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2019年9月23日月曜日

Death Strandingへの備え

Death Stranding発売までの暇つぶしと予習(になるか不明だが)
入手性、視聴性の高い有名作品ばかりを挙げた
かなり個人的な好みも入っているので参考にはならないかもしれない


ドラマ

ウエストワールド[Wikipedia]

同名映画のドラマ版
人間そっくりのアンドロイドがホストを務めるテーマパークの話

意識自由意志、創造主に対する被造物の反乱を描く

これらのテーマは『創世記』の神の背くアダム、もっと直接的にはカレル・チャペックの『R.U.R.』からおなじみのものだが、叙述トリック的な手法を用いることで人間であることとアンドロイドであることの差異を消失させ、意識について深く考えさせる作品となっている

S1に使われた叙述トリックはサムとクリフに重なるところがあるかもしれない
また、キャラクターを人間らしく描くことで逆に視聴者をそれと思い込ませる手法などはブレードランナーなどにも通じるところがある



ストレンジャー・シングス[Wikipedia]

スティーブン・キング(『スタンド・バイ・ミー』、『イット』の黄色いレインコート)やスピルバーグ(『ET』、『未知との遭遇』など)、ジョン・カーペンター(『遊星からの物体X』のポスターが張ってある)の影響がとても強いドラマ

1980年代のアメリカの架空の田舎町を舞台にしたドラマであり、ほぼ全編に映画のパロディというかオマージュが散見される

得体のしれない化物が裏側の世界からやって来るのだが、裏側の世界(異界)の描写に関しては映画版の『サイレントヒル』のほうが好みである。そういえば『P.T』ってサイレントヒルの続編として(略)

簡単にいうとみんなの見たかった『スーパーエイト』

S3になるとコメディ要素や映画のオマージュが激増するので好みの分かれるところかもしれない

発端となった事件は「MKウルトラ計画



ダーク[Netflix]

ドイツ版ストレンジャー・シングス的な紹介のされ方をされるドラマ(あまり似てないが

ある出来事をきっかけに時空が歪み、ループの中に閉じ込められたドイツの小さな町の話
黒いタールのような液体が登場し、それはヒッグス場を構成する神の粒子という設定である

1953年・1986年・2019年という3つの時間軸を基本とし、各時代の出来事が次々に提示されてくるので、見ている方はまず年代とキャラクターの把握につとめる必要がある

ストレンジャー・シングスに比べると、ひたすら暗く人間関係が複雑なので相関図を見ながらでないとわかりにくいかもしれない。またストレンジャー・シングスがオカルト・ホラーだったのに対し、ダークは純SFとしての濃度が高い

物語構造や人物関係が複雑な分、頭の中で出来事や人物たちが繋がり始めると、一気にはまる

存在と時間』(ハイデガー)の国だけあって、時間をたんに因果の連なりとして見るのではなく、現存在を成り立たせる意味の場として扱っている。登場人物はいくつもの時空へ企投(Entwurf)され、彼らの可能性の総体がひとつの共世界(Mitwelt)を構築している。ヴィンデンという町が異様な存在感を持つのはこうした理由からであろう

印象的な図形として登場する「トリケトラ」はもとは古代ケルトの模様
登場人物が遊んでいるゲームは、SF版ダークソウルと言われる「The Surge」である

聖書からの引用が多く、登場人物の名前もおそらく聖書にちなむ

発端となった事件は「原発事故」



ツイン・ピークス[Wikipedia]

難解系ドラマの先駆けかな?
ツイン・ピークスという街を舞台にした女子高生の殺害事件を発端とする奇妙なストーリーの連鎖
長い上に全編見通したとしても理解できないかもしれない(私は未だによくわからない。好きだけど)

なので、映画版と最近作られたS3(18話もありますが)で済ますという手も

デヴィッド・リンチが本質的に映像作家であることを念頭に置いて見ると楽しいかもしれない

すべての発端となった事件は「トリニティ実験



映画

2001年宇宙の旅[Wikipedia]

もはや説明の必要もないと思うが要約すると、「モノリスを発見した猿人が人へ進化し、やがて月に至りモノリスを再び発見。モノリスに導かれるように宇宙を進んでいった結果、ボーマンは人類を超越したスターチャイルドへと進化する」

ここにAIの人類への反乱といったテーマが絡んでくる

映画と小説は別物であるが理解という意味では小説版のほうがわかりやすい
映画版は内容とか気にせずに映像だけ見て楽しむのがよい

発端となった事件は「モノリスの発見」



ソラリス[Wikipedia]

