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2019年7月8日月曜日

Sekiro 考察42 竜の故郷

変若水

竜の故郷を考察するにあたり、まずは変若水の考察から始めたいと思う

ゲーム内における変若水の効果としては以下のようなものが挙げられる

・葦名の赤目を作る(赤備えの火消し粉)
・道順の施術は「変若水の施術」と言われている(「鯉の赤目玉」)
・変若水の濃く溜まった場所に「馨し水蓮」が咲く(「馨し水蓮」「香花の手記」)
・変若水の中でも特に濃いものを「変若の澱」という(弦一郎戦後のエマ)
・澱を口にした者は、「当然に死んでいるはずの斬撃に耐えるほど強靱な肉体に、変貌する」(弦一郎戦後のエマ)
・その源は竜胤にある(残影)

かつて現実の神話や伝説に登場する変若水を考察したことがある。その時は、「月神がもつ若返りの水であり、人間がそれを被れば不老不死となるが、神話や伝説の多くの例で蛇に奪われてしまう」というような例を出した

しかしながら、これだけではSEKIROの変若水に対する解答としては不十分であった。どうにも核心に迫りきれておらず、隔靴掻痒の感があったことは否めない

竜の故郷を考察する上でも、西方浄土か月かぐらいにしか対象を絞りきれず、後のことは想像に任せることしかできなかった

と、いうことで今回はさらに深く変若水について情報を集めてみたものである


ミブ

変若水について民俗学者の折口信夫は、貴人の産湯に使われた水をかつては変若水と称した、という

貴人誕生に壬生(ミブ)の汲んでとりあげる水は、即、常世の変若水(ヲチミヅ)であつたのだ。(『貴種誕生と産湯の信仰と』折口信夫)

そして変若水を用いて沐浴すると、人はすべて始めに戻る、という

其水を用ゐて沐浴すると、人はすべて始めに戻るのである。此を古語で変若と云ふ。 其を又変若水と称する。(『貴種誕生と産湯の信仰と』折口信夫)

始めに戻る、とは変若水の名前からして若返ることをいう
正しく若返りの水である

さて、ここに登場する「壬生(ミブ)」とは何者か

折口信夫によれば、壬生は語源をさかのぼると丹生(ニフ)といい、水神の信仰と結びついているという

にぶ(壬生)又は、みぶとも云ふ。語源をさかのぼると丹生(ニフ)の水神の信仰と結びついてゐるのである。(『貴種誕生と産湯の信仰と』折口信夫)

そしてこの壬生というのは特定の目的のために組織された聖職団体であるという

その目的とは貴種の子(御子)禊ぎの水をそそぎ、扶育・教養・保護することである

産湯から育みのことに与る壬生部は、貴種の子の出現の始めに禊ぎのを濯ぐ役を奉仕していたらしい。(『水の女』折口信夫)
さらに御子が死んだ後は、その御子が生きていたことの記念の団体として残ったという
みこ(御子)生れ給ふと共に、産湯の儀式を行ふ。其際に、其みこの一生に関聯深い壬生部(ミブベ)と言ふ部曲(かきべ)――聖職団体――が定まる。其々のみこの扶育・教養・保護凡(およそ)すべて其一代を守り申す壬生職なる家族――氏――の下にあって、其みこの一代を通じて奉仕し、更に他界の後、其みこの、此世にあつたことの記念の団体として残つたのである。(『貴種誕生と産湯の信仰と』折口信夫)

この団体を宰領するのが壬生氏である

まづ御子が産れると、其御子をば、豪族に附託して、養育せしめる。昔でいふと、其家筋を壬生氏といふ。壬生氏は、壬生部といふ団体の宰領である。(『貴種誕生と産湯の信仰と』折口信夫)

なぜこのような役目に壬生の名が付けられたかというと、壬生水神信仰と結びついているからである

禊ぎによって、水の神の魂御子におつけすることで、その御稜威(みいつ)を増大せしめ、あるいは御子を守護するのである

水の魂をして、天子様となるべき尊い御方におつけ申すのだ。水中の女神が出て来て、お子様のお身体に、水の魂をおつけ申して、お育て申す儀式である。(『大嘗祭の本義』折口信夫)

SEKIROに登場する水生村も、まったく同じように水への信仰を持っていた。そしておそらく、竜胤の御子の養育を任せられていたのであろう

なぜならば「輿入れの儀」には竜胤の御子の血が必要であるが、水生村に御子がいたとすれば、その血の調達も可能であるからだ(不死斬りがあればの話だが)

さて、以上のように変若水水神や貴種の御子と関連し、またそれを養育する部曲には「ミブ」の名がつけられている

変若水の中に神が溶けているというような考察をしたことがあるが、まさしく現実における変若水にも神が宿っているのである


常世

神の宿る変若水は常世から来るという

即、其水の来る本の国は、常世国であり、時は初春、及び臨時の慶事の直前であつた。(『貴種誕生と産湯の信仰と』折口信夫)

SEKIROと比定するのならば、常世の国とは源の宮のことである

というのも、桜竜の開発中の名前が「人魚竜」であり、竜宮に居たと思われることから、源の宮の根源的なモチーフは「竜宮城」であるが、その竜宮城は常世の国だからである

浦島子の行つたのも、やはり常世の国であった。(『古代生活の研究』折口信夫)

