者」である

2019年9月17日火曜日

Sekiro 雑文 世界構造

世界構造

SEKIROの世界には二つの時空(時間と空間)が存在する
葦名城を中心とする人の世界と、仙郷を中心とする神の世界である

二つの時空が重なった世界観は、過去作においても見られたものだ

例えばダークソウルシリーズでは人の成れの果てである亡者が住むロードランと、巨人や神々の住むアノール・ロンドとして描かれている
同じようにブラッドボーンでは現実世界に基盤を置くヤーナムと、上位者たちの世界である「」として設定されている

こうした二つの時空が重なった世界設定は、クトゥルフ神話における現実の都市(現実をモデルとした都市)と、上位者たちの住む宇宙的領域、あるいは「夢幻郷」という対比構造と類似したものである

プレイヤーや読者はまず極めて現実的な時空を這い回り、やがて神の住む領域へと至るのである

このいわば「俗から聖」への移行が人にもたらすものは、宗教的啓示再生(生まれ変わり)の感情である(ダンテの『神曲』)

困難を経て苦難を乗り越えた先に神々しい世界を垣間見ることで、人は宇宙の隠された真理を見いだし、同時に新しい自分を見いだすのである

もっと俗的な表現をすれば「達成感」を得るのである

しかし何も「神の領域」である必要もない。高い山の頂上から眺める向こう側の世界でも良いし、高い壁のてっぺんから眺める新世界でも、竜の巣を越えた先にあるラピュタでも良いのである

ある意味でこうした経験は、シャーマンの昇天儀礼と通じるところがある。そこではシャーマンは肉体や骨をバラバラにされた後に再びつなぎ直され新しい肉体を得ることで、神の領域へ入る資格を得るのである


現実世界

最初からきらびやかな世界に投げ込まれるのでは、このような劇的な効果は得ることができない

またたんに荒廃した世界であれば良いというものでもない

そこには細心の注意を払って構築された「抑制された現実」が描かれていなければならない

ソウルズボーンでよく利用されたのは「人間くさいNPC」だ。いわゆる青ニートや車椅子の老人などだ

彼らは大いなる神々の話や、希望に満ちた物語を語らない。彼らが話すのは個人的な、それもこちらにはよく分からない陰鬱な話を自分勝手に喋るのみだ

現実世界でもそうだが、やたらと明るく希望に満ちた話を嬉々として喋る人間にはある種の胡散臭さを感じるものである
胡散臭さを感じた瞬間に人は一歩後退する。つまり感情移入を阻害され、物語から引き剥がされてしまう

アリストテレスがいうように、人間は「悲劇」を求めているのである。その陰鬱な話の背後に「悲劇」の匂いを感じ取れば、プレイヤーなり読者なりは、そこに真実味を勝手に感じてしまう

SEKIROの九郎にしてもそうである。九郎が竜胤の御子であることや、その意味などは(ゲーム内では)当初はまったく説明されない。だが、彼が少年であり月見櫓に幽閉されているという「状況」だけで、人はそこに悲劇の匂いを嗅ぎ取り、一瞬にして感情移入するだろう

これが例えば最初の月見櫓で九郎が「自分の生い立ちはこうであり、竜胤の御子であり、こういうを持ち、だから幽閉されているのだ」と長々と語ってしまえば、すべては台無しである

抑制された、おそらくは計算された描き方によって提示される「悲劇としての現実」が、SEKIROの土台となっているのである


神の領域

悲劇の中を這い回り、やがてプレイヤーは神の領域へとたどり着く。もしそこが光と幸福の溢れる世界であったのならば、話はただの宗教説話となってしまう

だがメンシスの悪夢に代表されるように、ソウルズボーンでは神の領域すらも悲劇の舞台となっている。清浄な光の国を期待したプレイヤーはここで「目眩(めまい)」を起こす

人間の悲劇のなかを這い回った先にあったのは、神の悲劇である。だが上でも書いたように人間は「悲劇が好き」なのである

目眩を起こしたプレイヤーは瞬く間に新たな悲劇に魅了され、探究心や好奇心を抑えられなくなるのである

※やはりこれも神の国である必要はない。例えば「ウォーキングデッド」というドラマがあるが、あれは「俗から聖」への移行の繰り返しである(その理想的祖型は旧約聖書のモーセに率いられたユダヤの民)。地獄のような世界から新天地に到達したかに見えて、そこもまた地獄であった、というような繰り返し。