人類にとって完全に異質な生命体とのコンタクトは可能か、またいかなる意味を持つか、というSF

ソラリスの海とは、哲学者レヴィナスのいう「無限に超越的であり、無限に異邦的(エトランジェ)」なものとしての「絶対的他者」である。人はその現前により閉鎖的自己意識を揺り動かされ、自己の延長ではない他者の存在に気づくと同時に、他者に応答する自己をも見いだす

多様な解釈が可能であり、映像化された『惑星ソラリス』(タルコフスキー)や『ソラリス』(ソダーバーグ)のどちらも原作とは解釈が異なっている(原作者はどちらの映画も気に入らないそうだ)

2001年宇宙の旅と同じく、小説版の方がわかりやすい

2015年に出版された新訳版は旧訳では削除されていた部分が復活している。また巻末の解説を読むとなぜ『ソラリス』が世界的古典となったのかがよく分かる



インターステラー[Wikipedia]

重力と時間父親と娘の関係を学ぶのに最適な教材

主人公たちの乗る宇宙船は「エンデュランス号」というが、これはサムのバイクに張られた「Endurance」というステッカーにあるのと同じ単語である。もしかしたらサムのバイクは「エンデュランス」という名がついているのかもしれない


4次元超立方体(テサラクト)の空間という、過去、現在、未来のすべての時間が連結した空間が登場する
TGSの説明から推測するに、おそらくカイラルネットワークも同様の機能を持つと思われる

テサラクトが高次元空間であるとするならば、カイラルネットワークは二次元の線形なのかもしれない(過去・未来・現在のすべての時間に繋がるネットワーク)



メッセージ[Wikipedia]

地球各地に現れた謎の宇宙船を発端とし、彼らとのファーストコンタクトを言語学の領域から描く

ウィトゲンシュタインが『およそ語られうることは明晰に語られうる。そして論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない』といったように、人間の全認識は言語活動によって語られるものとして語られる

ある意味で言語が人間の意識の限界を決めている

だが、人間の認識を超えた言語が存在したとしたら。例えばその言語は既存の言語では語ることのできない『未来』について記述することができるとしたら。

人間の認識は未来にまで拡張される

言語による時間認識の拡張は、言語を発する主体が「今現在」にあるという制約があるがゆえに「未来時制」(予言)の形を取らざるを得ない

しかしながら、制約を受ける主体から言語自体を切り離してしまえば、その言語体系はこの宇宙で唯一、時間の支配から逃れることが可能となり、その言語をプロトコルとして採用したネットワークは時間から解放されるのかもしれない

それはつまり三次元+時間からなるこの宇宙から乖離したネットワークを構築することに等しい



ブレードランナー[Wikipedia]

脱走したレプリカント(人造人間)を追跡して「解任(射殺)」する捜査官の話である

レプリカント対人類の構図は物語を通じて保たれるが、レイチェルの登場を機にその構図は社会的なものから個人の内面的なものへと移行する

つまり、レプリカントとデッカードの内面に「レプリカント/人間」という対立項があらわれ、やがて両者の終局における選択に反映されていく

ロイ・バッティの利他的行為はまぎれもなく人間のものであり、一方でデッカードレプリカントの救済者なるが、これは物語のスタート時の彼らとは真逆の立場である

人間であったものがレプリカントを救う者となり、レプリカントであったものが人間として死ぬのである

人間とレプリカントとの差異は何か? その問いを残して映画は終わる

デッカードがレプリカントであるか否かについてはさまざまな意見がある(監督のリドリー・スコットはデッカードはレプリカントであると明言しているが)

だがロイが人として死んだのであれば、デッカードはレプリカント(ただしそれは人間性を備えたレプリカント)として生きるという対比がよりふさわしいように私には思える


原作である『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、人とアンドロイドとの差異を「感情移入」の有無としている

すなわち人間とレプリカントの器質的な相違は問題とされず、感情移入という内面的な能力によって両者は分け隔てられるのである

映画版におけるロイとデッカードの最後の選択はこうした感情移入からのものだと考えると、彼らはともに「人間である」ということになるのかもしれない

ちなみに原作には映画に登場しないマーサー教という宗教が登場する。この教団が用いるのが「共感(エンパシー)ボックス」なる黒い箱形の装置である。

そこから出ているハンドルを両手で握ると、同じように取っ手を握っているすべての信者と共に「教祖ウィルバー・マーサーと肉体的融合――精神的心霊的な同一視をともなったそれ――ができる」代物である

つまり「共感(エンパシー)ボックス」を介して教祖と全信者が「繋がる」のだ

そうして信者たちは教祖と同じ体験を共有することになるが、その体験というのが「山道を登っていく」体験である

これをDeath Strandingに当てはめるのならば、教祖ウィルバー・マーサーはサムであり、信者はプレーヤーとなろうか。黒い装置というのはもちろんPS4のことである

