まとめ

まとめページ

2020年1月10日金曜日

Bloodborne 手記10 『フィーヴァードリーム』

「わが名は 王の王なるオジマンディアス
全能の神よ わが行ないし業をみそなわせ 絶望せよ!」(『シェリー詩集』新潮文庫)


フィーヴァードリーム

『フィーヴァードリーム』はジョージ・R・R・マーティン作の吸血鬼小説である
ジョージ・R・R・マーティンといえば、近年ゲーム・オブ・スローンズの原作者として世界的に名声を博し、フロムソフトウェアの新作「Elden Ring」の神話部分を担当した人物としても知られている

※宮崎氏はインタビュー(ファミ通.com)で、「新入社員にぜひ触れてほしいコンテンツ」として『フィーヴァードリーム』を推薦していることを明かしている

もとはSF畑の作家であり、ヒューゴー賞やネヴュラ賞といった権威ある賞をいくつも受賞しているほど実力のあるSF作家である

そんな彼が1982年に発表したのが『フィーヴァードリーム』である

本作は19世紀中頃のミシシッピ川流域を舞台にしたいわゆる「吸血鬼モノ」のホラー小説であり、吸血鬼小説としてのルールを守りながらも独特の世界観を構築した名作である

※時代は半世紀ほど下るが、RDR2に登場するサンドニのモデルであるニューオリンズも舞台のひとつ。サンドニの吸血鬼イベントの元ネタかもしれない

さて、ひとことにミシシッピ川といっても全長3779kmもある大河であり、地域によって植生や文化が異なっている。これら多様な社会を結びつけるのがミシシッピ川そのものであり、そこを航行する蒸気船であった

本作はこの蒸気船の栄枯盛衰を軸に、吸血鬼と人類、あるいは吸血鬼同士の闘争を描くものである




舞台

本作の舞台は主として1857年南北戦争直前のミシシッピ川とそこを航行する蒸気船である

1857年頃といえばイギリスではヴィクトリア朝の中期頃であり、ブラッドボーンとは年代的に共通するものがある

ざっくり言えば、『フィーヴァードリーム』の舞台をイギリスに置き換えたのがブラッドボーンなのである。もちろん『フィーヴァードリーム』には上位者は存在しないが、登場する吸血鬼の本性ならびにその在り方は、ブラッドボーンにおける「獣」と類似するものである

※同じ吸血鬼モノで比較するのなら、スティーブン・キングの『呪われた街』と小野不由美の『屍鬼』の関係と近似であろうか



吸血鬼

『フィーヴァードリーム』に登場する吸血鬼は、伝説上の吸血鬼と同じ部分もあり違う部分もある。差異を厳密に比較するのは煩雑であるし、曖昧な部分もあるので省略するが、ブラッドボーンと共通するいくつかの特徴を挙げたいと思う



吸血鬼と人狼の同一性

小説に登場する吸血鬼は自分たちは吸血鬼でないと主張する。彼らは夜の人々(ピープル)であいり、血の人々(ピープル)であり、たんに人々(ピープル)とも自称する(そして人類は「家畜」である)

吸血鬼と人狼(ウェアウルフ)双方の特徴を有し、彼らによれば「両者は呪われた暗黒の硬貨の裏と表」であるという

実際、『フィーヴァードリーム』の吸血鬼は人の血を吸い、また人肉を喰らう



赤い渇き

二十歳になると現われる吸血衝動を「赤い渇き」と呼ぶ。別名を「熱病(フィーヴァー)」ともいい、燃えさかるような渇きを感じるという

赤い渇きを癒すには生者の血を啜るしかなく、犠牲者の血中のある成分を補給しなければならない。だが、たんに血を吸えば良いものではなく、輸血液や死体の血では赤い渇きは完全には癒やせないという

若者や純真な人々、美しい女性などの生命力に溢れた人間をとくに欲するのは、血の成分のみならずそこに宿る生命を奪っているのだという

生理学的には、吸血鬼の血液には欠けている成分があり、その血液は日ごとに薄くなっていくという。そして臨界点に達すると赤い渇きに襲われるのである。これを防ぐには犠牲者の血をとりこみ、自らの血を濃厚にしなければならない

この赤い渇きを癒すために作られたのが血の酒である
大量の羊の血をベースにして、防腐剤として強いアルコールを混合した液体であり、それだけでなくアヘンチンキや、カリウム塩や鉄分、ニガヨモギ、その他さまざまな薬草と、化学薬品が加えられているという



理性と野獣

小説中のある吸血鬼は、人間として無数の人格(仮面)をかぶってきた過去があり、仮面はある種の抑制装置として作用しているが、それらがすべて剥がれ落ちたときに現われるのが、「赤い渇きと熱病にとりつかれた、飽くことなき太古の野獣」であった

それは原始的に非人間的であり、それは強かった。それは恐怖そのものを生き、呼吸し、呑みこんでいた。それは古かった。恐ろしく古かった。人類とその創造物より古く、森や河よりも古く、夢よりも古かった。(『フィーヴァードリーム』 創元推理文庫)
そこには人間性のかけらもなかった。その顔のしわは恐怖のしわであり、その目は――それはもはや黒ではなく、赤であった。真っ赤であった。うちなる炎に輝き、血に飢えて、ぎらぎらと真っ赤に燃えていた。(『フィーヴァードリーム』 創元推理文庫)

