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2020年1月15日水曜日

Sekiro 竜の帰郷ENDの後を妄想してみる

以前にもDLCや続編を妄想したことがあり、そのなかには竜の帰郷に触れたものもあったのだが、ブラッドボーンを考察する過程で異なる意見を持つようにもなってきたので、訂正を兼ねて妄想してみる



竜の帰郷

具体的には、もし仮に竜の帰郷後を描いた続編あるいはDLCがあったとして、その舞台はどこであり何を描くか、というものを妄想したものである

九郎を宿した変若の御子と竜の忍びとなった隻狼の旅路を妄想するものであるが、その日本編については過去の記事で詳しく書いたので省く



楼蘭

続編において舞台となると想定できるのは中央アジアにある楼蘭(ろうらん)である

楼蘭(ろうらん,Loulan,推定されている現地名はクロライナ Kroraina)は、中央アジア、タリム盆地のタクラマカン砂漠北東部(現在の中国・新疆ウイグル自治区チャルクリク)に、かつて存在した都市、及びその都市を中心とした国家である。(wikipedia)

なぜ楼蘭になるのかは連想ゲーム的な操作が必要となる



ローラン

初っぱなから話が逸れるが、ローランとはブラッドボーンにおいて、砂に埋もれて滅亡したとされる都市である。砂に埋もれて滅亡した都市、という共通点があり名前も類似していることから、ローランとは楼蘭がモデルではないか、という説は発売当初からあったように思う

しかしながら、東欧あるいは中欧が舞台と推測されるブラッドボーンと、中央アジアにある楼蘭とは地理的に離れている印象があるし、なぜ「血液感染」という名のゲームに「楼蘭」が登場する脈絡も不明であった

つまり、舞台や名前が類似しているものの、決め手に欠けていたのである



フィーヴァードリーム

さらに話は変わるが、宮崎氏はインタビューで新入社員に触れて欲しいコンテンツとして『フィーヴァードリーム』という小説を推薦していたことを明かしている

この『フィーヴァードリーム』はジャンル的に吸血鬼小説なのだが、一読するだけでブラッドボーンに多大な影響を与えていることが分かる

吸血鬼という素材が同じなのでどうしても似てしまう部分もあるし、違っている部分も多々あるのだが、カインハーストならびに「獣」に関する思想というか哲学は相通じるものがある

ブラッドボーンは吸血鬼という素材をさらにクトゥルフホラーに昇華させたことに唯一無二の独創性が存在するが、その思想の萌芽は『フィーヴァードリーム』にも見受けられるのである

※『フィーヴァードリーム』自体がもしかするとクトゥルフ的な宇宙的恐怖を背景に書かれたものであるのかもしれない

以上が『フィーヴァードリーム』の簡単な説明である。(詳しくは「Bloodborne 考察 『フィーヴァードリーム』」)



闇の国

小説、『フィーヴァードリーム』において、中央アジアにある深い洞窟の奥に、吸血鬼たちの巨大な都市が築かれたという。それは地下の海と大河の岸辺鉄と黒大理石で造られたとされる

つまり吸血鬼(小説ではその本性は「野獣」)たちの都市が中央アジアにあったのである

この中央アジアにある地下都市というイメージから、中央アジアにある砂に埋もれた楼蘭が連想され、さらに砂に埋もれた都市ローランに発想が転換していったと妄想をたくましくすることも可能である

その闇の都市には吸血鬼(野獣)が棲んでいたがやがて滅亡し、今も地下深くに眠っているのである

こうして、ブラッドボーンのローランは闇の都市を介して楼蘭と連繋されるのである



SEKIRO

SEKIROでは竜の故郷は西にあったとされる。西にある神的なものが棲まう場所といえば、SEKIROに多く引用されている仏教では「西方浄土」が連想される

※西方浄土は阿弥陀如来の浄土であるが、阿弥陀如来は奥の院の掛け軸の奥に確認できる

もちろん如来の浄土なので現実世界ではない。仏国土を遊ぶというのも悪くはないが、葦名という現実の国を舞台にしたSEKIROを前提にして考えると、やはり続編なりDLCも現実の国土が基礎となっていると思われる(仙郷のような場所はあるかもしれないが)

もうひとつ、日本人にとって西と言われて連想するものがある



大唐西域記

それが玄奘三蔵の記した「大唐西域記」であり、その通俗的な物語としての「西遊記」である

旅装の僧侶(尼僧)とその従者(隻狼)という二人連れが「西に行く」と言えば、多くの人がまず第一に「西遊記」を連想するのではないだろうか(すぐに仲間が増えていくが)

※ドラマなどの影響で、旅装の尼僧を見て西遊記を連想するのはあるいは日本人に特有の現象かもしれない

そして大唐西域記によれば、玄奘三蔵は故国への帰路に楼蘭に立ち寄っているのである

ここに、ブラッドボーンとSEKIROを非公式に繋ぐ「楼蘭」という都市が浮かび上がってくるのである

ローランは中央アジアにある闇の国を通じて楼蘭に通じ、かつその楼蘭は玄奘三蔵が立ち寄った都市であると同時に、日本の西方にある都市でもある



楼蘭

とはいえ、すでにローランは砂に埋もれて滅亡しているし、楼蘭についても玄奘三蔵が見たのが都市だったのか廃墟だったのか、厳密には分からないらしい

が、すでに存在しない世界へワープする方法はSEKIROには存在するので問題はない

さらに妄想を飛躍させるのならば、実際に楼蘭まで歩いて行く必要すらないのである

その記憶を留めた「鈴」さえあれば、あとは仏様がなんとかしてくれるからである

よって、楼蘭へ行くタイミングはゲーム上の任意の地点にすることが可能である。極論すれば葦名の隣の都市で偶然に「鈴」を入手して「楼蘭」に行くことすら可能なのである



仏陀

さてここまで楼蘭を推し進めてきたが、西遊記にしろ大唐西域記にしろ、もっともエキサイティングなのは、復路ではなく往路(行き)であろう

楼蘭は登場すらしない可能性もあるし、微かに存在を仄めかされるだけかもしれない(「仙郷」のような使われかたかもしれない)

そもそも西遊記のストーリーをそのままトレースするとも思えない

また竜の故郷、つまり物語の根源へとさかのぼっていくわけだから、それは同時に仏教の始原へさかのぼる旅にもなるはずである

※SEKIROにおける摩訶不思議の現象は、ほぼすべて「仏教」が関連している

仏教の始原とは言うまでもなく「仏陀」である

つまるところ、続編やDLCでは仏陀のフロム的解釈にすら到達するのではなかろうか



蛇足

仏陀をフロム的に解釈するとどういった世界観が生まれてくるのか分からないが、近しいと思われる伝奇小説は読んだことがある

夢枕獏の『涅槃の王』である

その希有壮大なスケール感と奇々怪々の物語や異形異類の登場人物たちは、ある種、読むフロムゲーとさえ言えるものである(個人的な感想です)

このように気兼ねなくSEKIROの続編を妄想できるのは、逆説的に言えば続編を諦めているからかもしれない(フロムとアクティの不和の噂とかあるし)

以前にも書いた覚えがあるが、SEKIROはそれ単体で完全無欠に完結していると評して良いほど完成度が高いと思うので、「」ということでもいいかなとも思う


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