プレーヤーはPS4を介しサムと繋がりサムの体験を自分自身として体験するのである

ここから先はネタバレになるのだが、このマーサー教というのは全くのイカサマであった。体験する光景は映画スタジオで撮影されたものであり、マーサー本人は酒浸りの老役者である

つまるところ「共感(エンパシー)ボックス」を介した「感情移入」なる現象はすべて偽りだったことになる。その結果として、人間とアンドロイドを区別していた感情移入という能力は疑わしいもの、否定されるべきものへと降格させられてしまう(アンドロイドと人間の差異が消失することにつながる)

だが、原作のデッカードはマーサーとの繋がりをたたれてなお、自らがマーサーであるという感覚を持つ。そのマーサーは不死であり、一万年たっても死ぬことができないマーサーである

このマーサーとは他者への感情移入能力をもつ全存在(レプリカントであれ人間であれ、あるいは全く未知の生命体であれ)を包括した名称としての「人間性」のことである



ブレードランナー 2049[Wikipedia]

上記したようにブレードランナーの物語の本質はレプリカントと人類という二つの性質の対立構造にある。感情移入が象徴する人間性と、レプリカントが象徴する非人間性の構図であり、この構図は人間・レプリカント双方の内面に存在する

2049において「K」が最後にとった行動は、前作のロイと同じ行動原理(衝動)から発生したものである
衝動とは「他者への感情移入」、つまり人間性の引き起こす共感のことである

ロイと同様にKもまた人間となったのである



スパイダーマン: スパイダーバース[Wikipedia]

多世界解釈的スパイダーマン

多世界解釈だからといって「たくさんの世界」を登場させないところが秀逸である
舞台となる世界はあくまでひとつであり、他の世界は基本的にその世界を体現するキャラクターの描写によってなされている

一つの世界に対し無数の世界のキャラクターが干渉するという構図はDeath Strandingとも重なりそうである

映像表現、音楽、キャラクターデザイン等々、すべてが飛び抜けたセンスの塊である


地獄の黙示録[Wikipedia] 原題:Apocalypse Now

クライマックスにおけるウィラードの言動は、フレーザーの『金枝篇』に書かれた「ネミの森の祭祀王」の神話を読んでいるとわかりやすい

ネミの森では、祭祀を殺した者が次の祭祀になることができる。今の祭祀も前任者を殺すことで祭祀王の座についたのである

またギリシャ神話では父であるクロノスを殺し主神となるゼウス、父親殺しの呪いを受けるオイディプスに似たところがあるだろうか

原作であるコンラッドの『闇の奥』は映画よりもさらに内面を深く描いた作品である。闇の奥とはアフリカの奥地を意味しているだけでなく、人間の心の奥底にある闇黒の深淵を意味している

そういう意味で、映画のウィラードの旅はベトナムの川を遡っていくと同時に、人間の心の奥へと進んでいき、ついに最奥にある人間性の闇(カーツ)に至ったと考えることもできる

ダークソウルにおいて、アルトリウスが深淵の闇に取り込まれたのと同様に、ウィラードも人間性の闇を直視したがゆえに、闇と一体化するほか無かったのである

カーツは死んだのではなく、カーツの闇と共にウィラードに受け継がれていくのかもしれない



その他

ずいぶん長くなってきたのであとはタイトルのみを挙げる
『1984』
『遊星からの物体X』(原題:The Thing)
『BTTF』
『バタフライ・エフェクト』



蛇足

紹介した映画やドラマには大きく分けて二つの共通するテーマのようなものがある

ひとつは「時間」である

時間というのは昨今の創作物の流行でもあるが、H・G・ウェルズの『タイム・マシン』あるいはその映画化された作品からも分かるように、まったく新しいジャンルというわけではない

時間物の中には、ヒッグス場や重力異常を根拠に据えたものや、複数の時間(それはつまり複数の時空、多世界)を扱ったもの、叙述トリック的な時間操作、言語学的思考実験より生みだされるもの等々、多種多様な時間の扱い方があり、もはやジャンルというよりそうした時間概念をいかに作品に取り込むかというのは創作物における必須条件といえるかもしれない


ふたつめは「他者」である
ソラリスの海に代表されるような絶対的な他者や、人の造ったアンドロイドAI(HAL9000)の中に見いだされる他者、人間の心理の奥に潜む深淵の闇という異質な他者、あるいは地球外生命体エイリアン等々、人間存在を人間の外部から規定するような他者とのコンタクトをフィクションは描いてきた(恋愛物もまた異質な他者との接触の一つである)

だが、人間にとって最も根源的な他者とは「死者」である

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