白面の虫によれば、人と虫とは深淵に沸く火に望まれぬ者であり、同朋である。また説教者の白面のテキストによれば、人と虫は同じものであり、白面を被るのなら姿まで同じになる
火に望まれぬ者がいる
君たちのこと、そして私たちのことだ
この街を見よ!我らは同朋、瞳を覗くように明らかに(白面の虫)
説教者の白面
深淵に湧き、火の時代に望まれぬ。虫も人も同じだ
ましてこれを被るなら、姿まで同じじゃあないか
つまり人は、火に望まれぬ者、深淵に沸く者、虫と同朋なのである
人という種は深淵から沸くことによって世界に現われたことになる
DS1DLCの深淵の穴には、「深淵沸き」という名の敵がいる
その姿は、巨大な人間性である。そして人間性とは人のみにあるとされる
人間性
この黒い精もまた人間性と呼ばれるが
詳しいことは分かっていない
ソウルが生命すべての源であるなら
人のみにある人間性とはなんなのか?
人も人間性も深淵に沸き、そして人間性は人のみにあるという。であるのならば、人と人間性もまた同じもの(同朋)である
では、人や虫や人間性が沸く深淵とは何か
深淵の主マヌスのソウルによれば、深淵は人間性の暴走によって発生するものである
深淵の主マヌスのソウル
それは尋常のソウルではなく
どろりとして生あたたかい、優しい人間性の塊である
マヌスは、古くとも明らかに人であった
人間性を暴走させ、深淵の主となった後も
ずっと寄る辺、あの割れたペンダントを求めていた
人と人間性と深淵の相関図が以下である
これから分かるのは、人と人間性と深淵は根源的には同じものであるということである
同じものが違った現れ方をすることで、人や人間性、深淵に分かれるのである
これは、水が「液体・気体・個体」の相をもつことに近い
すなわち、一つの根源的な物質(現象)が相転移することで、人や人間性、深淵となるのである(人間性が人に相転移する条件については後述する)
その一つの根源的な物質(現象)とは何か
宮崎氏によれば、人間はダークソウルの欠片である(「ゲームの食卓」より)。人間の根源はダークソウルなのである
つまるところ、一つの根源的な物質(現象)とは「ダークソウル」のことである
ダークソウルが相転移することで人や人間性、深淵となる。そしてこれらの総体を「闇」という
闇とは、ダークソウルを根源とした現象一般のことをいうのである
そして人と人間性、そして深淵とは根源的に同じものである故に、深淵の沼で「擬態」をすると「人間性」に変異することができるし、人間は人間性を暴走させることで深淵を生み出すことができるのである
そして人が人間性を暴走させた深淵からは、ふたたび人間性が沸くのである
人と虫
人と虫との違いは何か
どちらも深淵に沸く、火に望まれぬ者である、という点は共通している。だが、人(人間性)は虫と違って生あたたかいのである
深淵の主マヌスのソウル
それは尋常のソウルではなく
どろりとして生あたたかい、優しい人間性の塊である
この生あたたかさは、エストの語源が「Aestus」(ラテン語で「熱」)であるように、そしてエストにより生命力を回復することができるように、生命そのものの生あたたかさ、である
人とは人間性であり、また深淵でもある。火の時代の終わり、生あたたかな深淵から熱が失われたことで、それは深みとなる
深みから沸くのが「湿り人」である。それは湿っているが生あたたかくはないのである
湿った手鎌
深みから這い出る湿り人たちが
その手に持つ、柄の短い鎌
全体が黒く湿っており、闇の攻撃力を持つ
深みは源が深淵であるが故に「闇の攻撃力」を持つが、しかし熱は失われ、それは単に湿った液体になっている
かつて人であった湿り人は、深みに棲むうちに、その生あたたかさを失い、湿って「湿り人」に変異するのである
そして深みには、もうひとつの生命が棲息している
「蟲(虫)」である
蝕み
深みに潜む蟲たちは、小さな顎に牙を持ち
瞬く間に皮膚を裂き、肉に潜り込む
それは激しい出血を伴うという
白面の虫とは、人が人間性の生あたたかさを失い、蟲になっていく、その進化(退化)途上の生命体なのかもしれない
人間性から人への変異
人や人間性、深淵とはダークソウルのひとつの相である。このうち深淵は人が人間性を暴走させると誕生する。では、人間性はどのような経緯を経て人になるのか
結論から述べれば、人間性から人への変異には神々が関わっている
輪の騎士の鎧
古い人の防具は、深淵によって鍛えられ
僅かにだが生を帯びる
そしてそれ故に、持ち主たちと同様に
神々に火の封を施されたという
人間性とは黒い精であり、深淵から沸いた生命体の一種である。つまり深淵の生という意味で、古い人の武具と同じものである
古い人の武具が深淵の生を帯びたが故に、神々に火の封を施されたのと同じように、深淵から沸いた人間性は、それ故に神々に火の封を施されたのである
上述したが深淵から沸くのは「人間性」である。そして神々はこの人間性に火の封を施したのである
人間性と人との最も大きな相違とは何か
そもそも外見からして人と人間性とは大きく違う。だとしたら、その違いは神々の火の封によってもたらされたものである
すなわち火の封とは、人間の肉体そのものである
火の属性をもつ肉体によって、闇の属性をもつ人間性を封じること。それが神々の火の封である
だが火が陰り、火の封が弱まると内側に封じた人間性が漏れ出てきてしまう。それがダークリングである
ダークリングの炎の輪は、火の封が破れたことにより燃え上がって生じるものである。これは空に浮かぶ巨大なダークリングでも原理は同じである
火が陰ったことで、火の世界が封じてきた闇が増大し、世界そのものが破れ、闇が漏れ出てきているのである
輪の騎士が深淵に浸された黒布を被るのは、おのれの肉体が発する火(光)を和らげることで、見えざるもの、すなわち闇の存在をかき消さぬためである
輪の騎士のフード
彼らは深淵に浸された黒布を被り
またその目を幾重にも覆う
火の封がすべての
見えざるものをかき消さぬよう
それは、神々への小さな抵抗である