これが紋切り型の光輝に満ちた神々の国だったのであれば、物語はそれで終わりである。もはや語る価値のある物語は生まれず、エンディングが流れておしまいである

だがソウルズボーンではそうはならない。悲劇どころか宇宙的恐怖すら登場する

プレイヤーは神の悲劇に対して「哀れみ」の感情を持ち、また宇宙的恐怖に対しては「恐れ」の感情を持つ

アリストテレスは、悲劇を見る観客はあわれみ(eleos)とおそれ(phobos)の感情を抱くと説いている

つまりそこで展開されているのは、人間の大好きな「悲劇」そのものなのである

もちろん直接的には悲劇は描かない。そんなことをしてしまえばすべては台無しになってしまうからだ。再現映像などもってのほかである

わずかに生存する神々でさえも「人間くさいNPC」のように、個人的な話を自分勝手に喋るだけである

だがプレイヤーは周囲の荒廃した世界とわずかな情報のみをもとに「悲劇」を想像する。なぜならば何度も言うように人間は「悲劇」が好きだからである

この抑制された情報の提示は感覚に頼ったバランスというのではなく、計算された理詰めのメソッドであろうと思われる

すなわち論理(哲学)がある。感覚頼りでなく論理により構築されているので(その論理から創造された創作物が好きな人ならば)、ハズレはない

ソウルズボーン、SEKIROと評価が一貫して高いのは理詰めにより作られているからだと思われる



蛇足

本格的にDLCがなさそうなので、個人的にSEKIROの元ネタなのではないかと思うものを挙げる(DLCでも使われてたら言及する予定だった)

諸星大二郎の『妖怪ハンター』特に「天の巻」

元ネタ系は偶然の一致の可能性も高く鵜呑みにはしないほうがいいですが

2019年9月15日日曜日

Death Stranding TGS セーフハウスのまとめ

セーフハウス


目覚め

目覚めるときに500mlの血液を採取される
サムの血液は特殊でBT用の武器にできる



カメラ

セーフハウスではプレイヤーはサムではなくカメラを操作する
ノーマンを見るギャルゲーみたいなモード
ノーマンあるいはサムと遊ぶモード
シャワーを要求

カメラを操作するといろんなリアクションをとる


ものすごい数のモーションを取っている
ノーマンとコジマ監督でアイデア出しをして脳みそ焼けるぐらいモーションを撮った
サムはクールな役柄だがセーフハウスではキュートなノーマンを見ることができる


サムの操作はコマンドで行う

洗面台ではアナログスティックを倒すといろんなモーションが出る


シャッターを押して写真を撮ることができる
ゲッツ
セーフハウスは旅で疲れたサムとプレイヤーを癒やすところ

ステンシル

サムの体についた手形は死者の手形
ボイドアウトしてあの世に行って帰ってきた(死んだ)回数分の手形がつく
プレイヤーによってその数は異なる


血尿

ものすごい疲れていると血尿が出る(レア)

サムは特殊な体液を持っているので、老廃物や体液は全部武器になる
特に血尿は強力な武器
ここで出た武器はプレイベートボックスに入っている



フラジャイルジャンプ

いわゆるファストトラベル




装備棚

自分が持っている武器装備、カイラルプリンターで作れる武器装備が並ぶ
サムが着ているのはアクロニウムとのコラボインナー



グレネード
グレネード

米陸軍で使用されたフラググレネード。
投擲後、時間経過で爆発し、一定範囲にダメージを与える。



血液グレネード
血液グレネード

対BT用に開発された手榴弾。
サムの血液とガスを混合し、爆発時に飛散させ、BTを攻撃する。



EXグレネード
EXグレネード

サムの体液、両廃物、排泄物などを凝縮加工したカプセル。
サムの血液がBTに効果があるならば、体液等も同じなのでは?
というハートマンが提唱する仮設に基づいて、
サムのシャワーやトイレの際に採取し、加工して作成された武器。
体液や排泄物のタイプでBTへの影響は異なると考えられるが、
現状では未知数。
他人の排泄物は、普通の人間では気持ちのいいものではない。
サムも気持ちはよくないだろう。
とはいえ、まずは試してみなければ何も始まらない。
もしかしたら、血液程たいした効果はないかもしれない。


チャージ式対BTハンドガン[Lv.1]

チャージ式対BTハンドガン[Lv.1]
型番:MA-BIS mod 1

対BT血液射出銃。
ハンドカフから使用者の血液を転送し、
弾丸状に凝固成型して電磁誘導により打ち出す。
血液のチャージ時間により威力が変化する。




ボーラガン[Lv.1]
ボーラガン[Lv.1]
型番:BOLA Mk1

拘束用ロープをガス圧で射出し対象を縛り上げる
ローカルメイドの拘束銃。
人体を傷つけずに無力化することができる。
サムの血液が織り込まれている“ストランド”を使用しているため、
BTにも効果がある。



アサルトライフル[Lv.1]
アサルトライフル[Lv.1]
型番:WM.556

ブリッジズ制式採用銃。
元々は米陸軍の空挺部隊向けに、
フォールディングアサルトカービンとして開発されたが、
DS後に特殊用重火器として改良された
マルチバーバスアサルトライフル