生命にあふれ、なだめがたく、強大なる野獣」が吸血鬼の中に潜み、赤い渇きが限界まで高まると、それは人間的理性を越えて姿をあらわにする

血の酒はその野獣を飼い馴らすことができるが、ゆえに野獣の力を抑えてしまうことでもある

『フィーヴァードリーム』の吸血鬼像の特徴は、その根底に人類とは別の、恐ろしく古く、理性を超えたところにある得体の知れない「野獣」を据えていることである

これまでの吸血鬼が少なくとも人類の亜種、あるいは伝統的な怪物が多勢であったのに対し、本作では人類ですらなく、さらに動物ですらなく、人智を越えた太古の野獣にまで次々に姿を転変させていくのである

つまり人間→人類の亜種(伝説)→動物→太古の野獣というふうに、物語が進むにつれて人間の理解から遠ざかっていくのである

これはゴシックホラーからコズミックホラー連続的に飛躍するブラッドボーンの構造と類似したものかもしれない




カインの末裔

本作の吸血鬼は創世記に登場するカインの末裔であるという(wikipedia)

アベルを殺害した罪によりカインは追放されてノドの地で妻をめとったとされるが、当時アダムの家族以外には人間はいなかったはずである

このノドの地にいた女性こそが吸血鬼誕生の端緒であるという
ノドの地は暗闇の国であり、カインとその妻から吸血鬼が誕生したのである

追放の際、神は他の者が危害を加えないようカインに「カインの刻印」を印したとされるが、このカインのしるしこそが赤い渇きという呪いであるという

こうして誕生した夜の人々は、アジアの中央部の暗く深い洞窟の中、地下の海と大河の岸辺鉄と黒大理石で巨大な都市を築きあげたとされる

※この地下都市が「神の墓」(聖杯ダンジョン)であるとすると、「ローラン」とはまさしく中央アジアにある「楼蘭」を指し示すのかもしれない


だが、そのうちの一部が何らかの罪による都市を追われ数千年ものあいだ放浪し、やがて都市の場所忘れてしまったという

この追放された人々がいま世界にいる吸血鬼の種族である。彼らのうちにいつか王が生まれ彼らを率いて地下の巨大都市へと導くと言われている

さて、別の伝説によれば彼らはウラル山脈あるいはステップ地帯から何世紀もかけて西や南に進出してきたという
※アジアの中央部から北部へ移り、さらに西や南に移動したということだろうか



カインハースト

Cainhurstのうち「hurst」という単語は、中世英語ではhirst(「砂州」や「小さい丘」)であり、古英語では hyrst(「樹木が茂った丘」)、ゲルマン祖語では「茂み、巣」を意味する(wiktionary)

※またイングランド南部では慣習的に、語尾にhurstをつけることで「○○屋敷」のような形になることもある。ただし明確なソースは見つけられなかった

カインハーストが河の中にある砂州のような場所に建てられたことを表しているか、あるいはその城を砂州に見立てているのかもしれない。また「カイン屋敷」や「カインの丘」「カインの巣」のような意味を重ねているのかもしれない

※『フィーヴァードリーム』には「砂州」が重要な地形として幾度も登場する


ではCainとは何かというと、上述したように聖書に登場するカインのことである

その城に住むのは吸血鬼であり、カインの末裔であるから「カインハースト」という名がつけられたのであろう



妊娠

『フィーヴァードリーム』の吸血鬼は長命であるが性欲を覚えることは滅多になく、妊娠することは稀であるという
また、生まれ出る時に母の子宮を引き裂くことから、出産は女性を死に至らしめるという

※女王、ヤーナムの腹部の傷は内側から引き裂かれたものかもしれません



メスメルによる動物磁気(wikipedia)

吸血鬼は動物磁気を操作することで人を思うままに操るという
それは声に宿っており、とりわけ目に宿っているといわれる

ブラッドボーン的には、声のみの存在である「オドン」、また「脳の瞳」を連想する

また、メスメルの磁気実験は患者の体内に「人工的な干満」(潮のみちひ)を生じさせることから、実験棟で行われていた「自らを水で満たし、海の声を聞く」(脳液)という治療と類似したものかもしれない

メスメルはある女性患者に鉄を含む調合剤を飲ませることによって、患者の体内に「人工的な干満」を生じさせ、それから、患者の体のあちこちに磁石を付けた。患者は体中に流れる不思議な液体の流れを感じたと言い、数時間、病状から解放された。(Wikipedia)



蛇足

最初に書いたようにジョージ・R・R・マーティンはSF作家である
しかしながら、彼の著作を読むとSFと神話との相性の良さのようなものを再確認させられる

彼のSFには背後に神話的な表象が読み取れるものや、あるいは神話的なファンタジーに見えて重厚なSFだったりする作品もある

『タフの方舟』のあとがきで訳者の酒井昭伸さんが予感しているように、ゲーム・オブ・スローンズ(『氷と炎の歌』)そのものが《一千世界(サウザンド・ワールズ)》(ジョージ・R・R・マーティンの作品に共通する未来史)であってもおかしくないほどに、SFとファンタジーを融合させるのが上手い作家である

※ダン・シモンズのようにそれに特化したSF作家もいるが

ゆえに、Elden Ringもまた「王道ファンタジー」に見えて、その奥底にはSF的な世界観が埋もれているのではないか、と妄想をたくましくすることも可能であるかもしれない

※ダークソウル路線の王道ファンタジーと明言されているが、ファンタジーの底にSF的世界観が隠されているというのも、また一種の王道である(ゲームでいうなら「ゼノギアス」はちょっと違うか…FF4とか)

0 件のコメント:

コメントを投稿