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2019年7月12日金曜日

SEKIRO 補足3:考察勢が普通にSEKIROを遊ぶ動画03




呉子

『呉子』というのは春秋戦国時代の軍人、「呉起」を主人公にした兵法書である

この呉起という人は一言で言うのならば職業軍人で、幾度も主君を変えてはその国を立て直し、あるいは勢力を拡大させた人物だ

現代に置き換えるのならば、複数の会社を渡り歩き業績を改善させるプロ経営者のようなものであろうか

その手法も、現実的かつ合理的な社内改革と、徹底したコストカットによる財務状況の改善というように、プロ経営者と通じるところがあり、最期は旧勢力に妬まれて殺されるところなど、昨今の某有名企業の某CEOと被るところがある(某CEOが返り咲いたように、呉起もまた死後に一定の報復を果たしている)

また呉起は根っからの叩き上げ軍人でもあり、『呉子』に記された兵法も、戦略・政略的な『孫子』に比べると、より現場主義・実務的な内容である(悪く言えば応用が利かない)

若き頃は孔子の弟子である曾子に儒教を学んでいたものの、母が死んだときに帰らずに破門され、後には自分の妻を殺してまで将軍になろうとするような、冷淡、残忍な人物とさえ見られていたのである

この『呉子』の物語設定もまた、君主に登用面接を受ける呉起という場面から始まっている。自らの能力をアピールしなければならない状況である。君主としては、国を護りまた勢力を拡大するために有能な将軍を採用したいと考えている

そんな場で、「玉砕精神」を説く人材を採用する君主はいないだろう

と、いうことで動画では「有死之榮 無生之辱」は「玉砕精神」を説いたものではない、とする解釈を採った

区別がつきにくいが、「死ぬことで初めて栄誉を得られる」と「死ぬことがあっても栄誉を得る」とはニュアンスがやや異なるのである

前者だと「生きることは恥」に繋がり(「玉砕精神」だとそうなる)、「無生之辱」(例え生きても恥にはならない)の意味と繋がらないのである

時代的には多くの国が覇を争い攻防を繰り広げた、生き馬の目を抜く春秋戦国時代である。諸子百家のなかには「玉砕精神」を説いたものがあったかもしれない

しかしながら、プロの職業軍人であり、出世のためなら母や妻を犠牲とし、母国が傾くや母国を捨てて別の国へと立ち去ったとされる呉起が、それを説いたとは思えないのである(部下の軍人にはやたらと優しいが)

呉起の最期も、君主の遺骸の下に隠れて降り注ぐ矢を受けたとのことだが、これも乱を起こした者たちに死後に報復するためであり、ここには徹底した実利主義を見るのである(亡き君主に矢を射た者たちは、新王に一族郎党誅殺された)


蛇足

内府襲撃後の七本槍・鬼庭主馬雅次は、こう口にする

雅次:よし… 弦一郎様が戻られたら、はじめるぞ
…竜胤とともに、葦名を興すのだ

また水生氏成も次にように呟く

水生氏成:…一心様、お借りいたします
見ていて下され…
この戦、我ら葦名衆が、必ずや

葦名弦一郎もそうであるが、いっそ醜いまでに生や葦名に執着している。自らを犠牲に一心を黄泉返らせたのも、栄誉というよりも葦名への執着心である

ここに醜く生きて葦名を存続させるよりも、潔い滅亡によって名誉を守るとする、死の美学は見受けられない

とはいえ、「有死之榮 無生之辱」の解釈は最終的には人によって様々であろう

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