武器のオレンジ、紫、ブルー、黄色というカラーリングは工具をイメージ
これはサムがブルーカラーであるため

ブーツ
このブーツはレベル1なのでどんどんごついやつに変わっていく



色変え




BB

BBをあやすことができる



悪夢
うたた寝をしてしまって悪夢を見る



BBをあやしていると親密度が高まる




バックパック

バックパックにポーチとかをつけるとその分多く運べる
回転させたり自分でレイアウトしたりできる(バイオシリーズのアタッシュケース)

グレネードポーチ

投擲武器を入れるポーチ。
中に入れることで、背中などのポーチを空け、
その分、より多くの荷物を背負ったりできるようになる。
時雨のダメージや転倒などで荷物落下を防いでくれる。
複数同時装着が可能。
なお、中身が入っているポーチを破棄した場合、
入っていた物がカスタマイズしている施設の
“プライベートボックス”に収納される。


拡張バッテリー[Lv.1]

サムが使用する装備品用の拡張バッテリー。
装着することで“アクティブスケルトン”等の装備品で
使われるバッテリーの最大容量が増加する。
複数同時装着が可能


アクセサリ
いろいろな効果がある
色んな人にあったりいろいろなことをすると手に入る

てるてる坊主

晴天の願いが込められたアクセサリー。
付けていると時雨が降りにくくなると言われている。



風車

風車が付いたアクセサリー。
BBのお気に入りで、付けているとご機嫌。
ストレスも多少溜まりにくくなるようだ。



テーブル

フラグによって乗っているものが変わる


クリプトビオシスはフラジャイルが好きで持ってきてくれる
食べると鉄分が増える

ルーデンスサングラス


端末

普段している手錠端末とほぼ同じ機能がある



オーダー

プレーヤーがオーダしているメインミッション、サブミッション、その他のミッションのどれを受注してどの段階にあるかがわかる



メール

色んな人をつないでいくとメールが来る



名前の横の星は親密度。多いほど親密度が高い。上がっていくと関係が良くなっていろんなことができるようになる




データ・アーカイブ

つないでいくと各地に断片的に残っていた記録がここに集積される






ブリッジ・リンク

自分と世界中にいるサムがつながる。いいねのやり取り。その人達との関係がわかるボード
ストランズ契約というのができる。そうするともうちょっといいことが起こる



ミュージックプレーヤー

どんどん曲が増えていく




ルームカラー

自分で作ったプライベートルームは色を変えられる
他の人が入ったときにこの色が見える





フィギュアを見る

進行していくとどんどん増える。
もうちょっとするとあるモードが出現する


ある特定のファンの方はここばかり来るようになる


ビール

普段はモンスターの缶が並んでいる
今回は世界最速のビール

酔っ払うとちょっとやばいことになる。暴れたりする
普段はモンスターの缶があって回復する


出発

必ずBBと接続する


するとBBの記憶が逆流する。クリフ、マッツが出てくる
毎回フラッシュバックでマッツが見れる
バタール・モンラッシェ グラン・クリュ

ストーリー上に重要なものがある

「乾杯。リサときみに」

フラッシュバックが何なのかはゲームを解いていくとわかる




外の世界

自分が建てた荒れ地にあるセーフハウス


建設物機能

カスタマイズができる

建物の強化

建物のレベルを上げられる


上げる場合は素材を入れるとレベルアップする
他の人が建てた場合でも素材を入れるとレベルアップする



建設物の修復

建てたものも、タイムフォール(時雨)が降るとどんどん溶けていく
溶けていくのを修復するというコマンド

世界中にいっぱいものが建つんじゃないかというのはあんまりない
これを残したいのであれば修復を続けなくてはいけない



建設物のカスタマイズ

音楽やホログラムを設定できる
ボイスも設定できる



いろんな数のキャラクターのホログラムを使うことができる


建設物の破棄

人が建てたやつも破棄できる
破棄した人の世界の中からなくなる。他の人の世界からはなくならない
悪意を持って建てられたものも消せる

カイラル通信をつなぎにいくお話なので、必ず自分がつなぎます。自分よりも先に設備があることはない
つないで初めて振り返るとそこにみなさんの装置が見える

プレイヤーのプレイスタイルとフラグによってこちらによってプログラムによって制御しているので、発売から半年後に買っても普通に遊べるようには調整はされている


排尿

これも当然武器になる
きのこが生える
雪山にも登れる

世界中の人から見える。これにおしっこをかけると大きくなる
そうしていくと結構いいことが起きる

雪山にも登れる
一番過酷で一番おもしろい場所


温泉

おしっこ禁止の看板もある

温泉ではできないようになっている

クレーター温泉




温泉ママー






蛇足

小島監督の解説を聞きながら動画を見る日本語勢と、映像のみの海外勢との温度差が気になる。TGSという日本のイベントなので仕方がないことだったのかもしれないが、英語版の解説を先行させるか同時に発表したほうがよかったように思える

細かなニュアンス、プレイの空気感などがうまく伝わってないもどかしさが否めない