山中常世が想像されるようになったのは、道教の蓬莱山や仙郷の影響であり、もとは常世の国は海の彼方にあったという

常世の国を、山中に想像するやうになつたのは、海岸の民が、山地に移住したからです。(『翁の発生』折口信夫)


常世神

そしてその海の彼方の常世の国からは、まれびとがやって来たという

大昔には、海の彼方の常世の国から来るまれびとの為事であつたのが、後には、地霊の代表者なる山の神の為事になり、更に山の神としての資格に於ける地主神の役目になつたものでした。(『翁の発生』折口信夫)

この常世の国から到来する存在を、折口信夫は常世神とも呼び、次のように説明している

常世神とは――此はわたしが仮りに命(ナヅ)けた名であるが――海の彼方の常世の国から、年に一度或は数度此国に来る神である。(『鬼の話』折口信夫)


わたつみの宮

では、常世の国とは具体的にいえば何か

折口信夫によれば、わたつみの宮(海神の宮)であるという

わたつみの国も常世の国と考へられて行つた。(『国文学の発生(第四稿)』折口信夫)

飛鳥時代にすでにわたつみの宮常世の国と同じ場所という観念が存在していた

浦島の話は、更に一つ前之飛鳥の都の頃に既に纏まつて居たものらしいが、早くもわたつみの宮ととこよの国とを一つにしてゐる。(『古代生活の研究』折口信夫)

この時代に想像されていた常世の国は、不死常成の楽土で有り、恋愛の理想国でもあった

常世の国を理想化するに至つたのは、藤原の都頃からの事である。道教信者の空想した仙山は、不死常成の楽土であつた。其上帰化人のシナから持ち越した通俗道教では、仙郷を恋愛の理想国とするものが多かつた。(『古代生活の研究』折口信夫)

常世と恋愛の結びついた物語は、浦島太郎の物語の他に、『古事記』のホオリの命(wikipeida)の神話がある


この神話では、常世の国は疑いも無く海中にある国として描かれている

我国のとこよにも恋愛と結びついて居るのは、浦島の外に、ほをりの命の神話がある。此は疑ひなく、海中にある国として居る。(『古代生活の研究』折口信夫)

この海中の国は、海神(わたつみ)の宮と言われている

此海中の地は、わたつみの国と謂はれてゐる。(『古代生活の研究』折口信夫)


整理

ここで一度整理しよう

変若水とは常世から流れてくる若返りの水である。貴種の御子壬生部の汲む変若水によって水の魂を付与され、若さと御稜威を得る

その変若水の流れてくる源には常世の国があり、それは道教の影響を受けて山の中に存在する。しかしながら、もっと古い形では、常世の国とは海の彼方にある国であった

海の彼方の国とは、ホオリの神話にあるように、海神の住まう国であり、それは常世の国と同一視されていた


小さな神

そうした常世の国からは、一年に一度あるいは数度常世神がやって来る

ここにスクナヒコナという神がいる(wikipedia)
常世から渡ってきたとされる、小さな神である

特に伯耆の伝説では、此神が粟幹に弾かれて常世国から渡つて来られた事になつてゐる。(『偶人信仰の民俗化並びに伝説かせる道』折口信夫)

この神は、医薬の神であり最後には粟に弾かれて常世の国へと帰っていく。粟に弾かれて、とあるようにこの神はとても小さい

折口信夫も、常世から来る神は大抵小さな神だという

常世の国から来るのは、大抵小さな神である(『古代人の思考の基礎』折口信夫)

そしてこの小さな不思議な神は、もとは霊魂の信仰であったという。

小さな不思議な神は、もとは霊魂の信仰であつた。荒魂・和魂が、時代を経てから、すくなひこの神に考へられて来た。魂から、神になつて来たのである。かう見なくては、日本の神典の、神と魂との関係は訣らない。(『古代人の思考の基礎』折口信夫)

SEKIROにおいて変若の御子が成る「揺り籠」とは、魂の乗り物なのである。ゆえに、竜胤、つまり常世の神が移動するときには、元の「」の姿でなければならないのである

常世神とは、小さな神であり、それは霊魂が神となったものであるからだ

そして竜が帰る故郷とは、常世の国、つまり海神(わたつみ)の国である


竜の到来

かつて神なる竜が日の本に流れ着いたときに何があったのか。私が下手に再構成するよりも、折口信夫の著作からの引用のほうがわかりやすいであろう

幼い神が海のかなたの常世の国から、うっかり紛れて、此土に漂ひ寄る。此を拾ひあげた人の娘が育みあげて、成人させて後、其嫁となって生んだのが、村の元祖で、若い神には御子であり、常世の母神(オヤガミ)には御孫(ミマ)の御子だと考えられた(『山のことぶれ』折口信夫)

幼い神を拾い育てる娘は、多くの場合こう呼ばれる

神の嫁、「巫女」と



蛇足

見ての通り、引用まみれである
読む方も大変だと思うが、引用するのも大変だった(コピペではなく、キーボードで手打ち)

ゆえに、ずっと以前からうっすら考えていたものの実行に移せなかった考察である
その出来はよくわからない。ほぼすべてを折口信夫の著作から引用したので、かなり偏った考察になったとも思う

であるので、こういう考え方もある、程度に思ってくれたら幸いである


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